1913年10月6日 月曜日
この度の“収穫感謝祭”はまたずいぶん楽しかったではありませんか。あなたは気づかなかったようだけど私たちはずっとあなたの側にいたのですよ。忙しくて私たちの事を考える余裕がなかったのでしょうけど。地上にいる方々と共に礼拝に参加して何らかのお役に立てるのは嬉しいものです。
驚かれるかも知れませんが、こちらの光明界でも時おりあなた方と同じような儀式を行い豊かな稔りを神に感謝する事があります。地上の同胞の感謝の念を補うためでもあり、同時に私たち自身の霊的高揚のためでもあります。こちらには地上のような収穫はありません。ですがそれに相当する他の種類の恵みに感謝する儀式を取り行うのです。
例えば私たちは周りに溢れる美と、仕事と向上への意欲を与えてくれる光明と愛を神に感謝する儀式を行います。そのような時には大抵高い界からの“顕現”が見られます。その1つをこれからお話しましょう。川のある盆地(※)で聖餐式(ユーカリスト)を催していた時の事です。
流域に2つの丘がその川を挟むような形で聳えております。私たちは讃仰(さんごう)と礼拝の言葉を述べ、頭(こうべ)を垂れ、こうした時に必ずみなぎってくる静かな安らぎの中で、その日の司祭を勤められている方からの祝福の言葉を待っておりました。
その方は丘の少し高い位置に立っておられるのですが何1つおっしゃらないので私たちはどうしたのだろうと思い始めました。(※原文では渓谷(バレー)となっている。“谷”というと日本人は切り立ったV字型の谷間を想像しがちであるが、本来は川を挟んだ広い低地を意味する事が多いので、ここでは盆地とした。 – 訳者)
暫くして私たちは頭を上げました。まるで“内なる声”に促されたように一斉に上げたのです。見ると司祭の立っておられる丘が黄金色の光に包まれ、それがベールのように被(かぶ)さっておりました。やがてそのベールがゆっくりと凝縮し司祭の身体のすぐ周りに集まってきました。
司祭はそうした事にも一切気づかないような態度で立っておられます。その時ようやく我に帰られ、その光のベールの中から出て私たちの方へ近づき“少しお待ち下さい。高き界から降りてこの儀式にご臨席になっておられる方のお姿を拝する事が出来ます”とおっしゃいました。そこで私たちは有難い気持でお待ちしました。
こちらではおっしゃった事は必ず実現するのです。見ると、凝縮していた光が上昇して流域全体を覆い、さらに止まる事なく広がり続けてついに天空を覆い尽くし、覆ったかと思うと今度はゆっくりと下降してきて私たちを包みました。
私たちはまさに光の海 – 私が本来属する界の光よりも遥かに明るいのですが柔らかくて心地よい光の海 – に浸っておりました。浸っているうちにその光で視力が増し、やがて目の前に約束の影像が展開するのが見えてきました。まず2つの丘が炎のように煌々(こうこう)と輝き始めました。
よく見ると両方の丘が“玉座”の側部ないしは肘掛となりその周りがイザヤ書と黙示録の叙述を髣髴とさせるように虹の色に輝いておりました。しかし玉座におられる方の真の姿は私たちには見えません。少なくとも形体をまとったお姿は見えません。
私たちの目に映ったのは父なる存在を示すための顕現の1つでした。そして丘の中腹の台地 – そこがちょうど玉座の“座”の位置になります – のところに大勢の天使が集まっており、側にある大きな揺り籠の中を覗き込む姿で礼拝しているのです。
その揺り籠の中に1人の子供がいて天使団に向って微笑んでおります。やがてその子供が両手を高々と伸ばしますと天空から一条の光が射し込んだように見えました。見るとその子供の両腕の中に黄金色に輝く一個の球体が降りてまいりました。
すると子供が立ち上がってそれを左手で捧げ持ちました。それは生命の光で躍動しキラキラと輝き燃えさかり、いやが上にも明るさを増してついにはその球体と子供以外は何も見えなくなり、その子の身体を貫いて生きた光が放射されているように見えました。
やがてその子は球体を両手で持ち、それを真二つに割り、その割れた面を私たちの方へ向けました。一方にはピンクの光線が充満し、もう一方には青の光線が充満しております。よく見ると後者には天界の界層が同心円状に幾重にも画かれており、その1つ1つが輝くばかりの美しい存在に満ち溢れております。
その輝きは内側ほど強烈で外側になるほど弱まりますが、私たちの目には外側ほど鮮明に見えます。それは私たちの界がそれに近いからです。一番中心部になると光輝が強すぎて私たちには何があるのか全然見えません。反対に外側の円は私たちの界層である事が判りました。
