辛すぎて、苦しすぎてトレイルムービーは作り続けられなかったのです。「長文テキスト撃ち」「アナログ絵描画」「ムービー制作」この3つのコンテンツを同時進行させるのはムリと判断して、それでトレイルムービーをやめたのです。

しかし「書籍ムービー化」という地獄の作業をまた復活させようとしています。やる作業はトレイルムービーの時とほぼ一緒、イヤ、分量は今回の方が桁違いに多いですからトレイルムービー以上に苦しい状況に突入する事は間違いないでしょう。

反逆している時間も無くなる、なぜここまで自分を追い込まねばならないのか、なぜ霊団はボケっと見てやがるだけで何もしないのか。倒すべき邪悪「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を倒しもせず強姦殺人という犯罪を容認し、奴隷の女の子をひとりたりとも助けようとせず見殺しにしている奴らが、一体僕の何を悪く言う資格があるというのか。

んんん、グチはひとまず置いといて、全70冊の完全ムービー化は絶対にムリでしょう。それ以前にテキスト化が完了していません、テキストがなければ録音もできません。僕は長文を撃たねばなりません、絵も描かねばなりません、絶対的に時間とパワーが足りません。絶対、絶対、ムリですが70冊全部やろうとせず主要な書籍に限定してムービー化するという方向性になると思います。テキストは全冊揃えますが。

ユウウツどころの騒ぎではありません、なぜ僕はここまでやらねばならないのか。考えて考えて簡略化できるところは徹底的に簡略化しなければなりません。挫折率99.99999%。間違いなくまた途中でやめるでしょうつらすぎて。フラー25本体デザインが全然描き進まない、まずはコチラに集中しないと。反逆しているヒマさえない(祈)†

「簡単に推し測ってはいけません」僕が殺されるのはほぼ決定的、問題はその先です(祈)†■2022年3月9日UP■
「簡単に推し測ってはいけません」僕が殺されるのはほぼ決定的、問題はその先です(祈)†
僕の物的肉眼では全体像が見えませんので、ごく一部だけを見ている僕の意見より全体を俯瞰で眺める事のできる霊団の判断の方が最終的に正しいという事を知識として理解していますので、現在の僕には使命遂行が成功していないように映るとしても、より長いスパンで見た時に、アキトくんの使命遂行によって、あの当時は動きがなかったが、あの活動によって十分に“タネ”が蒔かれ、そのタネがアキトくんの帰幽後に芽を出し花を咲かせ、結果的に「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡、物質界の邪悪の消滅、奴隷の女の子の強姦殺人容認システムの破壊へとつながったのだ。という風になるのかも知れません…続きを読む→

まず「読書アプリ」自作のアイデアですが、ティラノスクリプトの仕様に沿ったカタチでセーブ、ロードありの状態で作ればたぶんそんなにむずかしくないでしょうから、もうその方法で行きましょう時間がありませんので。そして(僕的に最高にウンザリさせられる作業ですが)ムービー制作再開に向けてアレコレ考え始めています。

トレイルムービーのトラウマがあるので正直戻りたくないのですが、霊団にYouTube言われてしまっている事もありますし、確かにムービーの威力は絶大ですので、まぁやるしかないでしょう。また長文撃ちながらアナログ絵描きながらあの作業をやらないといけないのか、そう思うと究極にウンザリです。再挫折する可能性も高いです。

そしてフラー25本体デザイン、書籍テキスト化の作業をやらないといけないのですが、どうしても反逆の作業をやってしまいます。どうしても現状に閉じ込められるのが許せないのです。何が何でも打開したいのです。

もうデスクトップアプリとかそういう事じゃなくて、反逆のツールとしてPyhton、C#のお勉強を続行しようかな、なんて思ったりもしますが、そうなると使命遂行と全く関係ない作業に大量の時間を浪費する事になってしまいますのでそれはNG。僕はもう何年反逆してるんだ。一体これ以上何をどうやったらこの反逆は完成するんだ。これは完全に呪いだ。

あと、録音が地獄中の地獄なので「入力文字読み上げソフト」を導入するつもりだったのですが、ライセンスなしで使えるモノを選択するとイイ数字になるのです、僕にはそれがスゴク痛くて、やはり自力録音するしかないのかも知れないと考え始めてます。録音量が殺人的。地獄だ、正真正銘の地獄だ。やっぱり挫折すると思います。

