■2013年1月12日にUPしたブログ「勉強しましょうよ(祈)」

僕のブログ及びツイッターをそこまで真剣に目を皿のようにしてこと細かに微に入り細に入り検討し徹底的に全項目を読みまくって指摘してやろう糾弾してやろう非難してやろう追求してやろう撤回させてやろう…などという悪趣味かつ暇な方はこの地上にはいらっしゃらないでしょうが(笑)僕は僕なりに今まで光栄にも浴させて頂いた様々な現象について記述し、紹介し、羅列し、公開し、僕達が地上生活中に悟るべき大切な事柄について幾度となくしつこくしつこく、それこそシルバーバーチ霊が忍耐の極限ともいえる作業を繰り返してきた如くに書いてきたつもりです。
僕は「ちょっとだけ霊覚者」として、あえて言います。地上で暮らす僕達のほとんどは「生ける屍」も同然なんです。まるっきり死人なんです。まがりなりにも生きているとはとてもいえないようなお粗末な状態でしか自己を表現できていない、悲しいほどに目が閉じられた、真実を見透かす事のできない、魂の眠れる存在なのです。ある書籍に「神すら手を焼く(ゲーテ)」と紹介されていますが、この言葉は、それほど僕達地上人類が何も見えず何も聞こえず何も理解していない愚か極まる存在という事を表現しているのです。
シャーロック・ホームズで有名な、かのアーサー・コナン・ドイル卿もある書籍で言ってます。「正直言って私の心は、周りの人達の無関心と卑怯さに対する冷笑に満ち満ちているのです」と。僕達の目は肉体という鈍重で不自由極まりない外郭に覆われる事で徹底的に曇らされ、かんじんかなめの“霊的な核心”に全く触れる事ができず、明けても暮れても無意味な事にあたら興じる、全く残念な存在というしかないのです。例えばあのシリウス(惑星)にも生命体が存在しますが、その方々からすれば、我々人類などはナメクジにも劣る鈍重かつ退屈極まりない、全く取るに足らない存在なのだという事を、僕達はそろそろ知ってもいいと思うのです。
地上の物質及び地上の富にどれだけこだわっても、それが何になるんでしょう。考えてもみてください。そんなものは死んだら全部地上に置き去りにしなきゃいけないんですよ。向こう(幽界・霊界)には持っていけないんですよ。永遠に比べてたかだか6~70年の人生で集めた無意味な物質たち、そんなものはほっぽっとけばホコリを被って錆びて朽ち果てて塵と化して地球を構成する成分に帰っていくだけなんです。僕たちは死とともにそれら無意味なもの全てをかなぐり捨てて向こうに旅立って行くのです。その時は完全に素っ裸です。今まで生きてきて獲得した“こころ”一つで向こうに行くんです。
地球(地上)という生活の場は、この世界(宇宙)に存在する数々の生活の場の中でも“ほぼ最低ランクの生活の場”なのです。強調します!最低ランクです!地上は生活の場というより“修行の場”なのです。辛い、苦しい、悲しい経験をするための場所、と言っても決して言い過ぎではないと思います。この先にはるかはるか高く素敵な境涯、生活の場が永遠と続いているのに、地上などという最低極まる陳腐な生活の場に魂を縛られ、向上の道を自ら閉ざす事がどれだけ愚かな事か…僕達地上人類は、何としてもこの事実に気付かなければなりません。
僕は果てしなく読書没頭して知識を吸収しまくり、まぁまぁの理解度に到達する事ができました。天然キャラの僕(笑)でさえここまで理解する事ができたんですから、みなさんにだって理解できるはずなんです☆できますとも!僕が読書没頭して勉強しまくった書籍たちは、ブログ「さらにさらに書籍紹介です♪」にて紹介しています。興味を持ってくれた方がもしいましたら、ぜひ手にとって見てください☆これらの書籍は人類の宝なのです☆
僕は今度こそ!今度こそ!今度こそ!出発します(願)詳しい説明はもう割愛しますが、僕を取り巻く状況からかんがみるに、僕は向こうに旅立ったが最後、地上圏との関わりは極端に少なくなるものと思われます。僕自身に一切興味がない事も手伝って、まず地上圏へは降下してこないでしょう、よっぽどの使命でも賜らない限り。なので、残された時間の中であえて強い口調でこうした内容を書いてみました。強調したかったのです。知って欲しかったのです。いや、僕達は知らなければならないんです、この艱難辛苦の地上生活の中において…(祈)

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