プティットフラーの問題点の修正完了、フラー11本体の線画に入ってますが何と昨日も「ブログ最優先」と霊団は言ってきたのです。よほどタイミング的な何かがあるのか?霊団はずっとフラーを推してきてましたからフラーを描くなと言ってるのではなく「今はブログを書きなさい」と念押ししているという事なのですが、霊団がそこまで言ってくるという事は何かあるという事でしょうからまたしても「フラー11設定資料」の描画を一旦止めます。ブログネタは確かにありますが、なぜここまで連続して書かせるのか、霊団、そこを説明しなさいよ。どういう事なんだ…あと今日中に「小さな光の十字架」が完成します。アロンアロハと蛍光テープだけの作業ですので簡単です(祈)†

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上では赤ん坊が生まれると喜びます。ところが、いよいよ地上へ誕生しようとする時こちらでは泣いて別れを惜しむ霊が大勢いるのです。それと同じく、地上で誰かが死ぬと泣いて悲しみますが、こちらではその霊を出迎えて喜んでいる人達がいます」

「シルバーバーチの霊訓」より→問「死後の生命なんか欲しくないと本心からそう思っている人がいます。そういう人達にどう説かれますか?」シルバーバーチ霊「地上なんかに二度と生まれたくないと本心から思っている霊がいますよ」

