【6/28】霊界通信 ベールの彼方の生活 4巻 「天界の大軍」篇 6章 創造界の深奥 1 人類の未来をのぞく
1919年2月19日 水曜日
今夜貴殿と共にいるのは、1年前に王冠状の大ホールにおける儀式についての通信を送っていた霊団の者です。ご記憶と思いますが、あの時は貴殿のエネルギーの消耗が激しかったために中止のやむなきに至りました。このたび再度あの時のテーマを取り上げて、今ここでその続きを述べたいと思います。
キリストと神への讃仰のために玉座に近づいたのは人類を担当する天使群でした。すると玉座の背後から使者が進み出て、幾つもの部門に大別されたその大群へ向けて言葉をかけられた。
天使とはいえその部門ごとに霊的発達程度は様々で、おのずから上下の差がありました。その部門の1つひとつに順々に声をかけて、これから先の進化へ向けて指導と激励の言葉をお与えになられたのでした。以上が前回までの要約です。
では儀式の次の段階に進みましょう。創造の主宰霊たるキリストが坐(ま)す玉座の周りに一郡の霧状の雲が出現しました。その中で無数の色彩がヨコ糸とタテ糸のように交錯している様子は見るからに美しい光景でした。
やがてその雲の、玉座の真後ろになる辺りから光輝が扇状に放射され、高くそして幅広く伸びていきます。主はその中央の下方に位置しておられます。その光は青と緑と琥珀色をしており、キリスト界の物的部門 – 地球や惑星や恒星をこれから構成していく基本成分から成る(天界の)現象界 – から生産されるエネルギーが放散されているのでした。
やがてその雲状のものが活発な動きを見せながら凝縮してマントの形態を整えたのを見ると、色彩の配置も美事な調和関係をみせたものになっておりました。それが恍惚たる風情(ふぜい)の中に座する主宰霊キリストに掛けられ身体にまとわれると、それがまた一段と美しく映えるのでした。
全体の色調は青です。深く濃い青ですが、それでいて明るいのです。縁取りは黄金色、その内側がボーダー(内べり)となっていて、それが舗道に広がり、上がり段にまで垂れております。ボーダーの部分が特に幅が広く、金と銀と緑の色調をしており、さらに内側へ向けて深紅と琥珀の2本の太い筋が走っております。
時おり永い間隔を置いてその青のマントの上に逆(さか)さまになった王冠(そのわけをあとでオーエン氏自身が尋ねる – 訳者)に似たものが現れます。冠の縁にパールの襟飾りが付いており、それが幾種類もの色彩を放っております。
パールグレー(淡灰色)ではなくて – 何と言えばよいのでしょうか。内部からの輝きがキリストの頭部のあたりに漂っております。といって、それによってお顔が霞むことなく、後光となってお顔を浮き出させておりました。
その後光に照らされた全体像を遠くより眺めると、お顔そのものがその光の出る“核”のように見えるのでした。しかし実際はそうではありません。“そう見えた”というまでの事です。頭部には王冠はなく、ただ白と赤の冠帯がつけられており、それが頭髪を両耳の後ろで留めております。前にお話した“祈りの冠帯(ダイアデム)”にどこか似ておりました。
– このたびは色彩を細かく説明なさっておられますが、それぞれにどんな意味があるのでしょうか。
吾々の目に映った色彩はグループ毎に実に美しく且つそれなりの意図のもとに配置されていたのですが、その意図を細かく説明する事は不可能です。が、大体の意味を、それも貴殿に理解できる範囲で述べてみましょう。
後光のように広がっていた光輝は物質界を象徴し、それを背景としてキリストの姿を明確に映し出し、その慈悲深い側面を浮き上がらせる意図がありました。頭部の冠帯は地上の人類ならびにすでに地上を去って霊界入りした人類の洗練浄化された精髄の象徴でした。
– 赤色と白色をしていたとおっしゃいましたが、それにも意味があったのでしょうか。
ありました。人類が強圧性と貪欲性と身勝手さの境涯から脱して、全てが一体となって調和し融合して1つの無色の光としての存在となっていく事を赤から白への転換として象徴していたのです。その光は完璧な白さをしていると同時に強烈な威力も秘めております。
外部から見る者には冷ややかさと静けさをもった雪のような白さの帯として映じますが、外側から見ると白い光は冷たく見えます。内側から見る者には愛と安らぎの輝きとして見えます。
