絵自体は完了中、あとは攻撃エリア(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を記述するエリア)を追加して少しテキストを撃ったらアナログ絵381「フラー26設定資料」としてUPできます。

ココまで来ましたので急ぎましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

私にとって、心霊現象の研究ほどあれこれと思索をめぐらし、そして、結論を出すのにこれほど時間の掛かったものは、ほかにない。

誰の人生にも、ある時ふと関わり合った事柄に心を奪われ、あっという間に青年期が過ぎ、そして中年期が足早やに過ぎ去っていくという体験があるものだが、私にも、先日それを身に沁みて思い知らされることが起きた。

心霊誌に「ライト(1)」というのがある。地味な月刊誌だが、内容がなかなかいい。ある日ふと目にとまった記事に、30年前の同じ日付の出来事が特集してあって、その中に、1887年のある交霊会における私の興味ぶかい体験を綴った手紙が掲載されていた。

それを見て、われながらこの道への関心がずいぶん長期間にわたっていることを思い知った。と同時に、私が心霊現象の真実性を確信してそれを公表したのはこの1、2年のことであるから、私がその結論に到達するのが決して性急だったとは言えないことも明確となった。

本章では、これまでに私が体験してきた経験と困難のいくつかを披露するのであるが、それを“自己中心的”と受け止めないでいただきたい。読んでいただけば、この道を探求なさる方の誰もが体験するであろうことを、点と線で図式的にスケッチしていることがお分かりいただけると思う。それが済んでから、第2章で一般的かつ普遍的な性格のものへと進んでいきたい。

眼科医として開業したころ

1882年に医学生としての課程を終えたころの私は、他の若い医者と同じく、物的身体に関しては、確信に満ちた唯物主義的概念を抱いていた。しかし一方、信仰的には神の存在を否定し切れずにいた。と言うのも、ナポレオンがエジプトへの航海中、ある星の降るような夜に、お供をしていた数名の無神論の学者に向かってこう尋ねたという。

「しかし先生方、あの星は一体だれがこしらえたのかね?」この問いに対する答えが、その時の私にも出せなかったのである。

この宇宙は不変の法則によってこしらえられたのだという説では、それではその法則は誰がこしらえたのかという疑問を生むだけである。と言って、むろん私は人間的な容姿をした神様の存在を信じていたわけではない。

私の考えは、今も同じであるが、大自然の背後に知性をそなえたエネルギーが存在する – それはあまりに複雑かつ巨大なもので、ただ“存在する”ということ以上には、私の頭脳では説明しようのないもの – ということである。

善と悪についても、たしかに重要な問題ではあるが、神の啓示を仰ぐほどのものではない、明々白々のことと見なしていた。ところが、われわれのこの小さな個性が死後にも存在するかどうかの問題になると、大自然のどこを見ても、それを否定するものしか見当たらないように思えた。

ローソクは燃えつきると消える。電池を破壊すると電流がストップする。物体を溶かすと、それで存在がおしまいとなる。だから、身分の高い低いにかかわらず、だらしない人生を送っている人間がそのまま死後も生き続けるというのは納得できない。どう考えても、それは一種の妄想であるように思える。

そこで、結論として私は、死はやはりすべての終焉であると信じた。ただ、その死の概念が、なぜこの短い地上生活における同胞への義務にまで影響をもったりするのかは、理解できなかった。

以上が、私が初めて心霊現象に関心をもつようになったころの心理状態だった。要するに“死”は地上における最もナンセンスな問題であると考えており、詐欺的行為を行なった霊媒が摘発された時も、まともな人間がなぜあんなものを信じるのだろうくらいに考えていた。

そんな折に、その“あんなもの”に興味をもっている(複数の)知人に出会った。そして誘われるままに交霊実験に参加した。テーブル通信(2)が行なわれた。確かに、どうやら意味の通じるメッセージが綴られた。が、結果的には、私に猜疑心を抱かせることにしかならなかった。

メッセージには時として長文のものが綴られることがあり、偶然に意味が通じるようになったということは、とても考えられなかった。となると、“誰か”がテーブルを操っていることになる。

当然それは“私以外の誰か”だとにらんだ。この私でないことは確かだ。そこから私はジレンマに陥った。その知人たちは、どう間違っても、そんなことで私を騙(だま)す人たちではない。かといって、あれだけのメッセージが“意識的”操作なしに綴られるわけもなかった。

そのころ、たぶん1886年だったと記憶するが、『エドマンズ判事の回想録』というのを偶然手に入れた。エドマンズ氏(3)はニューヨーク州最高裁の判事で、大変な人望を得ていた。

その本の中に、亡くなった奥さんが交霊会に出てきてエドマンズ氏と語り合うということが長期間にたって続いている話が出ていた。実に事細かに述べられていて、私は興味ぶかく読んだ。が、あくまでも懐疑的態度は崩さなかった。

私は、これは、どんなに実務的な人間でも弱い面をもっている良い例であると考えた。つまりエドマンズ判事の場合、日ごろのドロドロとした人間関係を裁く仕事の反動として、そういう霊的なものへの関心を誘発されているのだと考えたわけである。

そもそも、エドマンズ氏のいう“霊”とは人体のどこにあるのであろうか。交通事故で頭蓋骨部を強打すると、性格が一変してしまうことがある。才気煥発だった人間が役立たずになったりする。アルコールや麻薬その他に中毒すると、精神が変ってしまう。やはりスピリットも物質から生まれているのだ…当時の私はそう理論づけていた。

実際に変るのはスピリットではなくて、そのスピリットが操っている肉体器官なのだということには、思いが至らなかった。たとえば、バイオリンの名器も、弦が切れてしまえば、いかなる名手も弾けなくなる。それをもって演奏家が死んでしまったことにはならないのと同じである。

その後、私は片っ端からスピリチュアリズム関係の本を読んでいった。そして驚いたのは、実に多くの学者、とくに科学界の権威とされている人々が、スピリットは肉体とは別個の存在であり死後にも存続することを完全に信じ切っていることだった。

無教養の人間が遊び半分にいじくっているだけというのであれば歯牙(しが)にもかけないところであるが、英国第一級の物理学者・化学者であるウィリアム・クルックス(4)、ダーウィンのライバルである博物学者のアルフレッド・ウォーレス(5)、世界的な天文学者のカミーユ・フラマリオン(6)といった、そうそうたる学者によって支持されているとなると、簡単に見過ごすわけにはいかなかった。

もとより、いくら著名な学者による徹底した研究の末の結論であるとはいえ、“可哀そうに、この人たちも脳に弱いところがあるのだな”と思ってうっちゃってしまえば、それはそれで済むかも知れない。