「シルバーバーチの霊訓」より→「他人がどう言おうと気になさらぬ事です。まったく下らない事ばかり言っております。大切なのはあなたの人生をどう生きられるかです。できる限りの最善を尽くして人の為に力になってあげることです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「こちらには昼も夜もありません。地軸の回転に依存していないからです。太陽のまわりを回転しているのではありません。こちらには永遠の光が存在します。したがって地上のような時間というものがありません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「こちらへ来てからも仕事があります。が、それは自分がやりたいと思う仕事であって、お金を稼ぐためとか家賃を払うためとか衣服や食料を買うためにするのではありません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上で発揮される事のなかった能力や才能を持つ人が次々と霊界へやってまいります。そういう人達はこちらでそれを存分に発揮して、霊界の住民として全体の豊かさの向上に寄与する事ができます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊界には無限の楽しみがあります。音楽が好きであれば地上と霊界の名曲を鑑賞する事ができます。コンサートも開かれております。文学が趣味の人は地上と霊界の名作を読む事ができます。絵画に興味のある人も地上と霊界の傑作の全てを鑑賞する事ができます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「子供が好きな人は両親に先立ってこちらへ来た子供の世話をする事ができます。魂に病のある者に関心を寄せる人は、そうした霊のための更生施設で看護し介抱して霊的健康を取り戻させる仕事に携わります。それぞれに応じた無限の種類の仕事があります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「とにかく地上を去ってこちらへお出でになれば、言葉では言い尽くせないほどの豊かさが待ち受けております。たとえば音楽であれば、地上に無い音階が存在します。絵画であれば、地上に存在しない色彩があります。その全てをお話しする事はとても不可能です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「人間がしゃべるに必要な器官は霊にはありません。しゃべる必要が無いからです。こちらの世界では思念で通じ合っています。お互いに思念を出し合いそれだけで通じ合えるのです。霊界では思念は実体があり、存在するもの全てが思念でこしらえられているのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「海もあれば山もあり、湖もあり花も樹木もあり、動物も小鳥もいます。その美しさの中には実際にこちらへ来ないとわからない種類のものがあります。ある程度の霊性に目覚めた者なら、もはや物質界の愉しみ(飲食欲・性欲等)を求めなくなります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「もう一つの霊界の有難い点は、地上のような“生きるための必需品”を得るための労苦がいらないことです。食糧品や衣類を買う必要がありません。お金を払ってまで家を求める必要がありません。全部揃っているのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊界での生活がどのようなものであるかを伝えるのはとても困難です。なぜかと言えば私たちは人間のその五感に限られた状態で理解できる範囲を超えた次元で生活しているからです。言語というのは、あなた方三次元の世界を超えたものを伝えるには全く無力です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「人類全体のための予定表というものがあります。私の世界の高級な神霊によって考え出されたものです。その目的は、受け入れる用意のできた地上の人間を霊的に、精神的に、そして身体的に真に自由にしてあげる事です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「明日の事を案じてはいけません。困難には遭遇する事でしょう。が、それは太陽を一時的にさえぎる雲のようなものです。太陽は少しの間見えなくなりますが、常に存在しているのです。その太陽がもたらしてくれる力と光の存在を片時も忘れてはなりません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「問題が生じるのは当然の成り行きです。地上は困難と挫折と障害と逆境に遭遇させられる場所なのです。地上生活そもそもの目的は伸びゆく魂が危機において初めて呼び覚まされる潜在的資質を発現するために様々な事態に遭遇する事にあるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「そうした問題を克服しない限り霊性の向上は望めません。が、実は克服できないほど大きな問題は決して背負わされないのです。忍耐強く導きを祈り求める事です。時が熟せば必ずドアが開かれ道が示されます。閉め切られたドアを忙しく叩いてはいけません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「因果律は全法則の基本原理であり根底であり永遠に不変のものです。自分が蒔いたタネが生み出すものを自分で刈り取るという原理です。一つの原因に対して数学的正確さをもって結果が生じ、その結果がまた原因となって新たな結果を生み、また次の原因となります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「千変万化の大自然の現象は、極大のものも極小のものも単純なものも複雑なものも、一つの例外もなくこの因果律に従っております。いかなる人物も、いかなる力も、その連鎖関係に干渉する事はできません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「摂理はあくまでも摂理です。完全な普遍性をもって人間の願望にお構いなく作用します。つぼみ、開花、満開、これが自然の摂理のパターンです。原因と結果の不変の連鎖関係、それが大自然の根本原理です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「間違った事をすればその償いをしなくてはなりません。正しい事をすればその分だけ幸福感を味わいます。理屈は簡単なのです。私たちは可能な限りの力を動員してみなさん方を正しい道からそれないように努力いたします」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊力はすでに地上に根づいております。それを駆逐できる者はいません。教会も教会堂も礼拝堂も寺院も、僧侶も牧師も、霊力が地上に顕現していくのを阻止する事はできません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「すでにタネは蒔かれております。芽を出すものもあれば出さずに終わるものもありましょう。我々は、宗教界に身を置きながら真理の普及よりも己の地位の確保の方が大事と思う、その人間ならではの煩悩とも闘わねばならないのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「あなたは“善い事”をしてもいいし“悪い事”をしてもいいのです。善と悪とは一つのコインの表と裏のようなものです。愛と憎しみ、光と闇、嵐と静けさもそうです。これを両極性といいます。そのどちらを選ぶかにあなたの選択権があるという事です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「心配の念は私たち霊界から援助する者にとって非常に厄介な障害です。拒否的性質があります。腐食性があります。恐れ、心配、不安、こうしたものはその人を包む物的、精神的、霊的雰囲気を乱し、私たちが近づくのを一段と困難にします」

「シルバーバーチの霊訓」より→「これより先もまだまだ地上から戦火の消える事はないでしょう。なぜなら、人類全体が一つの巨大な霊的家族であるという、この単純な真理が未だに理解されていないからです。肉体は撃ち殺せても霊は死なないのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「自由意志がなかったらみなさんは成長と進化のチャンスのない、ただの操り人形となってしまいます。せいぜいロボットのような行動しかできません。が、自由意志があるという事は、その行使の仕方に責任を持たねばならないという事になります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地球は生命活動の場の一つに過ぎません。これからもっと多くの生活の場を体験する事になっており、それが永遠に続くのです。地上生活なんかいい加減に送ればよいと言っているのではなく、あなたが送るべき全生活のほんのひとかけらに過ぎないという事です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「その地球をより良い生活の場とするために努力なさってください。地球は宇宙の惑星の中でも最も進化の程度の低い部類に属します。が、それなりの進化の目標があります。同時に、進化とは永遠の過程でもあります。完全は永遠に達成できないのです」

