まずは昨日のスーパーレインアタック時の撮影画像をUPですが、霊団が使命遂行をやめさせる意志が大変固い事を確認しました。それを受けて僕の考えもだいぶ固まりましたので、そのあたりをブログで説明してみようと思います。
これ以上人生をブチ壊されてたまるか。さっそくテキスト撃ちに入ります(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
まずは昨日のスーパーレインアタック時の撮影画像をUPですが、霊団が使命遂行をやめさせる意志が大変固い事を確認しました。それを受けて僕の考えもだいぶ固まりましたので、そのあたりをブログで説明してみようと思います。
これ以上人生をブチ壊されてたまるか。さっそくテキスト撃ちに入ります(祈)†
雨、風、撮影時の気温14度。以前は低温レインアタックの失敗確率は大変高かったですが、レイヤリングを見直した事によってほぼ失敗しなくなっています。しかしそれでも今日のアタックはキビシイものがありました。何度も引き返そうかと心によぎりながらも、身体の保温は維持されているので何とか標高を維持して撮影を続ける事ができました。
って言いますけど、今シルキー(PC)で撮影画像を見てますが、もうメッチャクチャ、レインアタック用の防水コンデジは性能がかなり劣るのでクオリティが低くなるのは当然なのですが、それにしてもヒドイ。とはいえ今日のような天候でデジ一眼を使う訳にはいきませんので、コレばっかりはどうしようもありません。
ザックの中の物も全部ビチャビチャ、レインカバー意味なし。それより明日のブログに集中しないといけません。かろうじて書ける、といった感じ、インスピレーションの不足分を反逆の内容で埋める事を考えたりもしますが、まぁ書かずに済めばそれに越した事はないんですよね。まずは身体のダメージを抜く事に集中中(祈)†
イヤー、グラデーション撮影ができません、困りました。そして雨でもデジ一眼で撮影する方法として、三脚に傘を立てるというものがありました。これはヘタに高いハウジングを買うより効果的のような気がしますので、さっそく導入を検討しています。よほど強風とかにならない限り、小雨程度ならこの傘のアイデアで撮影続行できそうです。
そして帰還後の長文ブログですが、少ないインスピレーションを読み返して撃つべき文章を頭の中でクルクルしているのですが、考えるほど「ヒドイ内容」で、本当にこれを撃つのかよ、いい加減にしてくれよと霊団に対する怒りがとめどなく湧き上がってきます。
自伝書籍原稿執筆は完全に止まっています。ってか、霊団が「本書け」言ってきたのも絶対スピードダウンだと思う、それにどのみちこの書籍原稿は超集中しても4~6ヶ月かかると思うし、書き上げたとしてそれをどう書籍のカタチに落とし込んで流通させる?問題山積、作業負荷高すぎ、どうにも手が止まる訳です。
さぁもう明日の準備ですので作業はココまで。スーパーレインアタックです、心していかないといけません。まずはアナログ絵356の4ページストーリーを終わらせます。大したストーリーじゃないとしても僕は絵を描くより他にどうしようもないのです。一旦切ります(祈)†
■2022年9月7日UP■
■2022年7月6日UP■アサフの心は常に暗黒に閉ざされていた。しかしイエスとの出会いによって大きな光明がさしこんできた。日の出、日没、星の輝きなどが、全く新しい希望となった。山からカイザリヤに向かって吹き荒れる風も、肌にやさしく感じられた。
知恵と霊力に溢れているイエスと一緒にいるだけで、長い間の苦労も吹き飛んでしまうのである。アサフの恐怖や苦痛は、傷あとのかさぶたが剥がれるように消えていった。彼はもう主人の暴力のまえでおびえなかった。
毅然とした態度で主人と対面するようになったので、主人のヤコブも暴力をふるわなくなった。イエスの面前では体裁を作っていた。モーセの戒律をよく守り、法学者やパリサイ人に献金し、正しい生活をおくっていると大ぼらを吹いていた。
