が、幸か不幸か、大戦が勃発した。戦争というものは“生”を真剣に見つめさせ、一体何のために生きているかを改めて考えさせることになった。

苦悩する世界の中にあって、毎日のように夢多き青春が満たされないうちに次々と散っていく若者の訃報に接し、またその魂が一体いずこへ行ってしまうのかについて明確な概念をもたないまま嘆き悲しむ妻や母親たちの姿を見て、突如、私はこれまで自分がだらしなく引きずってきた問題は、実は物質科学が知らずにいるエネルギーが存在するとかしないとかいった呑ん気なものではなく、この世とあの世との壁を突き崩し、この未曾有の苦難の時代に人類に用意された霊界からの希望と導きの呼びかけなのだという考えが閃いた。これは大変なことなのだと気がついた。

そう思った私は、客観的な現象への興味が薄らぎ、それが実在するものであることさえ確信すれば、それで、その現象の用事は済んだのだと考えた。それよりも、それが示唆している宗教的側面の方がはるかに大切なのだと思うようになった。

電話のベルが鳴る仕掛けは他愛もないが、それが途方もなく重大な知らせの到来を告げてくれることがある。心霊現象は、目を見張るようなものであっても、ささいなものであっても、電話のベルにすぎなかったのだ。それ自体は他愛もない現象である。が、それが人類にこう呼びかけていたのだ –

“目を覚ましなさい!出番にそなえなさい!よく見られよ、これが“しるし”なのです。それが神からのメッセージへと導いてくれます”と。

本当に大事なのはその“しるし”ではなく、そのあとにくるメッセージだったのである。新しい啓示が人類にもたらされようとしていたのである。それが果たしていつのことなのか、どの程度のものがどれくらいの鮮明度をもってもたらされるかは、誰にも分からなかった。

しかし大切なのは – 現象そのものの真実性は、まじめに取り組んだ人には一点の疑念の余地もないまでに立証されているが、実はそれ自体は重要ではなく、その現象が示唆しているものが、それまでの人生観を根底から覆し、生命の死後存続という宗教的課題がもはや“信仰”の領域のものではなく、確固たる“客観的事実”となってしまうに違いない – ということである。

その後の体験

次章ではその問題を取り上げることになるが、その前に付け加えておきたいことがある。第1次大戦以降、私は現在の私の心霊観の土台となっている一般的事実の真実性を再確認する機会にたびたび恵まれたのであるが、次に述べる体験もそのひとつである。

それは私の家族と起居を共にしていた夫人(L・Sと呼んでおく)が自動書記能力を発揮しはじめたことに端を発する。数ある心霊現象の中でもこの自動書記というのは、他人を騙すというよりは自分を騙している – つまり一種の自己暗示で綴っているにすぎないことがあるので、その検証には最大限の厳格さが必要である。

つまり、この場合、はたしてL・Sは自分の潜在意識で書いているのか、それとも彼女自身が主張しているとおり目に見えない知的存在が彼女の腕を使って書いているのか、どっちなのかを見きわめる必要がある。

L・Sが綴った通信の中には、明らかに間違っていることがいくつかあった。とくに時間的要素が入っているものは当てにならなかった。ところが、数字がぴったり一致しているものの中には、常識では考えられないもの、たとえば予言が的中しているものもあった。英国の豪華船ルシタニア号の、ドイツ潜水艦による撃沈の予言がそれで、

「恐ろしいことです、恐ろしいことです。そして戦争に大きな影響を及ぼします」

と綴られた。この事件が、米国が第1次大戦に参戦する最初の大きな引き金となった事実を考えると、このメッセージは正しかった。

また、私のもとに何月何日に大切な電報が届く – 発信人はだれそれ、という予言をしたこともある。その発信人は思いもよらない人だったが、その通りになった。細かい点の間違いはあったにせよ、総合的に判断して、インスピレーションというものの存在を疑うことはできなかった。言ってみれば、性能の悪い電話ですばらしい知らせを聞いているようなものだった。

もうひとつ、私の記憶に鮮明に残っている事実がある。ある慢性病の婦人が死亡し、枕元からモルヒネが発見された。死因査問にはこの私が立ち会った。その日から8日後に V・ピーターズという霊媒による交霊会に出席した。入神したピーターズ氏はいろいろ語ったが、私には曖昧でつじつまの合わない内容だった。が、そのうち、

「今ここに、どなたか名前は知りませんがご婦人の霊姿が見えています。年上の婦人に抱きかかえられて立っています。“モルヒネ”という言葉を繰り返し言っています。3度言いました。意識が混濁しているようです。モルヒネを欲しがっているのではありません」

と言った。私からのテレパシーは考えられなかった。その時は霊媒からのメッセージに夢中で、その婦人のことはカケラほども念頭になかったからである。

私の個人的体験とは別に、ここ2、3年の間に出版された書物によって、スピリチュアリズムはさらに大きな確証を得るに相違ない。昨年だけで5冊のすばらしい著書が出ている。オリバー・ロッジ教授の『レーモンド』(前出)、クローフォード博士(25)の『心霊現象の実在』、アーサー・ヒルの『心霊問題の調査」、バレット教授(26)の「見えざる世界の入口に立って」、バルフォーの『ディオニシュオスの耳』であるが、この5冊だけでも、理性をそなえた真理探求者にとっては、心霊現象の真実性を立証する上で十分であると私は考える。

ふたつの反論

第2章では私のいう“新しい啓示”がどのようにして入手され、何を訴えているかを取り上げるが、その前に、心霊界の実情に触れておきたい。われわれが普及しようとしているスピリチュアリズムに反抗している勢力に2種類ある。

ひとつは至って単純なもので、心霊現象は全部ウソだと決めてかかっている連中である。本章はそうではないことを述べたもので、その問題はもう片づいたと考える。

もうひとつは、キリスト教信仰から出ているもので、スピリチュアリズムは神によって禁じられている領域に踏み込んでおり、一刻も早くそこから出て、2度と手をつけぬことだ、というものである。

が、私には当初からキリスト教信仰というものはなく、あくまでも科学的ないし証拠性を基本として取り組んでいるので、私にとってはこの警告は何の意味も持たないが、そういう不安を抱きながらスピリチュアリズムにも関心をもっている方もおられることであろうから、ここで1、2、私なりの考えを披露しておきたい。

第一に強調したいのは、使用してはならない能力を神がお授けになるはずがないということである。そういうものを所有しているという、その事実そのものが、われわれはそれを正しく使っ発達させる義務があるということの証明であると私は考える。

言うまでもなく、他のあらゆる能力と同じく、理性と良識を失えばその使用を誤ることが有り得るのは事実である。それは当然のこととして、人間にそういう能力があるという事実は、それを使用することは決して摂理への違反ではなく、むしろ義務ですらあることを物語っていると、繰り返し主張するものである。

次に主張したいのは、そうした“禁じられた知識”にまつわる迷信は、バイブルなどの言葉を根拠にして、これまでの人類の知識の進歩にことごとく反抗してきたということも事実である、ということである。

そのためにガリレオは地動説を撤回せざるを得なかった。ガルバーニが人体にも電気があることを発表した時も、とんでもない話とされた。『種の起原』を出したダーウィンも、人間の尊厳を汚すものとされた。これがもう2、3世紀前だったら、間違いなくダーウィンは火刑に処せられていたはずである。

シンプソン博士がクロロホルムを使用して無痛分娩を行なった時も、バイブルに出産には痛みはつきものと書かれていることを理由に、非難された。が、どれひとつとして、それによって事実が覆されたり否定されたことは1度もない。そんないい加減な言いがかりは、まじめに取り上げるわけにはいかない。

しかし、どうしてもキリスト教信仰が大きな足枷となっている人に対しては、次の2冊の小冊子を奨める。著者はいずれも牧師である。1冊は F・オールドの『スピリチュアリズムは悪魔か』、もう1冊は A・チェーンバーズの『死後の自我」。同じく牧師の C・トウィーデール氏(27)にもスピリチュアリズム関係の著書が何冊かある。

ついでに付け加えれば、私がスピリチュアリズムに関する説を公表しはじめた当初、まっ先に賛同の手紙を寄せてくださった人々の中に、英国国教会の大執事ウィルバーフォース氏がいた。

神学者の中には、交霊会を禁じるばかりでなく、心霊現象もスピリットからのメッセージもみな先祖霊の名を騙(かた)ったり天使を装ったりする悪魔の仕業であるとまで説く人がいる。実際にその場に立ち会ったことがなく、そういうメッセージによる慰めや感激といったものを味わったことがないから、その程度の説教で済まされるのである。

ジョン・ラスキン(28)は、自分の来世信仰はスピリチュアリズムのお陰だと述べていながら、しかし自分にとってはそれだけで十分で、それ以上はスピリチュアリズムに深入りしたくない、などと述べている。私にはどういう論理でそんなことを言うのかが理解できない(29)が、スピリチュアリズムとの出会いによって死後の存続の事実と、それが人生に及ぼす意義とを徹底的に理解し、それまでの唯物主義的人生観を完全に棄てた人は実に多いのである。ほかならぬ私もそのひとりだ。

それがもしも悪魔の仕業だとすれば、悪魔というものはずいぶん殊勝なことをするものだと言いたくなる。

訳註

【1】Light

1881年に創刊されたロンドン・スピリチュアリスト連盟の機関誌で、世界的に有名なモーゼスの『霊訓』Spirit Teachings は最初この心霊誌に連載された。

【2】Table Turning(Table Tapping)

複数の出席者が両手をテーブルの上に置いて、歌をうたったり祈ったりしているとそのテーブルが傾いて、1本の脚でフロアを叩きはじめる。そこでモールス信号のような符牒をきめて問答を交わす。わりに危険性の少ない方法ではあるが、高等な内容のものは受け取れない。

【3】Judge Edmunds(1816~1874)


J.W.エドマンズ

ニューヨーク州議会の議長をつとめたこともある行政官であり、ニューヨーク州最高裁判事までつとめた司法官でもあり、同時に心霊現象の解明に意欲を燃やした心霊研究家で、米国のスピリチュアリズムに一時代を画した人物。

当初は心霊現象をトリックと見なして、それを暴く目的で交霊会に参加したのであるが、どうあっても真実としか思えない現象を体験させられて、その真相解明に乗り出したのが、スピリチュアリズムに深入りするきっかけとなった。

しかし、判事という仕事柄、世間の目は好意的でなく、「エドマンズ判事は判決のことまでスピリットにお伺いを立てている」といったうわさまで聞かれるようになり、それを弁明するために『世に訴える』Appeal to the Public という釈明文を新聞紙上に掲げたりしたが、あまりの批判の大きさに法曹界から身を引き、自由な立場でスピリチュアリズムの真理の普及につとめた。

【4】William Crookes(1832~1919)


