※このブログは、スピリチュアリズム普及会の方々にサークルメンバーのお誘いをかけた手紙の内容をそのまま紹介したものです。途中いくつか伏せ字がありますが手紙では伏せ字なしで全て記載しています。これが交霊会開催に向けて僕が切る、正真正銘の最後のカードであり、このカードが普及会の方々の心に届かなければ、僕の帰幽が決定し、僕はようやく地上から離れる事ができる、という事になります。では普及会以外の方もご覧下さい↓
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スピリチュアリズム普及会の皆様へ
普及会の皆様、はじめまして。
僕は元画家、山を愛する霊覚者の、たきざわ彰人(あきと)と申します。
普及会の中のどなたかが僕のブログ、ツイッターを見て下さっている事、その方が僕の現在の霊的状況をある程度理解して下さっている事を願ってやみません。今回、普及会の方々にぜひお力をお借りしたくこのようなテキストを撃たせて頂いたのですが、どこからどう説明してよいのやら悩みます。えー、まずは僕のツイッターのプロフィールのテキストをここに転載させて頂きます↓
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元画家、山を愛する霊覚者です。果てしない山へのアタック及び高負荷の作品描画によって霊性発現となりました。イエス様の怒涛の連続顕現に浴させて頂き、イエス様のご意志に従い霊的知識普及の使命を遂行してきました。僕という通路から現代の地上にもう少しで新たな霊言が降るところでしたが、残念ながら霊媒発動とはなりませんでした(祈)
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はい。僕の現在の状況を簡単に説明すると上記の通りなのですが、シルバーバーチ等の書籍の内容を果てしなくWeb上に掲載し続けておられる普及会の方々なら、きっと僕の“依頼”の意味を正しく理解して下さると信じ、単刀直入に言わせて頂きます。
僕の背後霊団は、僕の口と手を使って、音声とテキストの2種類の新時代の霊言を日本に降らせる準備がすっかり整っています。僕も“霊の道具(霊媒)”として霊団の方々に使われる準備がすっかり整っています。あとは“サークルメンバー”さえ集まれば、かのシルバーバーチ霊の時のように“交霊会”を開催する事ができ、僕という通路から最新の、いわば“次世代のシルバーバーチの霊訓”とも言える内容の霊言が日本語で降ってくるのです。普及会の方々には、その“サークルメンバー”になって頂けないでしょうか?という僕からのお願いなのです。
これまで僕は可能性のある様々な方々にサークルメンバーへのお誘いをかけてきましたが、ことごとく、ことごとく断られ、背を向けられ、無視され、時には非難、侮蔑を浴び、さらには幽体離脱中にあらぬ方向に誘われる…なんて事もありました。このままでは霊団側の準備が整っているにもかかわらず、その準備が無に帰してしまう事になります。普及会の方々にはどうか、どうか、この日本にとっての最大級の“霊的ビッグチャンス”を無駄にする事のないよう、ぜひとも交霊会のサークルメンバーとしてご参加頂き、僕を助けるのではなく、イエス様をはじめとした霊界の方々の悲願を達成する手助けをして頂きたいと思うのです。
では詳細説明の前に、この「交霊会開催外略図」をご覧下さい。
交霊会開催外略図
はい。まず、何をどう説明しても信じてはもらえないでしょうが、現在、かのシルバーバーチ霊の霊媒、英国紳士のモーリス・バーバネル氏が僕の支配霊として付いて下さっています。書籍で紹介されている老齢のバーバネル氏のお顔ではなく、現在の霊界でのキリッとした若々しいお顔をインスピレーションにて拝させて頂いています。
そのバーバネル氏が、かつてシルバーバーチ霊が座っていた“霊界の霊媒”のポジションにつき、僕と融合して僕の口を使って霊言を語られますが、普及会の方々ももちろんご存知の通り、語って下さるのはバーバネル氏ですが、語られる内容はバーバネル氏のものではありません。その、バーバネル氏を使って語る高級霊の方々の中に、イエス様もおられる、そしてもしかしたらイエス様が僕たち日本人に直接日本語で語りかけて下さるかも知れない、と僕は予測しています。
そして僕の手は、バーバネル氏とはまた別の霊の方がエーテル質の青い光線を駆使して僕の指を操り、超高速でキーボードを撃つ事になります。その方がどなたであるか、現時点で詳細なメッセージは受取っていませんが、いつかインスピレーションにてお会いできる日も来る事でしょう。
僕がどのように霊性発現し、画家のはずの僕がなぜこうして“霊の道具”として仕事をする事になったのか…それについてはここでの詳細説明は控えさせて頂きます。いつかお暇な時間ができましたら僕のブログを読んで頂ければそれで十分と思いますし、今回の“お誘い”が脇道にそれてしまいますので。
普及会の皆様はこれまで骨身を削ってスピリチュアリズム普及のために日々精進の限りを尽してこられた方々であり、僕などという宗教的活動と全く無縁なデザインの世界で暮してきた画家がとても意見など言えるはずもないのですが、この交霊会を可能な限り“毎週”続ける事で、過去のスピリチュアリズム勃興の時以来の膨大な量の霊言を地上(日本)にもたらす事ができる、という霊的現実をどうか正しく理解して頂きたいと思うのです。
手で撃たれたテキストは、交霊会が終了して僕がトランスから回復したと同時にテキストファイル(.txt)として保存しますし、録音された音声も、同時にMP3ファイルとして保存します。過去のスピリチュアリズム勃興の時と違い、2種類の全く趣の異なる霊言が僕というたったひとつの小さな通路からもたらされ、即座にデジタルデータとして保存されるのです。
そして、この僕という通路からもたらされたふたつの霊言は僕のものではありません。僕はこのふたつのデジタル霊言データの元データ(降ってきたまま、一切加工していないテキストおよび音声ファイル)を全て普及会の皆様に提供致します。普及会の方々と僕の双方で元データを保有し、できるだけ多くの日本の方々に広めるべく僕もブログにUPしますし、普及会の皆様にも自由にお使い頂きたいと思うのです。
そして僕という通路から降ってきた新時代の霊言を見た、聞いた方々が、それぞれに自由意志を行使してさらに別方向に広めたり、あるいは各国語に翻訳して海外に紹介したり、さらには音声の霊言をテキスト起こしして下さる方も現れるかも知れません。中には良からぬ方向に利用する輩も現れるかも知れませんが、それも全て因果律に委ね、自己責任において広められるだけ広めるべきでは、と僕は考えています。そういう意味も込めて、全ての元データを普及会の皆様にお渡し致します。
そしてもうひとつ具体的なお話ですが、交霊会開催の場所として僕は過去ブログにて「横浜(関内)にあるレンタルスペース」を利用すると書いていますが、もし普及会の皆様がサークルメンバーになって頂けるという事であれば、皆様に横浜まで毎週ご足労させる訳にはいきませんので、僕が毎週そちら(○○県)の方に通わせて頂く事も考えています。
先ほど計算をしましたら、毎週高速道路で普及会の皆様のところに通うと、ギリギリの生活をしている僕にはかなり厳しい交通費の数字がはじき出されてしまいましたが、神のご意思を地上にもたらす霊媒の仕事をするために通う訳ですから、シルバーバーチ霊もおっしゃっているように、きっと物的必需品は何とかなる、という霊界の導きを信じて通い続けるしかないのでしょうね。。。
さらに交霊会の開催の曜日、時間についてですが、僕の希望としては一応「毎週○○○の○○○:○○開催」を希望していますが、この件については普及会の皆様がサークルメンバーになる事を承諾して下さったのちに改めてお話させて頂こうと思います。曜日の変更は対応可能ですが、できれば開催時間は○○○を希望しています。
えー、語りたい事はまだまだ山のようにあるのですが、詳しくは僕のブログ、ツイッターをご覧頂くとして、まずは普及会の方々に、僕を霊媒とした交霊会のサークルメンバーになって頂きたくこのような内容を書かせて頂きました。サークルメンバーが集まらない事には一歩も前に進めないのです。そして僕は2012年12月16日をもって帰幽完了していたはずの男であり、霊的知識普及の使命遂行のために地上に引き止められている身なのです。サークルメンバーが集まらず、交霊会が開催されなければ、いよいよ僕の帰幽が実行に移され、僕は地上を去る事になってしまいます。
それでは日本に最新の霊言がもたらされるチャンスが無に帰してしまう事になります。普及会の皆様。乱筆で大変申し訳ありませんが、どうか、どうか、僕からのお願い、日本の霊的未来、ひいては世界の霊的未来のために、サークルメンバーとなる事を真剣味をもってご一考頂きたいと思います。これが僕が切る最後のカードです。もうこれ以上サークルメンバーを集めるアイデアはありません。このカードが皆様の心に届かなければ、僕の地上での使命は終了します。
では、普及会の皆様、僕のブログにコメントという形でも、僕のツイッターのアカウント(@Akito_Takizawa)にダイレクトメッセージという形でも、下記のメールアドレスに返信という形でも、どういう形でも構いませんのでご返事を頂けたらと思います。宜しく御願い致します。
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たきざわ彰人
○○○○○○@○○○
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※…はい。という内容の手紙を普及会の方々に向けて送付しました。交霊会開催か、それとも帰幽か。この最後のカード、結果やいかに…(祈)

背後霊団側の準備はすっかり整い、僕の準備もだいたい整い、あとは外的要因“サークルメンバー”さえ集まれば即!霊媒現象発動!というところまで迫っている状況の中、全く使いものにならない実母、長男を排除した形で何とかメンバーを集められないかと、チカラの限りあの手この手を尽してきました。しかし最終的にはメンバーになる事を立候補してくれた“たいじゅさん”ただひとりの参加、という事になってしまい、やむなく僕はたいじゅさんと2人で交霊会を“強行開催”する事を心に決めたのでした。
この“たいじゅさんと2人で強行開催する”事を心に決めた時期は、交霊会開催ちょうど1週間前だったのですが、この決断以降に霊団から降ってきた“メッセージ”が明らかに今までとは違う様相を呈していたのでした。今まで、この重大極まる使命遂行に関わる、いわば“重い”メッセージがたくさん降ってきていたのに、この決断以降に降ってきた幽体離脱およびインスピレーションによるメッセージは、特にこれと言ってメッセージ性のない、使命の重大性とあまりに不釣合な“軽い”ものばかりになっていったのです。僕は不思議で仕方ありませんでした。
