『シルバーバーチの霊訓⑨』

『シルバーバーチの霊訓⑨』
一つの共通した尺度というものがないのです。あなた方の仕事においてさえも各自の霊的進化のレベルが異なるという、その単純な事実に由来する衝突が沢山あります。霊的覚醒というのは霊性の進化と共に深まるものです。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
となると、あなたが高級霊との一体関係を確立しても、あなたと同じ発達段階に到達していない者がそれに参加する事が出来ないのは明白です。従ってあなたはあなたとして活用し得る限りの手段を駆使して最大限の成果をあげる事に努力するしかない訳です。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
この問題は私たち霊界の者にとっても無縁ではありません。私たちも常に同じ問題に直面しているからです。私たちは地上の人間を道具として仕事しますが、その中には霊界側として期待している水準にまで達しない者がいます。しかしそれはそれとして最善を尽すしかないのです

『シルバーバーチの霊訓⑨』
そうした事情のもとでも光明が次第に広がりつつある事に皆さんもいずれ気づかれるはずです。大切な事は、この度のように伝統も環境も異なる世界各地から言語も考えも異なる代表が一堂に会する機会をもつ事です。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
その場で例えば他の国での成果を知って、それを遅れている国の人がよい刺激とする事が出来ます。案ずる事はありません。あなた方は自分なりの最善を尽せばよいのです。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
もうこれ以上は出来ないというところまで努力したら、それ以上はムキにならず、あとは私たちに任せる気持におなりなさい。人間は自分に出来る限りの努力をしていればよいのです。それ以上の事は要求しません。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
【でも何かよい秘訣のようなものはありませんか―】真理を理解するという事以外に秘訣はありません。例えば再生の問題は人間には解決できない難問の一つです。人間はすぐ“証拠”にこだわりますが再生は証拠によって確信が得られる性質のものではありません。

高いところから見下ろす位置にいるために当然人間の思想や行為を操る事ができる。事実それをかなりの程度までやっているようである。立派なアイデアやインスピレーション、あるいは歴史の流れを変えるような大きな出来事などは、みな霊界に源を発しているという。―【スピリチュアリズムの真髄】より

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『シルバーバーチの霊訓⑨』
証拠などと言っても、ただの用語にすぎません。確信というのは内部から湧き出てくるものです。魂に受入れ準備が整えば理解がいきます。その理解こそ大切で、それが唯一の確信です。科学は刻一刻と変っていき、その領域を広げつつあります。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
知識というものは固定したものではありません。一方、確信というのは真理と遭遇した時に湧き出る内的な悟りです。この再生に関して地上では当分の間、意見の一致は見られないでしょう。理解した人にとっては至って単純な事であり、容易に納得がいきます。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
一方、理解できない人にとってはひどく難しく思えるものです。ですから忍耐強く待つ事です。意見の一致が得られないからといって組織が潰れる訳ではありません。何につけ、議論する事は結構な事です。意見が衝突する事は結構な事です。自然は真空を嫌うと言います。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
惰性は自然の摂理に反します。作用と反作用は正反対であると同時に相等しいものであり同じエネルギーの構成要素です。立ち止まってはいけません。大いに議論し討論し合う事です。沸騰した議論がおさまった時、その壷の中から真実が姿を現す事でしょう。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
【再生について今ここで語って頂けませんか―】実は私自らが皆さん方が体験しておられる難しさを味わっております。私は再生を認めておりますが、このバーバネルは認めようとしません(※)自分の道具すら説得できないでいて他の人を説得出来る訳がないでしょう。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
(※これはシルバーバーチとバーバネルとが別人である事の証拠としてよく話題にされたものであるが、晩年はバーバネルも得心していた。なおこのコペンハーゲンでの交霊会がいつ行われたかは記されていない。―訳者)

『シルバーバーチの霊訓⑨』
【事実か事実でないかだけでもおっしゃって頂けませんか―】得心した人にとっては事実です。得心しない人にとっては事実ではありません。(真理の本質をついた明答というべきであるが、それにしてもなぜ要求にまともに応じなかったのか。―)

