霊団にやられた物的災難が一応の決着を見ましたが、その件である場所に行った時に少しお勉強になりました。応接室のような場所に通されて「なるほど、もし僕が出版社やるとしたら、スタッフがいなくても(僕はほぼ全ての作業をひとりでこなす事ができますので、よほどの事でもない限りスタッフを雇うつもりはないですが)お客さまは来る可能性がある。その時にこういう部屋がないと困る、なるほどなぁ」と思ったのでした。

現在、家の片付けを苦しみつつ続行中ですが、家の中をカラッポのスッカラカンにした次は「家の中の再構築」が待っていそうです。ソファや観葉植物などが置かれた「プチ応接室」みたいなものがないと困るシチュがあるかも知れません。出版社を立ち上げるなら、という前提ですが、まだやるとは決まってません。

先ほど霊団がインスピレーションを降らせてきていますが、霊団にしては珍しく素晴らしい事を言ってきてます。そういう風になってくれれば僕的にもかなり嬉しいですが、霊団が言ってきた事でその通りになった事がほとんどありませんので、さぁどうでしょう冷めて見ておきましょう。

寝不足気味ですがアナログ絵357カラーリングを続行しましょう。あーネムー(祈)†

■2021年2月22日UP■
「地下マグマ滝」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が帰幽後に赴く地獄と思われる映像を拝しました(祈)†
ひとりに任せる状況になってしまい申し訳ありませんでした(これぞ僕が霊団の事を「口だけ霊団」「軽薄霊団」と言っている象徴のインスピレーションとなります。この言葉を受けて僕から返す言葉は「口だけなら何とでも言える、本当に申し訳ないと思っているのならその謝罪の気持ちを行動で示せ。当分の間、暗黒界で生活するなど理想的だ」という事になります。僕はずっと霊団の事を「【神】に審問を要求して絶対に責任を取らせてやる」とブログで書き続けていますよね。行動で示さない限り僕はその謝罪の思念を絶対に認めない。もし口だけの謝罪で許されると本気で思っているのなら、霊団は「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁と同じ精神的レベルのバカヤロウという事になります。奴隷の女の子たちを大量強姦殺人しても口から出まかせで許されると思っているこのバカヤロウどもとやっている事が同じという事になるからです。僕だけでなく皆さまも「チョトこの人たち責任感ないわよね」と思って下さると信じたいですが、霊的事象はなかなかそこまでは共感して頂けそうもありません…続きを読む→
■2021年3月24日UP■
「分かりません」これは間違いなく文仁の法廷での「すっとぼけ」発言という意味でしょう(祈)†
日本人は強姦殺人魔が大好きで強姦殺人魔に血税をプレゼントし続け強姦殺人ライフを守ってあげて、強姦殺人魔の事を陛下だの殿下だのと呼んでおだて上げ続けている、強姦殺人魔に笑顔で手を振ってキャーキャー言ってはしゃいでいる、犯罪者にとってこれほど住みやすい国が他にあるだろうか、いやない。明治維新から一体何年の月日が経ったのか、日本人はまだ目が覚めない、洗脳にやられ続けている、何とダマしやすい人間たちなのだ、大変優しい民族性なのは尊敬に値するが、邪悪に目を閉じ続ける様子は残念としか表現のしようがない。僕たち日本国民はおおざっぱに世界の方々からこのように思われているものと予測します。特に韓国の方々は僕たちの事を内心呆れ返って見ている事は間違いないでしょう「洗脳にやられっぱなしのお花畑民族」といった感じに…続きを読む→
■2021年5月19日UP■
僕が心に決めた「霊団への反逆」が完全に消滅した件についての霊的側面からの説明(祈)†
その仕事をやらせるにあたっては、僕に画家の人生を捨てさせる必要があった、僕が霊団の導きに背いて画家に戻る事を阻止する必要があった。それで霊団は長い年月にわたって1日の休みもなくインスピレーションを降らせ続け、僕の心の中を使命遂行の事でいっぱいにさせる事で「僕が反逆の思念を抱き、反逆のアクションを起こすヒマさえ与えなかった」という事。霊団は怒涛にインスピレーションを降らせ続け僕にブログを書かせ続ける事で目的成就に近付けつつ、僕の反逆の阻止も同時に行い、仮に反逆しても今回のように「時すでに遅し、今さら人生の変更は不可能」という状態にしたという事。僕はその霊団の「裏の策略」まで読み取る事などもちろんできませんでしたから、今回の反逆によって「もう完全に閉じ込められてしまって修正変更は不可能」である事を完全に思い知らされた。霊団はひとりの人間(僕)の人生を完璧に破壊した。これは間違いなく「最大級の人権蹂躙(じゅうりん)」であり、僕が日々霊団に対して怒り、憎しみを公言しているその理由をどうか皆さまにご理解頂きたい事しきりですが、しかしそれは逆説的に言うと…続きを読む→