が、その“脳の弱さ”が本当は自分の方にあったということに気づかない人は、それこそ“おめでたい人”ということになりかねない。私もしばらくの間は、それを否定する学者たち、たとえばダーウィン(7)、ハックスレー(8)、チンダル(9)、スペンサー(10)などの名前をいい口実にして、懐疑的態度を取り続けていた。

ところが、実はそうした否定論者はただ“嫌っている”だけのことで、まるで調査・研究というものをしたことがないこと、スペンサーは“それまでの知識”に照らして否定しているにすぎないこと、ハックスレーに至っては、“興味がないから”というにすぎないことを知るに至って、こんな態度こそまさに非科学的であり、独断的であり、一方、みずから調査に乗り出して、そうした現象の背後の法則を探り出そうとした人たちこそ、人類に恩恵をもたらしてきた正しい学者の態度であると結論づけざるを得なくなった。かくして私の懐疑的態度は以前ほど頑固なものでなくなっていった。

その傾向は私の個人的な実験でさらに促進された。といっても、当時の実験は霊媒なしで行なったことを忘れてはならない。これは、たとえてみれば望遠鏡なしで天体を観測するようなものである。私自身には何ひとつ霊的能力はなく、いっしょに実験に参加した人たちも五十歩百歩だった。

4、5人でテーブルを囲んでいると、人体から出る磁気が蓄積されて、それを活用して“何ものかが”メッセージを綴るのであるが、その内容が首をかしげたくなるものや、時にはバカバカしいものもあった。

今でも当時のメモを保存しているが、調べてみると必ずしもバカバカしいものばかりではなかったことが分かる。たとえば、ある時私が、今私のポケットに硬貨がいくつあるか当ててほしいと言うと、テーブル通信で、「われわれは教化と高揚を目的として行なっているのであって、当たった、外れたの次元でのお相手をしているのではない」という返事が返ってきた。

さらに続けて、「アラ探しの根性ではなく、敬虔な心を鼓吹したいのです」と言う。これを幼稚くさいと言える人がいるだろうか。

ところが、その一方で私は、出席者の手が無意識のうちに操っているのではないかという疑念に、終始つきまとわれていた。そんな時に、実に不愉快で不可解な体験をさせられた。ある日の夜の実験だったが、とても調子がよくて、どう考えてもわれわれ出席者の意識とは無関係に行なわれていた。

長くて細かい内容のメッセージが綴られた。自分の名前を綴り、地上時代はある企業の得意先回りをしていて、先だってのエクセター市での劇場の火災で焼死した。ついては、カンバーランド州のスラッテンミアという土地にいる家族に、このたびのことを知らせてやってほしい、ということだった。私はよろこんで手紙を認(したた)めて、言われた通りの住所へ書き送った。ところが、それが“配達不能郵便”として送り返されてきた。

これは、私たちが騙されたのか、それとも住所の聞き違いか、今もって分からないままであるが、とにかくそのことに不快感を覚え、私の興味は下降線をたどっていった。真面目な探求でも、その中に悪ふざけの要素が入ると、もう真面目にやりたくなくなるものだ。この地球上にスラッテンミアというところがあったら教えていただきたいものである。

そのころの私は、サウスシーという町で病院を開業していた。同じ町にドレイスン将軍という、英邁な軍人が住んでおられ、その方が英国のスピリチュアリズムの草分け的存在のひとりでもあった。ある日私は、将軍の家を訪ねて私の迷いの心境を打ち明けた。将軍はじっと私の話に聞き入ってくださり、私が得た通信についても、私がつまらないと思っていたものの価値を指摘し、私がこれはと思って高く評価していたものを一蹴した。そしてこう私に論(さと)した。

「あなたはまだ霊的なものについての基本的認識ができていませんね。実を言うと人間は死んであの世へ行っても、性格は今と少しも変らないのです。この世に軟弱な人間、愚かな人間がいるように、スピリットの世界でも同じです。その見分けができないといけません。それはこの世でも同じです。

かりに自分の家から一歩も外へ出たことのない人間がいるとしましょう。その人が、ある時ふと世の中はどんなところだろうと思って、窓から顔を出したとします。そして、なんだこりや、どうってことないじゃないか、と思うかも知れません。世の中の楽しさも大きさも分かりません。くだらん世の中だとタカをくくって顔を引っ込めます。今のあなたが、まさにそれですよ。

ちゃんとした目的もなしに、不用意に交霊会をやるからそういうことになるのです。スピリットの世界の小さな窓から顔を出して、すぐそこにいるくだらぬ連中からの話を聞いたにすぎなかったわけです。もう少しマシなものを求めないといけません」

その時の私は完全に腑に落ちるところまではいかなかったが、今思うと、大ざっぱな説明ながら、見事に的を射ていると思う。

「成長している」霊団が僕を最悪の中に閉じ込める理由がコレなのだそうですが(祈)†■2024年9月11日UP■
「成長している」霊団が僕を最悪の中に閉じ込める理由がコレなのだそうですが(祈)†
僕はずっと「反逆」という表現を用いていますが、これは反逆ではなく正当防衛だ、僕が脱出しようとしているのは人間として至極当然の事だと、かなり本気で思います。理不尽にもほどがあるだろ、全く何の結果にも到達させないつもり、ただ苦しみだけを延々味わわせると言われて誰がそれに従うか?んんん要するに「視点の置きどころ」が僕たち物質界生活者と霊界生活者とでは根本的に違うという事ですね。霊界には時間の概念がありませんし、物質界で学ぶべきを学ばずに下層界でたむろしている大量の低級霊に長年悩まされている事情もありますから、地球圏を経綸している方々としては強姦殺人魔の問題のみならず地球圏が抱えている問題も解決させたいという願望もあるのでしょう。で、悔しいですがこういう風にまとめるしかないでしょう。僕は霊団の仕事の進め方に超超超ムカついています。しかし現在僕を導く仕事をしている「100の光の霊団」のメンバー達も、かつて物質界生活中に現在の僕と同じような目に遭わされてそれを耐え抜いた方々であるという事です。でなければこの仕事を与えられませんので。できない人間にやらせる訳がありませんからね…続きを読む→
「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†■2023年4月19日UP■
「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†
インペレーターの霊訓より抜粋 私がこの地上を去ったのは遙か遠い昔のことになりますが、このたび戻ってまいりましたのは、この霊媒を通じて霊的啓示を届けんがためです。それが私の使命なのです。私の属する界層からこの地上へ戻ってくる霊はきわめて稀です。が、大神が特殊な使命のためにこの私を遣(つか)わされたのです。天界と地上との間の階梯(はしご)はつねに掛けられております。が、人間の側の不信心が天使の働きかけを遮断してまいりました。 – あなたは神の僕(しもべ)ですか。いかにも。神の僕として選ばれ使命を仰せつかることは、われわれ仲間の間にあってはただならぬことです。私はこの霊媒を通じての使命を終えたのちは2度と個的身体をまとって戻ることのできない境涯へと赴きます。他の霊を通じて影響力を行使するのみとなるでしょう。皆さんはすべからく大神の導きを求めねばなりません。おのれを恃(たの)む者は滅びる、滅びる、滅びる…(とくに厳粛な調子で述べた)。神は光明と導きを求める者を決してお見捨てにはなりません。決して、決して、決して……続きを読む→
「某地獄へ落ちるのみ」他に地獄に落とすべき人間がいるだろう、理不尽の究極形(祈)†■2024年10月30日UP■
「某地獄へ落ちるのみ」他に地獄に落とすべき人間がいるだろう、理不尽の究極形(祈)†
僕が真っ先に反論したいのは「他にもっと地獄に落とすべき人間がいるんじゃネィのか、僕ばかり攻撃して肝心の邪悪な人間はホッポラカシ、何かがおかしくネィか」という事です。その、僕より地獄に落とすべき人間と言うのはもちろん皆さまもお分かりの通り「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事ですよ。一生をかけた画家の夢を破壊されても使命遂行を続行している僕の事は徹底的に脅して最悪のところに全力で閉じ込めようとしてくるが、奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人し続けている(殺害人数は以前487と受け取っていますが現在は計測不能)明仁、文仁、徳仁、悠仁には指1本触れようともせず放置している。地獄に落とすべき邪悪の本体には一切手出しをしないのに使命遂行者の僕は地獄に落とすと脅し続けてくる。公正だ、公平だ、実にスバラシイ、心から納得できる。あー地球圏に生まれてよかったなぁ。僕が地獄に落とされるのはご覧の皆さまにとって愉快でならないでしょうから大いに笑って頂くとしても、僕のこの理不尽な気持ちには多少賛同して頂けるのではないかと思うのですがいかがでしょうか…続きを読む→

