が、幸か不幸か、大戦が勃発した。戦争というものは“生”を真剣に見つめさせ、一体何のために生きているかを改めて考えさせることになった。
苦悩する世界の中にあって、毎日のように夢多き青春が満たされないうちに次々と散っていく若者の訃報に接し、またその魂が一体いずこへ行ってしまうのかについて明確な概念をもたないまま嘆き悲しむ妻や母親たちの姿を見て、突如、私はこれまで自分がだらしなく引きずってきた問題は、実は物質科学が知らずにいるエネルギーが存在するとかしないとかいった呑ん気なものではなく、この世とあの世との壁を突き崩し、この未曾有の苦難の時代に人類に用意された霊界からの希望と導きの呼びかけなのだという考えが閃いた。これは大変なことなのだと気がついた。
そう思った私は、客観的な現象への興味が薄らぎ、それが実在するものであることさえ確信すれば、それで、その現象の用事は済んだのだと考えた。それよりも、それが示唆している宗教的側面の方がはるかに大切なのだと思うようになった。
電話のベルが鳴る仕掛けは他愛もないが、それが途方もなく重大な知らせの到来を告げてくれることがある。心霊現象は、目を見張るようなものであっても、ささいなものであっても、電話のベルにすぎなかったのだ。それ自体は他愛もない現象である。が、それが人類にこう呼びかけていたのだ –
“目を覚ましなさい!出番にそなえなさい!よく見られよ、これが“しるし”なのです。それが神からのメッセージへと導いてくれます”と。
本当に大事なのはその“しるし”ではなく、そのあとにくるメッセージだったのである。新しい啓示が人類にもたらされようとしていたのである。それが果たしていつのことなのか、どの程度のものがどれくらいの鮮明度をもってもたらされるかは、誰にも分からなかった。
しかし大切なのは – 現象そのものの真実性は、まじめに取り組んだ人には一点の疑念の余地もないまでに立証されているが、実はそれ自体は重要ではなく、その現象が示唆しているものが、それまでの人生観を根底から覆し、生命の死後存続という宗教的課題がもはや“信仰”の領域のものではなく、確固たる“客観的事実”となってしまうに違いない – ということである。
その後の体験
次章ではその問題を取り上げることになるが、その前に付け加えておきたいことがある。第1次大戦以降、私は現在の私の心霊観の土台となっている一般的事実の真実性を再確認する機会にたびたび恵まれたのであるが、次に述べる体験もそのひとつである。
それは私の家族と起居を共にしていた夫人(L・Sと呼んでおく)が自動書記能力を発揮しはじめたことに端を発する。数ある心霊現象の中でもこの自動書記というのは、他人を騙すというよりは自分を騙している – つまり一種の自己暗示で綴っているにすぎないことがあるので、その検証には最大限の厳格さが必要である。
つまり、この場合、はたしてL・Sは自分の潜在意識で書いているのか、それとも彼女自身が主張しているとおり目に見えない知的存在が彼女の腕を使って書いているのか、どっちなのかを見きわめる必要がある。
L・Sが綴った通信の中には、明らかに間違っていることがいくつかあった。とくに時間的要素が入っているものは当てにならなかった。ところが、数字がぴったり一致しているものの中には、常識では考えられないもの、たとえば予言が的中しているものもあった。英国の豪華船ルシタニア号の、ドイツ潜水艦による撃沈の予言がそれで、
「恐ろしいことです、恐ろしいことです。そして戦争に大きな影響を及ぼします」
と綴られた。この事件が、米国が第1次大戦に参戦する最初の大きな引き金となった事実を考えると、このメッセージは正しかった。
また、私のもとに何月何日に大切な電報が届く – 発信人はだれそれ、という予言をしたこともある。その発信人は思いもよらない人だったが、その通りになった。細かい点の間違いはあったにせよ、総合的に判断して、インスピレーションというものの存在を疑うことはできなかった。言ってみれば、性能の悪い電話ですばらしい知らせを聞いているようなものだった。
もうひとつ、私の記憶に鮮明に残っている事実がある。ある慢性病の婦人が死亡し、枕元からモルヒネが発見された。死因査問にはこの私が立ち会った。その日から8日後に V・ピーターズという霊媒による交霊会に出席した。入神したピーターズ氏はいろいろ語ったが、私には曖昧でつじつまの合わない内容だった。が、そのうち、
