【5/15】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
—–七章
『シルバーバーチの霊訓⑫』
【善悪の基準について問われて―】それは一人一人の問題です。一人一人の霊的自我の中に絶対に誤る事のない判定装置が組込まれているのです。正常な人間である限り言い変えれば精神的・知的に異常または病的でない限り、―
『シルバーバーチの霊訓⑫』
―自分の行動と思考を監視する絶対に謝る事のない装置が内蔵されています。いわゆる道義心です。考える事、口にする事、行う事を正しく導く不変の指標です。
『シルバーバーチの霊訓』
それがいかなる問題、いかなる悩みに際しても、そのつど自動的に、直感的に、そして躊躇する事なくあなたの判断が正しいか間違っているかを告げます。それを人間は時として揉み消し、時として言い訳や屁理屈で片付けようとします。しかし真の自我はちゃんと分っているのです
『シルバーバーチの霊訓⑫』
自分で正しいと思う事、良心が指図する事を忠実に実行しないといけません。最後は自分が自分の裁判官となります。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
振り返ってみると正しかった事もあれば間違った事をしている事もあります。しかし動機が人のためという事であれば、たとえ間違っていても“咎められる”事はありません。動機が何よりも考慮の対象となります。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
何事も動機がその価値を決めます。慈善事業に気前よく大金を寄付する億万長者は、その行為によって少しも霊性は伸びません。反対に、これは絶対に意義があると信じて無い金をはたいて援助する人は、その動機ゆえに霊性が伸びます。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
苦しむ人を見て止むに止まれぬ気持になるのは霊的属性の一つです。愛・情愛・友愛・哀れみ・親切心・奉仕の精神は霊の属性です。それらを表現している時あなたは霊的自我を表現している事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
あなた方が道徳的だと考えている事が私たちから見ると非道徳的である場合があります。そこに物の見方の問題があります。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
私にとっての道徳とは、その人がそれまでに悟った最高の原理に忠実に行動しようという考えを抱かせる努力目標の事です。それは親切であろうとする事であり、手助けをしようという事であり、人の心を思いやる事です。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
私は“悪”とは同じエネルギーの用途を誤っている事だから許すべきではないという考え方をとります。あなたが“悪い奴ら”と思っている人間は未熟な人間という事です。その人たちが表現しているエネルギーは成長と改善のためにも使用できるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
自分から“悪人になってやろう”“利己主義者になってやろう”と思って悪人や利己主義者になる人。は滅多にいるものではありません。悪い人間というのは霊的成長における幼児なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
聞き分けのない子供みたいなものです。目に見え手に触れるものだけが全てだと考え、従って物的世界が提供するものを全て所有する事によってしか自分の存在を主張できない哀れな人間なのです。“利己主義”とは“利他主義”が方角を間違えたにすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
“悪”とは何かという事を見極めておく必要があります。地上生活の究極の目的は“死”と呼ばれている現象の後に待ち構えている次の生活舞台に備えて内部の霊性を開発する事にあります。開発するほど洞察力が深まります。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
霊性が開発され進歩するにつれて自動的に他人に対して寛大になり憐みを覚えるようになります。これは悪や残忍さや不正に対して寛大であれという意味ではありません。相手は自分より知らないのだという認識から生まれる一種の“我慢”です。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
人間は往々にして自分のしている事の意味が分らずに全くの無知から行為に出ている事があるものです。そこがあなたの我慢のしどころです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
それは悪を放任し黙認してしまう事ではありません。それは我慢ではなく目の前の現実に目をつむる事です。真の意味の寛大さには洞察力が伴います。そしていつでも援助の手を差しのべる用意ができていなければなりません。
霊力を受信するのは頭蓋のちょうど中間に位置している器官「松果体」です。僕がいつも霊力が降ってきて鼻がキィィンってなるのは松果体と鼻の位置が近い事に原因があると予測してます。僕たち人間全員に神の火花、霊的なタネが植えられてるのです。それを開発するのが地上生活の目的なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑫』
霊的摂理に反した行為が罪であって、人間がこしらえた教義を無視したからといって必ずしも罪にはなりません。結婚生活においても霊的な伴侶とはいえない夫婦がいます。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
もしその夫婦が霊的に傷つけ合えば罪になる事もあります。問題は視点をどこに置くかによって違ってきます。常に霊的真理を基準にして判断すれば、答は簡単に出るものです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
故意に悪い事をするよりも無知から犯す間違いの方が多いものです。全体からすれば“悪人”といえるほどの人間はごく少数派に属します。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
些細なしくじりを裁くために大ナタを振るうような事は慎まねばなりません。そういう人を憎むという事は、それも罪を犯している事になります。良心が咎める事をするのは全て霊的摂理に反します。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
罪悪はそれを犯す側とそれを受ける側の双方を傷つけます。その原因は往々にして故意ではなく無知・かんしゃく・せっかちから犯しているものです。自制心を欠き冷静さを失っている訳です。後になって“しまった”と思うような事を考え、口に出し、行っているものです。
『シルバーバーチの霊訓⑫』
最大の罪は他人を身体的のみならず精神的にそして霊的に傷つける事です。他人へは常に善意で接し、いつでも援助の手が差しのべられるようでないといけません。その手が拒絶されたら、せっかくのチャンスを自ら拒絶したその人を気の毒に思ってあげなさい。
霊界では「思念速度」で瞬時に移動できます。最もそこまで霊格が高まればの話ですが。あそこに行きたい、そう思った瞬間、もうそこにいるのです。それが霊界の移動手段なのです。なので僕はアスファルトの上を渋滞に紛れながらノロノロ移動するのが大嫌いなのです。早く思念の世界に行きたいです(祈)
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