1913年11月25日 火曜日

人間に少しでも信仰心があれば、こうして貴殿の精神と手を使って書き記したものを理解することが出来るであろうが、残念ながら物事の霊的真相を探り、それを真実であると得心しる者は多くは見当らない。これまでの永い人類の歴史においてそうであり、これからの遠き未来までもそうであろう。

それは事実であるが、更にその先へ目をやれば、吾々の目には遠い遠い未来において人間世界が今日より遥かに強い光の中を歩みつつあるのが見える。その時代においては吾々と人間とがいかに身近かな関係にあるかについて、書物の中のみならず実際の日常生活の中において理解し得心することであろう。

差し当たっては、警戒と期待のうちに吾々の力の及ぶかぎりの努力をし、たとえ吾々の望みどおりの協調関係が得られず、無念の思いを断ち切ることが出来ずとも、一歩一歩と理想の関係に近づきつつあり、万事が佳(よ)きに計られているとの確信を抱くのである。

さて現在の貴殿との仕事のことであるが、吾々としては成るべくならば物事が活撥に進行しているこの“昼”の時代に大いに進行させたい。何となれば“夜”の時代が到来すれば貴殿は明日の時代を思うであろうが、その明日はもはや今日とは異る。

いろいろと可能性を秘めてはいても今と同じほどのことが出来るとは限らない。故に現在のこの良い条件の整っている時期に出来るかぎりのことをしようではないか。そうすれば吾々2人により広き界層が開かれた暁に、更に良い仕事が為し得ることになろう。

人間が理解している科学は吾々の理解している科学と軌(き)を一にするものではない。何となれば吾らは霊的根源へ向けて深く探求の手を伸ばすからである。地上の科学は今やっと霊的根源を考慮しはじめたばかりである。

吾々は互いにようやく近づきつつあるわけである。と言うよりは、地上の現象の意味を探る者の中に、吾々の手引きによって、より高くそしてより深い意味へと近づきつつある者がいると述べた方が正しかろう。

このことを吾々は有難きことと思う。そしてそのことがこれまでの道を更に自信をもって歩ませてくれる。吾々は人間はきっと付いて来てくれるとの確信をもっており、それだけに賢明にそして巧妙に手引きせねばならないのである。

さて私はこれより、人間が“種の起原”と呼んでいるところのものについて、その霊的な側面を少しばかり説いてみたいと思う。が、結論から申せば、動物的生命の創造の起原は物質界にあらずして吾々の天界に存在する。

こちらへ来て吾々が学んだことは、宇宙が今日の如き形態の構成へ向けて進化の道を歩み始めた時、その監督と実践とを受け持つ高き神霊が更に高き神霊界より造化の方針を授かり、その方針に基いて彼らなりの知恵を働かせたということである。

その時点においては未だ天界には物的表現としての生命の形態と知能の程度に多様性があったと想像される。そして結果的にはその発達を担当すべく任命された神霊の個性と種別を反映させて行くことに決定が下された。そしてその決定に沿って神の指示が発せられた。

なぜかと言えば、計画が完了した時、総体的にはそれで結構であるとの神の同意が啓示されたのであって、その時点ですでに完璧ということではなかったのである。ともかくも宇宙神が認可を下され、更に各神霊がそれぞれの才覚と能力に従って神の意志を反映させていく自由を保証されたということである。

かくして動物、植物、鉱物のさまざまな種と序列、そして人類の種族と民族的性格とが生まれた。そしていよいよ造化が着手された時、宇宙神は改めて全面的是認を与えた。聖書風にいえば神がそれを“なかなか結構である”と仰せられたのである。

が、造化に直接携わる神霊はいかに霊格が高いとはいえ全知全能の絶対神には劣る。そして宇宙の経綸(けいりん)の仕事はあまりに大きく、あまりに広いが故に僅かな不完全さが造化の進展に伴って大きくなって行った。

それが単純な知能、とくに人間の如き低い階層の知能には事さらに莫大にそして巨大に見えたのである。何となれば、小さくそして未発達な知性には善と悪とを等しく見ることが出来ず、むしろ邪悪の方が目に止まりやすく、善なるものが余りに高尚にそして立派に思えて、その意義と威力を摑みかねるのである。

が、人間が次のことを念頭に置けば、その不完全さの中にも驚異と叡智とが渾然として存在することが容易に納得がいくことであろう。それはこういうことである。

海は海洋動物だけのために造られたのではない。空は鳥たちだけのために造られたのではない。それと同じで、宇宙は人間だけのために創造されたのではないということである。人間は海にも空にも侵入し、そこをわが王国のように使用している。

それは一向に構わない。魚や鳥たちのものと決まってはいないからである。より強力な存在が支配するのは自然の理であり、地上では人間がそれである。人間は自他ともに認める地上の王者であり、地上を支配する。神がそう位置づけたのである。

が、宇宙には人間より更に偉大な存在がいる。そして人間がその能力と人間性の発達のために下等動物や植物を利用する如く、さらに偉大なる存在が人間を使用する。

これは自然であり且つ賢明でもある。何となれば大天使も小天使も、更にその配下のもろもろの神霊も所詮は絶対神の配下にあり、常に発達と修養を必要としている点は人間と同じだからである。

その修養の手段と中身は、人間との霊格の差に応じて、人間が必要とするものとは本質と崇高性において自ずと差がなければなるまい。人間であろうと天使であろうと、内部に宿す霊力に応じて環境が定まり構成されていく点は同じなのである。

人間はその点をよく銘記し、忘れぬようにしなければならない。そうすれば自由意志という生得の権利の有難さを一層深く理解することであろう。これは天界のいかなる神霊といえども奪うことは出来ない。かりに出来るとしても敢えて奪おうとはしないであろう。

なぜなら、自由意志を持たぬ人間では質的に下等な存在に成り下がり、向上進化の可能性を失うことになるからである。さて、こうした教説を読んで、これでは人間は上級界の神霊が己れの利益のために使う道具に過ぎないではないかと思う者もいるであろう。

が、その考えは誤りである。その理由は今のべたことにある。すなわち人間は自由意志をもつ存在であり、これより先も常にそうあらねばならぬということである。

それのみではない。上級界において神に仕える者を鼓舞する一大霊力が“愛”であるということもその理由である。彼らを血も涙もなき暴君と思ってはならない。“威力”というものを“圧力”と並べて考えるのは地上での話である。

天界にあっては威力は愛の推進力のことであり、威力ある者はその生み出す愛も強力となるのである。更に申せば、悪との闘いの熾烈にして深刻な者には、その試練を経た暁に栄光と高き地位(くらい)とが約束されていることを教えてやるがよい。

何となれば、その闘いの中にこそ、人類が天界の政庁における会議への参列を許され、造化の仕事の一翼を担い、開闢(かいびゃく)当初に定められた方針に沿って全宇宙の救済の大事業に参加する資格の確かな証(あかし)が秘められているからである。

その仕事は勇気ある人間ならば喜び勇んで取り組むことであろう。何となれば、その者は次のことくらいは理解するであろうからである。すなわちその者は高き神霊が天界において携わるのとまさに同じ仕事に、この地上において、そしてその者なりの程度において携わっているということである。

そうと知ればさぞ心躍(おど)ることであろうし、意を強くすることであろう。更に又、その者の仕事は吾々の仕事と一つであり、吾らの仕事がすなわちその者の仕事であることを知り、互いに唯一の目的すなわち地上の全生命、全存在の向上へ向けて奮闘していることを知れば、イザという時に思慮深く適度な謙虚さと素直な信頼心をもって援助を求めれば、吾々はすぐにそれに応ずる用意があることに理解がいくことであろう。

吾々はそういう人間 – 悪との闘争の味方であり宇宙の最前線における同志 – を援助することに最大の喜びを覚えるからである。この真理の大道を惜しくも踏みはずせる者たちのその後の見るも哀れな苦しみは、吾々が貴殿より多くを見ている。が、吾らは絶望はしない。

この仕事の意義と目的とが貴殿たちより鮮明に見えるからである。その視野から眺めるに、人間もいつの日かそれぞれの時を得てこの高き霊界へと至り、恵まれた環境の中にて更に向上し続けることであろう。

その時はその者たちも修身の道具として今吾々が使用している人材 – その者たちが今その立場にあるのだが – を使用することになるであろう。その時は他の人間が現在のその者たちの立場にあり、その者たちが指導霊の立場にまわることであろう。

キリストはかく述べている – “悪に勝てる者はわが座位(くらい)に列することを許さん。わが勝利の時、父と共にその座位に列したる如くに”(黙示録3)と。

心するがよい。神の王国は強き者のものであるぞ。首尾よく悪を征服せる者にして始めてその地位を与えられるであろう。以上である。この度はこれにて終りとする。

が、これはこの程度のメッセージにてはとても尽くせぬ大きな問題である。神の許しがあれば、いつか再び取りあげるとしよう。では健闘と無事を祈る。強くあれ。その強さの中より優しさがにじみ出ることであろう。吾々の界においては最も強い者こそ最も優しくそして愛らしさに満ちているものである。

このことを篤と銘記されたい。そうすれば人間を惑わす数々の問題が自ずと解けることであろう。躓(つまず)くことのなきよう、神の御光が常に貴殿の足もとを照らし給わんことを祈る。†

「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†■2024年1月10日UP■
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†
僕は物的情報は専門外ですので詳細説明は控えますが、あの大震災もこの大震災もコイツらがやった事であり、罪もない大勢の国民を無差別殺害しているのです。(地球深部探査船ちきゅう号という船を使って人工地震を引き起こしているのです、詳細はぜひググって頂きたいです。第2次世界大戦時の関東大震災も、アメリカの手による人工地震です)「行動には動機がある」明仁、文仁、徳仁、悠仁が人工地震を引き起こして無関係の国民を大量殺害している理由は、使命遂行開始ごく初期の頃に霊団が降らせてきたインスピレーション「人生イコールS〇X」これに帰着します。全ては「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を強姦殺人する遊びを続けるためにおこなっている事なのです。イヤ他にもっと理由がある事と思いますが、物事というのは突き詰めていくとシンプルに行き着くというのが僕の持論です。コイツらの行動の動機の根源を辿るとS〇Xに行き着く、自分の日々のS〇Xを守るために国民を殺しまくっているという事になるのです。…続きを読む→
■2024年1月17日UP■
「出して頂いて」書籍復刊が実現するかのような事を言ってきてます。腕が痛い(祈)†
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「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†■2022年6月22日UP■
「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†
撮影中ずっと話しかけていたので結構疲れましたが、長い撮影を終えて「ゴールタイムが遅れるからもう帰るわよ♪牛ちゃんまた来るわよ♪」と言ってデジ一眼をザックにしまっていると、牛ちゃんが僕の動きに合わせて大移動を開始。僕が帰る方向にずっとついてくるのでした。そして柵の一番端まで来てそこでたくさんの牛ちゃんが群れながら僕を見送ってくれたのでした。僕は少し感動しつつ牛ちゃんに声をかけながら手を振ってお別れし、ゴールの駐車場に急いだのでした。僕は物質界では徹底的にヒドイ目に遭わされながら生活しています。霊団に完全に人生を破壊され心の中は怒りでイッパイの状態で使命遂行していますが、今回のアタックでは牛ちゃんたちのおかげで少し心が安らいだのでした。牛ちゃんは霊界の人間(霊団)と違って優しかったです…続きを読む→