「今ここに、どなたか名前は知りませんがご婦人の霊姿が見えています。年上の婦人に抱きかかえられて立っています。“モルヒネ”という言葉を繰り返し言っています。3度言いました。意識が混濁しているようです。モルヒネを欲しがっているのではありません」
と言った。私からのテレパシーは考えられなかった。その時は霊媒からのメッセージに夢中で、その婦人のことはカケラほども念頭になかったからである。
私の個人的体験とは別に、ここ2、3年の間に出版された書物によって、スピリチュアリズムはさらに大きな確証を得るに相違ない。昨年だけで5冊のすばらしい著書が出ている。オリバー・ロッジ教授の『レーモンド』(前出)、クローフォード博士(25)の『心霊現象の実在』、アーサー・ヒルの『心霊問題の調査」、バレット教授(26)の「見えざる世界の入口に立って」、バルフォーの『ディオニシュオスの耳』であるが、この5冊だけでも、理性をそなえた真理探求者にとっては、心霊現象の真実性を立証する上で十分であると私は考える。
ふたつの反論
第2章では私のいう“新しい啓示”がどのようにして入手され、何を訴えているかを取り上げるが、その前に、心霊界の実情に触れておきたい。われわれが普及しようとしているスピリチュアリズムに反抗している勢力に2種類ある。
ひとつは至って単純なもので、心霊現象は全部ウソだと決めてかかっている連中である。本章はそうではないことを述べたもので、その問題はもう片づいたと考える。
もうひとつは、キリスト教信仰から出ているもので、スピリチュアリズムは神によって禁じられている領域に踏み込んでおり、一刻も早くそこから出て、2度と手をつけぬことだ、というものである。
が、私には当初からキリスト教信仰というものはなく、あくまでも科学的ないし証拠性を基本として取り組んでいるので、私にとってはこの警告は何の意味も持たないが、そういう不安を抱きながらスピリチュアリズムにも関心をもっている方もおられることであろうから、ここで1、2、私なりの考えを披露しておきたい。
第一に強調したいのは、使用してはならない能力を神がお授けになるはずがないということである。そういうものを所有しているという、その事実そのものが、われわれはそれを正しく使っ発達させる義務があるということの証明であると私は考える。
言うまでもなく、他のあらゆる能力と同じく、理性と良識を失えばその使用を誤ることが有り得るのは事実である。それは当然のこととして、人間にそういう能力があるという事実は、それを使用することは決して摂理への違反ではなく、むしろ義務ですらあることを物語っていると、繰り返し主張するものである。
次に主張したいのは、そうした“禁じられた知識”にまつわる迷信は、バイブルなどの言葉を根拠にして、これまでの人類の知識の進歩にことごとく反抗してきたということも事実である、ということである。
そのためにガリレオは地動説を撤回せざるを得なかった。ガルバーニが人体にも電気があることを発表した時も、とんでもない話とされた。『種の起原』を出したダーウィンも、人間の尊厳を汚すものとされた。これがもう2、3世紀前だったら、間違いなくダーウィンは火刑に処せられていたはずである。
シンプソン博士がクロロホルムを使用して無痛分娩を行なった時も、バイブルに出産には痛みはつきものと書かれていることを理由に、非難された。が、どれひとつとして、それによって事実が覆されたり否定されたことは1度もない。そんないい加減な言いがかりは、まじめに取り上げるわけにはいかない。
しかし、どうしてもキリスト教信仰が大きな足枷となっている人に対しては、次の2冊の小冊子を奨める。著者はいずれも牧師である。1冊は F・オールドの『スピリチュアリズムは悪魔か』、もう1冊は A・チェーンバーズの『死後の自我」。同じく牧師の C・トウィーデール氏(27)にもスピリチュアリズム関係の著書が何冊かある。
ついでに付け加えれば、私がスピリチュアリズムに関する説を公表しはじめた当初、まっ先に賛同の手紙を寄せてくださった人々の中に、英国国教会の大執事ウィルバーフォース氏がいた。
