ずっとAffinityPhoto開きっパ、ずぅぅぅッと止まらず作業してるのに全然終わらない。使命遂行が完全に止まってます。フラー11ver2.0の時と全く同じ状況になってます。あの時も他の作業が一切できなくなってしまって泣く泣く塗るのを途中でやめたのです。

今回のフラー25はここまで来ましたので最後まで塗り切りますが、いくらなんでも時間かかりすぎですので、今後はフラーの新規デザインはチョト考えた方がよさそうです。テキスト関連でやるべき作業が恐ろしいほど殺人的にありますので、プライオリティを考えてフラーはお休みした方がイイかも知れません…。

現在シルキーを塗ってます、これがまた時間がかかる、その後いよいよフラー25本体のシャドウハイライトに入って、ようやくゴールが見えてくるという状況です。フラー30到達という目標を掲げてここまで新規デザインを続けてきましたが、26以降は暗雲が漂ってます。とにかく時間かかりすぎ。これだけ全力で塗ってるのに終わらない、異常事態です。

書籍京橋紙業オリジナル見本帳

そして書籍用の紙のサンプルが到着してます。こういうモノが手元にあるとモチベーションが上がるかなぁと思いまして請求してみました。スキャンしなければならない書籍が3冊ありますがスキャンさえできません。本の原稿を書く事も全くできずAffinityPhotoとずっと格闘中。

フラーの作業負荷が高くなりすぎて使命遂行にマイナスに働いてしまっています。かといって手抜きな機体をデザインする訳にもいきません。さぁ困った、どうする。昨日霊団が言ってきた事について書こうかと思ったのですがその時間もありません。フラー25、いい加減にケリをつけましょう。本当に今後フラーどうしよう(祈)†

「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†■2022年7月20日UP■
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†
【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→
「全目標達成」霊界から見るとそう見えるようですが肉眼には全くそうは見えません(祈)†■2022年7月27日UP■
「全目標達成」霊界から見るとそう見えるようですが肉眼には全くそうは見えません(祈)†
霊界側の真の目的は「霊的知識を物質界全土に普及させるためのインパクト」だったのではないかと思っているのです。確か以前どこかのブログで「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を霊団が「客寄せパンダ」として活用しているというのが真相なのではないか、といった趣旨の事を書きました。コチラ「ベールの彼方の生活 3巻8章 暗黒界の探訪」にありますように、霊界上層界の高級霊の方々は、圧倒的優位なポジションに立っている事を利用して下層界の低級霊の未熟さ、無能さ、愚かさを逆説的に自分たちの目的成就に活用する、といったお話が紹介されています。イエス様もこの暗黒界の探訪と同じように「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を手玉に取って自分たちの目的成就つまりスピリチュアリズム普及に徹底的に活用した、という事なのではないかと思ったりもするのです…続きを読む→

夜が訪れた。太陽という金色の稜(織物に使う道具)が、弛んだ縦糸を使って多色の衣服地を織ろうとしているかのように、ガリラヤの山々や湖の様子が無気味な色に見えていた。

ヘリとイエスは、岩だらけの道に立ってカルメル山の方角を眺めていた。少年イエスの心には、様々な疑問が浮かんでいた。海をへだてた向こう側にある外国はどんな処なのだろうかと。ヘリにきいてみた。ヘリは答えた。

「私には悲しい思い出があるのだよ。一体どんな人の中に真実があるのか、一生けんめい探し求めていたのだよ。こいつは本当に大変なことでね、ダイヤやオパールを探すよりもむずかしいのだよ。法律学者やパリサイ人にも逢ってみたが、全然だめだった。

私が若いころ決心して、色んな人間に逢って勉強したいと思ってね。石工として働きながら、あちこちの町々に行ってみたのさ。テベリヤ、それからピリポ・カイザリヤなどではね、異教の神々を祀る神殿の土台造りをやってみた。また、船員になって、アンテオケ、アテネ、アレキサンドリヤ、エペソといった大きな町にも行ってみたのさ。

ある期間中にその町々に住んでみて、色々な人と逢ってみたのだが、誰1人として幸せや平安を教えてくれたものはいなかった。ところがね、ある日のこと、東方からやってきた1人の男に私にその人の国に来てみないかとさそわれてね。もしかしたらお前の探しているものがみつかるかも知れないと言うのだよ。それで私は軍人になって、ある金持ちの商人に雇ってもらったんだよ。

この商人は、たいした方で、沢山の隊商を動かし、没薬、乳香、その他沢山の高価な商品をアラビヤ砂漠の向こうから運ばせていたのだ。それで宝物を泥棒から守る護衛に任命されたという訳さ。私はある時、インドの大きな町にやってきたとき、これが東方の世界だなと思ったのさ。

けれども私には、そこに喜びも平安も感じられなかったのだ。私は青春時代のすべてを賭けて探しだそうとしたのだが、段々とやる気を失ってね、いやになってしまったんだよ。大きな町には神様が住んでおられるとは思えなかったのだ。

王宮の周辺には、きらめくような寺院が並んでいた。王や支配者の華麗な建物とは裏腹に、狭くて汚ない小路をはさんで、飢えた人々や、障害者が住んでいるのだよ。曲りくねった道端には、目のない乞食が、あちこちにいて、両足をふるわせながら嘆き声をあげているんだよ。

主人の手で肢体をもぎとられた奴隷たちが路上に座っており、汚れきった小さな部屋の中には、病人がうずくまっているんだよ。どんな悪いことをしても、この町ではとるに足らぬ小さなこととして処理されてしまうのだ。

町がどんなに美しくても、私は苦悩している人々、貧しい人々、奴隷の流す涙などに目をつむることができなかったのだよ。しかもこの様な人々が浜の真砂のように沢山いるんだよ。イエスよ、人々が集まる町という所は、強盗と悪人の巣のようなものなんだ。喜びの代りに絶望が待ちうけているんだよ。

私は遂に荒野に出て、流浪を続ける一部族とばったり出逢ったのだ。この部族の人々はとても強く、烈しい性格で、時折お互いに斬り合ったり、旅人を襲ったりするんだ。彼らはまるで砂漠や岩山の陰に潜むハイエナみたいなやつなのだが、町の人々には見られないすばらしいものを持っているんだ。

自分がどんなに喉が渇いていても、水を求める人には水筒の水をそっくり飲ませてしまうような人類愛は、まさに王侯貴族に勝る気高さを感じさせるんだ。私自身がアラビヤの不毛な地を旅して死にかけていたとき救ってくれたのも、この砂漠の流浪部族だ。

そのおかげで、今まで失いかけていた神への信頼が呼び戻され、この連中と一層親しくなってしまったんだよ。烈しいこの人々には私が町の人々に発見できなかった知識と知恵があるんだよ。それで私はもう石工や船員や兵隊などをやめて、この連中と一緒に暮らすことにしたんだよ。流浪の旅というやつは、とても辛いものだが、ようやく今までの苦労がむくいられたという訳なんだ」

イエスはすっかりおどろいて尋ねた。「彼らはどんなすばらしいものを持っているんですか?」ヘリは答えた。「私が町でこせこせと暮らしていた時には、エホバ(神)の道は隠され、私の心は病んでいた。あの砂漠の中で流浪の部族と暮らしている時には、エホバの道は明るく私を導き、心のうちに喜びがあふれるのだ」

イエスはこの話を聞いてヘリに懇願した。「ねえ、僕もそこへ連れていって下さい」「今はだめだ、イエス。とにかくお前が今すぐやるべきことは、御両親と和解することだよ。お前の体は柔らかだから、到底やけつくような日射しのもとで、飢えの連続という厳しい生活は無理だ。3年がまんしろよ。

そうしたらきっとお前を連れてってやるよ!きっとお前は砂漠の古老から、エルサレムの律法学者や文献などでは得られない知恵を受けるだろうよ。神殿にたむろしている学者が口にすることは、まるでアジアの苦い葡萄酒のようで、我々の理解力を鈍らせるばかりか、世界の靄(もや)の中で手探りさせるばかりだよ」

イエスは力強く言った。「わかった。ヘリの約束を信じて待っています」「そうとも。必ず約束を果してやるよ。私はこの流浪人から始めて信仰の道を学ぶことができたんだからね。彼らは烈しく残酷なところがあるが、町の連中のように偽善はやらないぜ!彼らが口にする言葉は、まるで山に横たわる不動の岩山のように、真実そのものなんだよ」

2人は暫くの間沈黙しながら、金色に輝いているカルメル山が次第に夕闇に包まれていく光景を眺めていた。山の輝きが雲に蔽われていくさまは、実に神秘そのものであった。

2人は森まで降りると、夕食の仕度にかかった。火を熾し、魚を焼いた。水は小川からくんできた。月が頭上高くあがる頃、2人は残り火の上にポットを載せて薬草を入れ、煮だした。ヘリはイエスに病気の癒し方を伝授した。ひとつは、何種類かの草を混ぜ合せ、薬草の効力を高める方法と、もうひとつは、意識の働きによって治療者の体の中に治癒力を湧出させる方法であった。

