『シルバーバーチの霊訓⑤』
あなたもこちらへお出でになれば分ります。きちんと成遂げた事、やるべきだったのにやらなかった事、そうした事が逐一分ります。逃してしまったチャンスが幾つもあった事を知って後悔する訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
【牧師「キリストへの信仰をどう思われますか。神はそれを嘉納されるでしょうか。キリストへの信仰はキリストの行いに倣う事になると思うのですが」】主よ、主よ、と何かというと主を口にする事が信仰ではありません。大切なのは“主の心に叶った行い”それが全てです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
口にする言葉や心に信じる事ではありません。頭で考える事でもありません。実際の行為です。何一つ信仰というものを持っていなくても落込んでいる人の心を元気づけ、飢える人にパンを与え、暗闇にいる人の心に光を灯してあげる行為をすればその人こそ神の心に叶った人です
『シルバーバーチの霊訓⑤』
【列席者の一人がイエスは神の分霊なのかと問うと―】イエスは地上に降りた偉大なる霊覚者だったという事です。当時の民衆はイエスを理解せず、遂に十字架にかけました。いや今なお十字架にかけ続けております。イエスだけでなく全ての人間に神の分霊が宿っております。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
ただその分量が多いか少ないかの違いがあるだけです。【牧師「キリストが地上最高の人物であった事は全世界が認めるところです。それほどの人物がウソをつくはずはありません。キリストは言いました―“私と父とは一つである。私を見た者は父を見たのである”と」―】
『シルバーバーチの霊訓⑤』
【―「これはキリストが即ち神である事を述べたのではないでしょうか」】もう一度聖書を読み返してご覧なさい。“父は私よりも偉大である”とも言っておりませんか。【牧師「言っております」】
『シルバーバーチの霊訓⑤』
また“天に在します我等が父に祈れ”とも言っております。“私に祈れ”とは言っておりません。父に祈れと言ったキリスト自身が“天に在します我等が父”である訳がないでしょう。“私に祈れ”とは言っておりません。“父に祈れ”と言ったのです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
【牧師「キリストは“あなたたちの神”と“私の神”という言い方をしております。“私たちの神”とは決して言っておりません。ご自身を他の人間と同列に置いていません」】“あなたたちの神と私”とは言っておりません。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
“あなたたちは私より大きい仕事をするでしょう”とも言っております。あなた方キリスト者にお願いしたいのは聖書を読まれる際に何もかも神学的教義に合わせるような解釈をなさらぬ事です。霊的実相に照らして解釈しなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
存在の実相が霊であるという事が宇宙の全ての謎を解くカギなのです。イエスが譬え話を多用したのはそのためです。【牧師「神は地球人類を愛するが故に唯一の息子を授けられたのです」と述べてイエスが神の子であるとのキリスト教の教義を弁護しようとする―】
『シルバーバーチの霊訓⑤』
イエスはそんな事は言っておりません。イエスの死後何年もたってから例のニケーア会議でそんな事が聖書に書き加えられたのです【牧師「ニケーア会議?」】西暦三二五年に開かれております【牧師「でも私が今引用した言葉はそれ以前からあるヨハネ福音書に出ていました」】
『シルバーバーチの霊訓⑤』
どうしてそれが分ります?【牧師「いや歴史にそう書いてあります」】どの歴史ですか【牧師「どれだかは知りません」】ご存知のはずがありません。一体聖書が書かれる、その元になった書物はどこにあるとお考えですか【牧師「ヨハネ福音書はそれ自体が原典です」】
『シルバーバーチの霊訓⑤』
いえそれよりもっと前の話です【牧師「聖書は西暦九〇年に完成しました」】その原典になったものは今どこにあると思いますか【牧師「いろんな文書があります。例えば」と言って一つだけ挙げた】それは原典の写しです。原典はどこにありますか。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
【牧師がこれに答えきれずにいると―】聖書の原典はご存知のあのバチカン宮殿に仕舞い込まれて以来一度も外に出された事がないのです。あなた方がバイブルと呼んでいるものはその原典の写しの写しの、そのまた写しなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
おまけに原典にないものまで色々と書き加えられております。初期のキリスト教徒はイエスが遠からず再臨するものと信じて、イエスの地上生活の事は細かく記録しなかったのです。ところがいつになっても再臨しないので、ついにあきらめて記憶を辿りながら書きました。