神学者の中には、交霊会を禁じるばかりでなく、心霊現象もスピリットからのメッセージもみな先祖霊の名を騙(かた)ったり天使を装ったりする悪魔の仕業であるとまで説く人がいる。実際にその場に立ち会ったことがなく、そういうメッセージによる慰めや感激といったものを味わったことがないから、その程度の説教で済まされるのである。
ジョン・ラスキン(28)は、自分の来世信仰はスピリチュアリズムのお陰だと述べていながら、しかし自分にとってはそれだけで十分で、それ以上はスピリチュアリズムに深入りしたくない、などと述べている。私にはどういう論理でそんなことを言うのかが理解できない(29)が、スピリチュアリズムとの出会いによって死後の存続の事実と、それが人生に及ぼす意義とを徹底的に理解し、それまでの唯物主義的人生観を完全に棄てた人は実に多いのである。ほかならぬ私もそのひとりだ。
それがもしも悪魔の仕業だとすれば、悪魔というものはずいぶん殊勝なことをするものだと言いたくなる。
訳註
【1】Light
1881年に創刊されたロンドン・スピリチュアリスト連盟の機関誌で、世界的に有名なモーゼスの『霊訓』Spirit Teachings は最初この心霊誌に連載された。
【2】Table Turning(Table Tapping)
複数の出席者が両手をテーブルの上に置いて、歌をうたったり祈ったりしているとそのテーブルが傾いて、1本の脚でフロアを叩きはじめる。そこでモールス信号のような符牒をきめて問答を交わす。わりに危険性の少ない方法ではあるが、高等な内容のものは受け取れない。
【3】Judge Edmunds(1816~1874)
ニューヨーク州議会の議長をつとめたこともある行政官であり、ニューヨーク州最高裁判事までつとめた司法官でもあり、同時に心霊現象の解明に意欲を燃やした心霊研究家で、米国のスピリチュアリズムに一時代を画した人物。
当初は心霊現象をトリックと見なして、それを暴く目的で交霊会に参加したのであるが、どうあっても真実としか思えない現象を体験させられて、その真相解明に乗り出したのが、スピリチュアリズムに深入りするきっかけとなった。
しかし、判事という仕事柄、世間の目は好意的でなく、「エドマンズ判事は判決のことまでスピリットにお伺いを立てている」といったうわさまで聞かれるようになり、それを弁明するために『世に訴える』Appeal to the Public という釈明文を新聞紙上に掲げたりしたが、あまりの批判の大きさに法曹界から身を引き、自由な立場でスピリチュアリズムの真理の普及につとめた。
【4】William Crookes(1832~1919)
1863年に英国学士院会員に選ばれ、1897年にナイト爵に叙せられ(サーの称号を受ける)、1910年にメリット勲位を与えられ、英国学士院をはじめとして化学協会、電気技師協会、英国学術協会の会長を歴任している。その間、タリウム元素の発見、クルックス放電管の発明などで世界的な名声を博した、純粋に科学畑の人物である。
そのクルックスが心霊現象に関心を向けはじめたのは1869年のことで、一笑に付すわけにはいかない問題だと考えて、1871年に本格的な調査・研究に入ることを宣言する一文を発表した。“近代科学の光に照らしてスピリチュアリズムを検証する”と題したその声明文の中で、こう述べている。
「まだ何ひとつ理解していない課題について、見解だの意見だのといった類のものを私が持ち合わせているはずがない。いったいどういう現象が起きるのか、どういう現象は起きないのかといったことに関しては、一切の先入観を持たずに研究に入りたい。
が、同時に、油断なく判断力を働かせた上で間違いないと確認した情報は、広く世間の知識人にいつでも提供するつもりでいる。なぜなら、われわれ人間はまだ知識のすべてを手にしてはおらず、物理的エネルギーについても、その深奥を究め尽くしてはいないと信じるからである」
そしてその声明文は次の一文で締めくくられている。
「科学的手段を次々と採用していけば、スピリチュアリズムの愚にもつかない現象を、魔術と魔法のはきだめに放り込んでしまう学者が続出することになろう」
この最後の一文から推察するに、クルックスはそれまでのスピリチュアリズムとの片手間の関わり合いによって、何かありそうだが、どうもマユツバもの、といった印象をもっていたようである。