夏の間、ヘリの董陶を受け、遂にイエスは自分の体の中に治癒力が湧き出るようになるのを感じた。そしてその力を病人に与える方法や、その力が尽きた時に補給する方法も会得することができたのである。

ヘリは、この少年が常ならぬ若者であることを感じ取っていた。彼の魂は強靱で、肉体は治癒力の倉庫にふさわしく清らかであった。彼は、医者として求められる、生命力の増強に適したあらゆる条件を備えていた。ヘリは細心の注意力をこめてイエスに言った。

「お前は、大人になったら、さぞかし大きな働きをするようになるだろうよ。でもな、断わっておくが、お前の力は、お前に心を開き、お前を信じようとしない限り癒すことができないよ。だから病人を見て、どうしたらこの人に信仰を持たせることができるかどうかをよく見極めた上でやることだね」

朝早く、日の出の頃をみはからって、ヘリはイエスを座らせ、治癒力を豊かに備えている目に見えない体(霊体、幽体)に刺戟を与え、その力をひき出す業を施した。この業を通して語られた知恵の言葉によって、イエスは、此の世のものではない天の知恵に充ち満ちた平和と甘美を味わったのである。

イエスは、週に3回ほど、陽が沈んでから、ナザレの丘のふもとまで降りてきて、マリヤ・クローパスと幼いヤコブと逢い、食べ物と様々な情報を受けていた。ある日のこと、幼いヤコブからとても悲しい報せを聞かされた。多くの人々が高熱にうなされているという報せであった。

ヨセフが可愛がっていたレアまでも高熱にやられ、危篤状態になっていた。イエスはころげるようにヘリの処へやってきて、ヘリに薬草を持ってナザレに行ってくれないかと哀願した。ヘリはうつむきながら答えた。

「私がナザレに行けば、みんな私めがけて石を投げつけるだろうよ。私がナザレを出るときには、私のことを砂漠の犬と罵ったくらいだからな。どうして私を軽べつした人々の手で私の平和をこわそうとするんだ。私は2度と町や村には行かないと心に誓ったんだよ。では、こうしようじゃないか。私がこの小川で休んでいる間、レアのことを観察してはどうだろう」

「此処から5キロ以上もある所で寝ている子供を、しかも4つの壁に囲まれている部屋の中をどうやってみることができるんですか?」「しっ!だまって。レアがこの小川の水面に映るかもしれないぞ!」ヘリはそう言いながら小さな岩で囲まれた池の水面を見おろしていた。

ひな鳥が母親の翼の陰でゆったりとしているような1日が流れた。やがて夜になってから、ヘリが頭をもたげながら言った。「こんな馬鹿げた連中には、レアの病気なんか治せっこないさ。みんなレアの周囲をびっしりとりまいているだけなんだ。

レアの熱はどうも最高に達しているようだが、僅かばかり体力が残っているから、もう3日間ぐらいはもつだろうな。今週の終り頃、安息日(土曜日)が来るまでは、死の天使の手にはかけられないだろうよ」とのことを聞いていたイエスは、もっと強くヘリに行ってほしいとたのんだが、頭をたてにはふらなかった。

「そうだ、お前の体に治癒力をみたしナザレに行かせよう!水がいっぱい入っている水差しのように、お前の体の中に治癒力が充満していれば、きっとお前が妹の生命を救えるかもしれない、少くとも死の道をたどっている苦しみを和らげてやれるはずだ」

イエスは、否応なしに彼の言うとおりに従った。それからヘリは、一昼夜の間、少女の体を蝕んで死に追いつめようとしている悪霊に打ち勝てるだけの強い力をイエスに授けるのに全力をかたむけた。ヘリは1時間程やすみを入れ、空飛ぶ燕のように心を解放した。弟子もよく師の言うことに従った。

もう一度あの小川の池を覗きこんだ。「ああ!レアがひどい熱にうなされているのが見えるぞ!お前の母さんがレアの部屋には居ない。馬鹿な連中が大勢レアのベッドの周囲でベチャクチャお喋りしてやがる、一体病人をなんだと思っているんだ。野性の驢馬のように大声で喋っていやがるんだ。お前の父さんは、どうしたらよいかわからずに、家中をうろうろしているだけだ」

イエスは言った。「ねえ、僕もう行ってもよいでしょう?」「いや、まだ早い」「レアが死んでしまったらどうするんですか。ただ、じっとここで彼女が死ぬのを待っているんですか」「お前が彼女を救うときがまだこないのだ。お前の体は疲れている。それじゃなんにもならないんだ。治癒力がまだ充分じゃないんだよ」

「愛するレアが死んでしまう!」イエスは両手をねじり、頭を垂れ、初めて味わう深い悲しみにわなわなと手足をふるわせていた。ヘリは鋭い口調でイエスに言った。「私の言う通りにしなさい!そうすればレアは助かるだろう。私にさからえばレアの生命は保証できない!」

イエスはもう何も言わず、賢者の後に従って山から降り、湖の岸辺までやってきた。ヘリは何時間も黙っていることがあった。この夜ばかりは彼の無言はこたえた。2人は無言のまま歩き、小山の処に来て乾いた葉を敷いた。ヘリはただひとこと「ねなさい!」と言った。イエスはそこで横になった。湖畔の柳の樹々が星の光をさえぎっていた。深い眠りが彼の瞼を閉じさせた。

イエスが目をさましたときは、あたかもリンゴの花の満開のときのように、熟睡のあとの爽やかさを味わった。そのとき、ヘリが遂に口を開き、イエスに命令した。

「ただちにナザレに行きなさい。右にも左にも曲がらずに、真っすぐお父さんの家に急ぎなさい。お前が悪霊をたたき出すんだ!お前が偉大な霊の力から流れ出る美しい旋律の容器となって働くのだ。ひとつだけ忠告をしておこう。恐れないことだ。

恐れることは霊力の援軍を裏切る行為なのだ。怒ってはいけない。また悲しみに負けてはならない。感情に負けて理性を失わないように気をつけるんだ。感情でぐらついた体や心は、偉大な霊の力に仕えることができないからだ」

イエスは頭をたてにふり、彼の親切な忠告に充分気をつけますと返事をした。イエスはまたたく間に姿を消した。イエスに知恵を伝授したこの流浪の人は溜息をついて、独り言を言った。

<彼は自分では気付いてはいないが、もうすでに1人前の教師になっている。何年も苦労し、食を断って修業した私にも、まだ与えられていない大きな霊力がすでに備わっているようだ。彼ほど心の美しい汚れのない人間は他に見たことがない。娑婆で汚されなきゃいいのだが>

「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「クスリ」霊団が意図的に僕を苦しい状況に閉じ込めているという意味です(祈)†■2023年1月18日UP■
「クスリ」霊団が意図的に僕を苦しい状況に閉じ込めているという意味です(祈)†
海で隔てられていても大霊の前では兄弟であり姉妹なのです。私たちの教えは単純です。しかし真実です。自然の摂理に基づいているからです。摂理を無視した方法で地上世界を築こうとすると混乱と無秩序が生じます。必ず破綻をきたします。忍耐強い努力と犠牲を払わない事には、これからも数々の戦争が起きる事でしょう。タネを蒔いてしまった以上はその産物を刈り取らねばなりません。因果律はごまかせないのです。流血の争いというタネを蒔いておいて平和という収穫は刈り取れません。他国を物理的に支配せんとする欲望の張り合いをしながら、その必然の苦い結果を逃れる訳にはまいりません。愛のタネを蒔けば愛が実ります。平和のタネを蒔けば平和が実ります。互助のタネを地上のいたるところに蒔いておけば、やがて互助の花が咲き乱れます。単純な真理なのです。あまりに単純すぎるために、かえって地上の“お偉方”を当惑させるのです…続きを読む→
「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†■2022年12月14日UP■
「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†
僕は間違いなく「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺される→霊団はその危機を回避させようとして明仁、文仁、徳仁、悠仁および奴隷の女の子の情報を僕に降らせないようになっている(イヤ少しは降らせてきていますが)→僕の使命遂行の力点を明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出から交霊会開催へと転換させようとしている→しかしサークルメンバー問題が解決しないので僕の霊媒発動はない→邪悪は滅ぼそうとしない、奴隷の女の子は助けようとしない、交霊会はできない、全く目標に到達せずただ苦難ばかりを延々とやらされる状況に突入しているために、僕の霊団への怒りが制御不能に達する→交霊会ができない不足分を「絶版書籍の復刊」の作業で補いつつ、霊団に破壊された生活を何とか少しでも改善させようと僕は「反逆」を開始するが、一向に反逆は完成しない…続きを読む→

WordPress霊関連書籍ヘッダー霊媒の書

他の霊関連書籍同様、霊媒の書も既にテキスト化は完了させてあり、あとは最終の見直しをおこなえばWordPressにUPできるところまでこぎつけてありますが、実はこの霊媒の書、頭からしっかり読んだ事がなかったのでした。

どうも入っていきにくい文体で読み進められなかったからなのですが(オメィの文章も十分読みにくいよ、と突っ込まれそうですが)霊団がずっとずっと交霊会、霊媒発動関連の事を言い続けてきますし、僕としても自身からもし新規の霊言が降ってくるのであればそれを書籍化して発行するつもりでいますので「霊媒の書の内容をしっかり頭に入れておくべきではないか」と思い始めたのでした。今日の長文ブログをUPした直後の事でした。

