「レッドマンのこころ」より→「ホワイトマンの文化は本質的には物質的である。成功の尺度は「どれだけ財産を手にしたか」である。レッドマンの文化は基本的には霊的であり、成功の尺度は「どれだけ仲間に対して役立つ事をしてあげたか」である」
「レッドマンのこころ」より→「最近になって北米インディアンに関して明らかになってきた驚くべき事実がある。彼らの生活が古代イスラエル人の祭政一致の生活に匹敵するほど宗教的色彩を帯びていたという事である」
「レッドマンのこころ」より→「司祭もいなければ偶像もなく生贄の儀式もなく“大霊”という目に見えざる大自然の支配力を崇拝し信仰の中にそれを拝する。大霊はその名の通り大いなる霊であり、小さな霊である我々創造物にも同質の霊性を賦与してくれており両者の間に交霊が可能であるという」
「レッドマンのこころ」より→「彼らの正直さには一点の曇りもない。動機の純粋性と宗教上のしきたりの尊守は驚くほど徹底している。彼らは「未開の集団」どころか「聖人の国家」と呼ぶにふさわしい」
「レッドマンのこころ」より→「断言しますが、インディアンのこころに秘められた人間的な優しさ、キリスト教精神と相通じるものは他のどこにも見かけた事がありません。貧しい者、病弱の者、年老いた人、未亡人、孤児を最優先して面倒を見ます」
「レッドマンのこころ」より→「キャンプを移動する際もみんなで未亡人のロッジを真っ先にたたんで新しい土地に立ててあげました。狩りをした時も獲物の肉を一番必要としている人から順に大き目の分け前をあげていました。私も仲間の一人として同等の扱いを受けました」
「レッドマンのこころ」より→「これまで私は多くのクリスチャンと会ってきましたが、そのスー族のインディアンほどキリスト教精神の真髄に近いものを見せていた人種は見当たりませんでした」
「レッドマンのこころ」より→「北米インディアンには偶像崇拝者はいない。直接“大霊”に訴えるのであって仲介者としての人間もシンボルも持ち合わせない」
「レッドマンのこころ」より→「信仰に関して他人は余計な干渉をしてはならない。各自に神の概念があるのであり、お互いがお互いの信仰を尊敬し合わねばならない。自分の信仰を他人に押しつけてはならない」
「レッドマンのこころ」より→「いつの頃からかは知らないがインディアンにはホワイトマンが侵入するはるか以前から宇宙の創造主に関する高度な知識があり、霊性と愛と真理を基調とした信仰を持っていた事は疑いようのない事実である」
「レッドマンのこころ」より→「四つの教訓(1)唯一絶対の大霊が存在する。万物の創造者であり支配者である。我々はその分霊としての存在を有する」
「レッドマンのこころ」より→「永遠の存在であり、形体を持たず、全知にして全能あり、言語で描写する事のできない存在である。あらゆるものが大霊の中に存在し、大霊を通して活動する。我々の崇拝心と忠誠心はその大霊に向けなければならない」
「レッドマンのこころ」より→「恵みは全て大霊より下される。ゆえに敬虔なる気持で大霊を志向しなければならない。大霊の恩恵に浴するためには祈りと犠牲と思いやりのある生活を重ねる事が必要である。大霊についての知識を得るためには鍛錬と断食と寝ずの行を重ねる事が必要である」
「レッドマンのこころ」より→「その悟りとともに導きが得られる。大霊は本質的には非人格的存在である。それが動物や小鳥・雲・雨・山河・人間あるいは動物に宿り、個性を持って顕現しているのが現実である。大霊のもとに無数の個霊が控えている」
「レッドマンのこころ」より→「四つの教訓(2)地上に誕生した人間が第一に心がけねばならない事は、人間として円満な資質を身につける事である。それは人間を構成する器官とエネルギーを正常に発達させそれを正しい手段で満足させる事によって達せられる」
「レッドマンのこころ」より→「四つの教訓(3)成人としての高度な資質を身につけたらその資質を部族のために捧げないといけない。何よりもまず自分の家族の大黒柱となり、勇気ある保護者となり、親切で頼りがいある隣人となり、家族とキャンプ及び部族全体を外敵から守らねばならない」
「レッドマンのこころ」より→「四つの教訓(4)人間の魂は永遠に不滅である。いつこの世にやってきて去ったあといずこへ行くかは誰にも分からない。しかしいよいよ死期が訪れたら、これから次の生活の場へ進んでいくのだという事を知っておくべきである」
「レッドマンのこころ」より→「その世界にどういう事が待ち受けているかは確かめる事は出来ない。が、恐怖心を抱いたり、おののいたり、やり残した事や為すべきでなかった事を後悔したり泣いたりしてはいけない」
「レッドマンのこころ」より→「与えられた限りの才能と制約の中で最善を尽くしたいという自覚、そしてその死後の世界での境遇は地上での所業によって決まるという認識を持って腹を決める事である。死の歌を高らかに口ずさみながら勝利の凱旋をする英雄のごとくに死に赴くがよい」
「レッドマンのこころ」より→「偉大な指導者といわれる人はみな超能力を持っていた。スー族の酋長シティング・ブルなどはその典型である。いつでも入神(トランス)状態に入り様々な映像を霊視する事ができたという。そのために彼は祈りと断食と寝ずの行による鍛錬を怠らなかった」
