『シルバーバーチの霊訓⑨』
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【サークル活動に参加できる治療家は能力を開発する上で勉強になりますが、そういう機会に恵まれない人のために何かアドバイスを頂けないでしょうか。それと交霊会に出席する事は治療家にとって不可欠でしょうか―】後の質問からお答えしますと、―
『シルバーバーチの霊訓』
―これはきっぱりと“ノー”と申上げます。霊の能力はあくまで霊の能力です。それを授かって生まれてきたのであり、授かった以上はそれを発達させる責任があります。ピアニストとしての才能をもって生まれた人間は練習と鍛錬によってそれを発達させねばならないのと同じです
『シルバーバーチの霊訓⑨』
では治療能力はどうやって発達させるか。その答はサークル活動に参加する事ではありません。それもプラスにはなります。心に宿す動機も発達を促します。日常生活の生き方によっても発達します。可能な限りの純粋性と完全性を目標とした心がけによっても発達します。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
できるだけ良くしてあげたいという願望を大きくしていく事によっても発達します。自我を発達させる唯一の方法は自我を忘れる事です。他人の事を思えば思うほどそれだけ自分が立派になります。良い治療家になる方法を教えてくれる書物はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
ひたすら他人のために役立ちたいと願い、こう反省なさる事です―“神は自分に治病能力を与えて下さったが果たしてそれに相応しい生き方をしているだろうか”と。これを原理として生きていれば治病能力は自然に力を増し質を高めていきます。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【治療家によって力に差があるのはなぜでしょうか―】話の上手な人と下手な人、ピアノが上手な人と下手な人、文章のうまい人と下手な人がいるのと同じです。才能がそれだけ開発されているという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【もし治療家が病気になった場合は他の治療家にお願いすべきでしょうか。それとも自分で治す方法があるのでしょうか―】他の治療家にお願いする必要はありません。それよりも、いつも使用している霊力を直接自分に奏効させる方法を工夫すべきです。
英国の世界的物理学者オリバー・ロッジが「死後にも生命があるのだろうかというのは主客転倒した疑問だ。地上に生まれ出て来た事の方がよほど危険な冒険であって、こうして地上で肉体に宿って生活できる事自体が奇蹟なのだ」といっているが、まさに至言である。―【これが死後の世界だ】より
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
神に祈るのに教会まで行く必要がないように、霊力を自分自身に向ける事が出来さえすれば治療家の所へ行く必要はありません。そのためには自分の心、自分の精神、自分の魂を開かないといけません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【医者は大病にもストレスや仕事上の心配が原因であるものがあると言っております。そうしたケースでは(身体と精神と霊の)不調和はどの程度まで関わっているのでしょうか―】あなたがおっしゃった事は私が別の言葉で言っているのと同じ事です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
あなたは仕事上の心配と呼んでおられますが、それは私の言う不調和状態の事です。精神と肉体と霊とが正しい連携関係にあれば仕事上の心配も、その他何の心配も生じません。心配する魂は既に調和を欠いているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
霊的実在についての知識を手にした者は心配をしてはなりません。取越苦労は陰湿な勢力です。進化した魂には縁のないものです。あなたはそれを仕事上の心配と呼び、私は不調和状態と呼んでいるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
自分が永遠の霊的存在であり、物質界には何一つ怖いものはないと悟ったら心配のタネはなくなります。【なぜ治らない人がいるのでしょうか―】それはその人が霊的にまだ治る資格がないという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【一旦遠隔治療の為の絆が出来ても次の治療の時はまた改めて拵える必要があるのでしょうか―】一旦出来たら、もうその必要はありません。霊界との絆は磁気的なものです。一旦出来上がったら二度と壊れる事はありません。【という事はどこにいても同じという事ですね―】
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―【教会にいても駅にいても―】霊の世界には地理的な“場”というものがありません、常に身の回りに存在しております。教会にいるからとか、地中深く掘られた採掘場にいるからとか、飛行機に乗って空高く上がったからといってそれだけ神に近くなっている訳ではありません
