ティラノビルダー、ティラノスクリプトで読書アプリを制作中に霊団が「出版社設立」に関連した事を連発で言ってきて、読書アプリの作業が中断してアレコレ調べるハメになっていますが、おかげでいろいろ分かりました。今後の活動の参考になるのは間違いないでしょうが、まずは削除せずに残したインスピレーションをこのように羅列してみます↓
【目次】霊団が降らせたインスピレーション(祈)†
もう霊団は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡につながるような事は全く言ってこない、しかし先ほど少しだけ奴隷の女の子に関する事を言ってきました。ただしそれは全く皆さまにお話できない内容なので削除せざるを得ませんでした。さぁインスピレーションの説明に入りましょう。
それよりもまず出しましょう 自社製品 人々が恩恵を受けられますように、そして うまい企業です 委託
まずコチラの書籍を読了しています↓
そしてこの書籍でお勉強して獲得した知識と僕の使命遂行を照らし合わせて到達した現時点での回答としましては…「ISBN取得はとにかく僕にはムリ」「ISBNなしで書籍を出すとなれば“同人”か“Amazon(電子書籍およびペーパーバック)”しかないという事になる」「伏せ字ナシで書籍を書くなら同人、伏せ字アリで書くならAmazon」という感じでしょうか。
「人々が恩恵を受けられますように、そして」これは僕が出版する書籍に霊的知識が多数含まれていて、それが読者の方々の霊的知識の理解の助けになり、恩恵になるという趣旨の事を言っているのですが、それはもちろん僕もそういう風になったらうれしいです。しかし本は書けるとしても自分の出版社で刊行するのは現状ムリと思っています。
「委託」これは同人委託販売の事を言っているのかも知れません。つまり同人を作って自分で梱包、発送までやるのは相当キビシイ、それで委託するという意味で、同人活動をされている方々にとっては当たり前の事でしょうが、例えば「Booth」とかがあります。
まぁ霊団は何度も「バキュン作戦(伏せ字の事)」と言ってきていますので伏せ字アリでAmazonで電子書籍およびペーパーバックを出すというのが現状もっともスマートでしょう。ただし霊団はそうは思っていないようです。イヤ僕だって出版社やれるものならやりたいですよ。ISBN取得がとにかくムリなんですよ。
申し訳ありませんが 申し訳ないんだけど
このインスピレーションに始まった事ではなく、霊団からはもう何年も前から数えきれないくらい謝罪の思念が降ってきていまして、そのたびに僕は「口だけなら何とでも言えるだろ、その謝罪の意思を行動で示せよ」と思念を返しているのですが、霊団は霊聴にピーチクパーチク言ってくる以外の事はなにも降らせてきません。
何が「申し訳ない」のかの説明はしたくありません。僕がイヤでイヤでどうしようもない事を結果的にやらせる事になってしまっている事に対して霊団が謝罪してきているという説明で止めておきます。それ以上はご勘弁下さい。
本格的に稼働したら15年 サンキュー 4人いればいいんだよ よく軽々しく3人をまとめられたもんだよ
これがまたしても「交霊会」「僕という霊媒を使用して霊言を降らせる」事に関するインスピレーションで、サークルメンバー問題解決の糸口が全くないから交霊会などできないとずっと言っているのに霊団はそうは思っていないらしく、まだ性懲りもなくこういう事を言ってきます。
「サンキュー」もう交霊会がおこなわれているかのような言い回しです。どういう事なんだ。
僕がサークルメンバーをまとめるような趣旨の事も言ってきていますが、それはもちろんそういう状況になればそういう風にしますけども、霊的知識を理解していてサークルメンバーになり得る人間が、僕の身近に全くいない事は僕より霊団の方が分かっているはずです。一体どういうつもりでこういう事を言ってくるのでしょうか。
※そして何より霊性発現初期の頃に僕は霊団に言われて「サークルメンバー集め」に奔走させられた事があり、それが思い出したくない最悪の体験であり、もう2度とあんな状況に突入するつもりはありません。まさか霊団はまたあの最悪を僕にやらせるつもりじゃないだろうな。断固拒否。
51 19 ワープ
まず「51」これはアナログ絵51の事を言っているものと思われますが↓
