僕のブログ及びツイッターをそこまで真剣に目を皿のようにしてこと細かに微に入り細に入り検討し徹底的に全項目を読みまくって指摘してやろう糾弾してやろう非難してやろう追求してやろう撤回させてやろう…などという悪趣味かつ暇な方はこの地上にはいらっしゃらないでしょうが(笑)僕は僕なりに今まで光栄にも浴させて頂いた様々な現象について記述し、紹介し、羅列し、公開し、僕達が地上生活中に悟るべき大切な事柄について幾度となくしつこくしつこく、それこそシルバーバーチ霊が忍耐の極限ともいえる作業を繰り返してきた如くに書いてきたつもりです。
僕は「ちょっとだけ霊覚者」として、あえて言います。地上で暮らす僕達のほとんどは「生ける屍」も同然なんです。まるっきり死人なんです。まがりなりにも生きているとはとてもいえないようなお粗末な状態でしか自己を表現できていない、悲しいほどに目が閉じられた、真実を見透かす事のできない、魂の眠れる存在なのです。ある書籍に「神すら手を焼く(ゲーテ)」と紹介されていますが、この言葉は、それほど僕達地上人類が何も見えず何も聞こえず何も理解していない愚か極まる存在という事を表現しているのです。
シャーロック・ホームズで有名な、かのアーサー・コナン・ドイル卿もある書籍で言ってます。「正直言って私の心は、周りの人達の無関心と卑怯さに対する冷笑に満ち満ちているのです」と。僕達の目は肉体という鈍重で不自由極まりない外郭に覆われる事で徹底的に曇らされ、かんじんかなめの“霊的な核心”に全く触れる事ができず、明けても暮れても無意味な事にあたら興じる、全く残念な存在というしかないのです。例えばあのシリウス(惑星)にも生命体が存在しますが、その方々からすれば、我々人類などはナメクジにも劣る鈍重かつ退屈極まりない、全く取るに足らない存在なのだという事を、僕達はそろそろ知ってもいいと思うのです。
地上の物質及び地上の富にどれだけこだわっても、それが何になるんでしょう。考えてもみてください。そんなものは死んだら全部地上に置き去りにしなきゃいけないんですよ。向こう(幽界・霊界)には持っていけないんですよ。永遠に比べてたかだか6~70年の人生で集めた無意味な物質たち、そんなものはほっぽっとけばホコリを被って錆びて朽ち果てて塵と化して地球を構成する成分に帰っていくだけなんです。僕たちは死とともにそれら無意味なもの全てをかなぐり捨てて向こうに旅立って行くのです。その時は完全に素っ裸です。今まで生きてきて獲得した“こころ”一つで向こうに行くんです。
地球(地上)という生活の場は、この世界(宇宙)に存在する数々の生活の場の中でも“ほぼ最低ランクの生活の場”なのです。強調します!最低ランクです!地上は生活の場というより“修行の場”なのです。辛い、苦しい、悲しい経験をするための場所、と言っても決して言い過ぎではないと思います。この先にはるかはるか高く素敵な境涯、生活の場が永遠と続いているのに、地上などという最低極まる陳腐な生活の場に魂を縛られ、向上の道を自ら閉ざす事がどれだけ愚かな事か…僕達地上人類は、何としてもこの事実に気付かなければなりません。
僕は果てしなく読書没頭して知識を吸収しまくり、まぁまぁの理解度に到達する事ができました。天然キャラの僕(笑)でさえここまで理解する事ができたんですから、みなさんにだって理解できるはずなんです☆できますとも!僕が読書没頭して勉強しまくった書籍たちは、ブログ「さらにさらに書籍紹介です♪」にて紹介しています。興味を持ってくれた方がもしいましたら、ぜひ手にとって見てください☆これらの書籍は人類の宝なのです☆
僕は今度こそ!今度こそ!今度こそ!出発します(願)詳しい説明はもう割愛しますが、僕を取り巻く状況からかんがみるに、僕は向こうに旅立ったが最後、地上圏との関わりは極端に少なくなるものと思われます。僕自身に一切興味がない事も手伝って、まず地上圏へは降下してこないでしょう、よっぽどの使命でも賜らない限り。なので、残された時間の中であえて強い口調でこうした内容を書いてみました。強調したかったのです。知って欲しかったのです。いや、僕達は知らなければならないんです、この艱難辛苦の地上生活の中において…(祈)

僕は法悦状態を媒介とした間接的なコミュニケーションにより、背後霊団の“意思”を僕なりにくみとり、それに従って地上における描画を終了する決断をし、読書と瞑想練習という生活に突入して現在に至っています。が、実は僕は既にその背後霊団の意思に4回反逆しています。つまり本を読むのをやめて絵に戻ろうとした訳です。
