『母と子の心霊教室』全文掲載 第6章 心霊現象(しんれいげんしょう)のいろいろ その1

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『母と子の心霊教室』【第6章 心霊現象(しんれいげんしょう)のいろいろ その1】みなさんは、お母さんのお使いをよくしますか。よくする?それは偉(えら)いですね。お使いをすると、お母さんはとてもよろこんで、おこづかいをくださることもあるでしょう。
『母と子の心霊教室』では、お使いに行って買う物をまちがえたり、お金を落としたりしたことはありませんか。それもある?それはきっとあわてたか、ほかのことを考えていたからでしょう。なぜそれがわかるって?じつは私も子どものころ、そんな失敗をしたことがあるのです。
『母と子の心霊教室』【1 著者(ちょしゃ)の失敗】それは私がまだ5つの時でした。ある朝お母さんが「チャールズ、いい子だから紅茶(こうちゃ)を100グラム買ってきてちょうだい。帰ったらおこづかいをあげますよ」といって、代金を紙に包んで渡(わた)してくれました。
『母と子の心霊教室』私は、はい、と元気よく返事をして走って出かけました。そして走りながら口の中で、紅茶(こうちゃ)100グラム、紅茶(こうちゃ)100グラム、とくりかえして、買いものをまちがえないようにしました。ところがです。
『母と子の心霊教室』いよいよお店にきてみるとお客がいっぱいきていて、すぐには買えないのです。私はじゅんばんを待ちながらも、紅茶(こうちゃ)100グラム、紅茶(こうちゃ)100グラムとくりかえしていたのですが、ふと見ると、お店の台の上に→
『母と子の心霊教室』→鳥かごが置いてあって、この中に美しいオオムが1羽います。わあ、きれいだなあ、と思っていると、そのオオムが「おはよう。なにがいりますか」といいました。じょうずだなあと思って感心していると、やっとお店のおじさんが私に向かって→
『母と子の心霊教室』→「やあ、ぼっちゃん、なにがいるの?」と聞きました。「あのね…」さあたいへんです。そのあとが出ないのです。そうです。オオムに気をとられているうちに、紅茶(こうちゃ)100グラムという文句を忘れてしまったのです。
『母と子の心霊教室』人間が物を覚(おぼ)えたり忘(わす)れたりするのは不思議なことですね。みなさんも宿題をいっしょうけんめい暗記して、よし、これでぜったい覚(おぼ)えたぞと思ったのに、つぎの日学校で先生にあてられたときはすっかり忘(わす)れていた、→
『母と子の心霊教室』→という経験があるでしょう。いったい記憶(きおく)するということはどういうことなのでしょう。そしてまた、それを忘(わす)れるというのはどういうことなのでしょう。それをこれから勉強しましょう。
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『母と子の心霊教室』【2 記憶(きおく)には3つの段階(だんかい)がある】みなさんが物ごとを覚えようとするとき、どんなことが生じているでしょうか。みなさんの身近なことから考えてみましょう。まず最初に、これから覚(おぼ)えようとするものについて“知り”ます。
『母と子の心霊教室』知る方法にはいろいろあります。“聞いて知る”場合もありますし(人の話など)、“見て知る”場合もありますし(人の顔とか文字など)、“鼻でかいで”知る場合もありますし(花の香(かお)りなど)、“手でさわって”知る場合もあります(熱いとか冷たいとか)
『母と子の心霊教室』つぎに、そうして知ったものは、ちょうど黒板に書いたように、みなさんの頭の中に書きこまれます。なんどもくり返せば、それだけはっきりとします。ではなぜ、いっしょうけんめい覚(おぼ)えたものを忘(わす)れることがあるのでしょうか。
『母と子の心霊教室』それはつぎの段階(だんかい)を知ればわかります。すなわち、いちど頭の中に書きこまれたものは、そのあとから入ってくる新しい知識に押(お)しやられて、こんどはその奥にある“記憶(きおく)の押(お)し入れ”の中にしまいこまれるのです。
『母と子の心霊教室』けっして消えてしまうのではありません。ただ、ずっと奥(おく)の方へ押(お)しやられたために“思い出しにくく”なり、それを“忘れた”といっているにすぎないのです。ですから、その記憶(きおく)の押(お)し入れから何回も出し入れしていれば、→
『母と子の心霊教室』→だんだん思いだすのがはやくなり、しまいには、みなさんがしゃべっている言葉のように、思いだそうとしなくても自然に出てくるようになります。記憶(きおく)の押(お)し入れには、良いものでも悪いものでも入りますし、どれだけ入れても→
『母と子の心霊教室』→いっぱいになることはありません。が、皆さんは、机の中に何でもかんでも放りこんだために、あとでなにを入れたかわからなくなり、大さわぎをしながら探(さが)しものをした経験はありませんか?記憶(きおく)も同じことです