アナログ絵357、大ざっぱに「お花ちゃん群生部」「キャラ」「背景」の3つのパートで構成されていますが、ようやく選択範囲を切り終わってキャラの塗りに入ってます。

この絵を霊団の大反対を押しのけて強引に描き進めている理由は「反逆」を完成させるためなのですが、冷静に考えて、この絵をどれだけ描いてもイヤでイヤでどうしようもない場所からの脱出は実現しないでしょう。そんな事は描く前から分かっていたのですが「何もしないで閉じ込められ続ける」のが、その下向きの姿勢がどうしても許せなかったのです。

なので何とか根性で描き続けるつもりではいるのですが、やはり僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってきて、それを書籍化するために「出版社設立」を実行する方がはるかに現実的脱出方法であり、しかも使命遂行を前進させる事にもつながりますので「真っ当な道」と言えるでしょう。

なので「自動書記テスト」を続行しているのですが、ペンを持った手はピクリとも動かず、霊団はトランス時にイメージを降らせてきます。今日霊団が見せてきたのは「スクエアメガネの女の子が“さぁやるぞー”と張り切ってデジ一眼で撮影し始める」というものでした。

霊団、これは一体ナニ?僕が理解できるように降らせなければ霊力のムダ使いだろ。ただ、その女の子はどうも霊媒として機能している最中の(トランス時の)僕を撮影しているような感じがしました。自動書記ではなく霊言霊媒として機能しているところを撮影していたという意味だろうか。

これだけでは霊団が何を言っているのか分かりませんが、実は霊団からはこの手のインスピレーションをこれまで果てしなく受け取り続けてきて一度たりともその通りになった事がない「実現率 0%」の実績がありますので、僕は正直冷め切って見てます。全然真に受けてません。

で、実は今日これから霊団にやられた物的災難の決着をつける雑務に出発しなければなりません、しかも結構時間が長くかかります、しばらく帰ってこれません。今日は睡眠時間がだいぶ削られる事になります。スゴイヤダ、行きたくないけどこればっかりはどうしようもない。これで終わりにしないと。

