40年余り前(1920年ごろ)のことである。文人による社交クラブで司会役をしていた18歳の議論好きの青年が、思わぬ成り行きからスピリチュアリズム(章末注1)の研究に引きず込まれた。そしてある心霊家の招きでロンドンの東部地区で催されていた交霊会(注2)なるものに一種の軽蔑心を抱きつつ出席した。
これといった感動も覚えぬまま会の成り行きを見ていたその青年は、入神した人間の口をついてインディアンだのアフリカ人だの中国人だのが代わるがわるしゃべるのを聞いて苦笑を禁じ得なかった。そして列席者の1人から「あなたもそのうち同じことをするようになります」と言われた時もアホらしいといった気持で軽く聞き流した。のちにこれが現実となるとは神ならぬ身には知る由もなかった。
2度目に出席した時、青年は途中でうっかり“居眠り”をしてしまい、目覚めてから慌(あわ)てて失礼を詫びた。ところが驚いたことに他の出席者たちから「居眠りをなさっている間あなたはインディアンになっておられましたよ。名前も名のってましたが、その方はあなたがお生れになる前からあなたを選んで、これまでずっと指導してこられたそうです。そのうちスピリチュアリズムについて講演なさるようになるとも言ってました」と言われた。
この時も青年は一笑に付した。しかしどこか心の奥にひっかかるものがあった。そしてその後出席する度に入神させられ、そのたびに同じインディアンがしゃべった。はじめのうち片言英語しか話せなかったのが次第に流暢になっていった。
その青年の名はモーリス・バーバネル。(注3)そしてインディアンはシルバーバーチ(注4)とよばれるようになった。両者は顕と幽の相反する世界にいながら密接に結びついた仕事で世界的に知られるようになる運命にあった。前者は練達の宣伝家、著作家、編集者として、後者はハンネン・スワッハー氏(注5)の言葉を借りれば“他のいかなる説教家よりも多くの心酔者をもつ”雄弁な説教者としてである。
スワッハーの言葉には説得力がある。スワッハー自身がその会の司会者であり、今日までその交霊会はハンネン・スワッハー・ホームサークルの名称で知られているからである。それにスワッハーはジャーナリズム界では“フリート街の法王”の異名をとる反骨のジャーナリストとして長くその存在を知られている人物である。
そのスワッハーの勧めでシルバーバーチの霊言が心霊紙上で公表されるようになってからも、霊媒がバーパネルであることは内密にされた。バーバネルにしてみれば自分を通じての霊的教訓はいくら宣伝されてもそれだけの価値はあるが、それを掲載するサイキックニューズ紙とツーワールズ紙の主筆が実はその霊媒であるというのは、受け取られようではまずい印象を与えるのではないかという用心があったのである。そういう次第でバーバネルがシルバーバーチの霊媒であるという事実は20年余りも極秘にされていたが、いったい霊媒は誰なのかという次第に高まる一般のうわさを放置するわけにもいかなくなり、ついに1957年8月24日のツーワールズ紙上でバーバネル自ら公表したのであった。
シルバーバーチについてスワッハーはこう述べている。「シルバーバーチは実はインディアンではない。いったい誰なのか、本当のところは分からない。本来属する界は波長が高すぎて地上とは直接の交信が不可能であるために低い界の霊(霊界の霊媒)の幽体を使用している。シルバーバーチと名のるインディアンはたぶんその幽体の持ち主であろう。その証拠に彼はこう言っているのである。“いずれ私の身元を明かす日も来ることでしょう。私は仰々しい名前を使うことによって敬愛を受けたくはありません。私が語る真理によって私の真価を証明するためにあえて素朴なインディアンに身をやつしております。それが自然の理というものなのです”と。」
これらの教説が霊媒の潜在意識の仕業でないことをどうやって見分けるのかとの批評家の質問に対してスワッハーは、両者が別個の存在であることを示す決定的な事実がいくつかあると言う。例えばシルバーバーチは再生説(注6)を説くが、バーバネルは通常意識の時はこれを否定し、入神すると反対に再生説を主張する。
シルバーバーチ自身も自分が心霊家がよく持ち出す“霊媒の第2人格”でないことを示す証拠をこれまで何度も提供している。例えば霊媒の奥さんのシルビアに対してシルバーバーチが、こんどのエステル・ロバーツ女史(注7)の交霊会でかくかくしかじかのことを直接談話(注8)で言います、と約束したことがある。そしてその約束どおりのことが起きた。いっしょに出席していたバーバネルもはじめてシルバーバーチの声を直接聞いて感動を覚えたという。