その僕の思念を受けて今日のトランス時、霊団が「自分を追いつめないで」と霊聴に言ってきたのです。なんですと?これは要するに「アキトくんを霊媒として使用する準備はコチラ(霊界)で十分に整っている、キミの側で今からアレコレする必要はもうない」という意味に聞こえます。

イヤ準備は整ってないと思うんだけど、整ってたらとっくに交霊会やってるはずだろ。最高に首を傾げつつクロッキーにメモしたのですが、まぁ僕は本を読むのは日常行為ですので霊媒の書、読むだけはしっかり読んで頭に入れておいていいのではないでしょうか。

変にプレッシャーを感じなくていい、それより怒りの感情を鎮めて受容的態度を維持してくれた方がコチラとしては全然助かる、という意味かも知れませんが。まぁそれは納得。

さぁフラー25の作業続行中ですが配色にかなり頭を悩ませていました。何とか方向性が固まってきました。まずは選択範囲を切り終えます。そこからカラーリング最終行程シャドウハイライトに入り、完成となります。急げ、急げ、急ぎまくれ、霊媒の書、読まなくていいってドォユゥ事だ?よく分からないなぁ(祈)†
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「出版社」霊団が僕に「サイキック・ニューズ社」をやれと言ってきているのです(祈)†■2023年5月17日UP■
「出版社」霊団が僕に「サイキック・ニューズ社」をやれと言ってきているのです(祈)†
出版社を立ち上げる事自体はすごく簡単です。ISBNを取得するだけで、どこぞに申請を出すとかそういう必要もありません「僕、今日から出版社をやるわ♪」と宣言すればそれで出版社が立ち上がった事になります。出版業ほど興すのが簡単で継続の難しい事業はない、という言葉もあるようです。僕はAmazonでの電子書籍制作の経験もあり、元々デザインの人間ですのでその手の作業に全く抵抗がなく、電子書籍のみならず紙の書籍のデータ制作も全く問題なくおこなえます(AffinityPhotoおよびAffinityPublisher使用)さらに僕はムービー制作能力も有しており、さらに「字幕(.srt、.vtt)」も扱えます。つまり僕という霊媒から降った霊言をムービー化してYouTubeにUPする作業も全てひとりでおこなえるという事になります。とにかく僕という霊媒から霊言が降ってくれば、ありとあらゆる方法でその霊言を拡散させるスキルを僕は所有しているという事です。…続きを読む→

現在フラー25選択範囲85%完了中。時間かかりすぎ、作業負荷高すぎ。もう終わらせないといけない、何としてもUPまでこぎつけるために急ぎまくってます。しかしこれだけ苦しい思いを味わって毎回「もうフラーの新規デザインやめようかな」という思いが脳裏によぎりながらも次の新規デザインを始めてしまうんですよね。霊団によほど止められない限りは続けてしまうのかも知れません。

次回フラー26は「新規ギミック」にてデザインするつもりでいます、一応クロッキーに向かって格闘してみるつもりですが、この新規ギミックはデザインする前からムズカシイ事が分かるアイデアで、挫折率が超高いですが、フラー01ver3.0のキャラ、レオの時も何度となくボツを繰り返して確か1年くらいかけてようやくカタチにしたという事もありましたので、考えるだけは考えてみましょう。

そして先ほどのブログでも書きましたが、自分で出版社を立ち上げて書籍を出すのは「現在の僕には99%不可能」ですので、同人かAmazonで出すという事になります。とにかく原稿は書き始めましょう。書かない事には何も始まりませんので。

まずはフラー25にケリをつける。集中集中最大集中中(祈)†

「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→

230621悔し涙を拭う必要はありません

ティラノビルダー、ティラノスクリプトで読書アプリを制作中に霊団が「出版社設立」に関連した事を連発で言ってきて、読書アプリの作業が中断してアレコレ調べるハメになっていますが、おかげでいろいろ分かりました。今後の活動の参考になるのは間違いないでしょうが、まずは削除せずに残したインスピレーションをこのように羅列してみます↓

【目次】霊団が降らせたインスピレーション(祈)†

もう霊団は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡につながるような事は全く言ってこない、しかし先ほど少しだけ奴隷の女の子に関する事を言ってきました。ただしそれは全く皆さまにお話できない内容なので削除せざるを得ませんでした。さぁインスピレーションの説明に入りましょう。

それよりもまず出しましょう 自社製品 人々が恩恵を受けられますように、そして うまい企業です 委託

230621人々が恩恵を受けられますように、そして

まずコチラの書籍を読了しています↓

書籍ひとり出版入門

デザインの世界の方が書かれた書籍という事で僕にとって大変親しみやすく、文体はサラッとしていながらその意味するところは深長で奥が深く、かなり良い本だと思いました。

そしてこの書籍でお勉強して獲得した知識と僕の使命遂行を照らし合わせて到達した現時点での回答としましては…「ISBN取得はとにかく僕にはムリ」「ISBNなしで書籍を出すとなれば“同人”か“Amazon(電子書籍およびペーパーバック)”しかないという事になる」「伏せ字ナシで書籍を書くなら同人、伏せ字アリで書くならAmazon」という感じでしょうか。

しかし霊団はそうは思っていないようで、それがインスピレーションに現れています。まず「それよりもまず出しましょう 自社製品」ですが、要するに僕が出版社を立ち上げて書籍を刊行できると言ってきているのですが、イヤISBN取得がとにかくムリ、ISBNが取れなければ出版社設立もできませんので、現時点の僕には設立はムリと考えています。しかし霊団はやれと言ってきています。

「人々が恩恵を受けられますように、そして」これは僕が出版する書籍に霊的知識が多数含まれていて、それが読者の方々の霊的知識の理解の助けになり、恩恵になるという趣旨の事を言っているのですが、それはもちろん僕もそういう風になったらうれしいです。しかし本は書けるとしても自分の出版社で刊行するのは現状ムリと思っています。

「うまい企業です」これも僕が立ち上げる出版社の事を言っているようなのですが、だぁかぁらぁISBN取得がムリって言ってるでしょ。

「委託」これは同人委託販売の事を言っているのかも知れません。つまり同人を作って自分で梱包、発送までやるのは相当キビシイ、それで委託するという意味で、同人活動をされている方々にとっては当たり前の事でしょうが、例えば「Booth」とかがあります。

で、僕が書く(かも知れない)書籍はBoothだろうが他の委託だろうが、とにかく書籍の内容で蹴られる(登録できない)と思っていまして、Boothに委託したいなら同人であっても伏せ字アリの書籍にしなければならない、どうしても伏せ字ナシで書籍を出したいなら自宅発送にするしかない。しかし間違って売れちゃったりなんかしたら地獄が待っている、間違いなく梱包に忙殺されて使命遂行が止まる。

まぁ霊団は何度も「バキュン作戦(伏せ字の事)」と言ってきていますので伏せ字アリでAmazonで電子書籍およびペーパーバックを出すというのが現状もっともスマートでしょう。ただし霊団はそうは思っていないようです。イヤ僕だって出版社やれるものならやりたいですよ。ISBN取得がとにかくムリなんですよ。

↑目次へ↑

申し訳ありませんが 申し訳ないんだけど

230621申し訳ないんだけど

このインスピレーションに始まった事ではなく、霊団からはもう何年も前から数えきれないくらい謝罪の思念が降ってきていまして、そのたびに僕は「口だけなら何とでも言えるだろ、その謝罪の意思を行動で示せよ」と思念を返しているのですが、霊団は霊聴にピーチクパーチク言ってくる以外の事はなにも降らせてきません。

まぁ「何もやろうとしない」というより「できない」と言った方が正しいです。霊界から物質界に働きかけるには様々な微妙なエネルギーの調整を必要とし、環境が整わなければ何も為し得ないのです。ましてや僕は霊団に対する怒り憎しみの念で心が満たされていますので、なおさら霊界からの援助の通路が塞がれてしまっているのでしょう。

何が「申し訳ない」のかの説明はしたくありません。僕がイヤでイヤでどうしようもない事を結果的にやらせる事になってしまっている事に対して霊団が謝罪してきているという説明で止めておきます。それ以上はご勘弁下さい。

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本格的に稼働したら15年 サンキュー 4人いればいいんだよ よく軽々しく3人をまとめられたもんだよ

これがまたしても「交霊会」「僕という霊媒を使用して霊言を降らせる」事に関するインスピレーションで、サークルメンバー問題解決の糸口が全くないから交霊会などできないとずっと言っているのに霊団はそうは思っていないらしく、まだ性懲りもなくこういう事を言ってきます。

「本格的に稼働したら15年」僕という霊媒が機能したら、霊団側は僕を使用して15年にわたり霊言を降らせるつもりという意味で、僕としてももちろんそうなったら最高だと思っていますが、全く環境が整っていないのにどうやってそれを実現させるつもりでいるのか、首を傾げずにはいられません。