以前霊団に対しておこなっていた「自動書記の嘆願の祈り」はまるっきり無視されていたためそのままになっていたのですが、また少し復活させています。自動書記で新規の霊言が降ってきてそれを書籍化できるようになれば一気に活路が開けるからです。しかし霊団は僕のこの祈りを取り合うつもりは全くないようです。

「ベールの彼方の生活4巻」の表紙のカラーリングを大急ぎでおこなっています、AffinityPhotoのアドオンをさらにひとつ追加入手しています、それも駆使して表紙を完成させ、あとは「復刊者コメント」を撃って書籍データ完成となります。止まらず印刷テストに回して次の書籍制作に入ります。電子書籍データも作らないと。忙しすぎる。

久々に幽体離脱時に香世子さんが登場してくれました、感謝なのですが申し訳ありません、意味はよく分かりませんでした。あまりメッセージ性はなかったようです。止まる理由がない、止まるイコール閉じ込められるという事になりますので何としても動き続ける。カラーリング続行中(祈)†

「目に見えぬ者によって動かされている、その事実を知る事です」僕もそうありたいと思ってますよ(祈)†■2023年11月8日UP■
「目に見えぬ者によって動かされている、その事実を知る事です」僕もそうありたいと思ってますよ(祈)†
この間部詮敦氏という霊能者が時代を抜きん出たずば抜けた人格者だったという事が分かるのです。近藤先生がこれから物質界生活中になされる仕事の重大さをいち早く見抜き、大学在学中に何と毎週近藤先生のもと(キャンパス内)に足を運んであれこれ教えておられたそうなのです。実の子でもないのにまるで自分の息子のように面倒を見ていたという事です。そして近藤先生が書籍の中で予測で書いていた事ですが、間部詮敦氏は若き日の近藤先生の守護霊および指導霊の存在が当然霊視で見えていたはずですが、それを結局一言も言わず帰幽したのだそうです。どういう事かと言いますと、近藤先生にはその仕事の重大性からとてつもない高級霊団が付いていた事が容易に想像できるのですが、それを若き日の近藤先生に伝えてしまったら近藤先生がのぼせ上ってしまう(霊団に言わないようにクギを刺されていたという事もあるかも知れませんが)ので間部詮敦氏は近藤先生の霊団の事を一言も言わなかった。これはとてつもない事だと思うのです。見えてるんだからフツー言うだろう。隠し通したって本当にスゴイ…続きを読む→
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†■2023年11月15日UP■
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†
肉体は自動的に朽ち果てるようにできていますから、その肉体をまとっての人生で幸福を得ようと考える事がそもそも本末転倒であり近視眼の極致であり、歳をとる事もなく傷つく事もない永遠の若さを保っている霊体をまとっての霊界人生の方に真実の幸福があるのは至極当然の事であり、その霊界生活に備えて物質界で自分を鍛えなければならないのです。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらはその「物質界の学び」を全てキャンセルしてワガママ放題で生活し、仕事もせず奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくって遊んでいます。つまり物質界で学ぶべき事を一切学ばずに帰幽する、霊界生活に何の備えもできていない人間という事になるのです。何の備えもできていませんからもちろん霊界生活に順応もできません、高級霊の方々から仕事を言いつけられる事もありません資格がないのですから。全く役立たずの人間、何の使い道もありませんから当然暗黒の底の底に落ちてそこで反省させられる訳です。それも物質界での苦しい期間をはるかに超える長い年月にわたって暗黒の中で悶絶する事になるので…続きを読む→
「だいたい2まで書けています」新規の霊言が霊界側で2巻分書き上がっているようです(祈)†■2023年11月22日UP■
「だいたい2まで書けています」新規の霊言が霊界側で2巻分書き上がっているようです(祈)†
「イエスが全部おこなうから」これは僕という霊の道具を使用しての霊的使命遂行の全仕事をイエス様がおこなっているという意味ですが、皆さまにくれぐれもお間違えのないようにして頂きたいのは、イエス様は「スピリチュアリズム普及の総指揮官」であり、個的形態をまとって物質圏付近に降下などできるはずもないはるかはるか向上を果たした超高級霊のお方です。そのイエス様が僕などというグズるお子ちゃまの面倒を見るためにアレコレ手を焼く事は絶対にありません。全体を計画し、想像もつかないほどの大人数の部下(天使)を従えて、指示を与えて仕事を推進するのであり、イエス様が直々に手を動かして仕事をするという事は有り得ないのです。しかし「スピリチュアリズムの真髄」の中に、イエス様が天使の大軍勢を従えて霊媒マッカロウ氏のところまで降下してこられ、実際に霊言を語ったという事が紹介されています。ですのでイエス様が僕という霊媒を使用して霊言を語るという可能性は絶無ではないのかも知れませんが、限りなくゼロに近いでしょう…続きを読む→

採用版表紙とボツ版表紙、両方のゴミ取り完了中、ボツ版はこのままで採用版のカラーリングをおこないます。何が何でも霊団に閉じ込められた場所から脱出しようとしてもがき続けていますが、さらにその場所を離れたい気持ちが加速しています。どうしても脱出してみせる、これ以上閉じ込められるのは死んでも有り得ない。

出版社設立してみたところで脱出につながらない可能性が高いとしても、もうこれをやるより他にどうしようもないのです。というのも、以前Pythonだの何だのと言って書籍を何冊も入手して猛烈にお勉強していた時がありましたが、アレももちろん脱出するためのお勉強だったのです。

しかしPythonを扱えるようになったとして、そのスキルを駆使した仕事を探そうとすると、どう探しても「使命遂行をやめなければできない仕事ばかり」だったため(お勉強そのものはそんなにイヤではなかったのですが)それで泣く泣くプログラマ系スキルを駆使しての脱出をあきらめざるを得なかった、という事がありました。

使命遂行を続行させつつ脱出を実現させるとなると一気にハードルが跳ね上がります。それで現状もう出版社設立、書籍復刊しか思いつけない状態になっているのです。霊的知識普及と全く関係ない事に人生のパワーの大半をもっていかれる活動をする訳にはいかないのです、どうしてもコレしかないのです。

「ベールの彼方の生活4巻」は表紙と復刊者コメントで完成、即印刷テストをおこない、止まらず次の書籍データの作成に入りつつ(現在“私の霊界紀行”テキスト見直し80%完了中)いよいよ復刊に向けての具体的事務作業にも取り掛かります。

僕はもう「霊的使命遂行」という足かせがあるのでただ脱出するだけの簡単な事がこれほどまで実現できずにいるのです。霊団の閉じ込め方が異常というのもありますが。使命遂行を続行しつつ脱出する、これを何が何でも実現させるのです。

ポーランド(ワルシャワ)からの異常な機械的アクセスはなくなりました。世界中で同じ案件が発生していたようですがすっかりなくなりましたね。ボロボログチャグチャの山の道具を新調する件ですが、最後にザックが残されていたのですが先ほどタイムセールで安くなっていたので思い切って入手しました。コレをもってボロボロ新調計画はほぼ完了となります。

いよいよ復刊に向けて具体的に動く事になります。書籍データ作成も止まらず続行中。電子書籍データ(リフロー)も作らないといけない。止まっているヒマなど1秒もない。何が何でも脱出するために全力を出し切るのです。まだお話したい事はあるのですがまずはココまで(祈)†
「高級霊が中止などしない」僕の役割は遠大な霊界計画の0.0001%という事です(祈)†■2023年3月1日UP■
「高級霊が中止などしない」僕の役割は遠大な霊界計画の0.0001%という事です(祈)†
皆さまご存じのように2000年前のイエス様は律法学者どもの嫉妬を受けて磔刑にされ殺されました。僕は歴史に詳しくありませんが、イエス様以外にも信じられない人数の霊的使命遂行者が王などと自称する人間や、キリスト教の要職についている人間たちに徹底的に迫害され殺され続けてきました。※訳者、近藤千雄先生の著書の中にはそういった歴史の暗部を紹介しているモノがいくつかあります。何としてもそれらをテキスト化完了させ、多くの方にお読み頂ける状態にしなければなりません。物質界に使命遂行のために降誕した多くの高級霊の方々が、ことごとく軽蔑、嘲笑、迫害を受けて殉教の死を遂げています。しかし霊界側は「スピリチュアリズム勃興」という大計画まで発動し、霊的知識普及を大々的に進めてここまでやってきました。このインスピレーションは霊界側が気の遠くなる長い年月にわたって推進している霊的大事業を中止などする訳がないという意味であり、他でもないイエス様が僕などという画家くずれの人間に対して「怒涛の連続顕現」で猛烈に仕事をお願いしてきたのも、その大計画推進の道具のひとつとして僕を使用するためだった、という意味になるのです。…続きを読む→
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†■2023年3月22日UP■
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†
聖書には真実でない事がたくさん書かれています。人類史上最大の汚辱と言っても過言ではない「ニケーア会議」の時に様々なウソが聖書に書き加えられ、そのウソが世界中に広まっていき、イエス様の2000年の苦悩へとつながっていったのです。キリスト者はイエス様の御名を悪用して私腹を肥やす事を2000年にわたって続けてきました。特に中世ヨーロッパの暗黒時代が最悪で、キリスト教の要職についていた人間たちは、自分たちの地位、生活を守るために真実を公言する人間を徹底的に処刑してきました。キリスト教の人間が「主よ、主よ」とイエス様の御名を連呼する時、それはイエス様に対する最大級の侮辱であり、イエス様の悲しみをさらに増幅させ、積年の誤謬(ごびゅう)を払拭するどころかさらに加速させ続ける、イエス様をさらに十字架にかけ続ける許されざる呪いの行為となります。僕、たきざわ彰人からお願いしたい事としましては、間違いだらけの聖書を読むのはやめましょう。「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした正真正銘の霊関連書籍に目を通すようにしましょう。そして教会に足を運ぶのもやめた方がイイでしょう…続きを読む→
「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†■2023年10月4日UP■
「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†
【神】が経綸するこの全宇宙には目的があり、それは「進化」の一語に尽きると思います。全天体、全存在(生命)が進化を目的として永遠とも思える霊的向上の旅を続けています。霊的進化のゴールと言える至福の境涯ニルバーナは存在せず、神の御胸に向けての永遠の進化の旅が続くのですが、僕たちが現在在籍している地球圏は神が経綸する全宇宙の中のほぼ最低ランクの存在の場であり全く進化が足りません。イエス様を最高指揮官とした地球圏経綸の任に当たる天使の方々は、物質界の知的暗黒時代(特に中世ヨーロッパ)を打破して霊的知識を普及させるべく「スピリチュアリズム」を勃興させました。これまでの地球圏霊界でこれほど大々的な計画が実行に移された事はないそうです。イエス様がそこまでしなければならなかった理由は、物質界で学ぶべき事を何も学ばずに無知のまま帰幽して下層界にたむろする、シルバーバーチ霊の言葉を借りれば「難破貨物」ともいうべき低級霊があふれかえってそれがいよいよ上層界にまで悪影響を及ぼし始めてきた事が一因だそうです…続きを読む→