ジャーナリズム界は、クルックスのこの声明を大歓迎し、これですべてが片付く、と確信した。ところがその期待は見事に裏切られることになる。公表された実験報告の内容が、100パーセント心霊現象を肯定するものだったからである。
案の定、英国学士院はその報告記事の掲載を拒否した。が、別の学術季刊誌 Quarterly Journal of Science がそれを連載し、のちに Researches in the Phenomena of Spiritualism(スピリチュアリズムの現象の研究)という単行本となって出版され、大センセーションを巻き起こした。心霊現象の科学的研究はクルックスに始まると言われている。(第2部第3章の訳註【2】【3】参照)
【5】Alfred Russel Wallace(1823~1913)
ダーウィンより10歳以上も若かったが、自然淘汰説の共同発見者として名前が知られるようになった英国の博物学者。早くから心霊現象にも関心をもち、マレー諸島での採取旅行中に本格的な調査・研究の決意をして帰国。
その間の博物学研究の成果をThe Malay Archipelago(マレー群島)と題して1869年に出版してから積極的に交霊会に出席して、その成果を Miracles and Modern Spiritualism(奇跡と近代スピリチュアリズム)と題して1878年に出版している(拙訳『心霊と進化と』潮文社)。
これは、“論文”の形でいくつかの学術誌に発表したものを1冊にまとめたものであるが、発表直後から“学者としてあるまじきこと”として批判を浴びていた。が、右の著書のまえがき”でこう反論している。
《ここで、いささか個人的なことについて述べておかねばならない。学界の知友が私の妄想だと決めつけているもの(スピリチュアリズム)について、みんながその理解に大いに戸惑っていること、そしてそのことが博物学の分野で私がもっていた影響力に致命的なダメージを与えたと信じていることを、私は十分に承知している。(中略)
私は14歳の時から進歩的思想をもつ兄と起居を共にするようになり、その兄の感化を受けて、科学に対する宗教的偏見や教派的ドグマに影響されないだけの、確固とした物の考え方を身につけることになった。
そんな次第で、心霊研究というものを知るまでは、純然たる唯物的懐疑論者であることに誇りと自信をもち、ボルテールとかシュトラウス、あるいは今なお尊敬しているスペンサーといった思想家にすっかり傾倒していたものである。
したがって初めて心霊現象の話を耳にした時も、唯物論で埋めつくされていた私の思想構造の中には、霊とか神といった、物質以外の存在を認める余地はまるで無かったといってよい。
が、事実というのは頑固なものである。知人宅で起きた原因不明の小さな心霊現象がきっかけとなって生来の真理探求心が頭をもたげ、どうしても研究してみずにはいられなかった。
そして、研究すればするほど現象の実在を確信すると同時に、その種類も多種多様であることが分かり、その示唆するところが、近代科学の教えることや、近代哲学が思索しているものから、ますます遠ざかっていくことを知ったのである。
私は“事実”という名の鉄槌に打ちのめされてしまった。その霊的解釈を受け入れるか否かの問題より前に、まずそうした現象の存在を事実として認めざるを得なかった。
前に述べたように、当時の私の思想構造の中にはそうしたものの存在を認める余地はまるで無かったのであるが、次第にその余地ができてきた。それは決して先入観や神学上の信仰による偏見からではない。事実をひとつひとつ積み重ねていくという絶え間ない努力の結果であり、それよりほかに方法はなかったのである。(後略)》
【6】Camille Flammarion(1842~1925)
世界的に著名なフランスの天文学者。20歳過ぎごろから心霊現象に関心を持ち、1865年に Unknown Natural Forces(未知の自然力)と題する本を出版している。が、この時点ではあくまでも物理的エネルギーの作用と考えており、霊の実在は信じていなかった。