W.クルックス

1863年に英国学士院会員に選ばれ、1897年にナイト爵に叙せられ(サーの称号を受ける)、1910年にメリット勲位を与えられ、英国学士院をはじめとして化学協会、電気技師協会、英国学術協会の会長を歴任している。その間、タリウム元素の発見、クルックス放電管の発明などで世界的な名声を博した、純粋に科学畑の人物である。

そのクルックスが心霊現象に関心を向けはじめたのは1869年のことで、一笑に付すわけにはいかない問題だと考えて、1871年に本格的な調査・研究に入ることを宣言する一文を発表した。“近代科学の光に照らしてスピリチュアリズムを検証する”と題したその声明文の中で、こう述べている。

「まだ何ひとつ理解していない課題について、見解だの意見だのといった類のものを私が持ち合わせているはずがない。いったいどういう現象が起きるのか、どういう現象は起きないのかといったことに関しては、一切の先入観を持たずに研究に入りたい。

が、同時に、油断なく判断力を働かせた上で間違いないと確認した情報は、広く世間の知識人にいつでも提供するつもりでいる。なぜなら、われわれ人間はまだ知識のすべてを手にしてはおらず、物理的エネルギーについても、その深奥を究め尽くしてはいないと信じるからである」

そしてその声明文は次の一文で締めくくられている。

「科学的手段を次々と採用していけば、スピリチュアリズムの愚にもつかない現象を、魔術と魔法のはきだめに放り込んでしまう学者が続出することになろう」

この最後の一文から推察するに、クルックスはそれまでのスピリチュアリズムとの片手間の関わり合いによって、何かありそうだが、どうもマユツバもの、といった印象をもっていたようである。

ジャーナリズム界は、クルックスのこの声明を大歓迎し、これですべてが片付く、と確信した。ところがその期待は見事に裏切られることになる。公表された実験報告の内容が、100パーセント心霊現象を肯定するものだったからである。

案の定、英国学士院はその報告記事の掲載を拒否した。が、別の学術季刊誌 Quarterly Journal of Science がそれを連載し、のちに Researches in the Phenomena of Spiritualism(スピリチュアリズムの現象の研究)という単行本となって出版され、大センセーションを巻き起こした。心霊現象の科学的研究はクルックスに始まると言われている。(第2部第3章の訳註【2】【3】参照)

【5】Alfred Russel Wallace(1823~1913)


A.R.ウォーレス

ダーウィンより10歳以上も若かったが、自然淘汰説の共同発見者として名前が知られるようになった英国の博物学者。早くから心霊現象にも関心をもち、マレー諸島での採取旅行中に本格的な調査・研究の決意をして帰国。

その間の博物学研究の成果をThe Malay Archipelago(マレー群島)と題して1869年に出版してから積極的に交霊会に出席して、その成果を Miracles and Modern Spiritualism(奇跡と近代スピリチュアリズム)と題して1878年に出版している(拙訳『心霊と進化と』潮文社)。

これは、“論文”の形でいくつかの学術誌に発表したものを1冊にまとめたものであるが、発表直後から“学者としてあるまじきこと”として批判を浴びていた。が、右の著書のまえがき”でこう反論している。

《ここで、いささか個人的なことについて述べておかねばならない。学界の知友が私の妄想だと決めつけているもの(スピリチュアリズム)について、みんながその理解に大いに戸惑っていること、そしてそのことが博物学の分野で私がもっていた影響力に致命的なダメージを与えたと信じていることを、私は十分に承知している。(中略)

私は14歳の時から進歩的思想をもつ兄と起居を共にするようになり、その兄の感化を受けて、科学に対する宗教的偏見や教派的ドグマに影響されないだけの、確固とした物の考え方を身につけることになった。

そんな次第で、心霊研究というものを知るまでは、純然たる唯物的懐疑論者であることに誇りと自信をもち、ボルテールとかシュトラウス、あるいは今なお尊敬しているスペンサーといった思想家にすっかり傾倒していたものである。

したがって初めて心霊現象の話を耳にした時も、唯物論で埋めつくされていた私の思想構造の中には、霊とか神といった、物質以外の存在を認める余地はまるで無かったといってよい。

が、事実というのは頑固なものである。知人宅で起きた原因不明の小さな心霊現象がきっかけとなって生来の真理探求心が頭をもたげ、どうしても研究してみずにはいられなかった。

そして、研究すればするほど現象の実在を確信すると同時に、その種類も多種多様であることが分かり、その示唆するところが、近代科学の教えることや、近代哲学が思索しているものから、ますます遠ざかっていくことを知ったのである。

私は“事実”という名の鉄槌に打ちのめされてしまった。その霊的解釈を受け入れるか否かの問題より前に、まずそうした現象の存在を事実として認めざるを得なかった。

前に述べたように、当時の私の思想構造の中にはそうしたものの存在を認める余地はまるで無かったのであるが、次第にその余地ができてきた。それは決して先入観や神学上の信仰による偏見からではない。事実をひとつひとつ積み重ねていくという絶え間ない努力の結果であり、それよりほかに方法はなかったのである。(後略)》

【6】Camille Flammarion(1842~1925)

世界的に著名なフランスの天文学者。20歳過ぎごろから心霊現象に関心を持ち、1865年に Unknown Natural Forces(未知の自然力)と題する本を出版している。が、この時点ではあくまでも物理的エネルギーの作用と考えており、霊の実在は信じていなかった。

霊魂説を意識しはじめたのは、このあと註【23】で紹介するユーサピア・パラディーノという女性霊媒を自宅に呼んで実験会を催したころからだった。しかし、“意識しはじめた”というだけで、その後もずいぶん無理なこじつけ理論で心霊現象を解き明かそうとしている。が、1923年つまり他界する2年前にSPRの会長に就任した時の講演で霊魂説を完全に認めて、こう述べている。

「人間は“霊(スピリット)”の属性である未知の能力をもっており、複体(ダブル)(肉体と霊体とをつなぐ接着剤のようなもの)というのを所有している。思念は肉体を離れて存在することができるし、霊的波動が大気を伝わり、われわれは言わば見えざる世界の真っただ中に生きているようなものである。

肉体の崩壊後も霊的能力は存続する。幽霊屋敷というのは確かにある。死者が出現することは、例外的で稀ではあるが、事実である。テレパシーは生きている者どうしだけでなく、死者と生者との間にも可能である」

【7】Charles Darwin(1809~1882)

改めて解説する必要もないほど有名な進化論の元祖。最近その学説、いわゆるダーウィニズムそのものの疑問点が次々と指摘されてきているが、その一方では註【5】のウォーレスとの共同発見とされる“自然淘汰説”についても、ダーウィン一派による“陰謀説”というのが浮上してきている。(A・C・ブラックマン『ダーウィンに消された男』朝日新聞社)

【8】Thomas Huxley(1825~1895)

英国の生物学者。ダーウィンの進化論を支持した。

【9】John Tyndall(1820~1893)

英国の物理学者。結晶体の磁気的性質・音響などを研究。とくに“チンダル現象”で有名。

【10】Herbert Spencer(1820~1903)

英国の哲学者、社会学者。進化論哲学の樹立者。

【11】Society for Psychical Research

心霊現象の研究を目的とする公的機関で、英国SPR、米国SPRなど、いくつかある。毎月“SPR会報”というのが発行されており、それをまとめた“年会報”というのもある。その資料だけを見るかぎり厖大なものであるが、問題はその分析・調査の方法が一昔前の物質科学のものであり、物質を超越したものを対象とするには無理がある。現在ではすっかり権威を失い、有名無実の存在となっている。

【12】The Earl of Dunraven(生没年不明)

英国の貴族でカトリック教徒。息子のアデア卿とともに心霊現象に関心を示した。D・D・ホームと自宅で起居を共にしながら2年間にわたってその現象を観察して、それをExperiences in Spiritualism with D.D.Home(ホームによる心霊現象の実験)と題する著書にまとめた。

が、ごく限られた人たちにしか渡っていない。たぶんカトリック教会からの弾圧を案じたためと推察されている。本文にあるホームの浮揚現象はその中で述べられているもので、3階の窓から出入りしている。

【13】Lord Lindsay(1847~1913)

註【12】のダンレイブン伯爵、アデア卿、D・D・ホームなどとの親交を通じて、スピリチュアリズムの初期に関わった人物。のちにクロフォード伯爵となる。

【14】Captain Wynne(生没年不明)

英国海軍の将校であったこと以外は不明。

【15】Raymond

英国が生んだ世界的物理学者オリバー・ロッジの息子レーモンドが第1次大戦で戦死したのち、女性霊媒オズボン・レナードの交霊会に出現して、死後の世界その他について語ったことをロッジがまとめたもの。

ロッジは霊魂説を信じたあとも“信仰はキリスト教で十分”などと言っていたのが、この息子との交霊によってキリスト教信仰の非現実性に目覚めた。それは同時にスピリチュアリズムの宗教性と現実性とを物語るエピソードでもある。

【16】General Gordon(1833~1885)

英国の軍人で、中国の“太平天国の乱”を鎮定し、のちにスーダンのハルツームで反乱軍に襲われて死亡。

【17】超物質的エネルギーには大きく分けて2種類ある。ひとつは五感の延長としてのサイキックなもので、最近はやりの“超能力”はみなこの部類に属する。これにスピリットの援助が加わって、病気治療とか高次元の世界のものを直観したりするものが、もうひとつのスピリチュアルなものである。

【18】33名によって組織された学会で、うち、当初から現象の真実性を信じていたのは8名。そのうち霊魂説を信じていたのは4名にすぎなかった。が、“報告書”では少なくとも15名が現象の真実性を信じるようになっている。第2部で詳しい紹介がある。

【19】Robert Hare(1781~1858)

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ロバート・ヘア

ペンシルベニア大学の名誉教授で、科学論文だけで150以上、その他、政治や道徳に関す著書も多数出版している著名人のひとりだった。

1853年、72歳の時に「理性も科学も無視して、スピリチュアリズムという途方もない妄想に取りつかれていく狂気の潮流を止めるために何らかの貢献をするのが、科学者としての同胞への義務である」と考えて、心霊現象の本格的な調査に乗り出し、いろいろな実験道具を考案してトリックを暴こうとした。が、予測に反して、心霊現象の実在と霊魂説とを証明する結果となってしまった。

それを公表したことで彼も、例によって科学畑の知友から非難を浴びた。ハーバード大学の教授連からは非難の決議文まで突きつけられ、1854年、ワシントンでの米国科学振興協会主催の講演会でスピリチュアリズムに関する講演をしかけた時には、あまりのヤジと怒号に耐え切れずに降壇している。

