この殺人的忙しさ、霊団の本心は分かっています、最低最悪の極みなのです(祈)†

この人生をやらせた霊団を死んでも許す事ができませんが「インペレーターの霊訓」見直し修正分を抜粋です↓

「界層といえば人間は地上と同じような“場所”を想像する。多分それ以外には想像のしようがないのかも知れない。

が、ご承知のとおり、地上においても、道徳的ならびに知的には同じ生活環境にありながら、霊的徳行と精神的美質において他に抜きんでている人がいるものです。

霊性が自然に引き寄せられる状態ないし環境というものがあり、その環境ないし界層がさらに幾つもの区域に分かれている。魂どうしは互いが追求するものの共鳴性、気性の類似性、前生での体験の共通性、ないしは今たずさわっている仕事の同一性によって引かれ合う。思索より行動に重点を置く者もいれば、行動より思索に重点を置く者もいる。そうした違いはあっても、引かれ合う者どうしは霊格の高さにおいては同じなのです。

各界層に隔たりがあるのはもとよりのことで、それ独自の性格と特質を具えております。地上との違いほど大きくはないが、それぞれに相違点がある。肉体が無いことから仕事の種類は異なってくるが、ひとりひとりに為すべき仕事があります。地上世界のような時間も空間もない。身体のための必需品というものはない。霊体のエネルギーは肉体のそれより凝集性が強く、また、自己のためより他のために使用されます」

– 食事は取りますか。運動はどうなりますか。

「人間が摂取するものとは異なります。われわれの身体は空間に漏漫している霊的エーテルによって維持されており、その点は人間の霊的身体も同じです。普遍的な霊の養分、エネルギー源であり、肉体のあるなしには関係ありません。

運動は念力だけで事足ります。親和性があれば引かれ合い、なければ反発し合い、また、こちら側の欲求、ないしはこちら側の存在を望む相手側の欲求によっても引かれ合います。

霊的界層は“状態”であって、地上でいうところの“場所”ではない。そこに住む霊は人間のように時間と空間の条件には支配されません。住民は一地域に閉じ込められているのではない。住民のもつ道徳的、知的、ならびに霊的な状態によって、異なる界層が生じております。つまりアフィニティ(同じ霊系に属する親和性の強い霊どうし)が集まり、その共鳴性にあふれた交わりの中によろこびを味わっている。隣人だから、近所だからということで交わるのではなく、性向と目指す目的の類似性によって近づき合うのです。

高い界層には不浄な者は入れません。低い界層に集まるのは教育的指導を必要とする者たちであり、その指導は、地上的雰囲気の中で喘いでいる霊のために一筋の光明をもたらさんとして、光輝あふれる住処(すみか)をあとにして降下してくる高き界層の霊から授かります。

最初の3つの界は地上近くに存在する。そこにはそうした(地上的煩悩から脱し切れない)者たちがひしめいている。第1の界層は、もろもろの原因から、地上へ引きつけられている者です。地上生活ではほとんど進歩が得られなかった者たちで、かならずしも全面的に悪いわけではなく、ただ、せっかくのチャンスを利用しないまま無為に過ごしたために、今なお当てもなく迷い続けているのである。

さらには、地上に残した僚友への情愛と親和性のために、向上する可能性を有しながら敢えて地上圏に留まって援助している者もいる。それに加えて、霊的に若く、初歩的教育の段階にある者、不完全な身体をもって誕生したために十分な体験を積むことができず、学ぶべきだったことをこれから何とかして学ばねばならぬ者、不可抗力によって寿命を全うせずして地上を去った者がいる。みずからの責任ではないとは言え、向上するためにはその埋め合わせをしなければならないのです」

次回トレイルムービーは本当にお休みします。フラー21にケリをつけねばなりませんのでそちらにパワーを回します。霊団は「ベストプラクティス、トレイルムービー」とまで言ってきましたが、僕的にはどうしてもトレイルムービーに拡散力があるとは思えません。

もう正直言ってトレイルムービーをやめたくてやめたくて仕方ありません、苦痛以外の何ものでもありません。何か全く別のモノに切り替えるとか、そういう事でもない限り続けられそうもありません。今日の45分ノートの時間もフラー21カラーリングに集中しましょう。霊団を許す事だけは永遠にありません。皆さまにお話できないヒドイ状況というものがあるのです(祈)†

未分類

Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†