『シルバーバーチの霊訓⑧』
【思考とは別に物質界には客観的存在物があります。丘のように誰にでも見えるものがあります。霊界にも各自の思考とは別に客観的存在物があるのでしょうか。私たちは今この部屋に座っています。そしてその事をみんな同じように認識しています―】―
『シルバーバーチの霊訓⑧』
―でもその認識の仕方は一人一人違います。私たちの世界の生活にはさまざまな存在のレベルがあります。といってそれが一つ一つ孤立しているのではなくてお互いに融合しております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
各レベルにおいてあなたのおっしゃる客観的存在物がそこに住む人にとって同じように映ります。丘があり川があり、小鳥がさえずり、花が咲き、樹木が茂っております。その全てに実感があります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それとは別に、思念によって実在物を作り出す力も各自に具わっております。成形力のある思念性の素材によって、自分に必要なものをこしらえる事ができます。それが、程度問題ですが、それなりの個体性のある実体を具えているのです。
『シルバーバーチの霊訓』
【という事はあなたの世界も“物的”と言える訳ですね?―】言えます。物的という用語をどう解釈するかが問題ですが…【私の肉体と同じように物質でできているかという事です。つまり私が死んでからまとう身体も物質であって原子の回転速度が一段と速いというだけですか―】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それもこれもただの用語にすぎません。“物的”とか“物質”とかを用いる時はその意味を明確にしておかないといけません。ある意味では霊の世界は“霊化された物質”で出来ているという事ができます。しかしその“物質”という用語はあなたが理解しているものとは違います
『シルバーバーチの霊訓⑧』
また“物的身体”というのも今あなたがおっしゃった通り原子で出来ているのです。原子はさらに細かく分析できますが、そのうち計量器では分析できない段階に至ります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
するとその原動力は物的なもの、形あるものではない事になります。つまり物質が形あるものというのは“そう見える”というだけの事という事になります。“固い”と思うのは錯覚なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間にはいろいろな身体があってそれぞれ発達程度が異なります。その肉体から抜け出ると、それとそっくりの幽質の身体をまといますが、それは地上時代からずっと使用し自我を表現していたものです。バイブレーションが地上生活に相応しい高さだからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その幽体は地上で肉体が実感があったように、他界直後の生活においては立派に実感があります。全ては意識している“場”の問題です。船に乗っている夢を見れば、寝ている間はそれが現実です。“夢だった”と思うのは目が覚めた時です。そして船は幻だった事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
もし永遠に夢を見続けるとしたら、その夢の生活が現実となる事でしょう。目が覚めている間は地上生活に実感があるように、その夢の状態が実感があるように思い続ける事でしょう。今のあなたは夢を見ているのではないという確証はどこにあるのでしょう?
『シルバーバーチの霊訓⑧』
もしかしたらここにいる人たちと一緒に同じ夢を見ているのかも知れないという事も考えられるのです。こんな事を申上げるのは、地上には霊的実在に目覚めていないという意味で“地上生活という夢”を見続けている人間が無数にいるからです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
その夢から覚めて、ようやく自分は肉体ではないという自覚を得るのです。何度も申上げているように、あなた方は肉体を携えた霊であって、霊を携えた肉体ではないのです。これは大変な違いです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【それに加えて我々にはもともとパーソナリティ(確定した人物像)というものは無いという事も大切な事ですね―】パーソナリティというのは地上にいる間だけのものです。地上生活のために便宜上つけているマスクのようなものです。地上生活が終ればマスクは捨て去ります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
【私は、霊は異なる“種”の物的形体を通じて顕現しつつ完全へ向けて進化し最後に人間に至るという説を立てているのですが―】あなたがおっしゃるのは人間という頂点に達するまで“一個の霊”があらゆる生命形体を通して表現されてきたという意味でしょうか【そうです―】
『シルバーバーチの霊訓⑧』
あらゆる生命体というのであれば、それは私がインディビジュアリティ(霊的統一体)と呼んでいる場合の“個霊として”とは限りません。犬とか猫に生命を与えている霊はそれぞれに個別性はありますが、花に生命を与えている霊の個別性とはまた別です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
生命あるものには必ず霊があります。霊は生命であり生命は霊です。霊としてのあなたは無始無終に存在しております。それが現段階において受胎の瞬間から“個性ある霊”となった訳です。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「私の霊界紀行 驚異の幽体離脱体験記」です☆著者が離脱にて訪れた様々な界層について紹介されてます。著者の指導霊が離脱中の著者にイタズラするシーンなどが紹介されている部分もあって、単純に読み物としてもおもしろいと思います☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑧』
個霊としてのあなたの進化は今後さまざまな身体を通して続けられます。そして進化すればするほど個性が発現されます。がその場合の個性は地上で見せていた人物像とは意味が違います。これはとても理解の難しい問題です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
進化の目的は完全性を成就する事です。がその成就の過程は無限に続くのです。進化して不完全なところを一つ取除くごとにまた新たに取除かねばならない不完全さに気づき、かくしてこの過程が永遠に続けられるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
ここで是非とも認識して頂かねばならないのは、パーソナリティとインディビジュアリティとは大きな違いがあるという事です。パーソナリティとはインディビジュアリティが物的身体を通して表現している小さな側面の事です。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
インディビジュアリティがその個性を発揮するために使用する数々の側面のうちの一つで、地上にいる間に見せる人物像です。インディビジュアリティの側面は地上で見せる人物像だけとは限らず他にもたくさんあります。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
それを、地上を去ってより高い存在の場で進化しながら顕現し続けていくのです。個性が発現すればするほど地上で見せた人物像は消えていきます。霊格が高くなればなるほど、あなた方が容姿から連想して画くところの人物像が消えていくのです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
とても説明が困難です。その真相をうまく表現する用語が見当らないのです。こちらの世界はそちらからやってくる人たちによって構成されております。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
そちらから未発達霊を送り込んでこなければ何一つ問題は起きないのですが、現実には何の準備もできていない適合性に欠ける無知な霊を次々と送り込んでおります。小学校で学ぶべきだった大人になって教えるのは中々難しいものです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
(いつまでたっても物分りの悪い霊がいるその結果として)あなた方地上の人間は最低から最高に至る、ありとあらゆる霊的影響力に晒される事になります。が実際に引寄せるのは自分と同じ霊格をもった霊だけです。
『シルバーバーチの霊訓⑧』
邪悪な人間は邪悪な霊を引寄せ、心清き人間は心清き霊のみを引寄せます。それが自然の摂理なのです。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「迷える霊との対話」です。この本は分厚いです(汗)しかし最高に考えさせられる内容です。霊的知識を持たず自分が地縛霊になっている事に気づいていない数多くの下層界のスピリットが登場します。僕たちはこうなってはいけないのです(祈)