【3/21】霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
『シルバーバーチの霊訓⑫』
“死後”とおっしゃいますが私は時折地上世界を見渡して果たして“死ぬ前”に生命があるのかと思う事さえあります。全く生きているとは思えない人、あるいは仮に生きていると言えてもこれ以上小さくなれないほどお粗末な形でしか自我を表現していない人が無数におります。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
良きにつけ悪しきにつけあなたの霊的命運を定めるのはあなた自身です。あなた自身の事に関して最後に責任を負うのはあなた自身です。もし死の床で罪を告白し特別の信仰を受入れればたちまち罪が許され潔白の身にになれるとしたら、それはまさに茶番劇というべきです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
地上の人間が内部に霊的な武器を備えている事を実感する事ができれば、どんなにか充実した生活が送れる事でしょうに。それを活用する事によって、時には地上的喧騒から身を引いて、冷静さ・落着き・平穏・安らぎに浸る事ができるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
真理普及の第一線に立って苦悩している地上の偉大なる魂は、その闘いがいかに激しく反抗がいかに強烈でも、その中にあって少しも内的な安らぎを失う事はありません。表面上の物的な出来事と霊的原理とを同じ天秤にかけてはいけません。霊が主人で物は従僕です。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
解放されなければならないのは女性だけではありません。男性だけでもありません。子供だけでもありません。人類によって苦しめられている動物も解放してやらねばなりません。霊は常に自由であるべきです。物的な何ものによっても束縛されるべきではないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
敵意や敵愾心は無知の産物です。そこに理性の働きが見られません。時には恐怖心から出ている事もありまた時には“洗脳”の結果である場合もあります。知的抵抗力のない幼少期に植えつけられたお座なりの教えから一歩も出る事ができず精神がすっかり汚染されているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
あなたの説く霊的真理が敵意をもって迎えられた時は、その素晴らしい宝石の光が見えない気の毒な人への適切な言葉を求めて神に祈りなさい。もしそれが少しでも効果があれば、その人との出会いは無駄でなかった事になります。―
『シルバーバーチの霊訓⑫』
―もし何の効果もなければ、それはその人がまだ霊的真理を受け入れる用意ができていなかった事を意味します。魂に準備ができていない時は、なすすべがありません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
【巻頭言】頑固な心、石ころのような精神では真理の種子は芽を出しません。受容性に富む魂―素直に受け入れ、それが導くところならどこへでも付いて行ける魂においてのみ花開くものです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
あなたがそのような気持になるまでには、つまり真理を魂の中核として受け入れる備えができるまでには、あなたはそのために用意される数々の人生体験を耐え忍ばなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
もしもあなたがすでにその試練を経ておられるならば、その時点においては辛く苦しく無情に思え、自分一人この世から忘れ去られ、、無視され、一人ぼっちにされた侘しさを味わい、運命の過酷さに打ちひしがれる思いをされた事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
しかし、魂は逆境の中にあってこそ成長するものです。黄金は破砕と精錬を経てはじめてその純金の姿を見せるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
あなたがもしもそうした体験をすでに積まれた方ならば、今手にされている本書の中で私が語り明かす真理に耳を傾ける資格がある事を堂々と宣言なさる事ができます。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
しかしその事は私が語る事のすべてを受け入れる事を要求するものではありません。あなたの理性が反駁する事は遠慮なく拒絶なさってください。あなたの常識的感覚にそぐわないものはどうぞお捨てになってください。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
