【12/22】私は霊力の証(あかし)を見た 奇跡の心霊治療 第14章 背後霊とは

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あなたにも指導霊がついている。人間のすべてに例外なくついている。たった1人でなく2人以上、5人も10人もついている人もいる。かつてはこれを守護の天使(ガーディアンエンゼル)と呼んでいた。知識と体験を積んだ霊で、地上生活を送る人間を背後から指導援助してくれる。

その中には地上時代にあなたを可愛がっていた親戚の人とか、数世紀も前に他界した霊が特殊な才能を生かして指導に当ることになったケースもある。この場合はあなたが今回の地上生活を選ぶに当ってその相談相手になった人であることが多い。地上生活中ずっと面倒を見て、あなたが地上を去った時は真っ先に出迎えてくれる。

そうした背後霊とあなたとは色んな形で連絡が取れているが、普通の言語による通信は出来ない。肉体に宿ったことによって、それだけ連絡網が決められているのである。

そこで背後霊は、たとえばあなたの脳裏にある考えを吹き込んだり、あなたの悩みを解決してくれそうな人のところへ案内したり、そのほかいろんな手段を講じて援助しようとする。どこでどういう援助があってこうなった、といったことは霊能のある人なら分るが、普通の人間には分らない。

その霊能者 – 時には霊媒と呼ぶべきケースもあるが – これはスピリットと直接交信する能力を具えた人のことである。霊界のスピリットにとって人間に意思を言語で伝えるのは至難のワザである。どうしてもそうしようと思えば、人間の耳に聞こえるレベルまで波長を変える(ラジオのように)だけでなく、それを“音波”に変えなくてはいけない。

このためには人間の発声器官に似たものが必要となる。交霊会では実際にボイスボックスという人間の発声器官と同じものをエクトプラズムという物質で拵えてしゃべるという現象(直接談話現象)があるが、いちばん手っ取り早いのは人間の生(なま)の発生器官つまり霊媒を使うことである(入神談話現象)。

入神というのは深い睡りの状態 – 昏睡とか人事不省の状態 – と同じと思えばよい。その状態の霊媒の身体にスピリットが一時的に宿ってしゃべるわけである。入神の深さにも程度がある。私のように治療しながらでもスピリットと一体関係になれる状態もある。暗闇または薄暗い部屋のほうが調子がいいという人もいる。反対に明るい照明のある部屋、あるいは日光の射し込むような部屋がいいという人もいる。

霊媒能力というのは一種の遺伝である。が、どの才能でも同じであるが、霊能も努力して養成しないといけない。その養成中にいきなりスピリットに身体を占領されてびっくりする人がいる。

いずれにせよ、1人前の霊能者になるには時間と忍耐力と鍛練と厳しい精神修養を必要とする。ある一流の霊媒が私に、自分の生涯は過去10年間の霊媒としての仕事のための修行だったように思う、と語っていたのを思い出す。

私はよく交霊会に出席して背後霊と会話を交わす。2、3か月毎にどこかの霊媒の交霊会に出席することにしている。どの霊媒という特定の人はいない。経験豊かな霊媒とみたら行ってみる。するとたいてい向うから話しかけてくる。背後霊の中にも私と話したがっているのがいて、それが真っ先に出てくる。

他の背後霊は簡単な挨拶程度だけで、あとはそばにいて会話を聞いているだけである。その様子はちょうど身内の者から久しぶりで電話が掛かってきて、家族全員が電話のそばに集まっても、実際に受話器を手にするのはその中の1人か2人で、あとはそばで話の内容に聞き耳を立てているというのと同じである。

入神している霊媒の口を使う場合もあれば、ボイスボックスを使って直接話しかけてくる場合もある。言うまでもなく霊媒にも背後霊がいる。その中に門番のような役をする霊がいて、スピリットが話に出る順番を整理して混乱が生じないようにしている。これは大切な役目なのである。

というのは、入神談話にせよ直接談話にせよ、霊媒自身は完全な無意識状態にあって、自分の身体の自由がきかないからである。交霊会はたいてい1時間近くかかる。もちろんそれをはるかにオーバーすることもある。通信にはたいへんなエネルギーを要するので、スピリットによっては長時間続けられないことがある。

全部話が終らないうちにエネルギーが切れて打ち切りになったことが何度かあった。ところがそれから2か月して別の霊媒のところへ行ったら同じ霊が出て来て、このあいだは途中で話が切れて申しわけない、と言って続きを話してくれた。ちょうど公衆電話で話をしていて、時間が来て途中で切れてしまったので、あとでもう1度掛け直すのと似ている。

“霊を呼び寄せる”(口寄せ)などということをやる人がいるが、交信は本来スピリットのほうの意思で行われるもので、人間としては時おり霊媒のところへ行って向うからの連絡を待つよりほかはない。

治療家として私は、肉身の死による悲しみのために病気になった人を数多く治療しているが、これほど野蛮な話はないと、いつも思う。悲哀を味わうということは、私に言わせれば一種の罰である。

無知だからそれほど悲しく思うわけである。自己憐憫も、悔恨も、自責の念も、あまりに大げさすぎるのだ。必要以上に自分を哀れに思い、悔み、そして責めたてるその余剰の念が身体を蝕むのである。

そうした哀れむべき人を治療する時、私はまず死についての再教育から始める。ある婦人が私に尋ねた。「夫はなぜ私に話しかけて来ないのでしょうか。あなたの言うように、もしもあの世に生き続けているのなら、なぜそうと教えてくれないのでしょうか」と。

夫の死で悲しみのドン底に落ち、自分1人の暗い世界に閉じ込もってしまったことが、まわりからの全ての援助の手をさえぎっていることに気づかない。自宅に電話を取り付けずにおいて、誰も電話を掛けてくれないと文句を言っているようなものだ。

霊媒を通じての直接の交信(コミュニケーション)が出来なければ、前に紹介した背後霊との触れ合い(コミューン)が出来る。これには“静寂の時”さえ確保できれば1人でも出来る。10分間あるいは15分間ほどやって何の変化も感じられなくてもよい。

うっかり寝入ってしまってもよい。それを折にふれて実行していくのである。いつでもどこでもよい。完全にリラックスして白日夢を見る状態でよい。ただ肝心なのは、煩わしい日常の雑念に邪魔されないようにすることである。

そのうち、ふと体が軽くなったような気分がしだす。心身ともに軽くなってくる。そんなに張りつめていたのかと思うほど気分が和らぎ、さっぱりとしてくる。と同時に、悩みのタネであったことが大したことではないような気分になったり、解決のためのいい方法が思い当ったりする。あなたは背後霊の援助を受けたのである。

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†