AffinityPhoto上で猛烈に線画のゴミ取りをおこなってますがなかなかゴールが見えてきません。フラーってこんなに大変だったっけ…よくこれまで30機以上描いてきたな…。しかし設定資料よりカラーリングの方が地獄です、当分霊関連書籍のテキスト化の作業がストップしてしまいますが、こればっかりは仕方ない、ひとりの人間にアレもコレもできませんので。

本当に作業時間を捻出したい、これは僕の長年の悲願でもあり、今度こそ脱出をキッカケとしてその目標を達成させたいのですが、霊団は僕を閉じ込めるために徹底的に脅しのインスピレーションを降らせてきます。あんたたちは何がしたくて生きてるんだよ。何もさせない事が目的なのか。それのどこに生きる意味があるんだよ。永遠に理解できぬ。

今月は脱出費用のために節約という事で書籍の入手を抑え気味にしました、果たしてそれが脱出につながるかどうか。そろそろまたホワイトイーグル霊の書籍入手を再開させたいです。まだまだテキスト化しないといけない書籍が恐ろしいほどたくさんあるのです。復刊はムリだとしてもせめてムービー化したい。やるべき作業は殺人的にあるのです。さぁフラーを急ぎましょう(祈)†

僕は肉、魚、動物油脂等、動物を一切食べる事ができませんので(主義主張としてそうしてるのではなく味覚が受け付けないのです、実際に肉を食べると具合も悪くなります)外食で食べられるものがありませんので一切活用した事はないのですが、ちょとウーバーイーツのサイトを見に行ったら、ハァァ、コリャスゴイですね、こういう風になってるのか。初めて見ましたよ。感動しちゃいますね。

思わず注文してしまいそうになる、イヤ高い高い、ヤメレ、注文したところで食べられないだろ。いま玉ねぎをトースターで焼いて食べてます、野菜焼きですね。僕の味覚にはコレがピッタリ。んー、利用可能店舗がズラーっと表示されますが全部お肉…僕が食べられるモノがひとつもありません。ま、利用はしませんがお勉強で見てみました。

フラー26設定資料70%完成中、今日中にUPできたらしたかったですが考えが甘かったです、でも明日はイケるかも。作業を急ぎましょう。使命遂行は今にも終了してしまいそうな雰囲気が漂ってます。霊団が完全にダンマリを決め込んでいるからです。もっともピーチクパーチク言ってきたら言ってきたでムカつかされるのでどっちもどっちなんですけども(祈)†

■2021年9月8日UP■
「丸10年だよ」僕の人生を完全に破壊した霊団の言葉です。軽々しく言いやがって人の気も知らずに(祈)†
丸10年だよ、皆さまどうかこの言葉を簡単にサラッと流し読まないで頂きたいのですが、これは僕の人生が霊団主導で10年間破壊され続けたという意味で、僕がこの10年に味わわされてきた最低最悪の出来事の数々を霊団が一言でコロッと片付けてきた、という意味になるのです。この僕の10年にわたる積年の恨み、どうやったら皆さまに理解して頂けるでしょう。そして、奮闘を忘れていません、これも「アキトくんの10年間のガンバリは我々は忘れていない、しっかり心に刻み付けているよ」という霊団の言葉なのですが、僕は霊団の事をいつも何と言っていますか「口だけ霊団」ですね。これぞ口だけの上っ面の軽薄発言そのものであり、さも同情的な事を言っておいて実質僕に現状の苦しい状態を続けさせようという霊団のごまかしの言葉となります。ムカムカ×1億 さらに…続きを読む→
「地上に知れ渡るのか恐るべき事実だな」真実は必ず知れ渡る、隠し通す事は不可能です(祈)†■2024年7月24日UP■
「地上に知れ渡るのか恐るべき事実だな」真実は必ず知れ渡る、隠し通す事は不可能です(祈)†
その男性が失われた良書を復活させようとしている事をシルバーバーチ霊が「真一文字に突き進みなさい」と言って鼓舞しているシーンがあります。僕はこのシルバーバーチ霊の「真一文字に突き進みなさい」の言葉が大好きで、画家時代から人生の指針としていたほどです。で、続いてシルバーバーチ霊が秘書の女性に話しかけ始めますが、ココで評価が一変します。シルバーバーチ霊はこの秘書の女性を「黄金の心を持つ女性」と言ってベタ褒めします。女性は赤面して「私は無力な人間です」と言いますがシルバーバーチ霊はこの女性をココぞとばかりに褒め続けます。この秘書の女性は出版業の男性を影で支えているのみで、実際の作業は男性がやっているのですが、霊界側では女性の方がこのように評価されるのです。これは物的成果を見ているのではなく“心の持ちよう”を見ているからこうなるのではないかと僕は思ったりするのです。つまりこの秘書の女性には私利私欲、自己主張のようなものが全然心の中になかった、献身的姿勢を貫いていたのではないか、それをシルバーバーチ霊が読み取っていたからベタ褒めしたのではないかと僕は予測するのです…続きを読む→