とはいえ僕は画家なので、自分の作品を描きたいと思うのはある意味当然の欲求なのですが、背後霊団が僕に絵をやめさせ、本を読むように仕向けているのは、人間の脳で考える“人知”ではなく、この地上人生を超越したより大きな視点に立った霊団から与えられる“叡知”によるものだと考え、それに従うことが、今は意味を理解できなくとも将来的にそれが自分にとって最適の選択肢だったことを得心する日がくると信じ、読書に没頭していた訳です。
しかし、僕に辛抱が足りずに何度も何度も絵に戻ろうとしてしまう訳です。今回はその4回目の“幼稚な反逆”の様子をちょっと紹介してみようと思います。
初期の旅立ちのメッセージを受け取ってから間もなく半年にもなろうとしています。その待ち期間があまりにも長く辛いので、僕は旅立ちを切望するようになっていました。しかし明けても暮れても旅立てず、毎日期待と落胆の繰り返しで僕はすっかりくさっていました。そしてついに耐え切れなくなって、僕は本をかなぐり捨てて衝動的に部屋を飛び出し、近所の低山に行ってシングルトラックをメッチャクチャに爆走していたのです。心の中で幼稚な叫び声を上げながら。
「いつですか!?いつになったらそちらに行けるんですか!?何でいつまでも本を読み続けなきゃいけないんですか!?何で“絵を描いたら負け”みたいな空気になってるんですか!?画家が絵描いてなにが悪いんですか!怠けたりふざけようとしてるんじゃないんです、一生懸命描こうとしてるんじゃないですか!どうしてなんですか!?もうー!!」とまぁこんな感じで…(恥)旅立てず、さらに絵というお気に入りのおもちゃを奪われてかんしゃくを起こした“だだっ子”のような状態だったのです。それはもう恥ずかしい限りの、幼稚極まる状態でした。
そして翌日には、もう本は読まない、絶対絵に戻ると完全に決心するまでになっていました。その決心と時を同じくして、7月8月頃に体験していた強烈な法悦状態が久々に僕の全身に降りかかってきたのです。ものすごく鼻がキィィィィンって!頭、体がフワァァァって!なるんです。僕はその素敵な法悦状態に喜びつつも、僕の人知による決断が元で背後霊団との連絡路が絶たれてしまうのではないかという不安を感じていました。でも僕の決心はやはり変わらず「僕はもう本は読みません!44作を描きます!もうこれ以上無理です!限界です!」と心の中で叫んでいました。
それからしばらくして心がリラックスした状態だった時、フッ…と「あ、やっぱ本読まなきゃ」という“ひらめき”のような考えが急に頭の中によぎったのです。「…って、あれ?あんなに固く決断したのに何で急にこんな考えが?」と思いながらも次の瞬間にはさらに「でもやっぱり読むべきだよなぁ」と考えたりするのです。その瞬間、僕は数年前に山で経験したある出来事を思い出したのです。僕はその頃、既にトレイルランを始めていて、山が大好きになって毎週山を駈け回っていたのです。そしてある山を全力で駆け下っていた時に、今回と同じような“ひらめき”があったのです。
それは、その時期抱えていたひとつの“問題”についてのひらめきでした。その時期、僕はある男性とある事業を起こそうとしていて、その計画が着々と進行している最中でした。僕はその事業の中で“デザイナー”として参加する予定になっていたのです。しかし僕は正直その男性に尊敬の念を感じることはできず、あまり長い付き合いにはならないだろうと考えていました。
そして山から帰宅後、山でのひらめきの通りにあるメールを書き、その男性に送信しました。すると、僕の方には男性を怒らせる意図など全くなかったのに、烈火の如く怒りまくった返信メールが帰ってきたのです。僕はそれに落ち着き払ってさらに返信し、あれよあれよという間に別れ話がまとまり、難なくその男性と縁を切ることができたのです。
そしてその時のメールのやり取りの中で、男性の心にひとつの“たくらみ”があることがわかったのです。もし僕がその男性と行動を共にしていたら、僕はデザインの仕事と全然関係ない重い荷物を背負わされ、身動きができない状態に陥る所だったのです。そして僕に重い荷物を丸投げして、その男性は全く別の分野に進出しようと考えていたようなのです。
本当に危うい所で背後霊団の導きに助けられた、という出来事が過去にあったのです。「君の道はそっちじゃないよ、こっちだよ」と、あの時言われていたと今になって得心するに至ったのでした。そして今回の「あ、やっぱ本読まなきゃ」というひらめきの様子が、この数年前の出来事の際に感じたひらめきとそっくりの感触だったのです。僕を正しい方向に導くために、僕の心に強烈にインスピレーションを吹き込んでくれたんだと思います。
