まずは昨日の雪原撮影の画像をUPですが、人生を完璧にブチ壊された霊団に対する僕の怒りの気持ちをこのように表現してみました。
そしてブログネタとなるインスピレーションは少なめとなっていますので説明も少なめになるかも知れません。僕的に書きたい事もありますのでそういう事を追加して少し分量を膨らませる事もあるかも知れません、どのみち霊団に対する怒りの吐露になるでしょう。お読みの方には申し訳ありませんが急いでテキスト撃ちに入ります(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
まずは昨日の雪原撮影の画像をUPですが、人生を完璧にブチ壊された霊団に対する僕の怒りの気持ちをこのように表現してみました。
そしてブログネタとなるインスピレーションは少なめとなっていますので説明も少なめになるかも知れません。僕的に書きたい事もありますのでそういう事を追加して少し分量を膨らませる事もあるかも知れません、どのみち霊団に対する怒りの吐露になるでしょう。お読みの方には申し訳ありませんが急いでテキスト撃ちに入ります(祈)†
スノーシューシーズンも終了の(悲しみの)カウントダウンに突入中ですが、前日にまぁまぁまとまった雪が降ってくれて僕的にはシーズンが長引くような気がして嬉しかったものの、とにかくスタートからトレースゼロ、ひたすらラッセルでの登攀が続くキビシイアタックとなりました。
とはいえ今日は天候も良く風も無かったので標高を上げてのグラデーション撮影をするつもりだったのですが、山頂に続く上りもトレースが全くない、さらに追加でラッセルで切り裂いて上って行かねばならない事が判明して急きょ雪原での撮影に切り替えました。(足のダメージを心配しての事です)
雪原での撮影は絵的に変化が乏しいので、今回はまた少し趣の異なった撮影をやってみました。とはいえ使命遂行にまつわる僕の心境を表した撮影となります。明日UPさせて頂くとして今日はラッセルのダメージを回復させる事に集中します。
明日の長文ブログのネタはほとんどない状態ですがギリテキスト撃てるといった感じ、撃っても長文にはならなそうです。それならそれで別枠で撃ちたいネタもありますのでそれについて補足撃ちをやるかも知れません。まずはココまで(祈)†
どうも霊団が嫌がってる空気感がみなぎるなかPythonのお勉強継続中ですが、ググってた時に僕が考えていた「読書アプリ」に動作が似ているものを発見し、そのサイトではコードまで掲載してありましたので「まず動かないだろう」と思いつつそのコードを丸々コピって試してみたら、いくつか問題があったものの一応動きました。
霊団は僕がPythonのお勉強を始めた最初の時は肯定的な事を言ってきたのですが、それから態度が急転して現在は相当宜しくないような事を言ってきてます。残念ながら僕は霊的使命遂行者として物質界に残されている身ですので最終的にはどんなにムカつかされても霊団の指示に従わざるを得ないのでしょうが、僕だってお遊びおふざけでPythonのお勉強を開始したのではありません確固とした目的があっての事です。しかもその目的は使命遂行前進につながると信じての事ですので簡単にやめる訳にはいきません。
そして変換テキストの見直し修正をやらないといけないのにフラー25のキャラのギミックの煮込みをやっています。(フラーを描くイコール僕的に楽しい、変換テキストの見直しイコール僕的に死ぬ、という事)これまでギミックを固めるのに苦労したキャラが多数ありましたが、今回のキャラも相当苦戦しそうです。アナログ絵353として設定資料をUPします。できるだけ急ぎましょう。
帰還後の長文ブログはピンチです。まぁた「寸前ドッカーンインスピレーション」をやってくるつもりなのか。もう心底ウンザリですが撃てる限りテキスト撃ちましょう(祈)†
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【私の信じるところによれば人間は宇宙の創造主である全能の神の最高傑作であり、形態ならびに器官の組織において大宇宙のミクロ的表現であり、各個が完全な組織を具え特殊な変異は生まれません―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【―しかし一体その各個の明確な個性、顔つきの違い、表情の違い、性向の違い、その他、知性、身振り、声、態度、、才能の差異も含めた一人一人の一見して区別できる個性を決定づける要因は何なのでしょうか―】これは大変な問題ですね。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
まず物質と霊、物質と精神とを混同なさらないでください。人間は宇宙の自然法則に従って生きている三位一体の存在です。肉体は物的法則に従い、精神は精神的法則に従い、霊は霊的法則に従っており、この三者が互いに協調し合っております。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