が、その後もスピリチュアリズムの真実性への信念は変ることなく、ついにそれと引き換えに教授職を辞している。

【20】Human Personality and Its Survival of Bodily Death by Frederic W.H.Myers

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F.W.H.マイヤース

英国の古典学者で詩人だったマイヤースが、人間の個性の死後存続を裏づける霊的異常体験を蒐集したもので、上下2巻の大部のもの。この著作のための過労が死の原因といわれるほど、マイヤースはこれに全霊を打ち込んだ。具体的な説を出すまでには至らなかったが、心霊学の貴重な資料として、今なお評価が高い。未翻訳。

【21】地名にちなんでエプワース事件とも呼ばれている怪奇現象で、現象そのものは次の註【22】のハイズビル事件とひじょうによく似ている。ただ違う点は、後者が学者や知識人の関心を呼んで科学的調査の対象とされたのに対して、これはただの怪奇現象としてヤジ馬的興味の対象とされるだけで終ったことである。


フォックス家の人々(下はフォックス夫妻、上の中央が長女・右が二女・左が三女)

【22】スピリチュアリズム勃興の発端となった、米国で起きた有名な怪奇現象。1847年末にハイズビルの一軒家に引っ越してきたフォックス家は、空中から聞こえる原因不明の音に悩まされていた。

しかもそれはふたりの娘がいる場所にかぎって聞かれるので、ふたりは初めのうち怖がっていたが、明けた1848年3月31日に、娘のひとりが思い切ってその音のする方向へ「あたしのすることと同じようにしてごらん」と言って、両手でパン、パン、パンと叩いてみた。すると空中から同じ数だけ音が返ってきた。

そこで今度は、質問の通りだったらいくつ、違っていたらいくつ、という符牒をきめて、いろいろと尋ねていったところ、その音の主は生前はその地方を回っていた行商人で、5年前にこの家に行商に来た時に当時の住人に殺されて金を奪われ、死体をこの家の地下室に埋められた、というショッキングなストーリーが出来あがってしまった。

死体の発掘作業は、大量の水が出たりして長びいたが、その間にフォックス姉妹は調査委員会による調査を受けた。これが心霊実験の始まりで、その後も科学者による研究の対象とされ、それがきっかけとなって、異常能力をもったいわゆる霊能者が全米で学問的調査の対象とされるようになった。こうして心霊研究というものが盛んになっていった。

現象的にみれば大したものではなかったにもかかわらず、ハイズビル事件がスピリチュアリズムにおける重大事件とされているのは、この現象をきっかけとして、科学・文化・法曹界といった知識人層が本格的な調査・研究に参加するようになったからである。


第1図 見えざる世界の3つの界層
Between stage. Earth’s atmosphere. Paradise region(地球大気圏内の中間境・パラダイス)
Sphere1(幽界)
Between slage, or space(中間境)
Sphere2(霊界)
Between slage, or space(中間境)
Sphere3(神界)
C.L.Tweedale THE NEWS FROM THE NEXT WORLD より


第2図

【23】Eusapia Paladino(1854~1918)

スピリチュアリズム初期の物理霊媒で彼女ほど多くの学者によって繰り返し試された霊媒も珍しい。イタリア人だったこともあって主としてイタリアとフランスの学者が中心となって調査委員会が設置され、さらにイギリス、アメリカへも招待されて徹底的に調査されている。

ちなみに、一般によく知られている名前だけをあげれば、ノーベル生理学・医学賞受賞者のリシェ、精神病理学者のロンブローゾ、天文学者のスキャパレリとフラマリオン、おなじみのキュリー夫妻、イギリスではオリバー・ロッジ、マイヤース、キャリントンなどの調査を受け、アメリカではコロンビア大学とロード教授の私邸で実験会を催している。

ユーサピアはいたって無教養で良識にも欠けていたために、せっかく一点の疑惑の余地もないほどの驚異的心霊現象を見せながら、次の実験では、疲労のためいい現象が出そうにないと思うと、トリックを使ったりする愚かなところがあり、それが、すべてがマユツバモノという印象を与える結果を生んでしまった。

【24】英国の哲学者フランシス・ベーコンが実はシェークスピアだったのではないかという説があり、それをめぐる論争のこと。

【25】W.J.Crawford(?~1920)

北アイルランドのベルファストにあるクィーンズ大学の機械工学の講師で、同市に住むゴライヤーという、家族全員が霊媒的素質をもった一家 – 俗に“ゴライヤーサークル”という – を研究対象として、主として物体浮揚における力学を心霊学的に解明する仕事をし、それを3冊の著書にまとめた。

本文に出ているのはその最初の1冊。叩音(ラップ)による通信も交わすことがあったが、難しい説明を要する時は、家族のひとりが入神して霊言による説明を受けている。

【26】William F.Barrett(1845~1926)

アイルランドの首都ダブリンにある王立科学院の物理学教授をつとめながら心霊現象を熱心に研究した。当初は、テレパシーは神経の異常によって誘発されたもの、物理現象は幻覚の産物と片づけていたが、その後の体験と観察によって、霊魂説に変った。本文に紹介されているのはそれを集大成したもの。

【27】Charles Tweedale(生没年不明)

英国国教会の司祭で、妻に霊媒的素質があったことから、司祭館の中でさまざまな心霊現象が発生し、自動書記による通信も多く入手された。Man’s Survival of Death(人間の死後存続)、Present-day Spirit Phenomena and the Churches(今日の心霊現象とキリスト教会)、News from the Next World(他界からの便り)などがある。

この最後の著書にはバイオリン製作者として有名なストラディバリ、ピアニストのショパン、小説家のコナン・ドイルやブロンテ姉妹などが自動書記で出現して、その証拠性をさまざまな角度から披露している。

トウィーデール氏はその数人の霊に死後の実情について個別に質問を提出して、その回答をまとめた上で、第1図(上記参照)のようなイラストをこしらえている。第2図はストラディバリが描いたバイオリンの構造図。

【28】John Ruskin(1819~1900)

オックスフォード大学の美術史教授で、透徹した文明評論で知られた。死後の存続を100パーセント信じていながら、ある時期から“もうあの【信仰】は捨てた”と表明したことに関して問われ、こう答えている。

「私の考えを変えさせたのは、おもに反論の余地のないスピリチュアリズムの証拠です。低俗な詐術や愚かしいモノマネが横行していることは知っております。が、そうしたガラクタの下には、この肉体の死後にも個的生活が存続することを示す証拠が厳然と存在することを、私は確信しています。そう確信したら、それはもう“信仰”ではなく“事実”なのですから、スピリチュアリズムには関心がなくなったという意味で申し上げたのです」

【29】これはドイルの誤解であることが註【28】の弁明で明らかである。

別にこの12年何もしなかった人間たち、やった事と言えばただひとつ「僕の人生をコッパミジンに破壊した事」これだけですので、僕から離れるという事であればどうぞご自由に、というのが僕の正直な気持ちですが、霊団が切り替わったとたんに僕の身に危機が降ってきたら、その時に初めて「あぁ、今までは保護されていたんだなぁ」と思い知る事になるでしょう。

それは十分に思い知らされる事として、僕は十分反省させられるとして、自動書記をおこなう霊団に切り替わって欲しいです。そうなれば「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させ奴隷の女の子を救出する事はできなくても、少なくとも霊的知識普及の使命遂行だけは前進させられるからです。

自動書記にて新規の霊言が降ってくれば、そこから一気に事態が前進するからです。書籍化、ムービー化、等々の拡散の作業を残りの人生をかけてやる事になります。できもしない霊言霊媒としての環境整備にあたらムダな時間を費やすよりよほど時間の節約で現実的使命遂行だと思います。

が、もちろん本当に霊団がサヨナラして、その後帰幽して自分の使命遂行の状況の真相を指導霊に聞かされたら最大級に後悔する事になるのでしょう。しかしそうと分かっていてもどうしても現状がダメなモノはダメなのだからしょうがない。脱出をあきらめて現在のところに閉じ込められる事を自ら選択する事は死んでも有り得ないのです。

フラー26カラーリングをおこなっています。死んでも終わらない量の作業があとに控えていますから止まっているヒマはありません。思う事があっても手だけは何が何でも動かし続けねばなりません。僕は僕にできる限りの事をやっているつもりですが、それでも僕が悪いというのか。んー実に公平な判断だ(祈)†

「行動には動機がある」邪悪の宇宙人の行動の動機が僕にはどうしても分からないのです(祈)†■2024年6月19日UP■
「行動には動機がある」邪悪の宇宙人の行動の動機が僕にはどうしても分からないのです(祈)†
まず罪もない、抵抗する術もない子供たちを次元間移動で拉致している時点でこの宇宙人たちが邪悪である事は明白です。そこに何ら正当化する理由はなく、このおこないをしている宇宙人が「霊格が極めて低い」という事も証明されていると言い切ってイイでしょう。オカルティックな筋によれば邪悪な宇宙人は人類創世の時からずっと地球にちょっかい出し続けて現在に至るそうで、ひたすらに地球人の進歩向上を阻害する事を続けてきたのだそうです。古代の地球人類たちはそれが理解できず、そのトカゲのような姿の邪悪な宇宙人たちを「神」と思い込んでしまったという古代文献の記録も多数あるようです。で、この話も深掘りしません、僕の知識がまだ足りませんので。つまり邪悪の宇宙人たちは年数は分かりませんがシュメール文明だの何だの、イヤそれよりもっと前から、それこそ1億年前とか、そういうレベルで地球にちょっかい出し続けている邪悪な者たちという事になるのですが、ココで僕は分からなくなる、頭が混乱するのです。そこまでして邪悪のおこないを続けたその先に「光」がない事くらい、自分たちの種族の幸福、向上、進化がない事くらい、1億年も生きていれば悟れるはずだろう…続きを読む→
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†■2024年4月3日UP■
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†
僕に情報拡散をさせてきっかけを作るところまでは許されたが、それ以上の干渉は許されていないという事なのではないか。で「今回では達成されません」というインスピレーションもありますように「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する情報拡散は進み、人々の洗脳は相当に破られて真実の理解が浸透するが、僕の物質界生活中に邪悪の滅亡までは到達しない。その実現は僕の帰幽後に別の使命遂行者によっておこなわれるか、もしくは特定の人物によるものではなく人々の認識の広まりによって自動的にそういう風になっていくとか、そういう事を霊界側は考えているのかも知れません。平たく言うと「無血解決」1滴も血を流さずに邪悪を滅ぼすという事です。僕の物質界生活中に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼそうとすると僕なり誰かなりの血が流されてしまうので霊界側はそこまでゴリ押ししようとしない。何しろ霊界には時間の概念がありませんので僕だろうが次の使命遂行者だろうがそんなモノは大した問題ではないはずです。が、僕から言わせてもらえればその生ぬるい考えがムカつくんだよ。決める時にバシッと決めろよ…続きを読む→

ハァァもう正直休憩にしてしまっています。もうツラくて長文撃ちの後に次の作業に移行するパワーが出てきません。そういう事ではいけない、やるべき作業が死ぬほどあるのですがチョト今日はご勘弁といった感じ。もう毎週長文を撃ち続ける自信がありません。来週こそはボイコットしてしまうかも知れません。