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
【地上世界に具現化するものは、その存在の基盤として思念が先行していると言われております。言いかえれば我々は思念的素材を製造している事になる訳ですが、すると治療家が患者に対した時には完治するという思念を抱いて完全な健康のイメージをもつ事が―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
―【治療にプラスになるのでしょうか―】大いにプラスになります。なぜなら思念には実体があるからです。完全な健康状態のイメージを強くもてばもつほど、その成就へ向けて近づく事になります。あなた方もその理想へ向けて不断の努力をすべきです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
最高のものを心に描くべきです。絶対に希望を棄ててはいけません。常に朗らかで楽観的雰囲気を出すべきです。そうした条件が最高の成果を生みます。
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【先程治らない患者はまだ治る資格がないからだとおっしゃいましたが、それだけでは単純すぎるように私には思えるのです。それでは悪人はいつまでたっても治らず、善人はいつでも治るという事になるからです―】そんな単純なものではありません。それは皮相な見方です。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
問題を霊の目で見ていらっしゃらないからです。例えば苦難は人間から見ればイヤなものでしょうが私たち霊の立場から見れば実に有難い事です。凶事に出会うと人間は万事休すと思いますが、私たちの目から見ると、それが新たな人生の始まりである事があります。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
善とか悪とかの用語を物的価値基準に基づいて、あたかも善人という人種、悪人という人種がいるかのような言い方をしてはいけません。私たちの価値基準はあなた方とは必ずしも同じではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
私は、治るためにはそれだけの“霊的な資格”がなければならないと申上げているのです。善人とか悪人とかは言っておりません。魂が真の自我に目覚めれば治る資格が出来た事になります。その時治療が功を奏します。
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『シルバーバーチの霊訓⑨』
【たとえその資格が出来ていても純粋に身体上の理由から治らない事もあるのではないでしょうか。例えば視神経が完全に破損されて眼が見えないという場合です。自然の摂理からすれば、いくら心霊治療でも全く新しい視神経を拵える事はできないと思います―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
今我々は奇跡の話しをしているのではありません。【おっしゃる通りですが、ただ私は、あなたが“不治”の場合の理由をあまりに大ざっぱにおっしゃっているように思えたものですから…】
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私が申上げているのは治る可能性のある病気が治らない場合、それはその患者にまだ治るための霊的資格が出来ていないからだという事です。【赤ん坊が両脚とも奇形である場合に、一方の脚は治ったのにもう一方の脚に何の反応も生じない事があります。なぜでしょうか―】
『シルバーバーチの霊訓⑨』
それぞれの脚にそれぞれの原因があって、同じ治療法では治せないという事です。一つ一つ治療法が異なります。それぞれの事情に合わせた治療が行われます。それぞれに特徴があります。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
こうした問題を地上の皆さんのために出来るだけ平易に申上げようとすると、とても骨が折れます。他にもいろいろと考慮しなければならない条件があるのです。奥に隠れた原因があってそれに絡んだ霊的摂理が働いており、さらにその奥にも次元の異なる摂理が働いているのです
『シルバーバーチの霊訓⑨』
心霊治療は見かけほど単純ではないのです。ただ患部を治せばよいというものではありません。評価されるのは魂に関わる事です。魂にいかなる意味が及ぶか、治療がいかなる意味をもつ事になるか。なぜその患者は心霊治療家のもとを訪れたのか、―
『シルバーバーチの霊訓⑨』
―その患者は魂が目を覚ます霊的進化の段階に到達しているか。こうした事は物的尺度では測れない事ばかりです。が、心霊治療にはそれらが全て関わっているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
なぜなら、治療に携わっている間は生命力そのものを扱っているからです。という事は宇宙の永遠の創造活動に参加しているという事になります。私が治療家の責任の重大性を強調する理由はそこにあります。
—–20131215
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