想像を絶する地獄の作業にいよいよ終わりが見えてきました。間もなく航行モードも塗り終えて、最後、ジュエルのシャドウハイライトを塗れば絵として完成です。以前制作したマクロがここでも役に立ちます。そこから少しテキストを撃ってUPとなります。

明日はムリでも月曜にはUPできると思います。このフラー25、恐るべき機体でした。ちょうちょちゃんが(羽のモールド等)やはり恐ろしい。もうこの機体の色を塗るのはご勘弁ですが、ストーリーは白黒ですのでぜひ登場させたいです。って言いながらいつものようにたぶんムリなんでしょうけど。

霊団が何も言ってきませんが僕レベルでは作業続行中、僕という霊媒は機能しませんが機能する前提で先行作業をおこないます。あと「ベールの彼方の生活 2巻」のhtml、css整形もおこなってWordPressにUPさせます。そして何とか書籍用の原稿を書き始められないかと思っていますが、これは挫折率が超高いでしょう。

フラー26の新規デザインはチョト間を置きましょう。もうツラすぎるので。止まるな、塗り続けろ。フラー25作業続行中(祈)†

「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†■2022年12月14日UP■
「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†
僕は間違いなく「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺される→霊団はその危機を回避させようとして明仁、文仁、徳仁、悠仁および奴隷の女の子の情報を僕に降らせないようになっている(イヤ少しは降らせてきていますが)→僕の使命遂行の力点を明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出から交霊会開催へと転換させようとしている→しかしサークルメンバー問題が解決しないので僕の霊媒発動はない→邪悪は滅ぼそうとしない、奴隷の女の子は助けようとしない、交霊会はできない、全く目標に到達せずただ苦難ばかりを延々とやらされる状況に突入しているために、僕の霊団への怒りが制御不能に達する→交霊会ができない不足分を「絶版書籍の復刊」の作業で補いつつ、霊団に破壊された生活を何とか少しでも改善させようと僕は「反逆」を開始するが、一向に反逆は完成しない…続きを読む→

アナログ絵355「フラー25カラーリング」ひょっとしたら山のアタック前にUPできる…かも知れません、そのタイミングに間に合わなくても次回長文ブログUP直後ぐらいにUPできると思います。正真正銘地獄の中の地獄の作業がようやく終わろうとしています。

そして詳細はのちほど書かせて頂きますが、たとえば僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくるとしましょう。僕はその霊言を月刊ペースとかでガンガン書籍化して流通させるつもりですが、そうなると月刊雑誌のようなカタチになるのかも知れません。だとして、その月刊誌の「タイトル」を決定させました。
フラー25にケリがついたらそのタイトルロゴのデザインも開始したいです。本にできるかどうかも分からない、そもそも霊媒発動できるかも分からないのに先行でガンガン作業します。僕は絶対に止まらない。スピードダウンは僕の全存在が拒絶する。

もうツラすぎて机に突っ伏しながらAffinityPhotoと格闘してます。何としても終わらせて次の作業に移行する。何が何でもフラー25を終わらせます(祈)†

「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†■2023年4月12日UP■
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†
そうそう、シルバーバーチ霊は「苦を苦と思わない段階まで霊格が向上すれば、苦難を味わわされても喜びしか湧き上がってこない」みたいな事を仰っています。さらに「ベールの彼方の生活」にも、上層界の天使たちが下層界の仕事に携わって大いに苦しい状態にさせられているのに笑顔になっているという記述があります。これは帰幽して十分に向上を果たし、俯瞰の視点で全体を眺められるポジションに立つ事ができて初めて到達できる精神状態だと思います。物質界生活中にこの精神状態に到達するのは、頭で知識としては理解する事ができても心の底から納得してそういう心境に到達するのはまず不可能と思われます。中にはそういう聖者のような方もいらっしゃるのかも知れませんが僕はデザインの人間ですのでそれはないです…続きを読む→
「新しい霊媒と手を組みたくない」だから強姦殺人魔の滅亡はどこ行ったんだよ(祈)†■2023年4月5日UP■
「新しい霊媒と手を組みたくない」だから強姦殺人魔の滅亡はどこ行ったんだよ(祈)†
高級霊であればあるほど「形態を超越」しており、インペレーター霊の言葉を拝借すれば「放射性影響力(神の光輝を全身から放散している状態)」のような感じなのだそうです。つまり現在のイエス様は物的手段で絵に描けるような容姿ではない、まるっきり次元が違うので表現などできる訳がないという事です。そして僕はイエス様搭乗機「フラー01」をゴールドのカラーリングにしていますが、コレも霊的に見ると間違いで、高級霊であればあるほどその霊体から発する光輝は白色をしているそうです。つまり僕がアナログ絵にて描いているイエス様は実際のイエス様のお姿とは程遠いモノであり、イエス様があのような人間的形態をまとうのは下層界の人間に顕現する必要性が生じた時に一時的にあのような姿をまとう事があるのみで、通常時のイエス様のお姿は僕たちの物的脳髄ではイメージ不可能という事です…続きを読む→
「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†■2023年3月29日UP■
「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†
解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」 – こうおっしゃる方があるかも知れません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。何百年でなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私はただただ宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。1つとして偶然というものが無いのです。偶発事故というものが無いのです。すべてが不変絶対の法則によって統制されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分るようになります。私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委(ゆだ)ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心を我が心とするのです…続きを読む→