もう1つのピンクの半球はそれとは違って中に何の円も見えませんが、地球を含めた惑星上の動植物の全ての種が見えます。最も、あなた方が見ているものとは少し様子が異なり完成された姿をしております。人間から最下等の海の動物までと、大きな樹木や美味な果実から小さな雑草までがありました。
私たちが暫くそれを見つめていると、その子が両半球すなわち荘厳なる天界と完成された物質界とを1つに合わせました。合わさったとたんに継ぎ目が見えなくなりどっちがどっちだか見分けがつかなくなりました。
ところが見る間にそれが大きくなり始め、ついに子供の手から離れて浮上し、天空へ向けて少しばかり上昇したところで止まりました。美事な光の玉です。その時です。その玉の上にイエス・キリストの姿が現れたのです。左手に十字架を持っておられます。
その1番下の端は球体の上に置かれ、1番上は肩の少し上あたりまで来ております。右手で先ほどの子供を支え持っておられます。見るとその子供の額のところに紐状の1本の黄金の環が冠せてあり、胸のあたりには大きなルビーのような宝石が輝いております。
そう見ているうちに光の玉はゆっくりと天空へ向けて上昇し始め、視界の中で段々小さくなって行き、ついに2つの丘の中間あたりの遥か上空へと消えて行きました。そこで全てが普通の状態に戻りました。
仲間たちと一緒に腰を下ろして今見たものに感嘆し合い、その意味を考え合いました。が、こうではないかといった程度の事を言い合うだけで確信をもって述べられる者は1人もいませんでした。その時ふと司祭の事を思い出しました。
光に包まれ、見た目には私たちより遥かに強烈な影響を受けたように思いました。見ると司祭は岩の上に腰掛けておられ静かな笑みを浮かべておられました。何だか私たちが最後にこうして自分のところへやってくる事を見越して思い出すのを待っておられたみたいでした。
司祭は私たちにもう1度座るように命じられ、それから先ほどの幻想的シーンの説明を始められました。実は司祭は既にあの現象についてあらかじめ説明を受けておられ、それを私たちに授け、より高尚な意味、より深い意味については私たち自身でよく考え、自分なりの理解力に応じたものを摂取する事になっていたのです。
今回のような手段による教育が授けられる時はいつもそうなのです。ピンクの半球は私たちの界より下層の世界の創造を意味し、青の半球は私たちの界および上層界の創造を象徴しておりました。
が両者は“2種類の創造”を意味するのではなく、実は全体として1つであって2つの半球にも他の小さな区分にも隔たりはないという事を象徴していました。子供は始まりと進歩と終りなき目的を具象化したもので要するに私たちの限りなき向上の道を象徴していた訳です。
ルビーは犠牲を象徴し、黄金の環は成就を象徴し、光球が上昇した事、そこへキリストが出現し片手に子供を捧げ持った事は、現在の私たちには到達できない高い界層への向上心を鼓舞するものでした。もちろん以上は概略であってまだまだ多くの意味が込められております。
さっき述べたようにそれをこれから自分で考えて行く事になっている訳です。私たちの慣習としてそれをこれから先、折に触れて発表し合い議論し合う事になりましょう。
– どうも有難うございました。ここであなたに尋ねて欲しいという依頼のあった質問をさせて下さい。
お書きになるには及びません。あなたの心の中に読み取る事ができますから。その言葉も書かれる前から判っておりました。Eさんが教会の祭壇で見かけたというハトは、私が今述べた類(たぐい)の一種の“顕現”です。あの儀式には目に見えない集会も催されておりました。
祭壇の周りに大勢の霊がいて、受け入れる用意のある人にはいつでも援助を授けようと待機していたのです。その霊たちの心の優しさがハトとなって具現して、人を怖がる事なく飛び回っていたのです。
進歩の遅れた人にとっては、そうした恐れを知らない純真さを高級霊の前で維持する事は容易にできる事ではありません。その輝かんばかりの崇高さが時として、僅かながらも持っている彼らの徳を圧倒してしまい、気の毒な事ですが、疑いを宿す者を怖気させる事があるのです。
<原著者ノート>この通信を受ける数日前の事であるが、オックスフォードで催されたハローマス(※)の集会で出席者の1人が聖餐式(せいさんしき)の行われている最中に、祭壇の上を1羽のハトが飛び回っているのを霊視したと私に語ってくれていた。(※天上界へ逝った諸賢人の霊をまつる祝祭日。 – 訳者)
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