『天使と妖精』二章
『天使と妖精』
私たちは皆さんに、人間と天使の同胞性についてお話したいと思います。これが一大同胞である事は元々そうなのですが、これを知る人は殆どいません。「人類同胞」と言えば、すぐ低次元の心で、社会的平等とか、財産の共有、平等な分配と考えます―
『天使と妖精』
―これは地上的なものの考え方による同胞の概念です。私共が今語ろうとしている同胞とは、これではありません。人間は霊的な血縁によって、お互いが兄弟です。始源において人は全て生命の火花としてロゴスから放たれました。
『天使と妖精』
全ての人は同じ本質を持っており、全ての人が至高なる親の子供たちです。この意味で、誰一人他の者より偉大でもなく重要でもありません。既に肉体を脱ぎ、山腹のやや高みに在る指導霊や霊師たちは、生命の決戦場を見下ろします。この時、彼らは戦う兵士たちの制服は見ません。
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ただそれに包まれて中にある魂と霊を見ております。彼らは魂を見ております。彼らには次の事が分ります。どの魂にも悲しみと弱さが共通してあると言う事。さらに進化の過程で、どの魂も強さと輝きを増し、地上生活の困苦に打ち克つようになるという事。
『天使と妖精』
ロゴスからほとばしり出た神性の火花である人間の霊は、様々な意識の界を通過して降下をして行き、ついには究極の物質界に到達します。ここで霊は自己の周りに肉体を、すなわち外衣、神殿を創ります。これを私共は魂と呼びます。
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霊は弧の上に降下するにつれ、経験を獲得しつつ、個性を形成していきます。もっとも鈍重な形式をとるに至った時、霊は完全に自我を現すように見えます。これが成長の努力の間、何がしかのいわゆる「利己主義」を帯びるに至った人格であります。この利己主義にも目的があるのです。
『天使と妖精』
つまりは終局において魂の成長をもたらす事になるのです。しかしながら最低の深度にある間は、霊は自我の中に沈みきっていて動物と同じくその魂はただただ自己の快楽と力のみを求めるのです。
個人的存在に別れを告げてその類魂の中に没入し、仲間たちの経験まで我がものとしてしまう。結局人間の存在には2つの側面がある事になる。即ち1つは形態の世界における存在であり、もう1つは類魂の一員としての主観的存在である。―【霊は実在する、しかし】より
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『天使と妖精』
しかし進化の過程の中で魂は神から注がれる光を吸収し始め、再び上昇への道に転じます。これは潜水艦が海洋の底まで沈むと海面へ向って転ずるのと同じ事で、魂は唯物主義の深みから、もう一度光明へ向って方向転換する訳です。
『天使と妖精』
世俗性と利己主義、その幾重もの層が投げうたれるのです。それは魂と霊が神の意図したもうた光ある存在となるよう駆り立てられ、その本性が自己主張を始めると、そうなるのです。
『天使と妖精』
神の子はロゴスの懐から旅に出された時、才能を与えられていまして、この才能が永久に埋もれてしまう事はありません。何となれば、この才能の使い方を学ぶ事で魂は光明の諸境を進んで行けるからです―この光明の諸境は地上人の手が必ずしも届かぬ処ではありません。
『天使と妖精』
これについては前にも申しました。肉体にある間にも皆さんはそこに触れられるかも知れないと。これは全て進歩の問題です。人が十分に目覚めますと、世俗的な心と習慣の幾重の層を捨て、動物的な本能にとらわれなくなると、光明と美の、―
『天使と妖精』
―今まで夢にも思わなかった内的世界に気付くようになるのです。この時、人は大きな渇望で身を焦がします―神に仕えたい、この渇望です。何となればその目覚めによって彼は大いなる神霊の栄光を一目のぞいてしまったからです。
『天使と妖精』
