【5/9】霊界通信 ベールの彼方の生活 3巻 「天界の政庁」篇 2 一牧師の場合
1917年12月10日 月曜日
前回のような例は言わば地上の戦場シーンがこの静けさと安らぎの天界で再現されるわけであるから、貴殿にとっては信じられないことかも知れませんが、けっして珍らしいことではありません。人生模様というものはそうした小さな出来ごとによって織りなされていくもので、こちらへ来ても人生は人生です。
かつての同僚がこちらで再会し、地上という生存競争の荒波の中で培った友情を温め合うという風景はけっしてこの2人にかぎったことではありません。
では、さらにもう1歩踏み込んで、別のタイプの再会のシーンを紹介してみよう。
吾々との間に横たわる濃霧の下で生活する人々に知識の光を授けたいと思うからです。その霧の壁は人間のかぎられた能力では当分は突き破ることは不可能です。いつまでもとは言いません。が、当分の間すなわち人間の霊覚がよほど鋭さを増すまでは、こうした間接的方法で教えてあげるほかはないでしょう。
第2界には地上からの他界者が1たん収容される特別の施設があります。そこでは“選別”のようなことが行われており、1人ひとりに指導霊が当てがわれて、霊界での生活のスタートとしてもっとも適切な境涯へ連れて行かれます。
その施設を見学すると実にさまざまなタイプの者がいて、興味ぶかいことが数多く観察されます。中には地上生活に関する査定ではなかなか良い評価をされても、確信と信念とかの問題になると、ああでもないこうでもないと、なかなか定まらない者もいます。
誤解しないでいただきたいのは、それは施設でその仕事に当たっている者に判断能力が不足しているからではありません。新参者もまず自分自身についての理解、つまりどういう点が優れ、どういう点が不足しているか、自分の本当の性格はどうかについて明確な理解がいくまでは、はっきりとした方向決めはしない方がよいという基本的方針があるのです。
そこで新参者はこの施設においてゆっくりと休養を取り、気心の合った人々との睦(むつ)び合いと語らいの生活の中において、地上生活から携えてきた興奮やイライラを鎮め、慎重にそして確実に自分と自分の境遇を見つめ直すことになります。
最近のことですが、吾々の霊団の1人がその施設を訪れて、ある複雑な事情を抱えた男性を探し出した。その男性は地上では牧師だった人で、いわゆる心霊問題にも関心をもち、いま吾々が行っているような霊界との交信の可能性についても一応信じていた。彼はもっとも肝心な点の理解ができていなかった。
であるから、内心では真実で有益であると思っていることでも、それを公表することを恐れ、牧師としてお座なりのことをするだけにとどまった。肝心な問題を“ワキへやった”のです。
というのも、彼は自分には人を救う道が別にある…が今それを口にして騒がれてはまずい…それはもっと世間が理解するようになってからでよい…その時は自分が先頭に立って堂々と唱道しよう…そう考えたのです。
そういうわけで、真剣に道を求める人たちが彼を訪ねて、まず第1に他界した肉親との交信は本当に可能かどうか、第2にそれは神の目から見て許されるべきことであるかどうかを質しても、彼はキリスト教の聖霊との交わりの信仰を改めて説き、霊媒を通じての交わりは教会がテストし、調査し、指示を与えられるまで待つようにと述べるにとどまった。
ところが、そうしているうちには彼自身の寿命が尽きてこちらへ来た。そしてその施設へ案内され、例によってそこで地上で自分の取った職業上の心掛けと好機の活用の仕方についての反省を求められることになっていた。そこへ吾々の霊団の1人が –
– まわりくどい言い方をなさらずに、ズバリ、彼の名をおっしゃってください。
“彼”ではなく“彼女”つまり女性です。ネインとでも呼んでおきましょう。ネインが訪ねたとき彼は森の小道 – 群葉と花と光と色彩にあふれた草原を通り抜ける道を散策しておりました。安らかさと静けさの中で、たった1人でした。というのも、心にわだかまっているものを明確に見つめるために1人になりたかったのです。
ネインが近づいてすぐ前まで来ると、彼は軽く会釈して通り過ぎようとした。そこで彼女の方から声をかけた。「すみません。あなたへの用事で参った者です。お話することがあって…」
「どなたからの命令でしょうか」「地上でのあなたの使命の達成のために主の命を受けて、あなたを守護し責任を取ってこられた方です」「なぜその方が私の責任を取らなくてはならないのでしょう。1人ひとりが自分の人生と仕事に責任を取るべきです。そうじゃないでしょうか」
「たしかにおっしゃる通りです。ですが残念ながらそれだけでは済まされない事情があることを、私たちもこちらへ来て知らされたのです。つまりあなたが地上でなさったこと、あるいは為すべきでありながら為さずに終ったことのすべてが、単にあなた1人の問題として片づけられないものがあるのです。
守護の任に当たられたその方も、あなたの幸せのために何かと心を配られましたが、思いどおりになったのは一部だけで、全部ではありませんでした。こうして地上生活を終えられた今、その方はその地上生活を総ざらいして、ご自分の責任を取らねばなりません。喜びと同時に悲しみも味わわれることでしょう」