ヤコブは長いあいだの経験から、ずるい事を考えていた。ひとつ、この誠実のかたまりのような男を使えば、店の信用も高まり、第一安心して商用の旅にでかけられると考えた。この目的を果たすために、ヤコブはイエスに過酷な仕事を与えず、しばらく気ままに暮らすように勧めた。
イエスにとってローマが直接統治する町で暮らすのは、全く初めてのことであった。イエスは、町中を歩いて知ったことは、金持ちは豪華な邸宅に住み、盲目の乞食は汚い裏通りにねそべっていて、飢えのために骸骨のようになっていたことである。
彼は又、主人に鞭うたれ、手足のきかなくなってしまった多くの奴隷が、街角に捨てられ、物乞いをしたり、行き倒れになって死んでいるのを見た。町のあちこちで、奴隷が鞭うたれる悲鳴が聞こえていた。
たまらない気持ちでそこを通りぬけ立派な道路に出ると、ローマ人が神と崇めるシーザのために建てられた神殿があった。そのまわりに異教徒たちの神々の像がまつられていた。イエスは、その外観はともかくとして、その像からは何の内面的恩寵を感ずることはできなかった。
むしろローマ人の利益だけを考えて、支配下にある民衆には過酷な法を強制し、残酷きわまる扱いをしていた異邦人に強烈な反感をいだいた。それでイエスは、このときから異邦人は相手にしないことを決心し、もしも召命を受けたら、神のよき音信(おとずれ)をユダヤ人だけに伝えようと思った。
町のあらゆる光景を目のあたりにしたイエスはアサフにつぶやいた。「私の親友ヘリという人が、こんなことを言ってたよ、『町という所は、毒蛇やひきがえるの巣窟だ、そこには一片のあわれみも、いちるの望みもない。つかの間の喜びと、底なしの絶望があるだけだ』とね。もうかれこれ7年程前に教えてくれた言葉なんだ。今その意味がようやく分かったような気がするよ」
アサフはイエスの裾をつかみ足元にひれ伏した。アサフはひとことも口がきけなかったので、イエスは彼を抱き起こし、1枚の書き板を手渡した。アサフはもだえるように文字を書いた。
「ご主人様どうか私をおいて行かないで下さい。そんなことをなされば私は自殺いたします。この町には暗黒と死だけしかありません。どうか私をあなたの奴隷として連れてって下さい」
「奴隷はよくない!私の弟子としてついてくるなら決して重い荷物を負わせるようなことはしない。でも今の私は独りで旅をしたいのだ。アサフよ、今は何の約束もできないよ」
イエスは辛そうに言った。アサフは苦しそうなうめき声をあげたが、これ以上イエスに迫るようなことはしなかった。イエスが言い終わらないうちに主人が律法学者とパリサイ人を連れて家に入ってきた。ヤコブはお客に食事を用意するように命じた。
パリサイ人は、でっぷりと脂ぎっており、律法学者は小柄であった。イエスは客のため接待した。彼らはたらふく食べたり飲んだりした。彼らの話は、霊的なことではなく、専ら商売のことをひそひそと話し合っていた。
律法学者は、ヤコブから金を借りている信者からすぐ返すように取り立ててやると話していた。又パリサイ人は、ヤコブがどんなに立派な人物であるかとお世辞を言い、多くの取引ができるようにしてやると約束した。ヤコブは、とても上機嫌だった。
彼は2人のため、特別な贈り物を手渡してからイエスを呼び出した。上着だけは立派なものを身につけていたので、2人の客は丁寧に挨拶をした。そこでパリサイ人は律法学者のことをおだてあげた。「彼はのう、知識の水がこんこんと湧き出る方じゃ。1滴も無駄なものはないのじゃよ」
それから今度は律法学者がパリサイ人のことを褒めそやした。「彼は何しろエホバの神に祝福されている御仁でな、天使たちまでも褒めたたえるのじゃ」
客の足元にいるイエスは黙って歯の浮くようなお世辞を聞いていた。調子に乗った律法学者がイエスに言った。
