絵自体は完了中、あとは攻撃エリア(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を記述するエリア)を追加して少しテキストを撃ったらアナログ絵381「フラー26設定資料」としてUPできます。
ココまで来ましたので急ぎましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
絵自体は完了中、あとは攻撃エリア(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を記述するエリア)を追加して少しテキストを撃ったらアナログ絵381「フラー26設定資料」としてUPできます。
ココまで来ましたので急ぎましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
私にとって、心霊現象の研究ほどあれこれと思索をめぐらし、そして、結論を出すのにこれほど時間の掛かったものは、ほかにない。
誰の人生にも、ある時ふと関わり合った事柄に心を奪われ、あっという間に青年期が過ぎ、そして中年期が足早やに過ぎ去っていくという体験があるものだが、私にも、先日それを身に沁みて思い知らされることが起きた。
心霊誌に「ライト(1)」というのがある。地味な月刊誌だが、内容がなかなかいい。ある日ふと目にとまった記事に、30年前の同じ日付の出来事が特集してあって、その中に、1887年のある交霊会における私の興味ぶかい体験を綴った手紙が掲載されていた。
それを見て、われながらこの道への関心がずいぶん長期間にわたっていることを思い知った。と同時に、私が心霊現象の真実性を確信してそれを公表したのはこの1、2年のことであるから、私がその結論に到達するのが決して性急だったとは言えないことも明確となった。
本章では、これまでに私が体験してきた経験と困難のいくつかを披露するのであるが、それを“自己中心的”と受け止めないでいただきたい。読んでいただけば、この道を探求なさる方の誰もが体験するであろうことを、点と線で図式的にスケッチしていることがお分かりいただけると思う。それが済んでから、第2章で一般的かつ普遍的な性格のものへと進んでいきたい。
1882年に医学生としての課程を終えたころの私は、他の若い医者と同じく、物的身体に関しては、確信に満ちた唯物主義的概念を抱いていた。しかし一方、信仰的には神の存在を否定し切れずにいた。と言うのも、ナポレオンがエジプトへの航海中、ある星の降るような夜に、お供をしていた数名の無神論の学者に向かってこう尋ねたという。
「しかし先生方、あの星は一体だれがこしらえたのかね?」この問いに対する答えが、その時の私にも出せなかったのである。
この宇宙は不変の法則によってこしらえられたのだという説では、それではその法則は誰がこしらえたのかという疑問を生むだけである。と言って、むろん私は人間的な容姿をした神様の存在を信じていたわけではない。
私の考えは、今も同じであるが、大自然の背後に知性をそなえたエネルギーが存在する – それはあまりに複雑かつ巨大なもので、ただ“存在する”ということ以上には、私の頭脳では説明しようのないもの – ということである。
善と悪についても、たしかに重要な問題ではあるが、神の啓示を仰ぐほどのものではない、明々白々のことと見なしていた。ところが、われわれのこの小さな個性が死後にも存在するかどうかの問題になると、大自然のどこを見ても、それを否定するものしか見当たらないように思えた。
ローソクは燃えつきると消える。電池を破壊すると電流がストップする。物体を溶かすと、それで存在がおしまいとなる。だから、身分の高い低いにかかわらず、だらしない人生を送っている人間がそのまま死後も生き続けるというのは納得できない。どう考えても、それは一種の妄想であるように思える。
そこで、結論として私は、死はやはりすべての終焉であると信じた。ただ、その死の概念が、なぜこの短い地上生活における同胞への義務にまで影響をもったりするのかは、理解できなかった。
以上が、私が初めて心霊現象に関心をもつようになったころの心理状態だった。要するに“死”は地上における最もナンセンスな問題であると考えており、詐欺的行為を行なった霊媒が摘発された時も、まともな人間がなぜあんなものを信じるのだろうくらいに考えていた。
そんな折に、その“あんなもの”に興味をもっている(複数の)知人に出会った。そして誘われるままに交霊実験に参加した。テーブル通信(2)が行なわれた。確かに、どうやら意味の通じるメッセージが綴られた。が、結果的には、私に猜疑心を抱かせることにしかならなかった。