スピリチュアリズムの思想的側面については、私より思索力に富む多くの方が取り扱っており、一方、スピリチュアリズムの現象的側面についても、私より科学的頭脳をお持ちの多くの方が取り扱っておられる。が、私の知るかぎり、そのふたつの側面の相関関係を細かく取り扱うという試みは、これまで無かったように思う。

この度の私の試みによって、人類にとって最も重大と私が見ている問題を少しでも理解しやすいものにすることができれば、私の努力も無駄でなかったことになるであろう。

すぐれた霊媒のひとりであったパイパー夫人(1)が1899年の入神講演で“霊性に富む宗教”の将来について、こんなことを述べている。

「来るべき20世紀にはこのスピリチュアリズムが驚くほど多くの人々の理解を得ることになるでしょう。が、ここで私からひとつの重大な事実を予言しておきます。必ずや現実となることを明言しておきます。

すなわち、霊界から新しい啓示が届けられるに先立って、世界各地で恐ろしい戦乱が生じます。霊的視野を通して霊界の同胞の存在(死後の存続)を確信するには、前もって地上世界の清浄と浄化が必要なのです。完成へ向けての一過程として、あえてそういう作業を必要とすることがあるのです。友よ、しかと心されたい」

確かに、“世界各地で恐ろしい戦乱”が起きた。地上人類が“霊界の同胞の存在を確信”するようになるのは、まさにこれからである。

1918年(第1次大戦終結の年)

訳註

(1)Leonore E. Piper(1859~1950)

スピリチュアリズム史にその名を残している霊言霊媒の中でも、この人ほど厳しい条件と監視のもとに繰り返しテストされた霊媒も珍しい。霊言現象というのは、霊媒の口を使ってスピリットがしゃべるという、日本で古来“口寄せ”などと言われていた現象。それが果たして霊媒自身の潜在意識とは完全に別個のものかどうかを見分けることが、この現象の最大のカギで、そのカギを握っているのが司会者(さにわ)である。

日本人は霊的なものに弱い人種で、霊媒の口をついて出た言葉を唯々諾々(いいだくだく)とうけたまわる傾向があるが、オリバー・ロッジとかリチャード・ホジソン、ジェームズ・ヒスロップ、フレデリック・マイヤースといった世界的な学者は、その点を確認するためにパイパー夫人を使ってテストを繰り返し、ついにスピリットの実在を信じるようになった。

■2021年8月13日UP■
「死体切断はもったいないから」明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を四肢切断する理由です(祈)†
ブタ(奴隷の女の子)は死んだけど、この死体はまだオモチャとして遊べる、このまま捨てたり焼いたりしたらもったいない、最後の最後まで遊び倒さないといけない。世界中でこの遊びができるのは俺たちぐらいのもんだ、ホラ悠仁、お前もブタの胴体を切って遊べ、人間を殺すのは楽しいだろ、これが俺たちの仕事だぞ。これからも国民を殺しまくって遊ぶんだぞ。イーッヒッヒッヒッヒッヒ♪つまり奴隷の女の子たちの人生、人権、性格、夢、そして生命、それら全てをオモチャにして遊ぶ事ができるのは世界で俺たちぐらいのものだ、ただ殺すだけじゃもったいない、女の子が生きている間も、泣き叫んで助けを懇願している時も、四肢切断した後も、強姦殺人する時も、女の子が死んで死体となった後も、その死体を切り刻む時も「処刑遊び」の全シチュエーションをバッチリ撮影して記録に残し、最後の最後まで徹底的に遊び倒さないといけない…続きを読む→
■2020年6月17日UP■
TrailMovie あっという間に帰幽してしまった子猫「ミーシャ」について(祈)†
休憩室の自動販売機の下に「子猫」が入っていて出てこない、と聞かされます。僕は「え?それはそのままにはしておけない」と真っ先に休憩室に走り、うつぶせになって自販機の下をのぞき込み、うずくまっている子猫(生後1ヶ月以内ぐらいかなぁ)に向かって「ネーコちゃん♪コッチいらっしゃい♪そんなトコいてもおもしろくないでしょ?ホラ、こっち来ればお水もあるわよ♪ネーコちゃん♪出てらーっしゃい♪」と話しかけながら何とか子猫を自販機の下から出そうとしました。しかし子猫はミャーミャー言うだけで出てこようとしません。そんな僕の様子を聞きつけて同僚女性が休憩室にやって来ました…続きを読む→
■2020年4月8日UP■
「ほっといてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念です。100%死刑にするよ(祈)†
「ほっといてくれ」という強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念になりますが、とにかく自分たちの邪悪の正体が国民周知の事実にならないよう徹底的にマスコミ操作をして国民を別のニュースに注目させ「視点外し」「すっとぼけ」を行っているのです。皆さま、テレビを筆頭とした各種メディアは完全なる「洗脳」です。真実を一切報道しません…続きを読む→

霊団のやる気のなさがいよいよ殺人的絶望的レベルにきてまして、だったらもう霊団の導きに従う必要ネィんジャネ?という気持ちが沸き上がってきまして、ならもう自分レベルで活動するしかありませんのであれこれググったりしていたのです。ボケっとムゲに過ごす訳にもいきませんので。

絵、テキスト、このふたつが現在のメインの作業ですが、そこにムービーも加えてガンガンアウトプットしていく、それしかないでしょう。そのためには作業時間を現在より増やさねばなりませんので脱出が必須となるのです。霊団に何と脅されようと脱出しなければなりません。

明日はロードランをしなければなりません、これはサボり厳禁ですのでフラー26設定資料のUPはキビシそうですがやれる限りやるつもりです。もう僕の物質界に残されての未来は絶望一色です。帰幽して以降も最悪。しかし僕は僕にできる事をやるしかない。何なんだこの人生は(祈)†

