【2/27】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
—–一章3
『ベールの彼方の生活①』
【バイブレーションの原理 一九一三年 九月二五日 木曜日】聖書の中に主イエスがペテロの事を自分への反逆者であるかの如く述べた部分があり、あなたはその真意を捉えかねている様子だから、今夜は十分ではないけど是非その事を明らかにしてみたいと思います。
『ベールの彼方の生活①』
ご存知の通り、その時イエスはエルサレムへ行く途中でした。そして弟子たちに対し自分はエルサレムで殺されるであろうと述べます。その時のイエスの真意は、自分が殺される事によって一見自分たちの使命が終ったかの如く思われるかも知れないが、―
『ベールの彼方の生活①』
―見る目をもつ者には―弟子たちがそうであって欲しいとイエスは思った事でしょうが―自分の真の目的はそれまでの伝道の道よりも遥かに強力にして栄光ある発展のための口火を切る事であり、それが神より授かった地上人類の霊的高揚の為の自分の使命なのだという事でした。
『ベールの彼方の生活①』
ペテロはそれが理解できない事を彼なりの態度で示しました。当然であり無理もない事です。がこの事についていつも見落されている事があります。それはイエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑はその使命の中における一つの出来事に過ぎない。
『ベールの彼方の生活①』
それが生出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし神の計画を推進する事になるという事でした。
『ベールの彼方の生活①』
悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。
『ベールの彼方の生活①』
もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終り、弟子たちに託す使命が成就されません。
『ベールの彼方の生活①』
そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変らん」と。そして遂にそうなりました。最もそれは悲しみの奥義を理解できるようになってからの事です。理解と言っても限られた程度のものでした。が、ある程度の理解は確かにできたのでした。
『ベールの彼方の生活①』
こうして文章で綴ってしまえば随分簡単な事のように感じられます。またある意味では現に単純なのです。神の摂理の基本的原理は全て単純だからです。ですが私たち、特に現在の私にとっては、あなたにも判然としないかも知れない重要性を秘めております。
『ベールの彼方の生活①』
と言いますのは今の私の生活の大半を過している新しい建物の中での主な課題がそれと同じ事、つまり人間界の悲しみのバイブレーションを喜びを生出すバイブレーションに転換する事だからです。とても素敵な仕事です。
『ベールの彼方の生活①』
ですが自由意志の尊厳がもたらすところの数々の制約がいろいろと面倒な問題を生出します。いかなる人間であっても、その人の自由意志を無視する事は許されないのです。当人の意志を尊重しつつ、当人にとって望ましくもあり同時に相応しい結果、―
『ベールの彼方の生活①』
―少なくともまずまずと言える程度のものを授けなければなりません。時にはうんざりする事もありますが、この仕事に携わる事によって強くなるにつれて、そうした念も消えていく事でしょう。ところであなたの質問は何ですか。尋ねたいと思っている事があるようでしたが。
『ベールの彼方の生活①』
【いえありません。特別な質問はありませんが―】尋ねたいと思われた事がありませんでしたか。あなたにこうして霊感を印象づける方法と関連した事で…【そう言えば今朝方その事をお聞きしようと思ったことは事実です。すっかり忘れておりました】―
『ベールの彼方の生活①』
―【でも説明して頂くほどの事でも無いように思いますが如何でしょうか。私は“精神感応”と呼んではどうかと思います―】なるほど、当らずといえども遠からずですね。でもピッタリという訳でもありません。精神感応というのは未知の分野も含めた大雑把な用語です。
『ベールの彼方の生活①』
私たちがあなたに印象づける手段は各種のバイブレーションです。本質がそれぞれ少しずつ異なります。それをあなたの精神に向けて集中するのです。ですがどうやらあなたはこの種の問題は今はあまり気が乗らないようですね。またの機会に改めて述べる事にしましょう。
『ベールの彼方の生活①』
今あなたが関心を抱いているものがあればおっしゃってみてください。【ではあなたの住んでおられる家と、新しく始められた仕事についてもう少し話してください―】よろしい。では出来るだけ分りやすくお話致しましょう。
皆さん、地上のどんな高価なものより何より大切な霊的知識を得ましょう☆人類の宝とも言える書籍は沢山あります(ブログ“「霊」関連書籍の総括”参照)地上は修行場です。僕たちはそれぞれ越えるべき課題を携えて地上に降下して来てるのです。それを知って暮すのと知らずに暮すのでは大違いです(祈)
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『ベールの彼方の生活①』
住居は内側も外側も実に美しく設備が整えられております。浴室もあれば音楽室もあり、私たちの意念を反映させていく上で補助的な役割をする道具もあります。ずいぶん広いものです。私は今“住居”と言いましたが、本当はひと続きの建物で、―
『ベールの彼方の生活①』
―その一つ一つがある種の仕事を割当てられていて、それが段階的に進んでいくように工夫されております。どの家からでも始めて次の建物へ進む事ができます。でもこんな話は人間には不思議で信じられないでしょうから、もっと分りやすいものを取上げてみましょう。
『ベールの彼方の生活①』