メッセージには時として長文のものが綴られることがあり、偶然に意味が通じるようになったということは、とても考えられなかった。となると、“誰か”がテーブルを操っていることになる。
当然それは“私以外の誰か”だとにらんだ。この私でないことは確かだ。そこから私はジレンマに陥った。その知人たちは、どう間違っても、そんなことで私を騙(だま)す人たちではない。かといって、あれだけのメッセージが“意識的”操作なしに綴られるわけもなかった。
そのころ、たぶん1886年だったと記憶するが、『エドマンズ判事の回想録』というのを偶然手に入れた。エドマンズ氏(3)はニューヨーク州最高裁の判事で、大変な人望を得ていた。
その本の中に、亡くなった奥さんが交霊会に出てきてエドマンズ氏と語り合うということが長期間にたって続いている話が出ていた。実に事細かに述べられていて、私は興味ぶかく読んだ。が、あくまでも懐疑的態度は崩さなかった。
私は、これは、どんなに実務的な人間でも弱い面をもっている良い例であると考えた。つまりエドマンズ判事の場合、日ごろのドロドロとした人間関係を裁く仕事の反動として、そういう霊的なものへの関心を誘発されているのだと考えたわけである。
そもそも、エドマンズ氏のいう“霊”とは人体のどこにあるのであろうか。交通事故で頭蓋骨部を強打すると、性格が一変してしまうことがある。才気煥発だった人間が役立たずになったりする。アルコールや麻薬その他に中毒すると、精神が変ってしまう。やはりスピリットも物質から生まれているのだ…当時の私はそう理論づけていた。
実際に変るのはスピリットではなくて、そのスピリットが操っている肉体器官なのだということには、思いが至らなかった。たとえば、バイオリンの名器も、弦が切れてしまえば、いかなる名手も弾けなくなる。それをもって演奏家が死んでしまったことにはならないのと同じである。
その後、私は片っ端からスピリチュアリズム関係の本を読んでいった。そして驚いたのは、実に多くの学者、とくに科学界の権威とされている人々が、スピリットは肉体とは別個の存在であり死後にも存続することを完全に信じ切っていることだった。
無教養の人間が遊び半分にいじくっているだけというのであれば歯牙(しが)にもかけないところであるが、英国第一級の物理学者・化学者であるウィリアム・クルックス(4)、ダーウィンのライバルである博物学者のアルフレッド・ウォーレス(5)、世界的な天文学者のカミーユ・フラマリオン(6)といった、そうそうたる学者によって支持されているとなると、簡単に見過ごすわけにはいかなかった。
もとより、いくら著名な学者による徹底した研究の末の結論であるとはいえ、“可哀そうに、この人たちも脳に弱いところがあるのだな”と思ってうっちゃってしまえば、それはそれで済むかも知れない。
が、その“脳の弱さ”が本当は自分の方にあったということに気づかない人は、それこそ“おめでたい人”ということになりかねない。私もしばらくの間は、それを否定する学者たち、たとえばダーウィン(7)、ハックスレー(8)、チンダル(9)、スペンサー(10)などの名前をいい口実にして、懐疑的態度を取り続けていた。
ところが、実はそうした否定論者はただ“嫌っている”だけのことで、まるで調査・研究というものをしたことがないこと、スペンサーは“それまでの知識”に照らして否定しているにすぎないこと、ハックスレーに至っては、“興味がないから”というにすぎないことを知るに至って、こんな態度こそまさに非科学的であり、独断的であり、一方、みずから調査に乗り出して、そうした現象の背後の法則を探り出そうとした人たちこそ、人類に恩恵をもたらしてきた正しい学者の態度であると結論づけざるを得なくなった。かくして私の懐疑的態度は以前ほど頑固なものでなくなっていった。
その傾向は私の個人的な実験でさらに促進された。といっても、当時の実験は霊媒なしで行なったことを忘れてはならない。これは、たとえてみれば望遠鏡なしで天体を観測するようなものである。私自身には何ひとつ霊的能力はなく、いっしょに実験に参加した人たちも五十歩百歩だった。
4、5人でテーブルを囲んでいると、人体から出る磁気が蓄積されて、それを活用して“何ものかが”メッセージを綴るのであるが、その内容が首をかしげたくなるものや、時にはバカバカしいものもあった。