かくして法則の内側に法則がある事になり、時には見た目に矛盾しているかに思えても、その謎を解くカギさえ手にすれば本質的には何の矛盾もない事が分ります。法則の裏側に法則があると同時に一個の人間の様々な側面が交錯し融合し合って、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―常に精神的・霊的・物的の三種のエネルギーの相互作用が営まれております。そこには三者の明確な区別はなくなっております。肉体は遺伝的な生理的法則に従っておりますし、精神は霊の表現ですが肉体と脳と五感によって規制されております。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
つまり霊の物質界での表現は、それを表現する物質によって制約を受けるという事です。かくしてそこに無数の変化と組合せが生じます。霊は肉体に影響を及ぼし、肉体もまた霊に影響を及ぼすからです。これでお分り頂けるでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【だいぶ分ってきました。これからの勉強に大いに役立つ事と思います。では次の質問に移らせて頂きます。人間はその始源、全生命の根源から生まれてくるのですが、その根元からどういう過程を経てこの最低次元の物質界へ下降し、―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【―物的身体から分離した後(死後)今度はどういう段階を経て向上し最後に“無限なる存在”と再融合するのか、そのへんのところをお教え頂けませんか―】これもまた大きな問題ですね。でもこれは説明が困難です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
霊的生命の究極の問題を物的問題の理解のための言語で説明する事はとてもできません。霊的生命の無辺性を完全に説き明かせる言語は存在しません。ただ単に、人間は霊である、ただし大霊は人間ではない、という表現しかできません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
大霊とは全存在の究極の始源です。万物の大原因であり、大建築家であり、王の中の王です。霊とは生命であり、生命とは霊です。霊として人間は始めも終りもなく存在しています。それが個体としての存在を得るのは、地上に限って言えば母胎に宿った時です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
物的身体は霊に固体としての存在を与えるための道具であり、地上生活の目的はその個性を発現させる事にあります。霊の世界への誕生である死は、その個性をもつ霊が巡礼の旅の第二段階を迎えるための門出です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
つまり霊の内部に宿る全資質を発達、促進、開発させ、完成させ、全存在の始源により一層近づくという事です。人間は霊である以上、潜在的には神と同じく完全です。しかし私は人間は神の生命の中に吸収されてしまうという意味での再融合の時期が到来するとは考えません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
神が無限である如く(生命の旅も)発達と完全へ向けての無限の過程であると主張する者です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【よく分ります。お礼申上げます。次に三つ目の質問ですが―今おっしゃられた事がある程度まで説明してくださっておりますが―人間は個霊として機械的に無限に再生を繰返す宿命にあると説く輪廻転生論者がいますが、これは事実でしょうか―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【―もしそうでないとすれば最低界である地上へ降りてくるまでに体験した地上以外での複数の前生で蓄積した個性や特質が、今度は死後、向上して行く過程を促進もし停滞もさせるという事になるのでしょうか。私の言わんとしている事がお分り頂けますでしょうか―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
こうした存在の深奥に触れた問題を僅かな言葉でお答するのは容易な事ではありませんが、まず正直に申して、その輪廻転生論者がどういう事を主張しているのか私は知りません。が私個人として言わせて頂けば―絶対性を主張する資格は無いからこういう言い方をするのですが―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
再生というものが事実である事は私も認めます。それに反論する人たちと議論するつもりはありません。理屈でなく私は現実に再生してきた人物を大勢知っているのです。どうしてもそうしなければならない目的があって生れ変るのです。預けた質を取戻しに行くのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