そして、その日のうちに僕は再び以前の状態に戻って読書を始めていました。ついさっきまで僕は、完全に絵に戻る!44作を描く!もう本は片付ける!…と、そう固く固く決断していたのに。…それが、僕の心に指先でそっと触れられただけで、あっという間に回心してしまったのです。それこそパウロのように。
僕がとった幼稚な行動によって、僕自身が恥ずかしさでいたたまれなくなるのは当然の結果なのでそれはいいとして(恥)本当に、今まで何度も何度も素敵な現象に浴させてもらっていますが、今回も再び決定的な体験をさせてもらい、それによって大いに学び、自分の弱さを恥じ、背後霊団の広い心と優しさを感じ、さらにさらに様々な教訓を得させてもらったような気持ちです。学ぶことは本当に無限にあるのだと、そう感じずにはいられません。
この強烈な待ち期間の中で謙虚さを維持することは、今の僕の人間的成長度ではとても難しく、何度となく道を誤ってしまいます。その度にやさしく、かつ大局的視点に立って僕の未来の進歩、向上に最適な道を進ませようとあらゆる手を打ってくれている背後霊団のことを思うと…自分の未熟さを徹底的に痛感させられ情けなくて悲しい気持ちになりますが、これが今の僕の限界点なので、この恥ずかしさを全身に浴びてそのまま進むしかありません。。。
それにしても今回の体験で、あれほど強烈に絵に戻る決断をしたのに、あっという間に心変わりさせられてしまう、その霊団の“威力”とでも言えばいいのでしょうか(霊団側は“愛”と言ってくれと思うことでしょうが汗)を心底味わいました。本を果てしなく読み続けて、人間というものはそれ自体に創造的能力はなく、すべからくインスピレーションの受信装置でしかない、ということを知識としては知っていましたが、今回の経験でそれを徹底的に思い知らされた、そんな気がします。
つまり、僕は今まで自分のちからで絵を描いてきたと思ってきましたが、実際はそうではなく、創造的産物はすべて向こうが始原であり、人間はそれを良きにつけ悪しきにつけ受信して表現しているに過ぎない…ということを完全に得心した…そんな体験でした。
人間にはある一定範囲内での自由意志がある、僕は本でそのように勉強しています。しかし今回の体験で、僕は心まで背後霊団に牛耳られているのかも知れない、という考えも浮かんでくるのです。人間には本当の意味での“自由意志”はないのではないか…そんな風に思っちゃったりもするんです。(もっとも、導きを拒絶するという自由はあるでしょうが笑)でも僕はそれに対して別に不快感は感じません。僕にとって良かれと思える方向に導いてくださってる訳です。この気持ちを何と表現すればいいのでしょう…。“心地よい降伏”…とでも言えばいいのでしょうか。そんな心境なんです☆
ってな訳で、本当に早くそちら行きの高速船をこちらに到着させてくださいよ。何もかもかなぐり捨てて乗船しちゃいますよ。お願いしますよ、ホントにもう(切望)…久々の高レベル法悦状態に喜びつつ、何とか読書を続けている…たきざわ彰人でしたm(_ _)m(祈☆)

これまで果てしなくツイートしてきましたが、交霊会開催に必要なサークルメンバーを集めるための“最後のカード”を普及会のお二人に投げ、それがまさかまさか空を切り、その直後に「ターン!」という超超超超超鮮明な声(たぶん守護霊様のお声だと思います)が霊聴に響き、さらに帰幽カウントダウンのインスピレーションを受取った事で、これにて僕の地上での“霊的知識普及の使命遂行”が終了し、ようやく、ようやく待ちに待った“帰幽”が実行に移され、地上を離れる事ができると(複雑な思いを抱えつつも)僕の心は喜び跳ねるのでした。
そして帰幽当日「今日こそ、今日こそ、帰幽を実行に移して頂きますよ。頼みますよ」と霊団の方々に念押しするような思念を送りつつ、登山道入口に止めた車にお別れを言って日の出3時間前の暗黒の樹林帯に向けてスタートしたのでした。ヘッドライト、ハンドライトで闇を切り裂きながらガンガンスピードを上げて進んでいく。僕のアタックはいつも“往復コース”を取っているので、前半の往路は闇の中を進み、後半の復路は明るくなってからさっき辿った道を戻ってゴールする、という形になります。
その往路を進む最中、僕の頭を支配するのは帰幽にまつわる思考で、どういう帰幽方法になるのか、帰幽後に僕が書き残したブログ、ツイッターはどうなるのか、結局僕が撃ちまくったテキストは誰にも信じられず、チリと消えていくのか、ま、でもそんな地上的評価に用はない、霊的評価こそ真実の評価なのだから、地上の人々にインチキ呼ばわりされようとも霊界の方々は僕の正しい姿を理解して下さってるのだから気にとめる必要もない…こんな感じの考えがひたすら頭の中でよぎりまくるのでした。