どうやったら反逆を完成させられるのかただただ絶望の中、フラー25本体デザインを急ぎましょう。なぜ僕の人生なのに全く僕の思い通りにならないんだ、これは一体誰の人生なんだ。一体何がどうなってるんだ。もうヤダ、全てがヤダ。って言いながら作業続行中(祈)†
■2021年2月10日UP■
僕がこの8年間、霊団から強制的に見させられている最悪映像について説明してみます(祈)†
行動には動機がある、と公言し続けていますね。霊団はもちろん僕が刑務所映像を嫌がっている事を把握しています。しかし僕にこれだけ憎まれても見せ続けてくるのには理由、動機があるという事になります。その動機こそ他でもない「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込み奴隷の女の子たちを救出するため、もっと言えば、物質界に長らくはびこる邪悪、この「大量強姦殺人容認システム」とも言うべき仕組みを完全に破壊する、つまり、この大願悲願を成就させるためには霊の道具(アキトくん)にブログを書かせ続けねばならない(あと情報拡散もやらせねばならない)我々はインスピレーション(つまりブログネタ)は降らせる事ができる、が仕事の舞台は物質界なので、物質界に残した道具(アキトくん)がブログを書く時間を確保せねばならない、アキトくんがこの仕事を嫌がっているのは承知しているが、アキトくんがデザインの仕事に戻ってしまったら(ブログDreamworkでも説明していますようにデザインの仕事は大抵都内で通勤時間が往復3時間以上かかり、さらにデザインの仕事は残業が多いので)ブログを書く時間が消滅してしまう…続きを読む→
「戦争」を正当化する理由などこの全宇宙に存在しない、という事を説明してみます(祈)†■2021年12月22日UP■
「戦争」を正当化する理由などこの全宇宙に存在しない、という事を説明してみます(祈)†
ひょっとしたら本当に「視点外し戦争」が勃発して僕たちが戦地に赴かされそうになるかも知れません。その時は皆さま「霊的知識」を絶対的よりどころとして戦争参加を全力で拒否せねばなりません。僕たちにはそんなものやる必要性がないからです。やる必要性があるのは一部のワガママな人間たちだけであり、やりたいならそいつらが勝手にやって勝手に死ねばいいのです。僕たちがその無知な人間のワガママのために死ぬ必要は1ミリたりともありません…続きを読む→
「キビシイ試練をやらせる上司です」知識としては理解しているのですが、心は…(祈)†■2021年12月29日UP■
「キビシイ試練をやらせる上司です」知識としては理解しているのですが、心は…(祈)†
「イヤ、奴隷の女の子を強姦殺人し続ける事で日本の平和と安定が保たれているのだから、女の子は強姦殺人し続けるべきだ」とあなたは仰いますか。あなたのような人間の事を霊界、物質界問わず【神】が経綸するこの全宇宙で何と呼ぶか知っていますか「偽善者」というのです。自分の考えの正当性を主張なさるのであれば、あなたは目に入れても痛くないほどかわいがっている愛する自分の娘を笑いながら強姦殺人して下さい。近所に住む笑顔のカワイイ女の子を誘拐して強姦殺人して下さい。そうすればあなたは逮捕されますが、あなた以上に信じられない人数の女の子を殺しまくっている「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が一向に逮捕されない事を全ての日本国民にどうやって納得させますか…続きを読む→

ガリラヤ湖の岸辺にあった家を売って、ゼリータとマリヤはナザレにやってきた。(ナザレはガリラヤ湖の西方に広がる丘陵地帯で北部パレスチナに散在するガリラヤの町のひとつ。ルカ2・26参照 – 訳者註)

2人は野原に建っている羊飼いの小屋に住みついた。ガリラヤの人たちは皆親切で、たえ間なくゼリータのところに心暖まるものを運んできた。無花果や何匹かの魚をとどけたり、収穫のときなどには、小麦などをもってきた。死んだ父親は布にかなりのお金をくるんで残してくれたので、祖母とマリヤが貧乏をしていても大いに役立った。ゼリータは年をとるにつれ外出もできなくなっていた。

真昼の日差しが小屋の中にさしこんでいてもゼリータは手探りで歩かねばならなかった。このような苦しみの中にあっても彼女は悲しむことがなく、以前の元気な頃のように彼女は多くの恵みを神に感謝するのであった。そんな祖母を見てマリヤはたずねるのであった。

「愛する者がとり去られた上、視力を失い、働くこともできなくなり、自分で家の入口のところまで歩いていくのにやっとのことだというのに、どうして賛美の祈りなんかできるんですか?」そこでゼリータはおだやかに言った。

