【12/14】私は霊力の証(あかし)を見た 奇跡の心霊治療 第8章 いつも希望を抱く
私は学生時代のことはよく覚えていない。もちろん学校へは通ったのだが、何だか当時のことが夢のような、あるいは何かの本で読んだ物語のような、他人事に思えてならない。もちろん当時もAとかBとかの評価はあったが、最終的には大学進学ということが教師たちの“目標”だった。要するに受験である。
学課の中では国語(英語)が得意だった。国語の入試問題はいつも出典がきまっていて、私の時はミルトンの『失楽園』とシェークスピアの『あらし』だった。私はもともとシェークスピアは好きだったが、ミルトンは苦手で、意味のわからないところが多かった。
でも入試ではスラスラと暗誦できて、今でも屋根裏部屋には国語だけは抜群の成績でパスした証状が残っている。そのためには私もミルトンを必死になって暗記したものである。今でもその中からところどころの文章がふっと口をついて出てくることがある。学生時代の勉強が無駄でなかったことを証明するために1、2節紹介してみよう。
人の心は、今おかれたその場で、
それみずから地獄を天国となし、
天国を地獄となす。
これは女性患者を治療した際に浮かんだ一節である。その人は腰のあたりに激痛を覚える。1か月間入院してX線検査をはじめとする徹底的な診察を受けたが、どこにも異常は見当らなかった。が痛みは本ものである。本当に痛いのであるが、原因は精神的なものだったのである。
この方はお子さんにも恵まれ、経済的にも困ってはいない。本人も「うちは決してお金持ではありませんが、要るだけのお金はあります」と述べているほどである。なのに一体何が不満なのか。
それは、家事に追われ、家に縛りつけられていることが不満なのである。本当は外に出て働きたい。大勢の人と触れ合いたい。が、ご主人がそれを許してくれない。「家を守るのが女の仕事だ」 – そう言われて仕方なく買物と料理と掃除と洗濯と育児の毎日を送っている。その欲求不満が痛みを惹き起こしているのだった。
私のところへ来て治療を受けると、その時は完全とまではいかないが殆んど痛みらしい痛みを感じないまでになる。が帰宅して2日もするとまた痛みがぶり返す。ミルトンが言うように彼女の心が“それみずから天国を地獄となし”ているのだった。
こうしたケースは決して珍しくない。少なく見ても訪れる人の半数が、自分の置かれた環境に対する不平不満からどこかに痛みを覚えている。それを助長するのが取越苦労と罪悪感である。
既成宗教のほとんどが罪と罰の恐ろしさを説いている。善い行いは報われ、悪いことをすると神が罰を与えると説き、その原理に基いて善と悪の基準をこしらえている。ところが実際にはその掟に背いた者が必ずしも不幸になっていない。
中にはむしろのびのびと生き甲斐ある人生を送っている者がいる。そこで宗教家は因果応報は死後に清算されるのだという言い逃れをする。教義に忠実に従っておれば死後に永遠の生命を授かり、背いた者は永遠の天罰を受けると説く。
英国ではこれが子供時代に教え込まれる。公立小学校の教科書には聖者や祈祷書からのそれに関する引用が盛り込まれている。「ですから、皆さんも良い行いをしましょう。そうすれば死んだ時に天国に召されます。もし悪いことをしたら罰として地獄へ送られ、永遠の苦しみを受けることになるのです」という結論となる。
むろん生長するにつれて理性的判断力が出てくる。もっとあか抜けした哲学に触れるチャンスもある。死後について、永遠の生命について、あるいは因果律について、その真相に目覚める人もいる。
が大半の人は心の奥に子供時代に吹き込まれた永遠の罰に対する恐怖と罪の意識と、それはどうしても避けられないのだという観念が巣くっているのである。家庭の主婦がもしも自分の生涯の仕事は家事だと思い、夫に尽くすことだと思い、それ以外のことをすることは悪であると思い込んでいるとしたら、その観念はやがて心理学でいう罪責複合(無意識の罪責感)を生む。
これは魂を蝕む恐ろしい観念である。みずからの心に地獄をこしらえる。それがまず心の病を生み、それが身体の病気へと発展していく。その病気の種類は数え切れないほどである。
患者を1、2度治療して何の変化も見られない時は、私はその人の置かれた環境について質問してみる。すると挫折感、不満のタネ、憤満、取越苦労、罪責感、等々が浮かび上ってくる。これだ、と私は睨む。本当の治療はこれらの心理的要因を取り除くことにある。つまりその患者にとって本当に必要なのは人生哲学であり、霊的真理の理解なのだ。
そこで私は霊の世界の話を持ち出す。そういう世界、そういう真理があることを指摘したあと、その世界の存在を明らかにしてくれた先覚者、書物、道標を紹介する。患者は人生に希望の灯を見出す。その灯が迷信を生んだ他愛ないタブーや罪の意識を駆逐していく。
されど若し希望と恐怖が
等しく事を調停するのであれば、