そしていよいよ日の出が近づき空が白み始めた頃、少し雪が残るゴツゴツした岩場を手も使って上るようなセクションに差し掛かっていました。その時、目の前の木の枝が二重に見え「はっ!これは以前、霊関連書籍を読みまくってた時に良く起こった現象だ、霊体の目が発動してるんだ」と瞬間的に理解し、さらに、明らかに霊体が肉体から半分離脱してるようなフワフワした浮揚感、2012年夏頃に最も浴させて頂いていた“法悦状態”にも似た感覚が走るのでした。
僕は心拍を上げてガンガン岩場を上りながら「来るのか!?今日なのか?ビンゴなのか?ならカモン!帰幽カモン!いっちゃって下さい!いつでもやっちゃって下さい!」と、最高に疲労感に包まれつつも顔には思わず笑みがこぼれ、霊団の方々に向かって“帰幽実行お願いします”と思念を送り続けるのでした。このまま意識が遠のいて岩場に倒れ、肉体から抜けて帰幽完了、となるのか?などと、この時の僕の頭の中は完全に“帰幽”に関する思考で占領されていて、他の考えなど一切なかったのです。
ところが!次の瞬間、数日前に“ある男性から頂いたメール”に関する思考がなぜか!なぜか!急に頭の中に飛び込んできたのです!えー、軽く説明しますと、そのメールというのは、帰幽カウントダウンのインスピレーションを受取った翌日に送られてきたものなのですが、僕の本心、願望はあくまでも帰幽最優先ですから、もう帰幽が目の前に迫っているのにそのメールに返信とかしてそちらで時間や手間がかかってしまったら帰幽が遅らされてしまう、それに最後のカード、普及会の方々に背を向けられた時点で“これで終った”という気持を強く抱いていた事もあり、僕はその“ある男性から頂いたメール”に返信せずに帰幽当日の山へのアタックに出かけた…という事だったのです。
その時の僕はまさに帰幽寸前ともいえる状況で、頭の中にそのメールに関する考えなど1ミリも無かったはずなのに、何の前ぶれもなくいきなり僕の頭の中にその考えが飛び込んできたのです。そしてつい数秒前まで僕の頭の中を占領していた帰幽に関する考えがひとつ、またひとつと消えていき、その消えたスペースをメールに関する考えが取って代わって占領して行き、ホンの数秒の間に僕の頭の中はその“ある男性から頂いたメール”の事でいっぱいになってしまったのでした。
「なっ、何だこれは!?何でいきなりあのメールの事で頭がいっぱいになっちゃったんだ!?考えてもなかったのに…」僕は息を切らしながら自分の心の動きを必死に追っていました。そして瞬間的にひらめいたのでした。「あぁっ!これは“パウロ戦法”だ!」と。えー、これについて、まずは僕の2012年11月のブログ「幼稚な反逆の果てに」をぜひご覧頂きたいと思うのですが、この時の僕の状況はこの過去ブログにて書いた状況と全く同じだったのです。霊関連書籍に親しんでおられる方ならお分かりの事と思いますが、霊界の人々は、インスピレーションによって地上の人間の思考をかなりの程度まで操作できるのです。
つまりこういう事です。僕が帰幽寸前とも言える状況に突入していたその時に、霊団から“そのメールに対応しなさい、帰幽はその成否が判明してからです”という強烈なるインスピレーションを受取り、ホンの数秒で一気に頭の中、心の中を“書き換えられてしまった”という訳です。ブログ「幼稚な反逆の果てに」でも“僕の心に指先でそっと触れられただけで、あっという間に回心してしまったのです。それこそパウロのように”と書きましたが、僕は遠くに見える雪が残った山々を眺めながら「またしても、またしても、何という威力なのですか!」と霊団の方々に向けて心の中で叫んだのでした。
その時の僕の頭の中の動きを良く表す表現として“オセロ”を思い浮かべて頂きたいのです。盤面は1コマを残して全て黒で埋め尽されてます。その残った最後の1コマに白が置かれると、その白を中心として黒が次々とピラピラめくれて白に変っていき、それがどんどん外に広がっていってさらに黒がピラピラめくれていって、ついに盤面全体が白で埋め尽くされてしまった…こんなイメージなのです。
その後、空はすっかり明るくなり復路に突入したのですが、僕の頭の中から帰幽に関する思考が完全に消え去り、“ある男性から頂いたメール”の事でいっぱいになっていて、どう返信しようかとか、実際にその男性とお会いするとしたらこんな風にお話が進むのではないかとか、そんな事ばかり考えるようになっていたのです。そしてさらにもうひとつ、数日前にツイートした内容に僕の“勘違い”があった事を理解したのでした。それに関するツイートがこちらです↓
-----
今日の幽体離脱、(文字数節約の為)“姫の霊団”と呼ばせて頂きますが、その方々が僕の所に来て下さって離脱中の演出をしてくれたのですが、どうにもいつもと“空気”が違い、僕はずっと違和感を感じていたのです。僕がそんな事する訳ないでしょ、とか僕がそんな言い訳する訳ないでしょ、と自分で→