ただし再生するのは同じ個体の別の側面です。同じ人物とは申しておりません。一個の人間は氷山のようなものだと思ってください。海面上に顔を出しているのは全体のほんの一部です。大部分は海中にあります。地上で意識的生活を送っているのはその海面上の部分だけです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
死後再び生まれてきた時は別の部分が海面上に顔を出します。潜在的自我の別の側面です。二人の人物となりますが、実際は一つの個体の二つの側面という事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
霊界で向上進化を続けると、潜在的自我が常時発揮されるようになっていきます。再生問題を物質の目で理解しようとしたり判断しようとなさってはいけません。霊的知識の理解から生まれる叡智の目で洞察してください。そうすれば得心がいきます。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「私の霊界紀行 驚異の幽体離脱体験記」です☆著者が離脱にて訪れた様々な界層について紹介されてます。著者の指導霊が離脱中の著者にイタズラするシーンなどが紹介されている部分もあって、単純に読み物としてもおもしろいと思います☆(祈)
変換テキストの見直し修正(開き直る、スピード重視)、Pythonのお勉強(3冊目突入中、4冊目到着中)等々の作業に忙殺される中、フラー25の新規デザインにも一応着手しています。今回のフラー25は「スカートフラー」としてデザインする予定、現在キャラのギミックを考えているところですが進捗によってはフラー24の時のように通常のフラーに戻す可能性もあります。
今回のキャラは以前から「いつか描いてやる」と思っていたモノで、インナーフレームは使用しませんが、何しろ変形が超ムズカシイので挫折する可能性があります。何とかクロッキーとにらめっこしながら考えてみましょう。
忙しい、忙しい、霊団いい加減にしろこの人生。Dreamworkの一体何がいけなかったんだ、なぜこんな人生をやらされなければならないんだ、永遠に疑問がこみ上げてきますが「感情と手は別レイヤー」ですから手だけはサクサク動かし続けないといけません。今日の45分ノートの時間はキャラのギミックをやろうかな。次回長文ブログネタとなるインスピレーション枯渇中、霊団仕事しろ(祈)†
現在45分ノートの時間に「イエスの少年時代」のOCR変換の見直し修正をやっていますが、本当にこれは何と表現したらいいんでしょう「殺人」「地獄」こういった言葉しか思いつかないのですが、恐ろしく大変という事です。マジメに見直しをしていたら全60冊イヤ70冊を全てテキスト化完了させるのに何年かかるか分かったモノではありません。
ですのでもう「明らかにおかしい部分」のみを修正して、それ以外の特に文章としてはおかしくなく、霊的知識摂取的に問題ない部分についてはガンガンスルーしていって、できるだけ早くテキスト化を完了させる「スピード」の方を重視しようと開き直る気持ちになっています。どうしても修正が必要と思われるモノを例として挙げますとこんな感じ↓
はい、皆さまはこんなもの興味ない事と思われますが、GoogleのOCR変換の精度はとてつもなくスゴイと思います。しかしそれでももちろん100%とはいかず、変換テキストには多数の修正箇所が存在し、それをひとつひとつ見つけて修正していく作業は「地獄」以外の何ものでもなく、1冊2冊だったら耐えて続けていけると思うのですが、何しろ60冊70冊ありますので「もうムリ死ぬ」という事になるのです。
それで「開き直る」事にしました。どうしても直さないと文章的に意味がおかしくなる、霊的知識普及の目的に反するほど文章がおかしい、誤解される恐れがある、そういう致命的部分のみを修正して、読んでいて文章的意味的に問題ないと判断したところは「ガンガンスルー」していってスピードを重視する事にしました。
そうしないとこの作業を完結させられないと思ったからです、これは霊的知識普及という大目的でおこなっている作業ですので挫折は許されません何が何でも最後までやり切らねばならないのです。他にも語りたい事はあるのですが一旦切りましょう作業続行中(祈)†
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【英国のみならず広く海外でも活躍している古くからのスピリチュアリスト(※)が招待されシルバーバーチは「霊的知識に早くから馴染まれ、その道を一途に歩まれ、今や多くの啓示を授かる段階まで到達された人」として丁重にお迎えした(※名前は紹介されていない)―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【―(推測する手掛りも見当らない。霊言集にはこのように名前を明かしてもよさそうなのに、と思えるケースがよくあるが、多分、公表は控えて欲しいとの本人の要望があるのであろう。これもシルバーバーチの影響かも知れない―訳者)】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