「そこの若いお方よ、わしらに気がねなどするでない、何でも質問するがよい」「先生がた、1つだけどうしても解けない謎があるのです。どうして時々悪人が善を行い、聖人が罪を犯すのでしょうか?」
律法学者は妙な質問に顔をしかめながら、それは全く無知のなせる業であると答えた。イエスは続けて言った。「私は本当にあったことをお話いたしましょう。ある村に農夫の家族が住んでおりました。妻と7人の子供が幸せに暮らしていました。
ある年に凶作にみまわれて、そのあたりは何1つ収穫がありませんでした。その農夫は病気になり、家には食べるものが全然ありませんでした。子供たちは今にも飢えて死にそうになりました。
農夫は妻と相談し、金持ちで立派な人だと言われているパリサイ人の家に行けば、きっと哀れんでもらえるだろうと話し合いました。しかしこのパリサイ人は何1つ与えず、こう言いました。
『豊作のときにたら腹食べて、食物を粗末にしたばちが当たったのじゃ。愚か者はみなこんな目にあえばよいのじゃ、エホバの神はすべて見通しじゃ。せいぜいおまえたちのために神にとりなす祈りでもしてやるからな』
哀れな農夫と妻は、空手で金持ちのパリサイ人の家の門から帰って行きました。それから賢人として知られている律法学者の所に行きました。きっと名案を出してくれるに違いない。そうすれば子供たちは死なずにすむかもしれないと思ったのです。
この律法学者は仲々の暮らしをしておりました。ところがこの律法学者も、ひとつぶの麦さえも与えてくれませんでした。しかも彼の与えた名案とは、豊作の年がやってくるまで辛抱強く待てばよいということでありました。農夫は叫びました。
『今食べるものがなければ豊作の年がくる前に死んでしまいます!』律法学者は、神の慈悲を疑う奴はけしからん、と言って、戸をピシャリとしめてしまいました。
しかたなしに彼らは1軒の貧しい売春婦の家に行きました。彼女は彼らの実情を聞いて気の毒に思い、5つのパンと山羊の乳を与えました。その後も穀物や油なども与えたので、一家は何とか生き延びることができました。そしてついに飢きんが去りました」
イエスはここでしばらく沈黙し、彼らに尋ねた。「この3人のうちで誰が神に愛されるでしょうか?知識の水がこんこんと湧き出る律法学者でしょうか、それとも天使たちから褒めたたえられるパリサイ人でしょうか?罪を犯していても、飢えに苦しんでいた人々を哀れみ、隣人を救った売春婦でしょうか?」
しばらくの間ヤコブの客2人は、何も答えなかった。煮えくりかえるような怒りを感じても、返す言葉が全く見つからなかったからである。ついにパリサイ人がヤコブに向き直って言った。
「このお方はどこからお出でになったのじゃ?」「ナザレからです」「ああ、悪名高いナザレかね」と律法学者はつぶやいた。パリサイ人は続けて言った。「して、彼の父は?」「兄の手紙によりますと、大工であるとか申しています」「卑しい職業だ」と律法学者がつぶやいた。
イエスは彼らに言った。「どうかお願いです。私は全く無知なのでお尋ねしているのです。でもこれは実際にあったことですから、どうしてもこの謎を解きたいのです。本当の善と本当の悪についてです」
2人の先生がたは、頭を横にふるばかりであった。イエスは言った。「神様だけがご存じだという訳ですね。でも私には、どうしても多くを愛した売春婦が神様に愛されるように思えてならないのです」
短刀で胸を刺されたような痛みでパリサイ人と律法学者はもうじっとしていられなかった。パリサイ人は立ち上がり、大声でどなった。「この若者めが、汚れた女を引き合いに聖なるエホバの名を汚しおったわい!わしは、もうこれ以上我慢がならんわい!ヤコブや、この冒涜野郎をいつまで家においとくのじゃ」
イエスは言った。「エホバの神はすべてのものをお造りになったと記されています。この売春婦も神の御手によって造られた人間ですから、たとえ迷いの中にあったとしても、立派な神の子ではないでしょうか」