霊魂説を意識しはじめたのは、このあと註【23】で紹介するユーサピア・パラディーノという女性霊媒を自宅に呼んで実験会を催したころからだった。しかし、“意識しはじめた”というだけで、その後もずいぶん無理なこじつけ理論で心霊現象を解き明かそうとしている。が、1923年つまり他界する2年前にSPRの会長に就任した時の講演で霊魂説を完全に認めて、こう述べている。
「人間は“霊(スピリット)”の属性である未知の能力をもっており、複体(ダブル)(肉体と霊体とをつなぐ接着剤のようなもの)というのを所有している。思念は肉体を離れて存在することができるし、霊的波動が大気を伝わり、われわれは言わば見えざる世界の真っただ中に生きているようなものである。
肉体の崩壊後も霊的能力は存続する。幽霊屋敷というのは確かにある。死者が出現することは、例外的で稀ではあるが、事実である。テレパシーは生きている者どうしだけでなく、死者と生者との間にも可能である」
【7】Charles Darwin(1809~1882)
改めて解説する必要もないほど有名な進化論の元祖。最近その学説、いわゆるダーウィニズムそのものの疑問点が次々と指摘されてきているが、その一方では註【5】のウォーレスとの共同発見とされる“自然淘汰説”についても、ダーウィン一派による“陰謀説”というのが浮上してきている。(A・C・ブラックマン『ダーウィンに消された男』朝日新聞社)
【8】Thomas Huxley(1825~1895)
英国の生物学者。ダーウィンの進化論を支持した。
【9】John Tyndall(1820~1893)
英国の物理学者。結晶体の磁気的性質・音響などを研究。とくに“チンダル現象”で有名。
【10】Herbert Spencer(1820~1903)
英国の哲学者、社会学者。進化論哲学の樹立者。
【11】Society for Psychical Research
心霊現象の研究を目的とする公的機関で、英国SPR、米国SPRなど、いくつかある。毎月“SPR会報”というのが発行されており、それをまとめた“年会報”というのもある。その資料だけを見るかぎり厖大なものであるが、問題はその分析・調査の方法が一昔前の物質科学のものであり、物質を超越したものを対象とするには無理がある。現在ではすっかり権威を失い、有名無実の存在となっている。
【12】The Earl of Dunraven(生没年不明)
英国の貴族でカトリック教徒。息子のアデア卿とともに心霊現象に関心を示した。D・D・ホームと自宅で起居を共にしながら2年間にわたってその現象を観察して、それをExperiences in Spiritualism with D.D.Home(ホームによる心霊現象の実験)と題する著書にまとめた。
が、ごく限られた人たちにしか渡っていない。たぶんカトリック教会からの弾圧を案じたためと推察されている。本文にあるホームの浮揚現象はその中で述べられているもので、3階の窓から出入りしている。
【13】Lord Lindsay(1847~1913)
註【12】のダンレイブン伯爵、アデア卿、D・D・ホームなどとの親交を通じて、スピリチュアリズムの初期に関わった人物。のちにクロフォード伯爵となる。
【14】Captain Wynne(生没年不明)
英国海軍の将校であったこと以外は不明。
【15】Raymond
英国が生んだ世界的物理学者オリバー・ロッジの息子レーモンドが第1次大戦で戦死したのち、女性霊媒オズボン・レナードの交霊会に出現して、死後の世界その他について語ったことをロッジがまとめたもの。
ロッジは霊魂説を信じたあとも“信仰はキリスト教で十分”などと言っていたのが、この息子との交霊によってキリスト教信仰の非現実性に目覚めた。それは同時にスピリチュアリズムの宗教性と現実性とを物語るエピソードでもある。
【16】General Gordon(1833~1885)
英国の軍人で、中国の“太平天国の乱”を鎮定し、のちにスーダンのハルツームで反乱軍に襲われて死亡。
【17】超物質的エネルギーには大きく分けて2種類ある。ひとつは五感の延長としてのサイキックなもので、最近はやりの“超能力”はみなこの部類に属する。これにスピリットの援助が加わって、病気治療とか高次元の世界のものを直観したりするものが、もうひとつのスピリチュアルなものである。
