『シルバーバーチの霊訓』6巻 10章 あらためて基本的真理を

※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【シルバーバーチが霊媒を招待した時はいつも温かい歓迎の言葉で迎えるが、古くからの馴染みの霊媒であればその態度は一層顕著となる。これから紹介する女性霊媒とご主人はハンネン・スワッハー・ホームサークルの結成当初からのメンバーで、―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【最近は永らく自宅で独自の交霊会を催しておられ、今回は久しぶりの出席である。夏休みの後の最初の交霊会となったこの日もシルバーバーチによる神への祈願によって開始され、続いて全員にいつもと同じ挨拶の言葉を述べた。―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
本日もまた皆さんの集まりに参加し霊界からの私のメッセージをお届けする事が出来る事を嬉しく思います。僅かの間とはいえ、こうして私たちが好意を抱きかつ私たちに好意を寄せて下さる方々との交わりをもつ事は、私たちにとって大きな喜びの源泉です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
こうした機会に自然の法則に従ってお互いが通じ合い、お互いの道において必要なものを喜びと感謝のうちに学び合いましょう。もとより私は交霊会という地上世界と霊界との磁気的接触の場のもつ希少価値はよく理解しており、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―私が主催するこの会の連絡網の一本たりとも失いたくない気持ですが、次の事は一般論としてもまた私個人にとっても真実ですので明確に述べておきます。それは私は“しつこい”説教によって説き伏せる立場にはないと考えている事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
面白味のない霊的内容の教えを長い説教調で述べる事は私の望むところではありません。そのやり方ではいかなる目的も成就されません。私が望むやり方、この交霊会で私がせめてものお役に立つ事ができるのは、ここに集われた全ての方に―例外的な人は一人もいません―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―ともすると俗世的な煩わしさの中で見失いがちな基本的真理を改めて思い起こさせてあげる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
物的生活に欠かせない必要性から問題が生じ、その解決に迫られた時、日常生活の物的必需品を手に入れる事に全エネルギーを注ぎ込まねばならない時に、本来の自分とは何か、自分は一体何者なのか、なぜ地上に生活しているのかといった事を忘れずにいる事は困難な事です。
霊界通信によると、高級界へ行くほど芸術性が増していき、その環境の美しさ、生活の素晴しさは、到底地上の言語では表現できないという。地上に存在しない音階や色彩が無数に存在する以上、それは当然であろう。―【霊は実在する、しかし】より
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『シルバーバーチの霊訓⑥』
そこで私のような古い先輩―すでに地上生活を体験し、俗世的な有為転変に通じ、しかもあなた方一人一人の前途に例外なく待受けている別の次元の生活にも通じている者が、その物的身体が朽果てた後にも存在し続ける霊的本性へ関心を向けさせて頂いているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
それが基本だからです。あなた方は霊的な目的のためにこの地上に置かれた霊的存在なのです。そのあなた方を悩まし片時も心から離れない悩み事、大事に思えてならない困った事態も、やがては消えていく泡沫のようなものにすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
といって、地上の人間としての責務を疎かにしてよろしいと言っているのではありません。その物的身体が要求するものを無視しなさいと言っているのではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
大切なのは正しい平衡感覚、正しい視点をもつ事、そして俗世的な悩みや心配事や煩わしさに呑み込まれてしまって自分が神の一部である事、ミニチュアの形ながら神の属性の全てを内蔵している事実を忘れないようにする事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その事を忘れず、その考えを日常生活に活かす事さえできれば、あなた方を悩ませている事がそれなりに意義をもち、物的、精神的、霊的に必要なものをそこから摂取していくコツを身につけ、一方に気を取られて他方を忘れるという事は無くなるはずです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
こう言うと多分“あなたにとってはそれで結構でしょう。所詮あなたは霊の世界の人間です。家賃を払う必要もない、食糧の買出しに行く必要もない、衣服を買いに行かなくてもよい。そういう事に心を煩わせる事がないのですから”とおっしゃる方がいるかも知れません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
確かにおっしゃる通りです。しかし同時に私は、もしあなた方がそうした事に気を取られて霊的な事を忘れ、霊の世界への備えをするチャンスを無駄にして身につけるべきものも身につけずにこちらへ来られた時に果たしてどういう思いをなさるか、それも分っているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
こんな話はもう沢山ですか?【とんでもございません。いちいちおっしゃる通りです(とその女性霊媒が答えると)―】私の言っている事が間違いでない事は私自身にも確信があります。