そして僕はデザインの人間であり、豊富な情報拡散能力を有しています。絵、Web、ムービー、アプリ、書籍等々…僕という霊媒がもし機能しようものなら、僕は持てる能力の全てを駆使して徹底的にありとあらゆる方法で僕という霊媒から降った新規の霊言を物質界に拡散させる事をやるつもりでいるのです。出版社もその拡散カードの中のひとつという事になります。
あと「19」これも相当大昔に描いたアナログ絵19の事を言っているものと思われるのですが↓
この絵を理解するためにはコチラの過去ブログをご覧頂かねばなりませんのでぜひ合わせてお読みください↓
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は全然滅亡させられていない、奴隷の女の子はひとりたりとも助けてあげる事ができていない、全然物的肉眼に映じる結果に到達してないじゃないですか。不完全燃焼すぎてフラストレーションたまりまくりです。
※だいぶ前に書いたブログです。 “こんなにうまく行ったのは過去例がない”これはイエス様ハンドリングがうまく行ったという霊団からのメッセージなのです祈†
“過去例がない”つまり、霊界に記録が残されている、地上に降下して霊的使命を遂行し、一死奉公をした過去三千余年の霊覚者たち、その誰も到達し得なかったエリアにまで僕は到達する事ができた、そういう意味のようなのです。以前「100%霊界新記録」ともインスピレーションを受け取らせて頂いていますし…続きを読む→
僕の霊的向上のスピードが「霊界新記録」と言いたくなるほど速いという事らしいのですが、それは僕の能力でそうなったのではなく、何度も書いていますように「守護霊様の導きがウマすぎた」という事であり、それで僕は守護霊様に永遠の恭順を誓っているのです。
「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†
あなたの愛する男性、女性は性格の優しい、正しい行いをする、あなたにとって愛すべき人物だとします。あなたはそれを長い年月にわたって共に生活してきた事によって知っており、その人物を愛するに至っています。また、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の、これまで歩んできた苦難の道のり、獲得してきた知識と叡智の深さ、経験から導き出される慈愛の態度を、これまでのお付き合いによって認識しており、あなたはその師に対して深い尊敬の念を覚えるに至っています。しかし、あなたの愛する人物、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の人格、性格、人となり、これまでの苦難の道程を全く理解していない赤の他人が、何も知らない分際であてずっぽうで「こいつはこういう最低の人間だ、こいつは頭の悪い、おかしな奴だ」と言いふらしたとしましょう。皆さまはそれをどのように受け止められますか…続きを読む→
もう2年が経過する
何が2年なのか全然意味が分かりません。僕の霊性発現は2012年6月。もう11年が経過しています。最低最悪の11年でした。イヤまだ最悪が続きます。何が2年なのか全く意味不明。
再びこちらに目を向けて欲しく思う 最高レベルの波長に感応するべく
僕は山に向かうロングドライブの時にずっと、ずっと、本当にずぅぅぅっと、霊関連書籍をMP3化したモノを聞き続けているのですが、今回もシルバーバーチ霊の言葉をずっと聞きながら運転していました。そしてもう内容を全部覚えているくらい聞き続けているのに、未だにその内容に感動させられるのです。
もし僕が本当に霊媒として機能して新規の霊言が僕という通路からドッカンドッカン降ってくるようになったら、僕の霊団への怒り憎しみの念はだいぶ和らぐでしょうね。とはいえ「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させるつもりが全くない、奴隷の女の子を完全に見殺しにするつもりというその姿勢に対してだけは怒りの念を感じ続けるでしょうが。
「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†
神を侮るべからず。己の蒔きしものは己が刈り取るべし(ガラテア6・7)神の摂理は絶対にごまかされません。傍若無人の人生を送った人間が死に際の改心でいっぺんに立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染込んだ汚れが、それくらいの事で一度に洗い落とせると思われますか。無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切おろそかにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。“すみませんでした”の一言で全てが赦されるとしたら果たして神は公正であると言えるでしょうか…続きを読む→
