2024年1月28日

■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†

はい、復刊できないのに書籍データだけは完成させていくという不毛の作業を続けていますが「ベールの彼方の生活1巻」の表紙として描いた絵をアナログ絵359としてUPです。当分の間はこのようにしてフラーを描かずに書籍表紙の絵をアナログ絵通しナンバーをつけてUPする事になるかも知れません。

この表紙制作にあたりAffinityPhotoのアドオンを多用しています。おかげでかなりの時間短縮につながっています。本当にAffinityPhotoはスバラシイ。で、復刊が実現しなければ人の目に触れる事なくお蔵入りで終わってしまう事になる、巻末掲載の「復刊者コメント」を、再びコチラに掲載させて頂きます。↓

復刊者コメント

僕(たきざわ彰人)は、この「ベールの彼方の生活 全4巻」が本当に大好きなのです。霊界下層界での生活の様子を紹介した書籍は他にもありますが、次元が違うために3次元の物質界の言語などでは到底説明できない上層界での生活の様子を可能な限り詳細に紹介してくれている霊界通信は、現時点で「ベールの彼方の生活」以外にないのではないでしょうか。

この1巻は著者であり霊媒でもあるオーエン氏の、既に帰幽されたご母堂からの通信が大半を占めており、2巻、3巻、4巻と比べると軽視される傾向があるのかも知れません。しかし僕は読み進めるほどにご母堂の語る内容の深遠さに激しく胸を撃たれるのです。

ご母堂の言葉で僕が特に気に入っているのは「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」(29ページ)という部分で、僕は霊性発現とともに使命遂行人生に突入させられ、人生を完全に破壊されて最悪の状態に閉じ込められ続けている関係で霊団を心の底から激しく憎んでおり、本当の本気で反逆しまくっていますが、その破壊された人生も「その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になる」の言葉のように、最終的には全て佳きようにおさまるのでしょう。使命遂行を最後までやり切れば、の話ですが。

あともうひとつ、ご母堂の言葉で僕の胸に突き刺さるものとして「確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出る事を可能にします。」(72ページ)というものもあります。これはオーエン氏が教会長老から弾圧を受けて弱気になっていた事を受けて「勇気をもってこの使命に邁進(まいしん)しなさい」と、言わば母が息子の“おケツをひっぱたいた”という事だと思うのですが、イヤー僕もこういう母に恵まれたかったですね。

っとと、僕には“真実の母”守護霊様がいましたね。僕の性格は守護霊様のデザインであり、現在このような使命遂行人生が送れるのも(苦しい事イヤな事ばかりで全然うれしくも何ともありませんが)守護霊様が“導きのプロ”だったおかげです。

アナログ絵263_3small

僕は守護霊様におケツをひっぱたかれた記憶はないなぁ。霊性発現後に守護霊様が僕の守護の任から一時的に外れ、代わって「100の光の霊団」の管轄に切り替わってからは、その導きの方向性がキビシすぎてすっかり心が怒り憎しみに包まれてしまっているのです。が、このお話は長くなりますので割愛させて頂きます。

守護霊様についてはたくさんブログを書いていますが、ご参考までにコチラを紹介させて頂きます↓

「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†
wp.me/pa9cvW-67H

上記のご母堂の言葉を僕に当てはめるなら「人間に死はなく帰幽後も霊界で永遠の向上の生活を送る」という霊的知識を完全に理解した事によって物質界の邪悪に何ら恐怖心を抱く事がなくなった、それで「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を長年にわたって公言する事ができているという事になります。「霊的知識を理解すると勇気ある行動に出る事ができる」僕は図らずもこの状態をやらされてしまっているという事になります。

あと、6章のアストリエル霊ですが、できればもっと天体の事についてお話して頂きたかったですね。しかしこれについても「物質界の人間に軽々しく知識を教えてはならない」という霊界側の厳格な決まりがあるそうで、あくまで物質界の人間みずから刻苦努力してその秘密を探り当てねばならないのだそうです。

その努力の方向性で僕が経験から思う事は「物的努力」よりも「霊的努力」によって秘密を探り当てるのだろうという事です。その、霊界側が明かさずにいる秘密、秘奥というのはもちろん「霊的秘奥」のはずですから物的肉眼には映じず、いかなる物的機器をもってしても計測できない性質のものでしょう。霊的方法でその秘密を解明しなければならないという事だと思うのです。

さぁ、僕は70冊超の霊関連書籍を何とか復刊させようとしていますが、単純に作業量が殺人的すぎて僕の物質界生活中に全ての作業を完結させられないだろうという思いと、もうひとつ物的事情によって実現を阻まれるというふたつの理由で、全ての書籍の復刊は叶わないものと予測しますが、できるところまではやるつもりです。