今でも当時のメモを保存しているが、調べてみると必ずしもバカバカしいものばかりではなかったことが分かる。たとえば、ある時私が、今私のポケットに硬貨がいくつあるか当ててほしいと言うと、テーブル通信で、「われわれは教化と高揚を目的として行なっているのであって、当たった、外れたの次元でのお相手をしているのではない」という返事が返ってきた。
さらに続けて、「アラ探しの根性ではなく、敬虔な心を鼓吹したいのです」と言う。これを幼稚くさいと言える人がいるだろうか。
ところが、その一方で私は、出席者の手が無意識のうちに操っているのではないかという疑念に、終始つきまとわれていた。そんな時に、実に不愉快で不可解な体験をさせられた。ある日の夜の実験だったが、とても調子がよくて、どう考えてもわれわれ出席者の意識とは無関係に行なわれていた。
長くて細かい内容のメッセージが綴られた。自分の名前を綴り、地上時代はある企業の得意先回りをしていて、先だってのエクセター市での劇場の火災で焼死した。ついては、カンバーランド州のスラッテンミアという土地にいる家族に、このたびのことを知らせてやってほしい、ということだった。私はよろこんで手紙を認(したた)めて、言われた通りの住所へ書き送った。ところが、それが“配達不能郵便”として送り返されてきた。
これは、私たちが騙されたのか、それとも住所の聞き違いか、今もって分からないままであるが、とにかくそのことに不快感を覚え、私の興味は下降線をたどっていった。真面目な探求でも、その中に悪ふざけの要素が入ると、もう真面目にやりたくなくなるものだ。この地球上にスラッテンミアというところがあったら教えていただきたいものである。
そのころの私は、サウスシーという町で病院を開業していた。同じ町にドレイスン将軍という、英邁な軍人が住んでおられ、その方が英国のスピリチュアリズムの草分け的存在のひとりでもあった。ある日私は、将軍の家を訪ねて私の迷いの心境を打ち明けた。将軍はじっと私の話に聞き入ってくださり、私が得た通信についても、私がつまらないと思っていたものの価値を指摘し、私がこれはと思って高く評価していたものを一蹴した。そしてこう私に論(さと)した。
「あなたはまだ霊的なものについての基本的認識ができていませんね。実を言うと人間は死んであの世へ行っても、性格は今と少しも変らないのです。この世に軟弱な人間、愚かな人間がいるように、スピリットの世界でも同じです。その見分けができないといけません。それはこの世でも同じです。
かりに自分の家から一歩も外へ出たことのない人間がいるとしましょう。その人が、ある時ふと世の中はどんなところだろうと思って、窓から顔を出したとします。そして、なんだこりや、どうってことないじゃないか、と思うかも知れません。世の中の楽しさも大きさも分かりません。くだらん世の中だとタカをくくって顔を引っ込めます。今のあなたが、まさにそれですよ。
ちゃんとした目的もなしに、不用意に交霊会をやるからそういうことになるのです。スピリットの世界の小さな窓から顔を出して、すぐそこにいるくだらぬ連中からの話を聞いたにすぎなかったわけです。もう少しマシなものを求めないといけません」
その時の私は完全に腑に落ちるところまではいかなかったが、今思うと、大ざっぱな説明ながら、見事に的を射ていると思う。
AffinityPhoto上で猛烈に線画のゴミ取りをおこなってますがなかなかゴールが見えてきません。フラーってこんなに大変だったっけ…よくこれまで30機以上描いてきたな…。しかし設定資料よりカラーリングの方が地獄です、当分霊関連書籍のテキスト化の作業がストップしてしまいますが、こればっかりは仕方ない、ひとりの人間にアレもコレもできませんので。
本当に作業時間を捻出したい、これは僕の長年の悲願でもあり、今度こそ脱出をキッカケとしてその目標を達成させたいのですが、霊団は僕を閉じ込めるために徹底的に脅しのインスピレーションを降らせてきます。あんたたちは何がしたくて生きてるんだよ。何もさせない事が目的なのか。それのどこに生きる意味があるんだよ。永遠に理解できぬ。
今月は脱出費用のために節約という事で書籍の入手を抑え気味にしました、果たしてそれが脱出につながるかどうか。そろそろまたホワイトイーグル霊の書籍入手を再開させたいです。まだまだテキスト化しないといけない書籍が恐ろしいほどたくさんあるのです。復刊はムリだとしてもせめてムービー化したい。やるべき作業は殺人的にあるのです。さぁフラーを急ぎましょう(祈)†
僕は肉、魚、動物油脂等、動物を一切食べる事ができませんので(主義主張としてそうしてるのではなく味覚が受け付けないのです、実際に肉を食べると具合も悪くなります)外食で食べられるものがありませんので一切活用した事はないのですが、ちょとウーバーイーツのサイトを見に行ったら、ハァァ、コリャスゴイですね、こういう風になってるのか。初めて見ましたよ。感動しちゃいますね。