私もあなた方と少しも変わるところのない一個の人間的存在です。ただ私は、死後もなお続く人生の道を少し先まで歩んできました。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
今その道を逆戻りしてきて、あなたが死の敷居をまたいだのちに絶対的宿命として直面する事になっている新しい、そしてより広大な人生がどのようなものであるかを語ってあげております。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
どうか謙虚に、そして畏敬の念をもって真理を迎えてやってください。謙虚さと畏敬の念のあるところには真理は喜んで訪れるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
そして、せっかく訪れてくれた真理が少しでも長居をしてくれるよう、手厚くもてなしをあげてください。真理こそがあなたに自身と確信と理解力と、そして何にもまして、永遠に失われる事のない、掛けがえのない霊的叡智をもたらしてくれる事でしょう。 シルバーバーチ
TrailMovie「お前だよ」明仁の大罪を大勢の方々が糾弾するという素晴らしい映像を拝しました(祈)†
その明仁のすっとぼけ対応に番組参加者の間にイライラ感が広がる中、僕が開口一番「お前だよ」と切り出します。僕は席を立ってさらに「お前だよ」と問い詰めます。すると勇気を振り絞って他の参加者の方々もひとり、またひとりと「お前だよ」「お前だよ」と明仁に向かって切り出し始めるのです。明仁は何も答えようとしません。答えられるはずがありません。この男の人生はすっとぼけ、ゴマかし、洗脳、自演乙、逃亡で塗り固められており…動画を見る→
■アナログ絵305UP。ももちゃん、シルキーを描き続けるのは意味があっての事なのです(祈)†
そのももちゃんを霊団は見殺しにした、奴隷の女の子たちの救出に霊団は全然本気じゃない、コイツら絶対に許さない、僕はそう思っています。で、もちろん霊団以上に強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が許せません。ももちゃんの死肉を笑いながら食べたバカヤロウが、僕に向かって半笑いで爪楊枝で歯をシーシーしながら「そんな女の子最初からいませんよ笑」とか言ってくるシーンを想像すると…この怒りのレベルは言語を超越しており表現のしようがありません…続きを読む→
TrailMovie 新たなWordPressヘッダー画像、なぜ急に制作したのか、ジャニーズの方々の映像が関係しているのです(祈)†
「使命遂行を邪魔し頓挫させようとする強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁のたくらみの悪念」として映るのです。そしてそれは霊団の「計算ずくの導き」だという事です。霊団、特に守護霊様は僕より僕の心が分かっています。皆さまにも守護霊がいて皆さまより皆さまの事が分かっています。(この説明は別の機会に)霊団には「このムービーを降らせればアキトくんが画像を作るに違いない」という計算があっての導きだった訳です。その霊団の導きを受けていつものようにムカつかされながら「了解」と速攻でヘッダーを作成したのです。別に今に始まった事ではありません、これまでの霊団の導きの手法はずっとこんな感じですから、僕は「まただよ、分かりましたよ、やってやりますよ」って感じだったんですね。はい、僕なりに思うところがあり昨日急きょヘッダーを作成しました、その経緯について「物的視点」では断じてなく、あくまでも「霊的視点」に基いて説明をさせて頂きました…動画を見る→
「いきなり28」僕がアナログ絵28のシチュに突入すると霊団は仰ってます、つまり暗殺ですね(祈)†
キリスト教ではイエス様が磔刑にされたのはなぜだと説いていますか。人類の罪を肩代わりしたとか何とか言ってましたよね確か(今霊団がピィィィンと波長を降らせてきました、強調の意味があるのでしょう)僕は全く詳しくありませんし1ミリたりとも興味がありませんし聖書など死んでも読んでたまるかと思っていますので正確には分からないのですが、要するにキリスト教がイエス様に関して語っている内容は「後説で自分たちの都合のいいようにでっち上げたもの」であるという事、ウソだという事です。イエス様が磔刑にされた理由は「当時の律法学者どもの嫉妬」です。イエス様は物質界に降下した目的、霊的使命遂行をやり切る覚悟だったのですが、イエス様の霊能のすさまじさを見せつけられた律法学者どもが「このままでは自分たちの立場が危うくなる」とイエス様に嫉妬して殺したのです、それが真実です。そしてイエス様の死後から本当の悲劇が始まってしまったのでした…続きを読む→
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません