霊団が「復刊もうやるな」的な事を言ってきました、確かにもうほとんど意味なし(祈)†

霊団に言われるまでもなく復刊が実現したとしても全く売れない事は確実、しかも復刊冊数に上限が設けられる始末、復刊してみたところでどうしようもないという事が相当にハッキリしてます。

それでも何が何でもやってやる、わずかな脱出の可能性にかけるという事で根性で続けていたのですが、その脱出もまず100%ムリですので、もうこの作業はほとんど意味なしという事が判明しています。さぁ困った。

そうでなくても復刊事務作業がイヤでイヤでどうしようもありませんでしたのでどのみちモチベーション的にムリ、という事もあり、数日前に思いついた「自分で本を書くアイデア」を実行に移そうかなぁと、そういう気持ちになりつつあります。自伝はどうしても書く気になれませんが、そちらのアイデアはやる気になれそうなテーマですので。

ただしそのアイデアを実行に移そうと思ったら相当数の「引用」が入ってきますので、入手済の書籍の再勉強、テキスト化を急がないといけません。もしこの原稿を撃ち始めるとしても完成までかなり時間がかかるでしょう、アチコチから引用しなければなりませんので。

んー今までの苦労は何だったんだ。恐るべき絶望感に襲われていますが、ここ数日霊団がイギリスナンチャラカンチャラと言ってきてます。で、久々にPsychic Newsのサイトを見に行ったりしてますが、あの、Amazonで1冊単位で売ってもらえませんか定期購読じゃなくて。あ!Amazon.co.ukにはkindle版が販売されてる。試してみようかなぁ、何かしらの突破口があるかも知れないし。

とにかく自分で本を書くアイデアを実行するとしても書籍テキスト化を急がないといけません。復刊事務作業のモチベーションは切れたかな。もうできないかな。まいったなぁ。上限を設けられてはどうする事もできない。本当に僕の人生を返してくれ。何だったんだよこのムダな時間は(祈)†

「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†■2023年10月4日UP■
「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†
【神】が経綸するこの全宇宙には目的があり、それは「進化」の一語に尽きると思います。全天体、全存在(生命)が進化を目的として永遠とも思える霊的向上の旅を続けています。霊的進化のゴールと言える至福の境涯ニルバーナは存在せず、神の御胸に向けての永遠の進化の旅が続くのですが、僕たちが現在在籍している地球圏は神が経綸する全宇宙の中のほぼ最低ランクの存在の場であり全く進化が足りません。イエス様を最高指揮官とした地球圏経綸の任に当たる天使の方々は、物質界の知的暗黒時代(特に中世ヨーロッパ)を打破して霊的知識を普及させるべく「スピリチュアリズム」を勃興させました。これまでの地球圏霊界でこれほど大々的な計画が実行に移された事はないそうです。イエス様がそこまでしなければならなかった理由は、物質界で学ぶべき事を何も学ばずに無知のまま帰幽して下層界にたむろする、シルバーバーチ霊の言葉を借りれば「難破貨物」ともいうべき低級霊があふれかえってそれがいよいよ上層界にまで悪影響を及ぼし始めてきた事が一因だそうです…続きを読む→
「助けてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の宇宙最大の寝言の思念です(祈)†■2023年8月9日UP■
「助けてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の宇宙最大の寝言の思念です(祈)†
霊界とは完全なる自己責任の世界であり、物質界生活時に果たさなかった仕事の責任を完全なカタチで取らされるようになっています。その責任を果たさないと高い境涯に向上する事は許されません。「身元の確認はしましょう」と言ってきたアナウンサー的男性も、天皇一族が強姦殺人魔だと知っていながらコイツらの事を善人だというニュースを流しまくり、自身も善人を装って物質界人生を送ったその自責の念、後悔の念が霊的向上の阻害となっており、その罪障中和の目的で「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言する僕の背後霊として仕事をする事になった男性ではないのか。僕はその可能性は十分にあると考えるのです。ちなみにテレビ業界には今回の「身元の確認はしましょう」の男性と同じように、心の中ではよくないと知りながら、仕事を失わないために「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を善人であると洗脳ニュースを流し続け、そのおこないに後悔し心を痛めている人間がスゴイたくさんいると思っているのです…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†