思えば長い道のりでした。人生の節目が画期的な出来事によって織成されております。しかしそれも全て一つの大きな計画のもとに愛によって導かれている事をあなたはご存知です。暗い影のように思えた出来事も今から思えば計画の推進に不可欠の要素であった事が分ります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
あなたがご自分の責務を果たす事ができたのはあなた自身の霊の感じる衝動に暗黙のうちに従っておられたからです。これより先、その肉体を大地へお返しになられるまでにあなたに課せられた仕事は、とても意義深いものです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
これまで一つ一つの段階を追って多くの啓示に接してこられましたが、これから先さらに多くの啓示をお受けになられます。これまではその幾つかをおぼろげに垣間見てこられたのであり、光明の全て、啓示の全てが授けられた訳ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
それを手にされるにはゆっくりとした発達と霊的進化が必要です。私の言わんとするところがお分りでしょうか。【よく分ります―】これは一体どういう目的があっての事なのか―あなたはよくそう自問してこられましたね。【目的がある事は感じ取れるのです―】
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【―目的がある事自体を疑った事はありません。ただ自分の歩んでいる道の本の先だけでいいから、それを照らし出してくれる光が欲しいのです―】あなたは“大人の霊”です。地上へ来られたのはこの度が最初ではありません。それは分っておられますか。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
【その事についてはある種の自覚をもっております。ただ今ここで触れるつもりはありませんが、それとは別の考えがあって、いつもそれとの葛藤が生じます―】私にはその葛藤がよく理解できます。別に難しい問題ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その肉体を通して働いている意識と、あなた本来の自我であるより大きな側面の意識との間の葛藤です。有象無象のこの世的雑念から離れて霊の力に満たされると、魂が本来の意識を取戻して日常の生活において五感の水際に打寄せてしきりに存在を認めて欲しがっていた、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―より大きな自我との接触が得られます。先程おっしゃった目的の事ですが実は霊の世界から地上へ引返し地上人類のために献身している霊の大軍を鼓舞し動かしている壮大な目的があるのです。無知の海に知識を投入する事、それが目的です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
暗闇に迷う魂のために灯火を掲げ、道を見失える人々、悩める人々、安らぎを求める人々に安息の港、聖なる逃避所の存在を教えてあげる事です。私たちを一つに団結させている大いなる目的です。宗教、民族、国家、その他ありとあらゆる相違を超越した大目的なのです。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
その目的の中にあってあなたもあなたなりの役目を担っておられます。そしてこれまで多くの魂の力になってこられました。【ご説明頂いて得心がいきました。お礼申上げます―】私たちがいつも直面させられる問題が二つあります。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
一つは惰眠をむさぼっている魂に目を覚まさせ、地上で為すべき仕事は地上で済ませるように指導する事。もう一つは目覚めてくれたのは良いとして、まずは自分自身の修養を始めなければならないのに、それを忘れて心霊的な活動に夢中になる人間を抑える事です。
『シルバーバーチの霊訓⑥』
神は決してお急ぎになりません。宇宙は決して消滅してしまう事はありません。法則も決して変る事はありません。じっくりと構え、これまでに啓示された事は、これからも啓示されていく事があるとの証明として受止め、―
『シルバーバーチの霊訓⑥』
―自分を導いてくれている愛の力は自分が精一杯の努力を怠りさえしなければ決して自分を見捨てる事はないとの信念に燃えなくてはいけません。【実はこの老スピリチュアリストは今回の交霊会に備えて三つの質問を用意していた。その問答を紹介しておく―】
明日にはPython書籍2冊目のお勉強が完了中、止まらず3冊目のお勉強に突入中、さらに追加書籍も注文中ですが、先週長文ブログ内で紹介したインスピレーション「不健康にもできますし」がどうにも心に引っかかってます。霊団主導で身体をおかしな状態にさせられる可能性が本当にあるかも知れません。
それは霊界側の悲願を僕という道具で成就するための調整としてそういう事をやってくる訳ですが(「霊訓」のモーゼス氏のように)どうも僕の霊団への反逆に対する因果律としてそういう苦しい状態にさせられるのではという懸念も心から払拭できません。これだけ自分の人生を破壊されても使命遂行を怒涛で続けているのにその上苦しい状態に追加でさせられるとは、一体何がどうなっているのでしょうか。