「なぜなんだ?これから重大極まる交霊会が始まるというのに、この“肩すかし”みたいなメッセージの群れは一体何なんだ?」僕は何度も首を傾げるのでした。そして、この“軽い”メッセージの象徴ともいえるのが、津波で帰幽したと思われる女の子「野川萌ちゃん」との幽体離脱での出会いだと思います。萌ちゃんには申し訳ないのですが、萌ちゃんは僕の霊的使命と何の関係もない女の子です。その萌ちゃんとの出会いがなぜこんな重大極まるタイミングで演出されたのか?まずはその時の内容のツイートをご覧下さい↓
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もう交霊会の準備に際して霊団から“ああしなさい”的なメッセージは一切降って来ません。霊団も僕も準備完了、といった所でしょうか。今日の幽体離脱もメッセージ性は一切無かったのですが大勢の人々と出会いました。その中で「野川萌ちゃん」というショートヘアで細身の女の子と随分長い時間→
→行動を共にしてました。どうやらその女の子は津波で他界したようで、津波に関わるイメージを沢山見ました。そして萌ちゃんは歌とダンスが大好きで、僕と一緒に歩きながらほんわかな歌を口ずさむのでした。景色の話になり、僕が遠くの山を指して「ホラ、アレだよ」と言うのですが萌ちゃんには→
→遠くの山は見えず手前の山しか見えてなかったようです「ベールの彼方の生活」に似たシーンが紹介されてますので読んで頂きたいです。そして幽体離脱から帰還後、トランスを維持してると「すっごく幸せ」と言う女の子の声が霊聴に響きました。萌ちゃんの声かな?こちらこそ嬉しかったです(祈)
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萌ちゃんは小学校高学年くらいの女の子でした。僕と行動を共にしている間、終始楽しそうで、僕もそんな萌ちゃんの様子を見て嬉しい気持に浸るのでした。津波の水が追いかけてきて一緒に逃げる、そんなシーンもありましたが決して恐怖感や緊迫感はなく、萌ちゃんが霊界での生活の中で既に津波の恐怖を克服している事が理解できたのでした。ちなみに、萌ちゃんの外見は…過去ブログ「僕の心を最高に揺り動かした女性」にて紹介した“アイさん”に似てると言えば似てました(照)
で、この萌ちゃんとの出会いを受けて僕が辿り着いた“予測”はこうです。つまり、僕が1週間前に“たいじゅさんと2人でやる”と決断した瞬間に失敗は決定していた、霊団側には「このメンバー数では霊媒現象は発動できない」という事が1週間前の時点で分っていた、という事なのです。もう失敗する事が分っているから、霊団側としては特に僕に向けて発信するメッセージはない、しかし開催までまだ1週間も時間が残ってるので、いわば“穴埋め”みたいな感じで特に意味のないメッセージが沢山降って来た…と。
そして萌ちゃんがとても僕に会いたがっていたので“まぁ、じゃあ時間が余ってるので、会わせてあげようか…”みたいな感じで霊団主導で僕と萌ちゃんの幽体離脱での出会いが“おまけ”みたいな形で実行され、萌ちゃんは突然に願いが叶ってものすごく喜んでくれた…という事だと思われるのです。萌ちゃんにあんなに喜んでもらえたのは僕としてもとても光栄だったのですが、このメッセージはまさに“交霊会の失敗”を予見させるものだったのだと、1回目の交霊会が失敗した以降に理解したのでした。
次男の帰幽を受け「今こそ絶好機」とばかりに実母、長男にプレゼントした「シルバーバーチの霊訓」も全く功を奏さず、僕が実母、長男を何とか交霊会に参加させようと2度にわたって行った“封書攻撃”も全く功を奏さず、このままでは次男が命がけで作ってくれた、実母、長男が霊的知識に目を開く地上生活最大級のビッグチャンスが無駄になってしまうと、僕は日々悶々としていました。そんな中、上記の“1週間前”よりさらに前のタイミングですが、実母に関わるこんな“とてつもない”メッセージまで受取ったのでした。こちらをご覧下さい↓
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今日の幽体離脱、かなり長い時間、次男と過してました。それ以外にもあらゆる場所に赴き、3~4日くらい過したかのような感覚です。完全に地上的時間を超越してます。で、最後に赴いた場所で何と“巨大イモムシ”との出会いがあったのです。体長1m、胴回り13cmくらいで足が沢山あります→
→正直デカくてキモくてグロいので僕はイヤだったのですがイモムシは僕と距離を縮めてみたり、また距離をとったりして僕の様子を伺ってるのです。そしてついに寝そべってる僕の右腕に這い登って来てピタリと動きを止めたのです。まるで僕の右腕が木の枝であるかのように。僕はどうしたものかと→
→困ってたのですが、よく見ると噛む訳でも悪さする訳でもなく、おとなしくじっとしているのです。それで少し僕の心が変化して「もうそんなにイヤじゃないよ」とイモムシに向けて思念を送ったのです。と次の瞬間!イモムシが寝ている僕の腕から胸まで這ってきて胸の上でものすごいスピードで→
→ピョンピョン跳ねてクルクル横回転してラッパの多重奏のような喜びの声を上げたのです!目の前で喜び跳ねる巨大イモムシの映像はまさに強烈でした!そして幽体離脱から帰還しトランスを維持していると、何と!何と!このタイミングでイエス様が顕現して下さったのです!表情は真剣そのものです→
→眉を逆ハの字にして熱く僕に何かを語りかけておられるのです。音声はありませんでしたので何と言っておられたかは分りませんが僕にはそのイエス様の言わんとしている事が直感的に理解できたのでした。僕は昨日、実母が使命遂行の妨害をしサークルメンバーに相応しくないと書きました。イエス様の→
→メッセージはまさにそれだ、去年4月末から僕にずっと同じ内容のメッセージを送り続けているイエス様、今回もそのメッセージの強調であるとすぐ理解したのでした。どうしても実母を心で受入れられない僕に対して「母をそう毛嫌いするでない」というご意思を示しておられるとすぐ理解したのでした→
→僕がイモムシを受入れたように実母も受入れなさい、そんな意味を感じたのでした。にしても今回の幽体離脱は超特殊な体験で、本来なら間違いなくブログで書くところですが現在僕は交霊会開催に向けて書かねばならないブログが幾つかあってとても今回の件を書けませんのでとりあえず保留します(祈)
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本当に強烈!強烈!あの巨大イモムシの“歓喜の超高速スピン”の映像は今まで見させて頂いた映像の中でも間違いなくトップ3に入るであろう強烈なインパクトがありました。この“イモムシ”は、きっと霊性発現前の“実母”を象徴的に表したものではないかと思うのです。書籍「母と子の心霊教室」の中に“蝶の変化”という図が掲載されてます。その図の中の“イモムシ”が実母で“蝶”が僕、という事なのではないかと思いました。
しかし、これほどまでの強烈極まる演出をしてまで、イエス様は僕に「母と共に仕事をしなさい」というメッセージを投げかけてこられるのです。イエス様からのメッセージは今までもずっとそうでした。「母も愛してやれ」という音声のインスピレーションを過去に受取らせて頂いた事もあります。使命遂行に“僕が実母を受入れる”という要素がどうしても必要なようなのです。しかし、しかし、イエス様には大変申し訳ないのですが、それだけは、それだけは、どうしても僕はできないのでした。
そして交霊会当日…“悪夢”とも思えるような出来事が起こってしまったのです。たいじゅさんが僕の家に到着する前から僕と実母は激しい口論を展開していました。実母は“私の家でそんな事絶対にさせない”“やるなら外でやってくれ”“これは私の家だ”と物質臭極まる発言を連発し“お金”の事で僕に延々ネチネチ文句を言い、さらには“たいじゅさんを絶対家に入れない”とまで言い出したのです。あまりにも心が物的視野で矮小化して、全く、全く、霊的視点でモノが見れていない実母に絶望感を抱く中、たいじゅさんが家のベルを鳴らし、玄関に入ってきました。
するとなんと!高齢で自ら何一つ行動を起こそうとしない怠惰の塊のような実母が、僕のお客様であるたいじゅさんに向けてまで罵倒の言葉を浴びせ始めたのです。たいじゅさんは突然の事態にすっかり縮こまっていました。僕を攻撃するのはともかくとして、実母は僕のお客様に対してまで“キバ”をむいたのです。これはサークルメンバーになる、ならない以前に“人として失格”の行為であり、僕は完全に!完全に!キレたのでした。僕はたいじゅさんの盾になって実母に向けて猛烈にまくし立て、実母を1階の奥の部屋に戻るよう何度も叫ぶのでした。
今まで何かを学ぶという事を全くしてこなかった実母ですから、頭の中のボキャブラリーが極端に乏しく、僕がまくし立てる言葉に反論する言葉を持ち合わせていませんので、実母は“何を…”“フン…”とかいう相づちくらいしか僕に言い返す事ができません。そしてしばらくして根負けしたように自分の部屋に戻っていったのでした。
僕はたいじゅさんに何度も実母の無礼を謝って2階に上がり、僕たち2人の心に大いに動揺の感情が残る中、しばしの雑談を交したあと、トランスに突入しようとしたのですが「第1回交霊会『失敗』の音声」をお聞きになった方はお分りと思いますが、結局僕は1週間前に決定していた通りに“失敗”してしまったのでした。
ただ、僕がトランスに突入しようと目を閉じ続けている姿を20分以上見続けていた“たいじゅさん”はさぞ大変だったろうと思いますし、たいじゅさんの目には何も変化が見られなかった事と思いますが、実は僕の“内部”では猛烈な霊的状況に突入していたのです。僕の頭には強烈な霊力が降り続け、何度も僕の霊体が肉体から離れるような感覚が走りました。特に“手”に関しては霊体の手が完全に肉体の手から離れていたかも知れません。手の“重さ”を全く感じない状態に突入していたからです。
「このメンバー数では成功しないのだが、○○○くん(僕の本名)の心意気を無駄にしないために我々もできる限りの事はやってみよう…」きっとバーバネル氏はじめ霊団の方々はこんな感じで“ダメもと”で僕に霊的影響力を行使して下さったのではないかと思います。ただ、失敗こそしてしまいましたが僕としては“成功時のイメージ”をかなりハッキリと心に描く事ができた体験であり、僕にとっては大いに意味のあるものでした。
それにしても、実母は既に高齢で、そう遠からず旅立ちの日がやってきて、家も金も全部地上に残して“こころ”ひとつで向うに出発せねばならないというのに、あの陳腐な物的執着心には呆れ果ててモノも言えません。実母の心の中はまさに“空っぽ”であり、帰幽後の生活の備えが1ミリもできていません。次男が与えてくれた“最後のチャンス”を、もののみごとに無駄にしてくれました。あなたは地縛霊決定です。残念でした。