立派な服を着たパリサイ人は、この若者に返す言葉がひとことも見つからなかった。憤然として家を出ようとしたのであるが、ヤコブがそれを遮っておしとどめた。ヤコブは懸命に客を引き留め、イエスにここから離れるように命じた。律法学者も同じように引き留められた。
それで2人の客はヤコブに対し、あの浮浪者を即刻この町から出ていくように言った。ヤコブは、それだけは勘弁してほしいと哀願した。イエスはとても変わっているので、訳の解らないことを言い出すのだと、しきりに弁解した。ヤコブは声を一層和らげながら言った。
「イエスはまるで海から渡ってきた白鳥のような人間です。金持ちを目の仇にしていますが、私は今までこんな信頼のおける人間には出会ったことがありません。ですからこの若者に私の家や財産を全部まかせようと考えているのです。つまり私の執事というところでしょうか。とにかく私が安心して商売に出掛けられるような管理人にしたいのです」
パリサイ人が言った。「イエスは今にきっとうまいことを言って、あんたをだまくらかすにきまっとるわい」律法学者も続けて言った。「あいつはね、あんたが留守をしているのをいいことに、全財産を奪ってとんずらするんじゃないかね」ヤコブはさえぎるように言った。
「とんでもございません!私の兄が彼を信用して、重い金貨の袋を届けさせました。遺産の分け前だったのです。1銭も無くなっていなかっただけではありません。彼は運び賃さえ受け取らないのです。その気になれば、いつでも彼はエルサレムでもアレキサンドリヤ(アフリカ)でも持ち逃げできたはずです」
パリサイ人は言った。「ああ!神の名を汚す者は、必ず同僚を裏切るものじゃ!」「腕のいい職人は、これと見込んだ道具を捨てるようなことはいたしません。私も長い間商売のために数えきれない人を使ってきましたが、1度も私がにらんだ目が狂ったことはありません。このナザレ人こそ完ぺきな人間です。
食事だけあてがっておけば、ただで働いてくれる男です。それに、言い忘れておりました。彼は、奇跡が起こせるのです。私の甥から悪霊をふんじばって追い出してしまったんですよ。こりゃすごいじゃありませんか。私も彼を説得して、私に取りついている病気を治してもらおうと思っているんですよ」
ヤコブの話を聞いているうちに、2人の客人の顔色が変わった。妬(ねた)みと混乱が渦巻いていたからである。その上もしかすると、この若造のおかげで今までのようにヤコブから甘い汁を吸えなくなるのではないかと恐れた。そこで律法学者が言った。
「それほどまでにあんたが見込んだ人物なら、それも結構なことじゃ。ではひとつ、その者を1ここに呼んで、あんたの病気を治すところを見せてもらおうではないか」
ヤコブはアサフを呼んで、すぐイエスをここに連れてくるように命じた。2人はかわるがわるイエスにたずねた。イエスはただ『はい』と『いいえ』としか答えず、余計なことは一切言わなかった。しびれをきらしたパリサイ人は言った。
「さてさてヤコブの甥のことを聞いて、久々にわしの心が躍ったところじゃ。おまえさんは、本当にすばらしい奇跡を起こしたもんじゃのう」彼はしつこくその時のことを話すように催促した。ヤコブが言った。
「イエスや、それだけは嘘ではあるまい、兄からの手紙にも書いてあったからね」「それが一体どうしたと言うんですか。私は医者ではありません」「おまえさんは、ここで大変世話になっている主人の病気を治すんだろう?」「いいえ、私はこの異教の町では、そのようなことをしないように決めているのです」
パリサイ人は言った。「ヤコブや、どうやらこの若者はあんたの友ではない!この気高いナザレ人が、その手でおまえさんの体に触れさえすれば病気が治るというのに、それをしないというのは、おまえさんの友ではあるまいて!」
ヤコブは言葉につまってしまったが、ひとつかみの金貨をイエスに差し出して、どうか自分の病気を治して、もう一度身軽に歩けるようにしてほしいと言った。
