【5/15】霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†

アナログ絵172

『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊的摂理は原因と結果の関係タネ蒔きと刈り入れの原理の上に成り立っており、これは絶対にごまかせません。あなたのする事、考える事、口にする事の一つ一つがそれ相応の結果を自動的に生み出します。そこにごまかしは利きません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
悪いと知りつつ間違った事をした場合は、その結果に対して責任を取らされます。その結果としての苦しみは自分で背負わねばなりません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
良い行いをする場合でも、それが見栄から出ているのであれば動機がお粗末でいけませんが、魂の自然の発露として善行を施した場合は、そういう行いをしたという事実そのものが、あなたを霊的に向上させます。それが摂理というものなのです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
私が常々申上げているのは、“殺害”の概念がつきまとう食糧品はなるべく摂取しない方がよいという事です。殺すという事は絶対にいけない事です。ただし、その動機を考慮しなければならない場合がある事は認めます。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊的向上を望む者は、いかなる犠牲を払っても大自然の摂理と調和して生きる覚悟ができていなければなりません。その摂理は霊的なのです。霊が発揮すべき側面はいつの時代も同じです。愛と慈悲と寛容と同情と協調です。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
こうした原理にしたがって考えれば、食すべきものを食し、飲むべきものを飲み、正しい生き方に導かれます。しかし最終的に選択するのはあなた自身です。そのために神は自由意志というものをお与えになっているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】動物に投与した抗生物質等の薬品類が巡り巡って人間の体内へ入ってきている事実をどう思いますか。【シルバーバーチ霊】それは他の生命に害悪を及ぼすと必ずそれに対して責任を取らされるという大自然の永遠のサイクルの一環です。―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―他の生命に残酷な仕打ちをしておいて、それが生み出す結果を逃れるという事は許されません。貪欲以外に何の理由付けも無しに動物をオリの中で飼育し、動物としての本来の権利を奪う事は、悪循環をこしらえる事にしかなりません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
そのサイクルの中で因果律が生み出すものに対して、人間は苦しい代償を支払わねばなりません。動物であろうと花であろうと小鳥であろうと人間であろうと、自然界全体が恵んでくれる最高のものを得るには、慈悲と愛と哀れみと親切と協調しかないのです。

シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「私の霊界紀行 驚異の幽体離脱体験記」です☆著者が離脱にて訪れた様々な界層について紹介されてます。著者の指導霊が離脱中の著者にイタズラするシーンなどが紹介されている部分もあって、単純に読み物としてもおもしろいと思います☆(祈)

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【問】動物実験では本当に役立つものは得られないという事を人類が理解する段階はもう来ているのでしょうか。その事に理解がいけば、それは道徳的ならびに霊的生活における大きな進歩を意味する事になるのでしょうか。―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―【シルバーバーチ霊】動物実験によって何一つ役に立つものが得られないという訳ではありません。が、その手段は間違っていると申上げているのです。何の罪もない動物に残酷な仕打ちをする事は霊的なこと全てに反するからです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間は自分のする事に責任を取らされます。動機は正しいと言えるケースも沢山ありますし、それはそれとして霊的発達に影響を及ぼします。摂理とはそういうものなのです。がしかし神は子等が動物への略奪と残忍な行為によって健康になるようには計画しておられません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
学者が道を間違えているのはそこのところです。人間の方が動物より大切な存在である。よってその動物を実験台として人間の健康と幸福の増進をはかる権利がある、という弁解をするのですが、これは間違っております。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
共存共栄こそが摂理なのです。人間がその責任を自覚すれば、哀れみと慈悲の心が生まれてくるはずです。他の生命を略奪しておいて、その結果として自分に及ぶ苦しみから逃れられるものではありません。略奪行為は略奪者自身にとって危険な事なのです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
残虐行為はそれを行う人間にとって罪な事なのです。愛を発揮すれば、それだけ“自分が”得をするのです。憎しみの念を出せば、それだけ“自分が”損をするのです。摂理がそういうふうにできているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
従って当然、皆さんは動物への残虐行為を減らし、もっと良い方法、哀れみに満ちた手段を教えるための努力をすべきです。人々に、自らの生活を規律正しく自然の摂理と調和して生きる手段を教えてあげれば、みんな元気で健康で明るさいっぱいの人間になれるのです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊的にみて間違っている事は決して許されるものではありません。しかし不完全な世界においてはある程度の間違いと行き過ぎはやむを得ません。そうした中にあって皆さんが、平和と友好と和合と愛の中で暮らすべき全生命の福祉を促進するために闘うべきなのです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
愛とは摂理を成就する事なのです。他の生命に残酷な行為をしている限り愛を成就しているとは言えません。ナザレのイエスは自分の敵に対して向けられる愛を最高のものとしました。―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―もとよりこれは生易しいものではありません。情愛、共感、近親感を覚える者を愛する事は容易です。しかし、とかく敵対関係になる相手を愛する事がもしできれば、それは神の御心の最高の表現であると言えます。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
何事につけ、価値あるものは成就する事が困難にできあがっているのです。もし霊的進化がラクに達成できるとしたら、それは達成するほどの価値はない事になりましょう。