そして、この「第1回交霊会の失敗」「実母の狂乱」を受けて、その日の夜に膨大なボリュームのメッセージを受取る事になったのです。幽体離脱に突入して、まず最初に再び次男と会いました。ハッキリ言って次男は喜び跳ねてました☆「相変わらずだな、次男」などと思っていると、今度は親戚のおじさんが鳥のエサを部屋の床いっぱいに蒔き散らしているのです。僕は「蒔き過ぎだろ」と半笑いでおじさんに突っ込むのでした。
で、実はこの時、僕の両腕は“ガクガク”の筋肉痛のような状態で肩、ヒジ等が全く自由に動かせず、壊れかけのロボットみたいな動きしかできないのでした。肉体の話ではありませんよ、幽体離脱中の“霊体”のお話です。しかし痛みは一切ありませんでした。当然です。霊体が傷ついたり苦痛を感じる事など絶対にありませんので。もし霊体が傷つくような事があれば、その傷が肉体にも現れ、僕は今こうしてブログを撃つ事ができなかったはずです。
で、僕は自分のこの状況をこう解釈しました。つまり昨日トランスに突入できずに失敗したものの、霊団の方々は僕の霊体がこんなふうにガクガクになるくらい猛烈に影響力を行使したんだよ、という事を示したメッセージだと。事実その後すぐに僕の霊体の腕は回復しましたので。
するとその後、場面が変り、木の枝の上で2羽の色彩鮮やかな大型インコがくちばしをカチカチ合わせながら戯れている超美麗映像が降ってきたのです。この映像を見て僕はすぐにピンと来ました。それは過去、フランス語の勉強に伴って猛烈な怒りに包まれてしまっていた時に見させて頂いた「ホバリングする2羽の美しい鳥の映像」と同じメッセージ性を感じたからです。その件についてのツイートはこちらです↓
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今日、沢山のインスピレーションが降ってきましたが、その中に“もったいない”という声のメッセージがありました。誰のお声かは分りませんでした。きっと僕が今回の霊的導きに従えば帰幽後に受取れるはずの霊的褒章が受取れない事に対する“もったいない”という意味だったんだと思います→
→この言葉を受けて僕はまたしても激しい怒りに包まれてしまうのでした。今日僕に言葉をかけたあなた、あなたは地上の人間を何と心得ていらっしゃいます?何一つ憂う事の無い有利な境涯から鼻歌交じりで余裕ぶっこいて僕を見ているあなた。現在僕が浴びている究極正反対の環境を理解しておられます?→
→今まで生きてきた全てを棄てて全くの別人格になる、そんな芸当がそう簡単に出来ると本気で思っておいでです?人のこれまでの努力を何と思っておいでです?地上人をブリキ人形か何かだとでも思っていらっしゃいます?あなたの今回のその軽薄極まる発言、僕は断固として抗議させて頂きます(祈)
僕の背後霊団も必死です。僕というたった1つの霊的チャンネルを活かそうと懸命の様子です。今日も幽体離脱、インスピレーションにて実に様々なメッセージを受取らせて頂きました。とても全ては紹介できませんが全体的に“グズる子供をなだめる”内容だったと思います…(悲)その中に1つ→
→何とも美しい2羽の鳥が優雅に翼を羽ばたかせ、尾羽で素晴しくバランスをとりながらホバリングし、2羽が向き合ってダンスするようにクルクル空中で回りながらくちばしを何度も絡ませてました。実に、実に美しい映像インスピレーションを見させて頂きました。僕を取巻く現状はともかく→
→素晴しい映像、感謝致します。自分の心と究極正反対の状況にもがきつつも、何とかフランス語の勉強は続けてます。決して捗ってるとは言えませんが。しかしこのまま勉強を続けていけば以前見させて頂いたインスピレーションのように本当にパリで通訳として仕事をする事になるのかも知れません(祈)
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はい。こんな感じで僕は霊聴にて聞かせて頂いたお声に対して猛烈な怒りを表明してしまったのですが、そんな僕の“怒り”を鎮めるかのような2羽の鳥の超美麗映像を受取らせて頂き、僕は心の平静を取戻した、という事が過去にあったのです。今回受取らせて頂いた2羽の色彩鮮やかな大型インコの映像も、
僕に対する「あまり落ち込むでない」といった感じのメッセージだったのではないかと理解したのでした。
そしてその日の幽体離脱の最後!ついに決定的なメッセージを受取る事になってしまったのです。ユキ(僕が以前飼っていた白文鳥)が飛んできて僕の手に止まりました。そのユキは僕が知っている若かりし日の真っ赤なくちばしのユキではなく、すっかり色が薄れて淡いピンクのような色のくちばしをしていました。全身を覆う白い羽毛には光沢がなく、左足を引きずって片足で僕の手の上にかろうじて立っている、そんなすっかり老衰し切った様子だったのです。
そしてついに力尽きるように僕の手からテーブルの上にかろうじて飛び降りて、そこで命が尽き果て、早送り映像のようにあっという間に“死後3日目”みたいな骨と羽毛だけの状態に変化してしまったのです。僕は地上ではユキの最後を看取れなかったので、そのユキの様子を見て「おぉー、ユキ☆僕の目の前で逝ってくれてありがとうな☆」と喜びの声を上げるのでした。
そして僕は、近くにいた人にデジカメを借りて(地上では見た事のない立方体のデジカメだったので“ん?”と思いましたが、まぁいいやと思い直して)目の前で朽ち果てたユキの亡骸を数アングル“パチ、パチ”と撮影するのでした。えー、ここで皆さん。ひとつ確認しますよ。ユキは既に帰幽して地上を離れ、霊界で生き生きと生活しています。そのユキが霊界で再び老衰で死ぬ、などという事は有得ないのです。
※ここで“霊界の動物”について補足説明をさせて頂きます。人間は、一度人間としての個的形体を与えられると永遠に存在し続けますが、残念ながら動物は地上生活終了後“類魂”に埋没して個的存在を失ってしまいます。ただし人間からの愛情を受けている間はその個的形体を維持する事ができます。最も永遠には維持できませんが。
つまり、僕はユキに対して十分な愛情を抱いていますので、ユキは当分の間は霊界にてその形体を維持できる訳です。では今回、僕の目の前で尽き果てたユキは一体どういう事か?そうです。これこそ、ユキをいわば“俳優”に起用しての僕に対する『帰幽』のメッセージである事に間違いないのです。ユキの老衰の様子も、僕に対して帰幽のメッセージを伝えるために為された、ユキを使っての“霊的演出”であり、目の前のユキは死んでなどいないのです。霊体は自由に形体を変化させられる訳ですから、きっと鳥類に詳しい方がユキの霊体に対してそういう操作をして、今回のメッセージの演出をして下さったのではないかと予測します。
その証拠に撮影中、骨と羽毛に変り果てたユキの頭が“ピクッ”て動いたり、魚の目みたいになっているユキの目が“キョロッ”って動いたりするのです。僕はその様子を見てニヤリとイタズラっぽい笑みを浮かべながら「コラ、ユキ♪まだ撮影するんだからちゃんと“死ぬ演技”して♪」と思念を送って、ユキが動きそうになるのを止めつつ、しばらく遊び半分みたいな感じで撮影を続けたのでした。
この帰幽のメッセージはちょうど2012年7月の過去ブログ「小鳥に見つめられて」で出会った野鳥の“ノビタキちゃん”のメッセージとほぼ同一の内容といっていいと思います。ノビタキちゃんが地上版メッセージ、ユキが霊界版メッセージ、といったところでしょうか。そしてその後、僕は幽体離脱から帰還したのでした。
えー、何と言えばいいのでしょうか。確かに僕はずっと“帰幽カモン”と言い続けてきましたし、現在でも最高レベルに帰幽を望んでいます。現在の環境(住居および仕事)に留まる事を最高にイヤがっています。一刻も早く帰幽完了して“思念描画”に突入して紫外色、赤外色に触れたいという願望を強く強く抱いています。
正直言って、ユキの帰幽メッセージ映像を受けて僕は心から“喜んで”ました。残念ながらこれこそ僕の“本心”であり、自分の心にはウソはつけません。霊媒現象の発動こそなりませんでしたが、元々僕はそういう仕事をする器の人間などではなかったと思えば、僕的には納得できる部分もあるのです。これだけ公言の限りを尽して霊的知識のタネを蒔きまくってきたのだから、その活動をもって“使命遂行完了”とさせては頂けないでしょうか?という考えも正直言って心の中にあります。。。
…が!が!!が!!!やはり“悔しさ”は拭いきれませんよね。あと一歩!本当にあと一歩!僕という小さな通路から高級霊の霊言が地上にもたらされるまで本当にあと一歩のところまで来ているのです。あともうちょっとなのです。ここまで頑張ってきて、こんな中途半端で帰幽したら、間違いなく僕は後悔しますよね。イエス様に会わせる顔がありませんよね。
今回の第1回交霊会での“実母の狂乱”は、霊団の方々にさえ驚きをもって受止められた出来事だったのではないか。あの実母の様子を見て、さすがの霊団側も「このお方はもはや打つ手なし」と思われたのではないか…そんな気もしてます。んーまぁ「君が母に対する“こころ”を変えられなかった事が今回の帰幽メッセージに繋がったのだ」と、イエス様および霊団の方々はきっと思っておられる事でしょうね。しかし日本の中で唯一、たいじゅさんだけは分って下さるのではないかと思うんです。「あの人は無理だ」と。霊団の方々、本当に申し訳ありませんが、やはり、やはり、何をどう頭をひっくり返しても実母と霊的協力関係を構築するなど100%不可能とここに宣言させて頂きます。
なのでやはり実母、長男に頼らずにメンバーを集めねばならないと思うんです。たいじゅさんは「また交霊会に参加します!」と頼もしく言って下さっています。しかし上記に説明した通り、僕たち2人だけではどうしようもないのです。霊団側がもっと練習をつめばできるようになるのではないか、という事ですが、練習は十分やってきました。霊団側は何度も何度も僕がトランスに突入しているタイミングを利用して僕との融合練習を行ってきました。霊団側の準備は十分に整っているのです。そして僕の準備もだいたい整っているのです。あとはサークルメンバー“外的環境”のみなのです。
1ヶ月ほど前だったでしょうか、モーリス・バーバネル氏、後白河天皇、レオナルド・ダヴィンチ先生のお三方が揃ってインスピレーションにて顕現して下さいました。それこそ「霊界側の準備は完了した」というメッセージだったのです。そのメッセージを受けて「あわわ、僕も準備しなきゃ」みたいな感じで大慌てで部屋を片付け始めた…という訳なのです。
うー…こんな事を自分の口から言うのは“反則”かも知れませんが、ここまで来た以上、僕がこれまで果てしなく受取らせて頂いている霊的事実に基づき、あえて書かせて頂きます。僕という“霊的チャンネル”を失う事は、日本の方々のみならず地球人類にとって大きな損失です。霊界側ではすっかり“新時代の霊言”のテキストデータおよび、バーバネル氏が語るべき内容の準備が整っているはずなのです。あともうちょっとで降ってくるのです。現在の地上には存在しない珠玉の霊的知識が今にも僕を通して降ろうとしているのです。
確かに僕の心は帰幽カモンですが、ここまで来て!ここまで来て!中途半端で終るのは僕だってやはり悔しいです。あとはサークルメンバーのみなのです。メンバーさえ集まれば即!ダブルデジタル霊媒発動!なのです。第1回のトランス失敗の時に感じたあの離脱的感覚…本当にあともうちょっとなのです。