土地は広々としており、その土地と建物との間に何らかの関係、一種の共鳴関係のようなものがあります。たとえば樹木は地上と同じ樹木そのもので同じように生長しておりますが、その樹木と建物との間に共鳴関係があり、樹木の種類が異なると共鳴する建物も異なり、―
『ベールの彼方の生活①』
―建物が目的としている仕事の効果を上げる作用を及ぼしております。それと同じ事が森の中の一つのグループについても言えますし小道の両脇の花壇、各所に見られる小川や滝の配置についても言えます。全てが驚くべき叡智から生出され、効果は“美しい”の一語に尽きます。
『ベールの彼方の生活①』
実を言うと同じ作用が地上でもあるのですただバイブレーションがそれを放射する側もそれに反応する側も共にこちらに比して鈍重であるために、その効果が殆ど目立たないだけです。でも実際にある事はあるのです。例えば花の栽培が特に上手な人がいるのをご存知でしょう。
『ベールの彼方の生活①』
それから花が他家よりも長もちする家―そういう家族があるものです。切り花の事です。荒削りではありますが全て同じ事です。こちらでは影響力が強力で、受ける側も鋭敏なのです。この事は私たちが今携わっている仕事で個々のケースを正確に判断する上でよい参考になります。
『ベールの彼方の生活①』
大気も当然ここの植物と建物によって影響を受けます。と言いますのは繰返す事になりますが、そうした建物は単なる技術で建造されるのではなく、この界の高位の天使の方々の意念の結晶―産物と言ってもいいでしょう―であり、―
『ベールの彼方の生活①』
―したがって大変強力な創造的念力によるものだからです。(その詳しい原理は第六章でアストリエル霊が解説。―訳者)
皆さん、自分の日常生活に疑問を抱きましょう。なぜ私はこんな所でこんな事してるの?その答はこれらの書籍にあります(ブログ“「霊」関連書籍の総括”参照)地上生活中に霊的知識に触れず全くの無知で他界すると霊界で大変な苦労を味わいます。僕たちは何としても霊的知識を理解すべきなのです(祈)
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『ベールの彼方の生活①』
大気はまた私たちの衣服にも影響を及ぼします。更にはその生地と色への影響が私たちの性格そのものまで沁み込んで来ます。ですから霊的に性格が似ている者同士は同じ大気の影響を受けている訳ですから身にまとっているものも色合いと生地が良く似ておりますが、―
『ベールの彼方の生活①』
―実際には一人一人その個性の違いによって少しずつ違っております。さらに私たちがたまたま位置したその地面の影響で衣服の色合いが変化する事があります。あたり一面に色とりどりの草花が繁茂している歩道や、―
『ベールの彼方の生活①』
―さまざまな品種の植物の配置具合が異なる場所を通りかかると衣服の趣きが変化していくのを見るのは面白くもあり、ためにもなり、また見た目に美しくもあります。
『ベールの彼方の生活①』
小川がまた美しいのです。水の妖精の話はあなたも聞いた事があるでしょう。地上の話ですよ。あれは少なくともこちらでは本当の話です。その場全体に生命がみなぎり、すみずみまで浸透しております。という事は生命の存在がそこにあるという事です。
『ベールの彼方の生活①』
この事は前にいた界でもある程度知っておりましたが、この界へ来て辺りの不思議さ目新しさに慣れてくると、そうした事が一層はっきり認識され、―
『ベールの彼方の生活①』
―同時にこの調子でいくとこれから先の界は一体どうなってるのだろうと驚異を抱きはじめております。この界の不思議さなどどこへ行っても当り前のように思えるからです。
『ベールの彼方の生活①』
でも、今日はこの辺で止めにしましょう。この美わしい御国の片隅を見せてくださった神はまた別の片隅も見せてくださる事でしょう。これはあなたへの言葉ですよ。今日はその言葉で終りとしましょう。それでは。
僕たち地上人類は「死は恐ろしい事、悲しい事」という誤った概念を何としても払拭し正しい霊的知識に照らして判断できるようにならねばならないんです。僕たちは7、80年の地上生活を食べて飲んで寝て死んだら終りなんて存在ではありません。墓場の先に永遠に続く美しい向上の生活があるのです(祈)
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『ベールの彼方の生活①』
【原著者ノート】この日のメッセージの最初の部分を綴っている時、私はその話の流れが読み取れず、まとまりがなくて混乱しているように思えた。が、今読み返してみると決してそうではない事が判る。
『ベールの彼方の生活①』
悲しみのバイブレーションについて述べている事を“神の摂理の基本的原理”についての単なるヒントと受取り、波動の原理を光や熱の解釈に当てはめるのと同じ推理を行えば次のようになりそうである。
『ベールの彼方の生活①』
悲しみを生ずるバイブレーションの組み合わせは“置き換え”ではなく“調整”によって行われる。つまり悲しみに沈む魂へ向けて別種のバイブレーションを送る事によって悲しみのバイブレーションのうちの幾つかが中和され、幾つかは修正されて別種のものに変化し、―
『ベールの彼方の生活①』
―その効果が喜び、あるいは安らぎとなる。こう見ればこの日のメッセージも意味をもち、多分人生における悩み事を実際に解決していく方法に光を当てる事になるかも知れない。確かにそれが神の一つの手法なのであろう。
『ベールの彼方の生活①』
悲しみを生みだす外的条件が取除かれるという意味ではない。(極端な場合はそうするかも知れないが)別種のバイブレーションを吹き込む事によって悲しみを喜びへと転換してしまうという意味である。これなら日常生活でよく見かける事である。
『ベールの彼方の生活①』
こうした説は科学的思考に馴染めない人には突拍子もない話に聞こえるであろうし“別種のバイブレーション”が実際に同じ“交換価値”をもつ数種のバイブレーションであるとする説を別に非合理的とは思わない人もいる事であろう。
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