—–一章
『シルバーバーチの霊訓⑫』
我々霊団も皆さんも共に大霊への奉仕者です。ただ私たちは皆さんよりホンの少し先を歩んでいるに過ぎません。そこでこうして引返して来てこれまで学んだものの中から皆さんのお役に立つものをお分けしようという訳です。お互い扶助しあう事が生命の根本原理だからです。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
互助の精神のないところには荒廃があるのみです。互助の精神のあるところには平和と幸せが生まれます。地上世界はその互助の精神によって新しい社会を築かないといけません。原理はいたって簡単なのです。人間がそれをややこしくしているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
そもそも私たちが地上へ戻ってくる目的はそこにあるのです。即ちたった一冊の書物、たった一つの宗教、たった一人の指導者―それが地上の人間であっても霊界の存在であっても―そういう限られたものに自分の全てを託してはいけない、―

『シルバーバーチの霊訓⑫』
―それよりも神の摂理に従順であるように心掛けなさいと申上げるためです。それだけは絶対に裏切らない、絶対に間違うという事がないからです。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
地上世界にこれまで何度となく霊的啓示がもたらされそして失われていくという事が繰り返されましたが、今度こそは前面に押出して二度と失われる事のないようにしようとの決意のもとに、大々的努力が為されております。私はその為の一個の道具にすぎません。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
今度こそは物質万能主義と利己主義の勢力の跋扈を抑制し、人間がややもすると囚になってしまいがちな煩悩に負けないようにするための努力が為されております。そのためには“日常生活”の中にそうした霊的真理を生かしていくしかないのです。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
私たちがこうした真理の普及に努力するのはそれが霊的摂理のみならず物的法則とも密接に係わり合っているからです。私たちの目から見れば物質界も大霊の支配下の全大宇宙の一部であり、絶望の淵にあえぐ地上人類の苦悩に無関心でいては宗教心を説く資格はありません。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
私は私をこの地上へ派遣した霊団の代弁者(マウスピース)にすぎません。私自身の栄誉とか報賞とかを求める気持はみじんもございません。誇大に宣伝したり地上時代の偉そうな人物名を名乗ったりする趣味も持ち合わせません。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
私はただこれまで申上げたような霊的真理、永い間忘れ去られていた真理に改めて“神の真理”のシールを貼って、こうして地上へお届けするための道具である事に喜びを感じているのです。

【過去コメ】霊関連の書籍をさらに追加購入して通読。読むほどに地上にて霊能を発揮して偉業を達成する方々はまさに「選ばれた人々」であり、それに比べ僕は何の使命も帯びずに個人的な進歩向上目的で降りてきた幼稚な少年だったと改めて痛感するのです。僕はよほど稀有なパターンだったのではないかと
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『シルバーバーチの霊訓⑫』
私の役目は私の所属する霊団からのメッセージをお届けする事です。手塩にかけて養成したこの霊媒(バーバネル)と私自身の霊力の力量の範囲内で受取ったものを忠実に伝達する努力を続けてまいりました。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
私はただお役に立てばそれでよいのです。もし私がお伝えするささやかな教えが、人生の嵐の中にあるたった一個の魂の一服の憩いとなり、疑念の嵐をくぐり抜けたあとの確信の港となれば、―

『シルバーバーチの霊訓⑫』
―あるいは又こうした一見なんでもなさそうな素朴な霊的真理の聖域の中に幸せを見出し生き甲斐を覚えさせてあげる事になれば、父なる神から仰せつかった仕事の幾ばくかを成就した事になります。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
こうして私たちが霊的真理の普及に努力している一方には、この真理そのものよりもそれを伝える道具つまり通信霊の身元のせんさくの方が大事だと思っている人が大勢いるようです。その霊が地上で白人であろうが黒人であろうが黄色人種であろうが―