見えざる存在のやっている仕事を笑ってはいけません 鼓舞するであろう 困難を克服する
まず「見えざる存在のやっている仕事を笑ってはいけません」ですが、これは僕が現在OCR変換テキスト見直しをおこなっている「ベールの彼方の生活 2巻」の内容に関連したインスピレーションで、今回のブログでぜひ抜粋しようと思っていた部分について言っているのです。それはコチラの内容です↓
3 “下界”と地縛霊
1913年11月28日 金曜日
人類の救世主、神の子イエス・キリストが“天へ召される者は下界からも選ばれる”と述べていることについて考察してみたい。下界に見出されるのみならず、その場において天に召されるという。その“下界から選ばれる者”はいずこに住む者を言うのであろうか。これにはまず、イエスが“下界”という用語をいかなる意味で用いているかを理解しなければならない。この場合の下界とはベールの彼方においてとくに物質が圧倒的影響力をもつ界層のことを指し、その感覚に浸る者は、それとは対照的世界すなわち、物質は単に霊が身にまとい使用する表現形体に過ぎぬことを悟る者が住む世界とは、霊的にも身体的にも全く別の世界に生活している。それ故、“下界の者”と言う時、それは“霊的な意味において地上に近き界層”にいる者を指す。時に地縛霊と呼ぶこともある。肉体に宿る者であろうと、すでに肉体を棄てた者であろうと、同じことである。
身は霊界にあっても魂は地球に鎖(くさり)でつながれ、光明の世界へ向上して行くことが出来ず、地球の表面の薄暗き界層にたむろする者同士の間でしか意志の疎通ができない。完全に地球の囚われの身であり、彼らは事実上“地上的環境”の中に存在している。さてイエスはその“下界”より“選ばれし者”を天界へ召されたという。
その者たちの身の上は肉体をまとってはいても霊体によって天界と疎通していたことを意味する。その後の彼らの生活態度と活躍ぶりを見ればその事実に得心が行く。
悪のはびこる地上をやむを得ぬものと諦めず、悪との闘いの場として敢然と戦い、そして味方の待つ天界へと帰って行った彼ら殉教者の不屈の勇気と喜びと大胆不敵さは、その天界から得ていたのであった。そして同じことが今日の世にも言えるのである。
これとは逆に地上の多くの者が襲われる恐怖と不安の念は地縛霊の界層から伝わって来る。その恐怖と不安の念こそがそこに住む者たちの宿業なのである。肉体はすでに無く、さりとて霊的環境を悟るほどの霊覚も芽生えていない。
が、それでも彼らはその界での体験を経て、やがては思考と生活様式の向上により、それに相応しい霊性を身につけて行く。動かくて人間は“身は地上にあっても霊的にはこの世の者とは違うことが有り得る”という言い方は事実上正しいのである。
これら2種類の人間は、こちらへ来ればそれ相応の境涯に落着くのであるが、いずれの場合も自分の身の上については理性的判断による知識はなく、無意識であったために、置かれた環境の意外性に驚く者が多い。
このことを今少し明確にするために私自身の知識と体験の中から具体例を紹介してみよう。曽て私は特別の取り扱いを必要とする男性を迎えに派遣されたことがある。
特別というのは、その男は死後の世界について独断的な概念を有し、それに備えた正しく且つ適切な心がけは“かくあるべし”との思想を勝手に抱いていたからである。地球圏より2人の霊に付き添われて来たのを私がこんもりとした林の中で出迎えた。
2人に挟まれた恰好で歩いて来たが、私の姿を見て目が眩んだのか、見分けのつかないものを前にしたような当惑した態度を見せた。私は2人の付き添いの霊に男を1人にするようにとの合図を送ると、2人は少し後方へ下がった。男は始めのうち私の姿がよく見えぬようであった。
そこで、こちらから意念を集中すると、ようやく食い入るように私を見つめた。そこでこう尋ねてみた。「何か探しものをしておられるようだが、この私が力になってさしあげよう。その前に、この土地へお出でになられてどれほどになられるであろうか。それをまずお聞かせ願いたい。」
「それがどうもよく判りません。外国へ行く準備をしていたのは確かで、アフリカへ行くつもりだったように記憶しているのですが、ここはどう考えても想像していたところではないようです。」