フラー26カラーリングをまず最優先で進めて、それが終わったら「ブルーアイランド」のテキスト見直しに突入しつつ、ホワイトイーグル霊の英語書籍の入手も再開させます。

本当は今月から“ある脱出アイデア”を実行させるつもりだったのですが、雪山の-20℃に耐えられるようにするためにレイヤーを追加入手してしまった関係でまたしても実行が遅れています。それだけ開始するのに費用が掛かるアイデアなのです。本当に困ります。

いつになったら脱出できるのか、苦しみはどこまでも続くというのか、イヤ、それは死んでも認めない。最後の1秒まで闘うぞ。何が何でも脱出してみせる。もう霊団のやる気のなさを考えると使命遂行の終了も迫っている感じなので、霊団の導きにムカつかされる人生も終わりになる…とイイのですがそれは甘いか。ハァァ、もチョト休憩、そして作業再開させます(祈)†

「完全にランオフ」霊団のやる気のなさの象徴、だったらこの人生の責任取ってくれ(祈)†■2024年12月11日UP■
「完全にランオフ」霊団のやる気のなさの象徴、だったらこの人生の責任取ってくれ(祈)†
霊団が言ってくる事はもう「殺されるから強姦殺人魔の方に行くな」の一点張りで、物質界の問題を解決するつもりが全くない様子なのです。イヤ、チョト待ってくれよ、この使命遂行をやらせたのは他でもないあんたたちだよな。やらせておいて「殺されるから手を引け」とは、これではまるで最初から何もしないつもりだったと受け取られても仕方ないんじゃあないか。霊界上層界の人間というのはある程度のところまで未来を見通す事ができます。つまり僕にこの使命遂行をやらせたらああなる、こうなるという事があらかじめ分かっていたという事です。で、今になってこういう事を言ってくる、つまり最初から強姦殺人魔をどうするつもりもなかった、ただ僕の人生を破壊する事だけが目的だった、という事にならないか。僕は実は霊性発現初期の頃から霊団に対する怒りの念を持っていました。無料ブログ時代にもその怒りをぶちまけた事が何回かありました。その初期からの怒りは結局おさまる事はなくむしろ増幅していき、現在の「反逆」へとつながっていく訳です。…続きを読む→

もうイヤだ、霊団のやる気のなさが絶望的レベルになっています。そこまでして、そこまでして、物質界の邪悪を残しておきたいのか。だったらなぜ僕の霊的スイッチを僕の意思に関係なく強制的にONにしてこの使命遂行をやらせたんだよ。少ないインスピレーションをこのように羅列してみますが↓

心躍るようなインスピレーションはひとつもなく、どれもこれも最悪の意味のモノばかり。地球圏霊界というのは強姦殺人魔が重宝される世界なのだそうです。僕の人生は破壊するが強姦殺人魔は守り通そうとする。もはや地球圏霊界に何の興味もありません。イヤでどうしようもありませんが説明に入ってみましょう。

殺してイイよ 殺すぞ

「殺してイイよ」これは「3千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカ、大量強姦殺人魔、秋篠宮文仁」が側近に対して「たきざわ彰人をダマくらかしてココ(デマハウス)に連れてきて国民の目の届かないように殺してイイよ」と言っている、という意味でしょうか。

「殺すぞ」これも文仁はじめ明仁、徳仁、悠仁等、強姦殺人魔どもの、僕、たきざわ彰人を殺したいという思念と思われますが、コイツらは僕に限らず自分たちの邪悪の正体を公言、拡散する人間を暗殺するのが当たり前ですから特に驚く事もないのですが、霊団がとにかくその危機から僕を離そうとしています。

で、ひとつ物的情報ですが、以前、霊関連書籍のテキスト化の作業を手伝ってくれた友人によりますと、悠仁の大学入学に関して反対署名が7000名分集まっていて大問題になっているそうですね。

この件に関しては霊団が何も言ってきていませんので僕から詳しく語る事はできませんが、僕の情報拡散が国民の方々のこういう動きにつながっている、とは言いませんが何かしらのきっかけになっていたら僕としては光栄です。

初期の頃にさんざん書いていた事ですが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは人生イコール全てウソです。悠仁の経歴もウソで塗り固められているとして学生たちが署名を集めたのだそうです。

で、そもそも根本的に間違っている事は、悠仁の大学入学を阻止するための反対署名を集める、ではなくてそれ以前にこの「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は「逮捕」しなければならない、という事です。反対署名の活動をしておられる方々は全力で応援したい気持ちですが、これもやはり「視点外し」的要素があると思うのです。

この「視点外し」論点のすり替えは多方面で頻繁におこなわれており、国民の興味関心を問題の核心からそらせようとしています。悠仁の入学阻止は確かに重要な問題ですが、そもそもこいつは強姦殺人魔であり、幼い時から奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人し続けながら大人になった人間であるという事実に全国民が気付かねばなりません。「視点外し」もっと言うと「洗脳」を撃ち破らねばなりません。

こういう活動がどんどん広がって、そう遠くない未来に物質界から強姦殺人魔による邪悪の支配が消滅する事を願わずにはいられません。「そうなったらイイナァ」で終わらせてはいけないのです。大量強姦殺人魔は逮捕する、罪に対する当然の罰を受けさせる。この当たり前の事がいつまでたっても実現しない物質界がどれだけ狂った場所であるか、それを多くの方々に知って頂きたいです。

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ロクな奴いません ロクな事が起きません とにかく逃げていてくれ

241211とにかく逃げていてくれ

「ロクな奴いません」「ロクな事が起きません」このふたつは「そんな事になりやしない」という意味で、僕が「デマハウス」つまり日本の中心に赴いたとして、その中心部にいる人間たちはロクな奴がおらず、ロクな事が起きない、問題だらけで使命遂行どころではなくなる、ってか僕は間違いなく殺される、だいたいこんな感じの意味でしょう。

僕がデマハウスの中に入っていくなどというシチュにはなりませんから、このインスピレーションについては語る必要はないでしょう、削除してもよかったモノとなります。

「とにかく逃げていてくれ」これが霊団の僕に向けられた思念で、これまで長い長い年月にわたってさんざん書き続けてきた事ですが、とにかく僕は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺されるのだそうです。

霊団はその危機を回避させようとありとあらゆる事を言ってきました。そのおかげなのかどうか今となっては分かりませんが、結局僕はほぼ無傷で12年を過ごしていた事を考えると、一応霊団の保護下に置かれていたという事なのかも知れません。

そしてココにきてさらに僕の身に危機が迫っている事を強調するインスピレーションを降らせてきているという事なのですが、実際に僕の身に何かが迫っているという事が一切なく、ただ霊団がこの宇宙全体で僕ひとりの霊聴にピーチクパーチク言っているだけの事ですから、危機と言われても全然何の実感もないのです。

ただ、霊団はずっと「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、特に文仁が僕、たきざわ彰人の事を怒っているという事をしつこくしつこく言ってきます。文仁が僕を殺したくて仕方ないというのは納得できるのですが、霊団はもう使命遂行そのものをやめさせるような事を言ってきているので、それが僕は許せなくて悶々とさせられるのです。
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†■2023年3月22日UP■
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†
聖書には真実でない事がたくさん書かれています。人類史上最大の汚辱と言っても過言ではない「ニケーア会議」の時に様々なウソが聖書に書き加えられ、そのウソが世界中に広まっていき、イエス様の2000年の苦悩へとつながっていったのです。キリスト者はイエス様の御名を悪用して私腹を肥やす事を2000年にわたって続けてきました。特に中世ヨーロッパの暗黒時代が最悪で、キリスト教の要職についていた人間たちは、自分たちの地位、生活を守るために真実を公言する人間を徹底的に処刑してきました。キリスト教の人間が「主よ、主よ」とイエス様の御名を連呼する時、それはイエス様に対する最大級の侮辱であり、イエス様の悲しみをさらに増幅させ、積年の誤謬(ごびゅう)を払拭するどころかさらに加速させ続ける、イエス様をさらに十字架にかけ続ける許されざる呪いの行為となります。僕、たきざわ彰人からお願いしたい事としましては、間違いだらけの聖書を読むのはやめましょう。「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした正真正銘の霊関連書籍に目を通すようにしましょう。そして教会に足を運ぶのもやめた方がイイでしょう…続きを読む→

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さようなら 完全にランオフ やめちゃおうよ

今回はテキスト量が少なめになってしまい申し訳ありませんが、撃てないモノは撃てないのです。霊団が完全に使命遂行やる気ゼロでインスピレーションが全く降ってこないので、僕はどうしようもないのです。今回は「完全にランオフのインスピレーションをかろうじてブログタイトルに冠しました。何とか説明だけはしてみましょう。

「さようなら」これは霊団が反逆ばかりして導きに従おうとしない僕に愛想をつかしてさようなら、と言っているのか、それとも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が帰幽後に地獄の底の底に落ちる事に対してさようならと言っているのか、どちらかの意味だと思われますが、たぶん前者の意味でしょう。

僕にさようならは別にイイとしても、少なくとも物質界の邪悪を滅ぼしてそれからサヨナラにしてくれよ。強姦殺人魔は温存する気満々だわ、奴隷の女の子は見殺しにする気満々だわ、僕の人生は物質界、霊界生活共に破壊する気満々だわで、納得できない事だらけですので、少なくとも邪悪だけは滅ぼしてくれよと言いたいのです。

「やめちゃおうよ」これが最悪のインスピレーションで、コレをブログタイトルに冠してもよかったのですが、これは言葉の通りの意味で「使命遂行もうやめちゃおうよ」という霊団の言葉となります。

イエ、霊的知識普及の活動はやめるつもりはないんだと思います。霊団が言っているのは「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の公言、邪悪を滅ぼすための活動の事で、つまり霊団がココまで言ってくるくらい僕の身に危機が迫っているという見方もできなくないという事になるのですが、納得は絶対にできないですよね。

世界最大級の大犯罪者が全く何の罪にも問われずのうのうと暮らしていて、それに見てみぬふりをして霊的知識普及の作業だけを延々とおこなう、そうしている間もこのヴァカヤロウどもは奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人し続けてケタケタ笑ってやがるのです。これ以上頭にくる事はありませんよね。

僕の身に危機が迫ると言いますが、僕は「帰幽カモン」(物質界に残っていたくない、一刻も早く帰幽して霊界生活に突入したいという意味)と公言し続けている男ですので危険でも別にイイんだよ、正義のおこないをして殉教の死を遂げられればそれでバンバンザイじゃネィか。

つまり霊団は僕という霊の道具を失いたくない、反逆まみれで問題ありまくりの僕であっても、それでもまだ使い道があるのでできるだけ長く物質界に残しておきたい、そういう事のようなのです。それが地獄だって言ってるんだよ。