私の性質(こころ)は恐怖より希望を選ぶ。
ミルトンは苦手だが、こうした小さな珠玉を数多く発見する。この一節はまさしくスピリチュアリストとして私がいちばん患者に授けてやらねばならないものだ。すなわち希望である。
希望こそ環境に打ち克ち、無用の罪責感と死後への恐怖を取り除き、噴満と挫折感を和らげてくれる。無知と迷信に代って、正しい知識と理解に基いた未来への希望があなたを救う。
私は患者からいろいろと教えられる。心とからだの病に苦しむ男女に毎日のように接するということは、私にとって計り知れない価値ある体験である。患者が病院を訪れる時、病気を治してくれる – 少なくとも症状を和らげてくれる薬または治療を期待する。
その心理は私のような心霊治療家を訪れる時でも同じである。病気そのものが少しでも良くなることを期待する。つまり痛みが和らぎ、苦しい症状が何とか耐えしのげる程度になってくれることだけを期待する。
これは多分に、それまでの病院通いの体験から生まれる心理だと思われる。一時しのぎでもいいからラクになりたいという心理である。なぜその程度のことしか期待しないのだろうか。なぜ逞(たくま)しい健康を要求しないのだろうか。
健康であるということは地上の生命として自然な状態にあるということである。そうでない状態はみな不自然なのである。そして、他の多くの不自然なものと同様に、不健康状態は法則からの逸脱を意味する。宇宙はきわめて単純な法則によって営まれている。その法則から逸脱すると、そこに不幸と病が生じる。
だから病気も苦悩も神が授けるのではない。人間の誤った生き方の産物なのである。ところが人間は余りに多くの病苦を見慣れてしまったために、われわれはそれを人間生活につきものの、ごく当り前で正常なことのように錯覚している。
赤ん坊を見るがよい。健康でしあわせな生活を送る上で必要な能力と機能を十分に具えて生まれてくる。それを誕生の瞬間から、いや、厳密に言えば胎内にいる時からすでに生理的にその正常な機能が歪められていることがある。サリドマイド児がその最も恐ろしい例だ。世界中で問題となったのも当然と言ってよい大変な問題である。
が、その他にも、あまり問題にされてないが恐ろしい不自然な行為が数多く横行している。母乳で育てることを拒否する母親の出現がその1つである。体形が崩れるとか、面倒だからとか、いろいろと理屈を言う。理屈は一応筋が通るかに思えるが、そのもとを正せば、みな母親のエゴイズムから発したことばかりだ。
が、百歩譲ってそれを一応許すとしよう。すると赤ん坊は本来は仔牛が飲むべきミルクで育てられることになる。その乳牛が食べる牧草には殺虫剤が使われている。もしかしたら放射性物質によって汚染されているかも知れない。
あるいは乳牛には各種のホルモン剤や病気予防のための薬品類が多量に投与されていることだろう。人間の赤ん坊がそのいちばん大切な時期を、そうした環境のもとで搾られたミルクによって育てられることの危険性を、その母親たちはどこまで認識しているのだろうか。
赤ん坊だけではない。その後の離乳期から大人になるまでの食生活も恐ろしいほど不自然となり品質が低下している。肉類は何年も前に冷凍されたものが解凍され、着色され、化学的添加物で加工され、見た目には新鮮で赤身が多そうに見え、しかも柔らかそうである。
その肉のもとになる食肉牛も恐らく不自然な環境で飼育されているに違いない。薬と化学的添加物によって不健康に肥(ふと)らされているに相違ない。そんなものを食して、果たしてあなたの身体にもそれらの不自然な物質が入らないと言えるだろうか。
小麦粉も、栄養よりもパンの製造の便利さを優先させて、徹底的に精白され漂白される。天然の栄養は完全に取り除かれてしまっている。(最近では無精白粉も多く使用されている – 訳者)
食料品は着色料、香料、その他の化学的添加物を使用し、乾燥冷凍などもする。20世紀の人類は、愚かにも、自分の胃袋に入れる食料よりも、車に入れる燃料の品質向上のほうに一生けんめいである。
頑健であるのが人間として自然であり、それを成就し維持するためには自然な食事を摂取しなければならない。それに新鮮な空気と適度の運動と日光がいる。さらに常に身体を清潔に保つ必要がある。
が、もう1つ大切なことは、なるべく“健康のことを考えない”ことである。あまり健康に気を配りすぎるのも、これまた病気を招く原因になりかねない。あまり健康状態を口にしないほうがよい。少々の不調や不快は気にせず、そのうち良くなると思うことである。
類は類を生む。健康と幸せを心に思えば健康で幸せになる。不幸と病気を思えば、みじめになり病気になる。悪感情と悲観的な念は似たような感情を次々と生み出す。憎しみ、怒り、嫉妬、悪意、どん欲、仕返しの念は次から次へと子を生む。
その子の名前は悲劇であったり不気嫌であったり病気であったり悲観主義であったり失敗であったり落胆であったりする。からだの健康は心の健康と同じく生きる姿1つで変化する。