シルバーバーチの霊訓、全12巻の他に【古代霊は語る シルバーバーチ霊訓より】【シルバーバーチのスピリチュアルな法則】【シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ】【シルバーバーチの新たなる啓示】【シルバーバーチ 最後の啓示】【シルバーバーチ 今日のことば】等もあります(祈)

■2021年8月13日UP■
「死体切断はもったいないから」明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を四肢切断する理由です(祈)†
ブタ(奴隷の女の子)は死んだけど、この死体はまだオモチャとして遊べる、このまま捨てたり焼いたりしたらもったいない、最後の最後まで遊び倒さないといけない。世界中でこの遊びができるのは俺たちぐらいのもんだ、ホラ悠仁、お前もブタの胴体を切って遊べ、人間を殺すのは楽しいだろ、これが俺たちの仕事だぞ。これからも国民を殺しまくって遊ぶんだぞ。イーッヒッヒッヒッヒッヒ♪つまり奴隷の女の子たちの人生、人権、性格、夢、そして生命、それら全てをオモチャにして遊ぶ事ができるのは世界で俺たちぐらいのものだ、ただ殺すだけじゃもったいない、女の子が生きている間も、泣き叫んで助けを懇願している時も、四肢切断した後も、強姦殺人する時も、女の子が死んで死体となった後も、その死体を切り刻む時も「処刑遊び」の全シチュエーションをバッチリ撮影して記録に残し、最後の最後まで徹底的に遊び倒さないといけない…続きを読む→
■2021年8月25日UP■
「おかしい、みんなそう思ってるぞ」これぞ聡明なる日本国民の皆さまの本心です(祈)†
僕の公言内容をご覧になった方の「これは私には死んでもできない」と感心しておられる思念と思われます。そう思って頂けて感謝ですが「まるで他人事のような感想」はどうかやめて頂きたいですね。皆さまも僕も日本国民です。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の問題は僕たちが解決しなければならない、僕たちのプライド、アイデンティティに関わる緊急命題です。他の誰かがコイツらを倒してくれるのではありません。このバカヤロウどもを滅ぼすのは僕たち日本国民の仕事です。そういう責任感を持って頂きたいのです…続きを読む→
■2021年8月26日UP■
「再生」に関する僕の理解に霊団が「正解」と言ってきました。んんん説明してみましょう(祈)†
僕たち肉体をまとって物質界で生活している人間は、たかだか70~80年の尺度でしか自分の人生を考えられませんが、霊界上層界で生活する霊格の高い方々は「人生を永遠という尺度で考えます」僕たち人間に死はありません、人間とは肉体の死後も霊界で永遠に進歩向上の生活を続ける存在ですが、霊界上層界の方々は「知識」としてそれを知っているだけでなく「永遠の人生を自分の霊体で体現している方々」ですから、当然「永遠の尺度」でモノを考える状態がデフォルトの訳です…続きを読む→
■2019年2月16日UP■
なぜ強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の悪行を止める者が現れないのか。最終的には「霊的知識の無知」に帰着するのです(祈)†
全ては「霊的知識の無知」からくる「近視眼の人生観」によるものなのです。自分の人生を肉体のみのたかだか7~80年のものだと考え、肉体の死後も霊体をまとって霊界で永遠の向上の生活が待っているという事を全く知らないから強姦殺人魔に協力するという愚行を犯してしまうのです。その悪の行いが帰幽後の霊界での自分の人生をいかに地獄に落とし、長い年月にわたる恥辱の反省ののちに現在よりずっとヒドイ地上環境に生まれ直させられて大いに苦しみを味わわされるのか、という事を知識として知っていれば少なくとも女の子たちを殺す手伝いをする事にブレーキがかかるはずなのです…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†