【3/21】霊界通信 ベールの彼方の生活 2巻 「天界の高地」篇 4 9界からの新参(しんざん)を迎える
1913年12月15日 月曜日
さて私は、いずれの日か召されるその日までに成就せねばならない仕事への情熱に燃えつつ、その界をあとにしたのであったが、ああ、その環境ならびに守護霊から発せられた、あの言うに言われぬ美しさと長閑(のど)けさ。
仮りにそこの住民がその守護霊の半分の美しさ、半分の麗しさしかないとしても、それでもなお、いかに祝福された住民であることか。私は今その界へ向けて鋭意邁進しているところである。
しかし一方には貴殿を手引きすべき責務がある。もとよりそれを疎(おろそ)かにはしないつもりであるが、決して焦ることもしない。大いなる飛躍もあるであろうが、無為にうち過ごさざるを得ない時もあるであろう。
しかし私が曽て辿った道へ貴殿を、そして貴殿を通じて他の同胞を誘(いざな)う上で少しでも足しになればと思うのである。願わくは貴殿の方から手を差しのべてもらいたい。私に為し得るかぎりのことをするつもりである。
私は心躍る思いのうちにその場を去った。そしてそれ以来、私を取り巻く事情についての理解が一段と深まった。それは私が重大な事柄について一段と高い視野から眺めることが出来るようになったということであり、今でもとくに理解に苦しむ複雑な事態に立ち至った折には、その高い視野から眺めるよう心掛けている。
つまりそれは第11界に近い視野から眺めることであり、事態は立ちどころに整然と片づけられ、因果関係が一層鮮明に理解できる。貴殿も私に倣(なら)うがよい。
人生の縺(もつ)れがさほど大きく思えなくなり、基本的原理の働きを認識し、神の愛をより鮮明に自覚することであろう。そこで私は、今置かれている界について今少し叙述を続けてみようと思う。
帰りの下り道で例の川のところで右へ折れ、森に沿って曲りくねった道を辿り、右手に聳える山々も眺めつつ平野を横切った。その間ずっと瞑想を続けた。
そのうち、その位置からさらに先の領域に住む住民の一団に出会った。まずその一団の様子から説明しよう。
彼らのある者は歩き、ある者は馬に跨(またが)り、ある者は四輪馬車ないしは二輪馬車に乗っている。馬車には天蓋(てんがい)はなく木製で、留め具も縁飾りもすべて黄金で出来ており、さらにその前面には乗り手の霊格と所属界を示す意匠が施されている。身にまとえる衣装はさまざまな色彩をしている。
が、全体を支配しているのは藤色で、もう少し濃さを増せば紫となる。総勢300名もいたであろうか。挨拶を交わしたあと私は何用でいずこへ向かわれるのかと尋ねた。
その中の1人が列から離れて語ってくれたところによれば、下の第9界からかなりの数の一団がいよいよこの10界への資格を得て彼らの都市へ向かったとの連絡があり、それを迎えに赴くところであるという。それを聞いて私はその者に、ぜひお伴させていただいて出迎えの様子を拝見したく思うので、リーダーの方にその旨を伝えてほしいと頼んだ。
するとその者はにっこりと笑顔を見せ、「どうぞ付いて来なさるがよろしい。私がそれを保証しましょう。と申すのも、あなたは今そのリーダーと並んで歩いておられる」と言う。
その言葉に私はハッとして改めてその方へ目をやった。実は、その方も他の者と同じく紫のチュニックに身を包んでおられたが何の飾りつけもなく、頭部の環帯も紫ではあるが宝石が1つ付いているのみで、他に何の飾りも見当らなかったのである。
他の者たちが遥かに豪華に着飾り、そのリーダーよりも目立ち、威厳さえ感じられた。その方と多くは語らなかったが、次第に私よりも霊格の高いお方で私の心の中を読み取っておられることが判って来た。その方は更にこうおっしゃった。
「新参者には私のこのままの姿をお見せしようと思います。と申すのは、彼らの中にはあまり強烈な光輝には耐えられぬ者がいると聞いております。そこで私が質素にしておれば彼らが目を眩ませることもないでしょう。あなたはつい最近、身に余る光栄は益よりも害をもたらすものであることを体験されたばかりではなかったでしょうか。」
その通りであることを申し上げると、さらにこう言われた。「お判りの通り私はあなたの守護霊が属しておられる界の者です。今はこの界での仕事を仰せつかり、こうして留まっているまでです。
