幽体離脱時、徳仁が手錠をかけられたまま銭湯に入っている映像が降ってきましたが、ブログとして表現するにはチョトムズカシイ感じで考え中です。他にもまだ書いていない霊団からのブログネタがいくつもあります。それらを見返す事もしないといけません。ちなみに固定ページ「PDF」どうにも良い方法を構築できませんのでChromeでのPDF変換方法をご紹介致します。ctrl+Pでプリントウィンドウを開いて「送信先」を「PDFに保存」にすれば簡単にブログ(Webページ)をPDF化できます。ところどころ画像が表示されないのが良く分かりませんが。もし僕のブログを紙に落として持っていたいという有り難い方がおられましたら、この手法でPDF化して印刷するのがいいのではないでしょうか(祈)†

2020年7月4日

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1ページ
シルキー、フラーでクレスを飛び出し中。回想
シルキー「あたしのフラーの操作のどこが悪いっていうのよ!」
僕「イヤ悪くはないわよ、ただフラーっていうのは本来“思念で操作する”ものであって…」
シルキー「あたしはマニュアル操作でちゃんとフラーを動かしてるわ。問題ないでしょ」
僕「そうね、そうね、シルキーのマニュアル操作はすごいけどフラーっていうのは思念操作がデフォルトでマニュアルは非常用に付いてるだけ…」
シルキー「あたしは誰より勉強してちゃんとフラーを飛ばしてるわ!アキトのバカ!」
2ページ
シルキー「なによなによ、あたしはあんたよりベンキョーしてるわよ。アキトのバカ!バカ!」
フラー06ver2.0「……」
シルキー「キャ!真っ暗!」
シルキー「ナニコレ?全然動かない。フラー、どうしたの?ちゃんと動きなさいよ」
シルキー「マニュアル操作に反応しない…ちょっとフラー!ちゃんと動いて!」
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2ページ×4、計8ページの何でもないストーリーですが、短いながら霊的知識に基く僕なりの深い意味を込めたストーリーとなっています。止まらずにアナログ絵278、3、4ページの描画に入りましょう。霊団がアナログ絵を推す趣旨のメッセージを複数降らせています。僕が描く絵が誰かの心に何かを残す事ができているならデザインの人間として本望ですが、僕、たきざわ彰人という人間は相当の高確率で闇から闇に葬り去られる事が予測されますので、僕の事などどうでもいいですから強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体について正しい認識に到達して頂きたいと思います。僕の事などどのように誤解して頂いても構いません、しかし日本の中心で「大偽善」の洗脳を繰り返してふんぞり返っている「宇宙一のバカ」明仁、文仁、徳仁、悠仁を確実に死刑にして滅亡させる事、それだけは何が何でもご協力願いたいと思います。

2013年4月「イエス様の怒涛の連続顕現」を受けてイエス様と男と男の鉄の約束を交わした僕が、この残された物質界での人生で果たさねばならない事はただひとつ、イエス様との約束を完璧に果たし切る事、イエス様の御名を連呼する責任を完璧に果たし切り、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を確実に死刑に処し「宇宙一のバカ」として人類の歴史にしっかり登録する事。そしてこのバカどもによって明治維新以降、全てウソで塗り固められてしまった日本のインチキ歴史を解明、修正し「黒歴史まとめ」として後世の人類に正確な記録を完全な形で残す事。そして何より明仁、文仁、徳仁、悠仁が「処刑遊び」で四肢切断、強姦殺人しまくっている幼い奴隷の女の子たちを救出し、女の子たちの「夢」を叶えるお手伝いをしてあげる事。

霊覚者などと名乗る僕は地上に残されている限り軽蔑、嘲笑、誤解、嫉妬、侮蔑、罵倒を浴び続けねばならない宿命であり、僕という人間像は大いに歪まされて間違った認識が後世に広まってしまう事になる可能性が大変高いです、それは仕方のない事ですので一向に構いませんが、しかし強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体だけは正確に未来の人類に伝えて行かねばなりません。僕の描き続けるアナログ絵が、皆さまが正しい理解に到達するひとつのきっかけになる事を絶対的に信じ、物質界に残されている限り「画家の血」にかけて真実を伝えるツールとして描き続けていく覚悟です。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは信じられない天文学的人数の幼い女の子を遊びで強姦殺人しまくって死肉を食べまくっています。こいつらの悪行にこれ以上目を閉じ続け洗脳にやられ続けるのは「人類の恥の行為」となります。このまま明仁、文仁、徳仁、悠仁を許し続けるというのなら、僕たち日本人という民族は世界から「おめでたい民族」という認識が固着する事でしょう、既に固着しているかも知れません。このままではいけないのです。僕たち日本人のアイデンティティにかけて強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をチリひとつ残さず完全に滅ぼし切らなければならないのです(祈)†

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『シルバーバーチの霊訓①』
運命の十字路にさしかかるごとに右か左かの選択を迫られます。つまり苦難に敢然と立ち向かうか、それとも回避するかの選択を迫られる訳ですが、その判断はあなたの自由意志に任されています。もっとも自由といっても完全なる自由ではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
その時点において取り巻かれている環境による制約があり、これに反応する個性と気質の違いによっても違ってくるでしょう。地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されております。

『シルバーバーチの霊訓①』
そのチャンスを前にして積極姿勢を取るか消極姿勢を取るか、滅私の態度に出るか自己中心の態度に出るかは、あなた自身の判断によって決まるという事です。地上生活はその選択の連続と言ってもよいでしょう。