「それはそうかも知れない。ここはアフリカではありません。アフリカとはずいぶん遠く離れたところです。」
「では、ここは何という国でしょうか。住んでいる人間は何という民族なのでしょうか。さきほどのお2人は白人で、見なりもきちんとしておられましたが、これまで1度も見かけたことのないタイプですし、書物で読んだこともありません。」
「ほう、貴殿ほどの学問に詳しい方でもご存知ないことがありますか。が、貴殿もそうと気づかずにお読みになったことがあると思うが、ここの住民は聖人とか天使とか呼ばれている者で、私もその1人です。」
「でも…」彼はそう言いかけて、すぐに口をつぐんだ。まだ私に対する信用がなく、余計なことを言って取り返しのつかぬことにならぬよう、私に反論するのを控えたのである。何しろ彼にしてみればそこは全くの見知らぬ国であり、見知らぬ民族に囲まれ、1人の味方もいなかったのであるから無理もなかろう。
そこで私がこう述べた。「実は貴殿は今、曽てなかったほどの難問に遭遇しておられる。これまでの人生の旅でこれほど高くそして部厚い壁に突き当ったことはあるまいと思われます。これから私がざっくばらんにその真相を打ち明けましょう。
それを貴殿は信じて下さらぬかも知れない。しかし、それを信じ得心が行くまでは貴殿に心の平和はなく、進歩もないでしょう。貴殿がこれより為さねばならないことは、これまでの一切の自分の説を洗いざらいひっくり返し裏返して、その上で自分が学者でも科学者でもない、知識の上では赤子に過ぎないこと、この土地について考えていたことは一顧の価値もない – つまり完全に間違っていたことを正直に認めることです。
酷(こく)なことを言うようですが、事実そうであれば致し方ないでしょう。でも私をよく見つめていただきたい。私が正直な人間で貴殿の味方だと思われますか、それともそうは見えぬであろうか。」
男はしばし真剣な面持(おもも)ちで私を見つめていたが、やがてこう述べた。「あなたのおっしゃることは私にはさっぱり理解できませんし、何か心得違いをしている狂信家のように思えますが、お顔を拝見したかぎりでは真面目な方で私の為を思って下さっているようにお見受けします。で、私に信じてほしいとおっしゃるのは何でしょうか。」
「“死”についてはもう聞かされたことでしょう。」「さんざん!」「今私が尋ねたような調子でであろう。なのに貴殿は何もご存知ない。知識というものはその真相を知らずしては知識とは言えますまい。」
「私に理解できることを判り易くおっしゃって下さい。そうすればもう少しは呑み込みがよくなると思うのですが…」「ではズバリ申し上げよう。貴殿はいわゆる“死んだ人間”の1人です。」
これを聞いて彼は思わず吹き出し、そしてこう述べた。「一体あなたは何とおっしゃる方ですか。そして私をどうなさろうと考えておられるのでしょうか。もし私をからかっておられるだけでしたら、それはいい加減にして、どうか私を行かせて下さい。この近くにどこか食事と宿をとる所がありますか。少しこれから先のことを考えたいと思いますので…」
「食事を取る必要はないでしょう。空腹は感じておられないでしょうから宿も必要ありません。疲労は感じておられないでしょうから…それに夜の気配がまるで無いことにお気づきでしょう。」
そう言われて彼は再び考え込み、それからこう述べた。「あなたのおっしゃる通りです。腹が空きません。不思議です。でもその通りです。空腹を感じません。それに確かに今日という日は記録的な長い1日ですね。わけが分りません。」
そう言って再び考え込んだ。そこで私がこう述べた。「貴殿はいわゆる死んだ人間であり、ここは霊の国です。貴殿はすでに地上を後にされた。ここは死後の世界で、これよりこの世界で生きて行かねばならず、より多く理解して行かねばならない。
まずこの事実に得心が行かなければ、これより先の援助をするわけには参りません。しばらく貴殿を1人にしておきましょう。よく考え、私に聞きたいことがあれば、そう念じてくれるだけで馳せ参じましょう。それに貴殿をここまで案内してきた2人がいつも付き添っています。
何なりと聞かれるがよろしい。答えてくれるでしょう。ただ注意しておくが、さきほど私の言い分を笑ったような調子で2人の言うことを軽蔑し嘲笑してはなりません。謙虚に、そして礼儀を失いさえしなければ2人のお伴を許しましょう。貴殿はなかなか良いものを持っておられる。