「レッドマンのこころ」より→「インディアンは超能力が発達している事は事実です。最近はいい加減な事をやるペテン師も多いようですが人間の煩悩や多様性を考えれば昔においても少しはペテン師もいたに相違ありません。ただ驚異的な能力で予言したり不思議な現象を起こす者がいたのは事実です」
「レッドマンのこころ」より→「心を清めて大霊の心を体得したければ二日間、体力のある者はそれ以上、断食をする事です。肉体が清められ霊が肉体を完全に支配するようになります。祈りと断食に加えて目的意識を鮮明に維持すれば自分自身のみならず周囲の人達にも威力を行使できるようになります」
「レッドマンのこころ」より→「インディアンの思想には肉体は魂が物質化したものでありその肉体に宿ってのこの世の生活において来るべき世界で使用する魂と身体を構成しつつあるのだという。魂の質を向上させ霊視力、霊聴力を発揮させ、神についての正しい知識を携えて霊界へ旅立つという」
「レッドマンのこころ」より→「アメリカ大陸に最初に居住したインディアンには誇りと同時に稀にみる謙虚さがありました。万物の霊長であるなどという思い上がった考えは本性的にも、また教えの中にも存在しませんでした」
「レッドマンのこころ」より→「寂滅とは何かと問えば霊覚者は「それは偉大なる神秘即ち神である。聖なる寂滅こそ神の声である」と。では寂滅の行によって何が得られるかと問えば「克己心、真実の勇気または忍耐力、我慢、尊厳、敬虔―寂滅こそ人格の礎である」と答えるでしょう」
「レッドマンのこころ」より→「東の空に向かって直立不動の姿勢を取り、地平線上に登りくる太陽に向かって無言の祈りを捧げます。自分一人で、朝の太陽と、新しい大地と、偉大なる静寂すなわち神と出会うのです」
「レッドマンのこころ」より→「朝起きた時は朝の光に感謝しなさい。生命と力に感謝しなさい。その日の糧に感謝しなさい。そして生きる喜びに感謝しなさい。もしも感謝する理由がわからない時は、それは自分の何かが間違っているからだと考えなさい」
「レッドマンのこころ」より→インディアンの祈り「大霊よ。ここに謹んで私の祈りを捧げます。私に憎しみを抱く者に対しても公正であるようにお導きください。そして、いついかなる時も思いやりの心を忘れる事のないよう、導き給わんことを」
■2021年12月12日UP■■アナログ絵332「フラー21キャラ イチゴちゃん設定資料」インナーフレーム採用(祈)†さぁ使命遂行にあたって怒涛にデザインを続けてきた「フラーのバリエーション」に新たな展開となるでしょうか。今回はフラー15の時にどうしても外見をかわいくデザインできなくて泣く泣くボツにしたキャラ「イチゴちゃん」を「インナーフレーム」とも呼ぶべき機構を採用する事によって何とか実現にこぎつけました。これはインナーフレーム内で変形を完了させる構造にする事でイチゴちゃんの外観部分にメカメカしいパーツが露出しないようにして、イチゴちゃんの外観のかわいらしさを何とか維持しようとしたギミックとなります。イチゴちゃんの外側がパカッと開いてインナーフレーム内で変形が完了して再び外側がパコッと閉じるのがお分かり頂けるでしょうか…続きを読む→ ■2021年12月15日UP■「間違いなく殺されるから」とにかく僕は何が何でも100%殺されるのだそうです(祈)†とにかく何が何でも100%殺されるのだそうです。僕が赴くかも知れなかったその場所は、僕を殺したい人間(つまり「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を何が何でも守り通そうとしている人間)であふれかえっていますから、みんなで一致協力して僕を完全に殺しにかかってくるのだそうです霊団によると。これは以前からずっと言われ続けていました。毒殺だのうしろから銃で撃って来るだの日本刀で切りつけてくるだの、これまでありとあらゆる映像を見させられてきています。何しろその敷地内の全員が僕を殺そうとしていますから霊団も到底かばいきれないという事のようなのです。もちろんその僕を殺そうとしているメンバーの中にピーチピチ(佳子)も含まれているという事になります…続きを読む→ ■2021年8月23日UP■■アナログ絵325「フラー20カラーリング」UP。スカートフラーの今後のバリエーションどーなるでしょーね(祈)†さぁカラーリングまで終えて「フラー20到達」という大目標を完了させられた事は(霊団にとっては何も思う事はないでしょうが)デザインの人間である僕にとっては大変意味のある出来事でした。これまでの「汎用モード時に背中でお花ちゃんが咲いているフラー」が「男の子フラー」で、「汎用モード時にお花ちゃんがスカートになっているフラー」が「女の子フラー」みたいなポジションになる、かも知れませんが今後のバリエーションはまだ未知数です。フラー21、22、23とキャラありスカートフラーをジャンジャン描いていきたいですがフラーの新規デザインは志(こころざし)半ばで終わってしまいそうな空気感MAXです。で、実はつい先ほど「ヒドイ人権蹂躙」と言える出来事に遭遇させられました…続きを読む→