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『母と子の心霊教室』いちどになにもかも覚(おぼ)えようとすると、そのときは覚えたつもりでも、あとで思いだそうとすると、なにもかもがごっちゃになって、はっきり思い出せなくなります。勉強するときはひとつひとつじゅんじょよく記憶(きおく)するようにしましょう。
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『母と子の心霊教室』【3 潜在意識(せんざいいしき)のはたらき】ところで、私はいま“記憶(きおく)の押し入れ”という変な言葉を使いましたが、もちろんこれは私がこしらえた言葉です。心霊学(しんれいがく)には別の専門語(せんもんご)があります。
『母と子の心霊教室』それを潜在(せんざい)意識といいます。潜在(せんざい)意識にはいろいろとたいせつなはたらきがあります。その第1は、みなさんがふだんはたらいてくれていることを知らずにいる器官、たとえば胃とか心臓(しんぞう)とか肝臓(かんぞう)などの→
『母と子の心霊教室』→はたらきを受けもっています。ご承知のように、心臓(しんぞう)や肝臓(かんぞう)は昼と夜の区別なく、休みなくはたらいてくれております。すると潜在(せんざい)意識は、みなさんが生きているあいだは、いっときも休むことなく→
『母と子の心霊教室』→はたらきつづけることになります。つぎに、いま述べたように、みなさんが知ったものを貯(たくわ)えておく役目もします。さっき例としてあげたような、人の話だとか、文字だとか、花の香(かお)りだとかいったものだけではありません。
『母と子の心霊教室』歩き方だとか、自転車の乗り方だとか、泳ぎ方なども、やはり潜在(せんざい)意識が覚(おぼ)えてくれているからこそ、できることなのです。「え、歩き方まで?」―みなさんはきっとそう思われるかもしれませんが、では、みなさんの中で、→
『母と子の心霊教室』→生まれてすぐから歩いたという人がひとりでもいますか?もちろんいないでしょう。だれだって最初はハイハイからはじまり、つぎに立つことができるようになり、それからお母さんに手を取ってもらったりしながら、ヨチヨチ歩きができるようになったのです。
『母と子の心霊教室』それが今では、どこかへ行こうと思っただけで自然に足が出ます。それはけっきょく、赤ちゃんのときに覚(おぼ)えた歩き方を、潜在(せんざい)意識が記憶(きおく)していてくれて、しかも毎日のように使っているからなのです。
『母と子の心霊教室』さて、潜在(せんざい)意識にはこれ以外にもうひとつ、それも私たち心霊学(しんれいがく)を学ぶ者にとっていちばんたいせつなはたらきがあります。それは、いろいろな心霊(しんれい)現象をおこすことです。では、どんな現象をおこすのでしょうか。
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『母と子の心霊教室』【4 テレパシー現象(げんしょう)】このあいだ私は、ふとある友だちのことを思いだして「もうずいぶんながいこと会っていないけど、どうしてるかなあ。よし、ひさしぶりに手紙をだそうか」そうおもって、さっそく手紙を書き送りました。
『母と子の心霊教室』ところがです。その翌朝(よくあさ)になって、その友だちから1通の手紙が届(とど)いたのです。読んでみると、やはりその友だちも、私がその友だちのことを思いだしたのとほとんどおなじころに、私のことを思いだして手紙を書いているのです。
『母と子の心霊教室』おもしろいことがあるものだなあ、と私は不思議に思ったのですが、きっとその友だちも同じように不思議に思ったことでしょう。それからこんなこともあります。それは、自分がいいだそうとしたことをそばの人が先にいう場合です。
『母と子の心霊教室』反対に、そばの人がいおうとしたことを自分が先にいう場合もあります。これはいったいどういうわけなのでしょうか。そのわけはじつは簡単(かんたん)なのです。
『母と子の心霊教室』一方の人が考えていることを、他方の人の潜在(せんざい)意識がキャッチして、それを相手より先に脳(のう)へ伝えたのです。そうです、記憶(きおく)するときと正反対の作用がおきたのです。テレビと同じです。
『母と子の心霊教室』潜在(せんざい)意識というアンテナが、他人の考えをキャッチして、それを脳(のう)という受像器へ伝えるわけです。こういう現象をテレパシーと呼んでいます。
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『母と子の心霊教室』ところで、右にあげた例は、ふたつとも現在地上に生きている人間どうしのテレパシーですが。これが地上の人間とエーテル界の霊(れい)とのあいだで、おきることもあるのです。このあいだ、ある有名な小説家が、私につぎのような話をしてくれました。
