パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派の人々は、それぞれの流儀で神を拝んでいた。イエスがガリラヤにいた頃は、エッセネ派にはおおよそ3000人から4000人もの修道者が属していた。
ある者は町に住んでいながら、外部の人々とは全く接しなかった。ある特定の場所に共同生活を営む者もいた。少数の者が荒野に生活し、神を見いだそうとしていた。エッセネ派の人々が余りにも純粋で気高い生活をしているので、パリサイ派やサドカイ派の人々は、面目を失っていた。
エッセネ派の人々は、一切外部のひととは口をきかなかったが、パリサイ派やサドカイ派のやり方の中で、1つだけ非難の対象となるものがあった。それは、神殿の祭壇の上で、動物を犠牲に供していたことである。しかも仰々しい儀式や規則づくめで行われることであった。
エッセネ派では、一切の儀式や規則などは、神が望まれるものではないと信じていたからである。彼らにとって唯一の実践は、祈りと断食であり、これを最も大切に考えていた。
彼らは毎日何度も沐浴(体をきれいに洗う)した。内的清純の象徴として常に体をきれいに洗うことを怠らなかった。沐浴をしていれば、死後、西方浄土へ行けるとも信じていた。エッセネ派の人は、日の出を迎えるまでは、一切口をきかなかった。
日の出を寸前に迎えようとしている時は、どこにいても、その場にひざまずき、瞑想を続け、日の出の瞬間には一斉に“永遠の光”という聖歌を歌うのである。光は神からやってきて、万物を養うという意味である。この善良な人々にとって、日の出のひとときは、まさに聖なる瞬間であった。
この世を旅している者に対して、神がこの瞬間に肉体と悪から解きはなってくれる瞬間でもあった。パリサイ派とサドカイ派は、光の子らを極端に嫌っていた。かといって、彼らには、人々を感服させるような実践力はなにもなかった。余りにも世俗的であったので、エッセネ派を公然と責めることができなかった。
エリコから余り遠くない山ぎわに、隠者たちの住居があった。ずいぶん昔のこと、シャンマイとエノクという若い隠者が数人の仲間と一緒に修業をつんでいた。彼らは砂漠や荒野をさまよい、しばしば飢えと渇きに悩まされた。
しかしモーセとアロンの故事にあったように、彼らはついにエホバの神が示した場所を発見することができた。不毛な土地のど真ん中に洞穴があって、そこから水が湧き出ていたのである。彼らはそれを“生命の水”と名付けた。
その周辺にぶどうやいちじくを植えると、見事に実り、緑地となった。彼らは苦労を惜しまず、徐々に仕事を進め、ついにその地に“信仰の家”をうち建てることができた。次第にその名が知られるようになり、当代随一の修道会にまで成長していった。
シャンマイとエノクは、思想と実践に関する正しい規則をつくり、弟子たちに守らせた。非のうちどころのない生活をすることによって、他の教団の模範となった。彼らは富を嫌い、すべてのものを平等にわけあった。
イエスは幼いときからエッセネ派のことをよく知っていたので、マリヤ・クローパスには、いつか自分もそこに行って、エッセネ派のことを深く学びたいと言っていた。
ある夏の日が暮れようとしている頃、ぶどう畑の中で仕事の指図をしていたシャンマイは、谷間の方からこちらにやってくる旅人の姿を見た。旅人は疲れきっていて、その場に倒れてしまった。急いで二人の若い修道者を走らせて、館の中に運びこませた。
しばらくして、ひんやりとした大きな部屋に寝かされていた旅人は目をあけた。体をきれいに洗ってもらい、薬草を飲んだので、すっかり元気を取り戻した。旅人は自分からナザレ人イエスであると名乗った。
そのときにシャンマイは、この若者の言動に不思議な感動を覚えたと、後になってエノクに語ったそうである。シャンマイは威厳と風格のある隠者であったので、イエスは彼に心を開き、実はエジプトへ行く途中であると語った。
シャンマイは言った。「平和もなく、神の祝福から遥か遠くにある異教の地へ行かれるとは、どうしたことでしょう。若いお方よ、私が察するに、どうやら、あなたの魂は、この世の雑事に疲れ果てているように思えるのですが。
…私もね、若い頃には、あなたのようにひどい人間たちによる暴力などを目撃してからは、荒野にやってきて、やっと平和になれたことを覚えています。私もずいぶんローマ軍に苦しめられたり、殺されたりした人々を見たものです。
しかもパリサイ派の連中が、ただ口先だけで、ローマにこびているのも聞きました。ですから、自分の魂を保つためには、世俗から離れ、世俗を我が物顔に牛耳っている悪霊から離れて暮らさなければなりません。少なくともメシヤが到来するまではね」
イエスはシャンマイに尋ねた。「では私のことをあなたの仲間に加えていただけるのでしょうか。私もあなたのおっしゃるように、自分の魂を安らかに、天の王国で過ごしたいのです」
シャンマイはじっとイエスの顔を見詰めてから答えた。「どうやら、あなたの中に妙な力が働いているような感じがいたします。その力が働いて、あなたはここから出ていかれるような予感がするのです。我々の教団にはどうしてもなじめないものを持っておられるようですね。