「文は人なり」とは18世紀のフランスの博物学者ビュフォンの名言であるが、これはシルバーバーチに関するかぎり人間性のみならず教説の説き方についても言える。霊媒のバーパネルもシルバーバーチの説き方の巧みさをまさに“霊の錬金術”であると激賞してこう述べている。
「年がら年中ものを書く仕事をしている人間から観れば、毎週毎週ぶっつけ本番でこれほど叡智に富んだ教えを素朴な雄弁さでもって説き続けるということ、それ自体がすでに超人的であることを示している。ペンで生きている他のジャーナリスト同様、私も平易な文章ほど難しいものはないことを熟知している。誰しも単語を置き換えたり消したり、文体を書き改めたり、字引きや同義語辞典と首っぴきでやっと満足の行く記事が出来あがる。ところがこの“死者”は一度も言葉に窮することなく、すらすらと完璧な文章を述ていく。その一文一文に良識が溢れ、人の心を鼓舞し、精神を昂揚し、気高さを感じさせる。シルバーバーチの言葉には実にダイヤモンドの輝きにも似たものがある。ますます敬意を覚えるようになったこの名文家、文章の達人に私は最敬礼する。」
南アフリカにおけるスピリチュアリズムの中心的指導者であるエドマンド・ベントリー氏もその著書の中でシルバーバーチとバーバネルとの相違を“一目瞭然”であると評し、とくに弁舌のさわやかさと文体の美しさにおいて際立った対照を見せていると述べてからこう続ける。
「バーバネルも確かに優れた演説家である。公開の演壇上で、宴会の席で、選挙の応援演説で、あるいは何万人もの聴集を前にした集会の演説等々での体験から氏は実に弁舌さわやかであり、ユーモアのあるエピソードを混じえるのも巧みであり、なかんずく法廷弁護士にも似た理路整然とした説明にただならぬ才能を見せる。
しかしシルバーバーチはこうした人間的評価の域を完全に超えている。シルバーバーチには荘厳さと威厳があり、それに王者の風格とも言うべき高度な素朴さと情愛とが一体となった風合いが感じられる。あえて説明するに及ばぬこであるが、その表現力の幅広さ、用語の選択の適確さ、生気溢れるさわやかな弁舌をみれば、シルバーバーチと名のる存在が明らかにバーバネルとは別個の霊界からの訪問者であり、それが豊富な知識と叡智と才能を携えて訪れ、地上の人間の身体を借りて語っていることは明白である。」
そのシルバーバーチがバーバネルの身体を完全に使いこなすに至る過程をバーパネル自身が次のように語っている。
「はじめのころは身体から2、3フィート離れたところに立っていたり、あるいは身体の上の方で宙ぶらりんの格好で自分の口から出る言葉を1語1語聞き取ることができた。シルバーバーチは英語がだんだん上手になり、はじめのころの太いしわがれ声も次第にきれいな声 – 私より低いが気持のよい声 – に変っていった。
ほかの霊媒の場合はともかくとして、私自身にとって入神はいわば“心地よい降服”である。まず気持を落着かせ、受身の心境になって気分的に身を投げ出してしまう。そして私を通じて何とぞ最高で純粋な通信が得られますようにと祈る。すると一種名状し難い温かみを覚える。ふだんでも時おり感じることがあるが、これはシルバーバーチと接触した時の反応である。温かいといっても体温計で計る温度とは違う。恐らく計ってみても体温に変化はないはずである。やがて私の呼吸が大きくリズミカルになり、そして鼾(いびき)にも似たものになる。すると意識が薄らいでいき、まわりのことが分からなくなり、柔らかい毛布で包まれたみたいな感じになる。そしてついに“私”が消えてしまう。どこへ消えてしまうのか私にも分からない。
聞くところによると、入神はシルバーバーチのオーラと私のオーラとが融合し、シルバーバーチが私の潜在意識を支配した時の状態だとのことである。意識の回復はその逆のプロセスということになるが、目覚めた時は、部屋がどんなに温かくしてあっても下半身が妙に冷えているのが常である。時には私の感情が使用されたのが分かることもある。というのは、あたかも涙を流したあとのような感じが残っていることがあるからである。
入神状態がいくら長びいても、目覚めた時はさっぱりした気分である。入神前にくたくたに疲れていても同じである。そして1杯の水を頂いてすっかり普段の私に戻るのであるが、交霊会が始まってすぐにも水を1杯頂く。忙しい毎日であるから、仕事が終っていきなり交霊会の部屋に飛び込むこともしばしばであるが、どんなに疲れていても、あるいはその日どんなに変った出来ごとがあっても、入神には何の影響も無いようである。あまりに疲労がひどく、こんな状態ではいい成果は得られないだろうと思った時でも、目覚めてみると、いつもと変らない成果が得られているのを知って驚くことがある。