– あなたもその内側へ入られた訳ですか。
いいえ、完全に内側まで入った事はありません。その神殿のほんの入口のところまでです。それも、勇気を奮いおこし意念を総結集して、ようやくそこまで近づけたのでした。しかもその時1回きりで、それもお許しを得た上での事でした。
自分で神殿の扉を開けたのではありません。創造界のキリストに仕える大天使のお1人が開けて下さったのでした。私の背後へ回って、私があまりの美しさに失神しないように配慮して下さったのです。
すなわち私の片方の肩の上から手を伸ばしてその方のマントで私の身体を覆い、扉をほんの少しだけ押し開けて、少しの間その状態を保って下さいました。かくして私は、目をかざされ身体を包み隠された状態の中でその内側の光輝を見、そして感じ取ったのでした。
それだけでも私は、キリストがその創造エネルギーを行使しつくし計画の全てを完了なされた暁に人類がどうなるかを十分に悟り知る事ができました。すなわち今はそのお顔を吾々低級なる霊の方へお向けになっておられる。吾々の背後には地上人類が控えている。吾々はその地上人類の前衛です。
が、計画完了の暁にはお顔を反対の方へ向けられ、無数の霊を従えて父の玉座へと向かわれ、そこで真の意味で全存在と一体になられる。その時には冠帯の赤は白と融合し、白も少しは温みを増している事でしょう。
さて、貴殿の質問で私は話をそらせて冠帯について語る事になってしまいましたが、例の青のマントについては次のように述べておきましょう。すなわち物質の精髄を背景としてキリスト及びマント、そして玉座の姿かたちを浮き上がらせた事。
冠帯は現時点の地上人類とこれ以後の天界への向上の可能性とを融合せしめ、一方マントは全創造物が父より出でて外部へと進化する時に通過したキリストの身体を覆っている事。
そのマントの中に物質と有機体を動かし機能させ活力を賦与しているところの全エネルギーが融合している、といったところです。その中には貴殿のご存じのものも幾つかあります。電気にエーテル。これは自動性はなくてもそれ自身のエネルギーを有しております。
それから磁気。そして推進力に富んだ光線のエネルギー。もっと高級なものもあります。それら全てがキリストのマントの中で融合してお姿を覆いつつ、しかもお姿と玉座の輪郭を際立たせているのです。
– “逆さま”の王冠は何を意味しているのでしょうか。なぜ“逆さま”になっているのでしょうか。
キリストは王冠の代りに例の赤と白の冠帯を付けておられました。そのうち冠帯が白一色となりキリストの純粋無垢の白さの中に融合してしまった時には王冠をお付けになられる事でしょう。
その時マントが上げられ広げられ天界へ向けて浮上し、今度はそのマントが反転してキリストとその玉座の背景として広がり、それまでの光輝による模様はもはや見られなくなる事でしょう。
又その時すなわち最終的な完成の暁に今1度お立ちになって総点検された時には、頭上と周囲に無数の王冠が、“逆さま”ではなく正しい形で見られる事でしょう。デザインは様々でしょう。が、それぞれの在るべき位置にあって、以後キリストがその救える勇敢なる大軍の先頭に立って率いて行く、その栄光への方向を指し示す事でしょう。
アーネル†
訳者注 – 王冠がなぜ逆さまかについては答えられていないが、それがどうであれ、霊界の情景描写は次元が異なるので本来は全く説明不可能のはずである。アーネル霊も“とても出来ない”と再三断りつつも何とか描写しようとする。すると当然、地上的なものになぞらえて地上的な言語で表現しなければならない。
しかもオーエンがキリスト教の概念しか持ち合わせていないためにそのなぞらえるものも用語も従来のキリスト教の色彩を帯びる事になる。例えば最後の部分で“最終的な完成の暁”とした部分は in that far Great Day となっていて、これを慣用的な訳語で表現すれば“かの遠い未来の最後の審判日”となるところである。
が“最後の審判日”の真意が直訳的に誤解されている今日では、それをそのまま用いたのでは読者の混乱を招くので私なりの配慮をした。マント、玉座等々についても地上のものと同じものを想像してはならない事は言うまでもないが、さりとて他に言い表しようがないので、そのまま用いた。
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