霊団、僕はデザインの人間だ。僕から新規の霊言が降ったらありとあらゆる方法で拡散させるスキルを僕は有している。書籍、ムービー、ブログ、ビジュアル(絵、写真)、MP3、アプリ化等々、僕はいっぱいカードを持っている。あんたたちが降らせないからそのカードが使えないだけだ。やる気を出せやる気を。って言いつつアナログ絵357続行中(祈)†
■2020年9月2日UP■
潜入爆破計画がバレバレで完全失敗という幽体離脱時映像を拝しました、霊団ナニコレ(祈)†
えー両方とも隠密裏に何かをしようとして最初から全部バレているという内容でしたが、僕はコソコソ隠れてなどいません公言の限りを尽くしています。ですのでこの映像は「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が裏から手を回して僕を爆破しようとしているが、その計画はアナログ絵123にありますように霊団に全てバレバレであるという意味ではないでしょうか…続きを読む→
■2020年11月11日UP■
TrailMovie「まぁそうするしかないんだけどね」強姦殺人魔、天皇一族の邪悪の正体を知っている人の思念です。滅ぼすのが当然という事です(祈)†
僕が明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を霊団に教えて頂くよりもずっと前から「コイツらが強姦殺人魔である」事を知っている人間がそれはそれはたくさんいたのです。宮内庁、皇宮警察、政治上層部、皇室ジャーナリスト等、挙げればキリがありません。これらの人間は明仁、文仁、徳仁、悠仁が幼い奴隷の女の子を遊びで四肢切断、強姦殺人しまくって死肉を食べている事をずっと以前から知っていながら誰ひとりとしてその邪悪の真実を公言しようとせず、長い長い年月にわたって「強姦殺人ほう助」つまり奴隷の女の子を殺す手伝いをし続けてきた、偽善者の仮面をかぶった第1級犯罪者という事になるのですが、今回霊団が降らせたインスピレーション「まぁそうするしかないんだけどね」にありますように、それらの人間たちも心の中では「いつまでもコイツらを許し続けるのは有り得ないよなぁ」と分かっていたという事です…動画を見る→
■2021年1月1日UP■
「いきなり28」僕がアナログ絵28のシチュに突入すると霊団は仰ってます、つまり暗殺ですね(祈)†
キリスト教ではイエス様が磔刑にされたのはなぜだと説いていますか。人類の罪を肩代わりしたとか何とか言ってましたよね確か(今霊団がピィィィンと波長を降らせてきました、強調の意味があるのでしょう)僕は全く詳しくありませんし1ミリたりとも興味がありませんし聖書など死んでも読んでたまるかと思っていますので正確には分からないのですが、要するにキリスト教がイエス様に関して語っている内容は「後説で自分たちの都合のいいようにでっち上げたもの」であるという事、ウソだという事です。イエス様が磔刑にされた理由は「当時の律法学者どもの嫉妬」です。イエス様は物質界に降下した目的、霊的使命遂行をやり切る覚悟だったのですが、イエス様の霊能のすさまじさを見せつけられた律法学者どもが「このままでは自分たちの立場が危うくなる」とイエス様に嫉妬して殺したのです、それが真実です。そしてイエス様の死後から本当の悲劇が始まってしまったのでした…続きを読む→

2年がかりでカミンズ女史のイエス伝を完訳できたことを嬉しく思う。上巻にあたる『少年時代』は、涙ぐみながら翻訳にあたり、今回の『成年時代』では、納得の出来る解答が与えられたときに誰もが味わう理性的満足を得ながら進めてきた。

やさしく言えば、「なるほど」の連続であった。もうひとつ、つっこんで言わせてもらうならば、本書のイエスほど自然で、すなおに感じられる人物はいないということである。

正統派が大事にしている新約聖書の中でのイエスは、実に不自然で不明な事柄が少なくない。土台、数多くの断片をつぎはぎしてつくられたものであるから無理もないとは思うが、鮮明なイエス像が浮かんでこない。

まず第1に強調したいことは、今更言うまでもないことであるが、イエスの徹底した信仰と実践である。かれが絶対的に信頼していた神の本質は、「愛」であるから、当然の帰結として人間性を無視する現象や、それを否定する状況を許すことは出来なかった。

権力を笠に着たパリサイ人や律法学者がとった冷酷な態度や、自分さえよければという利己主義と闘い、あるいはまた、全く無防備なか弱い羊を餌食にしようとする狼とは、命がけでたたからイエスであった。この勇気はどこから生まれてきたのであろうか?

神が愛であるということを心から信じていたからだと思う。彼は凶悪な泥棒の前や、殺生の場面において、「肉体を滅ぼす者をおそれてはいない」と語り、「いつでもこの世を去る準備はできている」とも語っている。

『神を心から信じている』という極めて単純なキー・ワードに注目してもらいたい。「信仰」と「愛の実践」とは全くイコール(同等)なのである。このような信仰の原点を見事に伝えてくれた本書のイエスに改めて惚れなおしているところである。

この点を欠いている現代の教会については、今更ふれる必要もあるまい。死んでいるものを批判しても始まらないからである。

第2に考えさせられたことは、自分に与えられている使命を、長い時間をかけて追究していく真剣な態度である。「もし私が預言者ならば…」(16章参照)というせりふが何度か語られている。