「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†■2024年2月7日UP■
「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†
コイツらが僕を憎もうが憎むまいが、奴隷の女の子を信じられない人数、強姦殺人しまくって遊んできたコイツらは「神の因果律」によって自動的機械的に帰幽後、暗黒の底の底に落ちていく事になります。そこに僕の裁量などありません。自分のおこないによって自分を地獄に落としている、ただそれだけの事です。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは自分たちが1番偉いと本気で信じ込んでいます、この宇宙、上には上がいる事を全く理解できません、物質界生活中、生まれてから死ぬまでワガママ放題、自分の全人生をウソで塗り固め、国民を虐げて私腹を肥やし続けてきた奴らですから人格が全く形成されていません、幼稚極まるガキという事です。そんな奴らが反省などできる訳がありませんからいつまでもどこまでも暗黒の底の底でのたうち回りながら僕に対する憎しみを燃やし続ける事になるでしょう。しかしその憎しみの念は上層界で進歩向上の生活を送る僕には全く届きません。霊界は思念フィルタリングという機能がありますので下層界の邪念は上層界に届かないのです。(※「ベールの彼方の生活2巻」7章 天界の高地 3 霊界の情報処理センター 参照)…続きを読む→
■アナログ絵361「ベールの彼方の生活3巻」復刊書籍表紙UP。ヨハネ氏です(祈)†■2024年2月29日UP■
■アナログ絵361「ベールの彼方の生活3巻」復刊書籍表紙UP。ヨハネ氏です(祈)†
まず「5章 生前と死後 2 一牧師の場合(127ページ)」ですが、物質界で牧師をしていた男がネインという女性の忠告を受けて1界(これはかなりの下層界です)に赴くというお話ですが、皆さまはこのお話を「あぁ、霊的な事を正しく理解していない牧師の没落ストーリーだな」といった感じに読まれる事と思います。確かにその通りなのですが、どうかもう1レイヤー2レイヤー深いところまでお読み頂きたいのです。このネインという女性はわずか2、3歳で夭折した牧師の妹で、男はこの妹を大変可愛がっていたそうですが、霊格が低いこの男はその成人した姿の女性を自分の可愛がっていた妹だと気づく事ができません。しかし1界で辛酸を味わい尽くし霊的向上を果たした暁にはこの男の霊の眼が開かれ、ネインが自分の妹だと気づく日が(男の様子からするとそれは相当先の話になりそうですが)来ます。必ず来ます。その時にこの男は「あぁ!あれほど愛した妹の事が分からずにいたなんて、自分は何という愚か者だったのだ!」みたいな感じになって大いに涙を流して反省し、そこからこの男の「向上ストーリー」が一気に加速する事になります…続きを読む→

このグラボノート(グラフィックボード搭載のノートという意味、グラボ搭載じゃないとAffinityPhotoが動かないのです)過去何回か全く動かない、何の作業もできないという状態になった事がありイマイチ信用していないのですが今回は問題なく作業できています。カラーリングもこのノートでおこないますのでどうかこのまま動いていて欲しい、おかしな事になりませんように。

霊団が全く何も言ってきません。このまま使命遂行も終わるのではないかという気さえしてきます。もうそれでもイイかも知れないと思ってしまいます、あまりに人生破壊がヒドすぎるので。作業続行させますので一旦切ります(祈)†

シャーロック・ホームズ”の人気のさなかで

サー・アーサー・コナン・ドイルといえば誰しも思い出すのが、名探偵シャーロック・ホームズである。そのシリーズは1887年の『緋色(ひいろ)の研究』を皮切りに長短60編にも及んでおり、世界100か国語に翻訳されているという。これを読み解き、新発見をして楽しむ愛好家を“シャーロッキアン”と呼ぶ。

「シャーロック・ホームズ協会」というのがロンドンにあり、1987年にはそこの主催で“シャーロック・ホームズ生誕100周年”の記念行事が大々的に催された。ホームズの“誕生日”とされる1月6日には国会議事堂で記念晩餐会が開かれ、4月から5月にかけて主役のホームズや友人で医者のワトソンなどの“仮装行列”が行なわれ、BBC放送も特別記念番組を組んだほどだった。

日本にも「日本シャーロック・ホームズクラブ」というのがある。最初の日本語訳は1894年(明治27)で、今でも小・中学校の図書館の貸し出しベストテンに必ず入っているという。

その原作者であるコナン・ドイルが医学部(エジンバラ大学)出身の医師で、眼科を専門にしていたことを知る人は意外に少ない。実を言えばシャーロック・ホームズ・シリーズは医者としての仕事の暇つぶしに書いた『緋色の研究』が思わぬ好評を博したので、やむを得ず次から次へと書く羽目になってしまったというのが真相らしく、シャーロッキアンには悪いが、ドイル自身はあまり乗り気ではなかったという。

それは本書をお読みいただけば納得がいかれるであろう。1882年に医科を出たころは、米・国で勃発したスピリチュアリズムの波が英国でも第一級の知識人を巻き込んで、一種の社会問題にまで発展し、その事実は当然ドイルの耳にも入っていた。そして、ちょうど『緋色の研究』を執筆中と思われるころに、ニューヨーク州の最高裁判事 J.W.エドマンズの霊的体験記を読んでいる。

しかし、その時はまだまだ懐疑的で、それを読みながら、人間界のドロドロとしたいがみ合いを毎日のように裁いている人はこんなものに興味をもってしまうものかと、むしろ哀れにさえ思ったという。

驚異の現象を目のあたりにして

しかし、次から次へと出版されるスピリチュアリズム関係の書物の著者が、いずれも当時の第一級の知識人で世界的に名声を博している人たちであることを知るに及んで、もしかしたら頭がおかしいのは自分の方かも知れないと思いはじめ、そこからスピリチュアリズムへの取り組み方が変っていった。

そして間もなく、グリニッジ海軍学校の数学の教授でドイルが主治医をしていたドレイスン将軍の自宅での実験会に出席し、驚異的なアポーツ現象(閉め切った部屋へ外部から物品を引き寄せる)を目(ま)のあたりにして、深く考えさせられた。

それがきっかけとなって、知人の中でスピリチュアリズムに関心をもつ2人と自分の3人で、自宅で交霊会を催すようになった。霊的原理を知らないままの、言わば手探りの状態で続けられたその交霊会で、ドイルは頭からバカにできない何かがあるという感触を得ながらも、どちらかというと失望・不審・不快の繰り返しを体験し、相変らず懐疑的態度を崩しきれなかった。

本文でも述べていることだが、ドイルがのちに、異常現象をすぐに摩訶不思議に捉えてはいけない – あくまでも常識的な解釈を優先させ、それで解釈が不可能な時にのみ霊的に考えるべきである、という態度を強く打ち出すようになった背景には、そうした初期の苦い体験がある。

こうしてスピリチュアリズムに関心を寄せていく一方では、シャーロック・ホームズ・シリーズは売れに売れて、アーサー・コナン・ドイルの名は英国はもとより、世界中に広まっていった。

ドイルがその後もスピリチュアリズムへの関心を持ち続けて、最後には“スピリチュアリズムのパウロ”とまで言われるほど、この新しい霊的思想の普及のために太平洋と大西洋をまたにかけて講演旅行をするようになった最大の原因は、そうした推理作家としての人気を背景にして、著名霊媒やその研究者たちと直接(じか)に接することができたからだった。

そして、その研究成果を旺盛に吸収していくと同時に、世界スピリチュアリスト連盟の総会の議長をつとめるなど、目覚ましい活躍をしている。

2つの時代的背景

本書に収められた2編(『新しき啓示』『重大なるメッセージ』)は、40年近いスピリチュアリズムとの関わり合いによって得た“死後の世界の実在”への揺るぎない確信をもとに、それが有する時代的意義と人類全体にとっての宗教的意義とを世に問うたものである。