1913年11月24日 月曜日

更に言えば、いついかなる時も吾らの存在を意識することは好ましいことであり、吾らにとって何かと都合が良い。事実、吾らはいつも近くにいる。もっとも、近くにいる形態はさまざまであり意味も異る。

距離的に近くにいる時は役に立つ考えや直感を印象づけるのが容易であり、又、仕事がラクに、そして先の見通しも他の条件下よりは鮮明に見えるように順序よく配慮することが出来る。

吾らの本来の界にいる時でも、人間の心の中および取り巻く環境で起きている事柄のみならず、その事情の絡み合いがそのまま進行した場合どういう事態になるかについての情報をも入手する手段がある。

こうして接触を保ちつつ吾らは監督指導が絶え間なく、そして滞りなく続けられるよう配慮し、挫折することのないよう警戒を怠らない。それが出来るのも吾らの界、および吾らと人間との間に存在する界層を通じて情報網が張りめぐらされているからであり、必要とあらば直接使者を派遣し、場合によっては今の吾々がそうであるように、自ら地上へ降りることも可能だからである。

更にその方法とは別に、吾らの如き守護の任にある者が本来の界に留まったまま、或る手段を講じて自分に託された人間と接触し、然るべく影響を行使することも可能である。これで理解が行くことと思うが、創造主の摂理は全界層を通じて一体となって連動し、相関関係を営んでいる。

宇宙のいかなる部分も他の影響を受けないところは1つとして無く、人間が地上において行うことは天界全域に知れ亘り、それが守護霊の心と思想に反映し、守護霊としての天界での生活全体に影響を及ぼすことになる。

されば人間は常に心と意念の働きに注意せねばならない。思念における行為、言葉における行為、そして実際の行為の全てが、目に映じ手を触れることの出来る人々に対してのみならず、目には見えず手を触れることこそ出来ないが、いつでも、そしてしばしば監視しながら接触している指導霊にも重大なる影響を及ぼすからである。

それのみではない。地上から遠く離れた界層にて守護の任に当る霊にも影響が及ぶ。私の界においても同じである。この先更にどこまで届くか、それは敢えて断言することは控えたい。が、強いて求められれば、人間の行いは7の70倍の勢い(※)をもって天界に知れ亘る、とでも答えておこう。

その行き着く先は人間の視野にも天使の視野にも見届けることは出来ない。何となれば、その行き着くところが神の御胸であることに疑いの余地はないからである。(※マタイ18・22。計り知れない勢いの意 – 訳者)

故に、常に完全を心がけよ。何となれば天に坐(ましま)す吾らが父が完全だからである。不完全なるものは神の玉座に列することを許されないのである。
では善と美を愛さぬ者の住む界層はどうなるか。実は吾らはその界層とも接触を保ち、地上と同じように、援助の必要があれば即座に届けられる。

縁が薄いというのみであって決して断絶しているわけではないからである。その界層の霊たちも彼らなりに学習している。その点は人間も変わらない。ただしその界の雰囲気は地上よりは暗い – ただそれだけのことである。彼らも唯一絶対なる神の息子であり娘であり、従って吾らの弟であり妹でもあるわけである。

人間の要請に応える如く彼らの魂の叫びに応えて吾らは援助の手を差しのべる。そうした暗黒界の事情については貴殿はすでにある程度のことを知らされている。が、ご母堂の書かれたもの(第1巻3章)にここで少しばかり付け加えるとしよう。

すでにご存知の通り、光と闇は魂の状態である。暗黒界に住む者が光を叫び求める時、それは魂の状態がそこの環境とそぐわなくなったことを意味する。そこで吾らは使者を派遣して手引きさせる。が、その方角は原則として本人の希望に任せる。つまり、いきなり光明界へ連れてくることはしない。

そのようなことをすれば却って苦痛を覚え、目が眩み、何も見えぬことになる。そうではなく暗黒の度合の薄れた世界、魂の耐えうる程度の光によって明るさを増し世界へ案内され、そこで更に光明を叫び求めるようになるまで留まることになる。

暗黒地帯を後にして薄明の世界へ辿り着いた当初は、以前に較べて大いなる安らぎと安楽さを味わう。その環境が魂の内的発達程度に調和しているからである。が、尚も善への向上心が発達し続けると、その環境にも調和しない時期が到来し、不快感が募り、ついには苦痛さえ覚えるに至る。

やがて自分で自分がどうにもならぬまま絶望に近い状態に陥り、自力の限界ぎりぎりまで至った時に、再び叫び声を上げる。それに応えて神の使者が訪れ、更に一段階光明界に近い地域へと案内する。そこはもはや暗黒の世界ではなく薄明の世界である。かくて彼はついに光が光として見える世界へ辿り着く。

それより先の向上の道にはもはや苦痛も苦悩も伴わない。喜びから更に大きな喜びへ、栄光からより大いなる栄光へと進むのである。ああ、しかし、真の光明界へ辿り着くまでに如何に長き年月を要することか。苦悶と悲痛の歳月である。

そしてその間に絶え間なく思い知らされることは、己れの魂が浄化しないかぎり再会を待ち望む顔馴染みの住む世界へは至れず、愛なき暗黒の大陸をとぼとぼと歩まねばならないということである。

が、私の用いる言葉の意味を取り違えてはならない。怒れる神の復讐などは断じて無い。「神は吾らの父なり」、しかして「父は愛なり」(ヨハネ)その過程で味わう悲しみは必然的なものであり、種子蒔きと刈り入れを司(つかさど)る因果律によって定められるのである。

吾々の界 – 驚異的にして素晴らしいものを数多く見聞きできるこの界においてすら、まだその因果律の謎を知り尽くしたとは言えない。全ての摂理が“愛”に発するものであることは、地上時代とは異り、今の吾々には痛いほどよく解る。

曽てはただ信ずるのみであったことを今は心ゆくまで得心することが出来ることも、憚(はばか)ることなく断言できる。が、因果律というこの厳粛なる謎については、まだまだ未知なるものがある。が、吾々はそれが少しずつ明かされて行くのを待つことで満足している。

それというのも、吾々は万事が神の叡智によって佳きに計られていることを信ずるに足るだけのものを既に悟っているからである。それは暗黒界の者さえいつの日か悟ることであろう。

そして彼らがこの偉大にして美わしき光の世界へと向上進化して来てくれることが吾々にとっての何よりの慰めであり、また是非そうあらしむべく吾らが手引きしてやらねばならない。

そしてその暁には万事が有るがままにて公正であるのみならず、それが愛と叡智に発するものであることを認め、そして満足することであろう。吾々はそう理解しているのであり、そのことだけは確信をもって言える。

そして私もその救済に当たる神の使者の1人なのである。私が気づいていることは、かの恐ろしき暗黒の淵から這い上がって来た人たちの神への讃仰と祝福の念を、その体験のない吾々のそれと比較する時、そこに愛の念の欠如が見られないことである。些かも見られぬのである。

と言うのも、正直に明かせば、彼らと共に天界の玉座の光の前にひれ伏して神への祈りを捧げた折のことであるが、彼らの祈りの中に私の祈りに欠けている何ものかがあることに気づいたのである。そこで思わず、私もそれにあやかりたいものと望みかけて、ようやく思い止まったことであった。

それは許されぬことであろう。そして神はその愛ゆえに、吾々の内にあるものを嘉納(かのう)されるに相違ない。それにしても、かのキリストの言葉は実に美しく、愛がその美しさを赤裸々に見せる吾々の界において如実にその真実味を味わうのである。