『シルバーバーチの霊訓⑫』
―レッド・インディアンであろうが、それでどう違ってくるというのでしょう。神の真理が教養豊かな人によって届けられようと無学な人によって届けられようと、それが真理に間違いがなければ、純粋の真理でありさえすれば。そんな事はどうでもよい事ではないでしょうか。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
私たちは物質の世界の子等がいかにすれば伸び伸びと生きる事ができるか、いかにすれば霊的真理の光に浴する事ができるか、いかにすれば人間的産物である教義への隷属状態から抜け出せるかをお教えしようと努力しているところです。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
もとよりそれは容易な仕事ではありません。なぜなら、いったん宗教的束縛を受けるようになると、その迷信の厚い壁を真理の光が突き抜けるには永い時間を要するからです。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
強大な霊の勢力があなた方の物質の世界へ差し向けられております。全ての国において霊力の強い働きかけが感じ取れるようになるでしょう。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
地上世界にはびこる利己主義と無知に対抗して、為すべき大切な仕事があるからです。いずれはそれも征服される事でしょうが、それまでの過程において大変な苦悩がある事でしょう。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
皆さんの味方として差し向けられる霊はいろいろです。地上で顔見知りだった人、血縁のあった人、さらにはそうした地上的縁とは無関係に、ただ地上人類への愛に動かされてやってくる高級霊もいます。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
背後霊というと人間はとかく名前を知っている人たちの事を頭に浮かべがちですが、その他に自分の存在を知ってもらいたいとも功績を認めてもらいたいとも思わず、ただ持てる霊力を役立てたい一心から働きかける霊が無数にいる事を忘れないでください。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
霊に関わる事は慎重な配慮による養成と進歩を要します。急激な変化は永続きしません。私たちの仕事は永続性を目標にしているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
一人また一人と、暗闇から光明へ、無知から知識へ迷信から真理へと這い出るごとに地上世界が進歩するのです。その一人一人が物質第一主義の棺に打ち込む一本のクギなのです。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
私たちが行っている仕事が今後も益々要請されてまいります。無明故に神の摂理に沿った生き方をせずに暗黒と絶望へ向う道を選択してしまいました。そこで私たちは希望と光明と安らぎと調和へ導く叡智をお教えしようとしているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
それを地上の人間は無明故に軽蔑しようとします。お届けするメッセージを拒絶します。霊力の働きかけを否定します。しかしそうした態度にはお構いなく真理は地上へ広がっていく事は間違いありません。大霊を始源としているからです。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
私が使用するこの霊媒の口からもし皆さんの理性を反撥させるもの、神の愛と矛盾する事、愚かしい事、知性を侮辱するものが聞かれるようになったら、その時はもはや私の時代は終った事、私の仕事が挫折した事を意味します。

『シルバーバーチの霊訓⑫』
我々の活動は、放棄された信仰の瓦礫の中にあって人類が懐疑のために全てを拒絶してしまう事なく、実と殻、事実と神話とを選分けてどの宗教にも包蔵されていながら幼稚な人間的想像の産物の下に埋れてきた霊的真理に目を向けるよう導くという大きな使命の一環なのです。

【過去コメ】僕がするかも知れなかった霊的知識普及活動。それについて考えるほど「僕はその器ではない」と思うのです。そういう責任重大な仕事をするための「環境」が僕には全く無いからです。予定外の少年が予定外にタネを蒔いて予定外に効果をあげちゃった…僕は霊界の方々にこんな風に見られてるのかも(祈)

中途半端な表現で書く訳にはいかないのです。現時点の僕にできる精一杯の表現を駆使して書かせて頂いています、もちろんそれが完璧な表現などとは言いませんが。できるだけ急いでみます、その先にムービーの作業もありますので(祈)†

