日の出と共にイエスは旅仕度をととのえ、沈黙のぬしに礼を言って、別れの挨拶をした。この時の2人にとって、もはや別れの悲しみはひとかけらも感じられなかった。聖なる雰囲気が2人を包みこんでいたからである。昨夜の不思議な体験が2人の魂をまったく1つに結びつけてしまったのである。
イエスの姿が見えなくなってから、隠者は例の崖のふちへ行き、北の方向に広がっているガリラヤ地方に手をのばし、何時間も長いあいだ祝福を続けていた。沈黙の誓いを守る期間中であったので、彼は喜びと感謝の気持ちを言葉であらわすことができなかったからである。暑い陽がさしこむ昼頃になって、ようやく神への感謝と賛美を終えた。
イエスは山から谷間に降りてゆき、歌をうたいながら自由の身になったことを喜んだ。道すがら珍しい花を見ては、その形の美しさに驚嘆した。彼は鳥に向かって話しかけ、鳥もイエスの甘い澄んだささやきに聞きほれるのであった。イエスは時々笛や歌声で鳥に応えることもあった。彼は喜び勇んで旅を続けた。
1人の少年が旅の仲間に加わった。まだ14歳にもならない子供であったが、ガリラヤのことをあれこれと語ってくれた。この時の少年にはまだ知るよしもなかったのであるが、将来イエスの70人弟子の1人に加わることになるのである。
この少年とは道の曲がり角の所で別れた。昼近くになった頃、ベトエルという名の旅人と出会った。彼はちょうどエルサレムへ巡礼に行くところであった。ベトエルの目的は、捧げ物を奉納してから、1人で荒野に行き、断食と祈りをしながらメシヤ(救世主)の到来を待つことであった。
イエスは昨日までの3日間を山の中に立て籠っている不思議な隠者のもとで過ごしてきたことを話して聞かせた。ベトエルは驚いて言った。「こりゃ驚いた!あの隠者と3日間も一緒だなんて!」
イエスは彼にたずねた。「どうしてそんなことを言うんですか」ベトエルはこたえて言った。「あの聖者は、目下沈黙の誓いをたてているので、だれ1人として彼に近寄ることができないんですよ。彼はこの地方では、とても偉大なお方として知られているのです。彼は罪も汚れも無い清いお方で、みんなから『イスラエルの希望』と言われているのです。私も彼の弟子の一人なのです」
イエスは更にたずねた。「名前は何とおっしゃるのですか」「ザカリヤという祭司の子供、ヨハネといいます。それが実に不思議なことがあったんだそうです。彼が生まれる時、偉大な人物が出現したことを顕す不思議なしるしがあったとか言われているのです。そんな訳で彼は非のうちどころのない青年時代をすごし、他の者のように誘惑にも負けず、いつも人里離れた所で清らかな生活を続けているのです」
イエスはすかさず言った。「あなたは、そのお方を何とお考えですか」「今は言えません。旅のお若い方、あなたの部族(イスラエルの12部族)も名前もうかがっておりませんが、このことはどなたにも言わないでいただきたいのですが」
イエスは絶対に口に出さないと約束すると、ベトエルは答えて言った。「実を申しますと、ヨハネは来るべきメシヤであると確信しているのです」「どうしてそれが分かるのですか」
「彼の力あふれる霊力といい、清らかな生活ぶりといい、それは実にすばらしいからです。それに今やイスラエルの回復のためにメシヤがおいでになる時が熟しているからです。」
イエスはこのことを耳にしてからは、ひとことも口を開かなかった。まるで鷲が岩の上に留まって、高い所から谷底を見つめ、鋭い観察をしているかのようであった。ベトエルは言った。
「あなたは一体どこからいらしたのですか。家族はどこにおられるのですか」ベトエルは同じことを3度も聞いた。イエスはゆっくりと口を開いて言った。「私はナザレの者です。私の母はそこに住んでいます」
ベトエルはすかさず言った。「ナザレには善人は1人もいないと言うじゃありませんか!」ベトエルの表情は次第に暗くなっていった。明らかにナザレ人と一緒に歩いているという不快感をあらわしていた。イエスは、ほほ笑みながら言った。
「霊は、思いのままにふるまいます。ですから、善なる霊は地域や部族などによって縛られることはありません。私の母などはナザレに居ながら、それは素晴らしく善良な女です。それだけではありません。ナザレの大部分の人々は実に正しい生活をおくり、エルサレムで名高い義人よりは、遥かにすぐれているのです。ナザレ人は、どちらかといえば、単純なのですよ、農夫ですからね」
ベトエルはすっかり度肝をぬかれてしまった。彼は愚かにも、汚れたナザレ人といううわさだけを信じ、そのような人間と一緒に旅をしてはたまらないと思っていたのである。自称聖人ベトエルは、どうしても一緒に旅をしたくないと言うので、イエスは「兄弟よ、神様の祝福がありますように」と言って、ベトエルから離れていった。
