「インペレーターの霊訓」見直し済テキストさらに更新、全文掲載は、はるか先(祈)†
– “インスピレーション的霊能”というのは具体的にはどういうものですか。
「思想を言語に置きかえずに直接的に受信する能力のことである。これは霊能者の存在全体が霊の支配に浸り切れるようになってはじめて可能な、最高の交霊手段である。この場合、霊との交信は精神的に(以心伝心で)行われ、言語は必要としない。もともと霊界の上層においては声も言語も存在しない。霊と霊とが直接的に認識し合い、その交信は完璧であり、聞き落とすということがない」
「貴殿は今われわれが脳へ伝達した概念を、いつも使用している言語で書き表している。これにはいつも4人の霊がかかわっており、周囲を外敵より遮断し、適切な調和状態を確保してくれている。手書きの手段を選んだのは個性の証(あかし)としての意味以外には格別の意味はない。用語は貴殿がふだん使用しているものであり、思想だけがわれわれのものである」
「われわれは今、至上の大使命にたずさわっているところである。神の計画にもとづく仕事であり、それを人間が挫折させるようなことになってはならぬ。これまでわれわれは段階的経過のうちに霊的真理を明かすべく努力してきた。われわれが神の使徒であることをイエスと同様に“しるし”(心霊現象)によって証さんとしてきた。が、同時に心霊現象は大事業の補助的手段にすぎず、したがって、それにあまり熱心になりすぎるのも、あるいはそれでもって事足れりとするのも間違いであることを警告してきた。
現象はただの殻にすぎない。物理的と呼んでいる客観的現象の演出は、霊的真理の啓示というわれわれの使命を裏書きするものとしてのみ存在価値がある。現段階においてはまだ必要性があり、またそれを必要とする者はつねに存在するであろう。それゆえにこそ折にふれてわれわれは驚異的現象を演出して見せてきたが、同時に、それにあまり興味をもちすぎぬように警告し、時として危険でさえあると述べてきた。総じて心霊現象には副次的な価値しかないものである」
「霊媒能力も過度に使用すると体力を消耗させる。この種の現象(物理的現象)は、あくまでも、真理を渇望する魂のためにわれわれが系統だて整理して伝えている通信を受け取るという仕事の補助的な価値しかもたない」
「物理的現象に実在性があるかに思うのは間違いである。往々にして最低の手段にすぎないことがあり、霊媒にとって危険でもあり、霊的交信のアルファベット(最も基本的なこと)を学ぶ者のためにのみ有効であるに過ぎない」
「心霊写真に写る霊姿は霊的素材(エクトプラズムの一種)の映像であって、霊そのものではない。言わば“作られたモデル”であって、確認してもらうために輪郭を整えたにすぎない。白い霧状の物質で包んであるのも同じ理由からである。霊的素材をまとった状態を維持するのは容易でないので、そうやって位置と形を保つのである」
– その霊的素材は物質化現象で見られる物質と同じものでしょうか。
「いや、同類のものではあるが、物質化の程度が異る。むしろ実験中に見られるライトに近く、濃度を濃くも薄くもできる性質のものである」
– そうやって確認されても、その場にいた証拠にはならないとおっしゃいましたが……。
「それは“存在”の絶対的証拠とはならないということである。人間は存在の概念を物質的に考える。すでに述べたように、霊は遠距離からの操作も可能である。そこで、存在の証拠とはならなくても、他界した知人が地上へ戻って来た“しるし”として、そういうものをこしらえるのである。
心霊写真は認知を目的として霊的素材でこしらえる映像である。その霊自身がこしらえる場合もあるし、その霊の指図で複数の霊(霊界の技術者)がこしらえる場合もあろう。ただし、邪霊に騙されていなければ、の話である。邪霊集団にはよくよく注意するよう改めて警告しておく。ウヨウヨしているし、これからますます暗躍が活発となろう。貴殿はそうした霊からの攻撃も覚悟しておく必要がある。われわれの使命が重大なものであるだけに、彼らの嫉(ねた)みを買いやすく、攻撃を受けることは避けられないのである。強く警戒を要請しておく」
「真理を求める者は、肉を霊の支配下に置けるようでなければいけない。真実の霊的知識に憧れる者は生活のすべての面において純粋で、心身ともに勇猛果敢で、真理の追求において一途(いちず)で、足れるを知る人間でなければならない。純粋さ、素朴さ、一途さ、そして進歩と真理への憧憬 – こうしたものが霊的知識の領域へ導いてくれるのである。これに反し、肉体的煩悩が霊性を抑圧している者、霊的知識を卑俗な目的のために悪用せんとする利己主義者 – この種の者は深刻な危険にさらされていると言える。