フラー26設定資料70%完成中、今日中にUPできたらしたかったですが考えが甘かったです、でも明日はイケるかも。作業を急ぎましょう。使命遂行は今にも終了してしまいそうな雰囲気が漂ってます。霊団が完全にダンマリを決め込んでいるからです。もっともピーチクパーチク言ってきたら言ってきたでムカつかされるのでどっちもどっちなんですけども(祈)†
スピリチュアリズムの思想的側面については、私より思索力に富む多くの方が取り扱っており、一方、スピリチュアリズムの現象的側面についても、私より科学的頭脳をお持ちの多くの方が取り扱っておられる。が、私の知るかぎり、そのふたつの側面の相関関係を細かく取り扱うという試みは、これまで無かったように思う。
この度の私の試みによって、人類にとって最も重大と私が見ている問題を少しでも理解しやすいものにすることができれば、私の努力も無駄でなかったことになるであろう。
すぐれた霊媒のひとりであったパイパー夫人(1)が1899年の入神講演で“霊性に富む宗教”の将来について、こんなことを述べている。
「来るべき20世紀にはこのスピリチュアリズムが驚くほど多くの人々の理解を得ることになるでしょう。が、ここで私からひとつの重大な事実を予言しておきます。必ずや現実となることを明言しておきます。
すなわち、霊界から新しい啓示が届けられるに先立って、世界各地で恐ろしい戦乱が生じます。霊的視野を通して霊界の同胞の存在(死後の存続)を確信するには、前もって地上世界の清浄と浄化が必要なのです。完成へ向けての一過程として、あえてそういう作業を必要とすることがあるのです。友よ、しかと心されたい」
確かに、“世界各地で恐ろしい戦乱”が起きた。地上人類が“霊界の同胞の存在を確信”するようになるのは、まさにこれからである。
1918年(第1次大戦終結の年)
(1)Leonore E. Piper(1859~1950)
スピリチュアリズム史にその名を残している霊言霊媒の中でも、この人ほど厳しい条件と監視のもとに繰り返しテストされた霊媒も珍しい。霊言現象というのは、霊媒の口を使ってスピリットがしゃべるという、日本で古来“口寄せ”などと言われていた現象。それが果たして霊媒自身の潜在意識とは完全に別個のものかどうかを見分けることが、この現象の最大のカギで、そのカギを握っているのが司会者(さにわ)である。
日本人は霊的なものに弱い人種で、霊媒の口をついて出た言葉を唯々諾々(いいだくだく)とうけたまわる傾向があるが、オリバー・ロッジとかリチャード・ホジソン、ジェームズ・ヒスロップ、フレデリック・マイヤースといった世界的な学者は、その点を確認するためにパイパー夫人を使ってテストを繰り返し、ついにスピリットの実在を信じるようになった。
霊団のやる気のなさがいよいよ殺人的絶望的レベルにきてまして、だったらもう霊団の導きに従う必要ネィんジャネ?という気持ちが沸き上がってきまして、ならもう自分レベルで活動するしかありませんのであれこれググったりしていたのです。ボケっとムゲに過ごす訳にもいきませんので。
絵、テキスト、このふたつが現在のメインの作業ですが、そこにムービーも加えてガンガンアウトプットしていく、それしかないでしょう。そのためには作業時間を現在より増やさねばなりませんので脱出が必須となるのです。霊団に何と脅されようと脱出しなければなりません。
明日はロードランをしなければなりません、これはサボり厳禁ですのでフラー26設定資料のUPはキビシそうですがやれる限りやるつもりです。もう僕の物質界に残されての未来は絶望一色です。帰幽して以降も最悪。しかし僕は僕にできる事をやるしかない。何なんだこの人生は(祈)†
このグラボノート(グラフィックボード搭載のノートという意味、グラボ搭載じゃないとAffinityPhotoが動かないのです)過去何回か全く動かない、何の作業もできないという状態になった事がありイマイチ信用していないのですが今回は問題なく作業できています。カラーリングもこのノートでおこないますのでどうかこのまま動いていて欲しい、おかしな事になりませんように。
霊団が全く何も言ってきません。このまま使命遂行も終わるのではないかという気さえしてきます。もうそれでもイイかも知れないと思ってしまいます、あまりに人生破壊がヒドすぎるので。作業続行させますので一旦切ります(祈)†