神はその愛の中にて人間と交わりを保つ。神の優しき抱擁に身を任せ、その御胸に憩いを求める時、何1つ恐れるものはない。†

「みんなイエス様を支持しています」それは当然。霊界側が僕の小我を支持する訳ないでしょ(祈)†■2022年9月14日UP■
「みんなイエス様を支持しています」それは当然。霊界側が僕の小我を支持する訳ないでしょ(祈)†
これは物質界のお話ではありませんよ、霊界上層界のお話ですよ。要するにイエス様側近の天使の方々がイエス様の導きの方向性を支持しているという意味でしょうが、それは別に当たり前の事であり、僕も霊団に対して怒り憎しみを表明してこそいますが、イエス様が間違っているとか主張するほど愚か者ではありません。僕の小我の感情が大局で見た時に間違っているのは火を見るより明らかな事であり語るまでもありませんので、このインスピレーションに対する反論などみじんもありません。ただムカつくムカつかないで言ったらムカつくんですよ。まだ当分この最悪の状況をやらされると思ったらどうしても頭にくるんですよ…続きを読む→
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†■2022年10月5日UP■
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†
僕が奴隷の女の子を救出すると、その霊団が降らせて教えてきた物的攻撃に晒される事になり、霊団はその攻撃から僕を守るために奴隷の女の子の救出をあきらめざるを得ないといったような事を言っているのです。そして奴隷の女の子の事をあきらめさせるために交霊会の事をずっと言い続けてくるのです。「アキトくんの気持ちは分からないでもないが、奴隷の女の子たちは自らの罪障消滅のため、霊的向上のために自ら志願してその人生を選択し、奴隷の女の子として物質界に降下した人間なのだ。それよりキミは自分の使命遂行を成功させる事を考えなさい」とでも言っている霊団の声が聞こえてきそうです。要するに奴隷の女の子たちを見殺しにするのは非情というのとは違う、霊的視点に立って考えないと真実の理解には到達しない、という事なのですが、この心の中に渦巻く釈然としない気持ちはどうやっても拭う事ができません…続きを読む→
「霊体で会議に参加し続けてるんですよ」物的脳髄でその様子を全く反芻できません(祈)†■2023年1月25日UP■
「霊体で会議に参加し続けてるんですよ」物的脳髄でその様子を全く反芻できません(祈)†
どの人間も例外なく物質界に降下するにあたり、指導霊と相談したうえで「こういう試練を体験すればこれだけ向上を果たせる」と考え、自分でその人生を選択して降下してくるのだそうで、つまり奴隷の女の子たちも「殺される人生をあえて選択して降下してきた人間たち」という事になるのですが、僕はそう言われて奴隷の女の子たちを見殺しにする気にはどうしてもなれません。これは僕の個人的意見ですが、物質界に降下するにあたり、基本的には「こういう人生を送る事になる」という概要は決まっているのでしょうが、中には例外もあるのではないかと思っているのです。僕の「霊性発現」はその例外に当たるのではないかと思っているからです…続きを読む→

とにかく復刊実現に向けてのシチメンドクサイ事務作業が眼前に待ち受けています。それに比べればこうして書籍データを制作する事は心の負担はだいぶ少ないのかも知れません。本当に気が重いですが、あと1、2ヶ月したら事務作業に着手します。それまでできるだけ書籍データを完成させておくのです。

で、具体的お話ですが、僕は在庫を抱えてナンチャラカンチャラなどできませんので当分はAmazonでの電子書籍、ペーパーバックの販売に力点を置く事になると思います。完全オンデマンドですので在庫を抱える必要がありませんので。そうそう、いよいよ苦手なOfficeソフトを使用しての「電子書籍データ」制作もやらないといけません。ってまぁAffinityPublisherよりは簡単なのかも知れませんが。

気が重い、しかし脱出するにはコレをやるしかない、どうしても、どうしても閉じ込められるのがイヤなのです。何としてもやってやる。まずは「ベールの彼方の生活4巻」のデータ制作にケリをつけましょう。やるべき作業が恐ろしいほど殺人的にあって絶望感しか湧いてきません。しかしやる(祈)†

「J9」アナログ絵123に描いたゴールに到達するという意味だと信じたいですが(祈)†■2022年6月22日UP■
「J9」アナログ絵123に描いたゴールに到達するという意味だと信じたいですが(祈)†
そして仕事を休んで遠くの会場まで足を運ばされ、訳の分からないトランスの真似事のようなものを集団でやらされて(今にして思えば僕の回りにいた連中はみんな僕を信者にするためのグルメンバーだったのかも知れませんが)僕はそもそも宗教臭の漂うモノが大キライ、頭にきて頭にきてもうガマンできなくて途中で帰ってしまったのです。これは霊関連書籍に精通しておられる方なら理解できる事と思いますが、要するに霊団が「僕をそういうところ(いかがわしい宗教)から遠ざけて真っ当な霊的活動をさせるためにわざとそこに行かせてキライにさせた」という事なのですが、そうと分かっていてもあの体験は人生最悪でした。もう死んでも行きたくありません…続きを読む→
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†■2022年7月20日UP■
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†
【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→

「ベールの彼方の生活4巻」の作業が佳境に入ってきてます。最終校正はほぼ完了してます、現在表紙の作業を全力でおこなっているところです。今回の4巻巻末にはオマケでボツった線画もUPさせます。そのボツ線画も描き終わってスキャンし終わってゴミ取りに入ってます。採用版表紙とボツ版表紙、ふたつの線画のゴミ取りをしているという事ですがカラーリングは採用版のみおこないます。

山の道具がボロボログチャグチャで新たに入手しないといけないものが複数ありまして、そちらに数字を取られてなかなか復刊の事務作業を進められずにいますが、間もなく、モチョトかかるかな、とにかく間もなく復刊実現のための具体的な事務作業に着手します。まずはISBNを入手するつもりです。いよいよ未知のゾーンに突入していきます。レクチャーしてくれる人などいませんので自力でお勉強しながら進める事になります。

実は既にまぁまぁの量のインスピレーションが降ってますが、これまたどれもお話したくない内容のオンパレードなのです。現状ブログネタになりそうなものはほぼ無い状態です。さぁ表紙の完成を急ぎましょう。完成させたら復刊者コメントを撃って4巻完成となります。急げ(祈)†

「どんなに隠しても表に出てくる」真実は絶対隠し通せないという意味です(祈)†■2022年1月5日UP■
「どんなに隠しても表に出てくる」真実は絶対隠し通せないという意味です(祈)†
国民の同情を誘う美しいスローな楽曲がバックに流され、かわいそうな人たちに文仁がやさしく声をかけてその人たちを笑顔にさせる映像が、柔らかい暖色系のフィルターをかけた状態でキラキラと光のモーションエフェクトをちりばめて再生スピードを若干落としたスローペースで流され、文仁にやさしく声をかけてもらった国民(もちろんさくら)が感動の涙を流しながら文仁を賛美するコメントの映像が流され、それを見た皆さまはその洗脳演出にアッサリコロっとダマされて「あぁこの人はイイ人なんだ」などとは死んでも思わないようにして下さい…続きを読む→
「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†■2022年4月20日UP■
「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†
あなたの愛する男性、女性は性格の優しい、正しい行いをする、あなたにとって愛すべき人物だとします。あなたはそれを長い年月にわたって共に生活してきた事によって知っており、その人物を愛するに至っています。また、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の、これまで歩んできた苦難の道のり、獲得してきた知識と叡智の深さ、経験から導き出される慈愛の態度を、これまでのお付き合いによって認識しており、あなたはその師に対して深い尊敬の念を覚えるに至っています。しかし、あなたの愛する人物、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の人格、性格、人となり、これまでの苦難の道程を全く理解していない赤の他人が、何も知らない分際であてずっぽうで「こいつはこういう最低の人間だ、こいつは頭の悪い、おかしな奴だ」と言いふらしたとしましょう。皆さまはそれをどのように受け止められますか…続きを読む→

1913年11月21日 金曜日

読むのが速い者が必ずしも正しく読み取っているとは限らない。そういう者は、見た目に重要に思えない事柄は落ち着いてじっくり考える余裕を持たないものだからである。

表面的なこと以外は目に止まらないのである。であるから、通信が判り易く書かれていると、大部分が軽く読み流されてしまい、そのメッセージの重要性が目に止まらないことになる。

このことは人間が自然と呼んでいるもの、つまり霊力が物質を通して活動しているその表面的な現象に“書かれて”いる教訓についても言える。また人間なり民族なりがその本来の性格を基盤として繰り広げる運命の働きについても同じことが言える。

更にこのことは、程度こそ異るが、いわゆる科学の発見においても言えることである。ではこれより、この発見の問題を取り上げ、ざっと目を通すだけで深く読もうとしない大方の人間よりも深く踏み込もうとする人間に対して深く暗示されているものを観てみよう。

歴史と同じく科学もまた繰り返す。が決してまったく同じことを繰り返すわけではない。知識の探求にも常に大よその原理というものが支配しており、その原理が一定の役割を果たすと、他の原理にその場を譲って裏側へまわり、新たな原理が人類の注目を世界中で集中的に受けることになる。

が、時の経過とともにいつしか前の原理が再び表に出て来て – 順序は定まっていないが – 新しく人類の注目を集める。かくして人類進化の行進が続けられる。

発見そのものの種類も又、失われては新たに発見されることを繰り返す。まったく同じものではない。外観が変わり、新たな特徴が加わり、同時に古い特徴が失われている、ということがしばしば見られる。

以上述べたことを更に判り易くするために、例を挙げて細かく説明しよう。曽ては科学そのものが今日の科学とは異る意味をもった時代がある。つまり科学にも心があり、物質的現象は二次的な意味しかもたなかった。

錬金術がそうであり、星学がそうであり、工学ですらそうであった。当時すでに地上世界が霊的世界によって支配され、無数の霊団が自発的に – 但し上層界から偉大な霊力と崇高な権威によって規制された限度内で – 監督に当たっていることが知られていた。

そして当時の人間はそうした霊的支配者の程度や階級、及び自然界と人間界の各部門における彼らの役割、更には各階級から行使される霊力の量まで知ろうとする研究が行われていたのである。

事実、彼らはおびただしい数の事実を発見し、分類した。ただ、そうした事実や法則、規制、条件等が地上的なものでなく霊的なものであったがために、彼らは己むなくそれを通常の言語とは別の形で表現した。

これが関心の異る別の世代が台頭してくると、先祖が伝承話の形に込めた知識の何たるかを考慮することなく、これは単なる譬え話であり象徴的なものにすぎないと断定してしまう。

そう断定することで裏に秘められた事実が輪郭を失い、やがて真実味まで失って行く。さまざまな民族における霊力の研究成果がそうした経過を辿り、これがヨーロッパの妖精物語と東洋の魔法の物語を生み出すことになった。それらは、まぎれもなく古代の科学が或るものを付加され、或るものを抜き取られ、さまざまに歪められながら生き残れる姿なのである。

が、そうした物語をいま述べたことに照らし、その本質と近代に至ってからの潤色とを選り分けて読めば、その底に、あたかも幾世紀ものあいだ土砂に埋もれたエジプトの古代都市の如く、太古の科学すなわち霊的観点より考究した知識を見出すことが出来る。†

– 何か顕著な例を挙げていただけませんか。

「ジャックと豆の木」という物語がある。まず名前を見るがよい。ジャックはJohnの愛称であり、このジョンを最初に用いたのは例の「黙示録」の著者(ヨハネ、英語読みでジョン – 訳者)である。豆の木は「ヤコブのはしご」(創成記)すなわち霊界の上層界へ辿り着くための階段の翻案である。