→自分に突っ込みたくなるような言動を僕はしてたのです。肉体に帰還後「おっかしいよなぁ~」とずっと首を傾げてました。で、今回、姫の霊団の方々が来て下さった理由は分ってるのです。僕を心配しての事だったのですが「皆様、心配して来て下さって本当に感謝なのですが、大変、大変申し訳ないの→
→ですが、どうか、どうか、お引取り下さい…」と僕は目を閉じてトランスを維持したまま何度も姫の霊団の方々に思念を送り続けたのでした。すると「もう少し頑張れ」という声が霊聴に響き、誰か分らなかったので姫の霊団の方々かもと思い「ノンノン、帰幽は僕の霊団によって既に決定してますので、→
→お気持は有難いのですが、どうか今日はお引取り下さい…」と何度も思念を返すのでした。姫および姫の霊団の方々、心配して頂いて感謝です。ただ、またしても帰幽が延期になりそうなダークゾーンの気配を感じてますが一応カウントダウンに従えば間もなく決行です。帰幽を最優先にさせて下さい(祈)
-----
この時、明らかに僕の霊団とは違う“外部の者”が絡んでいたため、僕の判断に狂いが生じてしまっていたようなのです。この時僕が霊聴にて聞いた「もう少し頑張れ」の言葉を、僕はその“外部の者”からの言葉と判断してしまっていたのです。しかし今回の強烈なる!強烈なる!回心インスピレーションを受けて「あ、あのお言葉は僕の霊団からのものだったんだ」と自分の誤りに気付いたのでした。つまりこういう事です。小インスピレーションで僕が誤った理解をしてしまったので、今度は大インスピレーションを送って正しく理解させた、という事です。もう少し頑張れ、つまりそのメールに対応しなさい、というメッセージだった訳です。
往路を進んでいた時は“帰幽”の事で頭がいっぱいだったのに、復路を進んでいる今は帰幽に関する考えが頭から完全に消えてしまっていて“ある男性に頂いたメール”と、帰ってからこのブログをどう書こうかと考えるので頭がいっぱいになっていたのでした。「往路と復路で完全に別人格じゃないですか!どっちが僕ですか!そこまで書き換えますか!ホントに…何たる霊力!!!何たる威力!!!」ハイスピードで樹林帯を切り裂きながら僕は心の中で何度も叫ぶのでした。
今回、帰幽目前の僕に向けて霊団から送られた、強烈なる!壮絶なる!インスピレーションによって、僕はまたしても“コロッ”と回心させられてしまったのでした。えー、こういう表現はどうかとも思うのですが、僕は知識としてではなく経験として体得してしまっていますので、あえて言わせて頂きます。地上の人間というものは完全に霊界の方々の“あやつり人形”であると。僕の霊体には、霊界にある霊質で出来た超超超超超高性能PCから伸びたUSBがガッチリ刺さっていて、そのPCを操作する者(イエス様かも知れません)の意のままに操られている…もうそんな絵さえ浮かんでくるのです。。。誤解を恐れずあえて言うならば、僕たち地上人には“自由意志”は無いのかも知れません。まぁ、導きを拒絶する自由はあるでしょうが。。。
…うー、今回の山へのアタックは↓
-----
■往路→帰幽
■復路→メール対応
-----
みたいな感じで、頭の中が完全に切替わってしまった…という訳です。そしてゴールに向けて進んでいる時、複数の人々との出会いがあったのですが、これは霊的事象とは関係ないものかも知れませんが“全ての事に意味がある”という霊的知識に照らせば、この出会いも霊団側の霊的演出だったのかも知れない…という思いもありますので一応軽く紹介させて頂きます。
まずトレラン風のウェアに身を包んだ外国の男性との出会いがありました。その男性がカタコトの日本語で話しかけてくれたので、僕はその男性に分りやすいように難しい日本語は使わず、身振り手振りを交えながらゆっくり説明したのでした。すると「ワカルワカル」と返してきてくれて話がどんどん進んでいき、僕も男性もすっかり笑顔になっていたのでした。その外国の男性はよほど喜んでくれたのか別れ際に僕のウェアを褒めてくれて、僕も楽しい気分に包まれつつ調子に乗って「僕はいつもオレンジなの」と返してお互い笑い、山での再会を約束して爽やかな気持で別れたのでした。
さらに進むと今度は数人の先生に引率された子供たちの行列(50人はいたでしょうか)に遭遇し、ゴールの駐車場に向けて下る僕が通れるようにみんなが道を空けてくれるのでした。すれ違い際に子供たちが「こんちはー、こんちはー」と声をかけてくれたので僕も「ありがとねー」とか返しつつ楽しい気持に包まれ進み、何の気なしに「何年生?」とか聞くと女の子が「中1♪」とか可愛く答えてくれたので僕はまたしてもすっかり笑顔になって「アラそうなの♪」とか返し、子供たちと爽やかな気分で別れたのでした。