『シルバーバーチの霊訓⑨』
―(私が思うに再生問題はスピリチュアリストの間でも異論の多い問題で、肯定派の中にさえ様々な再生論があって、ここでシルバーバーチが一方的に述べる事はISFの内部に余計な波風を立てる事になる事を案じたのであろう。―訳者)

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『シルバーバーチの霊訓⑨』
【異なった信仰に対する態度はどうあるべきでしょうか。我々に信仰を押付けようとする者に対して寛大であるべきでしょうか。それとも我が道を行くの態度で相手にしない方がよろしいのでしょうか。―】

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【私の考えではスピリチュアリズムはキリスト教に対してその活動については寛大でありつつも、スピリチュアリズムの霊的真理そのものは浸透させていくべきだと思うのです。真実の信仰に欠ける者にスピリチュアリストが正しい宗教性を植えつけていくべきだと考えます。―】

『シルバーバーチの霊訓⑨』
スピリチュアリズム、スピリチュアリズムとおっしゃっても、それはただの用語にすぎません。私たちは用語には関心はありません。用語とは概念や実在をくるむための道具にすぎません。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
私たちの関心は霊力、神の力―私はそれを大霊と呼んでいるのですが―それが地上に根づく事です。どこでもよいのです。それが私たちの努力の背後の目的です。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
なぜ霊力を根づかせようとするのか。それは霊力には魂に感動をもたらし、真の生命に目覚ませる力があるからです。どこであってもよいのです。教会の中であっても、外であっても、家庭内でもいいのです。目的とするのは一人一人の魂です。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
物的惰眠から目覚める段階まできた魂は、あなたの行動範囲に自らやってくるか、あるいはあなたの方から訪れて、霊のタネが蒔かれる事になります。そのように導かれるのです。それでもし失敗したら、ひそかに涙を流してあげなさい。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
自分のためにでなくその人のためにです。その人は絶好のチャンスを目の前にしながら、それをとらえ損ねたのです。しかしそうこうしているうちに、そこかしこにタネの根づきやすい魂がいる事が分ります。やがて芽を出し花を咲かせ、急速に美しさと優雅さを増していきます。

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『シルバーバーチの霊訓⑨』
そのタネに神性が宿されているからです。かくしてその魂は真の自我を発揮しはじめた事になります。地上生活のそもそもの目的は人間が身体的・精神的・霊的の全側面を活用して生活する事であり、その三つの側面が機能するに至るまでは本当の意味で生きているとは言えません

『シルバーバーチの霊訓⑨』
身体と精神のみで生きている間は影と幻を追い求め、実在に気づかずにおります。霊的自我が目覚めて初めて驚異的な霊的可能性と冒険への扉が開かれます。地上という物質の世界へ生まれてきたのは、その霊的自我を開発するためです。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
ですから、その目覚めがどこで生じるかは重要ではありません。重要なのは魂が目を覚ますという事、その事です。地上生活に悩みと苦しみが絶えないのはそのためです。悩み苦しみ抜いた末に、もはや物的なものでは救いにならないと観念した時に、―

『シルバーバーチの霊訓⑨』
―霊的なものへ目を向ける用意ができた事になります。“風は気ままに吹く”(ヨハネ)と言います。真理の風をどこにでも気ままに吹かせればよいのです。受入れる用意のある魂に当った時に存分に力になってあげる事です。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
【霊媒現象とスピリチュアリズムの活動のあり方をこれからどう改めて行くべきかについて何かアドバイスを頂けますか―】常に新しい側面が台頭しています。物理的心霊現象が徐に後退し、心霊治療と霊的教訓という高等な側面が取って代りつつあります。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
地上の人間の進化のサイクルが変りつつあるからです。あなた方は霊的に導かれるままに進まれるがよろしい。霊的進歩には型にはまった様式はありません。今日まで導いてきてくれた力を信じて一身を預ける事です。

『シルバーバーチの霊訓⑨』
その力こそ地上のあらゆる物的財産に勝る珠玉の知識をもたらしてくれた力です。ひたすらに前向きに歩まれる事です。どこにいても最善のものを施す事です。必ずや導かれ、援助を受けます。

日本の天皇一族、明仁、文仁、徳仁、悠仁は【強姦殺人魔】です。「死刑」にしましょう(祈)†

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†