「サンキュー」もう交霊会がおこなわれているかのような言い回しです。どういう事なんだ。

「4人いればいいんだよ」「よく軽々しく3人をまとめられたもんだよ」これはどうやらサークルメンバーに関するインスピレーションのようでが、シルバーバーチ霊が書籍の中でも仰っていますように、サークルメンバーは最低でも3人は必要との事で、この霊団のインスピレーションも大体同じような数字を言ってきています。

僕がサークルメンバーをまとめるような趣旨の事も言ってきていますが、それはもちろんそういう状況になればそういう風にしますけども、霊的知識を理解していてサークルメンバーになり得る人間が、僕の身近に全くいない事は僕より霊団の方が分かっているはずです。一体どういうつもりでこういう事を言ってくるのでしょうか。

※ひとりだけ霊的な事に興味を持ってくれている友人が存在しますが、そのひとりだけではサークルメンバーとして全く足りません。僕の知らないところで僕のWordPressを読み続けていて霊的知識をかなり獲得してくれている人間がいるという意味かも知れませんが、少なくとも僕の目にはそういう様子は全く映じません。僕の近辺にそういう人間がいるとは全く感じられません。

※そして何より霊性発現初期の頃に僕は霊団に言われて「サークルメンバー集め」に奔走させられた事があり、それが思い出したくない最悪の体験であり、もう2度とあんな状況に突入するつもりはありません。まさか霊団はまたあの最悪を僕にやらせるつもりじゃないだろうな。断固拒否。

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51 19 ワープ

まず「51」これはアナログ絵51の事を言っているものと思われますが↓

アナログ絵51

これは相当昔に描いた絵ですので現在の使命遂行の状況とだいぶ異なりますが、ただ絵の右側に書いてある霊媒発動にまつわるテキストは僕の本心であり、僕だって霊団に最大レベルに反逆こそしていますが別に霊媒として仕事する事を拒絶している訳ではないのです。やれるならもちろんやりたいのです。

そして僕はデザインの人間であり、豊富な情報拡散能力を有しています。絵、Web、ムービー、アプリ、書籍等々…僕という霊媒がもし機能しようものなら、僕は持てる能力の全てを駆使して徹底的にありとあらゆる方法で僕という霊媒から降った新規の霊言を物質界に拡散させる事をやるつもりでいるのです。出版社もその拡散カードの中のひとつという事になります。

そして霊団が「51」と言ってきた真の意図は、絵の上部のイエス様の「満足である」というお言葉の強調ではないでしょうか。天界のイエス様に(この絵を描いた当時のみならず現在も)そう思って頂けるのであれば、これ以上の光栄はないのですが、イエス様が満足しておられても僕は満足していません。全然物質界の仕事が前進していないじゃないですか。

あと「19」これも相当大昔に描いたアナログ絵19の事を言っているものと思われるのですが↓

アナログ絵19

この絵を理解するためにはコチラの過去ブログをご覧頂かねばなりませんのでぜひ合わせてお読みください↓

2013年7月26日に書いたブログ「青いグミと赤いグミ」(祈)†
WordPress
wp.me/pa9cvW-2sq
これは僕が帰幽後に「赤いグミ」となって上層界へ赴くという意味なのですが、それは僕個人としては有り難い事ですが使命遂行的にはそれでは全く不完全燃焼であり、イエス様は満足でも僕は全然満足できません。

「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は全然滅亡させられていない、奴隷の女の子はひとりたりとも助けてあげる事ができていない、全然物的肉眼に映じる結果に到達してないじゃないですか。不完全燃焼すぎてフラストレーションたまりまくりです。

「ワープ」これは僕の霊的進歩向上のスピードの事を言っているものと思われます。大昔にこのようなブログを書いた事もありました↓
■2019年1月21日UP■
※だいぶ前に書いたブログです。 “こんなにうまく行ったのは過去例がない”これはイエス様ハンドリングがうまく行ったという霊団からのメッセージなのです祈†
“過去例がない”つまり、霊界に記録が残されている、地上に降下して霊的使命を遂行し、一死奉公をした過去三千余年の霊覚者たち、その誰も到達し得なかったエリアにまで僕は到達する事ができた、そういう意味のようなのです。以前「100%霊界新記録」ともインスピレーションを受け取らせて頂いていますし…続きを読む→

僕の霊的向上のスピードが「霊界新記録」と言いたくなるほど速いという事らしいのですが、それは僕の能力でそうなったのではなく、何度も書いていますように「守護霊様の導きがウマすぎた」という事であり、それで僕は守護霊様に永遠の恭順を誓っているのです。

「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†■2022年4月20日UP■
「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†
あなたの愛する男性、女性は性格の優しい、正しい行いをする、あなたにとって愛すべき人物だとします。あなたはそれを長い年月にわたって共に生活してきた事によって知っており、その人物を愛するに至っています。また、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の、これまで歩んできた苦難の道のり、獲得してきた知識と叡智の深さ、経験から導き出される慈愛の態度を、これまでのお付き合いによって認識しており、あなたはその師に対して深い尊敬の念を覚えるに至っています。しかし、あなたの愛する人物、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の人格、性格、人となり、これまでの苦難の道程を全く理解していない赤の他人が、何も知らない分際であてずっぽうで「こいつはこういう最低の人間だ、こいつは頭の悪い、おかしな奴だ」と言いふらしたとしましょう。皆さまはそれをどのように受け止められますか…続きを読む→

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もう2年が経過する

何が2年なのか全然意味が分かりません。僕の霊性発現は2012年6月。もう11年が経過しています。最低最悪の11年でした。イヤまだ最悪が続きます。何が2年なのか全く意味不明。

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再びこちらに目を向けて欲しく思う 最高レベルの波長に感応するべく

僕は山に向かうロングドライブの時にずっと、ずっと、本当にずぅぅぅっと、霊関連書籍をMP3化したモノを聞き続けているのですが、今回もシルバーバーチ霊の言葉をずっと聞きながら運転していました。そしてもう内容を全部覚えているくらい聞き続けているのに、未だにその内容に感動させられるのです。

「再びこちらに目を向けて欲しく思う」「最高レベルの波長に感応するべく」このインスピレーションは、シルバーバーチ霊の言葉に感動していた僕に対する霊団の言葉で、これもやはり僕という霊媒を機能させるというニュアンスが感じ取れます。

もし僕が本当に霊媒として機能して新規の霊言が僕という通路からドッカンドッカン降ってくるようになったら、僕の霊団への怒り憎しみの念はだいぶ和らぐでしょうね。とはいえ「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させるつもりが全くない、奴隷の女の子を完全に見殺しにするつもりというその姿勢に対してだけは怒りの念を感じ続けるでしょうが。

「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†■2022年6月29日UP■
「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†
神を侮るべからず。己の蒔きしものは己が刈り取るべし(ガラテア6・7)神の摂理は絶対にごまかされません。傍若無人の人生を送った人間が死に際の改心でいっぺんに立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染込んだ汚れが、それくらいの事で一度に洗い落とせると思われますか。無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切おろそかにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。“すみませんでした”の一言で全てが赦されるとしたら果たして神は公正であると言えるでしょうか…続きを読む→

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見えざる存在のやっている仕事を笑ってはいけません 鼓舞するであろう 困難を克服する

230621見えざる存在のやっている仕事を笑ってはいけません

まず「見えざる存在のやっている仕事を笑ってはいけません」ですが、これは僕が現在OCR変換テキスト見直しをおこなっている「ベールの彼方の生活 2巻」の内容に関連したインスピレーションで、今回のブログでぜひ抜粋しようと思っていた部分について言っているのです。それはコチラの内容です↓

4章 天界の“控えの間 – 地上界
3 “下界”と地縛霊
1913年11月28日 金曜日
人類の救世主、神の子イエス・キリストが“天へ召される者は下界からも選ばれる”と述べていることについて考察してみたい。下界に見出されるのみならず、その場において天に召されるという。その“下界から選ばれる者”はいずこに住む者を言うのであろうか。これにはまず、イエスが“下界”という用語をいかなる意味で用いているかを理解しなければならない。この場合の下界とはベールの彼方においてとくに物質が圧倒的影響力をもつ界層のことを指し、その感覚に浸る者は、それとは対照的世界すなわち、物質は単に霊が身にまとい使用する表現形体に過ぎぬことを悟る者が住む世界とは、霊的にも身体的にも全く別の世界に生活している。それ故、“下界の者”と言う時、それは“霊的な意味において地上に近き界層”にいる者を指す。時に地縛霊と呼ぶこともある。肉体に宿る者であろうと、すでに肉体を棄てた者であろうと、同じことである。

身は霊界にあっても魂は地球に鎖(くさり)でつながれ、光明の世界へ向上して行くことが出来ず、地球の表面の薄暗き界層にたむろする者同士の間でしか意志の疎通ができない。完全に地球の囚われの身であり、彼らは事実上“地上的環境”の中に存在している。さてイエスはその“下界”より“選ばれし者”を天界へ召されたという。

その者たちの身の上は肉体をまとってはいても霊体によって天界と疎通していたことを意味する。その後の彼らの生活態度と活躍ぶりを見ればその事実に得心が行く。

悪のはびこる地上をやむを得ぬものと諦めず、悪との闘いの場として敢然と戦い、そして味方の待つ天界へと帰って行った彼ら殉教者の不屈の勇気と喜びと大胆不敵さは、その天界から得ていたのであった。そして同じことが今日の世にも言えるのである。