霊能者、霊覚者は苦しみにおいてほぼ同じ人生を辿る、シルバーバーチ霊が書籍の中で何度も言ってます。そして僕も“撃って出た”事によって例外なくそのパターンに突入した訳です。こういう苦しい状況になると知りつつ覚悟の上で撃って出たのです。そして実際大いに苦しみを味わいました(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑥』
地上の全ての人にそれを確信させてあげれば視野が広がり、あらゆる困難に打ち克つだけの力が自分の内部に存在する事を悟って取越苦労をしなくなり、価値ある住民となる事でしょうが、なかなかその辺が分って頂けないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
霊の宝は神の子一人一人の意識の内部に隠されているのです。しかしそうした貴重な宝の存在に気づく人が何と少ない事でしょう。あなたはどう思われますか。(と言って今度はご主人の方へ顔を向けた)
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【全く同感です。ただその事をいつも忘れないでいる事が出来ない自分を情けなく思っています(とご主人が答えると)―】それが容易でない事は私も認めます。しかし、もし人生に理想とすべきもの、気持を駆立てるもの、魂を鼓舞するものがなかったら、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―もし目指すべき頂上が無かったら、もし自分の最善のものを注ぎ込みたくなるものが前途に無かったら、人生は全く意味が無くなります。もしそうしたものが無いとしたら、人間は土中でのたくる虫けらと大差ない事になります。【本当に良い訓えを頂きました―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
そう思って頂けますか。私には、してあげたくてもしてあげられない事が沢山あるのです。皆さんの日常生活での出来事にいちいち干渉できないのです。原因と結果の法則の働きをコントロールする事は出来ないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
また、あなた方地上の人間は大切だと考え私は下らぬ事と見なしている事柄が心に重くのしかかっている事がありますが、その窮状を聞かされても私はそれに同情する訳にはいかないのです。私に出来る事は永遠不変の原理をお教えする事だけです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
物質の世界が隅々まで理解され開拓され説明し尽されても、宇宙にはいかなる人間にも完全に知り尽す事の出来ない神の自然法則が存在します。それは構想においても適用性においても無限です。
皆さん、僕たちは肉体ではありません。肉体は衣服であり僕たちの本体は霊です。死とは重い服(肉体)を脱いで軽い服(幽体・霊体)を着る事です。永続性のない、灰燼に帰す運命の肉体に向けている関心を霊的事象に向ければどれだけ有意義でしょう。大切な事にぜひぜひ目を向けて頂きたいのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑥』
もし日常生活において決断を迫られた際に、あなた方の全てが自分が霊的存在である事、大切なのは物的な出来事ではなく―それはそれなりに存在価値はあるにしても―その裏側に秘められた霊的な意味、あなたの本性、永遠の本性にとっていかなる意味があるかという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
物的存在物はいつかは朽果て、地球を構成するチリの中に吸収されてしまいます。という事は物的野心、欲望、富の蓄積は何の意味もないという事です。一方あなたという存在は死後も霊的存在として存続します。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
あなたにとっての本当の富はその本性の中に蓄積されたものであり、あなたの価値はそれ以上のものでもなくそれ以下のものでもありません。この事こそ地上生活において学ぶべき教訓であり、その事を学んだ人は真の自分を見出したという意味において賢明なる人間であり。―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―自分を見出したという事は神を見出したという事になりましょう。地上世界を見ておりますと、あれやこれやと“大事な事”があって休む間もなくあくせくと走り回り、血迷い、ヤケになりながら、その一番大切な事を忘れ、怠っている人が大勢います。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私たちの説く教訓の中でもその事が一番大切ではないでしょうか。それが一たん霊の世界へ行った者が再び地上へ戻ってくる、その背後に秘められた意味ではないでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
それを悟る事によって生きる喜び―神の子として当然味わうべき生き甲斐を見出してもらいたいという願いがあるのです。それはいわゆる宗教あるいは教会、教義、信条の類、これまで人類を分裂させ戦争と混沌と騒乱を生んできたものより大切です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
少しも難しい事ではありません。自分という存在の本性についての単純極まる真理なのです。なのにそれを正しく捉えている人はほんの僅かな人だけで、大方の人間はそれを知らずにおります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【再び霊媒である奥さんが、自分の支配霊も心霊治療を行う事があると述べ、遠隔治療によって本人の知らないうちに治してあげている事もある事実を取上げて、こう尋ねた―】【そういう場合はなぜ治ったかを本人に教えてあげるべきだと思うのです―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【つまりそれを契機として自分が神の子である事を知るべきだと考えるのですが、私の考えは正しいでしょうか、それとも多くを望みすぎでしょうか―】理屈の上では正しい事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