サー・アーサー・コナン・ドイルといえば誰しも思い出すのが、名探偵シャーロック・ホームズである。そのシリーズは1887年の『緋色(ひいろ)の研究』を皮切りに長短60編にも及んでおり、世界100か国語に翻訳されているという。これを読み解き、新発見をして楽しむ愛好家を“シャーロッキアン”と呼ぶ。
「シャーロック・ホームズ協会」というのがロンドンにあり、1987年にはそこの主催で“シャーロック・ホームズ生誕100周年”の記念行事が大々的に催された。ホームズの“誕生日”とされる1月6日には国会議事堂で記念晩餐会が開かれ、4月から5月にかけて主役のホームズや友人で医者のワトソンなどの“仮装行列”が行なわれ、BBC放送も特別記念番組を組んだほどだった。
日本にも「日本シャーロック・ホームズクラブ」というのがある。最初の日本語訳は1894年(明治27)で、今でも小・中学校の図書館の貸し出しベストテンに必ず入っているという。
その原作者であるコナン・ドイルが医学部(エジンバラ大学)出身の医師で、眼科を専門にしていたことを知る人は意外に少ない。実を言えばシャーロック・ホームズ・シリーズは医者としての仕事の暇つぶしに書いた『緋色の研究』が思わぬ好評を博したので、やむを得ず次から次へと書く羽目になってしまったというのが真相らしく、シャーロッキアンには悪いが、ドイル自身はあまり乗り気ではなかったという。
それは本書をお読みいただけば納得がいかれるであろう。1882年に医科を出たころは、米・国で勃発したスピリチュアリズムの波が英国でも第一級の知識人を巻き込んで、一種の社会問題にまで発展し、その事実は当然ドイルの耳にも入っていた。そして、ちょうど『緋色の研究』を執筆中と思われるころに、ニューヨーク州の最高裁判事 J.W.エドマンズの霊的体験記を読んでいる。
しかし、その時はまだまだ懐疑的で、それを読みながら、人間界のドロドロとしたいがみ合いを毎日のように裁いている人はこんなものに興味をもってしまうものかと、むしろ哀れにさえ思ったという。
しかし、次から次へと出版されるスピリチュアリズム関係の書物の著者が、いずれも当時の第一級の知識人で世界的に名声を博している人たちであることを知るに及んで、もしかしたら頭がおかしいのは自分の方かも知れないと思いはじめ、そこからスピリチュアリズムへの取り組み方が変っていった。
そして間もなく、グリニッジ海軍学校の数学の教授でドイルが主治医をしていたドレイスン将軍の自宅での実験会に出席し、驚異的なアポーツ現象(閉め切った部屋へ外部から物品を引き寄せる)を目(ま)のあたりにして、深く考えさせられた。
それがきっかけとなって、知人の中でスピリチュアリズムに関心をもつ2人と自分の3人で、自宅で交霊会を催すようになった。霊的原理を知らないままの、言わば手探りの状態で続けられたその交霊会で、ドイルは頭からバカにできない何かがあるという感触を得ながらも、どちらかというと失望・不審・不快の繰り返しを体験し、相変らず懐疑的態度を崩しきれなかった。
本文でも述べていることだが、ドイルがのちに、異常現象をすぐに摩訶不思議に捉えてはいけない – あくまでも常識的な解釈を優先させ、それで解釈が不可能な時にのみ霊的に考えるべきである、という態度を強く打ち出すようになった背景には、そうした初期の苦い体験がある。
こうしてスピリチュアリズムに関心を寄せていく一方では、シャーロック・ホームズ・シリーズは売れに売れて、アーサー・コナン・ドイルの名は英国はもとより、世界中に広まっていった。
ドイルがその後もスピリチュアリズムへの関心を持ち続けて、最後には“スピリチュアリズムのパウロ”とまで言われるほど、この新しい霊的思想の普及のために太平洋と大西洋をまたにかけて講演旅行をするようになった最大の原因は、そうした推理作家としての人気を背景にして、著名霊媒やその研究者たちと直接(じか)に接することができたからだった。
そして、その研究成果を旺盛に吸収していくと同時に、世界スピリチュアリスト連盟の総会の議長をつとめるなど、目覚ましい活躍をしている。
本書に収められた2編(『新しき啓示』『重大なるメッセージ』)は、40年近いスピリチュアリズムとの関わり合いによって得た“死後の世界の実在”への揺るぎない確信をもとに、それが有する時代的意義と人類全体にとっての宗教的意義とを世に問うたものである。
その2つの意義については本文をお読みいただくことにして、それを正しく理解する上で念頭に置かねばならない時代的背景を2つ指摘しておきたい。
1つは、第1次世界大戦に象徴される、当時のヨーロッパにおける帝国主義的植民地支配の趨勢である。その中心的勢力となっていたのが、ほかならぬドイルの母国イギリスで、手段を選ばぬ策謀によって他国から利権を奪い巨利を搾取していく母国の資本主義者たちに、ドイルは激しい憤りを覚えていた。
良識的観点からも許せないことであるのみならず、当時すでに“確信”の域に達していた死後の存続の事実に照らしても、愚かしい人間的煩悩の極みを見る思いがしていた。
もう1つは、それと表裏一体の関係にあるという見方もできるが、その第1次大戦の戦場となったヨーロッパは、ローマ帝国によるキリスト教の国教化以来、実に2000年近くもキリスト教的道徳観によって支配されてきた世界だったという事実である。
つまりドイルは、あの血なまぐさい暗黒時代を生み出すまでに人心を牛耳ったはずのキリスト教が、なぜ戦争の歯止めにならなかったのかと問いかけるのである。そしてその最大の原因は、キリスト教の教義がバイブルにいう“しるしと不思議”を無視した、言わば“人工の”教義であり、天国を説いても地獄を説いても、その裏付けとなるものを持ち合わせていないことにある、と主張する。
その主張の根拠となっているのは、言うまでもなく現代の“しるしと不思議”ともいうべき実験室内での心霊現象である。その心霊現象をドイルは電話のベルに譬(たと)える。
つまりベルが鳴る仕掛けは単純きわまりないものだが、そのベルが重大な知らせの到来を告げてくれることがあることに譬えて、テーブルが浮いたり楽器がひとりで演奏したりする現象は確かにそれだけでは何の意味もないが、その他愛ない現象は目に見えない知的存在、いわゆるスピリットの実在を物語るものであり、その意味では(そしてその意味においてのみ)大切なものである、というのである。
しかし、その段階にとどまって好事家(こうずか)的趣味で終ってはならない、とも主張する。こんどは自動書記や霊言によって入手された霊界通信に目を向けて、遅かれ早かれわれわれも赴くことになっている、その見えざる世界について学ぶべきである、というのである。
さて、本書に収めた2編を執筆しているころから、ドイルはスピリチュアリズム思想の普及のための世界旅行を計画していた。そして手始めに1918年と翌年の2年間を英国内での講演に費している。
そして翌年の1920年からの2年間を、夫人同伴でオーストラリアとニュージーランドでの講演旅行に費している。さらに1922年には北米に渡って東海岸の主要都市を回り、その翌年には西海岸のカリフォルニアまで足を運んでいる。
そのあと、どういう事情があったのか、4年間ほど講演旅行に出た形跡はない。が、1928年、すなわち他界する2年前には、北ヨーロッパの主要都市を回っている。
こうした講演旅行を計画し手配したのは“ドイルの右腕”といわれたアーネスト・オーテンで、のちに英国スピリチュアリスト連盟を設立し、その初代会長をつとめている。そのオーテンの語ったところによると、その講演旅行の経費は20万ポンドにのぼったという。
円がケタ違いに強くなった現在のレートで換算してもおよそ5000万円になるが、当時のレートでいけば億の単位となるであろう。たぶん、シャーロック・ホームズ・シリーズで得た印税収入のすべてを注(つ)ぎ込んだのであろう。そして、わずか2年後の1930年に71歳で他界している。ドイルが“スピリチュアリズムのパウロ”と呼ばれるゆえんである。
ドイルが生きた時代、すなわち19世紀後半から20世紀初頭にかけての数10年間は、心霊現象が最も華やかで、それだけにニセモノも横行したが、科学界の1線級の学者を中心とする多くの知識人が真剣にその真偽を確かめようとした時代だった。
頭から毛嫌いして、調査も研究もせずに“そんなものがあるはずがない”と一方的に否定論をぶつ学者もいたが、非難を覚悟で思い切って手を染めた学者は、“1人の例外もなく”、その真実性を確信する声明を発表している。これは特筆大書すべきことで、それがやがて“霊魂説”へと発展していくのである。
ドイルは、そうした研究者たちの成果を持ち前の推理力を駆使して点検する一方、直接の面会や交流を通じてその真実性の確信を深めていった。その経過をたどりながらスピリチュアリズムの起原と思想を平たく解説したのが、本書に収められた2編である。
その後は自然界の精霊の存在を扱った『妖精物語』(1922)や、講演旅行をまとめた『2人のアメリカ冒険旅行』(1923)およびその続編(1923)、そして1926年には大著『スピリチュアリズムの歴史』を著している。これは、1、2を併せて700ページにのぼる厖大なもので、ドイルのスピリチュアリズム研究の集大成であると同時に、スピリチュアリズムの貴重な文献となっている。