心から愛していたアサフ(障害者)がローマ軍によって無残にも殺されてからのイエスは、ややニヒル的になり、なにもかも空しくなり、一旦は隠遁修道会として名高いエッセネ派の生活を始める。

それでも彼はそこで満足が得られず、隠者として一生を終わることに本来の使命を感ずることができなかった。言い換えれば“召命感”が得られなかったのである。

ついに彼は故郷ナザレに帰り、叔母のマリヤ・クローパスとの会話から電撃的な閃きを得るのであった。それからのイエスの態度は一変した。神の愛の実践者として、非人間化による犠牲者たちを片っ端から救済し、非人間化を行使する権力者(体制)を徹底的に糾弾した。つまり、目まぐるしい奇跡と論戦の連続であった。

人間には誰にでも使命が与えられている。イエスのような霊覚者でさえ、真剣に追究している姿に心うたれるものがある。

イエスが使命に関して始終考えていたことは、本書によれば、二者択一であった。1つは、洗礼者ヨハネやエッセネ派の指導者からも強力に勧められた道、即ち隠遁生活である。瞑想によって常に神と交わり、世俗と縁を断つことである。

他の1つは、世俗の中に入り、人々のあいだで神の愛を実践することである。結局は、人間が本来在るべき道を選択したのである。彼の選択は、私たちに言い尽くせない勇気と目標を与えてくれたのである。

第3に、大変うれしく思ったことは、実践の原動力を何によって得られるかが明示されていることである。つまり神との合一のことである。イエスは、これなくして前に進まなかった。

全く独りになって、人けのない所に行き、霊的交わりをした。その状態を何と表現しようが問題ではない。とにかく神と霊的に交わるのである。それによって莫大な霊力が与えられ、死人をも生き返らす力となり、体制を論破するエネルギーとなる。その断片をアサフやヨハネがかいま見ている。

このこと1つを取り上げてみただけでも、今の組織的宗教の欠陥が分かるというものである。イエスは手で作った神殿を嫌った。組織宗教は豪華な建物を持ちたがる。イエスは腐敗しきった組織宗教の仰々しい儀式や意味不明の教義、そして豪華な祭服を糾弾した。

皮肉にも、今の教会はイエスが嫌ったものを全部揃えてしまったのである。本書のイエスがはっきり示していることは、『信仰は個人のもの』、『宗教は実践』ということである。信仰と組織は全くなじむものではないと思われる。

信仰が集団となって生きる道は、エッセネ派のような隠遁修道会であろうと考えている。イエスが愛に満ちた奇跡を行っているのを見て、当時の宗教的指導者(パリサイ人、律法学者等)は、言うにことかいて、ベルゼブル(悪霊の頭目)の力をかりてやっているのだと言った。

あれから2000年たった今、再びイエスが現れたなら、今の教会の連中もパリサイ派と同じようなことを言ってイエスを非難するであろう。いみじくもシルバーバーチ霊が、この点を明快に指摘していることをご存じの読者もおられることであろう。(『シルバー・バーチの霊訓』近藤千雄訳、潮文社刊を参照)

ギブス女史の短い序文を読んで気がつかれたと思うが、このイエス伝は、“十字架の使者”と称する方からの霊界通信である。

(注 – ギブス女史は、カミンズの霊界通信に影の形に寄り添うごとく尽力した補助者である。いわば、カミンズ著作集の生き証人である。“クレオパスの書”の序文によれば、ギブス女史は、音楽・園芸・旅行に親しみ、年代は不明であるが、我が国をも旅行している。)

自分や霊団の名前さえ明かさず、実にすがすがしい。十字架の使者というからには、ひょっとすると、イエス自身が直接かかわっている霊団ではなかろうかと想像している。それ以上のことについては詮索する必要を感じていない。

それよりも、本書に描かれているイエスほど身近かに感じ、感動したことはなかった。有り体(てい)に言えば、最も敬愛する「兄」としてのイメージである。

少なくとも私にとって本当の兄貴ができたような幸せを味わっている。私がこれから歩もうとしている道中において、この兄貴ならば、総ての点で良き模範となり、励みとなるに違いないと確信している。