ここで彼は遂に知ります、奉仕する事によってのみ人は神を真に崇敬する事ができるのであると。それは彼の霊が今やはっきり彼の内部でささやくからです。彼は悟ります、もし神性に達したいと願うなら、彼自身が天使たちの仕事を助けなければならないと。
『天使と妖精』
換言すると全ての人が兄弟である事を認め、彼のそばの友は自分と同じものを求め、自分と同じ道を辿っているのだと知り、彼は同胞性の大義、即ち進歩の目的に奉仕しなければならないという事です。こうして彼は光りある方々の群と一つとなって前へ前へと波うちます。
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『天使と妖精』
彼はもはや、泳いでいる時、その兄弟を押して沈めようなどと思いません。彼は遂に知っているのです。兄弟たちは霊の紐で自分と繋がっているという事、兄弟が沈めば自分も一緒に沈まねばならないという事を。
『天使と妖精』
これと同じ法ですが、一国も隣国に誤った行動をとれば自国はその隣国と共に遂に倒れます。つまりこうです。光明が魂に人類同胞の真実を分らせてくれるという事です。この理解の目覚めと共に一切の利己的な野心と願望が後を絶ちます。
『天使と妖精』
そして魂は一つの思想、一つの理想を抱きます、全ての人が共有する善。そこで皆さんはこう言われるかも知れぬ。「ホワイト・イーグルさん、これは個性の吸収消滅じゃありませんか」と。いいえ、これは個我の吸収併呑じゃなくて、個我の拡大です。
『天使と妖精』
人間がいったん自己を与えますと、全てのために全てを捧げると、彼は失う事なく全世界を得ます。何となれば彼は宇宙意識の中に拡大し、キリスト意識にまでも到達するのですから。即ち彼は神と一つ、万物と一体となるのです。
『天使と妖精』
ひとたび人が顔を光明の諸境(これは外部に在ると共に内部にも在る)へ向けると、その人は「見者」ないし「霊覚者」になり始めます。低次の鈍感な心から解放されて見るもの聞くものが生々としたものとなります。
『天使と妖精』
彼は未知の境域に踏み入り、感度が鋭くなった自分の受信機に物質の器械では触れ得ない音や光の波を拾い上げるのです。敏感者となった彼は、これらの音波や光波を感受して新しい世界を知覚する者となるのです。彼の魂はさなぎから蝶のようになったのです。
『天使と妖精』
だがこのような素晴しい黎明は人が死んで肉体を脱げばそうなると思ってはいけません。このような栄光は霊性の問題です。あなたもキリスト光(神性の光)に十分に同調すれば、今まで見えなかった世界が見え、感受できるようになるのです。
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『天使と妖精』
例えば、そうなれば自然の王国の内的生命が分るようになります。これは人間の進化系統と平行した生命の流れでして、人間の系統と協同して働く生命の王国です。そうなれば、いわゆる妖精が見えます。妖精は子供の絵本の中にいるだけではありません、実在です。
『天使と妖精』
進化計画の中に固有の目的をもつものです。妖精たちは草花や樹木を育てるための生命力を運んで忙しく立ち働いています。もし貴方の目が開かれれば、楽しげにとびはね、波立ち、流れ、落下する水の中に妖精の姿が見えるでしょう。これは光った水の精たちです。
『天使と妖精』
また羽をつけた空気の精たち、シルクの姿も見えましょう。火の中にはサラマンダー、火の精たちが見えます。全ての生命現象には、その内部に霊が存在します。皆さん、欲ばってはいけません―地上世界に、人間が唯一の霊的存在で、他のものはみんな空っぽの殻?
『天使と妖精』
そんな事はありません。皆さんが人間は肉体に包まれた霊だと信じておられるのなら、自然の王国もまた目に見えない生命で充ち満ちていると考えねばなりません。これら自然霊の中には、ついには天使界へ進化して人類と進化の平行線を辿る者たちがいます。
『天使と妖精』
人類が最後には神々となるように、自然霊のあるものたちは土の精とか妖精とかの霊から天使の形式に進化いたします。天使の形式をとると彼らは人類の生活に大きな役割を演じます。皆さんは人間の霊と天使の霊を、よく混同します。間違いなさるな!
