何しろキャンバスがデカいですので紙の上で描き込みきれなかったモチョト細かい部分までAffinityPhoto上で描き込む必要がありますが、デカいキャンバスのわりに作業負荷はフラーの半分くらいかも知れません。まぁそれだけフラーが異常に作業負荷が高いという事にもなるのですが。

とにかく急ぎましょう、そしてもう1冊霊関連書籍が到着してます、まさかこれを入手する事になるとは当初予想してませんでしたが、イエイエそういう事を言ってはいけません可能な限り全網羅しないと。こちらも全ページスキャン、OCR変換まで完了させないといけません。地獄の作業です。画像はのちほど。

現在71冊、最終的には76冊くらいになるかも知れません。以前少しお話しました英語の原書2冊がもし入手できるようでしたら全78冊になるかも知れません。その原書を入手するためにあるところにメールを出したという件はあっけなく玉砕してます。ムリもないでしょうね。

霊団がさらに追加でインスピレーションを降らせてきています、次回長文ブログは何とか書けそうな空気感ですが、やはり僕の人生は霊団の手のひらの上で踊らされているという表現がいちばんシックリくると感じています。

まぁ霊的仕事をする人間にとっては霊の導きに従って物質界人生を全うする事が本望ですからそれでいいのかも知れませんが、人生破壊の程度がヒドすぎるのでそう簡単には片付けられません。

とにかくまず1枚画家作品を描き上げましょう。この画家作品はフラー1機描き上げるよりラクかも知れません。案外連発できるかも知れません。イヤ、ナメるとイタイ目見るぞ、まずはアナログ絵357(画家作品でいうところの44作)をキッチリUPさせる事に集中中(祈)†

「助けてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の宇宙最大の寝言の思念です(祈)†■2023年8月9日UP■
「助けてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の宇宙最大の寝言の思念です(祈)†
霊界とは完全なる自己責任の世界であり、物質界生活時に果たさなかった仕事の責任を完全なカタチで取らされるようになっています。その責任を果たさないと高い境涯に向上する事は許されません。「身元の確認はしましょう」と言ってきたアナウンサー的男性も、天皇一族が強姦殺人魔だと知っていながらコイツらの事を善人だというニュースを流しまくり、自身も善人を装って物質界人生を送ったその自責の念、後悔の念が霊的向上の阻害となっており、その罪障中和の目的で「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言する僕の背後霊として仕事をする事になった男性ではないのか。僕はその可能性は十分にあると考えるのです。ちなみにテレビ業界には今回の「身元の確認はしましょう」の男性と同じように、心の中ではよくないと知りながら、仕事を失わないために「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を善人であると洗脳ニュースを流し続け、そのおこないに後悔し心を痛めている人間がスゴイたくさんいると思っているのです…続きを読む→
「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†■2023年7月5日UP■
「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†
物質界の評価に1ミリも興味はありませんので僕が物質界レベルで軽蔑嘲笑を受ける事になろうと知った事ではないのですが、ただ悲しいのは「僕が自分の人生を犠牲にしてこれほどの活動をしても、それでも皆さまの眼は開かれないのか」という事です。僕が殺されたあと、僕という人間を侮辱する、僕の人格を全く別物に書き換えるインチキ書籍が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の手により複数出回ったとして、それをアッサリコロッと皆さまは信じてしまうというのでしょうか。物質界に興味がないと言っている僕でさえ悲しくなる眼の閉じっぷりです。僕の事は何とでも思って頂いて構わないとして、少なくとも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳だけは撃ち破ってもらわないと皆さまが帰幽後に恥ずかしくて居たたまれなくなると思うのですがいかがでしょう。帰幽後の霊界人生が人間の本当の人生です。そちらに照準を合わせて日々の生活を送らないといけないんですよ…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→

今回からは11年前の画家作品と違ってB1キャンバスで描き始めますのでファイルサイズがモンスター級になる事は確実で、現在使用中のシルキー(デスクトップPC)では性能が足りなくなる可能性があります。グラボをパワーアップさせる事も視野に入れた方がイイのかも。当面は「ファイル強制分割」で対応します。