物語の意味は、天界に辿り着けばそこは現実の国であり、さまざまな地域があり、自然の風景があり、家々があり、素晴らしい知識がある。天使はその全てを人間に授けるつもりはないのであるが、時に大胆で能力のある人間が侵入して地上へ持ち帰ることがある。

天使はそれを取り返そうとし、人間がそれ以上に大胆になることによって獲得する所有権を奪おうとするのであるが、人間は生来の機智を弄(ろう)してそれを妨げることが出来るというのである。

さて、これはなかなか面白い話ではある。が、その深い意味を理解せぬ者によって幾世紀も語り継がれて来たために、話の筋が奇妙で滑稽にさえなっている。たとえば、もしも真の意味が理解されておればジャックという軽々しい愛称は用いられなかったであろう。

があのジャックのお馴染みの衣装を見れば分る通り、ジャックという俗称に変わったのは神聖なものや霊的なものが軽視された時代のことである。当時は霊的存在を理解することが出来なかったのである。悪魔に衣服を着せ、刃物のような耳やしっぽを付けたりしたのも同じ理由からである。

すなわちそうしたものは当時ではあくまで神話の世界だけの存在だったのである。従って悪魔の性格も神話的な架空のものに過ぎなかった。この物語は数多く存在する物語の1つに過ぎない。「パンチとジュディ」という物語も救い難き極悪人としてのピラトとイスカリオテ(ユダ)を風刺したものである(※)

がこの宗教的にして且つ恐ろしき事実を扱うその手法にも、当時の時代的軽薄さが歴然としている。(※「パンチとジュディ」はパンチという名のせむし男が子供を絞殺したり妻のジュディをいじめ殺したりする古い英国の人形芝居であるが、これはイエスの処刑を命じた残虐非道のローマ総督と、イエスを裏切ったユダを風刺したものとされる。 – 訳者)

まさに軽薄であり、これまで常にそうであった。が、今の時代に至って霊的なるものがようやく人間世界に戻り、その位置を見出しつつある。必ずしも正当な位置を得ているとは言えないが、少なくとも過去幾世紀における扱われ方に較べれば、より大きな考慮を払われていると言えよう。

かくして外面的には様相を変えてはいるものの、内面的にはかのエジプトの星学を支配した一般的原理、並びにモーセが学びそして活用した叡智に類似したものが今日再び人間界に戻りつつある。

それが人間の意識を高め、生命力の産物 – 貝殻、石、化石 – をいじくりながらその生命力の根源の存在を認めようとせぬ過去の唯物思想に存在意義を賦与しつつある。曽ての唯物科学は大自然の法則の秩序ある働きを説いた – にも拘わらず、その秩序と働きの背後の唯一絶対の霊的始源の存在を否定した。

大自然の美を謳(うた)った – なのに、その美も人間に霊が宿ればこそ感識し得るものであること、そしてその霊も永遠なる神の生命が存在すればこそ存在を得ていることを忘れていた。

吾らは常に人間界を見守っている。そして許されるかぎり、好機の与えられるかぎりにおいて導いている。もし人間が吾らの働きかけに忠実に応えてくれれば、今まさに過ぎ去りつつある時代よりも更に多くの光と愛と生命の美に溢れる時代が到来する。吾々は人間はきっと応えてくれるものと確信する。

何となれば、新らしきものは古きものに勝るのが必定であり、更に、吾らが地上へ向けて働きかける時、背後に更に高い世界からの叡智と霊力とが澎湃(ほうはい)として迫り来るものを感ずるのである。そして吾らは、これぞ上層界の意図であり要望であると確信するものを実行に移す。

吾々とて、余りに遠き未来まで覗き見ることは出来ない。それにはそれなりの特殊な部門があり、それは現在の吾々の霊団の任務には組み入れられていない。

が、吾らはその努力が多くの人間に首尾よく反応を示してくれることに喜びを感じ、時の経過と共により多くの機会を得て、人間にとって吾らがいかに身近な存在であるか、又、人間が常に謙虚にして冷静さを保ち、最高の模範としてキリストを目指し、吾らの教説の中にたとえ走り読みにせよ見出せるであろう聖なる美を体現すべく努力しておれば、いかに大きな仕事を成就する潜在力を秘めているかを示すことが出来る – そう期待しているのである。

それというのも、キリストの霊的生命は、それをひと目見れば、美とは何かを知る者は恍惚の境へと誘われるほどのものだからである。キリストの名において吾らは愛し、キリストに向けて吾らは崇拝の念を捧げる。常にキリストの安らぎのあらんことを。アーメン。†

■2021年8月13日UP■
「死体切断はもったいないから」明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を四肢切断する理由です(祈)†
ブタ(奴隷の女の子)は死んだけど、この死体はまだオモチャとして遊べる、このまま捨てたり焼いたりしたらもったいない、最後の最後まで遊び倒さないといけない。世界中でこの遊びができるのは俺たちぐらいのもんだ、ホラ悠仁、お前もブタの胴体を切って遊べ、人間を殺すのは楽しいだろ、これが俺たちの仕事だぞ。これからも国民を殺しまくって遊ぶんだぞ。イーッヒッヒッヒッヒッヒ♪つまり奴隷の女の子たちの人生、人権、性格、夢、そして生命、それら全てをオモチャにして遊ぶ事ができるのは世界で俺たちぐらいのものだ、ただ殺すだけじゃもったいない、女の子が生きている間も、泣き叫んで助けを懇願している時も、四肢切断した後も、強姦殺人する時も、女の子が死んで死体となった後も、その死体を切り刻む時も「処刑遊び」の全シチュエーションをバッチリ撮影して記録に残し、最後の最後まで徹底的に遊び倒さないといけない…続きを読む→
「お父さんが死の壁を越えて」文仁が真実をゴマかし通すつもりという意味です、絶対に許してはなりません(祈)†■2021年10月13日UP■
「お父さんが死の壁を越えて」文仁が真実をゴマかし通すつもりという意味です、絶対に許してはなりません(祈)†
イケメンの彼氏はピーチピチに「俺が1番お前を愛している」と言い続けますが、行為としては「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を擁護し賛美し続け、奴隷の女の子たちを殺し続けている事になります。口だけ「愛している」と言っても行為は「強姦殺人ほう助」を続けている事になります。しかしピーチピチ(佳子)は彼氏が好きですから言う事を聞いてしまいます。そして彼氏と一緒になって国民にウソをつき続ける邪悪の人生を歩んでしまいます。その先(つまり帰幽後)に待ち受ける自分の未来がどれほどヒドイものであるか、ピーチピチはそこまで想像力が働きません。彼氏は霊的知識が全く頭に入っていませんから帰幽後の未来の事など知った事ではありません。ただ今の生活が良ければそれでいい、それでピーチピチに甘い言葉を言い続けて現状維持を図ってくる事になります…続きを読む→
どれほどバカなのか■2021年10月20日UP■
「どれほどバカなのか」天皇一族のバカさ加減に皆さまが呆れ返っているという意味です(祈)†
「どれほどバカなのか」これが国民の常識となり、もう誰も「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を陛下殿下などとは呼ばず頭を下げる事もしない、コイツらを「人類史上最大級のバカ」として歴史に登録し、未来永劫語り継がれる状態にする、1日も早く日本国内をそういう状態に進歩、進化させなければなりません。洗脳にやられるのはココまで。皆さま目を覚ましましょう…続きを読む→

アナログ絵361

フラーが描けなくなってしまった事が僕の心に深い悲しみとしてのしかかりますが「絶版状態の霊関連書籍復刊」に向けた作業を続行させていく中で書籍表紙の絵を連発で描いています。この調子でガンガン書籍データ、表紙の絵をUPさせていくつもりでいますが、霊団は「復刊できない」みたいな事を言ってきます。

ホントにムカつきますが僕レベルでは作業続行させます。フラーの新規デザイン、フラーのストーリーもそろそろ復活させるかも知れません、特にストーリーは書籍にも使用するモノなので描かないといけません。

では「ベールの彼方の生活3巻」の巻末に掲載しました「復刊者コメント」を再び掲載させて頂きます。考えたくありませんが復刊が実現しなかったとしたらこのテキストは誰の目にも止まらないという事になってしまいますので先行でWordPressにUPさせる、という事です。

復刊者コメント

この3巻は僕の大好きな「暗黒界の探訪」が掲載されている巻となりますが、読み進めていくと霊媒オーエン氏の受信状態の悪さが現れている箇所が散見されて時々不快感が襲ってくる事もあります。

しかしこれは僕も経験がありまして、霊性発現(2012年6月)して以降、果てしなく霊的現象に浴させて頂き、霊団とコミュニケートしながら生活していますが、ハッキリ言ってムカつかされる事がたくさんあるんですよ。

何しろ霊界と物質界とではそもそも次元が違います。高次元のメッセージを低次元の境涯に届けようと思ったら、そこに様々なシチメンドクサイ変調の作業が発生し、それを受け取る物質界の霊媒(つまり僕)はイヤでもストレスのかかる状態にさせられます。

霊界側も仕事ですのでメッセージは届けねばならない、そこで僕が不愉快な状態だと分かっていても多少強引に降らせるべきものは降らせないといけなくて、受け取る僕はカチンとさせられる、そういう事がしょっちゅうあるのです。

ですので、オーエン氏の叙述が読み進めていく中で多少不愉快に思えたとしても、僕から皆さまにお伝えしたい事としましては「霊的仕事って往々にしてそういうものなんですよ、どうかご勘弁を。それより内容に集中しましょう」と言いたいところです。

さぁこの3巻の内容についても語りたい事がいろいろあるのですが、キリがありませんのでコチラ3つに絞らせて頂きます。「5章 生前と死後 2 一牧師の場合(127ページ)」「7章 善悪を超えて 3 苦の哲学(171ページ)」「8章 暗黒界の探訪(187ページ~)」ハイ、この3つについて所見を述べさせて頂きます。

まず「5章 生前と死後 2 一牧師の場合(127ページ)」ですが、物質界で牧師をしていた男がネインという女性の忠告を受けて1界(これはかなりの下層界です)に赴くというお話ですが、皆さまはこのお話を「あぁ、霊的な事を正しく理解していない牧師の没落ストーリーだな」といった感じに読まれる事と思います。