罰を与えるべき人間なら他にいるはずだろう(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がその代表格)ガンバッている人間にはトコトン苦痛を与え、奴隷の女の子を強姦殺人しまくって遊んでいる人間は放置している、この理不尽をどう心で納得しろというのでしょうか。
もっともその理不尽は物質界のみの近視眼的視点で見るから理不尽なだけであって、帰幽後に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁はその悪行の清算を暗黒の底の底で恐るべき長い年月にわたってやらされ、犠牲的仕事をやった人間にはそれ相応の埋め合わせがありますので「神の天秤」は必ず平衡を取り戻すのですが。
さぁまた次回長文ブログネタとなるインスピレーションが枯渇状態です、一体どうするつもりなのか。絶望の極致の「変換テキストの見直し修正」を続行しないといけません。本当にこの作業は地獄です。ブログネタがないようであれば、僕が現時点で理解している範囲内で【神の因果律】の働きについてテキストを撃つのもアリかも知れません(祈)†
まずPythonのお勉強はとにかく続行中、3冊目に突入しますが中級者向け書籍にはまだ手を出しません、まだまだ初心者向け書籍でお勉強していきます。拡張子を.pywに変更してIDLEを経由せずにダイレクトでプログラムを起動できる事がようやくわかったというレベルです。最終的には.exeに書き出すという事でいいのかな。
そして録音ナンチャラカンチャラと騒いでいましたが、現在「変換テキストの見直し修正」つまり完成版テキストに仕上げる最終作業を「イエスの少年時代」でおこなっているのですが、メチャ時間がかかる事が分かりました。録音以前に見直し修正に集中しないといけない事を思い知らされ、かなり凹んでいるところです。
もう今年中に録音を開始する事はないかも知れません。ずっとOCR変換テキストとにらめっこし続けなければなりません。地獄だ、正真正銘の地獄だ。しかしそれでも書籍を見ながら直でテキストを撃っていくよりはこちらの方が若干速いと判断してこの作業を始めたのです。(あとスキャン画像を他の用途で使えるという理由もあります)
『ベールの彼方の生活①』
【意念の力 一九一三年十月二日 木曜日】“イスラエルの民に申すがよい―ひたすらに前進せよ、と”(※)これが私たちが今あなたに申上げたいメッセージです。ひるんではいけません。行く道はきっと明るく照らしてくださいます。
『ベールの彼方の生活①』
全能なる神と主イエスを固く信じる者には何一つ恐れるものはありません。(※モーセが神のお告げに従ってイスラエルの民を引連れてエジプトを脱出する時、ひるみかける民を励ました言葉であるが、―
『ベールの彼方の生活①』
―この頃オーエン氏は国教会長老から弾圧を受け内心動揺を来していた事が推察される―訳者)私たちが今さらこのような事を書くのは、あなたの心にまだ何かしら疑念が漂っているからです。私たちの存在を感じ取っておられる事は私たちにも判っております。
『ベールの彼方の生活①』
ですが前回に述べたような話が余りに“おとぎ話”じみて信じられないようですね。では申しますが実を言えばこうした天界の不思議さ美しさは、地上のいかなるおとぎ話も足もとにもよれないくらい“もっともっと不思議”で美しいのです。
『ベールの彼方の生活①』
それにおとぎ話の中に出て来る風景や建物は、こちらで見られるものと似ていない事もないのです。まだほんの僅かしか見物しておりませんが、その僅かな見聞から判断しても、地上の人間の想像力から生まれるものなどは、―
『ベールの彼方の生活①』
―その不自由な肉体をかなぐり棄ててこの天界の光の中に立った時に待受けている栄光に比べれば全く物の数ではない事を確信しております。さて今夜お話したいのは、これまでとは少し趣が異なり、私たち新米を教え楽しませるために見せてくださった現象的な事ではなくして―
『ベールの彼方の生活①』
―こちらの事物の本質に関わる事です。今あたりを広々と見下ろす高い山の頂上に立ったとしましょう。そこから見晴らす光景はどこか地上とは違うのです。例えば、まず空気の透み切り具合と距離感が地上とどこか違う事に気づきます。
『ベールの彼方の生活①』
“遠い”と言っても地上での遠さとは違うのです。と言うのは、その頂上から地平線の近く、あるいはさらにその向うのある地点へ行きたいと思えば、わざわざ山を下りなくとも“そう念ずるだけで”行けるのです。
『ベールの彼方の生活①』
速く行けるか遅いかは意念の性質と霊格次第です。また今おかれている境涯の霊的性質より一段と精妙な大気―とでも呼ぶより仕方ないでしょう―に包まれた地域へ突入できるか否かも、その人の意念と霊格次第なのです。
『ベールの彼方の生活①』
高級界からお出でになる天使のお姿が私たちに必ずしも見えないのはそのためです。見え方も人によって異なります。みんなが同じお姿を拝するのは、私たちの視覚に合ったように容姿を整えられた時だけです。
