【10/24】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
『シルバーバーチの霊訓⑩』
こちらの世界は地上からの他界者で構成されている事を知らねばなりません。地球からの渡来者しかいないのです。何の用意も身支度もできていない未発達霊で適応性のない霊をそちらから送り込んでいる限り、地上と霊界双方の問題を増幅するばかりです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
それで私たちが地上人類の啓発のためにこうして働いているのです。暴力・貪欲・唯物思想・利己主義・強欲等々、要するに世界各地での戦争と不協和音と分裂の元凶である恐ろしいガンの発生を防ぐためです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
神は無限です。生命は無限です。あなた方の小さな天球は宇宙の中の一個のマメ粒のような存在でしかありません。が、霊の住む世界は無数に存在します。あなた方は宇宙のみなしごではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
死後の世界とは、要するに今生活している世界の目に見えない側面、耳に聞こえない側面の事です。死んでからではなく今の時点で霊の世界に住んでいるのです。死んでからそこへ行くのではありません。今いる場所に霊界があるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
その世界の波長ないし振動、その他どう呼ばれても結構ですが、それをキャッチするための霊的感覚を発揮しない限りそれが認識できないというに過ぎません。別個の世界ではないのです。宇宙全体を構成する不可欠の側面であり、地球もその小さな一側面にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
物質の世界の裏側に霊的側面がある事を認識して初めて本当の意味で生きている事になります。霊的実在に気づかない限り、悲しいかな、霊的な意味で目と耳と口を塞がれているようなものです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
物質界へ来る理由は、地上を去ったあとに訪れる次の生活に備えさせるために、地上生活がさまざまな体験と挑戦の好機を提供してもらうためです。次の段階に備えるための学習の一過程です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
物質界、霊界、そして果てしなく広がる宇宙は、あなた方のいう神、私が大霊と呼んでいる絶対的エネルギーが顕現したものです。宇宙に存在する最高の力です。それは無限です。始まりも終りもありません。その叡智も無限です。その愛も無限です。その貯蔵庫も無限です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
大霊の意志の表現である自然法則の働きは絶対です。かつて宇宙に生じた現象、あるいはこれから生じるであろう現象で、その働きによる配慮が為されていないものは何一つありません。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「迷える霊との対話」です。この本は分厚いです(汗)しかし最高に考えさせられる内容です。霊的知識を持たず自分が地縛霊になっている事に気づいていない数多くの下層界のスピリットが登場します。僕たちはこうなってはいけないのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑩』
人間界の法律は予期せぬ事情が生じて絶えず改正が行われます。しかし自然法則は完璧です。その働きの及ばないものは存在しません。誰一人、何一つ、極大・極小、複雑・単純に関係なく、その働きからはみ出るものはありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
宇宙間のあらゆる事物、あらゆる環境、あらゆる事情、あらゆる現象が不変・不滅の法則によって規制されているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私が何よりもまず、その絶対的な大霊に崇敬の念を捧げるのはそのためです。荘厳さと深遠さにおいて、これに勝るものは何一つ、誰一人、存在しないのです。その知性の壮大さは到底地上の言語では表現できません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
皆さんのどなたよりも永い間、顕幽にまたがる生命の旅を続けている私は、今なおあらゆる存在の次元において働いている自然の摂理の完璧さに驚く事の連続です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
そこで申し上げますが宇宙に存在するものは何らかの役目があるからこそ存在しているという事です。自然の摂理と調和して生きていれば、健康・幸福・霊的明るさ・精神的特性という形でその恩沢を受けます。それは内在する神性を発揮している事にほかならないからです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