今日のアタックでは初の試みで写真撮影をせずにムービーを3本撮りました。今後ブログをムービー化してYoutubeにUPする事を常態化させるにあたってムービー素材のストックが絶対的に必要になると考えたからなのですが、実は今日のアタック中に「ブログのムービー化」に関する新たなアイデアを思いつきました。まずは霊団がピーチピチ(佳子)に関するブログネタを降らせてきていますので明日そのブログを長文で書く事に最大集中します。ブログがまぁまぁの完成度で書き上がっていなければムービー化の作業はできません。そして今日思いついた新たなアイデアを駆使してムービーを作成するにあたっては新規のテンプレ、アイコン素材等を作成する必要性が生じ、ブログは明日中にUPできるでしょうがムービーはテンプレから作らねばなりませんので時間がかかります。

まぁとにかく霊団がムービーを推しまくっている事もありますので何とかその新規のアイデアを形にしてみるつもりです。今日山で撮った3本のムービーはその新規アイデアには使用しないので、そのままにしておいてももったいないので単体でUPするかも知れません。とにかく今後の事も考えてムービー素材のストックは絶対に多く持っておくべきですので山での撮影も続けるべきでしょう。全ての作業はイエス様との約束を完璧に果たし切るため。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をチリひとつ残さず完璧に死刑にして滅ぼし切るため。奴隷の女の子を完全救出するため。そしてピーチピチ(佳子)の背中をそっと押すため。物質界に残された僕に「イエス様ハンドリング」以外の人生はありません。僕の全存在をかけて「宇宙一のバカ」明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にします。明日の作業に集中(祈)†


明日の山の準備でもう時間がありませんのでまずはMP3のUPのみ。「タイヤチェーン装着テスト」やってなかったら完全にパニクるところだったのです(祈)†

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【例えば悪を憎むためには当人が憎しみという要素を持っている事が必要となるのでは、我々は憎む事を学ぶべきだという事にならないか、といった主旨の事を述べた。すると―】私はそのような考え方はしません。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
私は悪とは同じエネルギーの用途を誤っている事だから許すべきではないという考え方をとります。あなた方が悪い奴らと思っている人間は未熟な人間という事です。その人たちが表現しているエネルギーは成長と改善のためにも使用できるのです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
自分から“悪人になってやろう”“利己主義者になってやろう”と思って悪人や利己主義者になる人間は滅多にいるものではありません。“悪い人間”というのは霊的成長における幼児なのです。聞き分けのない子供みたいなものです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
目に見え手に触れるものだけが全てだと考え、従って物的世界が提供するものを全て所有する事によってしか自分の存在を主張できない人間なのです。利己主義とは、利他主義が方角を間違えたにすぎません。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
善なるもの、聖なるもの、美なるもの、愛、叡智、その他人生の明るい側面だけに神が宿っているかに考える旧式の思想は棄てなければいけません。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
神の表現をそのように限定すれば、もはや絶対神が絶対でなくなります。それは条件付の神、限定された霊となります。絶対神の本質は無限、全智、全能、不可変、不易であり、それが法則となって絶え間なく機能しているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
神を、右手にナザレのイエスを従えて玉座に坐している立派な王様のように想像するのはそろそろやめなければなりません。それはもはや過去の幼稚な概念です。宇宙全体―雄大な千変万化の諸相の一つ一つに至るまで絶対的な法則が支配しているのです。神とは法則の事です。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【この問答がサイキックニューズ紙に掲載されるとすぐに反響があった(交霊会はいつも週末に催され、その記事はすぐ翌週に掲載された―訳者)読者からの批判的な手紙が読上げられるのを聞き終ったシルバーバーチはこう答えた―】困りました。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
そうした方たちは永い間神とは善なるものにのみ存在すると教え込まれてきているからです。神とは一個の人間、誇張された人間であるかに想像し、人間から見て良くないもの、親切とは言えないもの、賢明でないものは所有して欲しくないというにすぎません。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
しかし神は人間的存在ではありません。法則なのです。それが全生命を支配しているのです。法則なくしては生命は存在しません。法則がすなわち霊であり、霊がすなわち法則なのです。それは変えようにも変えられません。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
そこが理解できない人にとっては色々と疑問が生じるでしょうが、成長とともに理解力も芽生えてきます。神が善なるものを与え悪魔が邪なるものを与えるという論法ではラチがあきません。ではその悪魔は誰が拵えたのかという古くからのジレンマにまたぞろ陥ってしまいます。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【悪魔はキリスト教が生み出したのでしょう?―】そうです。自分たちから見て悪と思えるものを何とか片付けるためにはそういうものを発明しなければならなかったのです。悪も進化の過程の一翼を担っております。改善と成長、絶え間なく向上せんとする過程の一つなのです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
人間にとって悪に思え苦痛に思えるものも進化の計画に組み込まれた要素なのです。痛みがなければ健康に注意させる警告がない事になります。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
暗闇が無ければ光もありません。悪が無ければ善もありません。地上にもし悪が存在しなければ、何を基準に善を判断するのでしょうか。改めるべき間違い、闘うべき不正が存在しなければ、人間の霊はどうやって成長するのでしょう。

シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアリズムの真髄」です。この本は超超超上級者向けです。シルバーバーチ等を相当読み込んで基本レベルを突破してからでないと何が書いてあるのかさっぱり理解できないかも知れません。霊的知識に精通した自信のある方向けの本です(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑤』
【いつの世にもその時点での人類の進化の段階から見て不正と思えるものが存在するという事でしょうか―】そういう事です。進化の階段を登れば登るほど改めるべきものを意識するようになるものだからです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
私が進化は永遠ですと言い、宇宙には始まりも終りもありませんと申上げるのはそのためです。向上の道に終点はありません。無限に続くのです。それぞれの段階がそれまでの低い段階への勝利の指標にすぎません。が低いものが無ければ高いものも有得ない事になります。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
人生は一本調子ではありません。光と蔭、晴天と嵐、喜びと悲しみ、愛と憎しみ、美と醜、善と悪の双方が揃わなくてはなりません。人生はそうした比較対照を通じてのみ理解できるものだからです。

『シルバーバーチの霊訓』
闘争、奮闘、逆境の克服を通してはじめて神性を宿した人間の霊が芽を出し、潜在する様々な可能性が発揮されるのです。そういう摂理になっているのです。私がそう定めたのではありません。私はただそれを自ら身に修める努力をしてきて今それを皆さんにお教えしているだけです

『シルバーバーチの霊訓⑤』
人間的存在としての神は人間がこしらえた概念以外には存在しません。人間的存在としての悪魔も人間が発明した概念以外には存在しません。黄金色に輝く天国も火焔もうもうたる地獄も存在しません。そうしたものは全て視野を限られた人間の想像的産物にすぎません。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
神は法則なのです。それさえ理解すれば人生の最大の秘密を学んだ事になります。なぜなら世の中が不変にして不可変、全智全能の法則によって治められている事を知れば、絶対的公正が間違いなく存在し宇宙の創造活動の大機構の中で一人として忘れ去られないと知るからです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
だからこそ全てが知れるのです。だからこそ何一つ手落ちというものがないのです。だからこそ人生のあらゆる側面が宇宙の大機構の中にあって然るべき位置を占めているのです。だから何一つ見逃される事がないのです。いかに些細な事でも、いかに巨大な事でも。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
全てが法則の枠内の収められているからです。全てが法則だからです。存在を可能ならしめている法則なくしては何一つ存在できないのが道理です。法則が絶対的に支配しているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
人間に与えられている自由意志が混乱を引起こし法則の働きを正しく見えなくする事はあっても法則は厳然と存在しますし、また機能してもらわなくては困ります。私はキリスト教の神学は人類にとって大きな呪いであったと思っていますが、その呪われた時代も事実上終りました。