医学も、いずれは治療医学から予防医学へと進むであろうことは間違いない。身体を治療するのではなくて、心の姿勢を正すことが医者の役目になるであろう。
健全なる精神 – 常に明るく積極的で楽天的な考え方をする心は、健全なるからだを作る。本当の医者は教師でなければならない。健康を保つ秘訣を教えてあげるのである。病気になった身体を治すのではなく、病気にならないように指導することである。
今や知識は十分にある。無数の人生の指導書があり医学的知識がある。不足しているのは、それを実生活に応用する決意だ。それを私はまず子供の世代に要求したい。子供たちに死にまつわる愚かなタブーと病的思念と悪感情を持たせないようにしよう。
憎しみや敵意、妬み、偏狭の心を捨てさせよう。じめじめした考えを捨てて進取的かつ楽天的に物事を考え、同時に自然法則の存在を忘れず、いかなる形にせよ“不調和”というものに拒否反応を示す人間に育てよう。
また健康で幸せであることこそ人間として当然の遺産であることを自覚した人間に育てよう。そして各家庭に次の言葉を飾って、それを家族全員が心に刻み込むように心がけよう。「神の如く汝もまた幸いなり」
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†
友人の守護霊は今ごろほくそ笑んでいるはずです。僕の守護霊様は今ごろ僕の霊団への反逆を見て困っている事と思われますが。人間とは霊界で永遠に生き続ける存在です。人間に死はありません。物質界とは修行のためにホンの一時期だけ降下させられるトレーニングセンターです。肉体は神の摂理で自動的に朽ち果てるようになっており、僕たちの本体(霊)はそれを脱いですみやかに霊的表現媒体に着替えて(幽体、霊体)霊界生活に突入します。この事実からも物質界が僕たちの永遠の住処でない事は明白です。そのホンの一時の束の間の場所についてお勉強する事と、永遠の住処である霊界についてお勉強する事と、どちらがプライオリティが上でしょうか。どちらが賢明かつ自分の霊的進歩向上に役立つでしょうか。そういう視点で自分の人生を考えられる人間こそ賢者と言えるのではないでしょうか…続きを読む→
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†
あなたは自分の心を偽っています。霊界には「ウソ」というものが存在しません。ありのままの自分の姿が衆目に晒され、その人の霊体、オーラを見ればその人がどういう人物なのかが一目瞭然で分かるのだそうです。物質界でウソをつき通して偽善者のフリをし続ける事ができたとしても、その物質界生活時のウソを帰幽後の霊界人生で恥辱という名のもとに存分に清算させられるのです。そしてたぶん物質界に再降下させられる事になるでしょう。物質界人生を正直に生きる事と、物質界での失敗の清算で何度もやり直しをさせられるのと、どっちが効率的進歩向上の道だと思いますか。正直に生きた者が最後は必ず勝利者となります。なぜならこの全宇宙が【神の絶対的公平、公正】によって経綸されているからです。ですので僕はたとえこの使命遂行の先に死刑台が待ち受けているとしても、僕が画家時代から大好きだったシルバーバーチ霊の言葉の通り「真一文字に突き進みます」そして帰幽します。皆さまはその時「正直者がバカを見る」とお思いになる事でしょうが、それは永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界の事しか見つめる事ができない近視眼的視点から導き出される回答です…続きを読む→
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に落ちるのは自己責任、アキトくんには何の責任もないし、キミが物質界生活中にこの者たちを滅ぼさなくても自動的に肉体が朽ちて帰幽して地獄に落ちるのだからどちらでも結果は同じである。奴隷の女の子たちに関しても自ら犯した過去の大罪の罪障消滅を目的として物質界に降下した人間なのだから、苦難の人生をやらされるのが当たり前(自己責任)それを助けてあげたら本人のためにならない、アキトくんの気持ちは分からないでもないが帰幽して我々(イエス様)と同じ視点から眺められるようになれば納得できるであろう。つまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を物質界生活中に滅ぼせなくてもそれは別にアキトくんの努力不足ではなく、奴隷の女の子を助けてあげられない事もキミのせいじゃない。我々(イエス様)は絶対的有利なポジションに立っているので、その人間たちをアキトくんの霊的進歩向上に大いに活用させてもらった…続きを読む→
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