このブログをご覧の皆さん、そして僕がお誘いをかけた数人の方、お誘いをしていないけど僕のブログを真剣味をもって読んで下さっている方、もう一度、もう一度、僕がする事になってしまった、この重大極まる“霊的知識普及の使命”について理解して頂きたいと思います。あとはサークルメンバーだけなのです。どうか、どうかもう一度熟考して頂き、僕のツイッターのアカウントにダイレクトメッセージを送って頂けたらと思います。
それでも何でも、どうしても、何が何でも結局やっぱりサークルメンバーが集まらない…という事になれば、ユキの帰幽メッセージ映像が“実行”に移される事になると思います。現状がイヤでイヤで仕方ない僕としては、そうなったらなったでもう構わないという思いもあるのですが、どうにも釈然としないものが残るでしょう。まだ帰幽に関する具体的な情報(帰幽場所、日程等)のインスピレーションは降ってきてませんが、複雑な思いを抱えつつも、霊団の方々に対し一応ここに希望を記述させて頂きます。
希望する帰幽場所はもちろん山です。帰幽時期は、メンバーが集まらないと完全に判明した時点で“すぐに”お願いします。帰幽が決定した際は“速やかに”インスピレーションにて諸情報を送って頂き“速やかに”帰幽を実行に移して頂きたいと思います。
ふぅ…現状で新たなサークルメンバーとして声を掛けられそうな人は全くいません。霊団側も“お手上げ”といった状況ですが、僕の心の中に“奇想天外”なカードがあと1枚だけ残っています。あまりにも突拍子のないカードですが、もうこうなったらその“奇想天外カード”をその当人に向けて投げてみようか…とも思っています。そのカードが当人の“こころ”に届けば、使命遂行が続行されるかも知れません。届かずに道ばたにポトリと落ちれば、その瞬間をもって僕の帰幽が決定する…となるかも知れません。さぁ、どうなるのでしょうか…(祈)
アナログ絵22

はじめに、このブログを読むにあたり、皆さんに心に留めておいて頂きたい2つのキーワードがあります。それは、霊的知識普及の使命遂行における…
【意志】と…
【環境】
です。これからこの2つの言葉の意味を解説していきます。
まず【意志】について。僕は幽体離脱やインスピレーションにて様々な、本当に様々なメッセージを背後霊団から日々受取らせて頂いてますが、そんな中、数週間前ですが幽体離脱にてある小さな女の子との出会いがありました。その女の子は7歳くらいの日本人の女の子で、フワッとした可愛らしいサマードレスを着ていました。
それについてツイートした内容がありますので、まずはそちらをご覧下さい↓
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今日の幽体離脱、小さい女の子が紙で作った手作りのお家の模型をプレゼントしてくれて「早く帰ってきてね」って言うのでした。僕は「こんなスゴイのありがとう」ってお礼を言ったのですが、使命遂行があるのでまだ霊界に帰れない事が分ったからでしょうか、その女の子は泣き出してしまうのでした→
→きっと「このお家に帰ってきてね」って事だったんでしょう。そんな風に言ってもらえて本当に嬉しかったです。そしてしばらくその女の子と遊んだのでした。そして離脱から帰還後、トランスを維持してるとイエス様が顕現して微笑んで下さったのでした…地上で僕に出来る限りをさせて頂きます…(祈)
昨日、幽体離脱中に小さい女の子から手作りのお家の模型をプレゼントしてもらった事を書きましたが、その「お家」は正直僕の目にはどうしてもお家には見えなかったのです。でも女の子がそういうんだからお家なんだろう、と思っていたのですが、そのお家の「意味」が分りました!青空天井です→
→「ベールの彼方の生活」をお読み頂けば分りますが、霊界の家は青空天井(屋根が無い)である事が多いそうです。つまりあの小さい女の子は、その子なりに霊界の家を忠実に再現して模型を作ってくれていたのです。すごい!女の子☆この苦しい使命を何とか果たし切ってああいう家で暮したいです(祈)
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まずは女の子がプレゼントしてくれた“お家”ですが、長方形の厚紙を地面に見立てて、その上に、スーパーマリオの“土管”みたいな(こんな事言ったら女の子に怒られちゃうかもしれませんが汗)形にボール紙を丸めたものを地面の厚紙の上にピタッとくっつけたような、そんな紙の模型だったのです。地面に見立てた厚紙の上に何やらメッセージが書きこまれていたのですが、その内容までは反芻し切れませんでした(残念)
あの形あのままではないのでしょうが、きっとあの女の子が現在暮らしている“お家”は、模型と同じく青空天井で、天界の光がふんだんに注ぎ込まれ、土管の空洞の中は沢山の壁で仕切られ部屋になっていて、壁そのものも光輝を放って明るく室内を照らしている、そんなお家なのではないか…なんて予測したりもするのでした。(詳しくは“ベールの彼方の生活”をご覧下さい)
そしてこの時の幽体離脱での出来事は、僕の“使命遂行”への心、決意が本物であるかを見るための“最終意志確認”だったのでは…と思うのです。なぜそう思うか、それは女の子の“様子”でした。
この最終意志確認をするにあたり、霊界の子供たち(幼くして他界した子供たちは高い界で生活してます)の中から、僕を本当に“好きに”なってくれた女の子が、僕の使命遂行の最終意志確認の“試験官”として特別に選ばれたのではないか、そう予測するのです。
そして女の子は僕への好意を込めて“本気”で「早く帰ってきてね」と言ったんだと思います。そして当然僕がその願いを聞き入れてくれるものと思っていたんだと思います。僕はその女の子にプレゼントのお礼を言いながら、背中を軽くポンポンって叩く感じでハグしました。その時“僕はまだ地上でやらなきゃいけない仕事があるからココ(霊界)には帰って来れないんだ”と心に思っていました。その僕の“真意”を霊体を通して感じ取ってしまい、女の子は思わず泣き出してしまった。という事だと思うのです。
その僕の様子を見て、つまり“帰幽”を踏みとどまり、地上に残って使命を遂行する意志、決意が本物である事を確認し、離脱から帰還後のトランス時に、イエス様が“ニヤリ”って感じで顕現して下さったんだと思います。
帰幽が決定していた僕に、何とか使命に燃えて欲しいとの思いからこの約半年間、イエス様はじめ高級霊の方々から実に様々なインスピレーション等のメッセージを受け取らせて頂きました。そのおかげで、何とかあれほど最高レベルに待ち望んだ“帰幽”をあきらめ、イエス様のご意志に従って地上に残って使命を果たす【意志】は固める事ができたのでした。
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そして次は【環境】ですが、これについてはブログ「イエス様、怒涛の連続顕現の“意味”と“その後”」にてイエス様のご意志に従い、帰幽をあきらめ地上に残る事を天界のイエス様に向って声に出して宣言した直後から、ずっと!ずっと!ずっと!一貫したメッセージが僕に降り続けていました。それは…僕がどうしても首をタテに振る事が出来なかった“ある条件”についてのメッセージでした。
そもそも僕が画家時代、連日連夜フルパワー発動を繰り返して高負荷な作品を描きまくっていたのは、現在の環境から脱出して長野県に移住し、北アルプス、南アルプスを攻めまくりながら画家として生涯を送る、という大目的があったからです。しかし上記の通りイエス様のご意志に従った直後、最初に受け取ったメッセージが、ずっと脱出したいと思っていたこの環境に“何とか留まってもらえまいか”というものだったのです。
最初にこのメッセージを受け取った時は本当にビックリしました。「何でいきなりそんな正反対のものが降って来るんですかぁぁ!」って、僕は心の中でふんぞり返って仰天してしまったのでした。そしてそれ以降、ずっとその僕が受け入れる事の出来ない“ある条件”を受け入れて欲しいというメッセージ、僕の心の願望と完全に正反対のメッセージが果てしなく徹底的に降り続けたのでした。
なぜその条件を受け入れて欲しいのか、僕には正確には分りません。しかし一番最初にそのメッセージが降って来て、それ以降も降り続けているところを見ると、使命遂行にとってとても大切なファクターである事だけは間違いないと思います。しかしその“ある条件”(詳しい説明はごめんなさい、個人的問題なのです謝)を僕はどうしても受け入れる事ができず、その心の壁を超える事ができず、僕は完全に混乱してしまったのでした。
しかし霊団側も必死の様子で、何とか僕にその心の壁“小我”“地上的概念”とでも言えばいいでしょうか、それを改めさせようと、なっにっがっなっんっでっもっ!僕にインスピレーションを送り続けるのでした。僕は悩みました。悩み続けました。最高レベルに苦悩しました。心の中で進んだり戻ったりを何度も何度も繰り返しました。
そしてある時は“これで僕は完全に心を入替えた!これでイエス様の導きに従える!”と思った事もあったのです。…が、霊界の方々には我々地上の人間の心の中など全てお見通しなのです。やはりその時の僕は“単に口で言っている”だけで、心の底から僕がどうしても受入れられなかった“ある条件”を受入れたのではなかったと理解したのでした。
そして、あるアタック(山へ行く事)前日「山でビックリ」というインスピレーションを受け取らせて頂いたのですが、実はそれは「山から帰ってきたらビックリ」という事であったと翌日知る事になりました。アタック帰還翌日に、猛烈!!!壮絶!!!なる怒涛の顕現に浴させて頂いたからです。その中には、今まで何度もイエス様と対で顕現して下さった後白河天皇の単独顕現もありました。
これについてもツイートしてますので、こちらをご覧下さい↓
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怒涛!怒涛!怒涛!「使命遂行布陣予想図」で描いた方々がインスピレーションにて怒涛に顕現して下さり、僕が当初から首をタテに振れずにいるある件について猛烈に影響力を行使したのです。それが使命遂行に向けての最後の障害のようです。ここが潮時のようです。心を変えないといけません(祈)
今日の怒涛のインスピレーションの中に後白河天皇のお顔の顕現もありました。しかも僕が「使命遂行布陣予想図」で描いた絵に合わせた容姿で顕現して下さったのです。僕に分り良い様にして下さったんだと思います。後白河天皇の顕現は「日本」という国に対して重大な意味を含んでると思うんです(祈)
今日の怒涛のインスピレーションの中に「開かれし者の心が狭い為に…」という文章の顕現もあったのです。つまり僕の心が狭い為に霊団側の計画が発動できずにいる…という事なんだと思います。我を捨て「神の道具」に徹するというのは地上に籍を置く人間にとって最高に難しい壮絶な試練なのです(祈)