その2つの意義については本文をお読みいただくことにして、それを正しく理解する上で念頭に置かねばならない時代的背景を2つ指摘しておきたい。

1つは、第1次世界大戦に象徴される、当時のヨーロッパにおける帝国主義的植民地支配の趨勢である。その中心的勢力となっていたのが、ほかならぬドイルの母国イギリスで、手段を選ばぬ策謀によって他国から利権を奪い巨利を搾取していく母国の資本主義者たちに、ドイルは激しい憤りを覚えていた。

良識的観点からも許せないことであるのみならず、当時すでに“確信”の域に達していた死後の存続の事実に照らしても、愚かしい人間的煩悩の極みを見る思いがしていた。

もう1つは、それと表裏一体の関係にあるという見方もできるが、その第1次大戦の戦場となったヨーロッパは、ローマ帝国によるキリスト教の国教化以来、実に2000年近くもキリスト教的道徳観によって支配されてきた世界だったという事実である。

つまりドイルは、あの血なまぐさい暗黒時代を生み出すまでに人心を牛耳ったはずのキリスト教が、なぜ戦争の歯止めにならなかったのかと問いかけるのである。そしてその最大の原因は、キリスト教の教義がバイブルにいう“しるしと不思議”を無視した、言わば“人工の”教義であり、天国を説いても地獄を説いても、その裏付けとなるものを持ち合わせていないことにある、と主張する。

心霊現象は“電話のベル”

その主張の根拠となっているのは、言うまでもなく現代の“しるしと不思議”ともいうべき実験室内での心霊現象である。その心霊現象をドイルは電話のベルに譬(たと)える。

つまりベルが鳴る仕掛けは単純きわまりないものだが、そのベルが重大な知らせの到来を告げてくれることがあることに譬えて、テーブルが浮いたり楽器がひとりで演奏したりする現象は確かにそれだけでは何の意味もないが、その他愛ない現象は目に見えない知的存在、いわゆるスピリットの実在を物語るものであり、その意味では(そしてその意味においてのみ)大切なものである、というのである。

しかし、その段階にとどまって好事家(こうずか)的趣味で終ってはならない、とも主張する。こんどは自動書記や霊言によって入手された霊界通信に目を向けて、遅かれ早かれわれわれも赴くことになっている、その見えざる世界について学ぶべきである、というのである。

夫人と共に海外講演旅行へ

さて、本書に収めた2編を執筆しているころから、ドイルはスピリチュアリズム思想の普及のための世界旅行を計画していた。そして手始めに1918年と翌年の2年間を英国内での講演に費している。

そして翌年の1920年からの2年間を、夫人同伴でオーストラリアとニュージーランドでの講演旅行に費している。さらに1922年には北米に渡って東海岸の主要都市を回り、その翌年には西海岸のカリフォルニアまで足を運んでいる。

そのあと、どういう事情があったのか、4年間ほど講演旅行に出た形跡はない。が、1928年、すなわち他界する2年前には、北ヨーロッパの主要都市を回っている。

こうした講演旅行を計画し手配したのは“ドイルの右腕”といわれたアーネスト・オーテンで、のちに英国スピリチュアリスト連盟を設立し、その初代会長をつとめている。そのオーテンの語ったところによると、その講演旅行の経費は20万ポンドにのぼったという。

円がケタ違いに強くなった現在のレートで換算してもおよそ5000万円になるが、当時のレートでいけば億の単位となるであろう。たぶん、シャーロック・ホームズ・シリーズで得た印税収入のすべてを注(つ)ぎ込んだのであろう。そして、わずか2年後の1930年に71歳で他界している。ドイルが“スピリチュアリズムのパウロ”と呼ばれるゆえんである。

心霊現象の科学的研究

ドイルが生きた時代、すなわち19世紀後半から20世紀初頭にかけての数10年間は、心霊現象が最も華やかで、それだけにニセモノも横行したが、科学界の1線級の学者を中心とする多くの知識人が真剣にその真偽を確かめようとした時代だった。

頭から毛嫌いして、調査も研究もせずに“そんなものがあるはずがない”と一方的に否定論をぶつ学者もいたが、非難を覚悟で思い切って手を染めた学者は、“1人の例外もなく”、その真実性を確信する声明を発表している。これは特筆大書すべきことで、それがやがて“霊魂説”へと発展していくのである。

ドイルは、そうした研究者たちの成果を持ち前の推理力を駆使して点検する一方、直接の面会や交流を通じてその真実性の確信を深めていった。その経過をたどりながらスピリチュアリズムの起原と思想を平たく解説したのが、本書に収められた2編である。

その後は自然界の精霊の存在を扱った『妖精物語』(1922)や、講演旅行をまとめた『2人のアメリカ冒険旅行』(1923)およびその続編(1923)、そして1926年には大著『スピリチュアリズムの歴史』を著している。これは、1、2を併せて700ページにのぼる厖大なもので、ドイルのスピリチュアリズム研究の集大成であると同時に、スピリチュアリズムの貴重な文献となっている。

物理的なものから精神的なものへ

私は今、ドイルが生きた時代は心霊現象の最も華やかな時代だったと述べたが、それは主として物理的現象のことで、それが少しずつ下火になっていくにつれて逆に精神的なもの、あるいは思想的なものが多く出はじめ、霊言現象や自動書記現象によって、人類史上かつて類をみない高等な人間観や宇宙観が啓示されるようになった。

そうした側面になると、ドイルの時代以降に輩出したものの方が組織的かつ学問的で、そこに明らかに進歩のあとが窺える。そういう波動(オクターブ)の高いものが受けられる霊媒が多く輩出したということである。本書ではそうしたドイル以降のものについては“訳註”で補足する形で、あまり深入りしない程度に解説しておいた。

深入りしないのは、たぶん本書の読者の大半の方、もっと言えば日本人の大半の人にとって、思想的にややこしい問題はどうでもよいこうして現実に生きているわれわれ人間とは何なのか、何のために生きているのか、死んだらどうなるのかといったことの方が切実な問題であろうと察せられるからである。

もとより、ドイルが本書で目標としているのもそこにあるのであるが、正直言って本書で披露されているものだけでは、やや隔靴掻痒の感を拭い切れない点が見うけられる。そこで私はその不足分をドイルのその後の著書からの引用で補ったり、“訳註”の形で解説させてもらった。が、それも所詮は西洋的なものばかりで、読者によってはそのバタ臭さに抵抗を感じられる向きも無きにしもあらずであろう。

そこで私は、日本で発掘された資料の中でも“第1級”の折紙がつけられているものを巻末で紹介して、参考に供したいと思っている。しかしそれも、ドイルが解説してくれているスピリチュアリズムという普遍的な霊的原理の理解があってはじめて納得のいくものであることを承知されたい。