そのような“確かな人物”に出会えたという実感は、私だけであろうか。本書を通じてイエスがどのように感じられたか多くの読者から聞いてみたいと願っている。余計なことではあるが、本書を読まれた方は、是非上巻にあたる『イエスの少年時代』(潮文社刊)に目をとうしてほしい。

余談になるが、実は本書の原本がなかなか手に入らず困っていたときがあった。絶版になったうえ、英米の主な古本屋、図書館などに問い合わせを出しても、返事は絶望的であった。

少年時代とは切り離すことの出来ないシリーズなので、何とか入手できないかと八方手を尽くした。私の困っていることを見るに見かねて、近藤千雄先生が助けて下さり、ついにPsychic Press社(ロンドン)のオーツセン氏が持っておられることをつきとめて下さり、250ページにわたる原本のフォト・コピーを送って下さった。勿論、天にも昇る心地であった。昨年の秋のことである。

何もかも丸がかえでお世話下さった近藤先生の暖かいご配慮とご指導を心から感謝する次第である。次にお礼を言いたい方は、何といっても、心底から納得のいくイエスに出会わせて下さったカミンズ女史と十字架の使者である。すでに霊界に在って背後から力不足の私を励まし、全巻を完了させて下さったものと思っている。

最後に『イエスの少年時代』発刊以来(昭和62年4月)全国から寄せられた手紙を転送して下さった潮文社の労を心から感謝する次第である。

昭和63年7月

於鎌倉


新装版発行にあたって

この世は愛によって創られ、愛によって支えられているにもかかわらず、人間だけが、この重大な真理を無視した生き方を続けている。この事実を最も露骨にえぐり出してくれたのが、この一連のシリーズである。

テロや憎しみが世界中に広がっている今日、1人でも多くの人たちがイエスの生き様を知って、愛に目覚めた生き方を始めてほしいと願っている。3作、合わせて読んで頂きたい。

平成18年12月

山本 貞彰


霊界通信 イエスの成年時代 – 神と人間のはざまで – 新装版 –

山本 貞彰(やまもと・さだあき)
昭和5年生まれ。昭和30年、立教大学英米文学科を卒業。昭和34年、英国教会系、聖公会の司祭に叙任され、沖縄伝道区を振り出しに諸教会を司牧。昭和60年、スピリチュアリズムとの出会いが起因となって牧師を引退。訳書に『霊界通信・イエスの少年時代』『霊界通信・イエスの弟子達』がある。

「愛の表現、怒るな」霊団の軽薄極まる言葉です。とにかくこの人生の責任取れ(祈)†■2022年4月27日UP■
「愛の表現、怒るな」霊団の軽薄極まる言葉です。とにかくこの人生の責任取れ(祈)†
「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は、自身の大犯罪を隠し通さなければ本当に逮捕になってしまうため、いつまでもどこまでもウソ洗脳ニュースをメディアに流し続けて国民をダマし続けなければならない。つまり「明仁、文仁、徳仁、悠仁にはウソをつき続けなければならない理由、動機、必要性がある」僕、たきざわ彰人には、これほど長い年月にわたって画家の夢Dreamworkを捨てさせられてブログでウソの内容を書き続けるなどという行為をしなければならない必要性が全くない。そもそも僕の人生の目的は全く別のところにある。「僕にはウソを公言する理由、動機、必要性がない」そんな事しても別に何にもならない…続きを読む→
「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†■2022年5月11日UP■
「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†
物質界で味わった苦しい思いは、帰幽後に霊界で存分にその埋め合わせが用意されており、苦難から逃げずに立ち向かった者には霊的褒章が、苦難から逃げて物的享楽に走った者には幽界下層界での反省の人生が待ち受けています。さらに同胞(他人)を虐げて(肉体的精神的に傷つけて)私腹を肥やした人間には暗黒、地獄とも表現できる低い境涯にて永遠とも思える長い年月にわたる大変キビシイ未来が待ち受けています…続きを読む→