シルバーバーチ霊が多大な犠牲を払って地上人類にもたらしてくれた“ダイヤモンドの輝き”に譬えられる珠玉の霊的真理。僕たちはその美しい霊言の数々に触れる事で、大切な知識を得るチャンスを与えて頂いたのです。人類の宝とも言える霊界通信の書籍は、すぐ手の届くところにあるのです☆(祈)

とことん軽くしている影響でテキストが読めない部分がありますね。かと言って口で説明する訳にもいきません。情報は伝えたい、重くはできない、ダイレクトに真実を伝える事もできない、このムービー化の作業は本当にキビシイですね。何とかベストの方法を模索してみましょう(祈)†

何しろこれまで書き続けてきた膨大なブログがありますからネタには事欠きません。いくらでもムービー化してYoutubeにUPすればいい訳ですが、今日は背景ムービーの撮影に失敗してしまいました。まぁ今日は仕方なかったですが、いよいよ今シーズンの雪山アタックが始まります、その準備に追われています。今週から行ってしまおうか、もう1週間待とうか判断に迷いつつ天候をチェックしています。雪の量はまだ足りません、もう少し積もってくれないと困ります。そして毎年恒例のタイヤチェーン装着テスト、これを明日にでもやる必要がありそうです。絶対おろそかにできない必須の作業です。雪山アタックでは使命遂行素材である画像、ムービーを可能な限り撮ってくる必要があり気を抜けません。しょっちゅうバズりまくっているようなモンスターブログを運営しておられる方に比べれば僕のブログのアクセスなどたかが知れていますが、今日もご覧頂き感謝致します。僕は信じます、もう皆さまは強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を正しくご理解頂いている、その理解レベルに到達して下さっていると。女の子を遊びで殺しまくっている奴らはどうすればいいと法律にありますか。これ以上簡単な事がありますか。意味不明な視点外しの理屈をこねくり回す御仁に絶対振り回されず「強姦殺人魔の未来は死刑以外にないんだ」という1点を凝視して頂きたいと思うのです。さぁ僕は1年の中で「冬がメイン」です、春夏秋は冬の準備です。雪山アタックの準備を急ぎましょう(祈)†

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【霊が意識をもつ個的存在となるためには物質の世界との接触が必要なのでしょうか―】そうです。意識を獲得するためには物的身体に宿って誕生し、物的体験を得なければなりません。物matterから霊spiritへと進化していくのです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
つまり物的身体との結合によって、物的個性を通して自我を表現する事が可能となります。霊は物に宿る事によって自我を意識するようになるのです。【となると神は我々を通じて体験を得ているという事でしょうか―】そうではありません。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
あなたの進化が既に完全であるものに影響を及ぼす事はありません。【でも我々は神を構成する分子です。部分の進化は全体に影響を及ぼすのではないでしょうか―】それはあなた方を通じて顕現されている部分に影響を及ぼすだけです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
それ自体も本来は完全です。が、あなた方一人一人を通じての顕現の仕方が完全ではないという事です。霊それ自体はもともと完全です。宇宙を構成している根源的素材です。生命の息吹です。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
それがあなた方を通じて顕現しようとしているのですが、あなた方が不完全であるために顕現の仕方も不完全なのですあなた方が進化するにつれて完全性がより多く顕現されてまいります。あなた方自身であるところの霊が顕現する身体(幽体、霊体)を発達させているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【霊が自我を表現する身体にも様々な種類があるという事でしょうか―】そういう事です。法則は完全です。しかしあなたは不完全であり、従って完全な法則があなたを通して働けないから、あなたを通して顕現している法則が完全でないという事になります。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
あなたが完全へ近づけば近づくほど、完全な法則がより多くあなたを通して顕現する事になります。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
こう考えてみてください。光と鏡があって、鏡が光を反射している。鏡がお粗末なものであれば光の全てを反射させる事ができない。その鏡を磨いてより立派なものにすれば、より多くの光を反射するようになります。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
要するに、全ての存在がより一層の顕現を求めて絶え間なく努力しているのです。前に私は、原石を砕きながらコツコツと宝石を磨いているのが人生だと申上げたつもりです。原石はいらない、宝石だけくれ、というムシのいい話は許されません。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【でも各自にとって良いもの悪いものの概念があるのではないでしょうか―】それはその時点での話にすぎません。進化の途上において到達した一つの段階を表現しているだけです。魂がさらに向上すればその概念を捨ててしまいます。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
不完全な道具を通して完全な法則が顕現しようとして生じた不完全な考えであった訳です。全てが大切だと申し上げるのはそこに理由があります。【それでは神は原初においては善ではなかったという事でしょうか―】私は原初の事は何も知りません。終末の事も何も知りません。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
知っているのは神は常に存在し、これからも常に存在し続けるという事だけです。神の法則は完璧に機能しております。つまり今の譬え話で申上げた通り、あなたは完全な光をお持ちです。ですがそれを磨きの悪い鏡に反射させれば完全な光は返ってきません。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
それを、光が不完全だ、光は悪だとは言えないでしょう。まだ内部の完全性を発揮するまでに進化していないというに過ぎません。地上で“悪”と呼んでいるものは不完全な段階で神を表現している“不完全さ”を意味するに過ぎません。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【創造力をもつ存在は神と呼ぶ唯一の存在のみで我々には何一つ創造する力は無いと考えてよいでしょうか―】神は無窮の過去から存在し未来永劫に存在し続けます。全生命が神であり神は全生命です。ならばあなた方に何が創造し得ましょう。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
しかし魂が進化すれば進化するほど宇宙をより美しく完成させていく事ができます。進化の程度が未熟であるほど宇宙における位置が低いという事になります。(訳者注―“宇宙をより美しく完成させていく事ができる”とは神の創造の大業に参加できるという事である。―)