『母と子の心霊教室』ある日その小説家はサンフランシスコへ行くことになったのですが、その地名を頭にうかべたとたん、その土地の○○通りにある××ホテルへいけば、子どものころの女友だちに会えるような感じがしたというのです。
『母と子の心霊教室』心霊学(しんれいがく)について何も知らないその小説家は、そのことをあまり気にかけなかったのですが、まあ、ためしに行ってみようかと思ってそのホテルを訪(たず)ねてみたところ、驚(おどろ)いたことに、その直感どおり子どものころいっしょに遊んだ→
『母と子の心霊教室』→女友だちのひとりがそのホテルに泊(とま)っていたというのです。その女性はもう白髪(しらが)のおばあさんになっていました。もちろん小説家は、その友だちが白髪(しらが)になっていることなどは、予想もしませんでしたし、女性の方も、→
『母と子の心霊教室』→その小説家が訪(たず)ねてくることなど、夢(ゆめ)にも思いませんでした。
『母と子の心霊教室』するとこれは、小説家と女性との間のテレパシーではなくて、誰かエーテル界にいる霊(れい)―たぶんふたりをよく知っているもうひとりの友だち―が教えたにちがいありません。これもやはりテレパシー現象です。
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『母と子の心霊教室』【5 霊言現象(れいげんげんしょう)】第5章で霊媒(れいばい)のY夫人のからだを、支配霊(しはいれい)のブラウン・オウルが使った話をしましたが、じつをいえば、あの場合も、ブラウン・オウルは直接Y夫人のからだを動かしたのではなく、→
『母と子の心霊教室』→Y夫人の潜在(せんざい)意識をはたらかせたといった方が正しいのです。他人の潜在(せんざい)意識を使うことはたいへんむずかしいことです。慣れないうちは霊(れい)のいいたいことが、霊媒(れいばい)の潜在(せんざい)意識の中の記憶(きおく)と→
『母と子の心霊教室』→ごっちゃになって、思うように伝えられないものです。しかしなん回もくりかえしていくうちに、ちょうどみなさんが、大きくなるにつれて言葉を話すのがじょうずになってきたのとおなじように、霊(れい)の方も霊媒(れいばい)の潜在(せんざい)意識の→
『母と子の心霊教室』→使い方がじょうずになり、しまいには、あのブラウン・オウルのように、冗談(じょうだん)までいえるようになります。そのような段階(だんかい)までくると、霊媒(れいばい)の意識は完全に消えてしまいます。これを専門語(せんもんご)で→
『母と子の心霊教室』→トランス(入神状態(にゅうしんじょうたい))といいますが、トランス状態にある霊媒(れいばい)は、霊(れい)がなにをしゃべり、どんなことをしたかを知らないのがふつうです。
『母と子の心霊教室』ときには霊媒(れいばい)のぜんぜん知らない外国語でしゃべることさえあります。このように、トランス状態の霊媒(れいばい)を通じて霊(れい)が話をするのを霊言(れいげん)現象といいます。
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『母と子の心霊教室』【6 自動書記現象(じどうしょきげんしょう)】霊(れい)が地上の人間に通信を送る方法にはいろいろあります。霊言(れいげん)現象もそのひとつですが、これを、文字によって伝える方法もあります。自動書記現象というのがそれです。
『母と子の心霊教室』自動書記では、霊媒(れいばい)はただエンピツを持って目を閉(と)じ、気持ちを静かにして何も考えない状態にしていればよいのです。するといきなり手が動きはじめて、用意された紙の上につぎつぎと文章が書かれていきます。
『母と子の心霊教室』そして最後のところに、○○より、というサイン(署名(しょめい))が記(しる)されますが、その名前の字体や文章全体の書体をみると、その通信者の生前のものとそっくりなのです。また、その通信の内容は霊媒(れいばい)の知らないことがほとんどで、→
『母と子の心霊教室』→ときには霊言(れいげん)現象の場合と同じように、霊媒(れいばい)の知らない外国語で書かれることもあります。それから、書かれるものは文章ばかりとはかぎりません。美しい絵がえがかれることもあります。
『母と子の心霊教室』その絵の中には、専門(せんもん)の画家も驚(おどろ)くほど立派(りっぱ)なものが少なくないのですが、おもしろいことに、霊媒(れいばい)自身は絵が大きらいでいちどもえがいたことがないというようなこともあります。