「完全にランオフハイ、コチラですがランオフの意味をググると、ん?いろんな意味が出てきてよく分からないなぁ。まぁ要するに霊団は「逃げる」と言いたいのでしょうが、帰幽カモンの僕が強姦殺人魔から逃げる訳がありません。その気なら12年も使命遂行を続ける訳がないでしょう。

僕が逃げる訳がないとなると「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が僕、たきざわ彰人から逃げるという意味が考えられますが、初期の頃のブログではこの強姦殺人魔どもが船で国外逃亡とか北海道に逃げるとか、いろいろ霊団に言われて書かされたものでした。しかし現実には一向にそういう事にはならず、この強姦殺人魔どもは国民を洗脳、視点外ししてすっとぼけながら生活を続けています。

となるとこのインスピレーションの意味は何なのか。たぶん霊団が僕に対して「ランオフしなさい」と言っているものと思われます。つまり霊団が取っている「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を守り通そうとする理不尽な態度を僕にもやれと、そう言っているのです。

「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言、拡散し、滅亡につなげようとする僕の活動をヤメレ、手を引いて新規の霊言を降らせる事に集中しなさいと言ってきている訳です。

これはつまり僕が何度も書いている「新規の霊言を降らせて“世界を救う”などともっともらしい事を言いながら、強姦殺人魔の事はホッポラカシにして奴隷の女の子を見殺しにしている」という矛盾を僕にもやれと、そう言っているのです。幼い女の子ひとり助けようともしない奴らが世界を救う霊言を降らせると言ってきているのです。これほどの茶番があるでしょうか。

霊団が言ってくる事はもう「殺されるから強姦殺人魔の方に行くな」の一点張りで、物質界の問題を解決するつもりが全くない様子なのです。イヤ、チョト待ってくれよ、この使命遂行をやらせたのは他でもないあんたたちだよな。やらせておいて「殺されるから手を引け」とは、これではまるで最初から何もしないつもりだったと受け取られても仕方ないんじゃあないか。

霊界上層界の人間というのはある程度のところまで未来を見通す事ができます。つまり僕にこの使命遂行をやらせたらああなる、こうなるという事があらかじめ分かっていたという事です。で、今になってこういう事を言ってくる、つまり最初から強姦殺人魔をどうするつもりもなかった、ただ僕の人生を破壊する事だけが目的だった、という事にならないか。

僕は実は霊性発現初期の頃から霊団に対する怒りの念を持っていました。無料ブログ時代にもその怒りをぶちまけた事が何回かありました。その初期からの怒りは結局おさまる事はなくむしろ増幅していき、現在の「反逆」へとつながっていく訳です。

えー、苦しい説明ばかりなのでこのへんで切らせて頂きますが、ご覧の皆さまは霊団のこの「邪悪をホッポラカシにしなさい」という態度をどのようにお感じになられるのでしょうか。まさか「霊団の言う通りだ、たきざわ彰人の方がおかしい」とは言わないでしょう、そうだと信じます。

僕は物質界に残っていたくないんだよ。邪悪と闘って殉教の死を遂げられればそれでイイんだよ、それきり2度とこの最低界(物質界)には戻ってこないんだから。しかし僕の考えと霊団の思惑が合致する事は全くなく、悲しい事に威力は霊団の方が上ですから僕はひたすら自分が望まない状態をやらされるという事になるのです。
もう我々は何もしない、みたいな事まで言われています。だったらもう物質界に残されている意味ネィじゃネィか。帰幽にしてくれよ。それにしても地球圏霊界の人間というのはそこまでして強姦殺人魔を大事にするのかと、完全にアゴが外れます。この毎週の長文撃ち、そろそろ限界が近付いています(祈)†

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「信じて疑わなかった」コッチのセリフだよ、たのむからこの人生の責任取ってくれよ(祈)†■2024年12月4日UP■
「信じて疑わなかった」コッチのセリフだよ、たのむからこの人生の責任取ってくれよ(祈)†
現在セブン(イレブン)の客騙しが大問題になっている事は多くの方がご存じの事と思います。セブンが客の信用を完全に失っていて、もうその信用を取り戻す事が不可能と思われるほど問題の根が深い、という件ですが、それと同じような感じで、僕の霊団への不信感も昨日今日の問題ではなく長年の蓄積によってこういう精神状態になったのだという事を強調したいのです。とにかく人生破壊の度が過ぎる、僕の人生は徹底的に破壊するが仕事は一向に進行しない、僕という霊媒を使用して霊言を降らせる降らせると言い続けているが一向に降らせようとしない(僕が協力的姿勢を取らないから降らせられないと言えなくもないのがイタイですが…)イヤ、霊言霊媒として機能させられないなら自動書記をやればいいだろと思うのですが、そちらも1文字たりとも降ってこない。もっともこういう霊的仕事は霊界側で相当の準備をしないとできないそうですので、物質界の人間側の都合でああしてくれこうしてくれと言ってそうそうポンポンできるものではないのですが…続きを読む→
「んーゴメンね面倒起こすわ」やればいい、ますます僕の心は霊団から離れていく(祈)†■2024年11月26日UP■
「んーゴメンね面倒起こすわ」やればいい、ますます僕の心は霊団から離れていく(祈)†
要するに霊界生活とはひたすらに向上、向上の人生であり、上層界の天使から仕事を賜り、それを果たし切る事によってひとつ、またひとつと上の境涯へ赴き、ついには2度と物質圏付近に降下できなくなるまでに物質臭を脱ぎ捨てる時が来るのですが、霊団メンバーももちろん僕という霊の道具を使用しての仕事で自身の向上を目指している人間たちという事になります。そしてもちろん使われている僕も(仕事を果たし切れば)帰幽後に向上を果たす事ができる訳で、僕は人生目標を霊界に置いている人間ですから「だったらブーブー文句言ってないで仕事やればイイじゃネィか」となるのですが、あまりにも自分の心と正反対の状況に閉じ込められているために反逆せずにいられなくなっているという事なのです。で、霊団が言っているのは「この使命遂行を果たし切ればアキトくんも我々と一緒に上層界に召される事になるんだよ、しかしキミの反逆が度を越せばキミも向上できないし、我々も責任を取らされて向上できないという事になるんだよ」と言ってきている訳です。んーこれは心を締め付けられるインスピレーションですね。僕だってもちろん向上したいですよ、2度とイヤ永遠に物質界に降下したくないと思っていますし…続きを読む→
「コッチの方が幸せだった」そう言われてもなお僕は閉じ込められるのを拒絶します(祈)†■2024年11月20日UP■
「コッチの方が幸せだった」そう言われてもなお僕は閉じ込められるのを拒絶します(祈)†
物質界で赤ちゃんが生まれた時、家族の方々は大喜びしますが、その赤ちゃん(として物質界に降下した人間)の縁故の方々は霊界で泣いて別れを惜しんでいるのです。「あぁ、あの人も陰鬱極まる物質界に降下してしまった」と嘆いているのです。そしてその赤ちゃんが成長し、物質界人生を全うして死ぬ時、家族、友人の方々は泣いて別れを惜しみますが、霊界の縁故の方々は大喜びでその人間を霊界に迎え入れます。「やっと最低界(物質界)の試練を終えましたね、さぁ我々とともに美しい世界(霊界)で共に生活を送りましょう」と、その死者を大歓迎します。(もっともこれは人によってだいぶ差があるようですが)物質界の誕生日を祝うというのは「私は霊的知識を理解していない」と公言しているようなものであり、このような習慣は即刻やめるべきなのですが、残念ながら物質界は無知がはびこっていますのでいまだに霊的な事が全く理解されず、誕生日に「ハッピバースデートゥーユー♪」と歌ってはしゃいでいるのが現状です。物質界に残される事は断じてハッピーなどではなく、帰幽して霊界生活に帰る事が真のハッピーであり、その霊的知識を多くの方が理解し、物質界の誕生日を祝うという間違った習慣を改め、むしろ物質界を去る事になった人間(つまり死んだ人間)を祝うという習慣が根付く日が1日も早く来る事を僕は願わずにいられないのです…続きを読む→
「キミさえあきらめなければ私も仕事できる」だからこれ以上どうしろっていうんだよ(祈)†■2024年11月13日UP■
「キミさえあきらめなければ私も仕事できる」だからこれ以上どうしろっていうんだよ(祈)†
1億歩譲ってサークルメンバー問題が解決されて僕という霊媒から新規の霊言を降らせる事ができたとして、僕はもちろんそれを書籍化、流通、拡散させるつもりでいますが、僕がそこまでやったとしても「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事はホッポラカシにするつもりなのか。奴隷の女の子を見殺しにするつもりなのか。この矛盾、理不尽はどう釈明するつもりなのだろうか。分からない、分からない、地球圏霊界の人間の頭の中は一体どうなっているのだろうか。できもしない事(僕を霊言霊媒として使用する)をやるやる言い続けてくる、やらねばならない事(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出)は一向にやろうとしない。考えれば考えるほど地球圏霊界に対して興味がなくなっていくのです。組織としておかしい。間違いなく不可能だと断言できますが、それでも帰幽後に地球圏を離れたいという願望が湧き上がってくるのです。地球圏を離れるっていうけど、どこに行くつもり?行くトコなんてないよ、そう言われるのがオチですが。地球圏霊界というのはそんなに強姦殺人魔が大切なのか。そこまでして守り通そうとしてくるのか。もう地球圏霊界の事が分からない…続きを読む→

富士周辺アタック471プロセス実行

いつまでもは続けられそうにない、そう言いながら何だかんだと毎週テキストを撃ち続けています。本当に精神的にきつく、もう限界値で、今週はボイコットしよう、今度こそボイコットしよう、そう思いながら、霊団が少しだけちょろっとインスピレーションを降らせてきてそれを書かされるという事が続いています。

この苦難の人生を僕はいつまでやらされねばならないのでしょうか。なぜ絵を描きながら暮らしてはいけなかったのでしょうか、なぜ画家の人生をやめさせられてこんな苦難を浴びせられるのでしょうか。この疑問に対する回答は永遠に見い出せません、イヤ帰幽後に分かるのかも知れませんが。

長文にはなりませんが何とか撃ち切ってみます。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

まずは昨日の先生(富士山)グラデーション撮影の画像をUPですが、もう霊団の言ってくる事が頭にきて頭にきてどうしようもなく、なぜ来る日も来る日もこんなモノ説明しなければならいのか、もうイヤでどうしようもありません。

何がイヤって、もう霊団が完全にやる気ゼロだからです。使命遂行をやめるというのなら、この12年半、僕の人生をココまでブチ壊した責任を当然取ってくれるんだろうな。ホッポラカシとか言ってみろよ、永遠に許さないよ。

