夏が終ろうとしている頃、この部族は盗賊に襲われた。多くの者が負傷し、2、3人の者が殺された。牛や駱駝も略奪された。その後食糧不足の時期に入り飢えに苦しめられた。しかし着るものや食べ物をすべて平等に分け合って危機をのりこえるのであった。
彼らは砂漠と町の接する地点に移住して、稼ぎの仕事を始めた。壺や鍋を作っては町の人に売るのである。みんな一生けんめいに働いた。そうこうしているうちに春がやってきて、再びアラビヤの奥地へと帰って行くのである。彼らには砂漠が本当の我が家であったので大変うれしかった。
失明の老人はイエスに自分の本心を打ち開け、深い悲しみに苦しんでいることを語った。「長い年月の間、暗黒に閉ざされ、孤独のどん底につき落とされ、神を疑うようになりました。わたしはこんな年齢になっても、まだ失明をあきらめることができないんです。
ひょっとしたら、日の出や日没の美しさ、荒野の絶景、勇敢な男たちの姿、女の愛らしさ、働く喜び、愛と談笑の喜びなどが見られるかもしれないってね。でもこのような人生の豊かさや喜びも失明によってすべて奪われてしまいました。
なんと苦しいことか、その言葉もありません。そんなことで、わたしは造り主であられる御方の慈悲というものを疑うようになり、神様はなんと惨(むご)い御方かと思うようになりました」
イエスは何度も説得するのであるが、老人の憂愁を払いのけることはできなかった。それからというものは、イエスはみんなから離れ、1人で祈り、断食を始めた。今や彼は、再び癒しの霊力をよび求める準備を開始したのである。
彼は、あの忌わしい公衆の面前で、天の父よと口に出して祈ってから久しい間ひとことも天の御父のことは口を閉じて語らなかった。しかし今度だけは、砂漠の谷や禿山の頂上に立って、大声で“天の父よ”と叫び続けた。
ある晩のこと、ヘリはイエスの後を追い、大きな石の陰から彼を見守っていた。暫くすると声がして、イエスが1人しか居ないのに、2人の人影が見えた。2人はあちこちと歩き回っていた。ヘリは耳を長くして話し合っていることを聞きとろうとしたが、なま温い微風(そよかぜ)にさえぎられてよく聞きとれなかった。
そのうちイエスの方が仲間から離れ、足早に駈け出していった。夕暮れの陽光が見知らぬ人のまわりを包み、その方と光が溶けあったかと思うと人影が消えて光だけになってしまった。ヘリの目は幻映を見損うような節穴ではなかった。
イエスの体からは、星の光のような輝きが発射され、ヘリは我を忘れて見とれていた。イエスは、ヘリが感嘆の叫び声をあげたのも気付かずに、一目散に駈けおりて、夕陽に赤く染まっている流浪(さすらい)の部族のテントに向かっていた。
ヘリもイエスの後を追いかけた。イエスは一気に部族の長ハブノーのテントにやってきて中に入り、失明の老人の手をとった。いつもは薄暗いハブノーのテントの中が星のきらめきのように明るく輝いていた。
イエスの手が老人の目玉に3度触れた。触れる度に彼は鋭い命令を発した。「開けよ!!汝を愛する人々並びに汝が愛せし大地を見よ!!」
それからイエスは、老人をテントの入口まで連れて行き、3度目の命令を発したときは、その声が余りに大きいので、集まってきた人たちが、しーんと静かになってしまった。みんなが一斉に敬愛してきた老人の方を見守った。みんなは総立ちとなった。老人は両腕を大きく広げながら彼らの方に歩いてきた。
「我が子らよ!!わしは再び見えるようになったのだ!!このガリラヤの若者が、わしの目の上に手をおいてくれたのだ!!見よ!たちどころにわしの目が見えるようになったのだ!!」
大きなどよめきが起こった。喜びのどよめきであった。老人は部族の1人1人に名前を言いながら挨拶をかわした。彼らの服の色、目の色、背丈の大きさなどを口にしながら。部族の長は、最初のうちは我と我が目を疑っていたのであるが、この段になって、イエスが本当に父の目を開けてくれたことを信じた。
よく晴れた夜、人々は踊り、歌い、この偉大なる奇蹟を祝う祭を行なった。このときに初めて彼らはイエスを兄弟として賞賛し、彼を抱擁(ほうよう)し、真に部族の1人として容認した。
イエスが寝ようとしているときにヘリが彼に尋ねた。「あの山でお前のそばに立っていた御方は誰だったのかい?その方は何という御方なのかい?」「僕はその方の名前は知らないんだよ、ヘリ」
「では、どうしたら、あの輝きの正体を探し出せるのかを教えてくれよ」「自分自身で探すしかないよ、ヘリ!あふれる生命と喜びが、今ようやく僕のものになったんだよ!この生命と喜びが、人々の理解をへて平和を生み出すんだよ」
■2021年11月10日UP■「コイツらだけは絶対許さない」強姦殺人魔、天皇一族に対する皆さまの思念です(祈)†「この強姦殺人魔どもに対してこれ以外の感情が湧くというのであれば、どういう事なのか説明してもらいたい」という事になります。人間としてこれ以上当たり前の感情はないという意味です。その当たり前の感情がなぜこれほど長い年月にわたって公の場で語られる事が無かったのか、それが「洗脳」と「脅迫」と「視点外し」という事になると思います。まず「洗脳」ですが、世界中の強姦殺人魔は総じてメディアを牛耳っています。そのメディアを駆使して徹底的に自分が善人で国民に人気があって親しまれているという趣旨のニュースを休みなく流しまくり認識を捻じ曲げ続けてきます…続きを読む→ ■2021年10月27日UP■「それが自然の摂理です」天皇一族が滅びるのは自然、必然という意味です(祈)†他人の宝物を盗み続けて神の公平な分配を妨げて自分たちだけ資源を欲しいまま捨て放題の生活を送り、仕事もせず毎日女の子をレイプしながら遊び呆けて、国民に対しては「自分たちが善人で国民に親しまれている」とウソニュースを流し続けてふんぞり返って生活を続けています。みんなそれが「大偽善」のウソだという事などとっくに分かっています。ただ脅されて言えずにいるだけで心の中では「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する怒りがドンドン蓄積されていきます。どこかのブログで「ダム決壊」という事を書いたと思うのですが、その人々の怒りが蓄積して必ずダムが決壊する時がきます。これは自動的にそうなります…続きを読む→