「私には合点(がてん)がいきません。他人の失敗の責任を取るというのは、私の公正の概念に反することです」
「でも、あなたは地上でそれを信者に説かれたのではなかったでしょうか。カルバリの丘でのキリストの受難をあなたはそう理解され、そう信者に説かれました。すべてが真実ではなかったにしても、確かに真実を含んでおりました。
私たちは他人の喜びを我がことのように喜ぶように、他人の悲しみも我がことのように悲しむものではないでしょうか。守護の方も今そういうお立場にあります。あなたのことで喜び、あなたのことで悲しんでおられます」
「どういう意味でしょうか。具体的におっしゃってくださいますか」
「慈善という面で立派な仕事をなさったことは守護霊さまは喜んでおられます。神と同胞への愛の心に適(かな)ったことだったからです。が、あなたみずから受難について説かれたことを実行するまでに至らなかったことは悲しんでおられます。あなたは世間の嘲笑の的になるのを潔(いさぎよ)しとしなかった。
不興を買って牧師としての力を失うことを恐れられた。つまり神からの称賛(しょうさん)より世間からの人気の方を優先し、暗闇の時代から光明の時代へ移りはじめるまで待って、その時に一気に名声を得ようと安易な功名心を抱かれました。
が、その時あなたは意志薄弱さと、恥辱と冷遇を物ともしない使命感と勇気の欠如のために、大切なことを忘れておられました。
つまりあなたが到来を待ち望んでいる時代はもはやあなたの努力を必要としない時代であるかも知れないこと、闘争はすでに信念強固なる他の人々によってほぼ勝ち取られ、あなたはただの傍観者として高見の見物をするのみであるかも知れないこと、又一方、その戦いにおいて1歩も後へ退かなかった者の中には、悪戦苦闘のすえに名誉の戦死をとげた者もいるかも知れないということです」
「いったい、これはどういうことなのでしょう。あなたはいったい何の目的で私のところへ来られたのでしょうか」
「その守護霊さまの使いです。いずれその方が直々にお会いになられますが、その前に私を遣わされたのです。今はまだその方とはお会いになれません。あなたの目的意識がもっと明確になってからです。つまりあなたの地上生活を織り成したさまざまな要素の真の価値評価を認識されてからのことです」
「判りました。少なくとも部分的には判ってきました。礼を言います。実はこのところずっと暗い雲の中にいる気分でした。なぜだろうかと思い、こうして人から離れて1人で考えておりました。あなたからずいぶん厳しいことを言われました。ではどうしたらよいのかを、ついでにおっしゃっていただけますか」
「実はそれを申し上げるのが私のこの度の使いの目的だったのです。それが私が仰せつかった唯一の用件でした。つまりあなたの心情を推し量り、ご自身でも反省していただき、あなたに向上の意欲が見られれば守護霊さまからのメッセージをお伝えするということです。
今あなたはその意欲をお見せになられました – もっとも心の底からのものではありませんが…。そこで守護霊さまからのメッセージをお伝えしましょう。あなたがもう少し修行なされば、その方が直々にご案内してくださいます。
その方がおっしゃるには、取りあえずあなたは第1界に居所を構えて、そこから地上へ赴いて、こちらの光明の世界の者との交信を求めている人たちの気持をよく汲み取り、その人たちをキリストの光明と安らぎへ向けて向上させてあげるために慰めと勇気づけのメッセージを送ることに専念している(光明界の)人たちの援助をなさることです。
あなたの教会の信者だった人の中には、悲しみにうちひしがれた人たちのために交霊会を開き、他界した肉親との交信をさせて喜ばせ、かつ、みずからも喜びを得ようと努力しておられる人もいます。
今こそあなたはその人たちのところへ赴き、あなたの存在を知らしめ、あなたが地上時代に説かれたことを撤回するなり、語るべきでありながら勇気がなくて語らずに終った真理を説いて聞かせるなりすべきです。これは恥を忍ばねばならないことではあります。
でも、それによって地上の信者は大いに喜びを得るでしょうし、あなたの潔(いさぎよ)い態度に好意を抱くことでしょう。と言うのは、その方たちはすでに今のあなたの位置よりはるかに高い天界からの愛の芳香を嗅(か)ぎ取っているのです。
でも、どうなさるかはあなたの自由意志に任されております。言われる通りになさるなり、拒否なさるなり、どうぞご自由になさってください」
彼はしばし黙して下を向いていた。必死で思いを廻らしていた。その心の葛藤は彼のようなタイプの人間にとって決して小さなものではなかった。果たせるかな彼は決断に到達することができず、あとでもっとよく考えてからご返事しますとだけ述べた。
怖れと優柔不断という、かねてからの彼の欠点が相も変らず彼をマントの如くおおい、その一線を突き破りたくても突き破れなくしていた。ネインは自分の界へ戻って行った。が、彼女が求めにきた嬉しい返事を携えて帰ることはできなかった。
– それで結局彼はどうしました?どういう決断をしたのでしょうか。
このあいだ聞いたところでは、まだ決めていないとのことでした。もっとも、この話はつい最近のことで、まだ結末に至る段階ではありません。彼の自由意志によって何らかの決断を下すまでは結末はあり得ないでしょう。貴殿が催される“交わりの集会”へは彼のような立場の霊が大ぜい参加するものです。