“スピリチュアリズム”の語原

このたびの翻訳に使用したのは、サイキックプレス社発行の『新しき啓示』と『重大なるメッセージ』の合本で、1981年に復刻されたものである。前者の初版は1918年、後者はその翌年であるから、ほぼ60年後の再出版ということになる。

読者の中には“なぜ今になってそんなに古いものを”と思われる方がおられるであろう。もしかしたら“スピリチュアリズムはもう古い”という考えを抱いている方がいらっしゃるかも知れない。が、それは大変な見当違いの認識であると申し上げたい。

なぜそう言えるのかを解説することがスピリチュアリズムの本質を解説することにもなるので、最後にひと通り述べさせていただきたい。それには“スピリチュアリズム”という用語の由来を述べるのがいちばん手っ取り早いように思う。

人間の自我の根源を西洋ではプシュケーとかサイケ、あるいはスピリットと呼んできた。日本語の“霊”に相当すると考えてよいであろう。それが物的身体と結合して出来あがるのが自我意識である。

譬え話で説明すれば、地上生活は潜水服という肉体をまとって海中(大気)にもぐっているようなもので、1日1回、酸素の補給のために海面上にあがってくるのが睡眠である。が、そのうち潜水服を脱ぎ捨てて陸(おか)へあがってしまう。

それが“死”である。それで“本来の自分”に戻るのである。つまり人間はもともとがスピリット、つまり“霊”なのであって、肉体は殻であり道具にすぎない。

したがって、地上生活にあってもそのこと、つまり本来は霊的存在で当然死後も生き続ける、ということがスピリチュアリズムの基本的認識である。ところが、物質文明の発達はその霊性の自覚をマヒさせ、“物欲”によるさまざまな闘争を生んできた。

人類の歴史は闘争の歴史といってもよいほど、血なまぐさい殺戮と虐待の繰り返しである。それは現代に至るも、少しも変っていない。兵器が発達して殺し方の効率が上がったというだけのことであって、本質的には少しも変っていない。つい先ごろの湾岸戦争で、世界の人がそれをテレビで目のあたりにしたばかりである。

霊性の回復のための霊界からの働きかけ

スピリチュアリズムというのは、そのマヒした霊性の自覚を回復させることを目標とした霊界からの、地球規模の働きかけである。つまり人類をスピリチュアライズすることであり、そこからスピリチュアリズムという用語ができた。

したがってこれに“心霊主義”とか“神霊主義”とかの訳語を当てるのは間違いなのである。主義・主張の類いではなく自然発生的に生まれてきたものであるから、本来なら名称を付すのはおかしいのであるが、その存在を明示するために取りあえずそう呼んでいるまでのことである。

これでお分かりいただけたことと思うが、霊性の自覚は地上人類にとって平和共存のための必須の条件であり、過去においても必要だったし、現在においても必要であるし、また未来にわたっても要請され続ける性質のものである。

ニュートンが発見する以前から万有引力は働いていたし、今なお働いている。コペルニクスが『天体の回転について』を著す前から地球は太陽のまわりを回っていたのであり、今なお変らぬ速度で回っている。

それと同じく、人間の霊性は今も昔も同じであり、未来永劫にわたって人間は霊的存在であり続けるのである。そのことを科学的に裏付けされた実証的事実を基盤として説いたものを“近代スピリチュアリズム”と呼んでいるまでのことで、本質的には新しいものでも古いものでもない – 永遠不変の原理なのである。

その原理を教えてくれる書物なら、古いもの、新しいものを入れると厖大な数にのぼる。私の手もとにも、優に100冊を超える原書が揃っている。

その中からあえてこのドイルのものを訳出したのは、ドイルの知名度もさることながら、世界中のシャーロック・ホームズ・ファンを楽しませたコナン・ドイルが、ひそかに生き甲斐を求めて探求しつづけたのがスピリチュアリズムだったという事実を知っていただくと同時に、その探求のあとをドイルといっしょにたどっていただくことが、“人類にとって最も重大”とまでドイルが断言するスピリチュアリズムの概略を知っていただくきっかけになると考えたからである。

憂慮すべき日本の心霊界の現状

今、日本の現状に目をやってみると、あまりにいい加減な心霊書が出回り、しかもよく売れている。“いい加減”という意味は、科学的ないし理性的チェックがなされていないということである。あろうはずもない神々からの霊言やら“世紀末”という、何やら意味ありげな用語で不安を煽る、不健全きわまる予言書が氾濫している。

チャネリングとかいって、分かるはずもない、また分かっても何の意味もない前世のことを、さも分かったように口にする、商売根性まる見えの自称霊能者が横行している。

そうした実情にかんがみても、19世紀半ばに勃興して以来この方、世界的学者や知識人による徹底的な検証を受けた心霊現象の科学的研究から生まれたスピリチュアリズム思想は、霊的なものを判断する上で欠かすことのできない、大切な尺度であると考える。

と言って、科学者による研究書では煩雑で退屈で、かえって興味が殺(そ)がれてしまう。そうかといって、いきなり霊界通信をまるごと読んでも、これまた、疑念百出で、こんがらがってしまうであろう。

その点ドイルは学者でもなければ霊能者でもない – われわれ一般人と同じ真理探求者という立場で、その双方を適当にないまぜにしながら、概略的にまとめてくれている。本書との出会いが、1人でも多くの読者にとって、人生観のコペルニクス的転回のきっかけとなれば幸いである。


コナン・ドイル

献辞

この上なく重大な事実の真実性を証言するために、1848年のハイズビル事件以来70年にわたって嘲笑と世間的不遇を物ともしなかった、道義的勇気にあふれる人々に本書を捧げる。

