【6/15】霊界通信 ベールの彼方の生活 4巻 「天界の大軍」篇 2 双子の霊
1918年2月15日 金曜日
– 前回お話しくださった儀式のことは、あれでおしまいですか。まだお話しくださることがあるのでしたら、私の質問に対する答えはあとまわしにしてくださっても結構です。そちらのご都合に合わせます。
どちらでも結構ですが、(前回のおしまいのところで)お書き留めになった質問の中に今ここでお答えしておいた方がよいものがあるようです。
– “2人の天使は地上ではどこの民族に属していたか” – この質問のことでしょうか。
それです。そのことに関連してまずご承知おき願いたいのは、あの2人の若い天使の誕生は実に太古にまでさかのぼるということです。あれほどの霊力と権威とを悠久の鍛練と進化の過程を経ずして獲得し、それをあのような任務に行使するに至るという例はそう滅多にないことです。
お2人は双子霊なのです(※)。地球がまだ現在のような環境となっておらず、人類がまだこれからお2人が霊団を率いて赴く天体上の人種と同じ発達段階にあったころに地上で生活なされました。その段階の期間はずいぶん永く続きました。その間にお2人は知性の黎明期を卒業し、それから霊界入りしました。
その時点から本格的な試練がはじまり、同じ人種の中でも格別に進歩性の高いお2人は、各種の天体を低いものから高いものへと遍歴しながら、最後は再び地上圏へ戻ってきて、さらに進化を遂げられました。そのころは地球も合理的思考の段階、ほぼ今日の人類と同じ発達段階に到達しておりました。
(※ Twin souls シルバーバーチはこれを1つの霊の半分ずつが同時に物質界に誕生した場合のことで、典型的なアフィニティであるという – 訳者)
– 青銅器時代、それとも石器時代、どっちですか。
同じ人類でも今おっしゃった青銅器時代にある人種もいれば鉄器時代にある人種もおり、石器時代にある人種もいます。人類全体が同じ歩調で進化しているのではありません。それくらいのことはご存知でしょう。いまの質問は少し軽卒です。
地上人類が知性的発達段階にあった時期 – こう言えば一ばん正確でしょう。それは歴史的に言えばアトランティスよりもずっと前、あるいはレムリアと呼ばれている文明が登場するより前のことです(※)。
お2人は地上近くの界層まで降りて強力な霊力を身につけ、さらに知識も身につけ、もともと霊性の高いお方でしたから、一気に地球圏を卒業して惑星間の界層へと進まれ、さらには恒星間の界層へと進まれたものと想像されます(第1巻6章参照)。
と言うのも、敢えて断言しますが、それほどの使命を仰せつかる方が、自転・公転の運動と相互作用を続ける星雲の世界を統率する途方もない高級エネルギーに通暁していないはずはないからです。(※アトランティス大陸もレムリア大陸もともに伝説上のものとする説があるが、実際に存在していたことがこれで知れる – 訳者)
お2人が自分たちがアフィニティであることを悟ったのはそのあと霊界へ戻ってからのことで、霊的親和力によって自然に引き寄せられ、以来ずっと天界の階梯を向上し続けておられるのです。
– 地球以外の惑星との接触はどういう形で行ったのでしょうか。再生したのでしょうか。
再生という用語は前生と同じ性質の身体にもう1度宿るということを意味するものと思われます。もしそうだとすれば、そして貴殿もそう了解してくださるならば、地球以外の天体上の身体や物質に順応させていく操作を“再生”と呼ぶのは適切ではありません。
というのは、身体を構成する物質が地上の人間のそれと非常に似通った天体もあるにはありますが、まったく同じ素材でできている天体は2つとなく、まったく異なるものもあります。
