【11/4】霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
『シルバーバーチの霊訓⑤』
【最後に“死”にまつわる陰湿な古い観念の打破を説いてこう述べた―】その身体があなたではありません。あなたは本来永遠の霊的存在なのです。私たちはこうした形で週に一度お会いして僅かな時を過すだけですが、その事がお互いの絆を強化し接触を深める役に立ちます。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
毎週毎週あなた方の霊そのものが霊的影響力を受けてそれが表面へ出ております。その霊妙な関係は物的身体では意識されませんが、より大きな自我は実感しております。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
またこうしたサークル活動はあなた方が霊的存在であって物的存在ではない事を忘れさせないようにする上でも役立っております。人間にはこうしたものがぜひとも必要です。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
なぜなら人間は毎日毎日、毎時間毎時間、毎分毎分、物的生活に必要なものを追い求めてあくせくしているうちに、ついその物的なものが殻にすぎない事を忘れてしまいがちだからです。それは実在ではないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
鏡に映るあなたは本当のあなたではありません。真のあなたの外形を見ているにすぎません。身体が人間がまとう衣服であり、物質の世界で自分を表現するための道具にすぎません。その身体はあなたではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
あなたは永遠の霊的存在であり全大宇宙を支えている生命力、全天体を創造し、潮の干満を支配し、四季の永遠の巡りを規制し、全生命の生長と進化を統制し、太陽を輝かせ星を煌かせている大霊の一部なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
その大霊と同じ神性をあなたも宿しているという意味において、あなたも神なのです。本質において同じなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
程度において異なるのみで、基本的には同じなのです。それはあらゆる物的概念を超越した存在です。全ての物的限界を超えております。あなた方の想像されるいかなるものよりも偉大なる存在です。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
あなたはまさに一個の巨大な原子―無限の可能性を秘めながらも今は限りある形態で自我を表現している原子のような存在です。身体の内部に、いつの日か全ての束縛を押し破り真実のあなたにより相応しい身体を通して表現せずにはいられない力を宿しておられるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
そうなる事をあなた方は死と呼び、そうなった人の事を悼み悲しんで涙を流されます。それは相も変らず“肉体がその人である”という考えが存在し、死が愛する人を奪い去ったと思い込んでいる証拠です。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
しかし死は生命に対して何の力も及ぼし得ません。死は生命に対して何の手出しもできません。死は生命を滅ぼす事はできません。物的なものは所詮、霊的なものには敵わないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
もしあなたが霊眼をもって眺め、霊耳をもって聞き、肉体の奥にある魂が霊界の霊妙なバイブレーションを感じ取る事ができたら、肉体という牢獄からの解放を喜んでいる、自由で意気揚々として、嬉しさいっぱいの甦った霊をご覧になる事ができるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
その自由を満喫している霊の事を悲しんではいけません。毛虫が美しい蝶になった事を嘆いてはいけません。カゴの鳥が空へ放たれた事に涙を流してはいけません。喜んであげるべきです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
そしてその魂が真の自由を見出した事、今地上にいるあなた方も神より授かった魂の潜在力を開発すれば同じ自由、同じ喜びを味わう事ができる事を知って下さい。死の意味がお分りになるはずです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