僕は笑顔で下りながら「ついさっきまで最高レベルに帰幽カモンだったのに何でこんな気分になっちゃってるんだ!?」と自分で自分に突っ込みまくりつつ、大きな疲労感に包まれながらも心は爽快感に満ちて、帰幽を逃してガッカリのはずなのに何とも楽しい気持でゴールしてしまったのでした。。。この出会いについては霊的なものとは全く関係ないのかも知れません。しかし、しかし、「帰幽は必ずできるのだから元気をお出しなさい…」と、イエス様そして霊団の方々にそう言われてるような、何となくそんな気がしてならないのでした…。
…はい。という訳で、最後のカードが空を切ったにもかかわらず、再びの強烈なる回心インスピレーションの威力によって、僕はまたしても帰幽延期させられて地上に取り残されてしまった…という事なのです。現在“ある男性から頂いたメール”の返信内容を検討中。このメール対応の成否(このメールを送って下さった男性およびその関係者がサークルメンバーとなってくれるかくれないか)によって、“霊的知識普及の使命続行”か“帰幽”かが決まる、といった状況です。うー、正直難しいと思ってますが、とは言えこれだけ強烈なるインスピレーションを受けて“そのメールに対応せよ”と言われちゃってますので、やるだけはやってみるつもりです。さ、どうなるのでしょうか…(祈)

はい。今回のブログは数日前に僕がツイートした内容に関係がありますので、まずはそのツイートをご覧下さい↓
-----
事情があり詳細説明できないのですが今日の幽体離脱にて僕が最高レベルに嫌がってる“ある道具”のイメージが延々降り続けるという状況に突入し、帰還後、トランスを維持しながら僕は猛烈な怒りに包まれてしまうのでした。実はこれまでその“ある道具”のイメージが何十回も降って来てます。→
→そのたびに僕は激しく怒り「次それを降らせたら攻撃とみなします!」と霊団側に宣言までしてるのですが、それでもまだこうして降らせてくるのです。その“ある道具”の意味は“何とか現状に留まって使命遂行して欲しい”という霊団のご意思の表れである事は分ってるのですが、僕は現状に→
→留まる事を最高に拒絶してます。どうしても嫌な理由があるのです。しかし霊団側はサークルメンバーが集まらないにも拘らず何としても僕をこの環境に閉じ込めようとするのです。この“ある道具”のイメージを延々僕に降らせる手法には本当に頭にきてます。なぜもっと工夫を凝らさないのか(祈)
昨日“ある道具”のイメージが降りまくった事に激しく怒り「なぜもっと工夫を凝らさないのか」と霊団に対して怒りを表明しました。と今日の幽体離脱にて“工夫を凝らした”メッセージを受取らせて頂きました。とても急いで準備したような雰囲気で、その内容は過去ブログ「青いグミと赤いグミ」と→
→同様の強烈なメッセージ性を帯びたものでした。今回のメッセージ映像はブログに書くべきと思いますので何とか書いてみます。今回僕の幼稚な怒りと要求に即座に答えて頂いて霊団の方々には感謝なのですが“ある道具”のイメージをノーアイデアで延々降らせるのだけは本当にやめて頂きたいです(祈)
今日の幽体離脱で受取らせて頂いたメッセージ映像、僕は十分“効き目”があると思うんです。僕が拒絶する“ある道具”のイメージを延々降らせるよりどれだけ霊団および僕にとって有意義な仕事ができる事か。あなた方があのインスピレーションを僕に送り続ける“真意”は分ってますとも!だから→
→デザインの仕事にいくらでも転職できるのに現状に何とか踏み留まってるんじゃないですか!僕だって自分が背負った使命の重大性は理解してますよ!今回のようにお互い工夫し協調して霊的仕事をしましょうよ。僕も全力で受取り解釈させて頂きますよ。お互い最善の手法で使命遂行しましょうよ(祈)
-----
…とまぁこんな感じで、僕がずっと拒絶している“ある道具”のイメージがひたすら降ってくる事に僕は猛烈に怒りを感じていた訳ですが、僕が霊団の方々に向けてもらした“なぜもっと工夫を凝らさないのか”という言葉を霊団側が大急ぎで実行して下さり、その日の夜の幽体離脱にて、今まであまり見た事のない印象深い映像を見させて頂く事となったのです。今回はその“ストーリー”を僕なりの表現でブログに書かせて頂こうと思います↓
-----
『人形たちの住む村』
江戸時代の日本でしょうか、平屋建ての建物がポツポツと建つ小さな村がありました。暮らす人は少ないのですが、その村には至るところに「人形」がありました。どれも純和風な可愛らしい人形たちです。その人形たちはみな、この村に暮している「人形職人」の手によって作られたものなのです。人形職人は人形たちをとても愛していて、次から次へと人形を制作し、村の中は次第に人形でいっぱいになるのでした。
