【2/28】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†

アナログ絵284

—–十一章
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【ある日の交霊会で開会を前にして出席者の間で“実存主義”についての議論が戦わされた事があった。(訳者注―霊媒のバーバネルが入神しシルバーバーチが憑ってくると開会となるが、霊団はその前から準備しているので、その議論の様子を全部知っている)】―

『シルバーバーチの霊訓⑥』
―【出現したシルバーバーチがまずこう述べた―】ただ今の議論と真理の本質に関するご意見をとても興味深く拝聴いたしました。【私たちの意見に賛成なさいますか、それとも的外れでしょうか―】いえ、ちゃんと的を射ておられます。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
皆さんには道しるべとなる知識の用意があるからです。ですが皆さんも人間である以上各自に歩調というものがあります。進化とは絶え間ない成長過程です。成長は永遠に続くものであり、しかもみんなが同時に同じ段階に到達するとは限りません。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
各自が自分の魂の宿命を自分で成就しなければなりません。それまでに手にした光明(悟り・理解力)と、直面する困難を媒体として、その人独自の教訓を学んでいかねばなりません。それを自分でやらねばならないのです。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
他人からいくら知恵の援助を受ける事ができても魂の成長と開発と発達はあくまで当人が自分の力で成就しなければならない個人的問題なのです。真理は永遠不滅です。しかも無限の側面があります。なのに人間は自分が手にした一側面をもって真理の全体であると思い込みます。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
そこから誤りが始まります。全体などではありません。進化するにつれて理解力が増し、他の側面を受入れる用意ができるのです。生命活動とは絶え間なく広がりゆく永遠の開発過程の事です。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
真理の探究は無限に続きます。あなた方はそちらの地上において、私たちはこちらの世界において、真理の公道(ハイウェー)を旅する巡礼の仲間であり、他の者より少し先を歩んでいる者もいますが、究極のゴールに辿り着いた者は一人もいません。

皆さん、イエス様は地上人類に霊的知識が広がる事を切に切に願っておられます。僕というしょぼいチャンネルを介して強烈に御意志を示されておられます。どうでしょう、シルバーバーチを始めとした霊関連書籍に目を通してみませんか?僕たちはそろそろ大切な霊的真理に目覚めてもいいと思うんです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑥』
不完全さが減少するにつれて霊的資質が増し、当然の結果としてそれまで手にする事のできなかった高度の真理を受入れる事ができるようになります。人間の全てが一様に従うべき一個のパターンというものはありません。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
神の顕現が無限であるからには神の真理に近づく道にもまた無限のバリエーションがある事になります。お分りでしょうか。【分ります。その道にも直接的に近づく道と迂回する道とがあるのではないでしょうか―】その通りです。直接的なものと迂回的なものとがあります。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
が、それはその道を歩む本人の発達程度によって決る事です。直接的な道が歩めるようになるまでは、それが直接的な道である事が読取れません。環境は当人の魂の本性によって条件づけられています。全生命は自然法則によって規制されています。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
その法則の枠を超えた条件というものは望めませんし、あなた自身その枠の外に出る事もできません。かくしていかなる体験も、これがあなたの住む地上であろうと私の住む霊界であろうと、ことごとく自然法則によって位置づけられている事になります。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
偶然にそうなっているのではありません。奇跡でもありません。あなたの進化の本質的核心の一部を構成するものです。そうでないといけないでしょう。常に原因と結果の法則によって織りなされているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
【環境条件が自分の進化と無関係のものによって拵えられる事がありますか―】それは一体どういう意味でしょうか。【もしかしたら私は明日誰かの行為によって災難に遭うかも知れません―】そうかも知れません。が、―

『シルバーバーチの霊訓⑥』
それによって苦しい思いをするか否かはあなたの進化の程度の問題です。【でもその他人がそのような行為に出なかったら私は災難に遭わずに済みます―】あなたは永遠の霊的規範を物的尺度で測り、魂の視点からではなく肉体の視点、―