そして死とは飛び石の一つ、大きな自由を味わえる霊界への関門に過ぎないと得心なさるはずです。他界してその自由を味わったのちに開発される霊力を今すぐあなた方に身をもって実感して頂けない事は私は実に残念に思います。しかしあなた方には知識があります。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
それをご一緒に広め、それによってきっと地上に光をもたらし暗黒を失くす事ができます。人類はもう何世紀も迷わされ続けた古い教義は信じません。教会の権威は失墜の一途を辿っております。霊的真理の受入れを拒んできた報いとして霊力を失いつつあるのです。
「もうウソは必要ないと思う」明仁、文仁、徳仁、悠仁が必要ないという皆さまの思念です(祈)†
もっと噛み砕いて分かりやすい表現で言ってみましょう、こうです。すっとぼけ続けている。という事です。公の場でメディアに向かって「たきざわ彰人、お前そろそろいい加減にしなさい」などと怒りの発言をしたらどうなりますか。僕のブログに一気にアクセスが集中してネット中に議論が噴出するはずです。で、ここで皆さまお考え下さい。もしコイツら、明仁、文仁、徳仁、悠仁が何も犯罪行為をしていない、心にやましい事がないのであれば議論が沸き上がって何も困る事はないはずです。かえって自分の身の潔白が証明される事になって願ったり叶ったりのはずです。しかし「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁はその議論が勃発しないように視点外しに終始していますね。行動には動機がある。つまりこうです、コイツらの邪悪の正体は実はもうとっくの昔に「周知の事実」なのです…続きを読む→
霊団が「奴隷の女の子たち」を救出する気が全くない事を霊的見地から説明してみます(祈)†
物質界に霊的知識を普及させる大業は遅々として進まないと僕は考えます。このやり方では物質界の霊能者がついてこないからです。ただ苦しみばかりを押し付けられて「埋め合わせは帰幽後に存分に」と繰り返し聞かされても「つまり物質界生活中はずっとこのままって意味じゃねーか、やってられるかそんなもん」となるからです。物質界生活中に多少まぁまぁな埋め合わせが発生するような仕組みに切り替えない限り、あの霊能者もこの霊能者も霊の導きに背を向け続ける事になると思います。頭にきて頭にきてしょうがないからです。僕は霊的知識がしっかり頭に入っていてまぁまぁの理解レベルに到達している人間ですから、本当はその知識を駆使して自分の人生を達観できなければならないはずなのですが、1年2年だったらそういう考え方もできるでしょうが、僕は霊性発現してから9年も経過しています。これほど長い年月にわたって苦悶のど真ん中をやらされれば、上っ面だけの理想論など吹き飛びます…続きを読む→
「死体切断はもったいないから」明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を四肢切断する理由です(祈)†
ブタ(奴隷の女の子)は死んだけど、この死体はまだオモチャとして遊べる、このまま捨てたり焼いたりしたらもったいない、最後の最後まで遊び倒さないといけない。世界中でこの遊びができるのは俺たちぐらいのもんだ、ホラ悠仁、お前もブタの胴体を切って遊べ、人間を殺すのは楽しいだろ、これが俺たちの仕事だぞ。これからも国民を殺しまくって遊ぶんだぞ。イーッヒッヒッヒッヒッヒ♪つまり奴隷の女の子たちの人生、人権、性格、夢、そして生命、それら全てをオモチャにして遊ぶ事ができるのは世界で俺たちぐらいのものだ、ただ殺すだけじゃもったいない、女の子が生きている間も、泣き叫んで助けを懇願している時も、四肢切断した後も、強姦殺人する時も、女の子が死んで死体となった後も、その死体を切り刻む時も「処刑遊び」の全シチュエーションをバッチリ撮影して記録に残し、最後の最後まで徹底的に遊び倒さないといけない…続きを読む→
「実際に戦争に送ろうと思ってるんだよ」明仁、文仁、徳仁、悠仁が僕を体よく殺そうとしているのです(祈)†
皆さまは「戦争」というものを「勃発してしまったら国民は戦争に赴かなければならないものなんだ、イヤでもやらなければならないものなんだ」みたいに考えておられますか。皆さま霊的知識をお勉強して下さい。その考えは1億%間違っています。僕たち人間は年齢、性別、人種等に関係なく全員が【神】から「神性の火花」を賜って個的存在を獲得した「神を共通の父(親)とした霊的同胞、霊的兄弟、霊的大家族」です。霊的知識を正しく理解すると、戦争で敵国の兵士を殺す事は「自分の家族を殺す事と同義」という事が理解できます。戦争というものは無知から生じる大変愚かな行為という事になります。そして僕は以前「コロナウソ」に関してこのような事を書いた事がありますが…続きを読む→
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