『母と子の心霊教室』いずれにせよ、自動書記現象の場合も、霊(れい)が直接霊媒(れいばい)の手を使っているのではなく、やはり潜在(せんざい)意識を操作(そうさ)して書いているのです。自動書記通信が、書物となって出版されたものが数多くありますが、→
『母と子の心霊教室』→中でも有名なものに『霊訓(れいくん)』というのがあります。これは、ステイントン・モーゼスという英国の牧師さんの手によって書かれたもので、紀元前5世紀のユダヤの予言者だった霊(れい)を最高指揮者(しきしゃ)とする、→
『母と子の心霊教室』→ぜんぶで49名からなる霊団(れいだん)から送られたものでした。その内容はひじょうに程度の高い霊的(れいてき)真理や道徳、人間の生き方などが書かれていて“スピリチュアリズムのバイブル(聖書(せいしょ))”と呼ばれて100年以上たったいまでも、→
『母と子の心霊教室』→世界中の人びとに愛読されております。では参考までに、モーゼス牧師がそれをどのような状態で書いたか、ということを知っていただくために、「まえがき」の1節を紹介(しょうかい)してみましょう。
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『母と子の心霊教室』「私はいちども自分から自動書記をはじめたことはなく、いつも急に書きたくなって、あわててえんぴつをにぎりました。ひまだからと思って机に向かっても、何の通信も来ないのです。むしろ自動書記のことを少しも考えていないときなどに、」→
『母と子の心霊教室』→「ふと書きたい気持ちがわいてきて、それから急いで用紙とエンピツを用意して机に向かいました。それはたいてい朝のことで、書き始めると1時間くらいつづきました。私は早起きです。そして身支度(みじたく)が終わるとまっ先に神さまにお祈(いの)りををするのですが」→
『母と子の心霊教室』→「書きたいという衝動(しょうどう)はたいていそのときにわいてきました。だからといって、お祈(いの)りをしながら、もうそろそろ通信がくるかな、などということはけっして考えませんでした。」
『母と子の心霊教室』「書いているあいだによくほかの心霊(しんれい)現象もおきましたが、私の健康状態が悪くなるとそれも出なくなり、そのうち自動書記通信も来なくなってしまいました。」
『母と子の心霊教室』この1節を読んだだけで、自動書記というものがけっして霊媒(れいばい)がわざとやっているものでないことが、よくわかっていただけると思います。
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『母と子の心霊教室』【7 サイコメトリ現象(げんしょう)】私がいまこの本を書いている机の上には、バラの花がたくさん生(い)けてあるのですが、おもしろいことに、私が外出して友だちなどに会うと「わあ、君の服はバラの香りがするね」といって、→
『母と子の心霊教室』→まるで犬のように鼻をクンクン鳴らします。そのわけはわかりますね。そうです。ながいあいだバラのそばで仕事をしているうちに、その香(かお)りが私の衣服にしみこんだわけです。
『母と子の心霊教室』ところでみなさんは、品物を手に持つだけでその持ち主のことをなんでもいいあてる人がいることを知ってますか?ハンカチでも帽子(ぼうし)でも腕時計(うでどけい)でも、あるいはシャツの切れはしでもいいのです。
『母と子の心霊教室』とにかく、その人がいちどでも使ったことのあるものを手に持つのです。するとその人は、この品物の持ち主は年令がいくつで、どんな性格の人で、現在どこにいる、あるいはもう死んでいる、といったことをスラスラと述べます。
『母と子の心霊教室』なぜわかるのでしょう。それは、私たちがいちど物体にさわると、あるいは身につけると、ちょうどバラの香(かお)りが私の衣服にしみこんだように、私たちの潜在(せんざい)意識にあることが、ぜんぶその物体にしみこんでしまうのです。
『母と子の心霊教室』それを霊能者(れいのうしゃ)が読みとるわけです。こうした現象をサイコメトリといいます。では潜在(せんざい)意識にないこと、たとえばその持ち主がもう死んでいるとか、現在どこそこに行ってる、といったことはどうやって知るのでしょう。
『母と子の心霊教室』それは霊能者(れいのうしゃ)の背後霊(はいごれい)が教えるのです。かりに持ち主が死んでいる場合、その人がいまエーテル界でどんな生活をしているかまでわかることがありますが、こんな場合は、きっと本人がその霊能者(れいのうしゃ)に→
『母と子の心霊教室』→知らせているのでしょう。死んだわが子や友だちが今どうしているかが知りたくて、その人の生前の持ち物をもってサイコメトリの霊能者(れいのうしゃ)をたずねる人がたくさんおります。
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『母と子の心霊教室』【8 今すぐ霊能者(れいのうしゃ)になろうと思ってはいけない】以上の説明でおわかりのように、心霊(しんれい)現象と潜在(せんざい)意識とは切っても切れない深い関係があります。また潜在(せんざい)意識の使い方ひとつで、→