これとは逆に地上の多くの者が襲われる恐怖と不安の念は地縛霊の界層から伝わって来る。その恐怖と不安の念こそがそこに住む者たちの宿業なのである。肉体はすでに無く、さりとて霊的環境を悟るほどの霊覚も芽生えていない。

が、それでも彼らはその界での体験を経て、やがては思考と生活様式の向上により、それに相応しい霊性を身につけて行く。動かくて人間は“身は地上にあっても霊的にはこの世の者とは違うことが有り得る”という言い方は事実上正しいのである。

これら2種類の人間は、こちらへ来ればそれ相応の境涯に落着くのであるが、いずれの場合も自分の身の上については理性的判断による知識はなく、無意識であったために、置かれた環境の意外性に驚く者が多い。

このことを今少し明確にするために私自身の知識と体験の中から具体例を紹介してみよう。曽て私は特別の取り扱いを必要とする男性を迎えに派遣されたことがある。

特別というのは、その男は死後の世界について独断的な概念を有し、それに備えた正しく且つ適切な心がけは“かくあるべし”との思想を勝手に抱いていたからである。地球圏より2人の霊に付き添われて来たのを私がこんもりとした林の中で出迎えた。

2人に挟まれた恰好で歩いて来たが、私の姿を見て目が眩んだのか、見分けのつかないものを前にしたような当惑した態度を見せた。私は2人の付き添いの霊に男を1人にするようにとの合図を送ると、2人は少し後方へ下がった。男は始めのうち私の姿がよく見えぬようであった。

そこで、こちらから意念を集中すると、ようやく食い入るように私を見つめた。そこでこう尋ねてみた。「何か探しものをしておられるようだが、この私が力になってさしあげよう。その前に、この土地へお出でになられてどれほどになられるであろうか。それをまずお聞かせ願いたい。」

「それがどうもよく判りません。外国へ行く準備をしていたのは確かで、アフリカへ行くつもりだったように記憶しているのですが、ここはどう考えても想像していたところではないようです。」

「それはそうかも知れない。ここはアフリカではありません。アフリカとはずいぶん遠く離れたところです。」

「では、ここは何という国でしょうか。住んでいる人間は何という民族なのでしょうか。さきほどのお2人は白人で、見なりもきちんとしておられましたが、これまで1度も見かけたことのないタイプですし、書物で読んだこともありません。」

「ほう、貴殿ほどの学問に詳しい方でもご存知ないことがありますか。が、貴殿もそうと気づかずにお読みになったことがあると思うが、ここの住民は聖人とか天使とか呼ばれている者で、私もその1人です。」

「でも…」彼はそう言いかけて、すぐに口をつぐんだ。まだ私に対する信用がなく、余計なことを言って取り返しのつかぬことにならぬよう、私に反論するのを控えたのである。何しろ彼にしてみればそこは全くの見知らぬ国であり、見知らぬ民族に囲まれ、1人の味方もいなかったのであるから無理もなかろう。

そこで私がこう述べた。「実は貴殿は今、曽てなかったほどの難問に遭遇しておられる。これまでの人生の旅でこれほど高くそして部厚い壁に突き当ったことはあるまいと思われます。これから私がざっくばらんにその真相を打ち明けましょう。

それを貴殿は信じて下さらぬかも知れない。しかし、それを信じ得心が行くまでは貴殿に心の平和はなく、進歩もないでしょう。貴殿がこれより為さねばならないことは、これまでの一切の自分の説を洗いざらいひっくり返し裏返して、その上で自分が学者でも科学者でもない、知識の上では赤子に過ぎないこと、この土地について考えていたことは一顧の価値もない – つまり完全に間違っていたことを正直に認めることです。

酷(こく)なことを言うようですが、事実そうであれば致し方ないでしょう。でも私をよく見つめていただきたい。私が正直な人間で貴殿の味方だと思われますか、それともそうは見えぬであろうか。」

男はしばし真剣な面持(おもも)ちで私を見つめていたが、やがてこう述べた。「あなたのおっしゃることは私にはさっぱり理解できませんし、何か心得違いをしている狂信家のように思えますが、お顔を拝見したかぎりでは真面目な方で私の為を思って下さっているようにお見受けします。で、私に信じてほしいとおっしゃるのは何でしょうか。」

「“死”についてはもう聞かされたことでしょう。」「さんざん!」「今私が尋ねたような調子でであろう。なのに貴殿は何もご存知ない。知識というものはその真相を知らずしては知識とは言えますまい。」

「私に理解できることを判り易くおっしゃって下さい。そうすればもう少しは呑み込みがよくなると思うのですが…」「ではズバリ申し上げよう。貴殿はいわゆる“死んだ人間”の1人です。」

これを聞いて彼は思わず吹き出し、そしてこう述べた。「一体あなたは何とおっしゃる方ですか。そして私をどうなさろうと考えておられるのでしょうか。もし私をからかっておられるだけでしたら、それはいい加減にして、どうか私を行かせて下さい。この近くにどこか食事と宿をとる所がありますか。少しこれから先のことを考えたいと思いますので…」

「食事を取る必要はないでしょう。空腹は感じておられないでしょうから宿も必要ありません。疲労は感じておられないでしょうから…それに夜の気配がまるで無いことにお気づきでしょう。」

そう言われて彼は再び考え込み、それからこう述べた。「あなたのおっしゃる通りです。腹が空きません。不思議です。でもその通りです。空腹を感じません。それに確かに今日という日は記録的な長い1日ですね。わけが分りません。」

そう言って再び考え込んだ。そこで私がこう述べた。「貴殿はいわゆる死んだ人間であり、ここは霊の国です。貴殿はすでに地上を後にされた。ここは死後の世界で、これよりこの世界で生きて行かねばならず、より多く理解して行かねばならない。

まずこの事実に得心が行かなければ、これより先の援助をするわけには参りません。しばらく貴殿を1人にしておきましょう。よく考え、私に聞きたいことがあれば、そう念じてくれるだけで馳せ参じましょう。それに貴殿をここまで案内してきた2人がいつも付き添っています。

何なりと聞かれるがよろしい。答えてくれるでしょう。ただ注意しておくが、さきほど私の言い分を笑ったような調子で2人の言うことを軽蔑し嘲笑してはなりません。謙虚に、そして礼儀を失いさえしなければ2人のお伴を許しましょう。貴殿はなかなか良いものを持っておられる。

が、これまでも同じような者が多くいましたが、自尊心と分別の無さもまた度が過ぎる。それを2人へ向けて剥(む)き出しにしてはなりませんぞ。その点を篤と心してほしい。

と言うのも、貴殿は今、光明の世界と影の世界との境界に位置しておられる。そのどちらへ行くか、その選択は貴殿の自由意志に任せられている。神のお導きを祈りましょう。それも貴殿の心掛け1つに掛かっています。」

そう述べてから2人の付き添いの者に合図を送った。すると2人が進み出て男のそばに立った。そこで3人を残して私はその場を離れたのであった。

– それからどうなりました。その男は上を選びましたか下を選びましたか。

その後彼からは何の音沙汰もなく、私も久しく彼のもとを訪れていない。根がなかなか知識欲旺盛な人間であり、2人の付き添いがあれこれと面倒を見ていた。が、次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。

そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。

そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。

やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†

はい、長文をいとわず抜粋させて頂きましたが、これは全人類が理解しなければならない必須中の必須の霊的知識と言っていいと思います。こういう風に霊的な事を子バカにしている人間が物質界には本当に恐ろしいほどたくさんいて、帰幽後の霊界生活でその間違った認識を苦悶と恥辱の中に修正、反省させられるという事なのですが、ザブディエル霊も仰っていますように「こうしたことはよくあることである」そうです。

で、たとえば僕が帰幽後にこのような中間境に置かれたとしましょう。僕はその時「こうするつもり」でいるのです。※この部分をブログに書かせるために霊団は「見えざる存在のやっている仕事を笑ってはいけません」のインスピレーションを降らせてきたものと思われます。

それは「僕が中間境(上か下か選択できる境涯)に置かれたという事は、現時点の僕がまだ上層界に赴く資格に到達していないという事だ。ならその人格的に足りない部分を遅かれ早かれお勉強(修正)しなければならないので、時間のムダを省いて今すぐ下層界に降下してお勉強してきます」と指導霊に告げ、自ら志願して降下するつもりでいるのです。

僕が上層界に赴く資格十分と判断されていれば上か下かの選択を迫られる境涯に置かれる事もなかったでしょうし、ザブディエル霊(上層界の天使)の僕への応対もこの書籍の内容とは違っているはずです。

我を張りたきゃ張ればいい。その分進歩が遅くなる。僕は素直に自分の人格の不足を認めてお勉強する道を選択する。この「ベールの彼方の生活 2巻」のお話をテキスト修正しながら、僕はそんな事を考えたのです。

霊界においては「謙虚」が進歩向上の絶対的要素となります。自分よりはるかに霊格の高い方(僕たちよりはるかに長い年月を生き、様々な苦難を克服して人格が研ぎ澄まされた方々、人生の諸先輩方という事)に対する尊敬と敬意を示せない人間は、その愚かな考えが正されるまで下層界で苦しい思いを味わわされる事になります。