イエスは言った。「そのお金はアサフにあげた方がよいのではありませんか。彼はあなたのために身を粉にして働いているのです。労働に対して賃金を払うのは当たり前ですからね」
もしもこの高利貸しがイエスの言うとおりにしていたら、きっと後で、萎えた手足を自由にしてもらえたかもしれなかった。しかしヤコブはケチで強欲な人間だったので、せっかく溜めた金をびた一文でも人にやるのが惜しかった。パリサイ人と律法学者はあざけるような目付きで言った。
「この若造は病気を治せないんじゃ。このほらふき野郎は、きっと兄の手紙までもごまかしおった。」「そりゃちがいます!運んできた大金を見ればわかります」イエスは3人の男を見回してから、ヤコブに厳しい調子で言った。
「あなたがアサフにこの金をやらないというのでしたら、この2人の客人にあげて、あなたの求めているものが実現するまで長いお祈りでもしてもらったらよいでしょう。あなたの心がかたくななので、私はもうあなたとはかかわりたくありません。これでお別れしましょう!」
彼の語気に圧倒されたパリサイ人、律法学者の面前で、イエスは足のちりを払い、ヤコブの家から出て行った。ヤコブはすっかり動転し、嘆いて言った。「生まれて始めて信頼できる執事を失った!金では買えない人物を…老後の支えと考えていたのに…」
パリサイ人と律法学者は、歯の浮くようなお世辞を連発してヤコブを慰めている間に、アサフは、こっそり、ヤコブの家から逃げ出して、イエスの後を追いかけて行った。
■2023年6月7日UP■
■2023年5月31日UP■
■2023年5月24日UP■別に嬉しい事を言われた訳ではありません、使命遂行まるっきりやる気なしという霊団の基本姿勢に変わりはありませんので腹は立ちますが、ブログは何とか書けそうな感じになったというだけです。まだインスピレーション量は少ないです。
ちなみに数日前にあるところにメールを出してますが、たぶんお盆休みだからだと思うのですが全く返信はありません。イヤこのまま完全に無視という可能性も高いですが、絶版状態の霊関連書籍復刊に向けたテキスト化に関するメールです。
たきざわ彰人という名が知れ渡っているという指標になるかどうかは分かりませんが、僕はどこに行ってもこういう扱いを受けます。正しいおこないをする者がヒドイ目に遭わされる、物質界という狂った腐った境涯に1ミリたりとも興味はありません。帰幽したが最後、永遠に関係を断ちます。死んでも戻ってくるもんかこんなところに。
山のアタックですが、またしてもグラデーション撮影はできない状況のようです、今年の夏は撮影ができなくて困りましたね。雨でずぶ濡れになっても撮影続行できるデジ一眼とか、そういうものってないんですかね。今Amazonで見たら、デジ一眼用のハウジングというものがありますね、水中撮影用みたいな。それはともかくますはアナログ絵356に集中中(祈)†
■2023年6月21日UP■
■2023年6月14日UP■数日前に僕は霊団のインスピレーションを徹底的に無視しました。とはいえこれは今回が初めてではなく、過去数回霊団のインスピレーションを無視した事がありました。しかし今回はこれまでと違って重大なペナルティを受けそうな空気感があります。
しかしインスピレーションがなければ僕の物的脳髄のみでブログを書き続けるのは不可能です。今回の無視によって霊団のインスピレーション量が減少するとすれば、使命遂行に致命的ダメージとなるでしょうが、霊団はずっとスピードダウンと言い続けていますので、僕がブログを書けなくなるのは霊団にとってかえって好都合なのかも知れません、それが逆に僕にはシャクにさわりますが。
「絵に戻れ」と言われた事についても言いたい事があります。僕はDreamworkをやめさせられた事を本当に心の底から憎んでいます。この霊団の一言はどうしても許せないものがあるのです。いっそ画家作品の44作を描き始めてやろうかと思ったりもしますが、まだそこまではしません、アナログ絵356を続行します。