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…はい。この怒涛の顕現ですが、今にして思えば、後白河天皇の単独顕現は僕に向けての最後の“呼びかけ”であったと思われます。つまり「何としても現在の環境(日本)に留まった状態で使命遂行してもらえまいか」というイエス様、後白河天皇、霊団の方々の最後の訴えであったと、後になって理解したのでした。
そして、今まで何度もイエス様が後白河天皇と対で顕現して下さったのも、幽体離脱での「伝道指南」の時にイエス様が日本の軽自動車に乗っておられたのも、全て僕に現在の環境に何とか残って頑張って欲しいというメッセージが含まれていたんだと、これも後になってようやく理解できたのでした。
僕がそういう理解に到達した直後、使命遂行の【環境】についてはイエス様のご意志に沿う事ができなくなってしまった事を決定づけるインスピレーションを受け取る事になってしまったのです。
その【環境】に関しての新たな展開を思わせるインスピレーションの様子についてもツイートしてますので、こちらをご覧下さい↓
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実は「ヨーロッパ」「フランス」「パリ」というインスピレーションを受取ってます。守護霊様、これは一体…まさかパリ移住とかじゃないですよね(滝汗)ヨーロッパアルプスに近くなるのは嬉しいですけど(悩考)一応導きに従いフランス語入門書籍注文。僕は語学苦手なので難しいと思いますが…(祈)
数日前の幽体離脱の内容、僕は部屋を完全に引き払い、鍵を管理人に返す、というものでした。そして離脱から帰還後、いつものようにトランスを維持してると、山によくある道標に思いっきり「フランス」と書いてあるインスピレーションが降ってきました。その後さらにトランスを維持してると→
→「丘の上の6人衆」とでも呼びたくなるような、高台に立つ6人の姿を見たのでした。その方々はきっと「使命遂行布陣予想図」でも描いたダヴィンチ先生率いる霊団の6名ではないかと思いました。人数が合ってるだけでなく、その方々の服装が何とも“中世”を思わせる雰囲気に満ちていたからです→
→この予測が正しいかは分りませんが、僕がパリに移住したら協力して下さる霊団の方々である事は間違いないと思いました。とは言え僕はフランス語どころか英語も全然話せません。一応勉強を開始するつもりではいますが正直独学でモノになるとは思えません。使命遂行の“環境”が混沌としてます(祈)
昨日、現在の環境に留まるかパリへ移住かの二択の話をしましたが、一応パリ移住の方向で考え始めてます。しかしこのルートについて以前の男性指導霊から「何も良い事ないよ」と言われてます(※)本当に移住したら、それはそれは厳しい使命遂行の状況に突入するのは間違いないものと思われます(祈)
詳細はブログで書きますが、僕は霊団から「現在の環境に残る」「フランス移住」の二択を迫られていましたが、事実上フランス移住が決定したと言えるインスピレーションを受取りました。状況がとても複雑なのでここでは説明できませんが、これでフランス語を猛勉強せねばならなくなりました…(祈)
正直語学には自信ありませんが、使命遂行に当って僕はフランス語を勉強するしかなくなってしまいました。帰幽が決定してたはずの僕に更に更に追加の試練が降って来る訳です。この使命、壮絶です。でも今まで浴させて頂いた霊的状況を思い返すほど、ここで引き下がる訳には行かないと思えるんです(祈)
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(※)修正。長野県民になりたいと考えていた時にそう言われたのでした。間違ってしまいました、失礼しました(謝)つまり僕が画家時代に目標としていた“長野移住”は使命遂行のためのルートには入ってないよ、という事を示していたんだと思います。
…はい。山によくある道標に書かれた文字…超超超超超鮮明に「フランス」と書いてあったのです。その鮮明さが“環境の変化が決定した”というイメージを僕に強力に印象づけたのでした。「あぁ、もう間違いない。僕は行かなきゃいけないんだ。イエス様のご意志に完全な形で沿う事ができなくなってしまった…」そう理解した瞬間でした。自分の小我を越えられなかった、その自分の未熟さが心底身に沁みました。
という訳で、僕はイエス様のご意志を受け取らせて頂いて以降、何とか自分の心を変えようと努力を続けてきたつもりですが、帰幽をあきらめて地上に残って使命遂行する【意志】は本心から固める事ができたのですが、現在の【環境】に留まる事は心から承諾できずに終ってしまったのでした。
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この長文ブログを読んで下さった方々、感謝致します☆そしてその方々の多くがこう思ったのではないかと思うんです。「そんなにイヤなものを受入れる必要はないのでは?自分の考えで行動すればいいじゃないか、人間には自由意志があるんだし…」と。僕だってもちろんそう思ってます。いつもそういう考えとの格闘なのです。僕は最高レベルに帰幽したいですし、どうしても地上に残るというのであれば、せめて絵に戻りたいと常々考えてます。
しかし!しかし!イエス様はじめ霊団の方々から降って来るインスピレーションは…詳しく説明するのは難しいのですが、地上的概念を完全に突き抜けて、帰幽後の霊界生活全体まで含めた超俯瞰の視点から送られて来る、まさに“大上段”から振りかぶって来るメッセージなのです。この“インスピレーション”に浴させて頂いていない皆さんにはどうしても僕の語る言葉が理解できないのかも知れません。皆さんにとって“ノー”である事が僕にとっては“イエス”である事もあるのです。
『禍を転じて福となす』『汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん』これです。地上の苦しみ、悲しみを耐え忍び、乗り越えてこそ本来の生活の場である霊界にて真の幸福を味わえる“資格”を手にする事ができる…そういう視点からのメッセージを果てしなく果てしなく受け取らせて頂いて来たのです。しかし地上において肉体をまとった状態でその心の境地に“100%”到達するのは至難の業であり、今回のブログの通り、僕も完全にはその心の域まで達観できなかった…という事なのです。
僕は自由意志を行使して「使命を遂行する」と決断しました。なので、何故いきなりフランスなのか正直意味が分りませんが(きっと帰幽して霊界側から俯瞰で見れば納得のいく理由があるのでしょう、今は肉体に包まれてるので理解できないんだと思います)導きの“セカンドルート”への準備として、フランス語教材数点購入、現在猛勉強中です。フランス語、最高に難しい言語ですね…はぁ、どうなる事やら。。。
今回の内容を受けて、僕なりにイエス様に対する自分の信仰度、忠誠度をあえて自己採点するなら…まぁ30点といったところでしょうか。ダメダメな未熟者という訳です。使命遂行の状況がこういう事になってしまいましたが、僕なりに出来る限りの事はさせて頂きたいと考えていますので、イエス様、守護霊様、高級霊の方々…今後ともよろしくお願い致します…(祈)
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僕が現在の「使命遂行」を決断する前、まだ使命遂行と帰幽の間で心が揺れまくっていた時、幽体離脱にて、ある女性との出会いがありました。今まで幽体離脱やインスピレーションにて様々な方とお会いしていますがブログに紹介していない方がまだまだいるのです。今回紹介する女性はその中の一人です。離脱中にその女性と行動を共にした時の様子は…今でも最高に!最高に!僕の心に鮮明に印象づけられています。
気がつくと僕は学校の教室のようなところにいて、机が横に二つ並んだ状態になっていて、右の席に僕が、そして左の席にその女性が座っていました。その女性は「アイさん」という名前で、その名前が言葉ではなく僕の心に直接届くのでした。
そのショートヘアで細身な超洗練された姿のアイさんを見て僕はドキッとしました。アイさんの容姿はまるで(こんな事を書くのは恥ずかしいですが滝汗)僕の「理想の女性像」そのまま、完全に生き写しだったからです。こんな事を言っては怒られちゃうかも知れませんが(謝)まさにアイさんは僕の…「ど真ん中ストライク」な女性だったのです。
※ちなみに「アイさん」と言う名前ですが、これはきっと僕に分りやすいように現代的な平易な女性の名前を名のってくださったんだと思います。その可能性は高いと思ってます。実際のお名前は地上の人間には発音不可能な名前だと予測します。「ベールの彼方の生活」をお読み頂ければこの意味も理解して頂けると思います。
するとアイさんは横に座っている僕にそっと寄りかかってきて、太陽神経業のあたりをさすりながら「このあたりがね…苦しいの…」と言うのでした。言葉で話したのではありません。テレパシーとでも言うべきものでアイさんの考え、想い、僕に向けられた「好意」のようなものが心に直接伝わってきたのです。
僕は寄りかかってくるアイさんに思いっきり照れてしまい、あはは、みたいな感じで照れ笑いでごまかす事しかできませんでした。するとアイさんはさらに寄りかかってきて倒れそうなほどだったので、思わず手でアイさんの頭と首を支えたんです。するとアイさんは「ふぅぅ…」みたいな感じで静かに息を吐きながら僕の腕に全体重をあずけてくるのでした。
間近で感じるアイさんのシルクのような白い霊体、伝わってくるオーラとでもいうべき雰囲気…何とも言いようのない…柔らかい、長閑な雰囲気、優しさや親愛の情、信頼感が満ちあふれたような空気、とでも言えばいいのでしょうか。僕に身体をあずけきってくれたその所作が…本当に心の底から「心地よさ」を感じさせたのでした。
僕は回数こそ少ないですが、過去、幽体離脱において高級霊の方々とお会いするという光栄に数回浴させて頂いてますが、今回の「アイさん」の時に感じた美しく優しい雰囲気も、その高級霊の方々の時とそっくりでした。アイさんは普段暮している高い界からわざわざ降下して僕に会いに来てくれたんだ…そんな確信が僕の心に芽生えるのでした。
その後シーンが変り、僕は一人で町を歩いていたのですが、すると目の前に女性の姿。アイさんです。しかし今回は見た事のない古風な装束…巫女のような、神子のような装束を身にまとっているのです。僕がその何とも言えない美しさに溢れた装束に見とれていると、アイさんは僕にドリンクを差し出してくれるのでした。
その古風な装束のイメージがものすんごく鮮明に脳裏に焼きついていたので、起床後にWEBでイメージ検索してかなりあれこれ調べたのですが、僕が見たアイさんの装束と同一のものどころか、それに少し似たイメージさえ見つける事ができなかったのです。ひょっとして地上での装束ではなくて霊界にて着用している装束なのかも知れません。本当に特長のある、そして美しい装束でした。