2020年7月8日

今日は幽体離脱、トランス共に何とも皆さまにご紹介できない内容の情報を霊団が降らせてきました。良い意味、悪い意味、両方のメセが混在していて解釈に困っていますが、その中のひとつ「まだあきらめてないよ」についてだけ少し説明してみましょう。僕がまだ使命遂行を続けている事、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込む事、奴隷の女の子たちを救出する事を「まだあきらめてない」という、僕のブログをご覧の方の思念なのですが、このメセ、実は数回降っていまして、霊団側の強調の意味もあるのかも知れません。

あきらめてない、と仰いますが、あきらめた先に一体何が待ち受けているというのでしょう。前進、行動せずして目標にはたどり着けません。そもそも僕の地上人生は2012年で終わっています。現在の僕はイエス様のご意志を遂行するため「サービス残業」で地上に残されている状態です。まぁこの部分は果てしなく説明させて頂いてますのでここまでとさせて頂きますが、僕が「あきらめる」と思っている方の神経が全く分かりません。僕は画家の人生を捨ててイエス様との約束を果たそうとしているのです。日々霊力に浴させて頂いているのにそれを無視して無意味な物的生活に溺れるなどと言う愚劣の極みの事をするはずがないじゃありませんか。何のために自分の身を修行に晒し、試練を克服して霊性発現したんですか僕は。なぜ霊団は毎日のようにインスピレーションを降らせてくるんですか。物質界は永遠の人生の中のホンの一瞬降下させられてくるだけのトレーニングセンターです。肉体は100%朽ち果てて人間全員が本来の生活の場、霊界に帰っていきます。

霊団の導きを無視して、イエス様のご意志を裏切って、守護霊様の愛を裏切って、無意味な物的生活を送って、それで帰幽して一体どの顔でイエス様、守護霊様とお会いするというのでしょうか。えー霊的知識によるとほとんどの人間が物質界での生活中はもちろんの事、帰幽後の霊界生活中にも自身の守護霊と面会を果たす事はありません。それは今説明したように守護霊の側が自分の導きに背き続けた者と面会するためにわざわざ自分の所属界(上層界)から犠牲的降下をしようとは思わないからです。人間側に自覚が芽生えてからでなければわざわざ降下して会いに行こうなどとは思いません。僕はその守護霊様と何度も面会を果たさせて頂いているのです。イエス様の顕現にも何度も浴させて頂いているのです。つまりイエス様、守護霊様が「犠牲的降下」をして下さっているという意味です。その愛を裏切って一体どの顔で人生を送り帰幽するというのでしょうか。ほとんどの人間がこういった自覚が全くない状態で帰幽し、自身の守護霊の存在も全く認識せず、これまでたくさんの導きを受けながら人生を送ってきている事にも全く気づかず、

自分に守護霊がいる事自体を認識していませんので当然感謝の念が湧く事もなく、帰幽後も真実を見通す事ができない暗い境涯で下を向きながら暮らす事になります。僕はそういう段階をとっくに突破してイエス様、守護霊様の導きの通りに使命遂行しているのです。僕をここまで成長させて下さった守護霊様の愛を一身に裏切り、僕を信頼して仕事を任せて下さったイエス様の信託を一身に裏切って「使命遂行をあきらめる」このような人生の選択をする事がいかに愚かの極みであるか…んー、「まだあきらめてないよ」と思念を抱く方の感情が僕には全く理解できないのです。まぁ上記に書いたような霊的知識が全く頭に入っていない事が、このような思念を抱く原因であり「無知の産物」という事になります。今日のインスピレーションの中には再び僕に危機が迫る内容も含まれています。何が何でも強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をかばい続けようとする人間が本当にウンザリするほどたくさんいるのです。僕は「イエス様ハンドリング」を続けます。遊びでやってるんじゃないんですよ。イエス様との約束なんですよ。あきらめる訳ないでしょ(祈)†

[ditty_news_ticker id="8790″]

「なぜ僕が「光の十字架」の撮影にこだわるのか」
wp.me/pa9cvW-h7
ムービー「光の十字架、折れちゃいました(笑)」
youtu.be/9UilP269mnY
過去このようなモノもUPしていますように、まるで背中にツ-ハンドソードを背負うようにデカい長い十字架をザックに装備して山にアタックし撮影していた時期が、ホンの一時期でしたがありました。その時のようなデカい十字架はブログで説明もありますように資金の関係でもう作れないのですが(透明アクリル板、高いんですよ)ザック内にしまえるレベルの小さな十字架ならいけるのではないか、小さくても反射テープを使って目立たせてまぁまぁの「光の十字架撮影」ができるのではないか、そんな事を再び考え始めています。んー説明しても皆さまにはご理解頂けませんが、