あーもう、テキスト撃ち始めます。この不愉快は一体何なのか。こんな意味不明人生よくもやらせやがったな。こんなもの永遠に納得しないぞ(祈)†

今日をもって今シーズンの先生(富士山)グラデーション撮影は終了、来週からスノーシューアタックに切り替えるつもりですが降雪状況によってはもう1週先生の撮影に行くかも知れません。今シーズンは気合の入り方が違います。スノーシュー全開、雪の撮影全開で行きます。

今日は最高標高地点で-7℃でしたが、スノーシューの時とほぼ同じフルレイヤー装備、つまり保温力ほぼMAXの状態だったのにすごく寒くて思わず撮影を途中で切り上げて下山しようかと思ってしまいました。

-7℃でこの状態ですから-20℃に耐えられる訳がありません。今まで問題なかったレイヤーでなぜ保温が足りなくなっているのか。実は僕は以前より7kgくらい痩せていまして、それで身体の保温力が落ちているのです。部屋にいる時も明らかにこれまでより低温に弱くなっている事を実感していますので。

さぁスノーシューをやめる訳にはいかない、-20℃の中を突き進まないといけない。レイヤー追加入手を検討中。そうなるとまたしても出費になってしまい“ある脱出アイデア”の実行がまた遅らされてしまいます。イヤー困った、どしよかな。

そして明日の長文ブログですが、正直ボイコットしたいですがかろうじてインスピレーション降ってますので少しだけ撃つつもりです。もうヤダこの人生、不毛にもほどがある、結果を出せよ結果を(祈)†

さぁ間もなくスノーシューシーズンが始まります。昨シーズンは足にダメージがきてしまってスノーシューが全然できませんでした。その悔しさを拭うため5月頃からずっとスクワット等の筋トレ、およびロードラン復活、足回りを鍛え続けてきました。おかげで今シーズンは問題なくスノーシューアタックができそうです。

山にはすでに雪が降ってますがモチョト降り揃うのを待ちましょう。早く雪の撮影がしたいですが明日は雪ではない撮影に行ってきます。そろそろ毎年恒例の「タイヤチェーン装着テスト」をやらないといけません。

これは絶対必須の作業で、コレをやらずに現地に行っていざチェーンをうまく装着できないと一気にパニくる事になります。何しろマイナス10℃以下のところですからもたつくとたちまち指が凍るのです。

そしてもう長文ブログをボイコットしたい気持ち全開ですが、今週も御多分にもれずインスピレーション枯渇状態です。ホントに毎週のテキスト撃ちが苦痛でどうしようもなく、霊団のやる気のなさがその苦痛に拍車をかけていまして、もうやめてもイイんジャネとかなり本気で思っているのです。

もし長文ブログをボイコットできたらフラー26カラーリングを一気に進めるつもりです。できるだけ早くUPさせて「ブルーアイランド」のテキスト見直しに戻りたいからです。あと今月ガマンして止めていたホワイトイーグル霊の英語書籍の入手を再開させます。まだまだたくさんあるんですよ。

そして節約の成果によって変わってきますがそろそろ“ある脱出アイデア”を実行に移すつもりです。コレに対して霊団が猛烈怒涛に反対してまして、よほど宜しくないものがあるようなのですが、僕にだって事情があるのです。何と脅されようとやるつもりです。

明日の山のアタック準備ですので今日の作業はココまで。降らないインスピレーションを当てにしながらの長文撃ちが苦痛でどうしようもない。もうこの人生本気でイヤです。自動書記テストも続行させていますがまるっきり反応なし。僕という霊媒が機能する事はありませんので霊関連書籍のテキスト化をやるしかないのです(祈)†

■2021年9月10日UP■
■アナログ絵326「タワー展望ブリッジ」のストーリーUP。キツイ絵のオンパレードでした(祈)†
宇宙船クレスには「ふたつのブリッジ」が存在します。通常、ブリッジと言えば、艦長の守護霊様が指揮を執る、船の運行全般を司る「シップのブリッジ」の事を指しますが、もうひとつ、クレスで生活する人たちの生活全般の管理を仕事とした「タワーの展望ブリッジ」というものが存在します。今日は、ももちゃん、シルキーが展望ブリッジの見学にやってきました。これも霊的お勉強の一環です。シルキー「何コレ、タワー内の状況が全部1発で分かるようになってる」ももちゃん「人数がスゴイ、ホント、クレスって大きな船だよね」トライブ崎柿崎「たとえば今、この小学校で催し物のための新たなコンサートホールを思念で作っているところよ」シルキー「こ、こんな大きいのを作ってるんですか?」ももちゃん「でも何か、うまくいってないみたい」トライブ崎柿崎「小学校の子供たちが思念でモノを作るお勉強をしてるけど、子供たちだけではうまく作れないのよ、そういう時に、ホラ」…続きを読む→
「誰もいないカラッポ」帰幽後の僕が閉じ込められるところです、これはおもしろい(祈)†■2022年2月16日UP■
「誰もいないカラッポ」帰幽後の僕が閉じ込められるところです、これはおもしろい(祈)†
僕が閉じ込められる境涯に幽体離脱時に霊体にて訪れています。まぁまぁ明るい境涯でしたのでそんなに下層界という感じではなかったものの、ある団地の5階から7階へ引っ越しするのですが、その団地全体にひとりの人間もいません。7階の部屋の中ももぬけのから。そこが僕と2羽の住む部屋です。部屋のベランダから外の景色を見ます。どれだけ見まわしてもひとりの人間の姿も見えません。僕とユキ、ピー以外は全く誰もいない、そういうところに僕は帰幽後閉じ込められて生活する事になるのだそうです霊団によると。離脱中の霊体の僕は鼻で笑いました。「フフッ、10年の努力の結果がこれですか。コイツァーおもしろい。3人で仲良く楽しく暮らしていきますよ」と思念を抱くと…続きを読む→
霊団が奴隷の女の子たちを救出しない決定を下している理由についての個人的所感(祈)†■2022年4月6日UP■
霊団が奴隷の女の子たちを救出しない決定を下している理由についての個人的所感(祈)†
霊団側はブループリント作成の時点で「この使命遂行を実行するにあたり、ああなるだろう、こうなるだろう」という事があらかじめ分かっているという事です。つまり霊界側は「現在の物質界は、まだ奴隷の女の子たちを救出するに必要な悟りの境地に到達していない、まだその時期は到来していない」という事もあらかじめ分かっていたはずなのです。だったらなぜ僕に奴隷の女の子の存在を怒涛に教えてきたんだよ。助けてあげられると思ったから教えてきたんじゃないのかよ。助けられないという事だったらなぜ教えてきたんだよ…続きを読む→

以上が、私とスピリチュアリズムとの最初の関わり合いである。その時はまだ懐疑心は拭えなかった。が、少なくとも調査・探求してみようという意欲はあった。そして、古めかしい考えに囚われている否定論者が“あんなものはみなペテンだ、手品師でもあれくらいのことはやってみせるよ”といった意見を述べるのを聞いても、少なくともその意見の方がナンセンスであるという確信はできていた。

といって、その時点までの私の個人的体験はとても得心させてくれる性質のものではなかった。が、ずっと読み続けていた心霊書によって、その著者たちがいかに積極的に、そして深く心霊現象を探求しているかを知り、宗教性をもつ問題がこれほどの証拠性をもつに至ったのは、世界の歴史を見ても前例がないことを認識していた。

もとより、それだけで真実性が証明されたことにはならない。しかし少なくとも敬意をもって扱うべきものであること、他愛もないものとして無視すべきものでないことを証明していた。

たとえば博物学者のウォーレスが“近代の奇跡”と呼んでいる驚異的な現象がある。霊媒のD・D・ホームが地面から70フィートも浮揚して、建物のひとつの窓から出て別の窓から入ってみせたというのである。私にはとても信じられないことだった。

が、その現象を実際に見たという人が3人もいる – しかもそれが、ダンレイブン卿(12)、リンゼイ卿(13)、ウィン艦長(14)といった、名誉と名声をほしいままにしている英国第一級の人物ばかりであり、口を揃えて“神に誓って、いつでも証言する”と述べていることを知って、私は、これは全世界が真実と認めている出来事よりももっと真実味があることを認めずにはいられなかった。

その間も相変らずテーブル通信を続けていた。何の通信も来ないこともあったし、来ても、下らないものばかりだったこともあれば、驚くほど筋の通ったものが届けられたこともある。今でもその時のノートを取ってある。その中からこれは本物だと思えるものを紹介しておきたい。

当時は私の魂を高揚させるものとしてではなく、ただ面白いというにとどまっていたが、その後オリバー・ロッジ卿の著書『レーモンド(15)』や、それ以降の霊界通信と共通するものがあり、今ではまったく違った価値を見出している。

死後の世界についての叙述はどれも少しずつ異なったところがあるもので(地上の世界についての叙述だって人によって違うものだ)、全体として捉えた時にはじめて大きな共通点が見出せるのであるが、これから紹介するものは、私がそれまで考えていたものとも違うし、いっしょに交霊会を行なったふたりの女性が考えていたものとも、その概念が大きく違っていた。

通信を送ってきたのはふたりで、まず最初のひとりが、われわれ3人の誰も知らない Dorothy Poslethwaite という名前を綴った。5年前に16歳でメルボルンで死んだが、今は幸せで、する仕事もあると言い、地上で通った学校はふたりの女性のうちのひとりと同じだったという。知ってる名前をいくつか綴るように要求すると、その学校の校長(女性)の名前を綴った。その通りであることを確認した。

さらにその通信者は、今住んでいる界層(67ページ第1図のイラストに見られるとおり死後の世界はいくつかの層を成しており、それを“界層”と呼び、地上社会の“階層”と区別して用いることにする – 訳者)は地球のまわりに存在すること、火星には地球人類より進化した人類が住んでおり、例の運河は火星人がこしらえたものであること、今いる世界には身体上の苦痛は何ひとつないが、精神上の悩みはあること、やはり統治されている世界であること、養分を摂取しなければならないこと、地上時代はカトリック教徒で今でも同じ信仰をもっていること、仏教徒やマホメット教徒もいて、それで別に問題はないこと、まだイエス・キリストの姿を拝したことはなく、キリストについての格別の知識も得ていないけど、その影響力は地上時代より強く感じていること、今いる界層でも祈りがあり、次の世界へ行く時は死に似た形体上の変化があること、娯楽もいろいろあって、音楽もそのひとつであること、光と笑いに満ちた世界で、金持ちも貧乏人もおらず、全体として地上よりはるかに幸せであること – 大体そんなようなことを綴った。

その女性がお休みなさい”と綴って去った直後に、テーブルが強烈な力によって動かされはじめた。どなたですかとの問いに、英国の有名なクリケット選手だった Dodd(ドッド)の名を綴った。

この人とは私はエジプトの探険旅行をしたことがあり、彼がナイル川をさかのぼるというのを私が反対して、真剣に口論したことがある。彼はそのままひとりで出発して、そこで客死してしまった。1896年のことである。