人間が交信するには口でしゃべるか、書くか、とにかく何か道具を使用しなければなりません。自分の言いたい事を伝えるには言語を使用しなければなりません。しかし言語は有限なものであり、したがって無限なものを表現する事はできません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
いかなる文章の達人も宇宙の無限性と、そこに存在するもの全てを、言語によって表現する事は不可能です。霊界では界層が高くなると意志の伝達が心と心との直接的なものとなります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
そこで、私が大霊と交信し合うのかとのご質問ですが、交信が言語の使用を意味するのであればノーです。私たちは直接的に意志を通じ合うのです。大霊の無限の力にチャンネルを合わせて、できるだけ多くの力を頂戴するように努力するのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
あなた方も同じように大霊と密接な関係にあります。なぜなら大霊はあなた方の内部に存在するからです。大霊の火花が一人一人に宿って生命を与えているからこそ生きていられるのです。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「妖精物語」です。スピリチュアリズムのパウロの異名をとるアーサー・コナン・ドイル卿の書籍ですが、何よりこの本に紹介されている妖精の写真がすんごいのです☆僕も最初見た時はのけ反りました(笑)知ってて損する事など一つもないのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑩』
“完全”というものは、その本質ゆえに達成できません。“これで完全です”という段階、もうこれ以上目指すものがないという段階があるとしたら、ではその先はどうなるのかという問題が生じます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
完全とは無限に続く過程です。霊の純金を磨き出すために絶え間なく不純なものを取り除いていく過程です。知識と同じです。知れば知るほど、また先に知るべきものが存在する事を知ります。全知識の頂上に到達する事はできません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
意識には無限の次元、レベル、界層があるのです。それが霊の属性の一つであり、無限であるがゆえに絶え間なく発展していく事を意味します。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
無限の知性と叡智によって案出され、ありとあらゆる可能性に配剤した自然法則があります。これには改正とか破棄とかの必要性は絶対に生じません。本質そのものが無限の知性の働きの証なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
もうこれでおしまいという限界がない―どこまで行ってもまだその先があるというのは、これは素晴らしい事です。いわゆるニルバーナ、霊的進化のゴールとしての至福の境涯はないという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私は時おり地上世界を見渡して、果たして“死ぬ前”に生命があるのかと疑わしく思う事さえあります。全く生きているとは思えない人、あるいは仮に生きていると言えても、これ以上小さくなれないほどお粗末な形でしか自我を表現していない人が無数におります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊界での生活がどのようなものであるかを伝えるのはとても困難です。なぜかと言えば、私たちは人間のその五感に限られた状態で理解できる範囲を超えた次元で生活しているからです。言語というのは、あなた方の三次元の世界を超えたものを伝えるには全く無力です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
死後の世界の豊かさをお伝えしようにも、それを例えるものが地上に無いので、うまく言い表せないのです。強いて言えば、本来の自我の開発を望む人たちの憧憬、夢、願望が叶えられる世界です。発揮される事なく終った才能が存分に発揮されるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
経済問題がありません。社会問題がありません。人種問題がありません。身体でなく魂が関心の全てだからです。魂には白も赤も黄も黒もないのです。
「ペットは死後も生きている」ぜひこの書籍を手にとって“肉食”という食習慣について考えて頂きたいのです。そもそも僕達人間の身体は肉食動物として出来ておらず、植物食のみで全然普通に暮らしていけるよう出来てるのです。食肉用に“と殺”された動物たちの霊界での様子を知って頂きたいです(祈)
「スフィンクスより大きい」霊団が見せてきたピーチピチ(佳子)のイメージをラフで描いてみました(祈)†