■2022年10月12日UP■
■2023年5月3日UP■エルダトの弟、ヤコブは呉服商を営んでいた。彼は出入りする客のすべてに、貧乏は辛いものだとおおげさにこぼしていた。しかし彼はひそかに金貸しをして巨万の富を築いていた。1人娘は結婚してしまったので、家には下僕のアサフと2人きりであった。
アサフは子供の頃、異邦人に奴隷として売られ、病気がもとで口がきけなくなってしまった。それでヤコブの下僕となり、どんなに痛めつけられてもペコペコしているだけであった。
ヤコブは律法学者とパリサイ人だけには、訪ねて来るたびごとに御馳走を振る舞い、贈り物を忘れなかった。自分のために長い祈りをしてもらえば、どんな罪でも許されると信じていたからである。
イエスがピリポ・カイザリヤにやってきた時、例の律法学者とパリサイ人が、町中で長たらしい祈りをしているのが目に入った。そして1人の若者(アサフ)が彼らと一緒に通り過ぎようとしていた。
すれちがいさま、アサフはイエスの不思議な視線を感じた。何かとても強烈なものを感じたので、主人に虐待されてもよいと覚悟をきめてイエスの方に歩み寄った。イエスは彼に呉服商の家はどこかと尋ねた。身振りでアサフは道を教え、ヤコブの家まで案内した。
ヤコブはイエスが立派な上着をきているのを見て歓迎した。その上、兄のエルダトから遺産分けとして財布を受け取ったので、上機嫌であった。
しかし、けちなヤコブは遺産を運んでくれた手間賃を惜しみ、盛んに弁解を始めた。この大金は、そっくり借金の返済のために無くなってしまうとか、乞食にくれてやる小銭にも困っているなどとこぼした。
イエスは言った。「金持ちというのは大変貧しいのです」「妙な事をおっしゃいますね」
「金持ちは、いつも金に飢えているのです。もっともっと増やしたいと思っているからです。しかも心配の種もつきません。言ってみれば、貧しさと同居しているのです。囚人のように卑しい欲望と恐怖に閉じ込められています。泥棒、戦争、ローマの権威者、税務署などにいつもびくついているのです」
「いやーそのとおりですよ」|ヤコブは溜め息をついてから黙ってしまった。イエスの見つめる目は、何もかも見通して、ヤコブが大金を持ち、帳簿の中までもすべて知られているように感じた。ヤコブはうつむいたまま、兄からの手紙を読み始めた。
そこには世にも珍しい治癒力をイエスが持っていることが書いてあった。ヤコブはその頃、骨の痛みに悩まされ、この不幸な病をなおす手だてが全然見つからなかったので、渡りに舟とばかり喜んだ。
「兄の手紙から察すると、あなたは医術の心得がおありのようですね。実際のところ私は無駄口しかたたかない医者なんかちっとも信用してないんですよ。よく言うじゃありませんか、医者は泥棒よりも悪いってね。泥棒は人の金か、命かのどちらかを奪い取るが、医者って奴は両方とも奪ってしまうってね」と言ってゲラゲラ笑った。
ロバの鳴き声のような笑いが止まってからイエスは言った。「私は医者ではありません。私はナザレで少年時代を過しました。ある年のこと、疫病が流行して人々がバタバタと死んでいきました。そのときカペナウムから1人の医者がやってきて、それは実に献身的な働きをしておりました。
昼も夜もぶっ続けで病人の家をまわり、それこそ飲まず食わずで病人を助けようとしました。しかし疲労が極に達し、ついに亡くなってしまいました。この医者は真心から患者に仕え、自分の生命を捧げたのです。これ以上の美徳がこの世にあるでしょうか。それ以来私は、医者というものを尊敬するようになりました」
ヤコブは、慌てて言った。「私は医者に金を払っても、ちっとも痛みがとれないんですよ。いつもこの病気で死んでしまうんじゃないかと恐れているのです。でも今度はちがいます。兄がわざわざ手紙まで添えて、あなたに治癒のたまものがあると言ってよこしたのですから安心いたしました。どうか私の病気をなおして下さい」