いっしょに交霊会をしていたふたりの女性はドッド氏のことは知らなかった。そこで私が本人がすぐ目の前にいるような調子でいくつか質問すると、すぐに正確な答えが返ってきた。返事の内容には私が予測したこととは正反対のこともあったので、私の潜在意識が作用しているとは思えなかった。

彼は今はとても幸せで、2度と地上生活に戻りたいとは思わないと言い、地上では信仰というものを持たなかったが、そのことは死後の世界とは何の関わりもないと言った。ただし“祈る”ということは結構なことで、それがスピリットの世界とのつながりを強くすることになると言い、自分がもっと地上で祈りの生活をしていたら、霊界での位置はもっと高いものになっていただろうとも述べた。

信仰を持たなくても幸せになれるということと、祈りが死後の幸せを増すということとは矛盾しないでもないが、考えてみれば、信仰を持つ人でも必ずしも祈りの生活をしていないことを思えば、一概にどうこう言えないのかも知れない。

死んだ時は少しも苦痛はなかったという。ポールフィールという名の若い将校が彼より先に死んでいるが、死んだ時に迎えに来てくれた人々の中にその姿は見えなかったとも述べた。ドンゴラの陥落のことはよく覚えているが、すぐそのあとのカイロでの祝宴には“スピリットとして”その場に行っていたという。

今はいろいろと仕事があり、生命についても地上時代より多くのことを学んでいるという。カイロでのふたりの口論のことはよく覚えていた。死後すぐに落着いた界層での滞在期間は地上時代より短かったという。

ゴードン将軍(16)とはまだ会っていないし、その他、地上で著名だった人とはひとりも会っていないという。スピリットの世界でも家族や集団で生活しているが、地上で夫婦だったといっても必ずしもいっしょではないが、真実の愛の絆があれば、再びいっしょになれるという。

以上、きわめて大ざっぱではあるが、長さといい内容といい、ここで紹介するのに適当と思って選んでみた。否定論者はすぐに中身がバカバカしいという批判をするが、右の話の中身がもしもバカバカしいというのであれば、世の中にはバカバカしくないものはないことになってしまう。と言って、その中身が100パーセント真実であるという証拠もまた、私には見出せなかった。そして、それをどう理解したらいいのか、戸惑うばかりだった。

今でこそ、その後の幅広い体験によって、世界各地で同じような死後の情報を得ている人が大勢いることを知り、これだけの証人が意見の一致をみている以上は、それを真実と認めてよいと考えるに至っているが、当時の私の思想構造の中には、そういう来世の概念の入る余地はなかった。

それ以後も私は死後の問題に関する書物を読み続け、読めば読むほど、いかに多くの人たちが、いかに慎重に探求してきているかを知るばかりだった。わずか3人の仲間による実験で入手するものよりも、はるかに私の精神を感化した。そんな時に、ジャコリオというフランス人の書いたオカルトの本を読んだ。

この人はフランス領インドの主席判事で、ひじょうに批判的な精神の持ち主であるが、同時にスピリチュアリズムには少し偏見を抱いていた。彼は複数のヒンズー教の苦行僧を使って一連の実験を行なったという。彼がヒンズー教をよく理解しヒンディー語をしゃべったせいもあって、苦行僧たちは彼を信頼していたらしい。

その本によるとジャコリオは、詐術を排除することに大変苦心している。それは省略するとして、結果的に彼が得たものは、たとえばD・D・ホームがやってみせたような近代の欧米の心霊現象と同じものだった。身体の浮揚、まっ赤に燃えた石炭を素手でつかむこと、ある物体を遠い位置から動かすこと、植物の苗を目の前で生育させること、テーブルの浮揚、等々を確認している。

その原因の説明も先祖霊の仕業であるということで、スピリットであるとする点も同じである。唯一スピリチュアリズムと異なるのは、自然界の心霊的(サイキック)エネルギー(17)を活用している点で、それは古代カルデアの魔法使いから引き継がれてきていると彼らは信じていた。

しかし、ともかくも、近代の欧米の心霊現象とまったく同じものが見られ、しかもそこに欧米で見られるようなトリックが一切なかったということに、私はひじょうに感銘をうけた。

この頃、<弁証法学会・調査委員会報告書(18)>というのを読んで大いに考えさせられた。提出されたのは1869年にさかのぼるが、実に説得力に富んだ内容である。当時の、無知で唯物観に凝り固まったジャーナリストからは嘲笑の的とされたものだが、大変な価値のある資料だと思う。

調査委員会は、スピリチュアリズムの現象を調査するために信頼のおける地位にあり思想的に偏りのないメンバーによって構成されていた。報告書にはそのメンバーによる実験と、詐術に対する入念な予防策が記述されている。

これを読めば、誰しもそこに述べられている現象が疑うべくもない純正なものであり、これまでの科学によって発見されていない法則やエネルギーの存在を示しているという結論に到達するはずである。

それにつけても奇妙なのは、もしもこの学会による報告書の結論が“心霊現象を否定する”ものであったら、スピリチュアリズムへのノックアウトパンチとして大いに賞賛されるはずだったのに、それが逆にその“実在を証言する”ものであったばっかりに、非難のつぶてを投げつけられた。

これは1848年のハイズビル事件以来各地で行なわれた調査結果の多くがたどった運命であり、米国のヘア教授(19)が詐術を暴く目的で調査を開始して、最終的にはその真実性を認める結論を出したことで身をさらされた運命でもあった。

さて、私は1891年に心霊研究協会(SPR)に加入し、そのメリットとして、協会が所有する調査報告のすべてに目を通すことができた。読んでみて私は、協会のたゆまざる入念な努力と表現の慎重さには大いに敬意を表したくなったが、同時に、慎重さが“もどかしさ”を感じさせ、またセンセーショナルなものは公表を控えるという態度が、肝心なことを世間に知らしめなくしているという事実を認めずにはいられなかった。

特別の興味をもって読む人を除いては、用語を学問的に見せようとする態度が鼻について、途中で読むのを止めたくなるほどである。ロッキー山脈の猟師が、ある大学教授の道案内をした時の話として、私にこう言ったことを思い出す – 「大学の先生ともなると脳味噌がわれわれとは違うんですなぁ。話を聞いても、何をおっしゃってるのか、さっぱり分かりませんでした…」と。SPRもそんなところがある。

もっとも、そうした点はあるにしても、闇の中で光を求める者にとって、SPRのきちょうめんな仕事は大いに役に立っている。それは、今日の私の思想の基盤を築いてくれた要素のひとつであることには間違いない。

肉体を離れての精神の活動

が、もうひとつ、私の心に大きく引っかかっていた事実があった。それは、あれほどの資料と実験結果を手にしながら、それを総合的にまとめてひとつの思想体系をこしらえる努力がなされていないことだった。たとえばSPRの記念碑的著作のひとつであるフレデリック・マイヤースの『人間の個性とその死後の存続(20)』がある。

この著作の中でマイヤースは、蒐集した不思議な体験のすべてを解く“霊的方程式”を打ち出すまでには至らなかったが、彼みずから“テレパシー”という用語で呼んだ精神(マインド)と精神との反応(以心伝心)の実在は、完璧なまでに証明されている。

目の前の事実に故意に目をつむろうとする人は別として、これはもはや科学的事実として定着している。しかし、この事実の発見が大変な進歩であるとの認識が不十分なのである。

もしも1個の精神が遠距離にある別個の精神に直接的に作用することが有り得るとすれば、これは、この宇宙にはわれわれが理解している“物質”とはまったく異質のエネルギーが存在することになる。唯物論者にとっては、その拠って立つべき足台が取り払われたことになる。実は私が土台としていた理屈も崩れ去ってしまった。

それまでの私は、ローソクの炎は、ローソクが無くなれば消えてしまう、という事実を根拠にしていた。ところが、テレパシーの事実は、ローソクから遠く離れた場所で“炎だけ”が活動することが有り得ることを物語っている。私の理屈は根拠を失ったことになる。

精神(マインド)、霊(スピリット)、ないし知性(インテリジェンス)が身体から遠く離れたところで活動できるとすれば、それは、もともと身体とは別個の存在を有するものであることになる。となると、身体が滅んだあとにそれが存続しても不思議ではないことになる。

ある人が死んで、同じ時刻に遠距離にいる身内の誰かが不吉な予感を得たという場合、テレパシーの現象である場合と、実際にその死者自身が、肉体が滅んだあと、それに代る別の身体でそこへ訪れた場合とが考えられる。

このように、単なる思念の読み取りという単純なケースが一方にあり、他方には身体とは別個の存在による働きかけというケースがあるわけであるが、基本的には両者は1本につながったクサリの両端であって、ただ単に目を奪うような現象ばかりを雑然と蒐集するだけだったものに、マイヤースは、初めて組織的な秩序をもたらしたと私は考える。

この頃に興味ぶかい体験をしている。SPRの代表団のひとりとして、ある有名な幽霊屋敷で夜通し立ち会うことになった。そこでは、1726年に英国のエプワースで起きたウェスレー家の現象(21)や、1848年の例のスピリチュアリズムの発端となったハイズビル事件(22)と非常によく似た現象が何年にもわたって起きていた。結果的にはこれといってセンセーショナルなものは起きなかったが、といって、まったく無駄に終ったわけでもなかった。

第1日目の夜は何事も起きなかった。が、2日目の夜に、まるで棒でテーブルを激しく叩いているような、物凄い音がした。もとよりイタズラの防止策には万全を期していた。が、きわめて巧妙な悪ふざけにわれわれがまんまと引っかかったのだという説を完全に否定する根拠も見当たらなかった。ともかくその時はそれだけのことで終った。

ところが、それから数年後に、かつてその家に住んだことのある家族のひとりから、われわれSPRのメンバーが訪れたあとで、その家の庭から子供の白骨死体が発掘されている話を聞かされた。しかも、ずいぶん古いものだという。これは捨ておくわけにはいかない話である。

幽霊屋敷というのはそう滅多にあるものではない。そして、その屋敷の庭に白骨死体が埋められていたという話も、滅多にあってほしくない。怪奇現象と白骨死体との関連は一考の価値はあるとみてよいであろう。

ハイズビルにおけるフォックス家事件でも白骨死体と殺人事件との関連が、大きな話題を呼ぶきっかけとなったことを想起していただきたい。あの場合は、それによって殺人事件の解明にまでは至っていない。が、それは別問題なのである。

たとえば、前述のウェスレー家の怪奇現象の場合も、その現象を起こしている霊と親しく交信することができていたら、なぜそういう現象を起こすのかという動機も解明されたはずである。

子供の白骨死体の発見という事件から想像すれば、幼くして残酷な形で生命を断たれることによって、その無念の気持がつのって、そういう現象という形でエネルギーが発散されたのかも知れないのである。