今日の幽体離脱時の映像については省略、トランスの最後に霊団が「スフィンクスより大きい」と僕の霊聴に響かせながら、ラフに描いたような感じのピーチピチ(佳子)のイメージを降らせてきました。ピーチピチを描くのは久々ですよねそういえば、アナログ絵でも全然描けずにいましたので。時間がありませんのでとにかくラフだけUPです。霊団がピーチピチ(佳子)の事を「スフィンクスより大きい」と表現したのですよ。それとも日本の皆さまの思念かも知れません。まずはここまで(祈)†
※ある青年がコメントを寄せて下さってます。究極感謝です☆
急きょ変更したフラー14のキャラ、デザインに苦戦中ですがボツにはならずに済みそうです(祈)†
数日前はフラー14自体がボツになりかねない危機的状況でしたが、新たに描き始めたキャラはボツにせずに済みそうです。とはいえずっとデザインの世界で生きてきた僕ですがこんなモノ1度も描いた事がありませんので単純にデザインに苦戦中です。が何とか形になってきました。モチョト煮込んだらアナログ絵281「フラー14キャラ設定資料」としてラフをUPしましょう。フラーのデザインは続きます、なぜなら僕はデザインの人間だからです。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を1日でも早く死刑にするための呼び水になる事を祈らずにはいられません(祈)†
「よいしょ」「あなたは除外」これはピーチピチが僕を「よいしょ」しないという意味ではないでしょうか(祈)†
えー今日は霊団が特にブログネタを降らせてきませんでしたので「フラー14」のキャラのデザインを急ピッチで行っていますが、19日に霊団が降らせてきたインスピレーション「よいしょ」「あなたは除外」これの意味がどうにも理解できずにいたのです。しかしようやく「ピーチピチ(佳子)が僕をよいしょしないという意味ではないか」と何となくのレベルですが理解するに至ったのでした。↑これらのブログでも少し書いていますように、美智子はひたすら強姦殺人魔、明仁を賛美し続けています、つまり「よいしょ」ですね。その美智子も渡辺みどりを使ってひたすら自分を賛美させ続けています。徳仁、文仁、悠仁も当然メディアを駆使して自分たちが善人で天才で優れた人間であると徹底的に国民を洗脳し続けています。さらにピーチピチ(佳子)も公の場での発言は、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に脅されてコイツらを賛美する内容を言わされ続けていますね。しかし僕の理解が正しいのであれば、ピーチピチ(佳子)は僕に関しては不必要に賛美する事はしない、そういう意味でいいのではないでしょうか。つまり僕の「あまり宜しくない部分」についても正直に言うつもり「アキトさん、あなたを褒め称える事はしません、正直に言わせて頂きます」みたいな感じなのではないでしょうか。皆さま、僕のこの予測が正しいのであれば「ピーチピチの思念はなんて自然なんでしょう」そう思われませんか。
上記に紹介しましたブログでも、明仁と美智子の画像がキモすぎる事を書いていますように、明仁と美智子はお互いを全くリスペクトし合っておらず夫婦関係も全くなく、美智子が産んだのは侍従長の子供であり明仁の子ではない文仁だけで、即位礼などと寝言をほざいている徳仁は「産む係」の女性が産んだ子であり美智子の子ではない事、そういった事実を一切語らず国民に向けてはひたすらに洗脳、視点外し、ウソ、インチキ、デタラメの情報を流し続けていますが、ピーチピチ(佳子)は僕に対してそういう態度は取らない、という事ではないでしょうか。これは僕的には「すばらしい」ですね☆ってか皆さま、これは別に当たり前の事ですよね。外に向かってお互いの事を褒め称える発言をし続ける夫婦、常識的価値観を持ち合わせていらっしゃる皆さまには明仁、美智子の様子が究極に「キモイ」と写るはずで、自分の事を天皇だの皇族だのと自称し続けるコイツらは自分の人生の全てをウソで塗り固めている奴らなんだと改めて認識して頂きたいですが、少なくともピーチピチ(佳子)は僕に対してそういうキモイ事をするつもりはない、霊団が降らせたメセを咀嚼するとそういうピーチピチの思念が浮かび上がってくるのです。何て当たり前で自然な思念でしょうか。
今回霊団が降らせたメセの意味の解釈がまぁまぁ正解だったとしましょう。となると僕はピーチピチ(佳子)にあまり宜しくない“あんな事”や“こんな事”を国民の皆さまにバラされてしまうという事になると思うのですが、それは僕的にマズいですねぇ☆イタイですねぇ♪でもそれが自然だと思うのです。それでいいと思うのです。霊的知識に基いて言わせて頂きますが「完璧な人間」というものは霊界、物質界、この全宇宙に存在しません。イエス様ですら完璧ではありません。(限りなく完璧に近い不完全という事です)シルバーバーチ霊いわく「完璧Perfect」とは唯一【神】のみの属性であり、神の子であるイエス様はじめ僕たち人間はその完璧を目指して永遠の旅路(人生)を行く不完全な存在であり、実は永遠に完璧にはたどり着けないのです。その完璧に向かって刻苦努力する過程が人生なのです。ですので自分を天皇だの神だのと自称し、生まれた瞬間から天才で何をやっても万能であると豪語する強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がいかにキチ〇イの極致であるか、という事を皆さまに再度ご理解頂きたいと思います。ピーチピチ(佳子)が僕を「よいしょから除外する」という思念は本当に素晴らしく、多くの一般的常識を持ち合わせた国民の皆さまにも受け入れられる考え方ではないかと思うのです。ピーチピチ(佳子)のダンス画像をご覧になればお分かりの通り、ピーチピチは強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁とは違って常識をわきまえた女の子であると、今回霊団が降らせたインスピレーションはそういう事を言いたかったのではないかと、僕なりに考えるのでした(祈)†