その装束から受けた雰囲気から、アイさんは室町とか、平安とか、そんなような時代、古代の日本において神に生涯を捧げる人生を送った、そして地上を去って既に千年近く経過して遥か遥か高い境涯まで向上している女性なのではないか…。あの古風な装束姿を見て僕はそういう予測をするのでした。でもこの予測はまぁまぁ的を得ていると思っています。あの、アイさんに寄りかかられた時の何ともいえない雰囲気、あれがアイさんの霊格を表していると思うからです。
その後さらに場面転換して、僕は一軒のカフェに立ち寄りました。これがまた何とも雰囲気の良い店内なんです。そこにはアイさんとアイさんの友人の女性が座っていました。が、しばらくすると店のマスターが2階に退避していき、アイさんの友人の女性も「あたしも逃げちゃおっかなぁ~」とか言ってマスターに付いて2階へ上がって行きました。これでその部屋はアイさんと僕の二人きりになったのでした。そんな二人の配慮がまた何とも照れるのでした。
アイさんが野菜のスープを取り分けてくれて、僕たちはそのカフェで語り合いました。僕にとって最高に素敵な女性、アイさんとの時間…まさに至福の時でした(本気照)きっとその時、僕はアイさんが普段生活している高い界の話を聞いていたんだと思いますが、その会話の内容は幽体離脱から帰還したあと、この物的脳髄などでは全く反芻できませんでした。つまりそれくらい物的次元を遥か飛び越えた美しい境涯のお話だったのではないか、そんな風に予測したりもするのでした。
今回のブログはなかなか書き上げる事ができず、書いたり戻ったりを繰返してようやくここまで書き上げた、って感じでした。なぜ書くのに苦労したか…それは内容が正直「恥ずかしかった」からです(照汗)幽体離脱での「アイさん」との出会いは、今の僕にとって照れくさい思い出あると同時に厳しい使命遂行に当っての心の支え、そして掛けがえのない霊的財産です。それ以降の僕は、ことあるごとにアイさんの事を思い出したりしてしまうのでした。
ただ、今になって思い直してみれば、あの頃の僕は現在のように使命遂行に突入して果てしなく地上に残る事になるとは夢にも思っておらず、何よりも帰幽を最高レベルに望んでいた時だったので、このアイさんとの出会いも、そんな僕に何とか使命感を持ってもらいたいという霊界側の働きかけの一環だったのではないか…そんな風にも思ったりする訳です。
アイさんが僕の理想の女性像そのまんまだった事もその働きかけの一つなんだと思います。霊界側には僕のしょぼい心の中などは全てお見通しなので、その情報をもとに僕の好みにピッタリのアイさんにお声がかかり、そしてアイさんは快く引受けて下さり、僕と会うために本来の所属界から降下して来てくれた…という事なんだと思います。つまり「アイさんのいる高い界を目指して努力しなさい」という事です。確かに進歩向上のための努力目標としてアイさん以上の存在はないのかも知れません…僕にとって、ですが(照恥)
にしてもその「ご意志」を正しく読取れず明けても暮れてもぐずりまくっている自分の事を思うと、つくづく情けない少年だなぁ…と思ってしまうのです。とは言えもう責任を帯びてしまっているので、何とかグッと堪えて使命を果たし切り、いつの日か、地上からいきなり到達はできないでしょうが、前回ブログでも書いた通り、神から「つばさ」を頂戴して、アイさんの暮す高い界へ少しでも近づけたらいいなって思っています(祈)
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僕は2012年6月頃から「霊性発現」して以降、睡眠と覚醒の中間状態(いわゆるトランス状態)において守護霊様より数々のインスピレーションを受取らせて頂いていますが、その中に一つ、去年11月頃でしたが、他のインスピレーションとは明らかに違う「寓話的映像インスピレーション」を受取らせて頂いた事がありました。
その寓話の内容が、僕のみならずこのブログをご覧の皆さんにとっても霊的真理を悟る上で大いに役に立つのでは?と常々そう思っていたのですが、今回使命遂行の一環という意味も込めて(書籍の抜粋テキストを撃つので日々イッパイ×2なのですが…滝汗)その「寓話的映像インスピレーション」のお話をここに紹介させて頂こうと思います。
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寓話的映像インスピレーション『青いグミと赤いグミ(仮題)』
作:守護霊様ならびに霊界の方々  テキスト撃ち:たきざわ彰人
雲ひとつない澄み切った青い上空(大気圏内)に「国際宇宙ステーション」のようなものがフワフワ、プカプカ浮いていました。そのステーションのドックにはシャトルがこれまたプカプカ係留されていて(まぁ外観はスペースシャトルのようなものを想像して頂ければいいと思います)シャトル本体の左右にロケットブースターが装備されています。
巨大なエンピツみたいなロケットブースターの上には、たくさんのコビトみたいな、頭も腕も足もある、4頭身ぐらいの透明感のあるプニュプニュした外観の「青いグミ」がワサワサと忙しなく動き回っていました。それこそ何万人という数です。
すると間もなく、国際宇宙ステーション全体を揺さぶるような「大風」が吹き荒れ始めたのです。青いグミたちはその強烈な風にあおられ、ロケットブースター後部、噴射ノズルの方へ押され、ロケットブースター後部は満員電車のように青いグミでギュウギュウ詰めになってしまいました。
しかし風はやみません。青いグミたちはさらにブースター後部に押されて行きます。ロケットブースターは円筒形、当然端の方にいる青いグミは他の青いグミに押し出される形でポロポロと空に落ちていきます。風は一向にやまず、青いグミが一人、また一人とロケットブースターの上から脱落していくのでした。
が、そんな中、数人、本当に数人ですが、グミの身体を「青色」から「赤色」に変色させて、プニュプニュした腕を小鳥みたいに一生懸命パタパタと羽ばたかせ、風に立ち向かうように少しずつ少しずつロケットブースターから上昇して行く者たち、数人の「赤いグミ」たちがいました。
必死に羽ばたく「赤いグミ」たちの顔は遥か上空を見つめています。下の青いグミの方を振り返りません。そんな赤いグミたちとは対照的に、青いグミたちは次から次へとロケットブースターからポロポロ落ちていきます。そしてついに、何万人もいた青いグミたちは一人残らずロケットブースターの上からいなくなってしまったのでした。
大風の試練に撃ち勝って上昇を続けたホンの数人の赤いグミたちは、風のエリアを突破してさらにさらに青い空を上昇し続けました。しばらくすると国際宇宙ステーションよりもさらに上空(まだ大気圏内)に、国際宇宙ステーションよりさらに巨大な母艦(スタートレックのエンタープライズ号みたいなものを想像して頂ければいいと思います)がこれまたプカプカ浮いているのでした。
そしてその巨大な母艦の甲板上に二人の人影が見えます。一人はキラキラと光をちりばめたような美しい純白の衣装を身にまとって、赤いグミたちを迎え入れるように両手を広げて立つ、女性の天使様。もう一人はその女性の天使様の右やや後方の位置で、胸に手を当ててひざまずく、これまた光をちりばめた衣装を身にまとった男性の天使様。
ほどなくして、数人の「赤いグミ」たちは母艦の甲板に辿り着き、光り輝く二人の天使様の祝福を受けたのでした…。
END
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…はい。僕が守護霊様に見させて頂いた映像インスピレーション、こんな感じだったのです。いかがだったでしょうか。このお話は、まさに僕たちの「地上生活」そのものだと思うんです。国際宇宙ステーションに吹き荒れた『大風』これは要するに、地上生活中に人類全員が例外なく浴びる事になる『試練』そのものだと思うんです。
その試練、艱難辛苦にほとんどの青いグミ(地上人類)は耐えられず、立ち向かう事ができず、地上生活の目的を果たせないままポロポロと脱落して行った…という訳です。そんな中、ホンの一握りの「赤いグミ」がその艱難辛苦に敢然と立ち向かい、苦難の末に青色から赤色に変色(霊性発現)して上層界へ羽ばたいて行った…僕はそんな守護霊様からのメッセージを感じました。みなさんはどんな風に感じられたでしょうか?
※ちなにみ、この女性の天使と男性の天使の「配置」にも意味があるのです。霊界の上層界は地上のような「男性支配型」ではなく、より進化した「女性主導型」なのです。詳しくは「ベールの彼方の生活」第4巻をお読み頂ければ理解して頂けると思います。が、1巻から読み進めて4巻に到達するという読み方をオススメします。その読み方でないと意味が理解できない可能性が高いからです。
僕が見させて頂いたこのストーリーが、皆さんの霊的知識の理解の助けになる事を切に切に願っています。艱難辛苦に真正面から立ち向かい「赤いグミ」のように素敵な境涯へ到達できるよう、地上生活を闘い抜きましょう。ここで僕、たきざわ彰人から皆さんへ向けて…応援の気持を込めた「シャウト」をさせて頂きます、行きます!(汗謝)
「艱難辛苦カモン!!!」
「霊性発現カモン!!!」
…以上、失礼しました(祈)
アナログ絵19

※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、ご参考までにそのまま掲載させて頂きます(祈)
『シルバーバーチの霊訓①』
この交霊会に出席される方々が、もし私の説く真理を聞く事によって楽な人生を送れるようになったとしたら、それは私が神から授かった使命に背いた事になります。
『シルバーバーチの霊訓①』
私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そしていっそう力強い人間となってくださる事が私どもの真の目的なのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それはいったん身につけたらお金を落とすような具合になくしてしまう事は絶対にありません。苦難から何かを学び取るように努める事です。耐え切れないほどの苦難を背負わされるような事は絶対にありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
何らかの荷を背負い、困難と取り組むという事が旅する魂の本来の姿なのです。それはもちろん楽な事ではありません。しかし魂の宝はそう易々と手に入るものではありません。もし楽に手に入るものであれば、何も苦労する必要などないでしょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
痛みと苦しみの最中にある時は中々その得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ魂にとって一番の薬なのです。私どもは、いくらあなた方の事を思ってはいても、あなた方が重荷を背負い悩み苦しむ姿をあえて手を拱いて傍観する他ない場合がよくあります。