霊関連書籍「霊的人類史は夜明けを迎える」スキャンようやく開始しましたが全ページのスキャンが終わるのはまだ先です。入手予定の書籍はあとわずか、苦しい作業が続きますが何とか全ての書籍を最低限OCR変換までは終わらせましょう。最終行程のテキスト見直しは僕の物質界生活中には全書籍できない可能性が濃厚です。

画家作品新規モチーフ用の書籍が1冊到着してますが、この書籍はかなり素晴らしい。お話したくなりますがこのモチーフで作品を描き始めてから触れる事にします。現在作業中の357は使命遂行と関係ある別モチーフを描いています。

お話したい事はたくさんあります、しかしどれも反逆関連の内容で、皆さまにはおもしろくないのかも知れません。長文ブログのタイミングで多少はお話させて頂きますが、まずは描き始めた絵をUPさせる事に集中しないといけません。描き始めた絵は描き切らないといけませんので。

案外フラーのカラーリングより早いかも知れません。一気に塗って次の絵に移りましょう。今回の反逆は簡単にはやめない、ある程度まとまった枚数を描いてキッチリ販売するところまでやる。あんたたち(霊団)が僕をそうさせたんだ。もっとも霊団の手のひらで踊らされているだけで全て霊団の思惑通りなのかも知れませんが。アナログ絵357作業続行中(祈)†

■アナログ絵356UP。クレスで定期的におこなわれる「フラー講習会」の1シーンです(祈)†■2023年8月24日UP■
■アナログ絵356UP。クレスで定期的におこなわれる「フラー講習会」の1シーンです(祈)†
そしてももちゃんの成長ぶりを少し描きました。アナログ絵168の時と比べてだいぶオトナになっていますよね。使命感みたいなものも芽生えているようです。イエス様と出会ったばかりの時はシルキーと一緒になってただ単にはしゃいでいただけですが、その後イエス様にまつわる様々な事情をお勉強した事によって精神的に成長を遂げているという事を短いながら表現しています。で、この「イエス様とももちゃんのやりとり」の中にはひとつ間違いがあります。イエス様はももちゃんが質問する前からももちゃんの心の中が分かっていますから「ん?どうしたんだい?」と聞き返す事はないはずで、ももちゃんが質問を投げかける前にいきなり答えを話し出すはずです。…続きを読む→
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†■2023年8月2日UP■
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†
あなたは自分の心を偽っています。霊界には「ウソ」というものが存在しません。ありのままの自分の姿が衆目に晒され、その人の霊体、オーラを見ればその人がどういう人物なのかが一目瞭然で分かるのだそうです。物質界でウソをつき通して偽善者のフリをし続ける事ができたとしても、その物質界生活時のウソを帰幽後の霊界人生で恥辱という名のもとに存分に清算させられるのです。そしてたぶん物質界に再降下させられる事になるでしょう。物質界人生を正直に生きる事と、物質界での失敗の清算で何度もやり直しをさせられるのと、どっちが効率的進歩向上の道だと思いますか。正直に生きた者が最後は必ず勝利者となります。なぜならこの全宇宙が【神の絶対的公平、公正】によって経綸されているからです。ですので僕はたとえこの使命遂行の先に死刑台が待ち受けているとしても、僕が画家時代から大好きだったシルバーバーチ霊の言葉の通り「真一文字に突き進みます」そして帰幽します。皆さまはその時「正直者がバカを見る」とお思いになる事でしょうが、それは永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界の事しか見つめる事ができない近視眼的視点から導き出される回答です…続きを読む→

以前にイエスが危篤の病人を癒やした盗賊の首領の弟は、イスカリオテのユダという名前であった。彼は当時、右翼で有名な熱心党の一派、シカリー(Sicarii)に属していた。その頃のユダは、イスラエルに不当な重圧を加えていたローマを憎んでいた。

しかしイエスに癒やされ、イエスが洞窟から去ってからは、どうしてもイエスの印象を追い払うことができなかった。どのように努力しても消すことができなかった。

党の仕事に熱を入れようとしても、イエスが語った様々な金言が耳についていて、もやもやとした雲が絶えず彼を覆っていた。それでユダは、村や町を訪れるときには、必ずイエスのことを聞いてまわるのであるが、誰1人としてその消息を伝えてくれる者はいなかった。