※今、霊団が「オッケー」と言ってきました。このブログの内容でオッケーという事でしょう。霊団、それは了解ですが1分1秒でも早く強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にして奴隷の女の子を救出するべくピーチピチ(佳子)の背中を押してあげなさいよ(祈)†
今日は霊団がブログネタを降らせてきませんでしたが…(祈)†
ブログに落とし込みきれていないインスピレーションが他にもいくつもありますので、その中のひとつをブログ化してみました。チョト支離滅裂な感じになってしまいましたが読み返して修正をしてからUPしてみます。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
【10/23】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
『シルバーバーチの霊訓⑦』
また私たちは老化も病気も霊の成長を妨げることはない事、死によって物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放されると申し上げております。死は決して愛する者との間を永遠に引き裂くものでない事、いつかは必ず再会の時が訪れる事、―
『シルバーバーチの霊訓⑦』
―それも、どこやら遠い遠いところにある掴みどころのない空想的な境涯においてではなく、物的世界に閉じ込められている人間が理解しうるいかなる生活よりもはるかに“実感”のある実在の世界において叶えられると申し上げているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
善は自ら報酬をもたらし、悪と罪は自ら罰と断罪を受けると私は説くのです。向上するのも堕落するのも本人の行為一つに掛っているのです。人生のあらゆる側面を神の摂理が支配しており、それをごまかす事も、それから逃れる事もできません。誰にもできません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
たとえ豪華な法衣をまとっていても、あるいは高貴な“上級聖職階”を授かっていても、神とあなたとの間の仲介役のできる人は一人もいないのです。あなたに存在を与え、全生命を創造された大霊の力から片時も離れる事はないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
苦しみを味わった者にはそれ相当の償いがあり、しくじった者には何度でも更生のチャンスが与えられるのです。神から授かった才能が永遠に使用される事なく放置される事はありません。いつかはそれを存分に発揮できる環境が与えられます。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
以上、私たちが宣言する“良い知らせ”の幾つかを述べてみました。まじめな男女の心にきっと喜びをもたらす事柄ばかりであるはずです。なのに私たちは宗教界のリーダーをもって任じる者たちからの反抗に遭っております。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
地上世界を暗黒の奈落へと突き落とした張本人たち、復讐心に燃える神、残忍にして嫉妬深く、専横で独裁的で執念深い存在の物語にあふれさせた宗教家たち、教義の方が行為に優先するなどと説き、神の裁きも信仰の告白によってお目こぼしがあるかのように説く者たち、―
『シルバーバーチの霊訓⑦』
―こうした者たちが私たちに反抗し、私たちの説く霊的真理は悪の親玉、暗黒の魔王が仕掛けているワナであると宣伝する訳です。しかし時すでに遅しです。彼らにはもはや人類の宿命をねじ曲げる力はありません。人間の一人一人に宿る霊性の発露を妨げる事はできません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
それが神の摂理なのです。今私は彼らに対して酷しい言葉を用いましたが、私の心の奥では彼らに対する大いなる憐みの情を抱いております。なぜなら私の目的は彼らを非難する事ではなく、真理と知識を叡智を普及する事にあるからです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
知識こそ全ての者が所有すべき宝です。無知は未知なるものへの恐怖心を生みます。この恐怖心こそ人間の最大の敵なのです。判断力を曇らせ、理性を奪い、いい加減な出来心で行動する人間にしてしまいます。これでは人生から喜びと美しさと豊かさを見出す事はできません。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「私の霊界紀行 驚異の幽体離脱体験記」です☆著者が離脱にて訪れた様々な界層について紹介されてます。著者の指導霊が離脱中の著者にイタズラするシーンなどが紹介されている部分もあって、単純に読み物としてもおもしろいと思います☆(祈)