– 交わりの集会というのは聖餐式(せいさんしき)のことでしょうか。それとも交霊会のことでしょうか。
どう言い変えたところで同じでしょう。たしかに地上の人間にとっては両者は大いに違うでしょうが、吾々には地上の基準で考えているのではありません。どちらにせよ同じ目的、つまり両界の者と主イエスとの交わりを得るためです。吾々にとってはそれだけで十分です。
ところで吾々が派遣した女性のことですが、貴殿はなぜこのような使命を女性が担わされたのか – キリスト教の牧師を相手にしてその行為と態度を論じ合わせたのはなぜかと思っておられる。その疑問にお答えしましょう。
答えはいたって簡単です。実は彼には幼少時代に1人の妹がいたのですが、それがわずか2、3歳で夭折した。そして彼1人が成人した。例の女性がその妹です。彼はその妹をひじょうに可愛がっていた。
であるから、もしもその人生においてもう1段高い霊性を発揮していたら、たとえその後の彼女が美しく成人していても、すぐに妹と知れたはずです。が、低き霊性ゆえに彼の視界は遮(さえぎ)られ、視力は曇らされ、ついに彼女は自分が実の妹であることに気づいてもらえないまま去って行った。
げに吾々は、喜びにつけ悲しみにつけ1つの家族のようなものであり、それを互いに分かち合わねばならない。主イエスも地上の人間の罪と愛、すなわち喜びと悲しみを身をもって体験されたのですから。
「4000文字を一気に書く」自動書記、やるならやって下さい、書籍化の準備は整ってます(祈)†
初期の頃に「隔離フィールド」という霊現象が僕の身に起こりました。どの霊関連書籍にも全く同様の記述がない、全く未知の霊現象のためやむなく自分でこのように命名した霊現象となります。この隔離フィールドの詳細説明は諸事情で割愛させて頂きますが、実はこの隔離フィールド時に「地縛霊、低級霊のジャマを一切無視する修行」のような事をずっとやらされていたのです。半強制的に地縛どもの声を霊聴に流されて、寝ている時以外はずっとその地縛どもにムカつく事を言われ続けながら生活する、という状態を延々やらされていたのです(ちょうどセブンで仕事を始めた頃です)それはもう最初は大変な精神的苦痛を味わわされました。しかしその修行の成果もあって、低級な声のほとんどを無視する事ができるようになっています。2度とあの「隔離フィールド」の状態にさせられるのはゴメンですが、僕がもし自動書記霊媒として機能するようになったら、あの時と似たような状態にさせられるから覚悟しておきなさいと霊団が言っているのかも知れません…続きを読む→
「この道の方が正しかった」強姦殺人魔を滅ぼさない、人生破壊が正解という意味、断じて許せぬ(祈)†
間もなく僕が公言している内容を一般の方々が恐怖に縮こまる事もなく暗殺の危機におびえる事もなく当たり前のように公言する時代がやってきます。なぜなら人々を永遠に脅迫で押さえつける事は絶対にできないからです。最終的には正義が必ず勝利を収めるようになっているのです。なぜなら僕たちの心には【神】がプレゼントして下さった「理性、良心」が具わっているからです。その理性、良心がイヤでも人々を正しい行動に駆り立て、遅かれ早かれ邪悪は滅ぼされるのです、単なる時間の問題です。ただ僕の希望としては「いつか皆さまも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言するようになる」のではなく、できれば今すぐに公言して頂きたい気持ちです。僕の使命遂行をご覧の方々の多くが「たきざわ彰人ガンバレ、強姦殺人魔をやっつけてくれ」と他力本願的に思っておられるかも知れませんが、イエイエ僕という人間には全く何のチカラもありません。社会は個人が集まってできています。ひとりひとりが行動を起こす事によって大きなムーブメントになっていきます…続きを読む→
「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†
普段上層界で生活している高級霊の方々は波長が低すぎる物質圏付近には降下する事さえできず、降下したとしてもごく短時間しか滞在できないそうです。つまり高級霊であればあるほど最低界の物質界と縁が切れているという事です。で、そこまで上層界では無い境涯で生活している霊は物質圏付近に仕事で降下する事がありますが(僕は間違いなく降下の仕事をやらされるものと思われますが)インペレーター霊が書籍の中でお話しておられますように、物質圏付近に降下すると、地上生活時代の記憶がよみがえり、それが進歩の逆、退歩につながってその霊にとってマズい事になるという事があるそうです。たとえば霊体生活者はもう肉体がありませんが、物質圏に降下すると昔の肉体的煩悩がよみがえってきてそれが退歩につながるのだそうです。もうひとつ、物質界生活時に間違った霊的知識、宗教観等を学んでしまって、帰幽後にその自分の間違いを指導霊に修正してもらって向上を果たした人物が物質圏付近に降下すると、その過去の誤った概念がよみがえってきて霊界で学んだ内容が帳消しになってしまい、それがまた退歩につながるのだそうです…続きを読む→
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