この2人が再会したのは、町の中ではなく、ちょうどイエスが天の御父と交わりをしていたかタボル山の傾斜面であった。ユダは長い旅のあと、イスラエルの故事豊かなタボル山にたどり着いた。彼は口バからおりて山の方へ登っていった。

すると突然うしろの岩山に1人の男が立っているのに気がついた。彼は、まるで岩の1つのようにじっと立っていた。ユダはその男の顔を見た瞬間、記憶がよみがえってきた。彼は駆け寄りながら大声で叫んだ。

「先生!先生!ついにあなたを見つけましたよ!」「先生と言わないで下さい」イエスはそっぽを向いてしまった。しばらくの間沈黙が流れた。しかしイエスは目をあけて若者を見ると、とても悲しそうな顔をしていた。それでイエスは彼のもとへ行き、手をとって言った。

「ぶっきらぼうな態度を許して下さい。私の平和がみだされたものですから、つい」「この不正な世の中に、平和とは臆病者の拒絶でしかありません」
とユダが答えた。イエスはほほ笑みながら静かに言った。「あなたは、まだ平和というものを知らないんです」

ユダはすっかりうなだれてしまった。胸を突き刺すようなイエスの言葉に参ってしまったのである。イエスは哀れむように彼を慰めた。過去の生活からにじみでるような話をしたのである。

2人は向かい合って座った。ユダは自分の過去のことを話しだした。ユダの父は“シモン聖人”と言われ、ガリラヤでは有名であった。父はとても純粋で、立派な人であった。ローマに対する反乱が起きたとき、直接その運動には加わらなかったけれども、ローマ軍に追われた反乱分子を洞窟にかくまってやった。

そして毎日食べ物を運んで養ってやったのであるが、1人のガリラヤ人に裏切られ、ローマ軍に捕らえられてしまった。彼はひどい拷問を受け、母と子供の目の前で、はらわたを流しながら殺されていった。この時の事が目に焼き付いて、いつも苦しめられていた。

これ以来ユダは、イスラエルをローマから救い出すことだけを唯一の目的として生きてきたのである。彼は兄のように、盗賊として他人を殺傷するようなことはしなかった。

子供の頃、1人でエルサレムへ行き、朝早くから夜おそくまで、身を粉にして働き、小金をためていった。彼はその金であちこちを旅行し、秘密結社を組織して、機が熟したときに指導者を迎え、改革ののろしをあげようと思っていた。

ユダは言った。「あなたこそ、これを実現して下さる方であると思います。どうか“海の道”にいる兄の所へ行って下さい。兄と相談の上、是非あなたを指導者にしたいのです」

イエスは答えた。「あなたの兄さんは盗賊ではありませんか。私は平和を好む人間です。その私を暴力と殺しの世界へ連れていこうというのですか。私は、一介の卑しい大工にすぎず、しかもこの世の王国よりも天の王国を求めているのです」

「それでは自分のことばかりで、他の人々の幸せを思わないのですか」「そんなことはありません。天の王国を求めている人々と一緒にすべてを分かち合うのです。どうやらあなたには、その資格がないようですね」

ユダはすっかりしょげかえってしまった。彼はイエスが好きなので、どうしても自分の目的に従わせ、党の立派な相談役として起用したいと願っていたからである。大いなる期待と野望をもって、わざわざタボルの山にまで来たにも拘らず、イエスの拒絶にあって、彼の夢は一瞬にして崩れ去ったのである。

しかし、こんなことで引き下がるようなユダではなかった。もう1度このタボル山で、2週間後に再会する約束をとりつけて帰っていった。“海の道”へ帰り、兄と相談するためであった。

「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†■2023年3月8日UP■
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→
■2019年6月27日UP■
「迫真の演技」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がやはり泣いてごまかすつもりのようです。皆さま決してダマされないように(祈)†
この怪獣が強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁という設定のストーリーだったのですが、霊体の僕がその怪獣に説明を求めます。「幼い女の子をレイプしまくり強姦殺人しまくってきた自身の大罪について釈明できるものならしてみて下さい」という感じに。するとその着ぐるみの怪獣は何も答えずただバタバタ暴れ出す、という映像でした。そして離脱帰還してトランスを維持していると「何も答えられない」と霊団が霊聴に響かせてきたのでした…続きを読む→
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→