1918年3月
A.C.ドイル

「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†■2023年7月5日UP■
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物質界の評価に1ミリも興味はありませんので僕が物質界レベルで軽蔑嘲笑を受ける事になろうと知った事ではないのですが、ただ悲しいのは「僕が自分の人生を犠牲にしてこれほどの活動をしても、それでも皆さまの眼は開かれないのか」という事です。僕が殺されたあと、僕という人間を侮辱する、僕の人格を全く別物に書き換えるインチキ書籍が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の手により複数出回ったとして、それをアッサリコロッと皆さまは信じてしまうというのでしょうか。物質界に興味がないと言っている僕でさえ悲しくなる眼の閉じっぷりです。僕の事は何とでも思って頂いて構わないとして、少なくとも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳だけは撃ち破ってもらわないと皆さまが帰幽後に恥ずかしくて居たたまれなくなると思うのですがいかがでしょう。帰幽後の霊界人生が人間の本当の人生です。そちらに照準を合わせて日々の生活を送らないといけないんですよ…続きを読む→
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†■2023年12月27日UP■
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霊的知識を獲得した人は、宜しくないおこないをして帰幽した先にどれだけの地獄が待ち受けているかを知っているので自動的に悪行にブレーキがかかるのです。シルバーバーチ霊も仰っていますように、邪悪な人間というのは霊的成長における「幼児」であり、霊的知識が全く頭に入っていないワガママのお子ちゃまであり、物的金銭を人より多く所有する事でしか自己表現ができない原初的人間という事になるのです。金銭など帰幽後、1円も霊界に持って行けません。そして霊界生活にお金など必要ありません。必要なものは全て思念で拵える事ができます。物質界生活中にお金をため込んでも自分の未来にとって全く無意味という事を悟れていない人間という事なのです。人間は本来が霊であり、その霊が修行のために一時的にトレーニングセンターである物質界に肉体という鈍重な衣服をまとって降下しているのであり、そのトレーニングセンターでのおこないが帰幽後の生活環境、霊界にて赴く境涯を高くしたり低くしたりするという霊的知識の基本中の基本さえ知らない人間が、その無知から邪悪なおこないをするのです…続きを読む→

フラー26の線画のゴミ取りおよびカラーリングにはAffinityPhotoを使用します、テキスト用の安価ノートではAffinityPhotoは動きませんのでグラボノートを引っ張り出しています。このノートでフラー26の作業をガンガン進めます。

霊団からはモチベーションが落ちるガッカリな事ばかり言われています。僕が全く脱出をあきらめていない事を受けてあきらめの状態になっているようですが、閉じ込められる事を受け入れる訳がネィだろう。何を寝ぼけた事を言ってるのかと思うのですが、残念ながら威力は霊団の方が上ですので、これまでの出来事を考えるとどれだけもがいても閉じ込められるのかも知れませんが。

本当に何ひとつイイ事がありません最悪の気分ですが作業だけは続行させましょう。グラボノート重い。こんな重いモノを持ち歩かなきゃいけないのか(祈)†

「感情と手は別レイヤー」ですから作業はサクサク進めないといけないのですが、しかし心境は複雑の極みでして…もう霊団から最低最悪の事を言われていますのでモチベーションの維持が難しくなっているのです。ガンバっても帰幽後に最悪の境涯に落とされると思ったらガンバる気が失せますよね。

まぁそこは「神の因果律」が公平、公正に判断してくれる、僕の反逆は確かに問題があるけど、やるべき事はちゃんとやったみたいに評価してくれると信じるしかありません。評価されないんだったら誰もこんな苦しい作業やりませんよ。しかもイヤでどうしようもないところに自分の意思に反して延々閉じ込められて怒り心頭なんですから。んーまぁ霊的知識的に言えばそういう損得勘定で動いてる時点でアウトなんですけどね…。

ちなみに僕はやりませんけどウーバーイーツのバッグがAmazonで売ってるんですね知りませんでした。支給されない、自分で購入しないといけないそうですね。このデリバリーの仕事はかなり苛酷なのだそうです。ムービーで見て初めて知りました。こういうのを見ると僕が現在霊団によって閉じ込められている場所がマシに思えてくる…イヤ待て脱出の決意を揺らがすな。

イヤでどうしようもないから脱出したいというのも理由ですが、もうひとつ「作業時間を増やしたい」んですよ僕は。物質界に残されている間にやらねばならない作業が殺人的にあるのです、このままの生活スタイルでは作業完了せずに物質界を去る事になる確率が非常に高いため、それで脱出を急いでいるのです。しかし霊団は全力で止めようとしてくる。意味不明。

さぁ線画のゴミ取りを急いでアナログ絵381「フラー26設定資料」をUPさせます。止まらずカラーリングにも突入します(祈)†

「信じて疑わなかった」コッチのセリフだよ、たのむからこの人生の責任取ってくれよ(祈)†■2024年12月4日UP■
「信じて疑わなかった」コッチのセリフだよ、たのむからこの人生の責任取ってくれよ(祈)†
現在セブン(イレブン)の客騙しが大問題になっている事は多くの方がご存じの事と思います。セブンが客の信用を完全に失っていて、もうその信用を取り戻す事が不可能と思われるほど問題の根が深い、という件ですが、それと同じような感じで、僕の霊団への不信感も昨日今日の問題ではなく長年の蓄積によってこういう精神状態になったのだという事を強調したいのです。とにかく人生破壊の度が過ぎる、僕の人生は徹底的に破壊するが仕事は一向に進行しない、僕という霊媒を使用して霊言を降らせる降らせると言い続けているが一向に降らせようとしない(僕が協力的姿勢を取らないから降らせられないと言えなくもないのがイタイですが…)イヤ、霊言霊媒として機能させられないなら自動書記をやればいいだろと思うのですが、そちらも1文字たりとも降ってこない。もっともこういう霊的仕事は霊界側で相当の準備をしないとできないそうですので、物質界の人間側の都合でああしてくれこうしてくれと言ってそうそうポンポンできるものではないのですが…続きを読む→
■2020年6月10日UP■
TrailMovie「迫真の演技」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がやはり泣いてごまかすつもりのようです。皆さま決してダマされないように(祈)†
幽体離脱時の映像ですが、えー何でしょうあれは、ゴジラみたいな着ぐるみを着た怪獣が現れます。この怪獣が強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁という設定のストーリーだったのですが、霊体の僕がその怪獣に説明を求めます。「幼い女の子をレイプしまくり強姦殺人しまくってきた自身の大罪について釈明できるものならしてみて下さい」という感じに。するとその着ぐるみの怪獣は何も答えずただバタバタ暴れ出す、という映像でした。そして離脱帰還してトランスを維持していると「何も答えられない」と霊団が霊聴に響かせてきたのでした。何て事のないショートストーリーですが、この映像の中に明仁、文仁、徳仁、悠仁の「ガキっぷり」が如実に表れていますね…続きを読む→
「みんな心の底ではイヤがってるんですよ」天皇一族に対する皆さまの本心です(祈)†■2021年12月1日UP■
「みんな心の底ではイヤがってるんですよ」天皇一族に対する皆さまの本心です(祈)†
コイツらは普段一体何をして生活してやがるんだ?というシンプルな疑問が湧いてくる事と思います。皆さま宜しいですか「公務」は仕事ではありません「自演乙(じえんおつ)」の偽装工作です。自分たちが何か特別に選ばれた偉い人間であるかに思わせるための洗脳工作です。断じて公務は仕事ではありません洗脳です。つまり「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は生涯で1度も仕事をした事がないという事になります「では、コイツらは仕事もせずに普段は一体何をして生活しているんですか?」その疑問に対する回答がこうです。1日中奴隷の女の子をレイプして遊んでいるんですよ…続きを読む→