僕はこれらスピリチュアリズム関連の書籍群を「人類の宝」だと思っていまして(この僕の考えには多くの方が共感して下さるものと信じますが)絶版状態を回避させて未来、後世にこの正しい霊的知識を伝え残さねばならないと強く思っています。僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくる事はありませんので、既存の霊関連書籍の復刊が「霊的知識普及プライオリティ最上位」の作業という事になります(祈)†


ベールの彼方の生活1巻表紙テスト01-line-small

※オマケ – 表紙の線画の原画をUPです。僕は「イエス様ハンドリング」と銘打って霊的使命遂行を長年にわたっておこなっている関係で、イエス様の絵も多数描いています。(WordPressの中の「アナログ絵」からご覧頂けます)現在は全然なくなりましたが、霊性発現初期の頃は何度も何度もイエス様のお顔の顕現に浴させて頂きました。

(※その顕現の最大のモノはブログで何度も書いています「イエス様の怒涛の連続顕現」でした。物質界に籍を置く人間として、これ以上の光栄はないのではないでしょうか。もっともそこから僕の苦悩の人生が始まってしまったので良いやら悪いやらといったところなのですが…)

僕が描くイエス様の絵は、一応その顕現の時に拝したお顔を参考にして描いているのですが、僕が描くとどうしてもキャラキャラしてしまって威厳のようなものがありません、そこが宜しくありません。とはいえ僕はこういう絵柄ですので開き直って描くしかありません。

イエス様を描き始めた当初はもちろん“恐れ多い”気がして描くのを渋ったものですが、もう年月が経過していて、さらに霊団に対してだいぶムカついているという事情もありまして、イエス様もその他の方々もほぼ抵抗なくジャンジャン描くようになりました。アウトプットしなければいけませんのでもう四の五の言ってられないのです。

ももちゃん、シルキーはもはや霊的使命遂行メインキャラクターといっても過言ではない状態になっており、今後もツートップで描き続ける事になるでしょう。まぁ霊体の僕(ハタチの空気感)を前面に出すより100倍イイでしょう。ま、時々は僕も書籍表紙に登場させるかも知れませんが…(祈)†

70冊超の絶版状態の霊関連書籍の復刊が実現する事を祈ります。もっと言うと僕という霊媒が機能して新規の霊言が降り、それを隔週、月刊ペースで書籍化できるようになれば理想形なのですが、僕の物質界生活中にその日は訪れないでしょう。とにかく作業だけは続行中、書籍データをAffinityPublisherにて作り続けます(祈)†

■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†
永遠の安寧が存在する光り輝く上層界で生活していればいいものを、なぜわざわざ物質界に向けて犠牲の降下をしなければならないのですか。それは「愛」の一言に尽きるのではないでしょうか。他でもない【神】の意図が「進化」にあり、神の子等である僕たちを高揚し向上させる事が宇宙の仕事といっても過言ではない、僕はそのようにお勉強しています。その愛に背を向けて霊的な事を軽んじて生きるもよし、霊的知識を獲得してすみやかに進歩向上するもよし、それは当人の自由ですが、いま自分が生命活動をおこなう事ができているのは霊の賦活作用のおかげだという基本中の基本さえ理解せず、自分の生命および存在の根源について全くの無知で生きるというのは到底賢い人間のする事とは言えません。自分の生命の根源を愚弄するなら霊なしで1秒でも生きてみろ、肉体のみで1秒でも生きてみろ、と言いたいです。物質とは腐食性のモノであり、それ自体に存在はありません。霊によって形態を維持されているだけであって、霊が離れればたちまち崩壊、腐食して地球を構成する成分に帰っていきます。その腐食物が自分の本体だと信じて疑わないのであれば、あなたはその肉体と一緒に腐って土に返って下さい。肉体は腐ったが最後、2度と元のカタチには戻りません。しかし自分の本体が霊だと理解しておられる方は、帰幽後、永遠の若さを保つ霊体をまとって速やかに霊界生活に順応できるでしょう。これら霊的知識を理解する重要性に比べれば、インペレーター霊がモーゼス氏を介して語った年月が最近だろうが昔だろうが、それに何の意味があるというのでしょう…続きを読む→

アナログ絵358

全く復刊できる見込みがないまま70冊超の霊関連書籍の全ページスキャン、OCR変換と作業をおこなって間もなく2年が経過しようとしています。さらに見直し完了している完成版テキストをAffinityPublisherに流し込んで書籍データとして完成させるところまでやっていますが、それでも復刊だけが実現させられずにいます。

ちなみにこの表紙に描きましたインペレーター霊は「霊的人類史は夜明けを迎える」に掲載されています「インペレーター霊の霊視スケッチ」を参考にして僕なりに現代風のキャラとして描いたものであり、実際のインペレーター霊とは似ても似つかない僕の勝手な想像図という事をご理解下さい。