『シルバーバーチの霊訓⑤』
(『霊訓』にも『ベールの彼方の生活』にもその趣旨の事が述べられているが、マイヤースは『個人的存在の彼方』の中でこれを“創造された者が創造する側にまわる。そこに生命と宿命の秘密が存在する”と表現している。)

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【愛の神が人間の最低の感情の一つである憎しみの中にも存在するという事が理解できないのですが―】それはいまだに神というものを人間的存在と考える概念から抜け切っていないからです。神とは法則なのです。法則が全てのものを維持し保持し顕現させているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
神は愛を通してのみ働くのではありません。憎しみを通しても働きます。晴天だけでなく嵐も法則の支配を受けます。健康だけでなく病気を通しても働きます。晴天の日だけ神に感謝し、雨の日は感謝しないものでしょうか。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
太古の人間は神というものを“自分たちの考える善性”の権化であらしめたいとの発想から(その反対である)悪魔の存在を想定しました。稲妻や雷鳴の中に自分たちの想像する神のせいにしたくないものを感じ取ったのと同じです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
神は法則なのです。全生命を支配する法則なのです。その法則を離れては何も存在できません。これは私が繰り返し説いている事です。あなた方が憎しみと呼んでいるものは未熟な魂の表現にすぎません。その魂も完全な法則の中に存在しておりますが、―

『シルバーバーチの霊訓⑤』
―現段階においては判断が歪み、正しく使用すれば愛となるべき性質を最低の形で表現しているまでの事です。愛と憎しみは表裏一体です。愛という形で表現できる性質は憎しみを表現する時に使用する性質と同じものなのです。人生は常に比較対照の中で営まれています。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
たとえばもし日向にばかりいたら日光の有難さは分らないでしょう。時には曇りの日があるから太陽の有難さが分るのです。人生も同じです。苦しみを味わえばこそ幸せの味が分るのです。病気になってみてはじめて健康の有難さが分るのです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
病気にさせるものがあなたを健康にもするのです。愛させるものが憎ませもするのです。全ては神の法則の中で表現されています。それが人生のあらゆる側面を支配しているのです。