そんな中、赤い和服をまとった長髪の少女がいました。この少女は人形に“魂”を吹き込む能力をもっていて、その能力を駆使して人形職人の作った可愛らしい人形たちに命を与えようと考えました。人形職人はそれを知って大いに喜び、ぜひやって欲しいと少女にお願いするのでした。
しかし小さな村にはあっという間にこの話題が広まり「そんな事はさせるものか」と役人が人形職人のところへ押しかけてきて、職人の手から人形を奪おうとするのです。人形職人は自分の愛する人形を身を挺して守ります。しかし結局人形は奪われ、職人も連行されてしまうのでした。そして赤い和服の少女も同様に役人に捕まってしまうのでした。
※補足。過去幾世紀、霊能者、霊覚者は真理を説きながらも民衆に理解されず糾弾され、非業の死を遂げるという歴史を繰返してきました。この、人形職人と赤い和服の少女が連行されてしまうという描写に、僕は同じ意味性を感じたのでした。過去の日本においてもこういう事が実際に起こっていたのかも知れません。現代の日本においてはこういう悲劇が繰返されずにすむ事を祈らずにはいられませんが…。
その後、村中の人形を焼いて無くすという法が施行され、人形職人がこれまで作ってきた人形が村の隅々まで徹底的に探し出されて一ヶ所に集められました。そこは、薪を高く積み上げた周りに円形のひな壇のようなものが置かれた場所、いわゆる「人形焼却場」で、人形たちはそのひな壇に立てかけられました。そしてついに中央の薪に火がくべられ、炎は徐々に大きくなっていきます。
その様子を人形職人と赤い和服の少女が遠くから見つめています。自分の愛する人形たちが今にも焼かれようとしている…しかしふたりはどうする事もできず、ただ息をのんで見つめるしかありません。そして炎はさらに大きさを増し、いよいよ人形たちが立てかけられているひな壇に迫ってきました。炎が揺らめき、今にも人形に届きそうになった次の瞬間…。
突然、一陣の風が人形焼却場に吹き、まるでろうそくの火をフッと吹き消すかのように、いとも簡単に巨大な炎を一瞬で消し去ってしまったのでした。遠くから現場の様子を見つめていた人形職人と赤い和服の少女は、愛する人形たちが間一髪のところで助けられた事に「神風だ」とでも言わんばかりに喜び跳ねるのでした。
しかし…寸前のところで救われたその人形たちは、ついさっきまで自分に危機が迫っていた事も何も理解していない様子で、ひな壇に立てかけられながら、ひとことも発せず、ただただ虚空を見つめるのでした…。
END
-----
…はい。いかがだったでしょうか。読む人それぞれに感じ方があるとは思いますが、誰しもこのストーリーに“重いもの”を感じたのではないでしょうか。僕はこれまで、ありとあらゆる“ストーリー”を幽体離脱にて受取らせて頂いてますが、今回のこのストーリーは何とも言えぬ“もの悲しさ”、“やり切れなさ”を感じるものでした。
ま、ここは僕のブログですので一応僕の所感を述べさせて頂きますが、僕はこのストーリーの“人形たち”は、過去ブログ「青いグミと赤いグミ」の中の“青いグミ”と同じポジションだと理解しました。青いグミたちは、地上の試練(大風)に立向かう事ができずにポロポロとロケットブースターの上から脱落していきました。そして今回の人形たちは、霊的事象に全く感応しない“大多数の地上の人間たち”を表しているのではないか…僕はそう思った訳です。
人形職人や赤い和服の少女、このキャラクターはいわゆる使命を帯びて地上に降下した人たち(僕は使命を帯びてませんでしたがイエス様にほぼ勅命のような形で突然に使命遂行する事になってしまったのですが…)を広義の意味で表し、民衆に対して、地上生活の中で最も大切な“霊的なもの”へ関心を向けさせるべく活動をするものの様々な抵抗に遭い、その活動が頓挫寸前にまで陥るのですが、間一髪で高級霊からの援助(神風)を得て危機を脱する…そんな意味を感じたのでした。
しかし、使命を帯びた人たちが民衆の心を開かせようと忍耐強く活動を続け、霊界の高級霊の方々もありとあらゆる援助を“霊的方法で”施しているのですが、地上の大多数の人々は悲しいまでにその事情、高級霊の方々の愛から発する心を砕いた活動に気付く事なく、自分の身の回りで展開している霊的現実に全く目を向ける事も無く、あさっての方ばかり見つめている…炎の危機から救ってもらっても何の反応も示さず虚空を見つめる人形たちは、きっとこういう意味だと思うんです。皆さんはどんな風に感じたでしょうか?