そこで、これより訪れる新参者が“拝謁”の真の栄光に耐え得るようになるまでは気楽さを味わってもらおうとの配慮から、このような出で立ちになったわけです。さ、急ぎましょう。皆の者が川に到着しないうちに追い付きましょう。」
一団にはわけなく追いつき、いっしょに川を渡った。泳いで渡ったのである。人間も、馬も、ワゴンもである。そして向こう岸に辿り着いた。そこから私の住む都市を右手に見ながら、山あいの峠道に来た。そこの景色がこれ又一段と雄大であった。
左右に堂々たる岩がさながら大小の塔、尖塔、ドームの如く聳え立っている。そこここに植物が生い繁り、やがて2つの丘を両肩にして、そのあいだに遠く台地が広がっているのが見えて来た。そこにも1つの都市があり、そこに住む愉快な人々の群れが吾々の方を見下ろし、手を振って挨拶し、愛のしるしの花を投げてくれた。
そこを通り過ぎると左右に広がる盆地に出た。実に美しい。まわりに樹木が生い茂った華麗な豪邸もあれば、木材と石材で出来た小じんまりとした家屋もある。
湖もあり、そこから流れる滝が、吾々がたったいま麓を通って来た山々から流れてくる川へ落ちて行く。そこで盆地が自然の岩で出来た2本の巨大な門柱の間を1本の道が川と並んで通っている。
その土地の人々が“海の門”と呼ぶこの門を通り抜けると、眼前に広々とした海が開ける。川がそのまま山腹を落ちてゆくさまは、あたかも色とりどりの無数のカワセミやハチドリが山腹を飛び交うのにも似て、さまざまな色彩と光輝を放ちつつ海へ落ちてゆく。
吾々も道を通って下り、岸辺に立った。一部の者は新参者の到着を見届けるために高台に残った。こうしたことは全て予定どおりに運ばれた。それと言うのも、リーダーはその界より一段上の霊力を身につけておられ、それだけこの界の霊力を容易に操ることができるのである。
そういう次第で、吾々が岸辺に下り立って程なくして、高台に残った者から、沖に一団の影が見えるとの報が大声で届けられた。その時である。川を隔てた海岸づたいに近づいて来る別の女性の一団が見えた。尋ねてみるとその土地に住む人たちで、これから訪れる人々と合流することになっているとのことであった。
迎えた吾々も、迎えられた女性たちも、ともに喜びに溢れていた。丸みを帯びた丘の頂上にその一団の長(おさ)が立っておられる。頭部より足まですっぽりと薄い布で包み、それを通してダイヤモンドか真珠のような生命力あふれる輝きを放散している。
その方もじっと沖へ目をやっておられたが、やがて両手で物を編むような仕ぐさを始めた。間もなくその両手の間に大きな花束が姿を現わした。そこで手の動きを変えると今度はその花束が宙に浮き、1つなぎの花となって空高く伸び、さらに遠く沖へ延びて、ついに新参の一団の頭上まで届いた。
それが今度は1点に集まって渦巻きの形を作り、ぐるぐると回転しながらゆっくりと一団の上に下りて行き、最後にぱっと散らばってバラ、ユリ、その他のさまざまな花の雨となって一団の頭上や身辺に落下した。
私はその様子をずっと見ていたが、新参の一団は初め何が起きるのであろうかという表情で見ていたのが、最後は大喜びの表情へと変わるのが判った。その花の意味が理解できたからである。すなわち、はるばると旅して辿り着いたその界では愛と善とが自分たちを待ちうけていることを理解したのであった。
さて、彼らが乗ってきた船の様子もその時点ではっきりして来た。実はそれはおよそ船とは呼べないもので、筏(いかだ)のようなものに過ぎなかった。どう説明すればよかろうか。たしかに筏なのであるが、何の変哲もないただの筏でもない。
寝いすもあれば柔らかいベッドも置いてあり、楽器まで置いてある。その中で1ばん大きいものはオルガンである。それを今3人の者が一斉に演奏しはじめた。その他にも楽しむためのものがいろいろと置いてある。その中でとくに私の注意を引いたのは、縁(へり)の方にしつらえた祭壇であった。
詳しい説明は出来ない。それが何のために置いてあるのかが判らないからである。さてオルガンの演奏とともに船上の者が一斉に神を讃美する歌を唱いはじめた。
すべての者が跪(ひざまず)く神、生命の唯一の源である神。太陽はその生命を地上へ照らし給う。天界は太陽の奥の間 – 愛の光と温もりの泉なり。太陽神とその配下の神々に対し、吾々は聖なる心と忠誠心を捧げたてまつる。そう唱うのである。