で、復刊できない可能性もありますので、この際ですから「復刊者コメント」として巻末に掲載しているテキストをコチラに抜粋してしまいましょう↓

復刊者コメント

現在、僕は正真正銘とされる霊関連書籍を70冊以上所持していますが、それらがことごとく絶版状態であり「このままでは霊的知識が物質界から消滅してしまう」という危機感を抱き、それら書籍をデジタルデータ化する事を決断して作業を開始しました。2022年5月頃の事です。

このテキスト執筆時点で書籍のスキャン開始から1年半以上が経過していますが、ほぼ70冊の書籍の全ページスキャン、OCR変換まで完了しています。しかし、このOCR変換テキストには複数の問題があり、それを目視で修正していかねばなりません。これが地獄の作業で、僕の物質界生活中に全ての書籍のテキスト修正を終える事はできない可能性が濃厚です。

さらにまだ数冊未入手の書籍があり、それら全てのテキスト化が完了するにはまだまだ時間がかかります。絶望感が漂ってきますが、できるだけの事はやろうと思っています。

皆さまは「こんな古い書籍を復刊して何になるのですか?」とお思いになるのかも知れません。しかし霊的真理を知識としても体験としても獲得している僕から言わせて頂くならば「新しい、古いって何ですか?」という事です。

皆さまが抱いておられる「新しい、古い」の概念は、この丸い天体の回転によって生じる物質界のみの物的時間感覚を基準として考え出されえた概念です。そもそも霊界には時間の概念がありません。そして3000年前から物質界人生を体験していた方々が帰幽して全員霊界で生活しています。人間に死はないのです。霊界で永遠に生き続ける存在なのです。

たとえばシルバーバーチ霊は、3000年前に物質界で生活していた方だそうですが、間もなく地球圏霊界を脱出してさらに進化した惑星圏に進出する寸前の霊なのだそうです。この【神】が経綸する宇宙全体の中で、僕たちが現在在籍している地球という惑星は海岸の砂の一粒であり、しかも宇宙全体の中で霊的進化のレベルが最低ランクなのだそうです。

この先にはるかはるか進歩した、物質界の言語などでは到底表現できない荘厳を極めた美しい生活の場が待ち受けているというのに、最低ランクの物質界の事象、永遠の中のホンの一瞬在籍しているだけですぐ帰幽して離れる場所で起こる事象にのみ注目し、永遠の生活の場の事が全く頭に入っていない方々が「新しい、古い」という概念を抱くのではないでしょうか。

よほど進歩が足りない人間をのぞいて(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が進歩が足りない人間の筆頭となります)たいていの人間は帰幽したが最後、物質界などという最低界とはすっかり縁が切れて、霊的進歩向上の生活に勤しむ事になります。

はるかはるか美しい境涯、生きがいに満ちた人生、心通い合う同胞の方々、そして向上を促し鼓舞して下さるイエス様を筆頭とした高級霊の方々。それら霊的事象に比べれば物質界で起こる出来事など陳腐の極致であり、破裂して消滅するシャボン玉のひとつにすぎません。

もっとも物質界は「試練の境涯」であり、その試練を味わい尽くし克服して初めて霊格が高まり、上層界に赴く資格を得る事ができます。そういう意味では物質界を最低界だからと言って軽視し試練を回避するような事があってはいけません。

その試練に身を晒す勇気のない者たちがいわゆる「地縛霊」となって下層界に大量にたむろしているのです。僕たちはそうならないように物質界生活の苦しい事から逃げずに立ち向かわなければならないのです。口でキレイごとを言うのと実際にそれを体現するのとでは天と地ほどの差がありますが…。(※現在の僕はそれを味わわされている真っ最中…)

これら霊的知識を全く知らない方々が「こんな古い本はいらない」と無知から軽蔑するのでしょう。しかし、古いなどとんでもない、プライオリティが全く違います。全ての人間の帰幽後の霊的人生に役立つ、人間が絶対に知らなければならない最重要の知識の宝庫です。

なぜなら人間全員が100%霊界生活に突入するからです。イヤ、そもそも僕たち人間本来の生活の場が霊界なのであり、物質界とは修行のために一時的に降下させられるだけのトレーニングセンターなのです。ですから自分が本来生活する場所について事前にお勉強しておけば、それだけ帰幽後に進歩向上がスムーズになるという事です。

インペレーター霊、シルバーバーチ霊はじめ、多くの高級霊の方々が物質界に霊言を降らせて下さっています。霊界上層界で生活している高級霊の方々は霊格が高すぎるために物質圏付近まで降下する事さえできません。それでも可能な限り降下し、中継者を介して最低界の人類のために仕事をして下さっています。

永遠の安寧が存在する光り輝く上層界で生活していればいいものを、なぜわざわざ物質界に向けて犠牲の降下をしなければならないのですか。それは「愛」の一言に尽きるのではないでしょうか。他でもない【神】の意図が「進化」にあり、神の子等である僕たちを高揚し向上させる事が宇宙の仕事といっても過言ではない、僕はそのようにお勉強しています。