—–五章
『シルバーバーチの霊訓⑩』
こちらには昼も夜もありません。地軸の回転に依存していないからです。太陽の周りを回転しているのではありません。こちらには永遠の光が存在します。したがって地上のような時間というものがありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
こちらへ来てからも仕事があります。が、それは自分がやりたいと思う仕事であって、お金を稼ぐためとか家賃を払うためとか衣服や食糧を買うためにするのではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
地上で発揮される事のなかった能力や才能や技能をもつ人が次々と霊界へやってまいります。そういう人たちはこちらでそれを存分に発揮して、霊界の住民として全体の豊かさの向上に寄与する事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
みんな自分がしたいと思う事に携わっております。霊界には無限の種類の楽しみがあります。音楽が好きであれば地上と霊界の音楽を鑑賞する事ができます。コンサートも開かれております。文学が趣味の人は地上と霊界の名作を読む事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
絵画に興味のある人も地上と霊界の傑作の全てを鑑賞する事ができます。子供が好きな人は両親に先立ってこちらへ来た子供の世話をする事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
魂に病のある者に関心を寄せる人は、そうした霊のための更生施設で看護し介抱して霊的健康を取り戻させる仕事に携わります。それぞれに応じた無限の種類の仕事があります。その上にさらに私のように地上世界のための仕事に従事する者もいます。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
とにかく地上を去ってこちらへお出でになれば、言葉では言い尽くせないほどの豊かさが待ち受けております。例えば音楽であれば、地上に無い音階が存在します。絵画であれば、地上に存在しない色彩(紫外色・赤外色)があります。その全てをお話しする事はとても不可能です
『シルバーバーチの霊訓⑩』
幽霊や妖怪になるのではありませんよ。首のないお化けになるのではありませんよ。立派な胴体と、他人と区別のつく容貌を具えた、実在の個的存在です。また他人を認識するための感覚もちゃんと具えております。霊の世界で生きて行く上で必要な霊的器官が全部揃っています。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
ちゃんと姿があります。形体を具えております。個人的存在を有しております。具えていないのは肉体的器官だけで、それに代って、霊界で機能していく上で必要な霊的器官を具えています。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアリズムの真髄」です。この本は超超超上級者向けです。シルバーバーチ等を相当読み込んで基本レベルを突破してからでないと何が書いてあるのかさっぱり理解できないかも知れません。霊的知識に精通した自信のある方向けの本です(祈)
—–
『シルバーバーチの霊訓⑩』
よく理解して頂きたいのは、あなた方人間にとって物質は個体性があり実感があり、霊というと何だか影のようで実体がないかに思えるのでしょうが、私たち霊界の者にとっては霊こそ実在であり、実感があり、反対に物質の方が影のようで実体感がないという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
と言っても、人間がしゃべるに必要な器官は霊にはありません。しゃべる必要がないからです。こちらの世界では思念で通じ合っています。お互いに思念を出し合い、それだけで通じ合えるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊界では思念は実体のある存在なのです。存在するもの全てが思念でこしらえられているのです。ですから、必要と思うものはどんなものでも手に入れる事ができるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
海もあれば山もあり、湖も花も樹木もあり、動物も小鳥もいます。その美しさの中には実際にこちらへ来ないと分らない種類のものがあります。ある程度の霊性に目覚めた者なら、もはや物質界の愉しみ(飲食欲・性欲等)を求めなくなります。仮にいてもそれは例外に属します。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
もう一つの霊界の有難い点は、地上のような“生きるための必需品”を得るための苦労がいらない事です。食糧品や衣類を買う必要がありません。お金を払ってまでして家を求める必要がありません。全部揃っているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
