先ほど霊団がいくつかインスピレーションを降らせてきていますが、ちょっと本当にいい加減にしてくれよ、それじゃまるで行き当たりばったりで僕にこの仕事をやらせたみたいな言い回しじゃネィか、といった感じの事を言われています。僕がずっと山の撮影画像で公言している「僕の人生はお前らのオモチャじゃない」そのまんまの状況です。

やはり霊団は僕に本を描き残すように言ってきます。間もなく僕は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺されるんだそうですよ。そして僕の口を利けないようにしてから僕をウソ、インチキに仕立て上げるための「国民再洗脳」を画策しているという事のようです。これは別に今に始まった事ではなく、これまで数えきれないくらいブログに書き続けている事ですよね。

書籍原稿の事を頭の中でグルグル考えるのですが、多すぎてまとめられない。とても書き切れない。項目が多すぎる。基本的にはくじけています。んー、本当に必要なもののみに絞って何とか力業(ちからわざ)でまとめるとか、そういう事をやらないといけないのかも。んー、どうまとめたらいいんだ、途方に暮れる。

「心霊科学本格入門」スキャン75%完了中「ベールの彼方の生活 3巻」テキスト見直し55%完了中。頭で悩んでいても手だけは別レイヤーで動かします。書籍テキスト化の作業は何が何でも続行します。んー、書籍の内容をまとめられない(祈)†

「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†■2022年8月10日UP■
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†
霊界と物質界つまり顕幽をつなぐ通信方法としてもっとも健全かつ正常な手段が「インスピレーション」であり、霊界側にとっても、物質界の人間が霊的チャンネルを開いてくれてインスピレーションを受け取れるようになってくれる事が一番手間が省けるという事なのです。霊媒現象を実現させようと思ったら、異なる次元間にあんなメンドクサイ橋、こんなメンドクサイ橋をかけねばならず、また決まって人間側の無理解、無知、不信心が障害となって霊界側の長年の準備が泡と消されてしまうという事が往々にしてあるそうです…続きを読む→
「愛の表現、怒るな」霊団の軽薄極まる言葉です。とにかくこの人生の責任取れ(祈)†■2022年4月27日UP■
「愛の表現、怒るな」霊団の軽薄極まる言葉です。とにかくこの人生の責任取れ(祈)†
「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は、自身の大犯罪を隠し通さなければ本当に逮捕になってしまうため、いつまでもどこまでもウソ洗脳ニュースをメディアに流し続けて国民をダマし続けなければならない。つまり「明仁、文仁、徳仁、悠仁にはウソをつき続けなければならない理由、動機、必要性がある」僕、たきざわ彰人には、これほど長い年月にわたって画家の夢Dreamworkを捨てさせられてブログでウソの内容を書き続けるなどという行為をしなければならない必要性が全くない。そもそも僕の人生の目的は全く別のところにある。「僕にはウソを公言する理由、動機、必要性がない」そんな事しても別に何にもならない…続きを読む→
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†■2022年2月9日UP■
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†
物質界は僕たち人間の「生活、人生の場」ではありません。シルバーバーチ霊いわく「トレーニングセンター」であり、心を、魂を鍛えて霊界で従事する予定の仕事を遂行するに足る人格、性格、忍耐力等を身に付けるために降下させられる場所、お勉強の場所です。【神】は子等(つまり僕たち)に【神性の火花】を賦与して下さり、それによって僕たちは個的存在を獲得しました。(もう類魂に埋没する事がないという事)これ以降はこの個性を永遠に失う事がなく、果てしない向上の人生を歩む事になります。そして神によって個的存在を賜った僕たち人間は、真っ先にこの物質界に降下してお勉強をさせられます。あえてこういう表現を用いましょう【神】が子供(僕たち人間)に「お勉強の旅に出てらっしゃい。そして十分にオトナになって私のところに帰ってらっしゃい」と言って僕たちを物質界に送られた。こんな感じではないでしょうか。単純に子供の成長を願う親の心境だと僕は思うのですが…続きを読む→

もし本当に書籍を出すというのであれば、毎週撃っている長文ブログ20個~40個ぐらいのボリュームのテキストを撃つつもりでいかないといけないでしょうからモチベーションが大事となります。このテーマなら迷わずガンガンテキスト撃てる、って感じじゃないとつらくて途中で挫折してしまいます。

