別に嬉しい事を言われた訳ではありません、使命遂行まるっきりやる気なしという霊団の基本姿勢に変わりはありませんので腹は立ちますが、ブログは何とか書けそうな感じになったというだけです。まだインスピレーション量は少ないです。
ちなみに数日前にあるところにメールを出してますが、たぶんお盆休みだからだと思うのですが全く返信はありません。イヤこのまま完全に無視という可能性も高いですが、絶版状態の霊関連書籍復刊に向けたテキスト化に関するメールです。
たきざわ彰人という名が知れ渡っているという指標になるかどうかは分かりませんが、僕はどこに行ってもこういう扱いを受けます。正しいおこないをする者がヒドイ目に遭わされる、物質界という狂った腐った境涯に1ミリたりとも興味はありません。帰幽したが最後、永遠に関係を断ちます。死んでも戻ってくるもんかこんなところに。
山のアタックですが、またしてもグラデーション撮影はできない状況のようです、今年の夏は撮影ができなくて困りましたね。雨でずぶ濡れになっても撮影続行できるデジ一眼とか、そういうものってないんですかね。今Amazonで見たら、デジ一眼用のハウジングというものがありますね、水中撮影用みたいな。それはともかくますはアナログ絵356に集中中(祈)†
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†
現在の苦難を耐え抜かなければその罪障消滅が達成されず、キミはまた物質界に再降下しなければならなくなるんだよ。我々はキミのためを思ってキミをその苦しみの中に閉じ込めているんだよ。罪障消滅が達成されなかったらキミがまた苦しい思いをする事になるんだよ。これで終わりにするためにその苦しみに耐えるんだ。という意味で霊団が僕を脅し続けているのかも知れません。イヤ、僕のこれまでの人生をよくよく振り返ってみた時に、僕はそういう理由で物質界に降下した人間じゃないと思う。幼少の頃から絵を描き続け、マンガ家も経験し、Dreamworkに突入して死ぬまで絵を描き続ける事を固く固く決断していた。僕はそういう罪障消滅目的の人間ではないと思う、そうだったら絵の才能を賦与されていないと思う。僕に関してはそれはちょっと違うと思う。現在の僕の状況は霊性発現によって「後説」で賜ってしまった追加試練だと思う。守護霊様の管轄内で生活していた時はこんな状況には全くならなかった。「100の光の霊団」の管轄に切り替わってから僕の人生が一気におかしくなった…続きを読む→