ブログにありますように霊体の僕の首には「十字聖団体」という霊界に存在する組織から賜った「細身のシルバーのクロス」が付いています。霊性発現初期の頃に十字聖団体の代表の女性と固い握手を交わした時、その横で守護霊様はうれし泣きをして下さいました。僕は現在仕方なく肉体をまとって物質界に残されていますが、心はとっくに霊界生活に突入しているのです。僕をここまで進歩向上させて下さった守護霊様への感謝の気持ち、そしてイエス様との男と男の鉄の約束を完璧に果たし切る決意表明として、やはり山での撮影に「光の十字架」を使いたいと思うようになってきました。今回は小さな十字架を作るつもりですが、その「光の十字架」に僕の想いの全てを込めたい、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を確実に死刑に追い込むその決意を具現したい衝動にすごく駆られてきました。小さく安く作りましょう。僕が作る「光の十字架」はイエス様と守護霊様への想いを込めたものであって、断じてキリスト教的意味を持たせたものではありません。キリスト教は「人類の呪い」であり、2千年の長きに亘ってキリスト者はイエス様を冒涜し続けてきました。

「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)」 wp.me/pa9cvW-3t 参照。イエス様の御名を悪用し悪行の限りを尽くしてきたキリスト教者と同じに思われるのは究極に心外ですので(その事実を知らず真面目な動機でキリスト教者になった神父であったとしても、です)僕はデザインの人間であり宗教と名の付くものを最大級に軽蔑している事をここに強調させて頂きます。なぜなら宗教も政治も全てウソで塗り固められているからです。国民をダマし金をむしり取る仕組み満載で、昔の悪人が考え出して現在まですっかり固着してしまった、まさに「人類の呪い」なのです。まぁそれはともかくもう1回「光の十字架撮影」トライしてみましょう。霊団の導きに従って怒涛にブログを書き続けても一向に強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込む事ができない現状に相当のフラストレーションを感じてのアイデアとなります。「イエス様ハンドリング」を完全達成せずして僕の残された地上人生があるものか。幼い奴隷の女の子たちをイエス様の御名にかけて必ず救出します(祈)†

[ditty_news_ticker id="8851″]

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上生活の目的は人間の霊性の発現を促す事です。地球という天体上に住む人間の一人一人に生きる目的があります。なのに大半の人間がその生活の基盤となっている霊的実在に気づいていないのは悲しい事です。穴居人のように暗がりの中で暮らしております」