『シルバーバーチの霊訓⑥』
―言いかえれば今物質を通して顕現している精神だけの視点から眺めておられます。【それを災難と受取るのも進化のある一定段階までの事だとおっしゃるのでしょうか―】そうです。それを災難と受取る段階を超えて進化すれば苦しい思いをしなくなります。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
苦は進化と相関関係にあります。楽しみと苦しみは両極です。同じ棒の両極です。愛と憎しみも同じ力の二つの表現です愛する力が憎しみとなり得ますし、その逆もあり得ます。同じく苦しいと思わせる力が楽しいと思わせる事も出来ます。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
あなたの体験の“質”を決定づけるのはあなたの進化の“程度”です。ある段階以上に進化すると憎しみを抱かなくなります。愛のみを抱くようになります。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
苦を感じず幸せばかりを感じるようになります。難しい事ですが、しかし真実です。苦しみを何とも思わない段階まで到達すると、いかなる環境にも影響されなくなります。

故人を悼むのは断じて間違いです。故人は鈍重極まる肉体牢獄から解放され遥かに精妙な幽質の身体をまとい自由を満喫してるのです。旅立った事を祝ってあげるべきです。臭い煙の出る棒(線香)何万本に火を付けてもあなたの霊性は1ミリも向上しません。日本人の方、そろそろ大切な事を理解しましょう。
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『シルバーバーチの霊訓⑥』
【ここで別のメンバーが「同じ環境に二人の人間を置いても一方は愛をもって反応し、他方は憎しみをもって反応します」と言うと、もう一人のメンバーが「他人のために災難に遭うという事もありませんか。たとえばイエスは他人のために災難を受けました」と言う】―

『シルバーバーチの霊訓⑥』
―【するとシルバーバーチが質問の意味が分らないと述べるので改めてこう質問した―あなたは先程他人の行為によって自分が災難に遭う事も有得る事を認められましたが他人の苦しみを知る事によって自分が苦しむと言う意味での苦しみもあるのではないでしょうか】―

『シルバーバーチの霊訓⑥』
―【それは無視してもよいのでしょうか。そしてそれは良い事なのでしょうか―】少しずつ深みに入ってきましたね。でも思い切って足を踏み入れてみましょう。円熟した魂とは人生の有為転変の全てを体験しつくした魂の事です。苦しみの淵を味わずに魂の修練は得られません。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
底まで下りずして頂上へは上がれません。それ以外に霊的修練の道はないのです。あなた自ら苦しみ、あなた自ら艱難辛苦を味わい、人生の暗黒面に属する事の全てに通じてはじめて進化が得られるのです。進化とは低いものから高いものへの成長過程に他ならないからです。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
さて苦しみとは一体何でしょうか。苦しみとは自分自身または他人が受けた打撃または邪悪な事が原因で精神または魂が苦痛を覚えた時の状態です。が、もしその人が宇宙の摂理に通じ、その摂理には神の絶対的公正が宿っている事を理解していれば少しも苦しみは覚えません。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
なぜなら各人が置かれる環境はその時点において関係している人々の進化の程度が生み出す結果であると得心しているからです。進化した魂は同情、思いやり、慈悲心、哀れみを覚えますが、苦痛は覚えません。

『シルバーバーチの霊訓⑥』
【そうだと思います。私もそういう意味で申上げたのですが用語が適切ではありませんでした―】要するに理解が行き届かないから苦しい思いをするのです。十分な理解がいけば苦しい思いをしなくなります。また、すべきではありません。

皆さん、何よりも大切な霊的知識を得ましょう。因果律の働きを理解しましょう。こういう地上生活を送ったら霊界に行ってこういう状況になる、という事を得心していれば…自分勝手・無責任な生活を送っていると下層界へ落ちて悲惨な状況になると知っていれば、絶対に日常生活を律するはずなんです(祈)

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†