私の経験では交霊会の前はあまり食べないほうが良いようである。胸がつかえた感じするのである。また、いろいろと言う人がいるが、私の場合は交霊会の出席者(招待客)についてあらかじめあまり知らない方がうまくいく。余計なことを知っているとかえって邪魔になるのである。」
■2024年6月12日UP■「とんでもない悲劇が」まだ試練を浴びせ足りないのか、地球圏霊界を脱出したい(祈)†どうもこのプレアデスの男性と霊団の動きが似ているような気がしてならない。これは霊界上層界の、守護を命じられた人間(霊)を進歩向上させるための厳格なルールみたいなものがあって、それを順守しているのでプレアデスの男性と僕の霊団の動きが似てくるのではないか、なんて思ってみたりみなかったり。で、エレナさんはその邪悪の宇宙人どもに「脳内にチップを埋め込まれている」そうですが、それを取り除くシーンも紹介されていて、そこでプレアデスの男性と女性クルーとの間でバトルがあって、結局チップを取り除かずエレナさんの脳内に残したのです。これもおかしいだろう、取ってやれよ。たぶんですが、霊格が高まった方々にとっては肉体に起こる出来事など「ホンの一瞬の過ぎ去っていく出来事」であり、エレナさんの脳内にチップが残されているか取り除くかが問題なのではなく、エレナさんが物質界人生で学ぶべき事をしっかり学びきる事をプレアデスの男性は優先してわざと取り除かなかったのではないか、なんて思ってみたりみなかったり。肉体などというモノは自動的に脱ぎ捨てるものであり、現在の肉体のエレナさんの姿がその女性本来の姿ではない、エレナさん本来の外郭(霊体?)はプレアデスに保管してあって、地球圏での仕事が終わったらエレナさんはその衣服に着替えて、肉体に埋め込まれたチップともども脱ぎ捨てて、そんな低次元のモノとはすっかり縁が切れるのだから、それよりも経験を積ませる事を男性は優先させたのではないか…続きを読む→
■2024年5月22日UP■「目指す事は安全」僕がこれほどムカつかされるのは身の安全のためという事のようですが(祈)†実は何もやる気がないのではないか。この12年の霊団の動きを見ればおのずとそういう回答が導き出されるのではないか。僕は霊団の事を「口だけ霊団」と公言していますが、この言葉は実は大正解なのではないか。本当にこの霊団とか名乗っている奴らは最後まで口だけピーチクパーチク動かして何もやらずにボケっと見てるだけで終わらせるつもりなんじゃないのか。要するに「アキトくんの場合はインスピレーションで事足りているのでわざわざ低次元の霊媒現象をやらなくても我々の目的をだいたいにおいて達成している」という事なのかも知れません。インスピレーションが霊界側にとってもっとも自然な交信方法という事は霊的知識をお勉強して頂ければ分かります。霊媒現象というのは霊力に感応しない物質界の人間に霊的な事を理解させるために霊界側が物的次元まで波長を下げる犠牲的仕事ですが、物質界の人間がインスピレーションを受け取れるようになってくれれば、そしてさらにそのインスピレーションによる導きに従ってくれれば、霊界側はその犠牲的仕事をせずに済み、思念の送信だけで目的達成できますからこんな簡単な事はない、という事になります…続きを読む→
■2025年3月12日UP■「殴られた」霊団に拳で顔面を殴られました。僕がイヤなら出ていってくれ(祈)†除霊などできないんですけどね。しかし何とかこの霊団とか名乗っている奴らを僕の人生から排除できないかと、かなり本気で考えています。もう完全に縁を切りたい。自分の人生を何としても取り戻したい。もうこの最悪人生をこれ以上続ける自信がありません。何としてもまずは脱出を完了させ、それから胸を張って次のステップに進みたいです。もうムリ、もうムリ、これ以上閉じ込められるのは死んでも許せない。僕を殴ったヤツ、霊団は消せないとしても少なくともお前だけは消えろ。本気でいなくなれ。僕が気に入らないんだったらココにいる必要はないはずだ、イヤな仕事をガマンしてやる事はない、自由にどこへでも消えてくれ。それでお互いハッピーなんだから問題なしだろ※いま「除霊」でググってますが、霊性発現初期の頃に除霊に行った神社がまた出てきます。お金だけ取られて何の効果もなかった神社です。イヤ、あきらめずにモチョト調べてみようかな…続きを読む→