が、これまでも同じような者が多くいましたが、自尊心と分別の無さもまた度が過ぎる。それを2人へ向けて剥(む)き出しにしてはなりませんぞ。その点を篤と心してほしい。
と言うのも、貴殿は今、光明の世界と影の世界との境界に位置しておられる。そのどちらへ行くか、その選択は貴殿の自由意志に任せられている。神のお導きを祈りましょう。それも貴殿の心掛け1つに掛かっています。」
そう述べてから2人の付き添いの者に合図を送った。すると2人が進み出て男のそばに立った。そこで3人を残して私はその場を離れたのであった。
– それからどうなりました。その男は上を選びましたか下を選びましたか。
その後彼からは何の音沙汰もなく、私も久しく彼のもとを訪れていない。根がなかなか知識欲旺盛な人間であり、2人の付き添いがあれこれと面倒を見ていた。が、次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。
そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。
そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。
やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†
はい、長文をいとわず抜粋させて頂きましたが、これは全人類が理解しなければならない必須中の必須の霊的知識と言っていいと思います。こういう風に霊的な事を子バカにしている人間が物質界には本当に恐ろしいほどたくさんいて、帰幽後の霊界生活でその間違った認識を苦悶と恥辱の中に修正、反省させられるという事なのですが、ザブディエル霊も仰っていますように「こうしたことはよくあることである」そうです。
それは「僕が中間境(上か下か選択できる境涯)に置かれたという事は、現時点の僕がまだ上層界に赴く資格に到達していないという事だ。ならその人格的に足りない部分を遅かれ早かれお勉強(修正)しなければならないので、時間のムダを省いて今すぐ下層界に降下してお勉強してきます」と指導霊に告げ、自ら志願して降下するつもりでいるのです。
我を張りたきゃ張ればいい。その分進歩が遅くなる。僕は素直に自分の人格の不足を認めてお勉強する道を選択する。この「ベールの彼方の生活 2巻」のお話をテキスト修正しながら、僕はそんな事を考えたのです。
そしてそのお勉強はほかならぬ物質界生活中にやっておかなければならないものであり、物質界という試練の境涯の存在意義を理解する事が自身の霊的向上にとって大変重要である事を教えてくれるストーリーなのです。
ちなみに近藤千雄先生も書籍の中でこのように仰っています↓
シルバーバーチの霊訓 6巻6章より抜粋
– いつまでも地上的名誉心や欲望の中で暮している人が実に多いのである。ではそうならないためにはどういう心掛けが大切か – これは今さら私から言うまでもなく、それを教えるのがそもそもシルバーバーチ霊団が地上へ降りてきた目的なのである。
具体的な事はこうして霊言集をお読み頂いている方には改めて申し上げるのは控えるが、ただ私から1つだけ付け加えたい事は、あちらへ行って目覚めた時に必ず付き添ってくれる指導霊の言う事に素直に従う事が何よりも大切だという事である。
この近藤先生のお言葉は「名言中の名言」と言っていいでしょう。この霊的知識を知っているのと知らないのとでは、帰幽後の霊的進歩向上に天と地ほどの差が生じるでしょう。賢き方々はこの知識を謙虚と共に獲得し、愚かなる者は軽蔑と嘲笑をもって拒絶し、このストーリーの男性のように苦悶と恥辱を味わわされる事になるのです。
「強制的に合体」これは支配霊バーバネル氏が強制的に僕という霊媒を使用するつもりという意味です(祈)†
皆さまは「死ぬのが怖い」ですか。それは間違いです。僕たち人間に「死」はありません。僕たち人間は【神】から神性の火花つまり個的存在を賜って永遠に個性を失わない存在となりました。それ以前は類魂に埋没する存在だったのですが、人間となった僕たちは物質界を離れて以降も霊界にて霊的表現媒体をまとって永遠の進歩向上の生活を続けるのです。霊界で生活している方々は、よほどどうしようもない理由でもない限り物質圏付近に降下しようとは思いません。霊界とは(もちろん上層界と下層界とでは天と地の差がありますが)よほどの極悪人、未熟霊でない限りは大抵の場合幸福な境涯に赴き、物質界生活時には想像もしなかった喜びにあふれた生活を味わって激しく心を撃たれます…続きを読む→