が取りあえずあなたの治療行為が成功した事に満足し、その事を感謝し、同時にその結果としてその人の魂を目覚めさせてあげるところまで行かなかった事を残念に思うに留めておきましょう。大切なのは、まず病気を治してあげる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その上に魂まで目覚めさせてあげる事はなお一層大切な事です。が一方は成就できても他方は成就できない条件のもとでは、その一方だけでも成就して後は“時”が解決してくれるのを待ちましょう。魂にその準備が出来るまでは、それ以上のものは望めないからです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
肉体は治った。続いて魂の方を、という事になるべきところですが、そこから進化という要素が絡んできます。魂がそれを受入れる段階まで進化していなければ無駄です。しかしたとえ全面的に受入れてもらえなくても何の努力もせずにいるよりは何とか努力してみる方が大切です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
それは私たち全てが取るべき態度です。ともかくも手を差伸べてあげるのです。受入れてくれるかどうかは別問題として、ともかく手を差伸べてあげる事です。努力の全てが報われる事を期待してはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
病気が治り魂も目覚める、つまり治療の本来の意義が理解してもらえるのが最も望ましい事です。次にたとえ魂にまで手が届かなくても病気だけでも治してあげるという段階もあります。さらにもう一つの段階はたとえ治らなくても治療行為だけは施してあげるという場合です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
要請された以上はそう努力しなければなりません。が、たとえ要請されなくても施すべき場合があります。受けるよりは施す方が幸いです。施した時点をもってあなたの責任は終ります。そしてその時点からそれを受けた人の責任が始まります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【人間は自分の前生を思い出して“それと”断定できるものでしょうか―】もしその人が潜在意識の奥深くまで探りを入れる事ができれば、それは可能です。ですが果たして人間でその深層まで到達できる人がいるかどうか極めて疑問です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その次元の意識は通常意識の次元からは遥かにかけ離れていますから、そこまで探りを入れるには大変な霊力が必要です。【そうした記憶は現世を生きている間は脇へ置いておかれるとおっしゃった事があるように思いますが―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
それなりの手段を講ずる事ができるようになれば、自分の個性の全ての側面を知る事ができます。しかしあなたの現在の進化の段階においては果たして今この地上においてそれが可能かとなると極めて疑問に思えます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
つまり理屈では出来ると言えても、あなたが今までに到達された進化の段階においては、それは不可能だと思います。【神は特別な場合に備えて特殊な力を授けるという事をなさるのでしょうか(と、かつてのメソジスト派の牧師が訪ねた)―】時にはそういう事もなさいます。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その人物の力量次第です。最も神が直接干渉なさるのではありません。【神学には“先行恩寵”という教義があります(苦を和らげる為に前もって神が人の心に働きかけて悔悟に導くという行為の事―訳者)―】ありますね。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
神は毛を刈取られた羊への風を和らげてあげるという信仰です(※)時にはそういう事もある事は事実です。が神といえども本人の受入れ能力以上のものを授ける事は出来ません。それは各個の魂の進化の問題です。私がそういう法則をこしらえた訳ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
法則がそうなっている事を私が知ったという事です。皆さんもいつかは死ななくてはなりません。霊の世界へ生まれるために死ななくてはなりません。地上の人にとってはそれが悲しみの原因となる人がいますが、霊の世界の大勢の者にとってそれは祝うべき慶事なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
要は視点の違いです。私たちは永遠の霊的観点から眺め、あなた方は地上的な束の間の観点から眺めておられます。(※英国の小説家ロレンス・スターンの小説の中の一節で、弱き者への神の情けを表現する時によく引用される―訳者)
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【ここでサークルの二人のメンバーが身内や知人の死に遭遇すると無常感を禁じ得ない事を口にするとシルバーバーチはこう述べた―】霊に秘められた才覚の全てが開発されれば、そういう無常感は覚えなくなります。が、これは民族ならびに個人の進化に関わる問題です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私にはその全ての原理を明らかにする事はできません。私とて全てを知っている訳ではないからです。あなた方より少しばかり多くの事を知っているだけです。そしてその少しばかりをお教えする事で満足しております。知識の総計と較べれば微々たるものです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
が私は神の摂理が地上とは別個の世界においてどう適用されているかをこの目で見てきております。数多くの、そして様々な環境条件の元での神の摂理の働きを見ております。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