イエスは再三にわたって自分が医者でないと言ったのでヤコブは冗談だと思った。ヤコブはアサフに夕食の用意を命じた。イエスは手足を洗ってから夕食をすまし、わたのように眠った。長い旅で疲れきっていたからである。
次の朝、日の出の頃に目を覚ますと、ヤコブは丁寧な言葉で彼に挨拶し、今日からは自分の秘書のような役目を果たしてほしいと言った。イエスは賃金をもらわないで仕事を手伝い彼の病気を治すことになった。しかしいつまでもヤコブの家に縛られないことを約束した。
■2022年12月7日UP■
■2022年12月21日UP■
■2023年1月18日UP■まずアナログ絵356、4ページ中1ページ、AffinityPhoto上での作業完了中、止まらず2~4ページの線画を描きますが、霊団がお見事なまでに何も言ってきません。霊団のやる気のなさがただ事ではない、本当に何もかもが行き当たりバッタリのような気さえする。ひょっとして全然計画性がないんじゃないのか。
次回長文ブログは書けない公算大、そうなれば僕の物的脳髄でテキストを撃つ事になります。言いたい事はあります、僕の中に霊団に対する疑念が渦巻いているからです。
本当にコイツらはなんの仕事もするつもりがないんじゃないのか。人生破壊が当初からの目的で、それに向かって一直線に導いてきたんじゃないのか。人生破壊が完全に完了して修復不可能になったから終わり終わり言ってくるんじゃないのか。
おかしい、おかしい、全てがおかしい。このままインスピレーションが枯渇するようであればこの内容を書くつもりです。手動ノコギリが明日到着しますが、この高温の炎天下で屋外でノコギリをギリギリやるのは自殺行為でしょう。実際に作業をするのは気温が下がるのを待ってからの方がイイかも知れません。
永遠に首を傾げる、納得できるポイントを全く見出せない、この人生は一体何がどうなってるんだ。アナログ絵356の線画に集中中(祈)†
■2022年8月17日UP■
■2022年7月27日UP■今日は汗ダックダクのハァ…ハァ…ハァ…は無しです、片付けても玄関前に置く場所がないからです。今ある物を通常で持って行ってもらってスペースが開いたらまたハァ…ハァ…ハァ…(片付け)をやります。
アナログ絵356、まずは1ページの線画完了中、2ページを描き始めてますが、とにかく急いで描き終えて書籍のテキスト見直しに戻らないといけません。考えれば考えるほどこの「絶版状態の霊関連書籍復刊に向けたテキスト化」の作業は重要と考えます。なぜなら現時点でこれら書籍の知識が物質界最高の知識だからです。物質界にこれ以上重要な知識はありません。
実は霊団が未だに「パリッシュパリッシュ」言ってくるのです。このパリッシュというインスピレーションについては過去2回ブログに書き残していますが、それとは別の意味で霊団はこの言葉を連呼しているのです。
まずは手元の作業に集中しつつ、実は霊団への「ある反逆」も続行中なのです。これは完了するまで続行するでしょう。しかしシルバーバーチ霊のおっしゃる「締め切られたドアを忙しく叩いてはいけません」の状態で、信じられないほど反逆が完成しないのです。しかし反逆続行中、僕にも理由があるのです(祈)†
■2023年2月8日UP■
■2022年11月16日UP■2人は果樹園にやってきた。木の根に腰かけて休息をとった。この高台から分かれ道が見えた。ひとつは、ピリポ・カイザリヤヘ、もうひとつは、谷間に向かう道であった。イエスは言った。
「さあ、ここでお別れしましょう。ちょうど分かれ道がありますから」ヨハネは叫んだ。「え!お別れするんですか?」「さあ、ご両親や弟さんのところへ帰ったらいかがですか」「とんでもありません!私はもう両親や兄弟、それに友達もすべてあきらめる決心ができています」イエスは答えて言った。
「このままですと、まるで私がけしかけたように思われるではありませんか。それに、あなたの家族にそんな重荷を負わせたくありませんからね。今がちょうど潮時です。私は1人旅をして、私の目的をはっきりつかみたいんです」