その愛に背を向けて霊的な事を軽んじて生きるもよし、霊的知識を獲得してすみやかに進歩向上するもよし、それは当人の自由ですが、いま自分が生命活動をおこなう事ができているのは霊の賦活作用のおかげだという基本中の基本さえ理解せず、自分の生命および存在の根源について全くの無知で生きるというのは到底賢い人間のする事とは言えません。

自分の生命の根源を愚弄するなら霊なしで1秒でも生きてみろ、肉体のみで1秒でも生きてみろ、と言いたいです。物質とは腐食性のモノであり、それ自体に存在はありません。霊によって形態を維持されているだけであって、霊が離れればたちまち崩壊、腐食して地球を構成する成分に帰っていきます。

その腐食物が自分の本体だと信じて疑わないのであれば、あなたはその肉体と一緒に腐って土に返って下さい。肉体は腐ったが最後、2度と元のカタチには戻りません。しかし自分の本体が霊だと理解しておられる方は、帰幽後、永遠の若さを保つ霊体をまとって速やかに霊界生活に順応できるでしょう。

これら霊的知識を理解する重要性に比べれば、インペレーター霊がモーゼス氏を介して語った年月が最近だろうが昔だろうが、それに何の意味があるというのでしょう。

自分という存在がどうやって生かされているのか、どこからやってきてどこへ帰っていくのか、帰った先に(霊界)どんな生活が待ち受けているのか、物質界でのおこないが帰幽後の霊界人生にどのような影響を及ぼすのか、【神】と僕たちとはどういうつながりになっているのか。

これら霊的知識をお勉強するための正真正銘の教材が物質界には極端に不足しているのです。ですので僕がおこなっている「復刊」の作業は、十分に「霊的知識普及」の一助になっているのではないかと考えます。少なくとも僕が物的脳髄で書く書籍より価値がある事だけは間違いないでしょう。

霊団の目的は別にあるようで、僕のこの「復刊」の作業をあまり好意的には受け止めていない様子ですが、僕はいま自分にできる限りの事をやるつもりです。僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくる事はない、僕はそう思っていますので、復刊が霊的知識普及プライオリティ最重要だと考えるのです。

よほど霊団にダメ出しを喰らってやめさせられる事でもない限り、復刊の作業を続行するつもりです。というのも書籍のテキストデータ化はだいぶ進んでいるからです。ここまでやったのですから、物質界に残されている限り復刊の作業を続行しましょう、70冊全ての復刊はまずムリでしょうが。

2024年1月1日

山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(祈)†

たきざわ彰人ブログ(2024年1月時点で1200日以上連続更新中)
akito-takizawa.com/

インペレーターの霊訓表紙テスト02small

※おまけ – こちらは表紙の線画の原画となります。12ページに掲載しているインペレーター霊の霊視スケッチを参考にして、僕なりに現代風なキャラとして描いてみました。もちろんインペレーター霊本人とは似ても似つかないでしょう。

もっともインペレーター霊ほどの高級霊となれば形態を超越していますから、このような物的外観などは物質界の人間に顕現して見せる特別の事情でも発生しない限り、まとう事はないでしょう。

ももちゃん、シルキーは、僕が「イエス様ハンドリング」と称して果てしなくおこなっている霊的使命遂行の中で描き続けているキャラクターです。詳しくはブログ(WordPress)をご覧頂きたいと思います。

もうひとつ所感ですが、インペレーター霊の頭部の「王冠」を、あえて線画には描きませんでした。というのもインペレーター霊はこの王冠を日常的にはかぶっておられないだろうと予測したからです。

そう思う根拠は、完全物質化現象で有名な「ケーティ・キング霊」(※クルックス博士の実験会に出現した女性霊)の“名前”にあります。この物質化霊の女性の名前はもちろんケーティ・キングではありません。クルックス博士および物質界の人間に向けて名乗った仮の名前です。

この「キング」という名前、そしてインペレーター霊の頭部の「王冠」これらは物質界の人間に霊的なモノを理解させるため、霊的なモノを子バカにさせないための霊界側の作戦だったのではないかと僕は予測していまして、それでインペレーター霊もモーゼス氏および霊団メンバーに顕現する時のみ王冠をかぶっていたのであって、普段はそのようなモノは身に着けていなかったのではないかと思ったりするのです。

霊格が高ければ高いほど謙虚を身につけていますから、なおさらそのようなモノ(王冠)をかぶろうとは思わないはずですし、ましてやインペレーター霊ほどの高級霊となれば【神】を間近に拝する機会を得ているはずですから、その神を差しおいて王冠などとんでもない、むしろ脱帽して神に低く頭を垂れるはずだ、そう思って線画には描かなかったのです。