『ベールの彼方の生活①』
もしその方の後について行く、つまりその方の本来の世界へ向って行きますと途中で疲労を覚え、ついて行けなくなって来ます。霊力次第でもっと先まで行ける者もおりますが。さらにその頂上に立ってみますと天空が不透明に見えるのですが、―
『ベールの彼方の生活①』
―それは天空そのものの問題ではなくて霊的な光の性質つまり下の景色から距離が大きくなるにつれて強度を増して行く性質をもつ霊的な光の問題である事が判ります。ですから霊力次第で遠くまで見通してそこに存在する生命や景色が見える人もおれば見えない人もいる訳です。
『ベールの彼方の生活①』
また見渡せば一面に住居やビルが建ち並んでいるのが見えます。そのうちの幾つかは私が説明した通りです。しかしビルと言っても単なる建物、単なる仕事場、あるいは研究所というのではありません。
『ベールの彼方の生活①』
その一つ一つの構造からはその建物の性格は愚か、それを建築した人およびそこに住まう人の性格も読取れない事でしょう。永遠に朽ちる事なく存在している事は確かです。が地上の建物がいつまでも陰気に立ち残っているのとは違います。
『ベールの彼方の生活①』
常に発展し、装飾を改め、必要に応じて色彩、形、素材を変えて行きます。取壊して再び建直すという手間はいりません。建っているままの状態で手直しをします。時の経過による影響は出てきません。崩れたり朽ちたりいたしません。
『ベールの彼方の生活①』
その耐久性はひとえに建築主の意念に掛っており、意念を維持している限り立っており、意念次第で形が変えられます。もう一つ気がつく事は、小鳥が遠くから飛んできて、完璧な正確さで目標物にとまる事です。こちらにも伝書バトのように訓練された鳥がおります。
『ベールの彼方の生活①』
でも地上とは躾け方が違います。第一こちらの鳥は撃落とされたりいじめられたりしませんから人間を怖がりません。そこで鳥を一つの通信手段として使用する事があります。もちろん不可欠の手段という訳ではありません。他にもっと迅速で能率的な通信方法があるのですから。
『ベールの彼方の生活①』
ですが必需品でなくても美しいからというだけで装飾品として身につける事があるのと同じで、小鳥を愛玩動物として通信に使用する訳です。そんなのがしょっ中飛交っており、とても可愛くて愛すべき動物です。小鳥も仕事をちゃんとわきまえていて喜んでやっております。
『ベールの彼方の生活①』
面白い話を聞きました。ある時そんな鳥の一羽が仲間を追い抜こうとして、ついスピードを出しすぎて地球の圏内に入り込んでしまいました。それを霊視能力のある人間が見つけて発砲しました。
『ベールの彼方の生活①』
驚いた小鳥は―銃の音に驚いたのではありません。撃とうとした時の意念を感じ取ったのです―ここは自分のいるところではない事に気づき慌てて逃げ帰りました。感じ取ったのは“殺そうという欲念”でした。
『ベールの彼方の生活①』
それを不気味に思った小鳥はその体験を仲間に話して聞かせようとするのですが、うまく話せません。それはそうです。何しろそんな邪念はこちらの小鳥は知らないのですから。こちらでの小鳥の生活を地上の小鳥に話しても分ってもらえないのと同じです。
『ベールの彼方の生活①』
そして仲間がこう言いました―君が話せないなら、もう一度地球へ戻ってその男を見つけ、どう話して聞かせたらいいか尋ねて来たらどうか、と。そう言われて小鳥はその通りにしました。するとその人間―農夫でした―が“ピジンパイ”と言えば分って貰えるだろうと答えました。
『ベールの彼方の生活①』
小鳥はその返事を携えて帰ってきましたが、さてその言葉をどう訳せばよいのかが判らず、第一その意味も分らなかったので自分の判断で次のような意味の事を伝えました。
『ベールの彼方の生活①』
すなわち、これから地球を訪れる者はそこが本当に自分にとって適切な界であるかどうかをよく確かめてからにしなさい、と。この話が教えんとしているのはこういう事です。与えられた仕事は、自分で納得がいき仲間も納得する範囲で努力すべき事―
『ベールの彼方の生活①』
―熱心のあまり自分の立場あるいは“領域”を確かめずに仲間を出抜いてはならない。さもないと自分では“進んでる”つもりでいて実はスタートした界より下の界層へ堕落し、そこの最高の者さえ自分本来の界の最低の者より進歩が遅れており、―
『ベールの彼方の生活①』
―仲間として連れだって行く相手としては面白くないといった結果になるという事です。これなどは軽い小話程度に聞いて頂けば結構です。が、これで私たちも時には笑い転げる事もある事、バカげた冗談を言ったり、真面目なつもりで間の抜けた事をしたりする事もある事、―
『ベールの彼方の生活①』
―そして地上を去ってこちらへ来ても取り立てて成長していない面もある事がお判り頂ける事でしょう。では、さようなら。常に愉しい心を失わないようにね。
皆さん、本を読みましょう。知識を得ましょう。無知の暗闇を突き破りましょう。僕たちは大切な事を悟るために地上という修行場に降下して来ているのです。霊界こそ僕たちの本来の住処であり、地上は霊界の光によってできた影にすぎません。どうか、どうか皆さんにも霊的知識を得て頂きたいのです(祈)