『天使と妖精』
天使は人類の進化路線とは別の進化路線を辿るものです。ただ、この路線は人類の路線と平行していて、しかも天使たちは密接に人間とつながっており、地上での人間の仕事や生活に助力を与えるものです。人間は常に天使たちと一緒に地上を歩いております。
『天使と妖精』
人類は、人類の方で知ると知らないとに関わらず絶えず神のような天使の守護の下に生きています。皆さんのうち誰一人、一人っきりで人生を歩いている者はいない、これを知れば元気も出ましょう。気も楽になりましょう。
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『天使と妖精』
というのは、誕生から死の時まで皆さんは貴方を守るよう任命を受けた一人の天使によって守られています。さて、守護天使は守護霊ではありません。守護霊は元々人間です。守護天使は天使です。守護天使を法の保護者とか、全人生を支配するカルマの法の管理人とか私達は呼びませんか?
『天使と妖精』
聖書には記録係の天使の事が書いてありませんか?時代が進むと共に皆さんはこういうものを荒唐無稽として捨て去ってしまいました。私どもを信頼なされ、皆さん、記録係の天使は実在しています。それは古い教説が言う、そのままの意味ではないけれど。
『天使と妖精』
法の守護天使は見張っています、記録します、そしてカルマの法、つまり因果の法の遂行を指導しています。天使には羽があるというのは事実とは甚だ違っています。人間は肉体があるために半ば暗い状態の中で生きています。従って天使のもつ輝きが殆ど見えないのです。
『天使と妖精』
天使たちのある者は、その頭の冠から得もいえぬ光輝を放っており、その姿は光の羽の形に見える光輝が取り囲んでいます。天界のいわゆるキリスト圏からの特殊の使命を帯びて人間のところへ来る偉大な天使たちは、みんな今述べたような光輝に包まれています。
『天使と妖精』
私共は皆さんに次のように申上げておきます。天界から来る天使たちは地上の暗いベールの背後から人間の魂を助けに来るのであると。使徒ペテロが捕われた時、神は一人の天使を彼を助けるために遣わされ、彼を繋いでいた鎖は断ち切られました。
『天使と妖精』
天使はペテロに触れ「私に従え」と言うと、ペテロは直ぐにこれに従いました。皆さんもまた、神のお使いには油断なく直ちに従わねばなりません。即ち真理の声には素直であらねばなりません。ペテロのように、その時貴方は地上の鎖から解かれ、自由の天地へと入るのです。
『天使と妖精』
私共が語っている天使たちとは、これまで一度も人間の肉体をもった事がありません。従って人間の方で感情の統制ができるまでは天使は人間に近づく事ができません。しかし感情や情緒が静かに統制がとれるようになり、内在のキリスト(内在の神性)が支配するようになると、―
『天使と妖精』
―守護の天使たちがピタリと近付けるようになり、守り、導き、人生を光あるものとしてくれます。ああ、貴方がたに(いつの日か目が開かれた時)人間が天使たちから受ける、かの美と助力について分らせてあげられたら!天使たちは人間の進歩を助ける事、人間が同胞に奉仕する、―
『天使と妖精』
―その助力をする事、それが彼らの目的なのです!さて皆さん、神の恵みを、また神が皆さんに宇宙の栄光を理解する力をお与えなさいますように。どうか皆さん、日々の義務の道をしっかりとお歩きなされ。
『天使と妖精』
それが天使等の友情と愛を確実にするもの、それが天使たちの協力と指導を確保する道。されば皆さんが土の囚われ恐怖から放たれた魂を訪れる、かの永遠の平和を見出す者となり得ますよう。
クリスマスの為に七面鳥を飼育し絞めて食卓に上るというのは一体誰の許可を得てやっているのでしょうか。あの日一日だけで世界中で果たして何百万羽が殺されている事でしょう。その事実をイエス・キリストが喜ばれるはずはないと思うのですが…。―【ペットは死後も生きている】より
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