確かにその通りなのですが、どうかもう1レイヤー2レイヤー深いところまでお読み頂きたいのです。このネインという女性はわずか2、3歳で夭折した牧師の妹で、男はこの妹を大変可愛がっていたそうですが、霊格が低いこの男はその成人した姿の女性を自分の可愛がっていた妹だと気づく事ができません。

しかし1界で辛酸を味わい尽くし霊的向上を果たした暁にはこの男の霊の眼が開かれ、ネインが自分の妹だと気づく日が(男の様子からするとそれは相当先の話になりそうですが)来ます。必ず来ます。その時にこの男は「あぁ!あれほど愛した妹の事が分からずにいたなんて、自分は何という愚か者だったのだ!」みたいな感じになって大いに涙を流して反省し、そこからこの男の「向上ストーリー」が一気に加速する事になります。

この男がその心境になる頃にはネイン(妹)はさらにさらに高い境涯に向上しているでしょうから、共に暮らすとかそういう事はできませんが、時折ネインが男(兄)のところに降りてきて励ましの言葉を述べる事はあるでしょう。

それを受けてこの男はそれまでの勇気のない態度をようやく改め、試練に真正面から立ち向かって1歩1歩向上に励むようになる、という霊界上層界の高級霊(この場合は男の守護霊と言うべきかも知れません)が案出した「向上ストーリー」が読み取れませんか?いかがですか皆さま。

そしてこの男は間違いなく物質界に再降下する事になると思いますが、それも「自ら志願して」降下するように仕向けていく高級霊の作戦だと思うのです。【神】が経綸するこの全宇宙には厳然たる目的があり、それは僕などという男が語るのもどうかと思いますが【進化】の一言に尽きると思います。

進歩の遅いこの男のような人間も、永遠に下層界に閉じこもる事はない、いつかは自覚が芽生えて試練に自ら立ち向かうようになる、高級霊の叡智によってそのように「もっていかされている」という事なのです。霊的知識に精通しておられる皆さまにはぜひそこまで“深読み”して頂きたいと思うのです。

続いて「7章 善悪を超えて 3 苦の哲学(171ページ)」ですが、これはアーネル霊(リーダーの名前)が心地よい草原で座って瞑想していて、知らぬうちに草原に咲くお花ちゃんをおケツで潰してしまっていたというお話です。

皆さまはこのお話をきっと何でもなく受け取る事でしょうが、これは僕が現在やらされている苦難の使命遂行とも大いに関係がある深遠な内容なのです。

アーネル霊の守護霊と思われる男性が、その潰されたお花ちゃんが瞬く間に回復して元通りに咲き、自分がどこに座っていたかも分からなくなる、その霊的意味についてサラッとお話して下さっていますが、これは「“苦難”は永遠の人生の中のごく一瞬の出来事に過ぎない、受けた傷もすぐ回復する」という事を言っているのです。

僕は現在霊団によってやらされている使命遂行があまりにも過酷極まりない(というより自分の望まないところに延々閉じ込められている)ために、心の中が完全に霊団に対する怒り憎しみに包まれるに至ってしまっていますが、そんな僕に対して霊団が「ごく短い期間なんだよ」と言ってきた事がありました。(そのインスピレーションをブログで紹介したかな、どうだったかな。何しろ書いている量が尋常ではないので思い出し切れません)

で、霊団はそう言ってきますが僕にとっては“短い期間”なんてとんでもない、まだこの先10何年も最悪のところに閉じ込められるなんて絶対に有り得ない、死んでも脱出してやると思っているのですが、既に肉体を脱ぎ捨て、霊体をまとって永遠の進歩向上の人生を送っている霊界の人間にとっては、物質界での苦難の期間など「あっという間に過ぎ去って忘れてしまうもの」と思っているのでしょう。

おケツで潰されたお花ちゃんが何もなかったようにあっさり咲き直す様子と、アーネル霊がこれから赴く暗黒界で舐めさせられる辛酸は、どちらも苦難の渦中にあってはそうは思えなくても、過ぎ去ってしまえば一瞬の出来事であり、たちまち回復するものなのだ、だから全然気にする必要はないのだ、という事を言っているのでしょう。

これは肉体をまとって物質界人生を送っている状態で悟るのはほぼ不可能な精神的境地ではないかと僕は思うのです。その苦難を突破してまぁまぁの境涯に赴かせてもらって初めて「あぁよかった」という心境になれるのであって、苦しみの真っ最中にあぁよかったとはどうしてもなりません。

もっとも本編ではこのあと「イエス様の顕現」が展開され、僕などという男では説明できない深遠なストーリーとなっていますのでぜひ皆さまなりに意味をお考え頂きたいと思います。お花ちゃんがおケツで潰されてもすぐ咲き直すのと同じ原理で、苦難試練で受けた傷もすぐ回復する、という事ですね。

では最後に「8章 暗黒界の探訪(187ページ~)」のお話をさせて頂きますが、僕はこのストーリーが本当に大好きで、僕はWordPress上でストーリー(マンガ)を描いていますが、この暗黒界の探訪の中で紹介されているこちらのエピソード↓

「アーネル霊が暗黒界の門番(キャプテン)に手を触れて、キャプテンは苦しみ悶えるがアーネル霊は全く何のダメージもない、霊格の差から生じる力学のお話」これを参考にしたストーリーを描いたりもしています(アナログ絵346、347)それくらい気に入っているという事です。

アナログ絵347_2

もうひとつ「7 救出」の中で紹介されていますこちら↓

「地獄の底のボスがアーネル霊率いる霊団をだまして部屋に閉じ込めるが、アーネル霊たちは霊体の波長を上げて自分本来の状態に戻し、ラクラク壁を通過して部屋を出る、振動数の変化のお話」

これが実は僕の霊性発現ごく初期の頃「隔離フィールド内の聖戦」という、どの霊関連書籍にも全く同様の記述がない完全に未知の霊現象に晒されながら、結構長い期間にわたって苦しい生活を余儀なくさせられた事があるのですが、その「隔離フィールド」の原理の元ネタと言えるストーリーなのです。

日本の天皇一族、明仁、文仁、徳仁、悠仁は【強姦殺人魔】です。「死刑」にしましょう(祈)†

この隔離フィールドについては何しろ大昔の事ですので説明は割愛させて頂きます。というのもこの隔離フィールドにはチョトお話できない裏の事情がありまして、その内情はお話しないまま帰幽するつもりでいるのです。申し訳ありません(だったらこの話を持ち出さなければいいだろ、と思ったりもしますが…)

あと最後にひとつ、暗黒界の探訪を読み進めてつくづく思う事として、物質界で富豪になるとか、要職に就いて大金を稼ぐとか、そういう人生を送った人間はほぼ例外なく下層界に落ちるという事です。僕のこれまでのお勉強の経験から推察するに、これには例外はないと思っています。

とはいえ大金を稼いでいる人間の中にも善の人はいるのではないか、稼いだ金を善行に使用している人間もいるのではないか、と言う方もおられる事でしょう。僕も少しそう思います。しかし「イエスの少年時代」の中で少年期のイエス様が叔母のマリア・クローパスに「それはムズカシイ」と話しているシーンがあります。

財産を稼いだ人間はその財産を守る事で頭がイッパイになり、他人に善行を施す事をしない、という事のようですが、僕的にもうひとつ経験から思う事として、財産を稼ぐポジションに就くという事は「他人を虐げるポジションに就く」事を意味し、その稼いだ金で善行を施しても、そもそもその金を得るために多くの人間を虐げているのでそれで帳消しになるのでは、と思ったりもします。

この「暗黒界の探訪」のボスもそういう(慈善家のような)人間だったようです。それがこのザマ。醜さ、愚かさ、幼稚の究極形。これこそ全人類が知るべき霊的知識です。拡散の限りを尽くさねばならないと心底思っています。

【神の因果律】はこの全宇宙を支配する絶対無二の法則です。犠牲と奉仕の人生を送った者には霊的褒章が、私利私欲に走り他人を虐げた者には反省の境涯が寸分の狂いもなく与えられるのです。物質界の法律は不完全であり幾度となく改正されますが、神の因果律は完璧であり間違いという事が絶対にありません。

その完璧な神の法則に従って生きる方が帰幽後の自分の人生を明るいモノにする事ができるのは至極当然、人生のプライオリティを間違わないために霊的知識のお勉強、理解が必須なのです。ですので霊関連書籍の復刊は意味があると自分に言い聞かせて苦しい作業を続行しているのです(祈)†

2024年3月1日
山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(祈)†

たきざわ彰人ブログ(2024年3月時点で1250日以上連続更新中)
akito-takizawa.com/

※オマケ – ハイ、今回は「ヨハネ氏」を表紙に描かせて頂きました。僕はイエス様の顕現には多数浴させて頂いていますが、ヨハネ氏の顕現にも数回浴させて頂いているのです。が、僕はヨハネ氏がどういうお顔の方であったのか全く知りません。

で、ググってダ・ヴィンチ先生(レオナルド、ダヴィンチ氏)が描かれたヨハネ氏の肖像画を見て、それを参考にして僕の画風でキャラキャラした感じのヨハネ氏を描いたのです。するとその後、トランス時にあるリアルなお顔の顕現があり、それが誰だか分からずにしばらく考えていたのですが「あ!僕が描いたヨハネ氏の顔に似てる!」と分かった、という事がありました。これがヨハネ氏の最初の顕現でした。

つまり僕に見せてきたそのお顔はヨハネ氏本来のお顔ではなく、僕に「自分がヨハネ」である事を分からせるためにわざと僕が描いた絵に似せて顕現した、という事だったのです。それ以来ずっとその顕現の際のヨハネ氏を思い出して描き続けているのです。それがヨハネ氏ご本人とは似つかなくても、他に描きようがないためそのようにしているのです。

そのヨハネ氏がなぜ僕に何度も顕現して下さっているのか、その「意味」が光栄至極であり、反逆の限りを尽くしている僕にはその資格が全くないと思っているのですが、ヨハネ氏と言えば「イエス様の一番弟子」でありイエス様にもっとも愛された弟子です。