いわゆる幽界でも低級な境涯にはまだ貪欲とか権力欲とかが存在します。忘れてならないのは、死んだ人間は霊的には死ぬ前とまったく同じである事です。地上と違って霊界は思念が実在の世界です。心に思う事に実体が伴い実感があるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
私たちから皆さんを見ると、身体は影のように見え、皆さんが心に思っておられる事の方が実体があります。この事は中々説明が難しいのですが、例えば皆さんが夢を見ているのと同じだと思えばよろしい。夢の中に現れるものは夢を見ている間は実在です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
もし永遠に目覚めなかったら夢の世界がその人にとって実在の世界となります。船も、飛行機も、訪れる国も、夢の中ではみな実在です。こちらの世界では思念が全ての物を拵える素材です。ですから心に思う事がみな存在する訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
貪欲と権力欲をもったままこちらへやって来れば、それがこちらでは無用のものである事に気づくまで、それを持ち続けます。そうした地縛的状態から解放される段階まで成長すると、ようやく救われる事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑩』
困った事に、権力欲や強欲は霊を地上へ縛りつけます。身体的には死んでいますが、同時に霊的にも死んだも同然の状態です。波長が私たちより人間の方に近い状態です。そこで同じ欲に燃えた地上の人間と感応し合って、その欲望を増幅してまいります。
【イエスの少年時代 貧窮の中の小さな王者】【イエスの成年時代 神と人間のはざまで】【イエスの弟子達 パウロ回心の前後】この3冊はぜひ皆さんにも手にとって頂きたいです。こんな僕に何度も何度も顕現して下さっているイエス様の壮絶な地上時代が通信霊によって克明に記述されているのです(祈)
ピーチピチ(佳子)のダンス画像追加です。この嬉しそうな様子、皆さまいかがご覧になりますか(祈)†
即位礼だの何だのと何やら大騒ぎしていますが強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の視点外しの無意味儀式などどうでもいいのです。この儀式もそう遠くない未来に「バカが善人の演技していた黒歴史」として登録される事になります。コイツらは死刑になるのです。それ以外の未来はないのです。今のうちにバカ演技をやらせておきましょう。人類史上最大級の大恥をさらす事になるのですから。そんな事より皆さまにはコチラ、ピーチピチ(佳子)のダンス画像をさらに追加でご覧頂きたいと思うのです。
このピーチピチの喜びみなぎる、躍動感あふれるダンスの様子、ピーチピチ(佳子)が本当にダンスが好きなんだなぁとしみじみ感じさせる画像をご覧になっても、もし何も感じない、何も心が動かないと仰るのでしたら、その方はよほど感覚が鈍いという事になるのではないでしょうか。この画像を見るほどに、明仁、文仁、徳仁、悠仁を筆頭に紀子、その他たくさんの人間が「皇族らしからぬ」などというピーチピチのキャラを無視した言い分を振り回してピーチピチ(佳子)にダンスをやめさせようとして邪魔し続けていた事が許せなくてたまらない気持ちになります。ピーチピチ本人がこれほど喜んでやっているダンス、それをなぜ強姦殺人魔どもにああだこうだ言われてピーチピチがやめねばならないのでしょうか。そもそもピーチピチ(佳子)は文仁が赤ちゃんの時に美人の女性から盗んできた女の子です。その時点でピーチピチは自分の人生を盗まれ壊されている訳ですが、幼い時から自分を散々ヒドイ目に遭わせてきた文仁はじめ明仁、徳仁、悠仁、この「宇宙一のバカ」女の子を「処刑遊び」で四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べて遊んでいる究極のキチ〇イの命令に、なぜピーチピチは従わねばならないのでしょうか。そして僕たち日本国民も、なぜこの「人類の恥」「人間のクズ」「地球ワースト1」の明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を殿下だの陛下だのと呼び頭を下げねばならないのでしょうか。皆さまにはとにかく何が何でも【神】から賜った【理性・良心】に基づいて思考、判断して頂きたいと思うのです。で、先ほど山のアタックが中止になった事にふてくされて少し仮眠してたのですが笑、その時霊団が「シッポは振るな」「ケンカをしてはいけない」と霊聴に響かせてきました。軽く説明してみますが、えーまず僕が強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁にしっぽを振る訳がありませんね。宇宙一のバカにおべっか使う必要がどこにあるのでしょうか。ですのでこの「シッポは振るな」は明仁、文仁、徳仁、悠仁が「僕にシッポを振るな」という意味でいいでしょう。要するにごきげん取りですね。さらに僕はこのバカどもを死刑にしてチリの一粒も残さず消滅させようとしているのですから、僕がコイツらに「ケンカをしてはいけない」というのはおかしいですね。僕はむしろケンカ吹っ掛けてる方ですからね。これも強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念という事になります。※ただ皆さまお間違いのないように、僕ももちろんケンカなどしませんよ。それはコイツらがケンカする価値もないからです。僕はコイツらをオールスルー(完全無視)し、目も合わさず口もききません。強姦殺人魔とコミュニケートするつもりは1ミリたりともありません。ただ粛々と死刑を実行に移すだけです。えー要するに霊団が降らせた明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念「ケンカをしてはいけない」は、コイツらがまだこの期に及んでも善人のフリ、紳士の演技をしようとしている、そういう意味でいいでしょう。