そしてそのお勉強はほかならぬ物質界生活中にやっておかなければならないものであり、物質界という試練の境涯の存在意義を理解する事が自身の霊的向上にとって大変重要である事を教えてくれるストーリーなのです。

ちなみに近藤千雄先生も書籍の中でこのように仰っています↓

シルバーバーチの霊訓 6巻6章より抜粋

– いつまでも地上的名誉心や欲望の中で暮している人が実に多いのである。ではそうならないためにはどういう心掛けが大切か – これは今さら私から言うまでもなく、それを教えるのがそもそもシルバーバーチ霊団が地上へ降りてきた目的なのである。

具体的な事はこうして霊言集をお読み頂いている方には改めて申し上げるのは控えるが、ただ私から1つだけ付け加えたい事は、あちらへ行って目覚めた時に必ず付き添ってくれる指導霊の言う事に素直に従う事が何よりも大切だという事である。

この近藤先生のお言葉は「名言中の名言」と言っていいでしょう。この霊的知識を知っているのと知らないのとでは、帰幽後の霊的進歩向上に天と地ほどの差が生じるでしょう。賢き方々はこの知識を謙虚と共に獲得し、愚かなる者は軽蔑と嘲笑をもって拒絶し、このストーリーの男性のように苦悶と恥辱を味わわされる事になるのです。

あと「鼓舞するであろう 困難を克服する」ですが、僕という霊媒を機能させて新規の霊言を物質界に降らせるために、霊界側で僕をそのように導くという事でしょう。困難を克服する、つまり交霊会をおこなえずにいる障壁を取り除けるという意味なのかどうか。チョト分かりませんが。
「強制的に合体」これは支配霊バーバネル氏が強制的に僕という霊媒を使用するつもりという意味です(祈)†■2022年11月9日UP■
「強制的に合体」これは支配霊バーバネル氏が強制的に僕という霊媒を使用するつもりという意味です(祈)†
皆さまは「死ぬのが怖い」ですか。それは間違いです。僕たち人間に「死」はありません。僕たち人間は【神】から神性の火花つまり個的存在を賜って永遠に個性を失わない存在となりました。それ以前は類魂に埋没する存在だったのですが、人間となった僕たちは物質界を離れて以降も霊界にて霊的表現媒体をまとって永遠の進歩向上の生活を続けるのです。霊界で生活している方々は、よほどどうしようもない理由でもない限り物質圏付近に降下しようとは思いません。霊界とは(もちろん上層界と下層界とでは天と地の差がありますが)よほどの極悪人、未熟霊でない限りは大抵の場合幸福な境涯に赴き、物質界生活時には想像もしなかった喜びにあふれた生活を味わって激しく心を撃たれます…続きを読む→

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悲しみのために建てられるのではない 喜んで下さい 悔し涙を拭う必要はありません 希望は捨てないで

230621悔し涙を拭う必要はありません230621希望は捨てないで

はい、今回は複数の意味深長な幽体離脱時映像が降ってきていたのですが、どうにもこうにも霊団が言わんとしている意味を解釈する事ができず、残念ながらそれらを削除し「悔し涙を拭う必要はありませんのインスピレーションをブログタイトルに冠する事としました。

ではインスピレーションの個別に入ってみますが「悲しみのために建てられるのではない」これは何が建てられるのかが全然分からないのですが、ただこのインスピレーションを見る時「ベールの彼方の生活 1巻」のオーエン氏のご母堂の言葉が僕の頭によぎったのでした。こちらの部分です↓

1章 暗黒の世界
3 バイブレーションの原理 ※より抜粋1913年 9月25日 木曜日

聖書の中に主イエスがペテロの事を自分への反逆者であるかの如く述べた部分があり、あなたはその真意を捉えかねている様子だから、今夜は十分ではないけど是非その事を明らかにしてみたいと思います。

ご存知の通り、その時イエスはエルサレムへ行く途中でした。そして弟子たちに対し自分はエルサレムで殺されるであろうと述べます。その時のイエスの真意は、自分が殺される事によって一見自分たちの使命が終わったかの如く思われるかも知れないが、見る目をもつ者には – 弟子たちがそうであって欲しいとイエスは思った事でしょうが – 自分の真の目的はそれまでの伝道の道よりも遥かに強力にして栄光ある発展のための口火を切る事であり、それが神より授かった地上人類の霊的高揚の為の自分の使命なのだという事でした。

ペテロはそれが理解できない事を彼なりの態度で示しました。当然であり無理もない事です。がこの事についていつも見落とされている事があります。それは、イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。

それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。

悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。

もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。

そして遂にそうなりました。最もそれは悲しみの奥義を理解できるようになってからの事です。理解と言っても限られた程度のものでした。が、ある程度の理解は確かにできたのでした。

このオーエン氏のご母堂の「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」の部分は本当に意味深く、僕は長い年月にわたり霊団主導で最低最悪の人生をやらされてここまできていますので心に激しく突き刺さるのですが、何が建てられるのかは分からないのですが、たぶん「霊的橋頭堡(きょうとうほ)」ではないかと仮定し、その霊的橋頭堡が「悲しみのためでなく喜びのための建てられるのだ」と言っているような気もします。

「喜んで下さい」これも僕の帰幽後のお話のような気もします。物質界生活中に喜ぶシチュにはならないという意味ではないでしょうか。んー、上記の霊的橋頭堡が本当に建てられるのであれば(僕という霊媒が新規の霊的知識拡散の発信基地になるという意味ですよ)喜ぶ気にもなりますが、どうも帰幽後に喜ぶ事になるという意味のような気がする。

「希望は捨てないで」これなんですが、この言葉は「もう可能性がなくなった人間に対して投げかける慰めの言葉」のように聞こえませんか。いかがですか皆さま。何しろ霊団はずっと僕にゴメンゴメン言い続けていますので、そういう意味ではこのインスピレーションは妙に納得の部分があります。

「もうアキトくんの物質界生活中に使命遂行が前進する事はない、そのまま最低の人生をやってもらう事になるが、その埋め合わせがコチラで十分に用意されているので安心しなさい」どうもそういう意味のような気がする。

つまり物質界に残されている限り延々と最悪をやらされ続ける、全く物的肉眼に映じる結果に到達しない、という意味でしょう。だったらいつも言っているように「僕にこの人生をやらせた責任を取れ」と本気で言いたいですが、それも帰幽後に埋め合わせ、の一点張り。宇宙一釈然としない。

では最後に「悔し涙を拭う必要はありません」の説明をしてみますが、この悔し涙とはもちろん物質界生活時に僕が流す涙の事で、これもやはり先ほど紹介しましたオーエン氏のご母堂の言葉に帰着するのではないでしょうか。あともちろんイエス様の言葉「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」も、このインスピレーションの意味の説明となるでしょう。

本当に同じ事を何度も書いて申し訳ありませんが、僕は本当の本気で霊団を憎んでいます。完全に人生(Dreamwork、画家の人生)をブチ壊されて、自分の心が1ミリたりとも望んでいない状況に延々閉じ込められて生活しているからです。

その犠牲の分、使命遂行が前進して「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出が実現するというのなら、まだこのヒドイ人生をやらされた意味もあると思えるのですが、そういう事も一切なく、何の事態の進展もない、ただ僕の人生が破壊されただけでそれ以外に何もない、霊団はただゴメンゴメン言い続けてくる、それでもう頭にきて頭にきてどうしようもない状況になっているのです。

確かに帰幽後の事だけを考えれば「悔し涙を拭う必要はありません」なのかも知れません。この苦しみに耐えた埋め合わせとしての褒章を霊界にて賜り、それが物的脳髄での想像をはるかに超える栄光である、それを思えば永遠の中の一瞬である物質界人生での苦しみなど全く取るに足らない。霊的知識に照らし合わせて考えれば確かにそういう回答になるでしょう。

しかし「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を全く滅亡させようともせず悪を放置し、奴隷の女の子の悲痛な叫びを完全に無視して見殺しにし続ける霊団の姿勢に対して、どう頭をひっくり返しても釈然としないものがこみ上げてくるのは果たして僕だけなのでしょうか。

物質界の諸問題を全然解決できないまま帰幽し、そこで想像を絶する栄光を賜り、大いに喜び、嬉しさに顔をほころばせながらそれきり2度と物質界の方を振り向く事はなく、一直線に霊的進歩向上の生活を送りジャンジャン上層界へと進出していく。まぁ僕は「帰幽カモン」であり物質界に本当に1ミリも未練がありませんのでそれで別に構わないのですが、この胸につかえる不愉快な気持ちは一体何なのでしょうか。

それとも霊団がずっと言い続けている「交霊会」「僕という霊媒を機能させて新規の霊言を降らせる」さらには「出版社を設立して降った霊言を物質界のすみずみにまで拡散させる」これらを実現させれば、それが喜びとなり、これまでの悔し涙が吹き飛ぶ、という意味でしょうか。