『母と子の心霊教室』→いろいろな心霊(しんれい)現象が生じること、そして、それぞれの心霊(しんれい)現象には、かならずエーテル界の霊(れい)が協力していることもわかっていただけたことと思います。
『母と子の心霊教室』ところで、みなさんの中には、自分もはやく霊能者(れいのうしゃ)になりたいと思っている人がいませんか?きっとおおぜいの人がそう思っていることでしょう。ですが、ほんとうのことをいうと、私がこの本で説明する心霊(しんれい)知識だけでは、→
『母と子の心霊教室』→とてもとても十分とはいえないのです。第5章で紹介(しょうかい)したような霊能(れいのう)養成会に参加できるようになるまでには、もっともっと心霊(しんれい)現象について勉強しなくてはいけません。
『母と子の心霊教室』もしかしたら、みなさんの中にも、すでに霊視(れいし)能力や霊聴(れいちょう)能力を持っている人がいるかもしれません。それはひじょうにありがたいことですが、しかし、そういう人でも、これからもっともっと心霊学(しんれいがく)を勉強して、→
『母と子の心霊教室』→その能力をさらに立派(りっぱ)なものとし、同時にその正しい使い方を知らなくてはなりません。潜在(せんざい)意識は人間の誰(だれ)もが生まれたときから備えているものです。その中にはこれまで説明したような心霊(しんれい)能力が→
『母と子の心霊教室』→宿されているのです。ただ、ふだんは居眠(いねむ)りをしているだけです。もちろんエーテル界へいけば、それらがぜんぶ使えるようになりますが、みなさんは、死んでからのことよりも、地上に生きているうちに使うことを考えようではありませんか。
『母と子の心霊教室』そのためには、まず、正しい真理をできるだけたくさん学ぶことが必要なのです。
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-----6章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) スピリチュアリズムについて ―訳者(やくしゃ)】ひと口にいえば、心霊学(しんれいがく)を基礎(きそ)として発達した人生観、人間観、宇宙観(うちゅうかん)をスピリチュアリズムと呼んでいます。
『母と子の心霊教室』もともと心霊学(しんれいがく)あるいは心霊(しんれい)研究というのは、厳密(げんみつ)にいえば心霊(しんれい)現象の科学的研究、およびその研究結果のことをさし、その知識を発展させ、応用したものがスピリチュアリズムです。
『母と子の心霊教室』自動書記現象を例にとって説明すれば、霊媒(れいばい)の手がひとりでに動いて文章が書かれるという現象は、どういう原理によるのかを科学的に検討(けんとう)するのが心霊(しんれい)研究で、それから先、つまりその通信をほんものと信じて、そこから教訓を読みとり、→
『母と子の心霊教室』→それを自分の人生観の中にとり入れていくのは、心霊学(しんれいがく)の範囲(はんい)を超(こ)えてスピリチュアリズムとなります。人間には科学的探究心(たんきゅうしん)のほかに、道徳的向上心もあれば哲学的(てつがくてき)思考力もあり、→
『母と子の心霊教室』→宗教的(しゅうきょうてき)信仰心(しんこうしん)もあります。そのため、どうしても心霊学(しんれいがく)だけでは満足できなくて、それぞれの分野で解釈(かいしゃく)・発展させずにはいられません。これは理屈(りくつ)ではなく人間のありのままの姿(すがた)なのです。
『母と子の心霊教室』その自然の結果として生まれたのがスピリチュアリズムなのです。したがって、スピリチュアリズムでは、心霊学(しんれいがく)を科学的基盤(きばん)として、それまでとはまったく観点の異(こと)なる道徳観と、→
『母と子の心霊教室』→この世とあの世にまたがる雄大(ゆうだい)な哲学思想(てつがくしそう)、そして、神とか仏、来世といった、これまで“信仰(しんこう)”の領域(りょういき)で扱(あつか)われていたものを“事実”として扱(あつか)う現実的な宗教性(しゅうきょうせい)が→
『母と子の心霊教室』→一体となっております。それは、大自然をあるがままに認(みと)め、真理が教えるままに従(したが)っているのですから一宗一派(いっしゅういっぱ)にかたよることもなく、個人的な主義・主張の入る余地もありません。
『母と子の心霊教室』ですから、ほんとうはスピリチュアリズムという名称をつけるのはおかしいのですが、他と区別するために、やむをえずそう呼(よ)んでいるのです。
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