何かとても数奇な、物凄いことがあなたの将来に待ち受けているような予感もいたします。そんなあなたを迎えると、我々の平和まで脅かされるのではないかと心配でなりません。ですから、どうぞとは言えないのです」
イエスはとても悲しかった。シャンマイはイエスが苦しんでいることを感じながらも、自分が予知したことを言わずにはおられなかった。そして、とりあえず、ここに3日3晩とどまることを許し、その後正式な返事をすると言った。そんな訳で、イエスはエッセネ派の人々と3日間過ごすことになった。
日の出の前に起床し、日の出の光が差し込むまで祈り、共に歌い、神を礼拝した。1日に4回も小川のほとりで身を清め、大きな部屋で食卓を囲み、エノクが朗読する聖書の言葉を聞きながら食事をした。
昼間は、ぶどう畑で労働を続け、夕方になると汚れた白い衣服を洗濯した。祈りの時間には、熱心に祈るのであるが、猛暑の中での労働の疲れで、居眠りをする者もいた。
間もなくイエスは、熱心な態度と彼の不思議な霊の輝きに魅せられて、修道者たちから“忠実な信仰者”という最高の評価を受けるようになった。ついに4日目の朝がやってきた。エノクは他の修道者の願いをシャンマイに話していた。
イエスを仲間に加えてほしいこと、それが駄目ならば、少なくとも3年間の猶予期間を与え、その間に彼が本当に教団になじめるかどうかを調べようという提案であった。
シャンマイは言った。「私は賛成できません。でもそれがみんなの意志であれば、しかたがありません。それに従いましょう」
エッセネ派の修道者は、みんな喜んだ。それで一同の前で、イエスは誓約の宣誓をした。「私は、ここにおられるすべての方々に対して、真実と忠誠をつくします。そして、神の定められた権威に従います」
それから祈りが続き、修道者たちはイエスに白い衣服を着せ、ついにイエスはノビス(見習い修道者)となった。その夜エノクはシャンマイと庭を歩きながら、どうしてイエスを責めるのかと尋ねた。シャンマイは言った。
「私はイエスを責めているのではありません。恐れているのです。どうも私の霊が騒ぐのです。彼は平和ではなく、剣をもたらすという霊示を受けているのです。
私が入神すると、きまってイエスが群衆の真っ只中におかれ、騒乱と暴力のすさまじい光景がうかぶのです。何ということでしょう!私の心は深く傷つけられ、その残酷な光景に痛むのです。ですからイエスがここにいる間は、私の心身が痛み続けることになるでしょう」
エノクには返す言葉がなかった。エノクは、ありのままのことをイエスに伝えた。『イエスは、平和ではなく、剣をもたらす』というシャンマイの言葉は、とても信じられないものであった。イエスは頭を横に振って言った。
「私の将来については全く知るよしもありません。ただ、過去においては、たしかに他の人々と協調できなかったのは事実です。時として人々を怒らせ、妬みをいだかせ、こともあろうに、イスカリオテのユダの場合には、凄惨な虐殺にまで発展したのです。だからこそ私は世俗を離れ、平和を見いだしたいのです。エッセネ派こそ、平和の使節であり、永遠にそれを保つ教団であると聞いておりました」
イエスが苦しんでいることを察知したエノクは、イエスを懸命に慰めた。エノクは、一生ここに留どまって教団の規則を守っていけば、必ず神と共に平和に過ごせると言った。
イエスは教団の規則を忠実に守る生活を始めた。朝はまだ暗いうちに起き、日の出まで瞑想し、小川で沐浴し、ぶどう畑で働き、最も大切な規律である祈りと断食を徹底的に守りぬいた。シャンマイは、イエスに何ひとつ非難できるものを見いだせなかった。
エノクはイエスがひとつでも過ちを犯せば、シャンマイは直ちに教団を去らせようと虎視たんたんとしていることを知っていた。エッセネ派で作られたぶどう酒は、エルサレムで商人に買い取ってもらうことになっていた。その金で、冬じゅう教団にとって必要な食糧を買い入れるのである。
その年の秋がやってきた。シャンマイはイエスを呼んで言った。「イエスよ、今回はあなたがエルサレムに行って、ぶどう酒を商人に渡すのです。その商人は、ハガイといって、あなたが行けばお金を手渡してくれることになっています」
イエスは、この役目だけははずしてもらいたいと懇願した。イエスは言った。「あなたもご存じの通り、私は世俗をはなれる決心をしています。他のことなら、どんな辛いことでも喜んでいたしますので、これだけは勘弁して下さい」
シャンマイは言った。
「それはなりません!私には、訳があってこのことを命令しているのです。ここにいる修道者は、みんな自分の弱点を克服しなければならないのです。あなたは世俗を恐れています。だからこそ、それに打ち勝つためにあなたをエルサレムに行かせるのです」
「私は世俗を恐れてはいません。人間を怒らせてしまうだけなのです」イエスはここまで話しているうちに、これ以上話すことを止めてしまった。シャンマイに逆らえば、教団から追い出す口実を与えることに気がついたからである。それでイエスは、シャンマイの前にひざまづいて言った。「道中の旅路の安全をお祈り下さい」