移り気な人間はとかく神秘的なものに引かれる。神秘のベールが単なる好奇心でもって突き通せるものと安直に考えるのである。見栄(みえ)が強く、能力も知識もないのに、あたかもあるように見せかける。それが他人のものを“のぞき見”する悪趣味を生む。この種の人間には(邪霊集団の手先にされる)危険がつきまとう。真摯な探求者には何ひとつ危険はない」
「根っからの悪人とはいえないまでも、自制心と規律に欠ける者、節度と調和を失える者は、邪霊による攻撃の格好の的にされやすい。その種の人間との付き合いは避けるがよい。同じく霊的であっても、未発達の有難からぬ指導霊の都合のよい手先にされていることがよくあるからである。不節制で、非理知的で、興奮しやすい性格の持ち主には用心するがよい」
さぁ作業進捗ですが、フラー21のストーリーのネームを描いているところなのですが、シルキーのシーンのテキストを撃っていた時に霊団がポォォォォという、いつものピィィィンという高い波長と対照的な低い波長を霊聴に降らせてきました。波長は肯定の意味ですが、この低さは何なんだ?消極的肯定とでも言えばいいのでしょうか。分からないなぁ。
ただ波長はともかくネーム単体としてまだ煮込みが足りない感じがあります、この完成度では原稿用紙に線画を描き始められませんのでどのみち一旦待ちましょう。短いページの中にしっかり霊的意味を持たせたストーリーでなければなりません、フラーのストーリーといえども軽はずみに描く訳にはいかないのです。
ですのでまずはアナログ絵334の中のテキストにもあります「ランディングギア問題」を片付けましょう。さっそくクロッキーを引っ張り出して少しラフを描いています。このままの勢いでフラー22のキャラのデザインにも着手してしまってもいいのかも知れませんが、作業は順番に行きましょう。
昨日あれだけブログを書いてもまだまだ言いたい事が鬼のように地獄のようにあるのです。全然語り足りないのです、撃ち切れないのです。チカラの限界の限界まで振り絞ってテキストを撃っても全然不完全燃焼なのです。しかし「感情と手は別レイヤー」作業だけは何が何でも続行中(祈)†
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†
物質界は僕たち人間の「生活、人生の場」ではありません。シルバーバーチ霊いわく「トレーニングセンター」であり、心を、魂を鍛えて霊界で従事する予定の仕事を遂行するに足る人格、性格、忍耐力等を身に付けるために降下させられる場所、お勉強の場所です。【神】は子等(つまり僕たち)に【神性の火花】を賦与して下さり、それによって僕たちは個的存在を獲得しました。(もう類魂に埋没する事がないという事)これ以降はこの個性を永遠に失う事がなく、果てしない向上の人生を歩む事になります。そして神によって個的存在を賜った僕たち人間は、真っ先にこの物質界に降下してお勉強をさせられます。あえてこういう表現を用いましょう【神】が子供(僕たち人間)に「お勉強の旅に出てらっしゃい。そして十分にオトナになって私のところに帰ってらっしゃい」と言って僕たちを物質界に送られた。こんな感じではないでしょうか。単純に子供の成長を願う親の心境だと僕は思うのですが…続きを読む→
■アナログ絵334「フラー21カラーリング」UP。カラーコンセプトはショートケーキです(祈)†
フラー21のカラーコンセプトが「イチゴのショートケーキ」という事もありましたので(フラー21本体のカラーリングが生クリーム&スポンジケーキ)アナログ絵334のUPに合わせて「イチゴのショートケーキ」を撮影しようという事で普段は絶対に買わないスイーツを購入してこのような画像を撮りましたが、買っておいてまさか捨てる訳にもいきませんのでもちろん食べる訳ですが、僕はこういうモノを食べると100%の確率で具合が悪くなるのです。事実2個入りショートケーキを1日1個で2日に分けて食べました。それでも少し具合が悪くなったくらいです…続きを読む→
「地球を1周」天皇一族の邪悪の正体はもう絶対に隠ぺい不可能という意味です(祈)†
意味は単純明快、皆さまもお分かりの事と思います。こういう感じ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する認識が完全に地球を1周した。今や世界中の人間が天皇などと自称するコイツらの真の悪の姿を正しく理解した。もはや古代の洗脳手法は通用しない。もうウソをつき通す事もゴマかし通す事もすっとぼけ続ける事も絶対に不可能。こういう意味で間違いないでしょう。そしてその理解から導き出される皆さまの当然の感情が「やめるべし」のインスピレーションという事になるでしょう。意味はもちろん「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を有罪と認定し、逮捕、死刑に追い込んで滅亡させるという事になります…続きを読む→
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