確かに「霊的知識普及」を推し進める事ができれば、これは決して大げさな表現ではなく真実として「神のご意志遂行ど真ん中」と言える仕事であり、イエス様を筆頭とした上層界の高級霊の方々がもっとも喜ぶ状況となるのかも知れません。そうであれば僕もうれしいです。

僕はたびたび「エオンeonのメガネ」という表現を書いていますが、これは物質界という一瞬の人生を飛び越えた永遠の視点で自分の人生を考えるという意味で公言している言葉です。そのeonの視点を僕が獲得できれば「悔し涙を拭う必要はありません」の精神的境地に到達できるのかも知れません。

ムカついているという事は現在の僕がその霊格に全然到達していないという事になります。そりゃぁまぁ到達できないでしょう。物質界生活中に永遠の視点を獲得するのは1億%不可能でしょう。

もっとも知識だけ頭に入れて分かったつもりになるぐらいの事はできるかも知れません。イヤ、物質界に在籍する人間が到達できる最高点がその「分かったつもり」の状態なのかも知れません。肉の牢(肉体)に閉じ込められている限りそのレベルの理解には到達できないでしょう。

ですので今回のインスピレーション「悔し涙を拭う必要はありません」は、物質界の人間に理解を要求するにはハードルが高すぎるインスピレーション、僕にはそう感じられます。

んんん、そう言わず何とか前向きにまとめてみましょう。確か以前、どうもシルバーバーチ霊の思念のようなニュアンスで「アキトくんが霊媒として機能して霊言を降らせれば、あらゆる問題が前進する」といった事を言われた事がありました。
僕は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させようとしない、奴隷の女の子を完全に見殺しにしている、物質界の邪悪を放任している霊団に激しい怒りの念を抱いていますが、キミが心を開いて霊媒として仕事を始めれば、霊的知識普及という「神のご意志遂行」の仕事を進められるだけでなく、物質界の邪悪を滅ぼす事にもつながるのだ、という意味で「悔し涙を拭う必要はありません」と言っているのかも知れない、と、かなり強引に解釈してみるのはどうでしょうか。
しかし「サークルメンバー問題」は僕の問題ではなく第3者の問題ですので僕がどんなに努力してもどうにもなりません。って言いながらも僕にできる限りの事はやっているつもりです。WordPressに長年にわたり霊的知識を投稿し続け、霊的な事に理解のある人間が少しでも増えるように情報拡散を続けているつもりです、たとえ効果は微々たるものであっても。
「絶版状態の霊関連書籍の復刊に向けたテキスト化」これも霊的知識普及の一環としてやっている事です、現在の僕にできる限界の限界、めいっぱいの作業です。「喜んで下さい」「希望は捨てないで」が、「物質界生活中にそういう風になる」という意味なのか、それとも「帰幽後にそういう状況にさせてもらえる」という意味なのか。
物的肉眼で見ればこのふたつには天と地ほどの差がありますが、イエス様はじめ高級霊の方々が永遠の視点で見た時、このふたつは大差なく映るという事のようです。現在の僕には理解できません(祈)†

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「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†■2023年6月14日UP■
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†
現在の苦難を耐え抜かなければその罪障消滅が達成されず、キミはまた物質界に再降下しなければならなくなるんだよ。我々はキミのためを思ってキミをその苦しみの中に閉じ込めているんだよ。罪障消滅が達成されなかったらキミがまた苦しい思いをする事になるんだよ。これで終わりにするためにその苦しみに耐えるんだ。という意味で霊団が僕を脅し続けているのかも知れません。イヤ、僕のこれまでの人生をよくよく振り返ってみた時に、僕はそういう理由で物質界に降下した人間じゃないと思う。幼少の頃から絵を描き続け、マンガ家も経験し、Dreamworkに突入して死ぬまで絵を描き続ける事を固く固く決断していた。僕はそういう罪障消滅目的の人間ではないと思う、そうだったら絵の才能を賦与されていないと思う。僕に関してはそれはちょっと違うと思う。現在の僕の状況は霊性発現によって「後説」で賜ってしまった追加試練だと思う。守護霊様の管轄内で生活していた時はこんな状況には全くならなかった。「100の光の霊団」の管轄に切り替わってから僕の人生が一気におかしくなった…続きを読む→
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†■2023年6月7日UP■
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†
実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→
「愛の試練・霊障イペルマルシェ」再び。まだやってくるか、超頭にくるんですよ(祈)†■2023年5月31日UP■
「愛の試練・霊障イペルマルシェ」再び。まだやってくるか、超頭にくるんですよ(祈)†
眠気防止対策でポテチを食べたりするのですが、今回に関しては全く効果がなく、とにかく運転中に目が閉じまくり何度も反対車線に飛び出しそうになります。僕は上半身を激しく前後にガクガク動かしながら(ハンドルに近付けたり遠ざけたりして)運転を続けますが、何をどうやっても目が閉じ続けます。駐車場に続く林道セクションに入ってからも全く目が開く事はなく、180度カーブを曲がり切れなくて何度も岩の壁にぶつかりそうになりながら、頭を振って上半身を徹底的にゆさゆさ動かし続けて強引に目を開けながら運転を続け、かろうじて駐車場に到着したのでした。そして車内で着替えを始めると、さっきまでの運転時の目を閉じられていた状態がウソみたいにまるっきり普通に着替えているのです。猛烈に眠いのであれば着替え中も眠いはずです。その瞬間に「これは完全におかしい、超久々にバーバネル氏がやりやがったんだな」と理解したのでした…続きを読む→
「許してくれ」霊団が自分たちの導きの失敗を完全に認めた一言となります(祈)†■2023年5月24日UP■
「許してくれ」霊団が自分たちの導きの失敗を完全に認めた一言となります(祈)†
「泣きっ面にハチ」これが僕の霊的使命遂行をもっとも正確に表した言葉ではないでしょうか。なぜDreamworkをやめさせられてこんな最悪な人生をやらされなければならなかったのか、その理由について何ひとつ納得のいく回答は霊団から降ってきません。つまり説明できないからです「行き当たりバッタリ」だったからです。で、霊界側として完全に予定外だった少年(僕)に、誰もやってくれない仕事(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁邪悪の正体の情報拡散)を押し付けてやらせてはみたものの、そもそも行き当たりバッタリで始めた仕事だったので(無計画だったので)僕の暗殺を回避するので精一杯で全然事態を進展させる事ができないまま時間だけが流れていった…続きを読む→

八ヶ岳アタック892プロセス実行

今回も記録的インスピレーション削除量となっていますが、それだけ削除してもテキストを撃ち切れずに苦悶状態です。出版社、書籍執筆関連でだいぶ分かった事がありますが、まずは原稿を書かない事には何も始まりません。一体いつになったら書き始められるのか、書き終えられるのか。挫折する可能性も大変高いです。

とはいえまずは手元の作業を片付けなければなりません。テキスト超特急で撃ちまくってます。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

まずは昨日の山の撮影画像をUPですが、結局今週も振り返ってみれば相当のインスピレーション量となっており、全ての説明などできる訳がありませんのでいくつも削除して進める事になります。

んー、先ほど霊団が降らせてきた複数の幽体離脱時映像がとにかく意味不明。説明できそうもありませんので削除する事になると思います残念ですが。一体いつまでこのインスピレーション量と格闘しなければならないのか。イヤ物質界生活中ずっとなんでしょうけど。何とかテキスト撃ち始めましょう。ハァァ(祈)†

今日は予報的にグラデーション撮影ができるという事で標高を上げるルートを選択、しかし上ってみると状況が一変。ガスで何にも見えない、風で三脚が倒れそうになる、しかも気温6度。思わず標高を下げたくなりましたが、今から戻っても撮影ポイントがない、もう日の出まで時間もない、もう撮るしかないという事で悪条件の中で強行撮影をしてきました。

撮影画像のUPは明日とさせて頂きますが、まず出版社関連書籍を読み終えました。この本は本当にイイ本だと思います。かなりお勉強になりました。そして現時点で到達した考えがあるのですがそれは明日以降にお話させて頂きます。

幸いにも身体のダメージは少なめ、しっかりダメージ抜きをして明日の長文テキスト撃ちに備えます。撃ち終わったらフラー25を一気に進めます。もうこれ以上時間かけられませんので最大集中します。まずはココまで(祈)†

どうしても僕が突破できないハードルがいくつかありまして、現時点で僕が出版社を立ち上げるのは事実上不可能という結論に達してしまっています。それは残念ですが、この書籍は入手してよかったと思います。スゴイ参考になりました。出版社立ち上げられなくてもまだ読み続けようと思います。いろいろヒントになる事が書いてあるからです。

そしてフラー25カラーリングを急ピッチで進めないといけないのですが、もう明日の山のアタック準備ですので今日の作業はココまで。現在、選択範囲を切る作業80%完成中といったところ。長文ブログUP後に最大集中して一気に進めるつもりです。もう終わらせないといけない。これ以上時間はかけられませんので。

で、昨日コミケナンチャラカンチャラと書きましたが「文学フリマ」というモノもありますね、僕が書く書籍はこちらの方が合っているのかも知れませんが、僕の場合は活動内容が内容ですので申し込みの時点で蹴られる可能性もあります。サイトを見てますが、お話はまた後ほど、原稿も書いていないのに参加もへったくれもありませんからね。