私は今、ドイルが生きた時代は心霊現象の最も華やかな時代だったと述べたが、それは主として物理的現象のことで、それが少しずつ下火になっていくにつれて逆に精神的なもの、あるいは思想的なものが多く出はじめ、霊言現象や自動書記現象によって、人類史上かつて類をみない高等な人間観や宇宙観が啓示されるようになった。
そうした側面になると、ドイルの時代以降に輩出したものの方が組織的かつ学問的で、そこに明らかに進歩のあとが窺える。そういう波動(オクターブ)の高いものが受けられる霊媒が多く輩出したということである。本書ではそうしたドイル以降のものについては“訳註”で補足する形で、あまり深入りしない程度に解説しておいた。
深入りしないのは、たぶん本書の読者の大半の方、もっと言えば日本人の大半の人にとって、思想的にややこしい問題はどうでもよいこうして現実に生きているわれわれ人間とは何なのか、何のために生きているのか、死んだらどうなるのかといったことの方が切実な問題であろうと察せられるからである。
もとより、ドイルが本書で目標としているのもそこにあるのであるが、正直言って本書で披露されているものだけでは、やや隔靴掻痒の感を拭い切れない点が見うけられる。そこで私はその不足分をドイルのその後の著書からの引用で補ったり、“訳註”の形で解説させてもらった。が、それも所詮は西洋的なものばかりで、読者によってはそのバタ臭さに抵抗を感じられる向きも無きにしもあらずであろう。
そこで私は、日本で発掘された資料の中でも“第1級”の折紙がつけられているものを巻末で紹介して、参考に供したいと思っている。しかしそれも、ドイルが解説してくれているスピリチュアリズムという普遍的な霊的原理の理解があってはじめて納得のいくものであることを承知されたい。
このたびの翻訳に使用したのは、サイキックプレス社発行の『新しき啓示』と『重大なるメッセージ』の合本で、1981年に復刻されたものである。前者の初版は1918年、後者はその翌年であるから、ほぼ60年後の再出版ということになる。
読者の中には“なぜ今になってそんなに古いものを”と思われる方がおられるであろう。もしかしたら“スピリチュアリズムはもう古い”という考えを抱いている方がいらっしゃるかも知れない。が、それは大変な見当違いの認識であると申し上げたい。
なぜそう言えるのかを解説することがスピリチュアリズムの本質を解説することにもなるので、最後にひと通り述べさせていただきたい。それには“スピリチュアリズム”という用語の由来を述べるのがいちばん手っ取り早いように思う。
人間の自我の根源を西洋ではプシュケーとかサイケ、あるいはスピリットと呼んできた。日本語の“霊”に相当すると考えてよいであろう。それが物的身体と結合して出来あがるのが自我意識である。
譬え話で説明すれば、地上生活は潜水服という肉体をまとって海中(大気)にもぐっているようなもので、1日1回、酸素の補給のために海面上にあがってくるのが睡眠である。が、そのうち潜水服を脱ぎ捨てて陸(おか)へあがってしまう。
それが“死”である。それで“本来の自分”に戻るのである。つまり人間はもともとがスピリット、つまり“霊”なのであって、肉体は殻であり道具にすぎない。
したがって、地上生活にあってもそのこと、つまり本来は霊的存在で当然死後も生き続ける、ということがスピリチュアリズムの基本的認識である。ところが、物質文明の発達はその霊性の自覚をマヒさせ、“物欲”によるさまざまな闘争を生んできた。
人類の歴史は闘争の歴史といってもよいほど、血なまぐさい殺戮と虐待の繰り返しである。それは現代に至るも、少しも変っていない。兵器が発達して殺し方の効率が上がったというだけのことであって、本質的には少しも変っていない。つい先ごろの湾岸戦争で、世界の人がそれをテレビで目のあたりにしたばかりである。
スピリチュアリズムというのは、そのマヒした霊性の自覚を回復させることを目標とした霊界からの、地球規模の働きかけである。つまり人類をスピリチュアライズすることであり、そこからスピリチュアリズムという用語ができた。
したがってこれに“心霊主義”とか“神霊主義”とかの訳語を当てるのは間違いなのである。主義・主張の類いではなく自然発生的に生まれてきたものであるから、本来なら名称を付すのはおかしいのであるが、その存在を明示するために取りあえずそう呼んでいるまでのことである。
これでお分かりいただけたことと思うが、霊性の自覚は地上人類にとって平和共存のための必須の条件であり、過去においても必要だったし、現在においても必要であるし、また未来にわたっても要請され続ける性質のものである。