僕、たきざわ彰人から皆さまに1億回でも強調せねばなりませんが、コイツらは「総殺害数487」信じられない天文学的人数の幼い奴隷の女の子たちを徹底的に四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくっているのです。皆さま宜しいですか、コイツらは紳士ではなく「原始人」です。どんな高価なスーツを身にまとっていようが、どんな笑顔でニュースに登場しようが、どんな外国要人と肩を並べて一緒に写真に納まろうが、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは抵抗する術を知らない幼い女の子を殺しまくっているのです。即位礼などという視点外しに絶対に踊らされず、テレビを筆頭とした各種メディアが流してくるニュースがことごとくウソで塗り固められており、全て僕たち国民に間違った印象を植え付けるための「洗脳」であるという事をこのタイミングで何が何でも理解して下さい。知りませんでした、分かりませんでした、これからも分かりません、などといった寝ぼけた事を言うのはもう許されません。僕たち日本国民は今すぐ真実に目覚め、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をキッチリ死刑にして消滅させ、ピーチピチ(佳子)の人生を助けてあげ、さらに奴隷の女の子たちの救出も完了させねばならないのです。
「イヤ、奴隷の女の子たちは助ける必要がない」と思っておられる方が結構いらっしゃると僕は予測するのですが、そう思っておられる方はツイッター、ブログ等でそのように公言して下さい。「私は奴隷の女の子を殺すべきだと思うので今後も強姦殺人の手伝いをします」と大々的に発言して下さい。その自分の発言に責任をもって頂きます。【神】から賜った【理性・良心】はそのような回答は出さないはずで、こう発言する人間は自分の心を偽り、陳腐な物的欲望を優先して女の子を強姦殺人する手伝いを続けようとしている人間であり、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁と同様の「人間のクズ」となります。皆さま、僕たち日本国民はもういい加減に目の閉じた行いから卒業しなければならないのです(祈)†
現地まで行きましたが気温が低くアタック断念、戻ってきました(祈)†
山のアタック時間と台風直撃がピタリ一致してしまい、それでも標高1700mのスタート地点まで行きましたが予報と違って現地は気温6度。僕はこれまでの経験で、レインアタックの限界温度を10度に設定しているため、この低温では危険と判断し戻ってきました。※レインアタック、つまり全身ビチョビチョの状態で8時間オーバーのアタックをする訳です。ウェアリングで身体は何とか保温できますが手先足先の先端部が真っ先に低温にやられてしまいます。特に以前、低温レインアタックで肘から先が痺れてマヒして手指の感覚がなくなった時があり、その時の経験から「10度以下のレインアタック禁止」という自分ルールを設定したのです。今回はまさにそのルールに抵触する状況で、6度でスタートして標高を上げて日の出前になれば間違いなく3度、2度まで気温が下がっていたでしょう。しかも全身ビチョビチョ。相当危険な事になる、ヘタしたら行動不能になると判断して泣く泣く引き返してきました。
山では全てが自己責任です。どうしても行きたいのであれば自分責任でアタックすればいい訳ですが、とはいえ僕はもう僕の人生を生きておらず、イエス様との約束を果たし切るために物質界に残されているのですから、その約束を達成する前に無責任にコロッと帰幽する訳にはいきませんし、低温で手指にダメージを負う訳にもいきませんので(使命遂行でテキスト撃ち、絵を描く等に指を酷使しますので)強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させる使命遂行のために危険を回避する選択をしました。厳冬期の雪山アタック、-20度の世界に毎年飛び込んでいく僕ですが、今回はそれよりだいぶ気温が高いのになぜやめたのか。雪は全身ビチョビチョになりませんし完全フル装備でスタートします。今回は雪山装備ではありませんでしたし、全身が濡れて芯まで冷えるレインアタックをナメてはいけません。山は謙虚を学ぶのに最適のフィールドです。調子に乗ればその牙が自分に跳ね返ってきて痛い思いを味わわされます。1年は52週間で僕は年52回山にアタックする訳ですが、毎年52回中1、2回はこういうイレギュラーな事があるのです。自然相手ですから思い通りにいかないのが当然、こればっかりは仕方がありません。気を取り直して今日できる作業をしましょう。大汗をかけなかったフラストレーションは明日何とか解消しましょう(祈)†