(※実は最初は描いていたのですがちょっとダサかったので描くのをやめた、という事情もありましたが…)僕はデザインの人間ですので絵を描かない訳にはいかないのです。ですのでインペレーター霊をキャラ化するのは宜しくないかも知れないと思いつつも、このように描かせて頂いた、という経緯です。


復刊者
山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(アキト)

元画家、漫画家。果てしない山へのアタックおよび高負荷の画家作品描画によって霊性発現となりました(2012年6月)イエス様の怒涛の連続顕現(2013年4月)に浴させて頂き、イエス様のご意志に従い霊的知識普及の使命遂行中です。イエス様ハンドリング(霊の導きに従う)により「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の存在を公言し続け、休みなく情報拡散を続けて現在に至る(祈)†


2024年1月1日 初版第1刷発行

著者 W・S・モーゼス
訳者 近藤千雄
復刊者 たきざわ彰人
発行者 たきざわ彰人
印刷所 〇〇〇

ISBN 000-0-000000-00-0
(c)Akito Takizawa Printed in Japan

これはOCR変換ミスではなくて、僕が撃ったテキストなのかも知れませんが、同じ文章が2回繰り返されている箇所がある、この現象は一体何なんだ?こういう風になっていたのです↓

【正解テキスト】「それが完全な障害となる気遣いは無用である。吾々は喜んで援助する。なぜなら当人は真面目なのであり、いずれ自分の非を認める日も来るであろう – いずれ遠からぬ日に。」
【繰り返しテキスト】「それが完全な障害となる気遣いは無用である。吾々は喜んで援助する。なぜなら当人は真面目なのであり、吾々は喜んで援助する。なぜなら当人は真面目なのであり、いずれ自分の非を認める日も来るであろう – いずれ遠からぬ日に。」

キモい、危うく見逃すところでした。「ベールの彼方の生活2巻」キンドルファイヤーを使用しての最終校正35%完成中といったところ。そして2巻用の表紙の線画を描いていたのですが、チョト気に入らないので一旦ボツにして新たなモノを描き始めます。

書籍復刊ですが、やはりあまりにもハードルが高すぎる、そして出費的にも痛すぎる(売り続ける限り永遠に供託金を支払い続けなければならない、等々)の事情を考えるとやはり同人で出す以外にないのかなぁという弱気な考えが頭をもたげてきます。同人で出すと開き直ればこんな簡単な事はないからです。同人だったらメチャ簡単です。

その代わり流通できない、売れない、イコール脱出もできないという事になり、結局霊団の手のひらの上で踊らされている状態「閉じ込められ続ける状態」になってしまう事が確定してしまいます。どれだけもがいても霊団の呪いの効果範囲外には出られないという事なのか。

ちなみに今シーズンのスノーシューアタックを断念する旨書きましたが、足が回復すればまた雪山に行くつもりでいたのですが、ちょっと回復が難しそうだ、またスノーシューの重みに足がダメージを受ける事になるだろうと判断して、残念ですが赴く山域を変更するつもりでいます。

で、こうなったからには1度も行った事のないところに行きます。昨日からGoogleマップをずっと見てます。標識らしきものが全然ない、すごく難しいところに駐車場があるのでよく見て把握してから行かないと駐車できないなんて事になりかねない。雪山撮影をあきらめたその補完の撮影という事で、今まで1度も撮った事のないところから撮ってみるつもりでいます。

復刊、脱出、このふたつに悩まされ続けています。僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくれば一気に問題が解決に向かうのですが、とにかくどこをどう頭をひっくり返しても僕という霊媒が機能する環境はないと思う。僕の霊媒発動はないと思う。

唯一可能性があるとしたらサークルメンバーなしで発動する可能性のある自動書記だと思う。が、霊団に「それできないよ」と嫌味を言われてムカついてトランステストをやめてしまって何か月も経過していますが。