「シルバーバーチの霊訓」より→「視覚がずれているのです。焦点が狂っているのです。ビジョンが間違っているのです。人生がもたらしてくれる莫大な豊かさを全く知らずにいます。霊的真理に気がつけば自分がいま何をしなければならないかを自覚して、そこに人間革命が生じます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上的環境に置かれたあなた方は地上での様々な条件が生み出す幸福の絶頂と不幸のドン底、いわゆる人生の浮き沈みに直面しないわけには参りません。しかし、そこにこそみなさんが地上に生を受けた意味があるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「魂が真の自我に目覚めるのは太陽が光り輝いている時ではありません。バラ色の人生では霊性は発揮されません。危機、挑戦、困難、障害、妨害の中にあってこそ発揮されるのです。それが魂に潜在する神性を自覚する唯一の触媒を提供してくれるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「物的なものにはその役割を終えるべき時期が定められております。分解して元の成分に戻っていきます。大自然の摂理の一環として物的身体はそのパターンに従いますが、“あなた”そのものは存在し続けます。生き続けたくないと思っても生き続けます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「そもそも人間は死んでから霊となるのではなく、もともと霊であるものが地上へ肉体をまとって誕生し、その束の間の生活のためでなく、霊界という本来の住処に戻ってからの生活のために備えた発達と開発をするのですから、死後も生き続けて当たり前なのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上というところはバイブレーションが重く鈍く不活発で、退屈な世界です。それに引きかえ霊の世界は精妙で繊細で鋭敏です。その霊妙なエネルギーを地上に顕現させるには、各自に触媒となる体験が必要です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「鋼が鍛えられるのは火の中においてこそです。黄金が磨かれてそのまばゆいばかりの輝きを見せるようになるのは破砕の過程を経てこそです。人間の霊性も同じです。何度も何度も鍛えられてはじめて、かつて発揮された事のないより大きな霊性が発現されるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「私たち霊界の者は魂にその受け入れ準備ができるまで根気よく待つほかないのです。“馬を水辺へ連れて行く事はできても水を飲ませる事はできない”、ということわざがあります。本人がその気にならなければどうしようもないのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「危機、困難、障害といったものに遭遇する事によってまずカタルシスを起こさせ、続いてカタリストとして霊的真理を学ばせる機会を提供してくれる、魂がぜひ体験しなければならない挑戦課題なのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「みなさんの心の中には次々と悩みが生じ疑問を抱かれるのも、地上の人間としては止むを得ない事として私は理解しております。がしかし、どう理屈をこねたところで、全宇宙の中にあって唯一の実在は “ 霊 ” である事を改めて申し上げます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「物質はその本性そのものが束の間の存在であり移ろいやすいものです。物的に顕現している形態そのものには永続性はありません。それが存在を保っているのは霊によって生命を与えられているからです。原動力は霊なのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊こそがあなたを、そして他の全ての人を地上に生かしめているのです。霊が引っ込めば物質は崩壊します。あなたの身体は元のチリに戻りますが、本当のあなたである霊は永遠の進化の旅を続けます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「あなた方は霊をたずさえた身体ではありません。身体をたずさえた霊なのです。本当のあなたは鏡に映る容姿ではありません。それは霊が地上で自我を表現するための物的な道具、複雑な機械にすぎません。霊は物質に優ります。霊が王様であり、物質は召使です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「みなさんは不完全な世界に生きている不完全な存在だという事です。もし完全であれば神はあなた方を地上へ送らなかったでしょう。その不完全な世界においてあなた方は、持てる才能をいかに活用するかについて、自由な選択権が与えられております」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上世界の特異性は対照性、ないしは両極性にあります。美点と徳性を具えた者と、それらを欠いた者とが同じ地上に存在している事です。これは霊界では有り得ない事です。各界が同じ性質の霊で構成されていて、対照的なものが存在しません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「毎朝の訪れを性格形成のための無限の可能性を告げるものとして迎える事です。それが自我を開発させ、人生に目的性を持たせる事になります。残念ながら今の地上のあまりに大勢の人たちが人生に対する目的意識を忘れております」

「シルバーバーチの霊訓」より→「みなさんはご自分で気づいていらっしゃる以上に霊界からいろいろと援助を受けております。いずれ地上を去ってこちらへお出でになり、地上でなさった事を総合的に査定なされば、きっと驚かれる事でしょう」

「シルバーバーチの霊訓」より→「落胆したり悲観的になってはなりません。幸いにして不変の基本的な霊的真理を手にした者は、どんな事態にあっても霊は物質に勝るとの信念を忘れてはなりません。解決策はきっと見つかります。ただ、必ずしも“すぐ”ではなく、しばらく待たされる事があります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「知識がもたらすところの責任も片時も忘れないようにいたしましょう。我々はもはや、知らなかったでは済まされません。精神的自由と霊的解放をもたらす真理を手にしているからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上は幼稚園であり、霊界は大人の学校です。今この地上においてあなたは教訓を正しく身につけ、精神を培い、霊性を鍛えて、神から頂いた才能をあらゆる分野で人のために使用できるまで発達させる事を心掛けるべきです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上生活の目的は霊界へ旅立つ時が来た時に霊に十分な備えができているように様々な体験を積む事です。この地球へ来るのはそのためです。地上はトレーニングセンターです。霊が死後の生活に対して十分な支度を整えるための学校です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「あなた方にとってイヤな体験こそ本当は一番為になるのですよと繰り返し申し上げるのはそういう理由からです。魂が目覚めるのは呑気な生活の中ではなく嵐のような生活の中においてこそです雷鳴が轟き、稲妻が走っている時です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「酷い目に遭わなくてはいけません。しごかれないといけません。磨かれないといけません。人生の絶頂とドン底を体験しなくてはいけません。地上だからこそ味わえる体験を積まないといけません。かくして霊は一段と強化され、死後の生活への備えができるのです」