「苦しみが与えられるには、必ず目的があるのです。苦悩から本当の喜びと勝利が生まれてくるのです。イスラエルの民はエジプトによって随分多くの苦しみを受けたじゃありませんか。そのあとで乳と蜜のしたたる約束の地が与えられたのですよ」マリヤは祖母の話をきいておだやかになり、もっと先祖の話をして欲しいとねだった。

薄暗い小部屋の中で昔の偉大な人物について多くのことをマリヤは知ることができた。視力を失った祖母が聖書について語る内容があまりにもすばらしかったので、時々マリヤは目の前に本当の人物が現れて動きまわるように思えた。

少年ダビデが、まる腰で彼女の前に立ちはだかり、手には石投げ器だけを持ち、暗がりの中からペリシテ人の巨体がぬーと現れたかと思うと少年ダビデの投げた石に撃たれて倒れてしまい、小さな住まい一杯に巨体を横たえるのであった。

マリヤはガリラヤからまだ一歩も外に出たことがなかったが、金色の屋根に輝くエルサレムの神殿などを真近かに感じることができた。彼女はまた、ペリシテとの戦いや、バビロニアによる攻撃によって民族全体がバビロニアに捕囚となる悲劇や民族の嘆きなどを知ることができた。

さらに多くの預言者たちが1人ずつ目の前に現れては通りすぎて行った。イザヤ、エリヤ、エレミヤといった偉大な預言者や沢山のすばらしい人たちが、ゆったりとした衣を身にまとい、高貴な表情をうかべて語ったことは“乙女がみごもってイスラエルの救済者が生まれる”ということであった。ユダヤ人にとって忘れられないギリシャ人の征服についても詳しく語られた。(第1章註2参照)

そんなときは貧しい小さな部屋の中で祖母は珍らしく激しい口調で語った。祖母が若い頃、村の律法学者(モーセの律法を解釈する聖書学者で法廷判事の顧問をっとめる上流階級・権力者 – 訳者註)から聞いた話が、そのままマリヤにも語り伝えられた。こんな乏しい小屋の中でもマリヤにとっては、すばらしい夢を織りなす幻と喜びにあふれる場所となったのである。

今やギリシャ人にとってかわって、ローマ人が支配しユダヤ人の信仰心を堕落させようとしていた。“シオン”という聖都(エルサレムの別名)を汚そうとしていた。マリヤは祖母にたずねた。

救済者は何という町や村から出現するのか、そしてその方、即ちメシヤ(救世主)の母として誰が選ばれるのか、きっと預言者と言われた方ならば母となる人の名前や種族のこともわかっているのではないか。ゼリータはルーツに関することは全く知らなかった。

今でもエルサレムに於いてさえ、救世主に関する情報は全くないとのことであった。マリヤはこのような祖母の言葉で満足しなければならなかった。父を亡くしてからというものは、まるで森の中にひそんでいるファウヌス(半神半羊)のように、同じ世代の者と付き合おうとせず、その上ゼリータと世間話をしようとやってくる年増の女たちと口をきこうともしなかった。

祖母から多くの話を聞いてから、彼女は壮大な幻を描き、殊にメシヤ到来の年代的核心をつかもうと努力し、ローマを征服してくれるイスラエル民族の救済者のことで頭が一杯であった。

ある日のこと、マリヤはゼリータに自分自身のことではなくユダヤ全体のために祈れば神はそれをかなえて下さるかどうかをたずねてみた。すると祖母は即座に答えてくれた。

「もしお前が毎日お祈りし、自分をいつも清らかに保ち、他人と交渉を断って願い続ければ、きっと神様はお前の願いをききいれて下さるだろうよ。昔の預言者たちも何か特別な恵みを求めるときには、1人で荒野に退いてお祈りしたものだよ」マリヤは自分の夢を教えようとしなかった。他人に知られることによって夢が汚されやしないかと思ったからである。

それからは、マリヤがたった1人で丘や野をさまよい歩き大きな声をはりあげながら神に祈った。近所の人たちは祖母に言った。「マリヤはもう子供ではないんだから、そろそろ近所の娘たちと付き合って色んなことを勉強させたらどうだろうか。今のようにいつも独りでいるとだんだん世間知らずになってしまうよ」