このあたりでは、旅人が休んだり眠ったりするのは、暑い真昼の頃である。盗まれるような物を持っていない時には、日没後も旅を続けるのである。月が上がり始める頃、イエスは快い眠りから目を覚まし、月光の中を歩き始めた。しばらく行くと一組の男女と一緒になった。
男は女の数メートル先を歩き、ずた袋を背負っていた。女は幼児をおんぶしながら、よろめくように歩いていたが、ついに倒れてしまった。彼らは砂漠の国境あたりからやってきて、すっかりやっれていた。女がしきりに「イサク!」と呼んでいた男にイエスが声をかけたが、そっけないそぶりを見せるだけであった。
幼児が泣き始めたので、後ろを振り向くと、女が倒れていた。イエスが駆け寄ってやさしい言葉をかけ、背中の幼児をおんぶしてあげようかと申し出た。イエスが幼児の顔をのぞいてニッコリ笑うと、子供はたちまち泣き止み、おだやかな顔になった。
イエスは女に水を飲ませ、幼児の面倒をみたので、女はすっかり元気をとりもどし、ポツリポツリと自分の身の上話を始めた。イサクと結婚して荒野の果てに、ひとにぎり程の土地を耕していたのであるが、凶作続きで悩まされていた。
悪いことは重なるもので、ある日のこと盗賊の一味がやってきて、彼らの小さな家に火をつけ、わずかな持ち物までもすべて奪われてしまった。その後も干ばつが続いたので、イサクはついに力が尽きてしまい、なんでも恵まれている王の都エルサレムに行こうと言い出したと語った。
イエスは溜め息をつきながら女に言った。「私は前に王の都に住んだことがあります。そこには飢えと不毛しかありませんでした。そこへいくと、ガリラヤには、暖かい人々がいて、しずかな緑野が広がっています。どうですか、私と一緒にガリラヤへ行きませんか。緑野は、ふんだんに小麦、オリーブ、ブドー酒を産んでくれます。あなたの夫はそこで仕事を見つけ、一家が食物と喜びに満たされるようになるでしょう」
2人の話は次第にはずんできた。荒野で生まれた娘の将来のことなどを話しているうちに、女の足も軽くなっていった。それから1時間もたたないうちに彼女は疲れを感じなくなってきた。
突然彼女の夫が立ち止まり、後ろを振り向いてイエスに子供を背中からおろすように命じた。イエスはその通りにしてから言った。「母親の体力が弱っていますから私におんぶさせて下さい」
夫イサクは妻に向かって、みだらな奴だとののしり、イエスの顔の左側を思いきりたたき、地上に倒してしまった。妻は夫にイエスを叩かないように哀願した。彼の顔がまるで野獣のように腫れ上がってしまったからである。
イエスはよろよろと立ち上がりイサクに言った。「兄弟よ!左の頬っぺたを叩いたように、右の頬っぺたも思い切り叩きなさい!それで気が晴れるのなら」
イサクは大声で叫んだ。
「おまえは臆病者の上に、おれの妻をたらしこもうとしてるんだろう」「とんでもない!私よりも弱りはてているあなたをぶちのめすことと、あなたが元気な私を叩くことと、どちらがたやすいと思いますか。私の霊が「他人の重荷を背負いなさい」と告げているのです。さあ、どちらがやさしいか答えてごらんなさい!」
イエスが話している間、彼のほほの裂け目から血が流れていた。きぜんとして彼に語りかけるイエスの姿を見ているうちに、この野蛮な男は路上にすわりこんでしまった。思いもよらないイエスの態度に驚いてしまったからである。同時にイサクは、イエスがただならぬ人間であることに気がつき、これ程汚れのない真っすぐな人はいないことを知った。
イサクは言った。「あなたは乞食のような格好をしておられますが、本当に勇気のある気高いお方です。とんでもない乱暴をしてしまいましたことをどうかお許し下さい」
イエスはほほ笑みながら、今までどおり子供をおんぶして歩き始めた。イサクはこれ以上イエスに迷惑をかけたくないと思っても、イエスがあまりにも陽気にふるまっているので、言い出すことができなかった。
彼らは、なおも旅を続けた。その夜は、ある馬小屋で一緒に寝ることにした。次の日も旅を続け、イエスは子供をおんぶして歩き、イサクの熱心な話に耳を傾けていた。イサクは小さな子供のときから親に叩かれ、飢えにくるしみ続けてきたことを語った。
死海の周辺の土地は干からびて、ほんのわずかな作物しかとれず、農夫はいつも食糧不足に悩まされ、死の恐怖にさらされているのだそうである。イサクは暗い声で言った。
「わずかな食糧をためておいても、いつも強盗がかっさらっていきます。だから私はだれをも信用しないどころか、近づいてくる者はみんな泥棒に見えるのです。それで近づいてくる者を叩きのめして自分を守るしかないのです。今も私はすっかりあなたのことを誤解して、妻の手から子供をさらっていくのではないかと思い、乱暴をしてしまったのです」