んー脱出できないけど同人で出しちゃおうかなぁ。イヤ脱出できなければ人生に何の意味も無くなる。作業だけは続行中。殺人的にメンドクサイんですよ(祈)†

※アナログ絵358、359のUPの作業をやるのを忘れていました。これからやります。

「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†■2022年9月28日UP■
「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†
奴隷の女の子たちを助けてあげてしまったら、その人間の「罪障消滅」を遅らせる事になり、永遠の視点で考えた時、必ずしもその人間を助けてあげる事にはならないのだ。これは霊的知識としては理解しても、どうにもこうにも釈然としません。奴隷の女の子の存在を知らされずにいたのであれば「知らなかったのだから助けてあげられるはずもなかった」と言い訳もできますが、僕は霊団に奴隷の女の子の存在を徹底的に教えられてここまで使命遂行してきたのです。知らずに犯す罪より知っていて犯す罪の方が何倍も重い、と霊的知識にあります。奴隷の女の子たちが今こうしている間も「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に四肢切断、強姦殺人され続けている事を知っていながら、助けようともせずその悪行を黙って見ているという霊団の考えには、何をどう頭をひっくり返しても賛同する訳にはいきません…続きを読む→
■2020年4月8日UP■
「ほっといてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念です。100%死刑にするよ(祈)†
「ほっといてくれ」という強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念になりますが、とにかく自分たちの邪悪の正体が国民周知の事実にならないよう徹底的にマスコミ操作をして国民を別のニュースに注目させ「視点外し」「すっとぼけ」を行っているのです。皆さま、テレビを筆頭とした各種メディアは完全なる「洗脳」です。真実を一切報道しません…続きを読む→
「助けてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の宇宙最大の寝言の思念です(祈)†■2023年8月9日UP■
「助けてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の宇宙最大の寝言の思念です(祈)†
霊界とは完全なる自己責任の世界であり、物質界生活時に果たさなかった仕事の責任を完全なカタチで取らされるようになっています。その責任を果たさないと高い境涯に向上する事は許されません。「身元の確認はしましょう」と言ってきたアナウンサー的男性も、天皇一族が強姦殺人魔だと知っていながらコイツらの事を善人だというニュースを流しまくり、自身も善人を装って物質界人生を送ったその自責の念、後悔の念が霊的向上の阻害となっており、その罪障中和の目的で「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言する僕の背後霊として仕事をする事になった男性ではないのか。僕はその可能性は十分にあると考えるのです。ちなみにテレビ業界には今回の「身元の確認はしましょう」の男性と同じように、心の中ではよくないと知りながら、仕事を失わないために「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を善人であると洗脳ニュースを流し続け、そのおこないに後悔し心を痛めている人間がスゴイたくさんいると思っているのです…続きを読む→

1913年10月18日 土曜日

カストレル様のご案内で建物の中に入ってみますと、その優雅さはまた格別でした。入口のところは円形になっていて、そこからすぐに例のドームを見上げるようになっています。そこはまだ建物の中ではなくポーチの少し奥まったところになります。

大広間の敷石からは色とりどりの光輝が発し、絹に似た掛物などは深紅色に輝いておりました。前方と両側に1つずつ出入口があります。見上げると鳩が飛び回っております。ドームのどこかに出入口があるのでしょう。そのドームは半透明の石で出来ており、それを通して柔らかい光が射し込みます。

それらを珍しげに眺めてからふと辺りを見回すと、いつの間にかカストレル様が居なくなっております。やがて右側の出入口から楽しそうな談笑の声が聞こえて来ました。何事だろうとその方向へ目をやると、その出入口から子供を混じえた女性ばかりの一団がぞろぞろと入ってきました。総勢20人もおりましたでしょうか。

やがて私たちのところまで来ると、めいめいに手を差し出してにこやかに握手を求め頬に接吻までして歓迎してくれました。挨拶を済ませると中の1人だけが残って後の方はそのまま引き返して行きました。

大勢で来られたのは私たちに和やかな雰囲気を与えようという心遣いからではなかったろうかと思います。さて後に残られた婦人が、こちらへお出でになりませんかと言って私たちを壁の奥まったところへ案内しました。

5人が腰掛けると、婦人は1人1人の名前を言い当て、ていねいに挨拶し、やがてこんな風に話されました。

「さぞかし皆さんは一体何のためにここへ遣(つか)わされたのかとお思いの事でしょう。またここがどんな土地で何という都市なのかといった事もお知りになりたいでしょう。この建物はカストレル宮殿と申します。その事は多分カストレル様から直々(じきじき)にお聞きになられた事でしょう。

カストレル様はこの地方一帯の統治者にあらせられ仕事も研究もみなカストレル様のお指図に従って行われます。話によりますと皆様は既に“音楽の街”も“科学の街”もご覧になったそうですが、そこでの日々の成果もちゃんと私どもの手元へ届くようになっているのです。

届けられた情報はカストレル様と配下のお方が一々検討され然るべく処理されます。この地方全体の調和という点から検討され処理されるのです。単に調和と申しますよりは協調的進化と言った方が良いかも知れません。

例えば音楽の街には音楽学校があり、そこでは音楽的創造力の養成に努めているのですが、そういった養成所があらゆる部門に設置されており、その成果がひっきりなしに私たちの手元に届けられます。届きますとすぐさま検討と分析を経て記録されます。

必要のある場合はこの都市の付属実験所で綿密なテストを行います。実験所は沢山あります。ここへお出でになるまでに幾つかご覧になられたはずです。かなりの範囲にわたって設置されております。

しかし実はその実験所の道具や装置は必ずしも完全なものとは申せませんので、どこかの界で新しい装置が発明されたり改良されたりすると、すぐに使いを出してその製造方法を学んで来させ、新しいのを製造したり古いものに改良を加えたりします。