その内容は皆さまにご紹介できない性質のものですので、どうぞご容赦を。ひとつだけ「81」と降らせてきました。アナログ絵81が現実になる、霊団はそのように仰ってます。霊団、有言実行せよ(祈)†

2020年7月8日

インスピレーションはまだありますがちょっと落ち着きましょう、あまりにも連続で書きすぎました、今日はショートブログで行きます。17日、霊団が「強くなりたい」というピーチピチ(佳子)の思念を降らせてきました。この紹介ひとつで終わります。これは皆さまもちろんお分かりの通り、ピーチピチ(佳子)が強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の脅しに屈せず自分の意見を述べられる精神力が欲しいと心の中で思っているという意味ですが、これはあくまでも僕個人の所感ですが、何て健康的な思念でしょうか。つまり「これが当たり前」だと僕は思うのです。ピーチピチは人として当然の事を考えているだけ、それを脅して歪ませている奴らがいるという事です。

「佳子この記事はウソです」 wp.me/pa9cvW-2iE の中でこのような一文を僕は書きました↓

そして返す返すも皆さまに最大級に強調させて頂きますが、なぜピーチピチ(佳子)の心の中を強姦殺人ほう助の宮内庁職員が代弁せねばならないのですか。自分の意見を自分主導で述べる事もできないって一体何がどうなっているのですか。

やれ皇族らしいご発言だの振る舞いだのと強姦殺人魔および強姦殺人ほう助の宮内庁どもは言うのですが、そうではなく「好き勝手な事を言わせないように脅している」という事なのです。公の場で軽はずみに自分たちの邪悪の正体をポロっと話させないように「自分の口では言うな」と明仁、文仁、徳仁がピーチピチ(佳子)を脅している構図なのです。明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは皇族でも天皇でも象徴でも何でもありません「強姦殺人魔」です。「脅しの法、皇室典範」 wp.me/pa9cvW-1im しかり、自分たちを善人に見せるダマし自演乙の公務しかり、コイツらの不自然なキモイ所作や発言手法の数々は全て自分たちの邪悪の正体を隠すためにそうなったのです。

「皇族らしい所作、振る舞い」というのは、自分たちの邪悪の正体が国民に知られないように作られた「脅し、ゴマかしの所作」という事なのです。ピーチピチ(佳子)が大好きなダンスを続ける事になぜこれほどまで反対し「アレをやるなコレをやるな、ああしろこうしろ」と他人の人生に干渉してくるのか。ピーチピチが皇族らしからぬ振る舞いとか以前雑誌の記事に出ていた事がありますが、僕たち国民の常識に照らし合わせて考えればそれも全くの本末転倒なのです。強姦殺人魔どもが自分たちの邪悪の正体を隠すために不自然でキモイ所作や法をいろいろと作った、それを盗んだ女の子ピーチピチに押し付けてくる…お前らは一体何様のつもりなんだ。皆さまも僕と同じような気持ちに包まれている事を信じずにはいられませんが「皇族らしい振る舞い」というのは強姦殺人魔のゴマかしの所作であり、国民を脅すのが目的であり、コイツらは偉くもなければ天才でもない、幼い奴隷の女の子を信じられない人数、四肢切断、強姦殺人して遊んでいる「宇宙一のバカ」なんだという事を、本当にしつこくて申し訳ありませんが徹底的に強調させて頂きたいのです。