イエスはなるほどと思った。しかしイサクはなおもかたくなな性格を改めようとはしなかった。イサクは自分のいだいている夢を語った。「エルサレムには何でも豊かにあるのです。私はそこで仕事をみつけ、宝を手にしたいと考えているのです。私はなまけものではありませんから、朝から晩まで働きたいのです」
イエスは答えて言った。「エルサレムには、あなたのように夢見る者が大勢おります。彼らは1日中よく働いてもわずかな給料しか貰えず、家族のためにパンを買うぐらいしかないのです。それよりも、私と一緒にガリラヤへ行きましょう。
エスドラムロンの緑野が果てしなく広がっていて、そこから労働者たちは、くさるほど穀物の収穫を得るのです。ガリラヤの北の方へ行くと、ブドーやオリーブの実がたわわとなっているのです。あなたもそこへ行けば、宝物ではなく必要なもののすべてと喜びを見つけることができるでしょう」
しかしイサクは、妻がどんなに願ってもイエスの勧めを受け入れようとはしなかった。イサクには、いまだにエルサレムの宝のことがすてきれず、ついにイエスの手から子供を引き離し、エルサレムの方へ向かうといってきかなかった。
イエスはこの夫婦に暗い影がさしているのを見て心は重かった。ろくなめにあわないことが分かっていたからである。女はイエスに祝福の祈りを求めた。そして彼女は言った。「私たちは、この方が示して下さったすばらしい忍耐力をみならわなくちゃね!」
女は地にひれ伏し別れを告げた。イエスは手を挙げて祝福した。「女よ、この世では得られない平安がいつまでもあなたとともにありますように」
女は何も言わず夫のあとについて行った。イエスは突き出た崖の上に立って、彼らが歩いている姿を見ていた。この時は、夫が幼児をだいていた。イエスの霊力によって観察された夫婦の暗い影は、まことに凶事となって現れた。
エルサレムに行ったイサクには、彼のような農夫を雇ってくれるところは全く無かった。夫婦は力つき、幼児はついに病死してしまった。母親もひとかけらのパンも尽きて餓死してしまった。大勢の群衆の中にあっても、女は心隠やかに息をひきとることができた。それは、イエスの祝福のお陰であった。
■2023年7月2日UP■■アナログ絵355「フラー25カラーリング」UP。長い長い地獄の旅でした(祈)†フラーのカラーリングの時はいつも同じ事を書いているような気もしなくもないのですが、このフラー25も本当にキビシイ機体でした。塗っても塗っても全く終わりが見えてこない無間地獄。フラー11ver2.0の悪夢が(最後まで塗り切れなかった)何度となくよぎりながら、何とか心を奮い立たせてAffinityPhotoと格闘し続けました。AffinityPhotoの再勉強をした方がイイかも知れません。何かしらスピードアップのヒントが得られるかも知れませんので。マクロだけじゃ足りない、もっと技が欲しい。今回のフラー25は特にカラーコンセプトも考えていなかったのですが、こうして塗ってみると、特にちょうちょちゃんは「ゴスロリ」といった“たたずまい”でしょうか。フラーをデザインし始めた初期の頃は霊団が「フラーのキット化」とか言ってきたものでしたが、もうそんな事は夢幻(ゆめまぼろし)のお話となっていて、キット化どころか僕は今にも殺される寸前という状況なのだそうです。塗っている最中にも決定的な事を言ってきています…続きを読む→ ■2023年6月28日UP■「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に落ちるのは自己責任、アキトくんには何の責任もないし、キミが物質界生活中にこの者たちを滅ぼさなくても自動的に肉体が朽ちて帰幽して地獄に落ちるのだからどちらでも結果は同じである。奴隷の女の子たちに関しても自ら犯した過去の大罪の罪障消滅を目的として物質界に降下した人間なのだから、苦難の人生をやらされるのが当たり前(自己責任)それを助けてあげたら本人のためにならない、アキトくんの気持ちは分からないでもないが帰幽して我々(イエス様)と同じ視点から眺められるようになれば納得できるであろう。つまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を物質界生活中に滅ぼせなくてもそれは別にアキトくんの努力不足ではなく、奴隷の女の子を助けてあげられない事もキミのせいじゃない。我々(イエス様)は絶対的有利なポジションに立っているので、その人間たちをアキトくんの霊的進歩向上に大いに活用させてもらった…続きを読む→ ■2023年6月21日UP■「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→