霊性発現初期の頃の霊的体験を掘り起こして説明するのがスーパーメンドクサイんですよ。どうしても書く気になれない。フゥゥ、今霊団がポォォォって低い波長を降らせてきましたよ。書け書け言ってるんですよ。AffinityPhotoの本だったらノリノリで書けるんだけどなぁ。マイッタナァ。※AffinityPhotoの書籍は一時期本当に書くつもりで着手していましたが、霊団に止められた経緯があります。

仕方ないのでフラーのストーリーのネームを書いてます。コチラは元々脳内にストックしてあったもので骨子はできてますのでサクサク書けます。書籍の件で迷って時間をムダにするくらいなら手だけはフラーのストーリーを描いて、そちらの絵を描きながら頭で書籍の展開を考えていくという方が時間のムダがないかも。

どうしても霊団が書籍を書かせるというのであれば、挫折せずに最後まで苦しい超長文テキストを撃ち切れるように設計図を作らないといけません。イヤ、作ったつもりだったんですけど、その設計図を見てイヤになっちゃったんですよ。んんん、本当に困った。ちなみに先ほどAffinityPhotoのアドオンを入手、今さわってますが、これは使える。コッチの作業は超楽しい。
KO・MA・TTA!(祈)†

230713困った

「霊体で会議に参加し続けてるんですよ」物的脳髄でその様子を全く反芻できません(祈)†■2023年1月25日UP■
「霊体で会議に参加し続けてるんですよ」物的脳髄でその様子を全く反芻できません(祈)†
どの人間も例外なく物質界に降下するにあたり、指導霊と相談したうえで「こういう試練を体験すればこれだけ向上を果たせる」と考え、自分でその人生を選択して降下してくるのだそうで、つまり奴隷の女の子たちも「殺される人生をあえて選択して降下してきた人間たち」という事になるのですが、僕はそう言われて奴隷の女の子たちを見殺しにする気にはどうしてもなれません。これは僕の個人的意見ですが、物質界に降下するにあたり、基本的には「こういう人生を送る事になる」という概要は決まっているのでしょうが、中には例外もあるのではないかと思っているのです。僕の「霊性発現」はその例外に当たるのではないかと思っているからです…続きを読む→
「エゴイスト」そういうセリフは明仁、文仁、徳仁、悠仁を倒してから言ってくれよ(祈)†■2023年1月11日UP■
「エゴイスト」そういうセリフは明仁、文仁、徳仁、悠仁を倒してから言ってくれよ(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は全く滅亡させようとせず放置している。奴隷の女の子はひとりたりとも救出しようとせず完全に見殺しにしている。僕の人生を完全に破壊したが、使命遂行は全く前進させない。最低最悪のところに何が何でも閉じ込め続けようとしてくる。誰だって怒るに決まってるだろ。反逆するに決まってるだろ。人の心を一体何だと思ってるんだよ。人の人生を一体何だと思ってるんだよ。一体あんたたちの頭の中は何がどうなってるんだよ。これだけヒドイ状態にさせられても僕がエゴイストだと非難されなければならないのか。それはよかったですね…続きを読む→

流浪の部族は、イスラエル12支族の子孫であったが、ユダヤ人の間では大変嫌われ、浮浪者と呼ばれていた。彼らは自由気儘に暮らしていたので一般の厳格なユダヤ人の目には汚らわしく思えた。彼らはモーセによって与えられた形式的な儀式や祈祷を守らなかった。

失明した老人は、いつしかイエスに心を許すようになり、遂に今まで滅多に口にしなかった先祖のことについて話し出した。「わしはエルサレムで生まれた、れっきとしたユダヤ人で、しかもパリサイ派の家で育った。ところが此の地に移住した者は何もかも失くしてしまったようで本当に悲しんでおるのじゃ。

祭の日は守らず、祈りもせず、モーセの律法による潔めも全くやらないしまつじゃ」イエスは、ゆっくりとした調子で答えた。「そんなことを悲しまなくてもよいんです。内面的なお恵みは、先ず神様から与えられ、その後で外面的に“徴”として現われてくるものです。