『シルバーバーチの霊訓①』
そこから教訓を学び取り霊的に成長してもらいたいと願い祈りながらです。知識には必ず責任が伴うものです。その責任を取ってもらう訳です。霊はいったん視野が開かれれば悲しみは悲しみとして冷静に受け止め、決してそれを悔やむ事はないはずです。
『シルバーバーチの霊訓①』
燦々と太陽の輝く穏やかな日和には人生の教訓は身に沁みません。魂が目を覚まし、それまで気づかなかった自分の可能性を知るのは時として暗雲垂れ込める暗い日や、嵐の吹きまくる厳しい日でなければならないのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上の人生は所詮は一つの長い闘いであり試練です。魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言ってもよいでしょう。魂にはありとあらゆる種類の長所と欠点が秘められております。
『シルバーバーチの霊訓①』
すなわち動物的進化の段階の名残である下等な欲望や感情もあれば、あなた方の個的存在の源泉である神的属性も秘められております。そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上に生まれてくるのはその試練に身を晒すためなのです。人間は完全なる神の分霊を享けて生まれてはいますが、それは魂の奥に潜在しているのであって、それを引き出して磨きをかけるためにはぜひとも厳しい試練が必要なのです。
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『シルバーバーチの霊訓①』
運命の十字路にさしかかるごとに右か左かの選択を迫られます。つまり苦難に敢然と立ち向かうか、それとも回避するかの選択を迫られる訳ですが、その判断はあなたの自由意志に任されています。もっとも自由といっても完全なる自由ではありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
その時点において取り巻かれている環境による制約があり、これに反応する個性と気質の違いによっても違ってくるでしょう。地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されております。
『シルバーバーチの霊訓①』
そのチャンスを前にして積極姿勢を取るか消極姿勢を取るか、滅私の態度に出るか自己中心の態度に出るかは、あなた自身の判断によって決まるという事です。地上生活はその選択の連続と言ってもよいでしょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
選択とその結果、つまり作用と反作用が人生を織りなしていくのであり同時にまた、寿命尽きて霊界へ来た時に待ち受けている生活、新しい仕事に対する準備が十分に出来ているか否か、能力的に十分か不十分か、霊的に成熟しているか否か、といった事もそれによって決まります。
『シルバーバーチの霊訓①』
その事に関して忘れてはならないのは、持てる能力や才能が多ければ多いほど、それだけ責任も大きくなるという事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上へ再生するに際して各自は、地上で使用する才能についてあらかじめ認識しております。才能がありながらそれを使用しない者は、才能の無い人より大きい責任を取らされます。当然の事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味を持つものです。悲しみはそれが魂の琴線に触れた時、一番よく魂の目を覚まさせるものです。魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。
『シルバーバーチの霊訓①』
悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。もしその教訓が簡単に学べるものであればそれは大した価値のないものという事になります。
『シルバーバーチの霊訓①』
悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。
書籍は購入できます。読む事もできます。しかし深い理解に到達するのは長い道のりです。僕も初めてシルバーバーチの1巻を買ってから今の理解に至るまで長い苦難の道でした。もし書籍を手にされた方がいましたら、気負わずそしてあきらめず長いスパンで読み続けて欲しいなって思います☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
真理は魂が悟る準備ができた時に初めて学べるのです。霊的な受入れ態勢ができるまでは決して真理に目覚める事はなく、こちらからいくら援助の手を差しのべてもそれを受入れる準備の出来ていない者は救われません。霊的知識を理解する時機を決するのは魂の発達程度です。
『シルバーバーチの霊訓①』
魂の進化の程度が悟りの時を決するのです。肉体に包まれているあなた方人間が物質的見地から宇宙を眺め、日常の出来事を物的ものさしで測り、考え、評価するのは無理もない事ですが、それは長い物語の中のほんの些細なエピソード(小話)にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓①』
魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂のこやしです。魂がその秘められた力を発揮するにはいかなるこやしを摂取すればよいかを知る必要があります。それが地上生活の目的なのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
失意のドン底の時はもう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。あなた方にはまだまだ発揮されていない力、それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では決して発揮されません。
『シルバーバーチの霊訓①』
苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。金塊もハンマーで砕かないとその純金の姿を拝む事ができないように、魂という純金も悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。それ以外に方法がないのです。他にあると言う人がもしいるとしても私は知りません。
『シルバーバーチの霊訓①』
人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改める事によって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくという事は、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い患う事のない人生を送っていては魂の力は発揮されません。何かに挑戦し、苦しみ、神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において魂の武器庫の扉を開き神の武器を持出す事、それが悟りを開くという事です。
僕は守護霊様の導きに従い、果てしなく読書してきました。それだけでも十分霊的知識の理解を深める事ができましたが、今こうして“抜粋”する事でさらに内容を復唱し、さらに×10 理解が深まっていくのを感じます。勉強して無駄な事なんて何もないと自らの体験を通して心底実感するのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂のこやしです。むろん困難の最中にある時はそれを有難いとは思えないでしょう。が、あとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこの上ないこやしであった事を知って神に感謝するに相違ありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
この世に生まれくる霊魂がみな楽な暮しを送っていては、そこには進歩も開発も個性も成就もありません。これは酷しい辛い教訓ではありますが何事も価値あるものほどその成就には困難がつきまとうのです。魂の懸賞はそう易々と手に入るものではありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
神は一瞬たりとも休む事なく働き、全存在の隅々まで完全に通暁しております。神は法則として働いているのであり、晴天の日も嵐の日も神の働きです。有限なる人間には神も、宇宙も、地球も、あなた方自身さえも裁く資格はありません。物的尺度があまりに小さすぎるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
物的尺度で見る限り世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真理の敗北しか見えないでしょう。当然かも知れません。しかしそれは極めて偏った、誤った判断です。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上では必ずしも正義が勝つとは限りません。なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとは限らないからです。ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的に見て、あなたにとって何が一番望ましいかは、あなた自身には分りません。もしかしたらあなたにとって一番イヤな事が実は、あなたの祈りに対する最適の回答である事も有得るのです。難しい事ですが物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するよう努める事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
というのは、あなた方にとって悲劇と思える事が私どもから見れば幸運と思える事があり、あなた方にとって幸福と思える事が私どもから見れば不幸だと思える事もあるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
祈りにはそれなりの回答が与えられますがそれは必ずしもあなたが望んだ形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとって一番望ましい形で与えられます。神は決して我が子を見捨てるような事は致しませんが、神が施される事を地上的感覚で判断する事はやめなくてはいけません。