そして私がこれまで生きてきた“三千年”の間に知り得た限りにおいて言えば、神の摂理は知れば知るほどその完璧さに驚かされ、その摂理が完全なる愛から生まれ、完全なる愛によって管理され維持されている事を、ますます思い知らされるばかりなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私も摂理のすみずみまで見届ける事はできません。まだまだ全てを理解できる段階まで進化していないからです。理解できるのはほんの僅かです。しかし私に明かされたその僅かな一部だけでも神の摂理が完全なる愛によって計画され運営されている事を得心するには十分です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
私は自分にこう言い聞かせているのです―今の自分に理解できない部分もきっと同じ完全なる愛によって管理されているに相違ない。もしそうでなかったら宇宙の存在は無意味となり不合理な存在となってしまう。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
もしこれまでに自分が見てきたものが完全なる愛の証であるならば、もしこれまでに自分が理解してきたものが完全なる愛の証であるならば、まだ見ていないもの、あるいはまだ理解できずにいるものも又、完全なる愛の証であるに違いない、と。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
ですから、もし私の推理に何らかの間違いを見出されたならば、どうぞ遠慮なく指摘して頂いて結構です。私は喜んでそれに耳を傾けるつもりです。私だっていつどこで間違いを犯しているか分らないという反省が常にあるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
無限なる宇宙のほんの僅かな側面しか見ていないこの私に絶対的な断言がどうして出来ましょう。ましてや地上の言語を超越した側面の説明は皆目できません。こればかりは克服しようにも克服できない宿命的な障壁です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
そこで私は基本的な真理から出発してまずそれを土台とし、それでは手の届かない事に関しては、それまでに手にした確実な知識に基いた信仰をお持ちなさい、と申上げるのです。基本的真理にしがみつくのです。迷いの念の侵入を許してはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
これだけは間違いないと確信するものにしがみつき、謎だらけに思えてきた時は、ムキにならずに神の安らぎと力とが宿る奥の間に引きこもる事です。そこに漂う静寂と沈黙の中にその時のあなたにとって必要なものを見出される事でしょう。常に上を見上げるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
うつ向いたり、うなだれる必要はどこにもありません。あなたの歩む道に生じる事の一つ一つがあなたという存在を構成していくタテ糸でありヨコ糸なのです。これまでにあなたの本性の中に織り込まれたものは全て神の用意された図案に従って織られている事を確信なさる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
さて本日もここから去るに当って私から皆さんへの愛を置いてまいります。私はいつも私からの愛を顕現しようと努力しております。お役に立つ事ならばどんな事でも厭わない事はお分り頂けてると思います。しかし楽しく笑い冗談を言い合っている時でも、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―ここにこうして集い合った背後の目的をゆめゆめ忘れないように致しましょう。神は何を目的として我々を創造なさったのかを忘れないように致しましょう。その神との厳粛なつながりを汚すような事だけは絶対にしないように心掛けましょう。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
こうした心掛けが神の御心に適った生き方をする者に必ず与えられる祝福、神の祝福を受けとめるに足る資格を培ってくれるからです。訳者注―本章は一見何でもない事を述べているようで、その奥に宇宙の厳粛な相を秘めた事を何の衒いもなく述べた、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
シルバーバーチ霊言集の圧巻であるように思う。特に“私は自分にこう言い聞かせているのです”で始まる後半の部分は熟読玩味に値する名言で、その中にシルバーバーチの霊格の高さ、高級霊としての証が凝縮されているように思う。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
霊格の高さを知る手掛りの一つは謙虚であるという事である。宇宙の途方もない大きさと己れの小ささ、神の摂理の厳粛さと愛を真に悟った者はおのずと大きな事は言えなくなるはずである。反対に少しばかりかじった者ほど大言壮語をする。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
奥深い厳粛なものに触れていないからこそ大きな口が利けるのであろう。それは今も昔も変らぬ世の常であるが、霊的な事が当然の事として受入れられるようになるこれからの世の中にあっては、人を迷わせる無責任極まる説が大手を振ってのさばる事が予想される。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
そうしたものに惑わされないためにはどうすべきか。それはシルバーバーチが本章で述べている通り、基本的真理にしがみつく事である。我々人間は今この時点において既に霊である事、人生体験には何一つ無駄なものは無い事、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―ただそれだけの事を念頭において地道に生きる事である。本章を訳しながら私はシルバーバーチの霊訓の価値を改めて認識させられる思いがして嬉しかった。

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