つまり「イエス様の怒涛の連続顕現」を受けて(泣く泣くとはいえ)イエス様のご意志を遂行する人生を選び「イエス様ハンドリング」と称して霊的使命遂行を開始した僕が「イエス様に喜んで頂けている」という意味を込めた「ヨハネ氏の顕現」だったのです。(※初期の頃、イエス様に「友よ」と言われた事もありました)これは物質界に籍を置く人間にとって光栄の究極形と言えるのではないでしょうか。

ただし、それは霊性発現初期の頃のお話です。現在の僕は霊団に対して本気で怒り憎しみの感情を抱いており、人生の全てをかけて反逆していますので、現在はイエス様にお喜び頂いているという事は100%ないと断言していいでしょう。

しかしお喜び頂けていないとしても、怒涛の連続顕現でイエス様と交わした「男と男の鉄の約束」がありますので、導きの方向性に究極にムカつかされていても使命遂行だけはやりきるつもりでいるのです。

現在怒涛におこなっている「絶版状態の霊関連書籍の復刊」の作業も、イエス様と交わした約束を果たし切る作業の一環(霊的知識普及)という事になります。

僕としては「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出はどうなっちゃったんだよと言いたいのですが、そちらはもう全くやる気がないようなのです。だったら僕の11年およびDreamwork(画家の人生)を返してくれと本気で言いたいのですが、とにかく僕は殺されるのでそっちに行かせないようにしているという事のようなのです。

最悪、ホントに最悪。人生をブチ壊されるだけブチ壊されて全く物的肉眼に映じる結果に到達していません。あげくの果てにイヤでイヤでどうしようもないところに延々閉じ込められている。これでムカつくなという方がムリな話なのです。っとと、グチはここまでにしましょう。イヤ、グチではなくて真実ですけどね(祈)†


復刊者 山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(アキト)

元画家、漫画家。果てしない山へのアタックおよび高負荷の画家作品描画によって霊性発現となりました(2012年6月)イエス様の怒涛の連続顕現(2013年4月)に浴させて頂き、イエス様のご意志に従い霊的知識普及の使命遂行中です。イエス様ハンドリング(霊の導きに従う)により「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の存在を公言し続け、休みなく情報拡散を続けて現在に至る(祈)†

テキストさえそろっていれば、それをAffinityPublisherに流し込んで書籍のカタチに作り込んでいく作業はだいぶ早くできるようになりましたが、問題は「精度」で、今回の3巻には複数の(ごく小さいちょっとした事といえばそれまでかも知れませんが)データ上のミスがあります。しかしそこさえ直せば復刊本番用データとして申し分ないでしょう。

しかし、僕は何が何でも復刊を実現させるつもりでこのように怒涛の作業をしてますが、霊団は「作れない」つまり復刊は実現しない、と意味を受け取れる事を言ってきます。霊的知識普及の一環として復刊を実現させようとしてるのにそれを支援しないって…一体あんたたちの仕事は何だというのか。

ベールの彼方の生活4巻の表紙の線画完成中スキャン完了中、これからAffinityPhoto上でゴミ取りに入ります。霊団は心のかけらもない事を平然と言ってきやがるけど僕は1歩も止まるつもりはない。とにかく霊団のやってくる事言ってくる事、どれもこれも首をかしげる事ばかり。

やるべき作業は一生かかってもやりきれないほどある。が、霊団が言うには僕は間もなく帰幽だそうだからもう時間がない事になる。だとしても最後の1秒まで全力を出し切るぞ。今できる事を全部やるんだ(祈)†

■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†
永遠の安寧が存在する光り輝く上層界で生活していればいいものを、なぜわざわざ物質界に向けて犠牲の降下をしなければならないのですか。それは「愛」の一言に尽きるのではないでしょうか。他でもない【神】の意図が「進化」にあり、神の子等である僕たちを高揚し向上させる事が宇宙の仕事といっても過言ではない、僕はそのようにお勉強しています。その愛に背を向けて霊的な事を軽んじて生きるもよし、霊的知識を獲得してすみやかに進歩向上するもよし、それは当人の自由ですが、いま自分が生命活動をおこなう事ができているのは霊の賦活作用のおかげだという基本中の基本さえ理解せず、自分の生命および存在の根源について全くの無知で生きるというのは到底賢い人間のする事とは言えません。自分の生命の根源を愚弄するなら霊なしで1秒でも生きてみろ、肉体のみで1秒でも生きてみろ、と言いたいです。物質とは腐食性のモノであり、それ自体に存在はありません。霊によって形態を維持されているだけであって、霊が離れればたちまち崩壊、腐食して地球を構成する成分に帰っていきます。その腐食物が自分の本体だと信じて疑わないのであれば、あなたはその肉体と一緒に腐って土に返って下さい。肉体は腐ったが最後、2度と元のカタチには戻りません。しかし自分の本体が霊だと理解しておられる方は、帰幽後、永遠の若さを保つ霊体をまとって速やかに霊界生活に順応できるでしょう。これら霊的知識を理解する重要性に比べれば、インペレーター霊がモーゼス氏を介して語った年月が最近だろうが昔だろうが、それに何の意味があるというのでしょう…続きを読む→
■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†
ご母堂の言葉で僕が特に気に入っているのは「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」(29ページ)という部分で、僕は霊性発現とともに使命遂行人生に突入させられ、人生を完全に破壊されて最悪の状態に閉じ込められ続けている関係で霊団を心の底から激しく憎んでおり、本当の本気で反逆しまくっていますが、その破壊された人生も「その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になる」の言葉のように、最終的には全て佳きようにおさまるのでしょう。使命遂行を最後までやり切れば、の話ですが。あともうひとつ、ご母堂の言葉で僕の胸に突き刺さるものとして「確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出る事を可能にします。」(72ページ)というものもあります。これはオーエン氏が教会長老から弾圧を受けて弱気になっていた事を受けて「勇気をもってこの使命に邁進(まいしん)しなさい」と、言わば母が息子の“おケツをひっぱたいた”という事だと思うのですが、イヤー僕もこういう母に恵まれたかったですね。っとと、僕には“真実の母”守護霊様がいましたね。僕の性格は守護霊様のデザインであり、現在このような使命遂行人生が送れるのも(苦しい事イヤな事ばかりで全然うれしくも何ともありませんが)守護霊様が“導きのプロ”だったおかげです…続きを読む→
■アナログ絵360「ベールの彼方の生活2巻」復刊書籍表紙UP。どうしても復刊できない(祈)†■2024年2月14日UP■
■アナログ絵360「ベールの彼方の生活2巻」復刊書籍表紙UP。どうしても復刊できない(祈)†
「ヨーロッパの妖精物語と東洋の魔法の物語」こちらは現代の人間にも広く知られているモチーフですよね。RPGゲーム等でよくみられる「剣と魔法のファンタジー」の世界観です。ファイ〇ルファン〇ジー等で多くの方がこのモチーフに親しんでいますが、この世界観も元はといえば過去の霊能者が見せてきた霊現象が元ネタなのだそうです。その霊能者の最大の人物がもちろん聖書に登場するイエス様、という事になります。RPGゲーム等で遊んでいる方がたくさんいらっしゃる事と思いますが、その時に頭のホンのかたすみにでも「あぁ、この剣と魔法の世界観は霊現象が元ネタなんだよなぁ」と思い出してもらえると、そして少しでも霊的なモノに興味を持ってもらえると僕的にはうれしいのですがどうでしょう。もっとも、歪められ具合がタダ事ではありません、長い世紀にわたって霊的な事を理解していない人間たちの手によって実際の霊的事象とは似ても似つかない物的商売臭の漂う世界観に完全に書き換えられてしまっており、もはや全く別物と言った方がいいのでしょう。「人間は本来が霊であり肉体はタダの衣服に過ぎない」という霊的真理などは完全に抜け落ちて形骸すら残っていません。だからこそ絶版状態の霊関連書籍の復刊が急務だと僕は思っているのですが……続きを読む→

1913年11月19日 水曜日

そういう次第であるから、私が語る言葉は多くの者にとって受け入れ難いものであろう。が、このことだけは知っておいてほしい。キリストの祭日には東からも西からも大勢の信者がキリストの神性の真相を知らぬまま参列する。

が、その人間的優しさと愛ゆえにキリストに愛を捧げる。少なくともそこまでは理解できるからである。が、その神性の本質を理解する者は1人としていない。そこでこれより話題を変えて、まず肉体に宿る人間がキリストによって示された向上の道を歩む上において心すべきことを取り挙げてみよう。

何よりもまず人間は“愛する”ことが出来なければならない。これが第一に心がけるべきことであり、また最大のものである。難かしいのはこれを持続することである。互いに愛し合うべきであると言えば、誰しもその通りであると言う。

が、これを行為で示す段階に至ると、悲しいかな、能書き通りには行かない。しかし、愛なくしてはこの宇宙は存続し得ず、崩壊と破滅の道を歩むであろう。宇宙が今あるべき姿に保ち続けているのは神の愛あればこそである。その愛は、求める者ならば至るところに見出すことが出来る。

物事を理解する最上の方法はその対照を求めることである。愛の対照は崩壊である。なぜなら、崩壊は愛の行使の停止から生じるからである。憎しみも愛の対照である。もっとも、本質的には対立したものではない。憎しみは往々にして愛の表現を誤ったものに過ぎないからである。

人間についていえることはそのまま教義や動機についても言える。他の主義・主張を嫌うその反動で1つの主義に傾倒するという者が数多くいるものである。愚かしくもあり誤ってもいるが、必ずしも悪とは言えない。

が、人間は他を憎む時、憎むが故に愛することが出来ないことになり、ついには何ものをも愛することが出来ないことになることを知らねばならない。これが実はこちらの世界での面倒を増幅するタネの1つなのである。

と申すのは、誰しも憎まずして全てを愛することが出来るようにならぬかぎり、愛がすなわち光を意味するこの世界においての進歩は望めず、愛することを知らぬ者は暗き世界において道を見失い、その多くが身も魂も精気を失くし、ついには真理の鑑識力までが外界と同じくもうろうとしてくるのである。

一方には1つ1つの石材までが光輝を放つ“天界の住処(すみか)”が無数に存在し、あたり一円、はるか遠き彼方まで光を放っている。その光はそこに住む者の愛の純粋さが生み出すのである。

– そうした住居と、そこに住む人々について具体的にお教えねがえませんか。その方が一般的な叙述より判り易いと思うのですが。

それは容易なことではない。その困難さはいずれこちらへ来れば判る。たとえ要求に応じても、貴殿が得るものは結果的には真実からずれる – 少なくとも不適切なものになる。そのこともいずれ理解が行くことと思う。