猛烈な法悦状態に包まれながら、シルバーバーチ霊が「神」について語ってる部分を抜粋してる時、いきなり法悦レベルが上がり、耳に“カチッ”ってスイッチが入ってキィィンって高い波長が響くのです。もう反応がダイレクトすぎて、僕は光栄かつ恐縮な気持でテキストを打ち続けるのでした…(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
絶対に誤る事のない霊的真理が幾つかありますが、その中から二つだけ紹介してみましょう。一つは動機が純粋であればどんな事をしても決して被害を被る事はないという事。もう一つは人のためという熱意に燃える者には必ずそのチャンスが与えられるという事、この二つです。
『シルバーバーチの霊訓①』
焦ってはいけません。何事も気長に構える事です。何しろこの地上に意識をもった生命が誕生するのに何百万年もの歳月を要したのです。さらに人間という形態が今日の如き組織体を具えるに至るのに何百万年もかかりました。
『シルバーバーチの霊訓①』
その中からあなた方のように霊的真理を理解する人が出るのにどれほどの年数がかかった事でしょう。その力、宇宙を動かすその無窮の力に身を任せましょう。誤る事のないその力を信じる事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」こうおっしゃる方があるかも知れません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。何千年という歳月を生きてきたのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
その長い旅路を振り返った時、私はただただ宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。一つとして偶然というものが無いのです。偶発事故というものが無いのです。すべてが不変絶対の法則によって統制されているのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分るようになります。私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。
『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心を我が心とするのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
心の奥を平静に、そして穏やかに保ち、しかも自信を持って生きる事です。そうすれば自然に神の心があなたを通して発揮されます。愛の心と叡智をもって臨めば、何事もきっと成就します。聞く耳を持つ者のみが神の御声を聞く事ができるのです。
シルバーバーチ霊が多大な犠牲を払って地上人類にもたらしてくれた“ダイヤモンドの輝き”に譬えられる珠玉の霊的真理。僕たちはその美しい霊言の数々に触れる事で、大切な知識を得るチャンスを与えて頂いたのです。人類の宝とも言える霊界通信の書籍は、すぐ手の届くところにあるのです☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
愛が全ての根源です。愛―人間的愛―はそのほんのささやかな表現にすぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的真理を知った者は一片の恐怖心も無く毎日を送り、いかなる悲しみ、いかなる苦難にも必ずや神の御加護がある事を一片の疑いもなく信じる事ができなければいけません。苦難にも悲しみにも挫けてはなりません。なぜなら霊的な力はいかなる物的な力にも勝るからです。
『シルバーバーチの霊訓①』
恐怖心こそ人類最大の敵です。恐怖心は人の心を蝕みます。恐怖心は理性を挫き、枯渇させ、麻痺させます。あらゆる苦難を克服させるはずの力を打ちひしぎ、寄せつけません。心を乱し、調和を破壊し、動揺と疑念を呼び起こします。
『シルバーバーチの霊訓①』
つとめて恐れの念を打ち消す事です。真理を知った者は常に冷静に、晴れやかに、平静に、自信に溢れ、決して取り乱す事があってはなりません。霊の力はすなわち神の力であり、宇宙を絶対的に支配しています。
『シルバーバーチの霊訓①』
ただ単に力が絶対というだけではありません。絶対的な叡智であり、絶対的な愛でもあります。生命の全存在の背後に神の絶対的影響力が控えているのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
鋼は火によってこそ鍛えられます。魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは苦難の中においてこそです。苦難の時こそあなたが真に生きている貴重な証です。夜明け前に暗黒があるように、魂が輝くには暗闇の体験がなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
そんな時、大切なのはあくまでも自分の責務を忠実に、そして最善を尽くし、自分を見守ってくれる神の力に全幅の信頼を置く事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的知識を手にした者は挫折も失敗も神の計画の一部である事を悟らなくてはいけません。陰と陽、作用と反作用は正反対であると同時に一体不離のもの、いわば硬貨の表と裏のようなものです。表裏一体ですから片方は欲しいがもう一方は要らないという訳にはいかないのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
人間の進化のために、そうした表と裏の体験、つまり成功と挫折の双方を体験するように仕組まれた法則があるのです。神性の開発を促すために仕組まれた複雑で入り組んだ法則の一部、いわばワンセット(一組)なのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
そうした法則の全てに通暁する事は人間には不可能です。どうしても知り得ない事は信仰によって補うほかありません。盲目的な軽信ではなく、知識を土台とした信仰です。
一日も早く霊界の方々に「帰幽オッケー」と言って頂けるよう、僕は自分の全存在をかけて撃って出るのです。霊的知識のタネを徹底的に蒔いて蒔いて蒔きまくるのです。僕のツイートをご覧の一人でも多くの方が、僕たちにとって最も重要な霊的実相を悟るキッカケを得られる事を切に祈ります(本気祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
知識こそ不動の基盤であり、不変の土台です。宇宙の根源である霊についての永遠の真理は、当然その霊の力に対する不動の信念を生み出さなくてはいけません。そういう義務があるのです。それも一つの法則です。
『シルバーバーチの霊訓①』
恐怖心、信念の欠如、懐疑の念は折角の霊的雰囲気をかき乱します。私たち霊は信念と平静の雰囲気の中において初めて人間と接触できるのです。恐れ、疑惑、心配、不安、こうした邪念は私ども霊界の者が人間に近づく唯一の道を閉ざしてしまいます。
『シルバーバーチの霊訓①』
太陽が燦々と輝き、全てが順調で、銀行にたっぷり預金もあるような時に神に感謝するのは容易でしょう。しかし真の意味で神に感謝すべき時は、辺りが真っ暗闇の時であり、その時こそ内なる力を発揮すべき絶好のチャンスです。
『シルバーバーチの霊訓①』
然るべき教訓を学び、魂が成長し、意識が広がりかつ高まる時であり、その時こそ神に感謝すべき時です。霊的マストに帆をかかげる時です。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的真理は単なる知識として記憶しているというだけでは理解した事にはなりません。実生活の場で真剣に体験して、初めてそれを理解するための魂の準備が出来上がります。どうもその点がよく分って頂けないようです。
『シルバーバーチの霊訓①』
種を蒔きさえすれば芽が出るというものではないでしょう。芽を出させるだけの養分、そして太陽と水が揃わなくてはなりますまい。そうした条件が全部うまく揃った時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
人間にとってその条件とは辛苦であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇の体験です。何もかもうまくいき鼻歌まじりの呑気な暮しの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解する素地が出来上がります。そしていったん霊的知識に目覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、輝き、厳しさを発揮し始める事になるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
そして一旦身につけたらもう二度と失う事はありません。それを機に霊界との磁気的な強力な繋がりが生じ、必要に応じて霊界から力なり影響なりインスピレーションなり真理なり美なりを引き出せるようになります。魂が進化したその分だけ自由意志が与えられます。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的進化の階段を一段上がるごとに、その分だけ多くの自由意志を行使する事を許されます。あなたは所詮現在のあなたを超える事はできません。そこがあなたの限界と言えます。が同時にあなたは神の一部である事を忘れてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
いかなる困難、いかなる障害もきっと克服するだけの力を秘めているのです。霊は物質に勝ります。霊は何ものにも勝ります。霊こそすべてを造り出すエッセンスです。なぜなら霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだからです。
2週間前、深みのある男性の声で「○○○くん(僕の本名)」と霊聴で聞きました。その男性に全く心当たりがなかったので「こんにちは…どちら様ですか?」と心の中で聞き返しましたが返事はありませんでした。その後さらに考えましたがやはり全然心当たりがないのです、そして…あ、あれ?→
→まさか、ひょっとして、この声の主は、あのお方なのでは…?という考えが頭に渦巻き始めて…確認する手段がないので何とも言えません。が、今までの流れから推測すると十分可能性があるのでは、と思ってしまう訳です。確定ではありませんがイエス様に直接名前を呼んで頂いたかも知れません…(祈)
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