そんな次第ですから、その管理に当たる方は叡智に長けた方でなければなりませんし、また次から次へと送られてくる仕事を素早くかつ忍耐強く処理していく能力が無くてはなりません。実はあなた方をここにお呼びしたのはその仕事ぶりをお見せするためなのです。

ここにご滞在中にどうか存分にご見学なさって下さい。もちろん全部理解して頂くのは無理でしょうし特に科学的な面はなかなか難しいところが多かろうと思いますが、たとえ判らなくてもあなた方の将来のお仕事に役立つ事が多かろうと思います。さ、それでは話はこれ位にしてこれからこの建物を一通り案内してさしあげましょう。」

婦人の話が終わると私たちは丁寧にお礼を述べて早速建物の中の案内をお願いしました。全てが荘厳としか言いようがありません。どこを見てもたった1色というものがないのです。必ず何色かが混ざっています。

ただ何色混ざっていても実に美しく調和しているのでギラギラ輝くものでもどこかしら慰められるような柔らかさを感じます。宝石、貴金属、装飾品、花瓶、台石、石柱、何でもがそうでした。

石柱には飾りとして1本だけ立っているものと束になったものとがありました。それから通路には宝石類で飾られた美事な掛け物が掛けてあります。通りがけにそれが肩などに触れると何とも言えない美しいメロディを奏でるのです。

庭に出ると噴水池がありました。魚も泳いでおりました。中庭には芝生と樹木と灌木とが地上と同じような具合に繁っておりましたが、その色彩は地上のどこにも見られないものでした。それから屋上へ案内されました。

驚いた事にそこにもちゃんとした庭があり芝生も果樹園も灌木も揃っておりました。噴水池もありました。この屋上は遠方の地域と連絡を交わすところです。時には見張り所のような役目も果たします。

通信方法は強いて言えば無線電信に似たようなものですが、通信されたものが言語でなしに映像となって現れますから(※)実際には地上の無線とも異なりましょう(※この通信が書かれた頃はまだテレビが発明されていなかった事、そして地上の発明品はことごとく霊界にある物の模造品である事を考え合わせると興味深い – 訳者)

私たち女性グループはずいぶん永い間その宮殿にごやっかいになりながら、近くの都市や郊外まで出ていろんなものを見学しました。その地域全体の直径は地上の尺度で何千マイルもありましょう。それほど広い地域でありながら全体と中心との関係が驚くほど緊密でした。

その中心に当たるのが今お話した大ドームの建物すなわちカストレル宮殿という訳です。その全部をお話すると幾ら時間があっても足りません。そこでそのうち幾つかをお伝えしてそれによって他を推察して頂きましょう。もっともそれもあなた方の想像も及ばないものばかりですけど。

第一に不思議に思った事はその都市に子供がいる事でした。なぜ不思議に思ったかと言いますと、それまで私は子供には子供だけの世界があって皆そこへ連れて行かれるものと思い込んでいたからです。最後に居残ってお話をしてくれた婦人はそこの母親のような地位にあられる方で、その他の方々はその婦人の手助けをされてるらしいのです。

私はその中の1人にそこの子供たちがみんな幸福そうで愛らしく、こんな厳かな宮殿でいかにも寛いでいる事には何か特別な理由(わけ)があるのですかと尋ねてみたところ、大よそ次のような説明をしてくれました。

“ここで生活している子供はみな死産児で、地球の空気を吸った事のある子供とは性格上に非常な違いがある。わずか2、3分しか呼吸した事のない子供でも、全然呼吸していない死産児とはやはり違う。それ故死産児には死産児なりの特別の養育が必要であるが、死産児は霊的知識の理解の点では地上生活を少しでも体験した子より速い。

まだ子供でありながらこうした高い世界で生活できるのはそのためである。が、ただ美しく純粋であるだけでは十分とは言えない。ここで一応の清純さと叡智とを身につけたら今度は地球と関係した仕事に従事している方の手に預けられ、その方の指導の元に間接的ながら地上生活の体験を摂取する事になる…。”

私は初めこの話を興味本位で聞いておりました。ところがその呑気(のんき)な心の静寂を突き破って、この都市へ来たのは実はその事を知るためだったのだという自覚が油然として湧いて来ました。私にも実は1度死産児を生んだ経験があるのです。

それに気がつくと同時に私の胸にその子に会いたいという気持が止めどもなく湧いて来ました。“あの子もきっとここに来ているに違いない”そう思うや否や私の心の中に感激の渦が巻き起こり、しばし感涙にむせびました。その時の気持はとても筆には尽せません。

そばに仲間がいる事も忘れて木陰の芝生にうずくまり、膝に顔を押し当てたまま、湧き出る感激に身を浸したのでした。親切なその仲間は私の気持ちを察して黙って私の肩を抱き、私が感激の渦から抜け出るのを待っておりました。やがて少し落ち着くと仲間の1人が優しくこう語ってくれました。