悲しみのために建てられるのではない 喜んで下さい 悔し涙を拭う必要はありません★ 希望は捨てないで
はい、今回は複数の意味深長な幽体離脱時映像が降ってきていたのですが、どうにもこうにも霊団が言わんとしている意味を解釈する事ができず、残念ながらそれらを削除し「悔し涙を拭う必要はありません★」のインスピレーションをブログタイトルに冠する事としました。
ではインスピレーションの個別に入ってみますが「悲しみのために建てられるのではない」これは何が建てられるのかが全然分からないのですが、ただこのインスピレーションを見る時「ベールの彼方の生活 1巻」のオーエン氏のご母堂の言葉が僕の頭によぎったのでした。こちらの部分です↓
3 バイブレーションの原理 ※より抜粋1913年 9月25日 木曜日
聖書の中に主イエスがペテロの事を自分への反逆者であるかの如く述べた部分があり、あなたはその真意を捉えかねている様子だから、今夜は十分ではないけど是非その事を明らかにしてみたいと思います。
ご存知の通り、その時イエスはエルサレムへ行く途中でした。そして弟子たちに対し自分はエルサレムで殺されるであろうと述べます。その時のイエスの真意は、自分が殺される事によって一見自分たちの使命が終わったかの如く思われるかも知れないが、見る目をもつ者には – 弟子たちがそうであって欲しいとイエスは思った事でしょうが – 自分の真の目的はそれまでの伝道の道よりも遥かに強力にして栄光ある発展のための口火を切る事であり、それが神より授かった地上人類の霊的高揚の為の自分の使命なのだという事でした。
ペテロはそれが理解できない事を彼なりの態度で示しました。当然であり無理もない事です。がこの事についていつも見落とされている事があります。それは、イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。
それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。
悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。
もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。
そして遂にそうなりました。最もそれは悲しみの奥義を理解できるようになってからの事です。理解と言っても限られた程度のものでした。が、ある程度の理解は確かにできたのでした。
このオーエン氏のご母堂の「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」の部分は本当に意味深く、僕は長い年月にわたり霊団主導で最低最悪の人生をやらされてここまできていますので心に激しく突き刺さるのですが、何が建てられるのかは分からないのですが、たぶん「霊的橋頭堡(きょうとうほ)」ではないかと仮定し、その霊的橋頭堡が「悲しみのためでなく喜びのための建てられるのだ」と言っているような気もします。
「希望は捨てないで」これなんですが、この言葉は「もう可能性がなくなった人間に対して投げかける慰めの言葉」のように聞こえませんか。いかがですか皆さま。何しろ霊団はずっと僕にゴメンゴメン言い続けていますので、そういう意味ではこのインスピレーションは妙に納得の部分があります。
つまり物質界に残されている限り延々と最悪をやらされ続ける、全く物的肉眼に映じる結果に到達しない、という意味でしょう。だったらいつも言っているように「僕にこの人生をやらせた責任を取れ」と本気で言いたいですが、それも帰幽後に埋め合わせ、の一点張り。宇宙一釈然としない。
本当に同じ事を何度も書いて申し訳ありませんが、僕は本当の本気で霊団を憎んでいます。完全に人生(Dreamwork、画家の人生)をブチ壊されて、自分の心が1ミリたりとも望んでいない状況に延々閉じ込められて生活しているからです。
確かに帰幽後の事だけを考えれば「悔し涙を拭う必要はありません★」なのかも知れません。この苦しみに耐えた埋め合わせとしての褒章を霊界にて賜り、それが物的脳髄での想像をはるかに超える栄光である、それを思えば永遠の中の一瞬である物質界人生での苦しみなど全く取るに足らない。霊的知識に照らし合わせて考えれば確かにそういう回答になるでしょう。