それから2人はしばらくの間押問答を続けた。そして、ついにヨハネは声をあげて泣いた。しかしイエスの顔には抗しがたい強いものが現れており、先生と呼ばれてはいないものの、その雰囲気は実に権威あふれる威厳にみちていた。
ヨハネはうなるように言った。「私はついていきます。あなたの威厳がそうさせるのです。でもどうしても駄目でしたらお名前だけでも打ち明けて下さい。そうすればいつでもあなたを探しあてることができますので」
「それはできません。過去の経験がそうさせるのです。特に愛する者に対してはね。光の子らを愛すれば愛するほど彼らや親族までも巻き込んでひどい目にあわせてしまうのです。律法学者やパリサイ人、長老などの怒りや軽蔑が向けられるからです。だから、あなたにもそんな目にあわせたくないんです」
ヨハネは自分の頭を地上にうちつけて悲しみの声をあげた。彼の大きな泣き声は、谷間中にこだまして、山々に響き渡った。その音にびっくりして、鳥の群れが木々の枝から飛び立って行った。イエスは言った。
「私は喉が渇いた」イエスはヨハネには目もくれず、果樹園のふもとに流れているヨルダン川へ降りて行き、手で水をすくって飲んだ。ヨハネも川のほとりへ降りていった。そこで腰をおろし、あたりを見回すと、川のよどんだ水面に明るい透かし絵のようなものが映っていた。
重苦しい絶望感と深い孤独感におしつぶされて、もう何も考えることができなくなってしまい、ぼんやりと水たまりの表面をじっと見つめていた。水面には、山の景色、人々の群れなどが映っていた。
その光景は次第に大きくなり、雑踏となり、山ぎわで礼拝している群衆となったり、町の神殿に群がる人々になったりした。いつのまにか、だれかと一緒にあちらこちらと歩き回っている光景に変わり、連れの者が、ふとこちらを向いたときに見た顔は、まさしくイエスであった。
驚いたヨハネは、余りの嬉しさに、しばらく気を失っていた。自分を取りもどした彼は叫んだ。「愛するお方だ!また会えるかもしれない!」イエスは言った。「先のことは分かりませんよ。前にも言ったように、過去の苦い経験からお互いに一緒に暮らさないほうがいいんですよ」
ヨハネは嬉しそうに繰り返した。「私たちは又会えるんですよ、私はその幻を見たのです、そうなんですよ!」2人は坂を登っていった。そして、あのいやな分かれ道の所にきて腰をおろした。イエスはヨハネに言った。
「あなたにお願いしたいことがあります。どうか私の言うことをだれにも漏らさないで下さい。これから出会う旅の人でさえ言わないと約束して下さい。2人で一緒に過ごしたことは、2人だけの秘密にしてほしいのです。
いずれこのことが知られる時がくるでしょうが、今は黙っていてほしいのです。私たちが、どんなに楽しい日々をともに過ごしたか、それはとてもすばらしい友情でした」
ヨハネは固い約束をした。イエスは最後に言った。「私はあなたのお父さんに負けないくらい、あなたのことが好きです。でもいつものことながら、人を愛し喜びを感ずるときには、必ず邪魔者が現れるのです。
どうもこれは私の運命のようなものです。ですから、あなたをその影に入れたくないのです。さあ、あなたは、これからゲネサレ湖畔に帰り、幸せな日々を過ごし、友人と楽しく交わり、妻をめとり、子をもうけ彼らから尊敬される、そして裕福な老後を過ごし、平和な死を迎えるのです」
そこで突然イエスは、さよならも言わないでヨハネのもとを去り、ピリポ・カイザリヤの方のを目指し、姿を消してしまった。長いあいだヨハネはぼう然と立ちつくしていた。肩をおとし、別れの辛さを味わっていた。
しかし町の方へ向かう道を歩き出した時には、もう悲しみは消え失せ、歌を口ずさんでいた。水面に映ったイエスの顔を思い出し、必ず再会できるという希望を持ったからである。
■2019年6月6日UP■
■2021年1月24日UP■