冬が去り、春がやってきて、丘一帯に色とりどりの花が咲き乱れていた。葡萄の木は新芽をふき出し、木々の枝は緑の装いをまとっていた。鳥のさえずりが地上にひびき渡り、あらゆる生命の躍動が全面にみなぎっていた。

マリヤは祖母に挨拶してから毎日のように外出した。けれども友達をつくろうとはしなかった。彼女はどこかに立ち寄ることもなく山の上に登り、ただ独りで過ごすのであった。木陰のもとでひざまずき、魂の底からわき上る渇きが祈りとなって、昔父から聞かされた言葉がきっかけとなって芽生えた願いを神へぶつけた。

何回となく日の出を楽しみ、ほの暗い朝の静けさの中で鳥たちが射しこんでくる光の中を飛び回るさまを見つめていた。今や彼女の霊は喜びにみたされていた。彼女はすでに自分が神の選びにあずかったこと、来るべき時に、メシヤの母となるべきことを信じられるようになっていた。

美しい春の季節に彼女の夢は陽光と花々とで織りこまれていった。幻はガリラヤの蒼々とした水面に映り、遙か北方にそびえる白雪をいただいた山々や、こぼれるように微笑をたたえる湖の岸辺からは、誰もが否定できない希望と確信が贈られてきたのである。マリヤの夢が必ずかないますように、そして神は何ひとつ御出来にならないことはない…とマリヤは確信し、その度合いを増していった。

彼女にとって周囲の人々はすべて影に等しいものであった。彼らは彼女の人生と何のかかわりを持つことはなかった。彼女にとって、人生とは、暁に目覚め、透徹したすばらしい生活を毎日おくることであった。山々を散策し、神との交わりを続け、時として美しい花々を摘みとり、ひたすら祈りと夢に明け暮れていた。

(註1)紀元前1280年頃、イスラエル民族がエジプトの奴隷となり苦役に服した。預言者モーセが現れて民族をエジプトから解放し、シナイ半島を40年間放浪し、十戒を授かり、紀元前1240年頃パレスチナに入ることができた。旧約聖書、出エジプト記に詳述されている。

(註2)紀元前1000年頃、イスラエルの黄金時代を実現させたダビデ王が、少年時代に敵方ペリシテ人の巨漢ガテのゴリアテという勇者を投げ石器ひとつで倒してしまったというエピソード

(註3)ペルシャの前身、バビロニヤが、紀元前587年にエルサレムを陥落させ、イスラエル民族を捕囚としてバビロニヤに連れていったという古事。旧約聖書、エレミヤ書に詳述されている。

「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→
「怒られる」とずっと霊団から言われ続けているのです。本末転倒の究極形(祈)†■2022年6月8日UP■
「怒られる」とずっと霊団から言われ続けているのです。本末転倒の究極形(祈)†
物質界での行いがそのまま帰幽後の霊界における境涯を決定します。善い行いをした者は幸福な美しい境涯(上層界)に、私利私欲に走り他人を傷つけた者は暗黒の惨めな境涯(下層界)に赴きます。「神の因果律」の働きにより機械的自動的にそうなるのです。物質界における邪悪発生の原因は「人間は肉体が死んだらそれで終わり」と思っている事に全て起因します。肉体の死後も霊界で人生が継続される事、物質界での行いの賞罰が寸分の狂いもなく自分に降ってくる、自分の行いに全て自分で責任を取らされるという霊的知識の基本中の基本を全く理解していない事から物質界の邪悪が発生しているのです。奴隷の女の子を強姦殺人し続け、国民に延々とウソニュースを流し続け、国民の宝物を搾取し続けたその先に、どれほどの地獄が待ち受けているか。それを全く理解していない事が全ての原因なのです…続きを読む→
「片手落ちというものがありません」あくまでも霊界側の視点でのお話です(祈)†■2022年6月1日UP■
「片手落ちというものがありません」あくまでも霊界側の視点でのお話です(祈)†
僕の物質界生活中に結果が出るとは言っていない、僕の帰幽後に霊界側が計画した通りの結果に到達する。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡も、僕の物質界生活中には達成できないとしても、僕の帰幽後にそのようになる。奴隷の女の子たちの救出も、僕の物質界生活中には実現できない、しかし女の子たちは強姦殺人されて以降に霊界で十分すぎる埋め合わせがあるのだから何も心配する必要はない。だいたいこういう意味でいいでしょう。大俯瞰的視点で永遠という時間の尺度で全体を眺めれば「素晴らしい結果に到達した」と言えるのでしょうが…続きを読む→