あなたの部族は断食や長たらしい祈りはささげませんが、とっても気高い幻を持っておられます。悔いる心も持ってるし、とても謙虚です。それは多くの誇り高いパリサイ人でも足元にも及びません。いや、エルサレムにいるパリサイ人だけではありません、ガリラヤにいる律法学者や敬虔な人と言われている人たちも及びません」

老人が言った。「わしは失明を理由に、あの連中が何をしているのか、わざと知らないふりをしているのじゃよ。けれども彼らは憎み合ったり、色事に耽(ふけ)ったり、ろくなことしかしていないとハブノーが教えてくれるのじゃ」

「たしかにそうかもしれません。でもそれだけではないようです。なかにはとても気高い幻を持った者がいることも事実です。僕がここに来た最初の頃ですが、2人の男が喧嘩をして倒れてしまいました。2人とも激昂し、刃物で相手の胸を刺しあったのです。

それからというものは、この2人はしょっちゅういがみ合っていました。僕は2人に言いました。「敵を愛するのです。あなたを害する者を祝福してあげなさい。そうすれば部族の長ハブノーやみんなに神様のお恵みが与えられるんですよ!」

彼らは憮然として私をにらみつけていました。それから暗い表情で2人とも歩き出したのです。どんどん歩いているうちに最初の男は疲れてしまい、砂の上にねころんで眠ってしまいました。いがみ合っていた相棒は、この時とばかり寝ている男の水筒を盗んだのです。

水筒には彼が大事にとっておいた最後の飲み分しか入っていませんでした。夜になってから目をさました男は、自分のパンを相棒にわけてあげました。相棒は食糧をひとつも持っていなかったからです。相棒はひったくるようにパンにかじりつきました。たベ終った男は笑いながら言いました。

「お前は馬鹿なお人好しだ」それからまたパンをくれた男を殴りつけたのですが、殴られた男はそのまま寝こんでしまいました。夜になりとても寒くなりましたが、下着しか身につけていないこの男はすっかり風邪をひいてしまい、あくる朝には熱をだしてしまいました。

そこに部族の者がやってきて、殴りつけた男に言いました。<お前は我々の仲間にひどいことをしたもんだね>と言って軽蔑のかぎりをつくして彼をなじったのです。すると彼は突然人が変ったように、熱を出している男のそばに行き、彼に水を飲ませ、暖かい食べ物をつくり、一生けんめい介抱をしたのです。

遂にこの2人は、敵だった2人は、お互いに愛し合うようになり、部族に大きな影響(平和)をもたらしたのです。ハブノーのお父さん!僕に答えてくれませんか?この2人は祭や断食を守らず、長い祈りをしなかったからという理由で、最後の審判の日に裁かれるでしょうか?

それとも私が知っている律法学者が、同じ審判の日に、彼の思いや言葉には一片の慈悲もなく、自分以下の者を軽蔑したり憎んだりした者が、モーセの定めた儀式や祈祷を忠実に守ったからといって神様の救いにあずかれるのでしょうか?さあ!僕に答えていただけませんか!」

老人は顔面に微笑をたたえながら言った。「審判の日には、もちろんこの2人の男の方が先に救いにあずかれるとも!お前は大変な目利きのようじゃ。おねがいだから、あんたの本当の名前と正体をわしにあかしてくれないか。わしが思うに、きっとお前さんは、この悩める時代にイスラエルの光として再生してきた立派な預言者ではないのかね?」

イエスは何にも答えなかった。そのかわり、手にしていた杖で砂の上に字を書いた。しかしそこに居あわせた者は誰1人としてその名前を読める者はいなかった。その文字は、メシヤ(キリストの意)を意味する隠語であった。

後になって、その文字を見た弟子は、2度とそれを口にすることも見ることもしなかった。その意味があまりにも恐ろしかったからである。

(註1)当時は箱の中に砂を入れて、教師が砂の上に字を書き、生徒がその上をていねいになぞって字を憶えていた。従って推測ではあるが、イエスはこのとき砂の入った箱の中に字を書いたものと思われる。大事に保存されていたのであろう。(訳者註)

「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†■2023年6月7日UP■
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†
実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→