はい、今日はここまでとさせて頂きます。「強くなりたい」というピーチピチ(佳子)の思念がとても健康的であり人として当然の感情であり「人類の恥」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は死刑以外に有り得ないのだという事を何としても皆さまとの共通認識としたい思いでいっぱいです。ピーチピチ(佳子)強くなれるわよ♪なぜならキミが正解であって間違っているのは強姦殺人魔どもだという事を国民の皆さまも分かっているからよ♪勇気なら僕のをあげるわ♪明仁、文仁、徳仁の脅しを振り払って自分の人生を生きるのよ♪奴隷の女の子たちを救出した先にこそキミの幸せはあるのよ♪「イエス様ハンドリング最強伝説」の意味が分かったかな♪霊団は強姦殺人魔どもの心の中を全て把握しているから負ける訳ない、最初から完全勝利なのよ♪まさか敗北者どもと一緒に泥船に乗って沈没するつもりじゃないでしょうね。明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にして奴隷の女の子たちを助けてあげるわよ♪僕は別に人として当たり前の事を言ってるだけよ♪もう強姦殺人魔の事を「尊敬申し上げております」なんてウソつかなくてよくなるのよ♪ピーチピチ(佳子)一緒に光の道を行くわよ♪(祈)†

 

[ditty_news_ticker id="8839″]

「霊は実在する、しかし」より→「我々はよく“肉体の死後も生き続けるのだろうか”という疑問を抱きます。が、一体“死後”とはどういう意味でしょうか。もちろん肉体と結合している五、七十年の人生の終わったあとの事に違いないのですが、私に言わせると、」→

→「霊は実在する、しかし」より→「こうした疑問は実に本末を転倒した思考から出る疑問にすぎないのです。と申しますのは、こうして物質をまとってこの世にいること自体が驚異というべき事なのです。これは実に特殊な現象というべきです。」→

→「霊は実在する、しかし」より→「私はこれまでよく“死は冒険であるが、楽しく待ち望むべき冒険である”と言ってきました。確かにそうに違いないのですが、実は真の意味で冒険というべきはこの地上生活の方なのです。地上生活というのは実に奇妙で珍しい現象です。」→

→「霊は実在する、しかし」より→「こうして肉体をまとって地上へ出てきた事自体が奇跡なのです。失敗するケースがたくさんあるのです」少し大きい辞典なら必ず載っている英国の世界的物理学者「オリバー・ロッジ」が“まぼろしの壁”と題して行った講演の一節である。

「霊は実在する、しかし」より→英国心霊史上最大の霊能者といわれた“D・D・ホーム”が次のような事を言っている。「私は多くの再生論者に出会う。そして光栄な事に私はこれまで少なくとも12人のマリー・アントワネット、6人ないし7人のメリー・スコットランド女王、」→

→「霊は実在する、しかし」より→「ルイ・ローマ皇帝ほか数え切れないほどの国王、20人のアレキサンダー大王にお目にかかっているが、横丁のおじさんだったという人にはついぞお目にかかった事が無い。もしそういう人がいたら、ぜひ貴重な人物としてオリにでも入れておいて欲しいものである」

「霊は実在する、しかし」より→「向上するにせよ下降するにせよ、霊的調整の期間を終了した霊がそれぞれにふさわしい界層で生命活動を営んでいくうちに、全てではないが、中にはどうしても地上へ戻らない事には解消できない課題がある事を認識するものが出てくる」

「霊は実在する、しかし」より→「私が入手し得た信頼しうる霊界通信には再生がどのような手続の上で決定され実行に移されるかについて述べているものは見当たらない。まだ死後の存続の事実すら信じられない者が大半を占める人類には、今はまだそれを教える段階ではないのであろう」

サイト「現代の日本に於けるスピリチュアリズムの第一人者、近藤千雄先生の著書・訳書の一覧」→ http://www.paperbirch.com/books/kondo.html

「霊は実在する、しかし」より→「コペルニクスが地動説を思いついたその端緒は、想像の中で自分を地球から太陽へ運び、太陽の位置から地球を眺めてみた事にあるという。その瞬間に地動説がひらめき、そのあとは年来の難問がスラスラと解けていった」→

→「霊は実在する、しかし」より→「これをコペルニクス的転回といって、180度転回することに使われる事はご存知であろう。1848年のフォックス家事件をきっかけとして始められた心霊研究が生み出したスピリチュアリズムという思想もまさにこのコペルニクス的転回だった」→