この時期から第1次大戦の終結の頃まで、私は引き続き心霊現象の勉強に余暇のすべてをつぎ込んだ。一連の交霊会で驚異的な現象をいくつも見た。その中には薄明りの中での物質化現象もあった。ところが、それから間もなくして、同じ霊媒がトリックを使用したことが判明して、私はその霊媒による現象のすべてを、信用性のないものとして破棄することにした。

こうした態度は、霊媒によっては必ずしも妥当でないこともある。たとえばユーサピア・パラディーノ(23)の場合のように、霊的エネルギーが弱まった時にはトリックを使用したこともあるが、どうあっても本物と断定できる現象もあった。

同じく心霊現象でも、最低次元のものになると、スピリットとの関わりはまったくなくて、五感の延長としての心霊的エネルギーの発現にすぎないものがある。当然それは気まぐれで、意識的なコントロールができない。

パラディーノは少なくとも2回はへたなトリックを使ってそれが暴かれているが、一方、フランス、イタリア、イギリスの高名な科学者によって構成されたいくつかの調査委員会による長時間の検証にも、見事にパスしたことが数回もある。

しかし私は、やはり、1度信用を失った霊媒による体験は、私の主義として、そのすべてを記録からカットしたい。また私は、たとえ純正な現象であっても、暗闇の中で行なわれた物理現象は、何らかの証拠性のある通信が伴っていなければ、価値は半減すると考える。

否定論者は、問題を起こした霊媒を全部除外していったら、現象の真実性を支持する証拠もほとんど全てを除外しなければならないと主張するが、これは見当違いというものである。私はそのトリック事件に引っかかるまで1度も金銭を取る職業霊媒の交霊会には出席したことがなかったが、それでも証拠性という点では確かな体験を積み重ねてきた。


D.D.ホーム

報酬を絶対に受け取らなかった世界最高といわれる霊媒のD・D・ホームは、白昼でも現象を見せ、いかなるテストにも応じ、1度もトリックの嫌疑をかけられたことはない。同じような霊媒は他にも大勢いるのである。

問題は、金銭を取る霊媒が、アラ探しやスキャンダル探しのレポーター、アマチュア探偵などに目をつけられ、どこからでもケチをつけられかねない、いい加減な現象を見せ、そのあげくに挙げられた場合である。

心霊現象の原理について何も知らない陪審員や裁判官の前では、いくら正当な弁明をしても、そのまま通用するはずはない。そもそも、現象が起きなかったら報酬は支払わないという慣行が間違っている。専門の霊媒が結果にかかわりなく年金を貰えるようにする以外に、トリックを防止する方法はないであろう。

以上、第1次大戦に至るまでの私の心霊観の発展の跡をたどってきた。その間、私は一貫して慎重な態度を維持し、否定論者が言うような、安直な軽信性はなかったつもりである。どちらかと言えば慎重すぎたほどである。

というのは、私は変った出来事を何でもかんでも検討の対象とすることには躊躇してきた。もしかしたら私は一生涯を一心霊研究家として、たとえばアトランティス大陸の存在とかベーコン論争(24)のような、面白くはあっても道楽的要素の強い問題で、ああでもない、こうでもないと、迷い続けていたかも知れなかった。

■アナログ絵381「フラー26設定資料」UP。フラー新規デザインは止まるかも(祈)†■2024年12月8日UP■
■アナログ絵381「フラー26設定資料」UP。フラー新規デザインは止まるかも(祈)†
フラーのプライオリティが下がりまくっている関係でこのフラー26は完成までだいぶ時間がかかってしまいましたが、かろうじてこのようにデザインする事ができました。フラー06ver2.0の後継機、ハチちゃんをキャラに持つフラーとなります。「フラー30到達」という目標を掲げてデザインを続けてきましたが、使命遂行がもうグチャグチャ、霊団やる気ゼロ「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、物質界の邪悪はホッポラカシ、奴隷の女の子たちは見殺しにすると言い切っている始末で、僕の霊団への怒りは燃え上がるばかり、心境的にフラーを描いているどころではなくなってしまっています。このフラー26もストーリーに登場させたいですが、もう機体数が多すぎてとてもムリ、という状態です。さぁ新規フラーをデザインし続けられるのか。それよりこの使命遂行を何とかしてくれ、という思いの方が強いです…続きを読む→
「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†■2024年3月20日UP■
「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に鉄槌を喰らわせる事もしなければ奴隷の女の子たちを助けてあげる事もせず、ただ半笑いで僕が苦しむところを見ているだけで終わらせるつもりなんじゃないだろうな。で、次世代降下チーム(霊界側で同じ時代に同じ地域に降下するチームがあらかじめ結成されるという事)が、僕が一生かけて蒔いたタネを活用してそこでようやく物質界の諸問題が解決されるとか(つまり僕の帰幽後のお話、今から50年後、100年後とか)そういうストーリーか。僕は前座か。本当に損な役回りだな。フゥゥ、僕なりに霊的知識を果てしなくお勉強していますが、確かに偉大な功績を残した先駆者の方々というのは、物質界では認められず帰幽後に霊界にて真の評価を下され、向上を果たし上層界に召されていると理解しています。※つまり逆に物質界で偉人とされて歴史に名を残している人物というのは霊界では全く評価されておらず暗黒の底に落ちているという事です。戦争勝利将軍とか、慈善家とか、富豪とか、そういうたぐいの人間です。「後なるものが先に」これは偉大な真理なのですが、物質界ではこの意味が全く理解されていません…続きを読む→
■2020年2月26日UP■
トレイルムービー【大きなプライド7】この素晴らしいインスピレーションも、やはりブログとして書き残しておくべきでしょう(祈)†
ちなみに(FC2)ブログの名前「ar7」は…[a]→ある[r]→霊覚者が[7]→7界所属のイエス様のご意思を遂行するという意味でつけたものです。つまり「イエス様ハンドリング」ですね。昨日の幽体離脱時もイエス様の強調された映像を拝しました。こんな僕に光栄です。ただ早くして下さい。はい。つまりイエス様に【アキトくん、キミは私の大きな誇りだ】というお言葉を賜ったという事なのですが、それは「イエス様ハンドリング」を公言し、イエス様のご意思を遂行し続けてきた僕にとって…動画を見る→

アナログ絵381

フラーのプライオリティが下がりまくっている関係でこのフラー26は完成までだいぶ時間がかかってしまいましたが、かろうじてこのようにデザインする事ができました。フラー06ver2.0の後継機、ハチちゃんをキャラに持つフラーとなります。

「フラー30到達」という目標を掲げてデザインを続けてきましたが、使命遂行がもうグチャグチャ、霊団やる気ゼロ「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、物質界の邪悪はホッポラカシ、奴隷の女の子たちは見殺しにすると言い切っている始末で、僕の霊団への怒りは燃え上がるばかり、心境的にフラーを描いているどころではなくなってしまっています。

このフラー26もストーリーに登場させたいですが、もう機体数が多すぎてとてもムリ、という状態です。さぁ新規フラーをデザインし続けられるのか。それよりこの使命遂行を何とかしてくれ、という思いの方が強いです(祈)†

はい、キャラのハチちゃんをだいぶ前に描き上げていましたが本体のデザインが止まってしまっていたフラー26をようやくこのように描き上げる事ができました。

異常に時間がかかってしまった理由はフラーのプライオリティが下がっている事、霊関連書籍のテキスト化の作業が忙しくて手が回らない事、そして何より霊団の使命遂行に対する態度がムカつく事(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼそうとせず奴隷の女の子を見殺しにする)などがあげられます。

僕的には絵を描かない人生は有り得ませんのでぜひデザインを続けたいのですが、テキストとの格闘が苦しすぎてそちらに多大なパワーを回さねばならず、さらにムービー化もするつもりでいますのでなおさらフラーの方に回すパワーがなくなっている現状です。

ちなみにこのフラー26は、フラー06ver2.0の後継機で事実上のフラー06ver3.0となりますが、この機体のカラーコンセプトは「チョコミント」ですので、今回もそのように塗っていくつもりです。が、カラーリングは毎回、塗り始めるとドンドンおかしな事になっていくのが常ですので変わっていくかも知れません。

この機体のカラーリングまで終わらせたら次はフラー27の新規デザインが待ち受けていますが、んー、今のところ着手する時間、イヤ自信がないといった心境で、悲しいですがフラー30には到達しない可能性が濃厚です。まぁどういうカタチであれ絵は描き続けて行きますのでやれる限りの事はやってみるつもりですが(祈)†

■アナログ絵357「フラー26キャラ“ハチちゃん”設定資料」UP。ブンブンブン♪(祈)†■2023年12月16日UP■
■アナログ絵357「フラー26キャラ“ハチちゃん”設定資料」UP。ブンブンブン♪(祈)†
今回のハチちゃんも「インナーフレーム」での変形となります。前回のフラー06ver2.0のハチちゃんは腕に変形させる事を優先してハチちゃんらしい外見とは言えませんでしたので、今回のフラー26のハチちゃんは「ハチちゃんらしさ」にこだわりました。そのぶん腕に変形させるのが難しく、インナーフレームを駆使してかなり強引に変形させたという感じです。実は当初、フラー25のちょうちょちゃんと同じように3段変形させるつもりでいたのですが、何しろハチちゃんは1匹1匹が小さいですので「どう考えてもムリだ」という結論に早々に到達し、あきらめて通常の変形としました。イヤ、小さくはありません、このハチちゃん1匹の頭からお尻まで全長、オトナの身長くらい、イヤもっとあるかも知れません。子供なら3人くらい背中に乗せてブンブン飛べる大きさです。まぁフラーのキャラはどうしてもそういう「キモイサイズ感」になってしまいます…続きを読む→
■アナログ絵355「フラー25カラーリング」UP。長い長い地獄の旅でした(祈)†■2023年7月2日UP■
■アナログ絵355「フラー25カラーリング」UP。長い長い地獄の旅でした(祈)†
フラーのカラーリングの時はいつも同じ事を書いているような気もしなくもないのですが、このフラー25も本当にキビシイ機体でした。塗っても塗っても全く終わりが見えてこない無間地獄。フラー11ver2.0の悪夢が(最後まで塗り切れなかった)何度となくよぎりながら、何とか心を奮い立たせてAffinityPhotoと格闘し続けました。AffinityPhotoの再勉強をした方がイイかも知れません。何かしらスピードアップのヒントが得られるかも知れませんので。マクロだけじゃ足りない、もっと技が欲しい。今回のフラー25は特にカラーコンセプトも考えていなかったのですが、こうして塗ってみると、特にちょうちょちゃんは「ゴスロリ」といった“たたずまい”でしょうか。フラーをデザインし始めた初期の頃は霊団が「フラーのキット化」とか言ってきたものでしたが、もうそんな事は夢幻(ゆめまぼろし)のお話となっていて、キット化どころか僕は今にも殺される寸前という状況なのだそうです。塗っている最中にも決定的な事を言ってきています…続きを読む→