【3/27】これが死後の世界だ (2)矛盾の生じる要因

一方、人間の信仰が正しかったことが霊信によって確かめられるケースはよくあることである。従って霊信どうしの矛盾の要因は霊界のスピリットの側にあるのではなくて、それを受け取る霊媒にあることがわかる。

スピリチュアリズムが勃興した当初のころは今よりはるかに霊界からの働きかけが強かったようで、同時に、研究に携わる人々の公明正大な態度と相まって、その時代の支配的な思想信仰とはまったく異る内容の通信が得られていた。

スエーデンの科学者スエーデンボルグ(注4)は、初めの頃はキリスト教の永遠の地獄説を固く信じていたために、一方ではその時代としては破天荒ともいうべき高等な思想を説きながら、他方において永遠の火刑などという、きわめて幼稚な思想が混っていた。当時の彼にはそれが少しも矛盾とは思えなかったらしい。

ところが晩年の思想をみると、地獄の存在は否定こそしていないが、その地獄は精神的状態であり、自分が勝手にこしらえるものであると説き、さらに「地獄は決して永遠なるものではない」とも説いている。言いかえれば、地獄に落ちた人間にも常に向上進化の道が用意されているというのである。

ところで、こうした矛盾があることを理由に全ての霊界通信をいい加減なものと見做す人がいるが、これは賢明な人間のすることではない。大切なのは各通信をよく検討し、その中に相通じる真理の核心を見出すことである。

さらに考慮すべきことは、これまで分ったところによれば、どうやら死後の世界の体験も地上の生活と同じく人によって各種まちまちであって、決して同一でないということである。

仮りに今、遠い星からふたりの人間が地球にやって来て、ひとりは赤道直下の熱帯地方に、他のひとりは北極のド真ん中に降りたとする。ふたりはそれぞれの土地を見物して出来るだけ多くの知識を集めようと努力するであろう。

しかしふたりがたとえ足にマメして調査して歩いても、ひとりは「地球とはやたらに暑いところ」だと報告し、もうひとりは「地球とは一面氷の世界」だと報告するに違いない。

ふたりの報告を聞いた人々はその矛盾の甚だしいのに驚いて、いろいろと問い質すに違いない。がふたりとも自分の報告に少しの誤りもないと言い張る。そしてそこに真偽の問題が生じてくることになろう。が実際、ふたりの報告はどちらも決して誤りではない。ふたりはそれぞれに見たままを正直に報告しているのである。

これとまったく同じことが霊界と人間界との間にも言える。霊界は決してひとつだけの「場所」ではない。地獄といってよいほど低級な世界から、天国とも言うべき歓天喜地の世界まである。分類の仕方によっては無限の世界があると言ってもよいであろう。

しかも、それぞれの世界にはそれぞれの生活形態があって、必ずしも一定しない。となると低級な霊魂から受け取る通信と高級な霊魂から受け取る通信との間に、大なり小なり差異が生じるのは当然すぎるほど当然なことと言えよう。

このことは、それで全ての問題が片付くものではないにしても、霊界通信を読む際に是非とも心得ておくべき大切なことである。

「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†■2024年5月1日UP■
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†
そしてイエス様ですが、実の母を含めた家族全員からつまはじきにされ、ついにエルサレムにひとりで出稼ぎに出される寸前まで行きますが、そこでヘリが3年後にやってくるという約束を前倒しして2年でイエス様のもとにやってきて間一髪のところで助けてくれます。少年イエス様は家族から完全に離れてヘリとともに砂漠の流浪民族のもとに赴き、そこで成人します。このヘリとの生活の中で心霊治療能力等の霊能が完全の域を極めていきます。幼少期から成人するまでひたすら苦難、嫉妬、迫害の連続という事です。僕は霊能とは全く関係ない漫画家の人生を何の迷いもなく選び、そこから挫折と苦悩が始まりますが、僕が漫画界で味わった苦しみなどはイエス様が幼少期から受け続けた苦悩の1万分の1にも満たないでしょう。そして成人してからのイエス様は行く先々で病人を治しまくって「メシヤだ」と噂されて大騒ぎになりますが、慕ってくる人も多かったですが敵も多く、最後は皆さまご存じの通り嫉妬に駆られたバカども(律法学者、ローマの権力者等)によって磔刑(はりつけ)にされて殺されます…続きを読む→
■2021年9月11日UP■
「イエス様を最大の信奉とせず」これはスピリチュアリズム底流の大原則です(祈)†
これまで人類はイエス様はじめ世界中の宗教の創始者等を超人的ポジションに祭り上げおかしなラベル、呼び名を付けてその人物やラベルばかりを崇めて肝心の霊的知識つまり中身をなおざりにしてきました「キリスト教の2000年の長きに亘る人類の呪い」がまさにその典型であり、その失敗を2度と繰り返さないために霊界側は「スピリチュアリズム」を勃興させ、人々の関心の対象を「人物やラベル」から「霊的知識そのもの」へとシフトさせたという事。もし霊団側が僕という霊の道具を使用して霊的知識普及の仕事をする事があるのであれば、僕という霊媒から降る霊言は今回のインスピレーション「イエス様を最大の信奉とせず」にありますようにイエス様に注目を集めさせるのではなく霊的知識そのものに関心を集めさせるという意味…続きを読む→
「あなたは私の誇りよ」この守護霊様の言葉だけがかろうじて良い意味となりますが…(祈)†■2025年3月5日UP■
「あなたは私の誇りよ」この守護霊様の言葉だけがかろうじて良い意味となりますが…(祈)†
霊性発現(2012年6月)した時点で守護霊様の計画は達成されていたという事なのかも知れない、それで守護霊様がいったん僕の守護の任から外れて、僕を計画外の(より高度な)領域へ到達させるための新たな霊団が組織された。つまり僕が現在やらされている霊的使命遂行は完全に計画外の「サービス残業」なんだから、うまく遂行できなくてもムリもない、元々そんな器の人間ではなかったのだから。といった感じで、僕という人間の程度を知り尽くしている守護霊様ならではの言葉なのではないか…なんて予測したりもするのです。この守護霊様の言葉の中にはもちろん「よくガンバりました」というお褒めの意味も含まれていますが、もちろん「もっとガンバれば今のあなたには想像もつかない高い境涯まで到達できたのに残念でした、しかしそれが現在のあなたという人間の限界点である事を私は十分理解しているので十分合格点」という意味も含まれていると僕は思ったのでした。守護霊様の期待に完全なカタチで答える事ができない自分を情けなく思いますが…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†