物質界の諸問題を全然解決できないまま帰幽し、そこで想像を絶する栄光を賜り、大いに喜び、嬉しさに顔をほころばせながらそれきり2度と物質界の方を振り向く事はなく、一直線に霊的進歩向上の生活を送りジャンジャン上層界へと進出していく。まぁ僕は「帰幽カモン」であり物質界に本当に1ミリも未練がありませんのでそれで別に構わないのですが、この胸につかえる不愉快な気持ちは一体何なのでしょうか。
確かに「霊的知識普及」を推し進める事ができれば、これは決して大げさな表現ではなく真実として「神のご意志遂行ど真ん中」と言える仕事であり、イエス様を筆頭とした上層界の高級霊の方々がもっとも喜ぶ状況となるのかも知れません。そうであれば僕もうれしいです。
ムカついているという事は現在の僕がその霊格に全然到達していないという事になります。そりゃぁまぁ到達できないでしょう。物質界生活中に永遠の視点を獲得するのは1億%不可能でしょう。
ですので今回のインスピレーション「悔し涙を拭う必要はありません★」は、物質界の人間に理解を要求するにはハードルが高すぎるインスピレーション、僕にはそう感じられます。
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†
現在の苦難を耐え抜かなければその罪障消滅が達成されず、キミはまた物質界に再降下しなければならなくなるんだよ。我々はキミのためを思ってキミをその苦しみの中に閉じ込めているんだよ。罪障消滅が達成されなかったらキミがまた苦しい思いをする事になるんだよ。これで終わりにするためにその苦しみに耐えるんだ。という意味で霊団が僕を脅し続けているのかも知れません。イヤ、僕のこれまでの人生をよくよく振り返ってみた時に、僕はそういう理由で物質界に降下した人間じゃないと思う。幼少の頃から絵を描き続け、マンガ家も経験し、Dreamworkに突入して死ぬまで絵を描き続ける事を固く固く決断していた。僕はそういう罪障消滅目的の人間ではないと思う、そうだったら絵の才能を賦与されていないと思う。僕に関してはそれはちょっと違うと思う。現在の僕の状況は霊性発現によって「後説」で賜ってしまった追加試練だと思う。守護霊様の管轄内で生活していた時はこんな状況には全くならなかった。「100の光の霊団」の管轄に切り替わってから僕の人生が一気におかしくなった…続きを読む→
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†
実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→
「愛の試練・霊障イペルマルシェ」再び。まだやってくるか、超頭にくるんですよ(祈)†
眠気防止対策でポテチを食べたりするのですが、今回に関しては全く効果がなく、とにかく運転中に目が閉じまくり何度も反対車線に飛び出しそうになります。僕は上半身を激しく前後にガクガク動かしながら(ハンドルに近付けたり遠ざけたりして)運転を続けますが、何をどうやっても目が閉じ続けます。駐車場に続く林道セクションに入ってからも全く目が開く事はなく、180度カーブを曲がり切れなくて何度も岩の壁にぶつかりそうになりながら、頭を振って上半身を徹底的にゆさゆさ動かし続けて強引に目を開けながら運転を続け、かろうじて駐車場に到着したのでした。そして車内で着替えを始めると、さっきまでの運転時の目を閉じられていた状態がウソみたいにまるっきり普通に着替えているのです。猛烈に眠いのであれば着替え中も眠いはずです。その瞬間に「これは完全におかしい、超久々にバーバネル氏がやりやがったんだな」と理解したのでした…続きを読む→
「許してくれ」霊団が自分たちの導きの失敗を完全に認めた一言となります(祈)†
「泣きっ面にハチ」これが僕の霊的使命遂行をもっとも正確に表した言葉ではないでしょうか。なぜDreamworkをやめさせられてこんな最悪な人生をやらされなければならなかったのか、その理由について何ひとつ納得のいく回答は霊団から降ってきません。つまり説明できないからです「行き当たりバッタリ」だったからです。で、霊界側として完全に予定外だった少年(僕)に、誰もやってくれない仕事(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁邪悪の正体の情報拡散)を押し付けてやらせてはみたものの、そもそも行き当たりバッタリで始めた仕事だったので(無計画だったので)僕の暗殺を回避するので精一杯で全然事態を進展させる事ができないまま時間だけが流れていった…続きを読む→