が、たっての要求とあらば、何とか説明してみよう。何か特別に叙述してほしいことがあれば申すがよい。

– では、あなたご自身の住いから。

第10界においては低級界に存在しない事情、とくに地上ではまったく見られぬ事情がある。たとえ貴殿をその10界まで案内したところで、貴殿の目には何も映らぬであろう。霊的状態がその界の状態にそぐわないからである。せいぜい見えるのはモヤの如き光 – それもその界のどの地域であるかによって程度が異る。

9界そして8界と下ればより多くのものが見えるであろうが、やはり全ては見られない。しかも、目に映したものをすみずみまで理解することは出来ないであろう。

かりに1匹の魚を水を盛ったガラスの器に入れて町中を案内したとしよう。その魚には、まず第一にどれだけのものが見え、第二にそれがどれだけ理解できるであろうか。思うに、魚にはその住処 – 水つまり魚本来の環境からせいぜい2、3インチ先しか見えないであろう。

貴殿の顔を魚に見える位置に持って行き、次に手を見せてやるがよい。魚にはその2つの物がどう映るであろうか。人間が吾らの界へ来た時もそれと同じである。内在する霊的能力を活性化し、楽に使用できるようになるには、ただ“鍛錬”あるのみである。

さて、話をさらに進めて、たとえばその魚にウエストミンスター寺院を説明するとなったらどうするか。村の教会でもよい。それを魚の言語で説明しなければならない。その話を聞いた魚が貴殿の言うことが不合理であると言ったところで、それは魚の能力の限界のために貴殿の思うに任せぬからに過ぎない。

もし村の教会やウエストミンスター寺院のようなものがあるわけがないと魚が言ったところで、それは貴殿の説明がまずいのではなく、魚の方の理解力に原因があることをどうすれば納得させることが出来るであろうか。

が、たつての要望であれば、これより私の住居、私の寛ぎの場について出来るだけの説明を試みてみよう。が、終わってみれば多分貴殿はもっと何とかならなかったものかと思うであろうし、いっそのこと何も語らずにいた方が良かったということになるかも知れない。

吾らが住居を建立している国は数多くの区域にまたがっており、それぞれの区域からはその特質を示す無数の色彩が発散され、それが私と共に住む者たちの霊性とほぼ完全に一致している。

それらの色彩のほとんどは貴殿の知らぬものばかりであるが、地上の色彩も全て含まれており、それが無限と言えるほどの組み合せと色調をもっている。吾らが携わるその時その時の仕事によって調和の仕方が異り、それが大気に反映する。

また吾らの界へ届けられるさまざまな思念と願望に対してもその住居が反応を示す。それには下層界からの祈りの念もあれば上層界からの援助の念もあり、その最下層に地上界が存在する。

音楽も放送される。必ずしも口を使うとは限らない。大ていは心から直接的に放送し、それ近隣の家々に反響する。これも吾らによる活性化の一端である。周囲の樹木、花等の全ての植物もその影響を受け、反応を示す。かくて色彩と音楽という本来生命のない存在が吾らの生命力を受けて意識に反響することになる。
家屋の形は4角である。が、壁は4つだけではなく、また壁と壁とが向き合っているのでもない。すべてが融合し、また内と外とが壁を通して混り合っている。壁は保護のためにあるのではなく、他に数々の目的がある。

その1つはバイブレーションの統一のため、つまり吾らの援助を必要とし又その要請のあった地域へ意念を集中する時に役立てる。かくて吾々は地上からの祈りにも応えて意念を地上へ送り、他のもろもろの手段を講じて援助を授けることになる。

同じく上層界からの意念が吾々の界へ届けられ、それが吾々の家屋をはじめとして他に用意した幾つかの作用によって吾々の感覚に反応するものに変えられ、それを手段として高級神霊との連絡を取り、吾々を悩ませる問題についての指導を受けることもある。

更には、反対に下層界から使命を帯びて吾々の界へ訪れる者にこの界の環境条件に慣れさせ、滞在中の難儀を軽減するために霊力を特別に授ける時にも、この家屋を使用する。また吾々と話を交わし、吾々の姿を見せ、声を聞くことが出来るようにしてあげるのにも、その家屋に具わっている作用が活用される。それなくしては彼らは使命が全う出来ないのである。

私の家を外部より眺めた様子を、地上に近い界の1住民による叙述によって紹介しよう。彼は私の家を見た時に“隠し得ぬ光に包まれし丘上の都”(マタイ5・14)という言葉を思い出したという。

見た時の位置は遥か遠くであったが、その光に思わず立ち止まり地面へ降下した。(そこまで空中を飛行していたのである)そこで暫し彼は目を覆った。それから徐々に遠くに輝くその建物が見えるようになったのであった。

例の塔(第1巻参照)も見えたが、その青い光があまりに強烈で、どこまで光輝が届いているか見分けがつかなかったという。天上へ向けて限りなく伸びているかに思えたのである。それから例のドームも – 赤色のもあれば黄金色のもある – その光輝があまりに眩しく、どこで終わっているのか、その全体の規模を見ることが出来なかった。

門も外壁も同じく銀色、青、赤、すみれ色に映え、眩(まばゆ)いばかりの光で丘全体と周囲の森を覆いつくし、それを見た彼は、そこへいかにして入りそして無事その光に焼き尽くされずに戻れるだろうかと思ったとのことであった。

が、吾らにはすでにその者の姿が見えていた。そこで使いの者を派遣して然るべき処置を施させたのであった。無事使命を終えて吾らに別れの挨拶をしに見えたとき彼はこう述べた。

「今お別れするに当たって私の心に1つの考えがつきまとっています。それは、私が戻れば仲間の者から私が訪れた都はいかなるところであったかと聞かれることでしょうが、一たん自分の本来の界層に帰り、再び元の限りある能力での生活に戻ったとき、この光栄をどう語ればよかろうかということでございます。」

私は答えた。「これ以後、あなたは2度と曽てのあなたに戻ることはないでしょう。何となればあなたの中にこの界の光と感受性とがいくらかでも残るはずだからです。あなたの記憶に残るものは仲間に告げるものより遥かに大きいことでしょう。

なぜなら、たとえ告げても理解してもらえないでしょうし、告げようとすればこの界の言語を使用せざるを得ないからです。それ故あなたは彼らにこう告げられるがよろしい – より一層の向上に鋭意努力することです。そうすれば自ら訪れて、語ってもらえないものを自ら見ることが出来るでしょう、と。」

聞き終ると、彼は大いなる喜びのうちにこの界をあとにした。同じことがいずれ貴殿の身の上にも訪れる日が来るであろう。彼に告げた最後の言葉をここで貴殿にも与えることにしよう。†

「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†■2024年1月3日UP■
「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†
「霊的知識普及のための客寄せパンダ」というもので、霊団は試練の境涯である物質界から苦難の元凶(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁)を取り除く事はしない。取り除いてしまったら物質界の存在意義(刑務所としての機能)が果たせなくなってしまうので邪悪は残し続けるが、霊的知識拡散のための「客寄せパンダ」としてこの強姦殺人魔どもを最大活用した、という事なのではないか。さらに言うと「神の因果律」の一環として、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらに徹底的に恥をかかせるという目的も含まれていたのではないかと僕は思っているのです。僕はこのバカヤロウどもはインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」でイイと思っていますが霊界上層界の方々はそうは思っていなくて、何とかコイツらに反省させて進歩向上の糸口をつかませようとしているのかも知れない、それで大恥をかかせて心変わりをさせようとしているのかも知れない、なんて思ってみたりもするのです。そんなムダな努力する必要ネィだろ、コイツら(明仁、文仁、徳仁、悠仁)は絶対反省なんかできネィよ、人間失格なんだよ、霊の海に埋没して存在消滅すればイイんだよ(地獄より下という事)と僕は思うのですが上層界の方々は憐れみをもって眺めますのでそういう視点なのかも知れない…続きを読む→
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†■2023年12月27日UP■
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†
霊的知識を獲得した人は、宜しくないおこないをして帰幽した先にどれだけの地獄が待ち受けているかを知っているので自動的に悪行にブレーキがかかるのです。シルバーバーチ霊も仰っていますように、邪悪な人間というのは霊的成長における「幼児」であり、霊的知識が全く頭に入っていないワガママのお子ちゃまであり、物的金銭を人より多く所有する事でしか自己表現ができない原初的人間という事になるのです。金銭など帰幽後、1円も霊界に持って行けません。そして霊界生活にお金など必要ありません。必要なものは全て思念で拵える事ができます。物質界生活中にお金をため込んでも自分の未来にとって全く無意味という事を悟れていない人間という事なのです。人間は本来が霊であり、その霊が修行のために一時的にトレーニングセンターである物質界に肉体という鈍重な衣服をまとって降下しているのであり、そのトレーニングセンターでのおこないが帰幽後の生活環境、霊界にて赴く境涯を高くしたり低くしたりするという霊的知識の基本中の基本さえ知らない人間が、その無知から邪悪なおこないをするのです…続きを読む→
「地上とのつながりがすでに無くなっていた」これは僕への最大級の脅し文句です(祈)†■2023年12月20日UP■
「地上とのつながりがすでに無くなっていた」これは僕への最大級の脅し文句です(祈)†
僕の予測ですが(これが正解だと思ってます、最悪の正解ですが)霊界側はもう何もしない、このまま僕を閉じ込め続ける事だけを考えている、交霊会も実は全然やる気がないのではないか、という気さえしています。事実全然やってないじゃないですか。インスピレーションだけを徹底的に降らせて、あとは僕にテキスト撃たせて拡散させる、それが霊界側としてはいちばんカンタン、ラク、消費パワーが少なくて済む、物質圏付近に降下する犠牲的作業をせずに済む、その霊界側にとって犠牲の少ない方法(インスピレーションのテキスト化)で十分に成果を上げているので、それで霊団は「ラクだから大好き大好き♪」とムカつく事を言ってくるのではないか、などと思ったりもするのです。霊界高級霊の方々が犠牲的降下をせずにインスピレーションという霊にとってのごく自然かつ通常の通信方法で仕事をおこなえる僕という「霊の道具」をできるだけ長く物質界に閉じ込めておケツひっぱたいてこき使うつもり、これが霊団側の真相なのではないか…続きを読む→