ニュートンが発見する以前から万有引力は働いていたし、今なお働いている。コペルニクスが『天体の回転について』を著す前から地球は太陽のまわりを回っていたのであり、今なお変らぬ速度で回っている。
それと同じく、人間の霊性は今も昔も同じであり、未来永劫にわたって人間は霊的存在であり続けるのである。そのことを科学的に裏付けされた実証的事実を基盤として説いたものを“近代スピリチュアリズム”と呼んでいるまでのことで、本質的には新しいものでも古いものでもない – 永遠不変の原理なのである。
その原理を教えてくれる書物なら、古いもの、新しいものを入れると厖大な数にのぼる。私の手もとにも、優に100冊を超える原書が揃っている。
その中からあえてこのドイルのものを訳出したのは、ドイルの知名度もさることながら、世界中のシャーロック・ホームズ・ファンを楽しませたコナン・ドイルが、ひそかに生き甲斐を求めて探求しつづけたのがスピリチュアリズムだったという事実を知っていただくと同時に、その探求のあとをドイルといっしょにたどっていただくことが、“人類にとって最も重大”とまでドイルが断言するスピリチュアリズムの概略を知っていただくきっかけになると考えたからである。
今、日本の現状に目をやってみると、あまりにいい加減な心霊書が出回り、しかもよく売れている。“いい加減”という意味は、科学的ないし理性的チェックがなされていないということである。あろうはずもない神々からの霊言やら“世紀末”という、何やら意味ありげな用語で不安を煽る、不健全きわまる予言書が氾濫している。
チャネリングとかいって、分かるはずもない、また分かっても何の意味もない前世のことを、さも分かったように口にする、商売根性まる見えの自称霊能者が横行している。
そうした実情にかんがみても、19世紀半ばに勃興して以来この方、世界的学者や知識人による徹底的な検証を受けた心霊現象の科学的研究から生まれたスピリチュアリズム思想は、霊的なものを判断する上で欠かすことのできない、大切な尺度であると考える。
と言って、科学者による研究書では煩雑で退屈で、かえって興味が殺(そ)がれてしまう。そうかといって、いきなり霊界通信をまるごと読んでも、これまた、疑念百出で、こんがらがってしまうであろう。
その点ドイルは学者でもなければ霊能者でもない – われわれ一般人と同じ真理探求者という立場で、その双方を適当にないまぜにしながら、概略的にまとめてくれている。本書との出会いが、1人でも多くの読者にとって、人生観のコペルニクス的転回のきっかけとなれば幸いである。
この上なく重大な事実の真実性を証言するために、1848年のハイズビル事件以来70年にわたって嘲笑と世間的不遇を物ともしなかった、道義的勇気にあふれる人々に本書を捧げる。
1918年3月
A.C.ドイル
フラー26の線画のゴミ取りおよびカラーリングにはAffinityPhotoを使用します、テキスト用の安価ノートではAffinityPhotoは動きませんのでグラボノートを引っ張り出しています。このノートでフラー26の作業をガンガン進めます。
霊団からはモチベーションが落ちるガッカリな事ばかり言われています。僕が全く脱出をあきらめていない事を受けてあきらめの状態になっているようですが、閉じ込められる事を受け入れる訳がネィだろう。何を寝ぼけた事を言ってるのかと思うのですが、残念ながら威力は霊団の方が上ですので、これまでの出来事を考えるとどれだけもがいても閉じ込められるのかも知れませんが。
本当に何ひとつイイ事がありません最悪の気分ですが作業だけは続行させましょう。グラボノート重い。こんな重いモノを持ち歩かなきゃいけないのか(祈)†
「感情と手は別レイヤー」ですから作業はサクサク進めないといけないのですが、しかし心境は複雑の極みでして…もう霊団から最低最悪の事を言われていますのでモチベーションの維持が難しくなっているのです。ガンバっても帰幽後に最悪の境涯に落とされると思ったらガンバる気が失せますよね。
ちなみに僕はやりませんけどウーバーイーツのバッグがAmazonで売ってるんですね知りませんでした。支給されない、自分で購入しないといけないそうですね。このデリバリーの仕事はかなり苛酷なのだそうです。ムービーで見て初めて知りました。こういうのを見ると僕が現在霊団によって閉じ込められている場所がマシに思えてくる…イヤ待て脱出の決意を揺らがすな。
さぁ線画のゴミ取りを急いでアナログ絵381「フラー26設定資料」をUPさせます。止まらずカラーリングにも突入します(祈)†