『シルバーバーチの霊訓①』
選択とその結果、つまり作用と反作用が人生を織りなしていくのであり同時にまた、寿命尽きて霊界へ来た時に待ち受けている生活、新しい仕事に対する準備が十分に出来ているか否か、能力的に十分か不十分か、霊的に成熟しているか否か、といった事もそれによって決まります。

『シルバーバーチの霊訓①』
その事に関して忘れてはならないのは、持てる能力や才能が多ければ多いほど、それだけ責任も大きくなるという事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
地上へ再生するに際して各自は、地上で使用する才能についてあらかじめ認識しております。才能がありながらそれを使用しない者は、才能の無い人より大きい責任を取らされます。当然の事でしょう。

『シルバーバーチの霊訓①』
悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味を持つものです。悲しみはそれが魂の琴線に触れた時、一番よく魂の目を覚まさせるものです。魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。

『シルバーバーチの霊訓①』
悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。もしその教訓が簡単に学べるものであればそれは大した価値のないものという事になります。

『シルバーバーチの霊訓①』
悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。

【過去コメ】書籍は購入できます。読む事もできます。しかし深い理解に到達するのは長い道のりです。僕も初めてシルバーバーチの1巻を買ってから今の理解に至るまで長い苦難の道でした。もし書籍を手にされた方がいましたら、気負わずそしてあきらめず長いスパンで読み続けて欲しいなって思います
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『シルバーバーチの霊訓①』
真理は魂が悟る準備ができた時に初めて学べるのです。霊的な受入れ態勢ができるまでは決して真理に目覚める事はなく、こちらからいくら援助の手を差しのべてもそれを受入れる準備の出来ていない者は救われません。霊的知識を理解する時機を決するのは魂の発達程度です。

『シルバーバーチの霊訓①』
魂の進化の程度が悟りの時を決するのです。肉体に包まれているあなた方人間が物質的見地から宇宙を眺め、日常の出来事を物的ものさしで測り、考え、評価するのは無理もない事ですが、それは長い物語の中のほんの些細なエピソード(小話)にすぎません。

『シルバーバーチの霊訓①』
魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂のこやしです。魂がその秘められた力を発揮するにはいかなるこやしを摂取すればよいかを知る必要があります。それが地上生活の目的なのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
失意のドン底の時はもう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。あなた方にはまだまだ発揮されていない力、それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では決して発揮されません。

『シルバーバーチの霊訓①』
苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。金塊もハンマーで砕かないとその純金の姿を拝む事ができないように、魂という純金も悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。それ以外に方法がないのです。他にあると言う人がもしいるとしても私は知りません。

『シルバーバーチの霊訓①』
人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改める事によって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくという事は、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。

『シルバーバーチの霊訓①』
何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い患う事のない人生を送っていては魂の力は発揮されません。何かに挑戦し、苦しみ、神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において魂の武器庫の扉を開き神の武器を持出す事、それが悟りを開くという事です

【過去コメ】僕は守護霊様の導きに従い、果てしなく読書してきました。それだけでも十分霊的知識の理解を深める事ができましたが今こうして“抜粋”する事でさらに内容を復唱し、さらに×10 理解が深まっていくのを感じます。勉強して無駄な事なんて何もないと自らの体験を通して心底実感するのです
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『シルバーバーチの霊訓①』
困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂のこやしです。むろん困難の最中にある時はそれを有難いとは思えないでしょう。が、あとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこの上ないこやしであった事を知って神に感謝するに相違ありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
この世に生まれくる霊魂がみな楽な暮しを送っていては、そこには進歩も開発も個性も成就もありません。これは酷しい辛い教訓ではありますが何事も価値あるものほどその成就には困難がつきまとうのです。魂の懸賞はそう易々と手に入るものではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
神は一瞬たりとも休む事なく働き、全存在の隅々まで完全に通暁しております。神は法則として働いているのであり、晴天の日も嵐の日も神の働きです。有限なる人間には神も、宇宙も、地球も、あなた方自身さえも裁く資格はありません。物的尺度があまりに小さすぎるのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
物的尺度で見る限り世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真理の敗北しか見えないでしょう。当然かも知れません。しかしそれは極めて偏った、誤った判断です。

『シルバーバーチの霊訓①』
地上では必ずしも正義が勝つとは限りません。なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとは限らないからです。ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。

『シルバーバーチの霊訓①』
霊的に見て、あなたにとって何が一番望ましいかは、あなた自身には分りません。もしかしたらあなたにとって一番イヤな事が実は、あなたの祈りに対する最適の回答である事も有得るのです。難しい事ですが物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するよう努める事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
というのは、あなた方にとって悲劇と思える事が私どもから見れば幸運と思える事があり、あなた方にとって幸福と思える事が私どもから見れば不幸だと思える事もあるのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
祈りにはそれなりの回答が与えられますがそれは必ずしもあなたが望んだ形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとって一番望ましい形で与えられます。神は決して我が子を見捨てるような事は致しませんが、神が施される事を地上的感覚で判断する事はやめなくてはいけません

【過去コメ】猛烈な法悦状態に包まれながら、シルバーバーチ霊が「神」について語ってる部分を抜粋してる時、いきなり法悦レベルが上がり耳に“カチッ”ってスイッチが入ってキィィンって高い波長が響くのです。もう反応がダイレクトすぎて、僕は光栄かつ恐縮な気持でテキストを打ち続けるのでした。

描き始めたモノは止まらず一気に仕上げるのが画家時代からのルールです。Twitterの毎日の怒涛ツイートを後回し、このまま仕上げ切ります。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†