私の耳にはその讃美歌が妙な響きをもっているように思えた。そこで私はその答えはもしかしたら例の祭壇にあるかも知れないと思ってそこへ目をやってみた。が、手掛りとなるものは何も見当らなかった。私になるほどと得心がいったのは、ずっと後のことであった。
が、貴殿は今宵はもう力が尽きかけている。ここで一応打ち切り、あす又この続きを述べるとしよう。今夜も神の祝福を。では、失礼する。昼となく夜となく、ザブディエルは貴殿と共にあると思うがよい。
そのことを念頭に置けば、さまざまな思念や思いつきがいずこより来るか、得心がゆくことであろう。ではこれまでである。汝は疲れてきた。ザブディエル†
「進歩したい気持ちでいっぱいです」霊団以上に僕がそう思ってますよ(祈)†
私の霊団は7つのグループに分かれており、それぞれに特殊な使命があります。愛と叡智と知識の霊たち、洗練された高貴な霊たち、明るく愛想のいい霊たち、この低い地上界の単調であくせくした生活に天上的な光輝をもたらす霊たち、地上界の皆さんとの交わりを通じて低い界から高い界への進化という恩恵に浴さんとして働く霊たち – その霊たちの演出する現象が地上の人間にはまだまだ必要なのです。いずれのグループの霊たちも、みずからも進歩を求めている霊たちです。霊媒に体験と啓発を与え、霊媒と生活を共にし、霊媒とともに進歩せんと志す者たちです。霊媒に教えることによってみずからも学び、霊媒を向上せしめることによってみずからも向上せんとしているのです。われわれのこうした仕事は愛に発する仕事です。それみずからが報酬をもたらすのです。霊媒に祝福をもたらし、霊媒を通じて人類に祝福をもたらし、それがわれわれにとっての祝福となるのです。全能の父なる神の祝福のあらんことを…続きを読む→
「地上とのつながりがすでに無くなっていた」これは僕への最大級の脅し文句です(祈)†
僕の予測ですが(これが正解だと思ってます、最悪の正解ですが)霊界側はもう何もしない、このまま僕を閉じ込め続ける事だけを考えている、交霊会も実は全然やる気がないのではないか、という気さえしています。事実全然やってないじゃないですか。インスピレーションだけを徹底的に降らせて、あとは僕にテキスト撃たせて拡散させる、それが霊界側としてはいちばんカンタン、ラク、消費パワーが少なくて済む、物質圏付近に降下する犠牲的作業をせずに済む、その霊界側にとって犠牲の少ない方法(インスピレーションのテキスト化)で十分に成果を上げているので、それで霊団は「ラクだから大好き大好き♪」とムカつく事を言ってくるのではないか、などと思ったりもするのです。霊界高級霊の方々が犠牲的降下をせずにインスピレーションという霊にとってのごく自然かつ通常の通信方法で仕事をおこなえる僕という「霊の道具」をできるだけ長く物質界に閉じ込めておケツひっぱたいてこき使うつもり、これが霊団側の真相なのではないか…続きを読む→
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†
霊的知識を獲得した人は、宜しくないおこないをして帰幽した先にどれだけの地獄が待ち受けているかを知っているので自動的に悪行にブレーキがかかるのです。シルバーバーチ霊も仰っていますように、邪悪な人間というのは霊的成長における「幼児」であり、霊的知識が全く頭に入っていないワガママのお子ちゃまであり、物的金銭を人より多く所有する事でしか自己表現ができない原初的人間という事になるのです。金銭など帰幽後、1円も霊界に持って行けません。そして霊界生活にお金など必要ありません。必要なものは全て思念で拵える事ができます。物質界生活中にお金をため込んでも自分の未来にとって全く無意味という事を悟れていない人間という事なのです。人間は本来が霊であり、その霊が修行のために一時的にトレーニングセンターである物質界に肉体という鈍重な衣服をまとって降下しているのであり、そのトレーニングセンターでのおこないが帰幽後の生活環境、霊界にて赴く境涯を高くしたり低くしたりするという霊的知識の基本中の基本さえ知らない人間が、その無知から邪悪なおこないをするのです…続きを読む→
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