今回このような、僕の幼稚な怒りと要求に即座に答えるという形で霊団側がとても印象深いストーリーを提示して下さいました。このリアクションスピードを逆説的に解釈すれば、霊団側の“使命遂行に向けた必死さ”そして“何としてもサークルメンバーを集めて交霊会を開催する”という強烈なるご意思を表すものであると理解できます。そして実は、この翌日にもちょっとした“ショートストーリー”を幽体離脱にて受取らせて頂いてます。せっかくですのでそちらの方も軽く紹介してみようと思います↓
-----
このショートストーリーは僕が登場します。僕はいつものように山へアタックし、心拍を上げながらガンガン標高を上げていきます。そして標高2500m付近に到達した僕は、空を見上げ手を広げ、天空(霊団)から降ってくる膨大な量のメッセージを猛烈に身に浴びるのでした。
僕は受取ったメッセージを地上(日本)の人々に伝えようとします。しかしその“伝える手段(サークルメンバー)”は遠くに見える山の標高3000m付近にいて、現在僕がいる2500mのポイントからはルートが違っていてそこに到達できません。僕は仕方なく下山し、翌日に、昨日到達できなかった3000m付近のポイントに辿り着けるルートを選択して上り始め、再び2500mまで標高を上げて降ってくるメッセージを身に浴びるのでした。
あとはその僕が受取ったメッセージを地上(日本)の人々に伝えるだけです。が、何と昨日3000m付近にいた“伝える手段(サークルメンバー)”の人たちも移動していて、現在はまた違う山域の3000m付近にいたのです。現在僕がいる場所からそのポイントに行くにはまた下山せねばなりません。僕はガックリと肩を落としながら下山し、翌日に再び標高を上げ、再びメッセージを受取り、再び3000m付近の人々のところに行けず…という状況が何日も続くのでした…
END
-----
はい。このショートストーリーは分りやすいですよね。背後霊団は僕を霊媒(道具)として使用する準備が整い、僕は道具として使用される準備が整っているのですが、外的要因(サークルメンバー)だけが整わず、どうしても交霊会を開催する事ができない、霊言を地上に降らせる準備はすっかり整っているのに、あと一歩のところでどうしても地上に霊言をもたらす事ができずにいる、という意味だとすぐに分りますよね。
えー、僕のブログ、ツイッターをどれだけの日本の方が真剣味をもって読んで下さってるかは正直分らないのですが、今回紹介させて頂いたストーリー『人形たちの住む村』に内封されたメッセージ性は、きっと皆さんの心に、それぞれそれなりの形で響いたのではないか…僕はそう願わずにはいられません。ブログ、ツイッター、さらには音声(MP3)にて果てしなく!果てしなく!説明させて頂いてますが、僕を“ダブルデジタル霊媒”として交霊会を開く事の重大性、日本に最新の霊言が日本語で降ってくる事の重大性、どうか、どうか、皆さんにもう一度お考え頂きたいのです。
日本人の皆さん。この、日本が霊的に進歩向上する千載一遇のチャンスを決して無駄にしてはいけないと、ここに改めて宣言させて頂きます。僕を霊媒とした交霊会のサークルメンバーになる事に興味、関心を抱きつつも決めあぐねている方がいましたら、その方に向けて僕からこの言葉を贈らせて頂きます。「どうか勇気をもって立ち上がって欲しい」と。あなたのその“勇気”が、ひいては日本を霊的に救う事になるからです。今回僕が紹介させて頂いたストーリーの“意味”を、ぜひ噛みしめてじっくりと読み込んで頂きたいと思います(祈)