それ故、貴殿が今お考えになっているような操作を再生と呼ぶのは適切でないばかりか、よしんば惑星間宇宙を支配する法則とまっ向から対立するものではないにしても、物的界層の進化の促進のためにこの種の問題を担当している神霊から見れば、そう一概に片づけられる性質のものでないとして否定されることでしょう。
そうではなくて、お2人はこの太陽系だけでなく他の恒星へも地上の場合と同じように、いま私が行っている方法で訪れたのです。
私はこの地上へ私の霊力の強化のために戻ってまいります。そして時には天体の創造と進化についての、より一層の叡智を求めて、同じ方法で他の天体を訪れます。が、物質的身体をまとうことは致しません。そういうことをしたら、かえって障害となるでしょう。
私が求めているのは内的生活、その世界の実相であり、それは内部から、つまり霊界からの方がよく判ります。物的世界のことはそこの物質を身にまとって生まれるよりも、今の霊としての立場から眺めた方がより多く学べるのです。
魂をそっとくるんでくれる霊的身体よりはるかに鈍重な器官を操作しなければならないという制約によって、霊的感覚がマヒしてしまうのです。お2人の体験を私自身の体験を通してお答えしてみたのですが、これでお分かりいただけたでしょうか。
– どうも恐縮です。よく分かりました。
結構です。お気づきでしょうが、創造全体としては1つでも、崇高なる喜悦の境涯にまでも“多様性”が存在し、その究極の彼方において成就される“統一性”の中においてはじめて自我についての悟りに到達する。
それまでは神の時計の振子が永遠から永遠へと振り、その調べのリズムがダイナミックな創造の大オーケストラの演奏の中で完全に融合し全体がたった1つの節(ふし)となってしまう。その崇高なる境涯へ向けて1日1日を数えながら辿(たど)った来(こ)し方を振り返るごとに、それまでの道のりが何と短かいものであるかを痛感させられるものです。
私がいま置かれているところもやはり学校のようなところです。この界へ上がり聖堂へ入ることでようやく卒業した試錬の境涯から、ほんの1段階うえの学校の低学年生というところです。
お2人の天使もここを通過されてさらに高い学校へと進級して行かれました。そしてこのたびのように、かつてのご自分と同じ鍛錬の途上にある者の教師として、あるいは指導者として戻って来られるのです。
– お2人のお名前を伺いたいと思っていたのですが…
思ってはいたが前と同じように断られるのではないかと思って躊躇された…のですね?さてさて、困りました。やはり(アルファベッドで)書き表せる名前ではないのです。こうしましょう。貴殿の思いつくままの名前をおっしゃってみてください。それを差し当たってのお名前といたしましょう。
– これはまた思いも寄らなかったことです。
いやいや、今お考えになって書いてくださればよろしい。本当の名前を知っていながらそれが書き表せない私よりも(何もご存知でない)貴殿が適当に付けてくださる方がいいでしょう。本当のお名前はアルファベッドでは書こうにも書けないのです。さ、どう呼ばれますか。
– マリヤとヨセフではいかがでしょう。
これはまた謎めいたことをなさいました。その謎は貴殿にはよくお判りにならないでしょうが、ま、その名前で結構です。いけないと言っているのではありません。結構ですとも。お2人をお呼びするにふさわしい意味をもつ名前を歴史上に求めれば、それしかないでしょうから。
その意味については述べないでおきます。“聞く耳ある者は聞くべし”(マルコ4・9)です。ではその名前で話を進めましょう。マリヤにヨセフ。貴殿はその順序で述べられました。その順序でまいりましょう。ぜひそうしてください。それにも意味があるのです。
– 地上時代の名前や年代はとても伝えにくいようですね。そちらからの通信を受けている者には一様にそう感じられます。どうしてなのでしょう?