まずは山の撮影と帰還後の長文ブログに集中中(祈)†

「新しい霊媒と手を組みたくない」だから強姦殺人魔の滅亡はどこ行ったんだよ(祈)†■2023年4月5日UP■
「新しい霊媒と手を組みたくない」だから強姦殺人魔の滅亡はどこ行ったんだよ(祈)†
高級霊であればあるほど「形態を超越」しており、インペレーター霊の言葉を拝借すれば「放射性影響力(神の光輝を全身から放散している状態)」のような感じなのだそうです。つまり現在のイエス様は物的手段で絵に描けるような容姿ではない、まるっきり次元が違うので表現などできる訳がないという事です。そして僕はイエス様搭乗機「フラー01」をゴールドのカラーリングにしていますが、コレも霊的に見ると間違いで、高級霊であればあるほどその霊体から発する光輝は白色をしているそうです。つまり僕がアナログ絵にて描いているイエス様は実際のイエス様のお姿とは程遠いモノであり、イエス様があのような人間的形態をまとうのは下層界の人間に顕現する必要性が生じた時に一時的にあのような姿をまとう事があるのみで、通常時のイエス様のお姿は僕たちの物的脳髄ではイメージ不可能という事です…続きを読む→
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†■2023年3月8日UP■
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†■2023年3月15日UP■
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†
しかしそれは「順番が逆だろ」まず奴隷の女の子たちを助けてあげて、それから交霊会だろ、と僕は思うのです。というのも、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにした状態で僕という霊媒を霊団が使用して霊言を降らせたとしましょう。その降ってきた内容がさながら「シルバーバーチの霊訓」を彷彿とさせるような高尚な内容だったとしましょう。その霊団が降らせてきた内容が、人類を救うとか、世界を救うとか、人間は国家も肌の色も関係なく全員が神から神性の火花を賜って個的存在を与えられた、神を共通の親とした霊的兄弟、霊的大家族であり、戦争で敵国の兵士を撃ち殺す事は自分の家族を殺す事と同義であり愚かな事であり、したがって全世界が助け合っていかなければならないとか、そういう心を撃つ美しい内容だったとしましょう…続きを読む→

ガリラヤ地方にも、沢山の貧乏人と僅かな金持ちとが住んでいた。たいていの人々は楽しそうに暮らしており、明日のことを余り心配しなかった。食物が足らなくなっても、どうにかこうにか飢えをしのいでいた。

貧しい漁師たちは、ローマの権力で莫大な税金を徴られても、何かと楽しみを見つけ、太陽に輝くガリラヤ湖を眺めては、様々な夢を描いて気持ちをまぎらすのであった。彼らは月夜に森で鳴くナイチンゲールのように唄い、朝から晩までメロディーと共にすごすのであった。

ヨセフは、ガリラヤ人の楽観的な気質を持ちあわせていないようだった。いつも取越苦労をして、眉にしわをよせていた。彼は悲観的な幻想に悩まされるのである。そのヨセフが、エルサレムから帰ってきてからは、例の教師とはぎくしゃくしていても、とても機嫌がよく、冗談をとばしては楽しそうに暮らしていた。仕事が順調に運んでいたからである。

イエスが家出した最初の頃は、腹をたててはいたが、それもかえってイエスのためになるだろうと考えるようになっていた。それから家の中は平和になった。イエスがエルサレムで大変な評判になったおかげで、ヨセフと息子トマスには沢山の仕事がもちこまれるようになった。

仕事の量が俄かにふえたので、三男のヤコブにも手伝わせ、セツには使い走りをさせた。ナザレの人々は、猫も均子もヨセフに仕事をたのみ、ヨセフのことを煽てあげた。よほど高貴で、才能に恵まれた父親でなければ、あれ程すばらしい息子イエスは育てられない、とまで言った。

単純なこの大工は、すっかりのぼせてしまい、イエスのことを思い浮かべては、うれしそうにしていた。マリアがどんなに頼んでも、イエスの扱い方については、自分の考えを曲げなかった。ヨセフはマリアに口ぐせのように言った。

「お前の生んだ放蕩息子が帰ってきても、教師に詫びをいれなければ、絶対に家には入れてやらないぞ」マリヤはそれを聞くたびに涙を目にためて言うのであった。「そんなら、あの子はいつまでたっても家に入れやしないじゃありませんか」

「そんなのは、おれのせいじゃない。イエスには、学校に行かせたが、うちはもっと生活をきりつめて、3人の息子たち、トマス、ヤコブ、セツには、せめて読み書きぐらいは家で教えてやらなくちゃ。それに今までに随分苦労をしてきたから、3人の息子たちにも仕事をさせて金を儲けようじゃないか」

「まあ、あきれた!今でも随分お金が入ってくるじゃありませんか。あなたの名前がナザレ中に有名になったのも、イエスの知恵のおかげじゃありませんか。それでもあなたは不足なんですか。あなたがもう少し賢ければ、もうあの子に命令なんかすべきじゃないわ。かえってあの子に耳をかたむけるべきよ」

ヨセフの顔色が変わった。そのとき末娘のレアが手に沢山の花をかかえてヨセフの処にやってきた。レアが入ってこなかったら、どんなにひどい言葉で罵っていただろう。レアはヨセフの大きな手のひらに花をおいた。レアが幼児語で、だっこしてくれと強請ったので、彼はレアを肩車にして外に出て行った。

この幼い末娘レアは、とても明るく可愛いらしかった。ヨセフは、ことのほかレアを愛し、彼女のことを“金の宝”と呼ぶほどであった。ヨセフの目は輝き、レアを地上に降ろして胸に抱きよせ、優しくレアの耳もとでささやいた。レアが頼むと、天気の日には仕事場から出て来て散歩にでかけた。

小川のほとりでは、水をとばしたり、泥んこ遊びをした。レアと遊んでいると、ヨセフは辛いことをみんな忘れてしまい、レアの言うなりになる、優しい父親となるのであった。マリヤは満足していた。子供のことに関しては、ヨセフは実に親切で理解のある父親であった。

レアは全く例外で、目に入れても痛くない娘であった。彼女の金髪の頭は、彼にとって言い尽せぬ神秘であり、彼女の可愛らしいお喋りは、無限の喜びであった。仕事が順調にはかどり、レアが彼の傍に居るときは、喜びの杯があふれるばかりであった。彼はマリアに言った。

「神様は私たちに沢山の祝福を与えて下さった。いつまでもこの幸せが続くとよいのだが。子供たちはこのまま大きくならず、僕の仕事もそこそこで、お前とレアがそばに居てくれて、来る日も来る日も今のように歌ったり遊んだりできるといいんだが」弾んだような声でマリヤが答えた。

「この金髪のお嬢さんをさらっていくお婿さんがあらわれたら、あなたの顔は仏頂面になり、やきもち父さんになるわね。きっとあなたは気狂いのようになるわよ」

マリヤはこれ以上何も言えなかった。ヨセフの唇が彼女の口にふたをしてしまったからである。ヨセフは、こんなふうにして丘の上を独りで歩いていた少女マリヤに恋をしていた青年時代の愛をあらわすのであった。

「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†■2023年4月26日UP■
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†
僕を苦しめる事そのものが当初からの目的だったのではないか。僕に物質界の邪悪の情報拡散をさせる事によって、邪悪の滅亡時期を若干早める事はできるだろうが、僕一代で目的達成させようとは考えていない。で、霊界側としては僕の物質界生活中にできる限りの仕事をさせつつ、僕の霊格も可能な限り高めさせておいて、帰幽後も僕を仕事(物質界浄化活動)に活用し続けるつもり。そういう長いスパンで僕という霊の道具を使い倒すというのが当初からの(もっと言えばイエス様の)計画で、それで助けられないのに奴隷の女の子の事を延々と僕に教えてきて苦しみを倍加させる事で(苦難を与えるという意味)僕の霊格を高めさせたという事なのではないか)…続きを読む→
「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†■2023年4月19日UP■
「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†
インペレーターの霊訓より抜粋 私がこの地上を去ったのは遙か遠い昔のことになりますが、このたび戻ってまいりましたのは、この霊媒を通じて霊的啓示を届けんがためです。それが私の使命なのです。私の属する界層からこの地上へ戻ってくる霊はきわめて稀です。が、大神が特殊な使命のためにこの私を遣(つか)わされたのです。天界と地上との間の階梯(はしご)はつねに掛けられております。が、人間の側の不信心が天使の働きかけを遮断してまいりました。 – あなたは神の僕(しもべ)ですか。いかにも。神の僕として選ばれ使命を仰せつかることは、われわれ仲間の間にあってはただならぬことです。私はこの霊媒を通じての使命を終えたのちは2度と個的身体をまとって戻ることのできない境涯へと赴きます。他の霊を通じて影響力を行使するのみとなるでしょう。皆さんはすべからく大神の導きを求めねばなりません。おのれを恃(たの)む者は滅びる、滅びる、滅びる…(とくに厳粛な調子で述べた)。神は光明と導きを求める者を決してお見捨てにはなりません。決して、決して、決して……続きを読む→