→「霊は実在する、しかし」より→「すなわち、それまでは(今なお大半の人間がそうなのだが)肉体を中心に考え、その肉体、たぶん脳髄、から生まれる精神的なものが個性を築いていくと思っていた。従って肉体が滅びれば当然自分という一個の生命はこの宇宙から消滅すると考えた」→

→「霊は実在する、しかし」より→「ところが実際は人間はもともと霊的存在であって、それが地上という物質の世界での体験を得るために一時的に肉体という物質器官に宿っているにすぎない事が分かってきた」

「霊は実在する、しかし」より→「肉体に宿っている限りは肉体の持つ5つの感覚を媒体として環境と接触するために、その5つの感覚こそ正常であり自然であり全てであると思い込んだのも無理はないが、実はそれは霊が発揮する感覚のうちでも次元の低い、いわば原始的形態である事も分かってきた」

「霊は実在する、しかし」より→「言いかえれば、人間には今のところ発揮されていない別の能力が潜在しており死後それを使用する事になっているという事である。これには例外はない。なぜなら霊こそ存在の根源であり、霊を宿していない人間はありえないからである」

「ペットは死後も生きている」より→「考えてみると、人間ほど矛盾に満ちた行為をしている生きものは他にいないのではないでしょうか。神の化身かと思うほど気高い行為をする人がいるかと思えば、、悪の権化のように悪虐非道を平気でする人間がいます」

「ペットは死後も生きている」より→「クリスマスはイエス・キリストの生誕を祝う日です。その日に、あるいはそのイブにご馳走をいただくのは良いとして、七面鳥をそのために飼育し絞めて食卓に上るというのは、一体誰の許可を得てやっているのでしょうか」

「ペットは死後も生きている」より→「あの日1日だけで世界中で果たして何百万羽が殺されている事でしょう。その事実をイエス・キリストが喜ばれるはずはないと思うのですが…」

「ペットは死後も生きている」より→「自分の愛している動物たちがちょっと傷ついても大騒ぎをして獣医さんのところへ駆け込むのに、動物実験でメスを入れられ、やがて殺されていく同じ種類の動物へは一片の同情も憐れみも憤慨も覚えない人がいます」

「ペットは死後も生きている」より→「サイキック・ニューズ紙に掲載された記事に、かつて地上で動物の生体解剖ばかりをやっていた人物が交霊会に出現して、その間違いを切々と訴えた事がありました。その霊はこう訴えました」→

→「ペットは死後も生きている」より→霊「動物実験という悪には、どうか、今後とも全力をあげて闘いを挑んでください。これは人類の進化を遅らせている最も強力な悪の勢力の一つだからです」

「ペットは死後も生きている」より→「リンダフ・ハーガビー女史を初めとする動物保護協会のメンバーは、多くの国の“と場”を訪ねてまわり、動物にも魂があって死後も生き続けるという事実を説いて、その事実の認識に基づいた“と畜”の有り方に一考を求めるという努力をしております」

「ペットは死後も生きている」より→「あの惨たらしい雰囲気は、、人間の食糧として毎日のようにおびただしい数の動物が物的身体を奪われていく、その忌むべき行為から生まれるもので、物質界にきわめて近接した界層にあり、本格的な幽界に入らない中間地帯であるという」

「ペットは死後も生きている」より→「その恐怖と苦痛、それに“誰を”という事もない恨みの念があたりに渦巻いていて、それが建物や壁よりもなお強い存在感をもって迫ってくる」

「ペットは死後も生きている」より→「それは、動物たちがどれほど苦痛を味わっているかの指標であるばかりでなく、それが地上界の霊的ならびに精神的大気を汚し、人間生活を毒し、進歩を阻害しているからだという」

「ペットは死後も生きている」より→「肉類は必ずしも必須の食糧ではありません。植物食だけで十分に健康を保っている人が大勢います。道徳的理由からだけでなく、健康上の観点から肉食を止めた人は、そのほとんどが健康を取り戻しております」

「ペットは死後も生きている」より→「毛皮の問題もぜひ考えてほしいものです。あなたが着用する動物の毛皮がどれほど高価なものかは存じませんが、そのために動物たちがどれほどの苦痛を味わったかをお考えになった事があるでしょうか」

インスタはテキストをコピペできない、本当に不便の極致ですので画像化しました(祈)†