貴殿は少し問題を取り違えてますね。今おっしゃったのはかつての地上での名前と生活した時代のことでしょう。
– そうです。
そうでしょう。では名前のことからお話しましょう。これは死後しばらくは記憶しています。しかしそのうち新しい名前をもらってそれをいつも使用するので、地上時代の名前は次第に使わなくなります。すると記憶が薄れ、おぼろげとなり、ついにはほとんど、ないしは完全に記憶が消滅してしまいます。
地上に親族がいる間はさほどでもありませんが、全員がこちらへ来てしまうと、その傾向が促進されます。やがて何世紀もの時の流れの中で他の血族との境界線がぼやけて混り合い、1つの血族だけの間のつながりも薄れて、最後は完全に消滅します。
例外もあるにはあります。が、それもわずかです。それと同時に少しずつ名前の綴りと発音の形態が変っていき、そのうちまったく別の形態の名前になります。しかし何といっても進化に伴って地上圏との距離が大きくなるにつれて地上時代への関心が薄れていくことが最大の要因でしょう。
霊界でのその後の無数の体験をへるうちに、すっかり忘れ去られていきます。記録を調べればいつでも知ることはできます。が、その必要性もめったに生ずるものではありません。
地上時代の年代が思い出しにくいのも似たような理由によります。吾々の関心は未来にありますので、この問題はさしあたっての仕事にとっても無意味です。もう1つの事情として、地上時代のことが刻々と遠ざかり、一方では次々と新しい出来ごとがつながっていくために、今ただちに地上時代のことを拾い出してそれが地上の年代でいつだったかを特定するのはとても困難となります。
もっとも地上の人間からのそうした問い合わせに熱心に応じる霊がいるものでして、そうした霊にとっては簡単に知ることができます。が吾々のように他に大切な用件があり、今という時間に生きている者にとっては、急に航行先の変更を命じられて回れ右をし、すでに波がおさまってしまった航行跡を引き返して、その中の1地点を探せと言われても困るのです。
その間も船は大波をけって猛スピードで前進しているのです。その大波の1つ1つが地上の1世紀にも相当すると思ってください。そうすれば私の言わんとしていることが幾らかでもお分かりいただけるでしょう。
では今回はこの辺で打ち切って、次の機会に同じ話題を取り上げ、神の名代である2人の天使、マリヤとヨセフについて今少し述べることにしましょう。
アーネル†
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に落ちるのは自己責任、アキトくんには何の責任もないし、キミが物質界生活中にこの者たちを滅ぼさなくても自動的に肉体が朽ちて帰幽して地獄に落ちるのだからどちらでも結果は同じである。奴隷の女の子たちに関しても自ら犯した過去の大罪の罪障消滅を目的として物質界に降下した人間なのだから、苦難の人生をやらされるのが当たり前(自己責任)それを助けてあげたら本人のためにならない、アキトくんの気持ちは分からないでもないが帰幽して我々(イエス様)と同じ視点から眺められるようになれば納得できるであろう。つまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を物質界生活中に滅ぼせなくてもそれは別にアキトくんの努力不足ではなく、奴隷の女の子を助けてあげられない事もキミのせいじゃない。我々(イエス様)は絶対的有利なポジションに立っているので、その人間たちをアキトくんの霊的進歩向上に大いに活用させてもらった…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†
現在の苦難を耐え抜かなければその罪障消滅が達成されず、キミはまた物質界に再降下しなければならなくなるんだよ。我々はキミのためを思ってキミをその苦しみの中に閉じ込めているんだよ。罪障消滅が達成されなかったらキミがまた苦しい思いをする事になるんだよ。これで終わりにするためにその苦しみに耐えるんだ。という意味で霊団が僕を脅し続けているのかも知れません。イヤ、僕のこれまでの人生をよくよく振り返ってみた時に、僕はそういう理由で物質界に降下した人間じゃないと思う。幼少の頃から絵を描き続け、マンガ家も経験し、Dreamworkに突入して死ぬまで絵を描き続ける事を固く固く決断していた。僕はそういう罪障消滅目的の人間ではないと思う、そうだったら絵の才能を賦与されていないと思う。僕に関してはそれはちょっと違うと思う。現在の僕の状況は霊性発現によって「後説」で賜ってしまった追加試練だと思う。守護霊様の管轄内で生活していた時はこんな状況には全くならなかった。「100の光の霊団」の管轄に切り替わってから僕の人生が一気におかしくなった…続きを読む→
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