【18】33名によって組織された学会で、うち、当初から現象の真実性を信じていたのは8名。そのうち霊魂説を信じていたのは4名にすぎなかった。が、“報告書”では少なくとも15名が現象の真実性を信じるようになっている。第2部で詳しい紹介がある。
【19】Robert Hare(1781~1858)
ペンシルベニア大学の名誉教授で、科学論文だけで150以上、その他、政治や道徳に関す著書も多数出版している著名人のひとりだった。
1853年、72歳の時に「理性も科学も無視して、スピリチュアリズムという途方もない妄想に取りつかれていく狂気の潮流を止めるために何らかの貢献をするのが、科学者としての同胞への義務である」と考えて、心霊現象の本格的な調査に乗り出し、いろいろな実験道具を考案してトリックを暴こうとした。が、予測に反して、心霊現象の実在と霊魂説とを証明する結果となってしまった。
それを公表したことで彼も、例によって科学畑の知友から非難を浴びた。ハーバード大学の教授連からは非難の決議文まで突きつけられ、1854年、ワシントンでの米国科学振興協会主催の講演会でスピリチュアリズムに関する講演をしかけた時には、あまりのヤジと怒号に耐え切れずに降壇している。
が、その後もスピリチュアリズムの真実性への信念は変ることなく、ついにそれと引き換えに教授職を辞している。
【20】Human Personality and Its Survival of Bodily Death by Frederic W.H.Myers
英国の古典学者で詩人だったマイヤースが、人間の個性の死後存続を裏づける霊的異常体験を蒐集したもので、上下2巻の大部のもの。この著作のための過労が死の原因といわれるほど、マイヤースはこれに全霊を打ち込んだ。具体的な説を出すまでには至らなかったが、心霊学の貴重な資料として、今なお評価が高い。未翻訳。
【21】地名にちなんでエプワース事件とも呼ばれている怪奇現象で、現象そのものは次の註【22】のハイズビル事件とひじょうによく似ている。ただ違う点は、後者が学者や知識人の関心を呼んで科学的調査の対象とされたのに対して、これはただの怪奇現象としてヤジ馬的興味の対象とされるだけで終ったことである。
フォックス家の人々(下はフォックス夫妻、上の中央が長女・右が二女・左が三女)
【22】スピリチュアリズム勃興の発端となった、米国で起きた有名な怪奇現象。1847年末にハイズビルの一軒家に引っ越してきたフォックス家は、空中から聞こえる原因不明の音に悩まされていた。
しかもそれはふたりの娘がいる場所にかぎって聞かれるので、ふたりは初めのうち怖がっていたが、明けた1848年3月31日に、娘のひとりが思い切ってその音のする方向へ「あたしのすることと同じようにしてごらん」と言って、両手でパン、パン、パンと叩いてみた。すると空中から同じ数だけ音が返ってきた。
そこで今度は、質問の通りだったらいくつ、違っていたらいくつ、という符牒をきめて、いろいろと尋ねていったところ、その音の主は生前はその地方を回っていた行商人で、5年前にこの家に行商に来た時に当時の住人に殺されて金を奪われ、死体をこの家の地下室に埋められた、というショッキングなストーリーが出来あがってしまった。
死体の発掘作業は、大量の水が出たりして長びいたが、その間にフォックス姉妹は調査委員会による調査を受けた。これが心霊実験の始まりで、その後も科学者による研究の対象とされ、それがきっかけとなって、異常能力をもったいわゆる霊能者が全米で学問的調査の対象とされるようになった。こうして心霊研究というものが盛んになっていった。
現象的にみれば大したものではなかったにもかかわらず、ハイズビル事件がスピリチュアリズムにおける重大事件とされているのは、この現象をきっかけとして、科学・文化・法曹界といった知識人層が本格的な調査・研究に参加するようになったからである。
第1図 見えざる世界の3つの界層
Between stage. Earth’s atmosphere. Paradise region(地球大気圏内の中間境・パラダイス)
Sphere1(幽界)
Between slage, or space(中間境)