ある晩のこと、月が煌々と照らす頃、ナザレの中心にある井戸のまわりに若者が集まってきた。1日の仕事を終えてから生き生きするものを求めてやって来た。彼らはグループ毎に集まって話し合っていた。イエスがサークルを移動しながらみんなの話に耳をかたむけていた。

農夫のグループでは、鋤や種の植えつけなどが話題となっていた。牛飼いたちは、牛や草原のこと、あるいは荷運びの運賃のことを話し合っていた。葡萄畑の栽培をしている青年は、ぶどうの気まぐれなこと、ぶどうの収穫、ぶどう酒づくりのことを話していた。

ある者は、折角の稔りを邪魔された害虫のことや果物の減収のことをぼやいていた。オリーブ畑を持っている者は、樹木に関する豊かな知識を披露し、鍛治屋はかまどの温度のこと、陶工は、土のこね方や焼物の形のことを話していた。

そこに漁師たちがやってきた。彼らや古くなった舟や穴だらけの網のことをぶつぶつ言いながら、来年にはいいことがあるかもしれないなどと話し合っていた。昔は大漁で舟が沈まんばかりの魚を売って、かなりの収入があったのだが、今では漁師のとり分が少なく、魚問屋に売買をまかせているという。

職人たちがめいめい自分たちのことを話している間、イエスは黙って彼らに耳をかたむけているのであった。このサークルの輪が広がって、誰言うともなくナザレにやってくる旅人たちも井戸のまわりにやって来るようになった。旅人たちは自分の故郷のことや、ローマ軍の戦争、外国の町々の風俗などを語っていた。

そんな訳で、偉大な霊力の持主であるイエスにとっては願ってもない情報を得ることができた。イエスの唇は、閉じられたままではおかなかった。集まってきた若者たちに、それは実に機知に豊む譬話を話して聞かせるのであった。

マリヤ・クローパスの息子たち、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダなどもイエスの話がおもしろいので、夜の会合には欠かさず顔を出すようになった。イエスは、鳥や獣や花など身近なものを通して神様のことを説明し、争いのたえない此の世界に関する譬話を語るのであった。

マリヤ・クローパスの息子たちは全く夢中になり毎晩出席した。賢い農夫や職人と愚かな農夫や職人の見分け方とか、種蒔きの譬話、金持ちと貧乏人、乞食、孤児、多くの家畜を持っている人等々、実に豊富な話が沢山とびだすのであった。そうこうしているうちに、この噂が若者たちの間に広がり、おしかける人数も激増し、一体誰が来ているのかわからないほどになっていた。

さて、イエスが弟たちから悪しざまに言われた日の夜、いつものように重い気持ちで井戸のそばにやってきた。その夜には、まさか魚問屋ハレイムが来ているとは全く知らなかった。ハレイムがイエスに質問した。

「ナザレの丘の上で、夜明けにあなたの前に現われる御方がいると聞いていますが、その方はどなたでしょうか?」イエスは一瞬調子はずれの質問がとび出したのでためらったが、即座に答えた。

「私の天のお父様です。山に居るときには私の近くにいらっしゃるのです。町に居るときよりも一層身近かにいて下さるのです。本当に天のお父様とは静かな所でお逢いできるのです。その御陰で沢山のことを教わり、生き生きとさせてもらえるのです」

「あなたは、天のお父様のおっしゃった通りに実行していますか?」「はい、私はいつでも神様の戒を守り、愛のうちに住んでおります」驚いたことに、またもやそこにナザレの律法学者が来ており、ハレイムが続けて質問するのを押しとどめて言った。「その父とはどこに居るのじゃ?」

「父は私の中に居られます。私も父のうちに居ります。此の世の人々はその父を御存知ありません。しかしいずれ多くの人がこの静かな山の中で天の御父の知恵を探しにやってくるでしょう。そして私が御父と出逢ったように、彼らも天の御父を見出すようになるでしょう」

イエスは、まるで夢みる者のように話していた。天の幻が彼の魂を満たし、神の平和が彼を覆っていたからである。しかし彼の足元には2人の狡猾い男が蛇のように這いずり回っているのに気がつかなかった。イエスは、なおも言葉を続けて天の御父に関する秘密を語るのであった。

「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†■2023年6月14日UP■
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†
現在の苦難を耐え抜かなければその罪障消滅が達成されず、キミはまた物質界に再降下しなければならなくなるんだよ。我々はキミのためを思ってキミをその苦しみの中に閉じ込めているんだよ。罪障消滅が達成されなかったらキミがまた苦しい思いをする事になるんだよ。これで終わりにするためにその苦しみに耐えるんだ。という意味で霊団が僕を脅し続けているのかも知れません。イヤ、僕のこれまでの人生をよくよく振り返ってみた時に、僕はそういう理由で物質界に降下した人間じゃないと思う。幼少の頃から絵を描き続け、マンガ家も経験し、Dreamworkに突入して死ぬまで絵を描き続ける事を固く固く決断していた。僕はそういう罪障消滅目的の人間ではないと思う、そうだったら絵の才能を賦与されていないと思う。僕に関してはそれはちょっと違うと思う。現在の僕の状況は霊性発現によって「後説」で賜ってしまった追加試練だと思う。守護霊様の管轄内で生活していた時はこんな状況には全くならなかった。「100の光の霊団」の管轄に切り替わってから僕の人生が一気におかしくなった…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†■2023年6月7日UP■
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†
実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→