「私もあなたと同じ身の上の母親です。生きた姿を見せずに逝ってしまった子を持つ母親です。ですから今のあなたのお気持がよく判るのです。私も同じ感激に浸ったものです」

それを聞いて私はゆっくりと顔を上げ、涙にうるんだ目をその友に向けました。すると友は口に出せない私の願いを察してくれたのでしょう。すぐに腕を取って一緒に立ち上がり、肩を抱いたままの姿勢で木立の方へ歩を進めました。

ふと我に帰ってみると、その木立の繁みを通して子供たちの楽しそうなはしゃぎ声が聞こえてくるではありませんか。多分私はあまりの感激に失神したような状態になっていたのでしょう。

まだ実際に子供に会ってもいないのにそんな有様です。これで本当に会ったら一体どうなるんだろうか – 私はそんな事を心配しながら木立に近づきました。表現がまずいなどと言わないでおくれ。そう遠い昔の事ではありません。

その時の光景と感激とが生き生きと甦ってきて上手な表現などとても考えておれないのです。地上にいた時の私は死産児にも霊魂があるなどとは考えてもみませんでした。ですから突如としてその事実を知らされた時は、私はもう…ああ、私にはこれ以上書けません。

どうか後は適当に想像しておくれ。とにかくこの愚かな母親にも神はお情けを下さり、ちゃんと息子に会わせて下さったのです。私がもっとしっかりしておればもっと早く会わせて頂けたでしょうにね。最後に1つだけ大切な事を付加えておきましょう。

本当はもっと早く書くべきだったんでしょうに、つい感激にかまけてしまって…その大切な事というのは子供がこちらへ来るとまずこちらの事情に慣れさせて、それから再び地上の事を勉強させます。地上生活が長ければ長いほどこちらでの地上の勉強は少なくて済みます。

死産児には全然地上の体験が無い訳ですが地球の子供である事に変りありませんからやはり地球の子としての教育が必要です。つまり地上へ近づいて間接的に地上生活の経験を摂取する必要があるのです。もちろん地上へ近づくにはそれなりの準備が必要です。

またいよいよ近づく時は守護に当たる方が付いておられます。死産児には地上の体験がまるで無いので地上生活を体験した子に比べて準備期間が長いようです。やはり地上生活が長いほど、またその生活に苦難が多ければ多いほど、それだけこちらでの勉強が少なくて済み、次の勉強へ進むのが速いようです。

もちろんこれは大体の原則を述べたまでで個々に適用される時はその子の性格を考慮し、その特殊性に応じて変更され順応されます。ともかく全てがうまく出来上がっております。では神の祝福を。おやすみなさい。

「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†■2022年6月29日UP■
「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†
神を侮るべからず。己の蒔きしものは己が刈り取るべし(ガラテア6・7)神の摂理は絶対にごまかされません。傍若無人の人生を送った人間が死に際の改心でいっぺんに立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染込んだ汚れが、それくらいの事で一度に洗い落とせると思われますか。無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切おろそかにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。“すみませんでした”の一言で全てが赦されるとしたら果たして神は公正であると言えるでしょうか…続きを読む→
「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†■2022年6月22日UP■
「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†
撮影中ずっと話しかけていたので結構疲れましたが、長い撮影を終えて「ゴールタイムが遅れるからもう帰るわよ♪牛ちゃんまた来るわよ♪」と言ってデジ一眼をザックにしまっていると、牛ちゃんが僕の動きに合わせて大移動を開始。僕が帰る方向にずっとついてくるのでした。そして柵の一番端まで来てそこでたくさんの牛ちゃんが群れながら僕を見送ってくれたのでした。僕は少し感動しつつ牛ちゃんに声をかけながら手を振ってお別れし、ゴールの駐車場に急いだのでした。僕は物質界では徹底的にヒドイ目に遭わされながら生活しています。霊団に完全に人生を破壊され心の中は怒りでイッパイの状態で使命遂行していますが、今回のアタックでは牛ちゃんたちのおかげで少し心が安らいだのでした。牛ちゃんは霊界の人間(霊団)と違って優しかったです…続きを読む→
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†■2022年8月10日UP■
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†
霊界と物質界つまり顕幽をつなぐ通信方法としてもっとも健全かつ正常な手段が「インスピレーション」であり、霊界側にとっても、物質界の人間が霊的チャンネルを開いてくれてインスピレーションを受け取れるようになってくれる事が一番手間が省けるという事なのです。霊媒現象を実現させようと思ったら、異なる次元間にあんなメンドクサイ橋、こんなメンドクサイ橋をかけねばならず、また決まって人間側の無理解、無知、不信心が障害となって霊界側の長年の準備が泡と消されてしまうという事が往々にしてあるそうです…続きを読む→