Sphere2(霊界)
Between slage, or space(中間境)
Sphere3(神界)
C.L.Tweedale THE NEWS FROM THE NEXT WORLD より
【23】Eusapia Paladino(1854~1918)
スピリチュアリズム初期の物理霊媒で彼女ほど多くの学者によって繰り返し試された霊媒も珍しい。イタリア人だったこともあって主としてイタリアとフランスの学者が中心となって調査委員会が設置され、さらにイギリス、アメリカへも招待されて徹底的に調査されている。
ちなみに、一般によく知られている名前だけをあげれば、ノーベル生理学・医学賞受賞者のリシェ、精神病理学者のロンブローゾ、天文学者のスキャパレリとフラマリオン、おなじみのキュリー夫妻、イギリスではオリバー・ロッジ、マイヤース、キャリントンなどの調査を受け、アメリカではコロンビア大学とロード教授の私邸で実験会を催している。
ユーサピアはいたって無教養で良識にも欠けていたために、せっかく一点の疑惑の余地もないほどの驚異的心霊現象を見せながら、次の実験では、疲労のためいい現象が出そうにないと思うと、トリックを使ったりする愚かなところがあり、それが、すべてがマユツバモノという印象を与える結果を生んでしまった。
【24】英国の哲学者フランシス・ベーコンが実はシェークスピアだったのではないかという説があり、それをめぐる論争のこと。
【25】W.J.Crawford(?~1920)
北アイルランドのベルファストにあるクィーンズ大学の機械工学の講師で、同市に住むゴライヤーという、家族全員が霊媒的素質をもった一家 – 俗に“ゴライヤーサークル”という – を研究対象として、主として物体浮揚における力学を心霊学的に解明する仕事をし、それを3冊の著書にまとめた。
本文に出ているのはその最初の1冊。叩音(ラップ)による通信も交わすことがあったが、難しい説明を要する時は、家族のひとりが入神して霊言による説明を受けている。
【26】William F.Barrett(1845~1926)
アイルランドの首都ダブリンにある王立科学院の物理学教授をつとめながら心霊現象を熱心に研究した。当初は、テレパシーは神経の異常によって誘発されたもの、物理現象は幻覚の産物と片づけていたが、その後の体験と観察によって、霊魂説に変った。本文に紹介されているのはそれを集大成したもの。
【27】Charles Tweedale(生没年不明)
英国国教会の司祭で、妻に霊媒的素質があったことから、司祭館の中でさまざまな心霊現象が発生し、自動書記による通信も多く入手された。Man’s Survival of Death(人間の死後存続)、Present-day Spirit Phenomena and the Churches(今日の心霊現象とキリスト教会)、News from the Next World(他界からの便り)などがある。
この最後の著書にはバイオリン製作者として有名なストラディバリ、ピアニストのショパン、小説家のコナン・ドイルやブロンテ姉妹などが自動書記で出現して、その証拠性をさまざまな角度から披露している。
トウィーデール氏はその数人の霊に死後の実情について個別に質問を提出して、その回答をまとめた上で、第1図(上記参照)のようなイラストをこしらえている。第2図はストラディバリが描いたバイオリンの構造図。
【28】John Ruskin(1819~1900)
オックスフォード大学の美術史教授で、透徹した文明評論で知られた。死後の存続を100パーセント信じていながら、ある時期から“もうあの【信仰】は捨てた”と表明したことに関して問われ、こう答えている。
「私の考えを変えさせたのは、おもに反論の余地のないスピリチュアリズムの証拠です。低俗な詐術や愚かしいモノマネが横行していることは知っております。が、そうしたガラクタの下には、この肉体の死後にも個的生活が存続することを示す証拠が厳然と存在することを、私は確信しています。そう確信したら、それはもう“信仰”ではなく“事実”なのですから、スピリチュアリズムには関心がなくなったという意味で申し上げたのです」
【29】これはドイルの誤解であることが註【28】の弁明で明らかである。